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休息 ー 創世歴 307年 新越国 処暑 ー

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  「トクサ、お前は私が何をしようとしているか見えないのか」

  室に少年の高い声が響く。

  「見えておりますが、それが?」

  「それが⁉」

  「若の色事と、政。どちらを優先させねばならぬか、わざわざ伺わねばならぬ方だとは思っておりません」

  「っ…‼」

  少年の高ぶった声と裏腹に、従者であるトクサの声は感情なく冷えている。

  うっせぇのぉ…。

  半裸の少年を膝の上に載せながら、アザミは心の中で呟いた。

  男は極度に疲労すると、女を抱きたくなると聞いたことがある。

  幼く見える夫もやはりそういう事なのだろうか。見れば、目の下は落ち窪み、クマができている。疲労を感じているのは確かなようだ。

  連日炎天下が続いた今年は、どこもかしこも干上がるような様相だったが、ここにきて急な豪雨があった。大量の雨は乾いた土を押し流し、国の各地で被害を及ぼした。夫、ウマラは数え十三でまだ成人には満たないが、国を治めるミヤマの家の唯一の嗣子として、政に関わっているらしい。

  「私が何日詰めていると思っている。二十日だぞ。往来はひっきりなし、寝る間もない‼」

  「寝る間はあるでしょう?」

  「寝る間もないようなものだと言っているんだ‼」

  相変わらず同情の気配すら見せないトクサに、ウマラは声を荒らげた。普段は歳不相応に悠然なウマラが、こうも感情的なのは珍しい。相当に堪り兼ねたものがあるのだろう。が。

  「今まさに寝る間もない民も多くいるのです。急務です、若。このような時に、女の元へ通われるなどとは、正気の沙汰ではありません」

  滔々と流れでるトクサの言は、正道である。

  ふと気づけば、顔を赤く腫らした少年が二人の成り行きを心配そうに見つめていた。

  オギか…。

  少年はニコシに古くから住む狩猟民のヒマ族である。ヒマ族はチハラノクニがこのニコシノクニを侵略したときに、徹底抗戦を決め込み、幼い子供たちを遺して絶えてしまった。ニコシ族とは敵対関係にあった為、戦の後は軋轢が強く、アザミが庇護していた。アザミの輿入れに伴い、オギはトクサの配下となり、今はウマラを陰ながら警護している。

  オギの顔から察したアザミは、すいとウマラを抱きかかえる。そして、室を取り囲む回廊へ放り出した。

  「なっ、ちょっ、アザミ⁉」

  「やること済ましてこい」

  「まって、アザミ‼アザミ…」

  起き上がったウマラを足でかわし、戸口を閉めた。

  外からウマラとトクサの口論が聞こえる。アザミは小さくため息をついた。

  *

  再びウマラが訪れたのは、郷がすっかり寝静まった頃であった。

  呼びかける声も弱々しい。

  「すまんかったの。昼では皆の目もあるけぇの…」

  「近頃は昼も夜もないよ」

  そう言って、すぐさまアザミの腕の中へもぐりこむと、すぅすぅと寝息を立て始めた。アザミはそれ以上声をかけず、ウマラを腕に抱いて寝た。

  「アザミ…朝だ」

  ウマラの声に目を覚まし、外を見る。夜が明け始めたばかりで、日はまだ昇っておらず白々としている。

  「まだ、日は昇っとらん。寝とけ」

  開けた戸を閉める。しかしウマラは無感情に髪を整え、襟を正していた。それが日々営まれる夫の日常なのだろう。

  「疲れとんじゃろよ?」

  夫の小さな手に触れた。ウマラは頼りなげに笑みを浮かべ、しかし首を横に振る。

  「昨日オギが仕置きを受けてね…」

  あぁ…。

  脳裏に顔を腫らしたオギが映る。

  オギはトクサの配下である。執務を抜けるウマラを止めなかった責を負わされたのだろう。

  「オギは…賢い男だ。人を、モノを見る目に長けている。一目でだれが利を得、だれが不利益を被るか。そして人の為に、己の犠牲を厭わない。私は知っていて甘えてしまった。……行かねばなるまいよ」

  のそりと立ち上がる。

  「あの‼」

  外からオギの声がかかった。一晩外で張っていたのだろうか。疲労はウマラにも増して、色濃い。

  「ワシの事は構へんですよ。ワシ、若がたいそうなの知っとるさかい、たまの[[rb:暇 > いとま]]やってえぇ思います。ワシが打たれたんのなんて大したことねやんで…」

  「いや…」

  アザミはオギを招き入れ二人を見遣った。

  雛鳥みてぇなもんじゃの…。

  体つきが青年になり始めたオギも、政に身を置くウマラも、アザミにはまだ子供のように映った。

  「ヌシら、メシ食うとるか?」

  「え…いや。どうだろうな」

  ウマラが首をかしげる。

  「どうだろっちゃなんじゃぃ」

  狩りの次にメシが好きなアザミにとって、ウマラの答えは不可解だ。

  「あまり。食うとりません。メシ通らん言うことも多いさかい、木の実みたいなんそばに置いて、つまんどりますわ」

  横ですまなそうにオギが手を振る。

  なんぞ食わねばならんじゃろよ…。

  隅に置いた籠を手繰り寄せる。

  「まだ皆起きとらんが、アケビはある。どうじゃ?熟れとるぞ」

  アケビを取り出し、一つをウマラに。もう一つをオギに差し出した。

  「あ…うれしいねんけど……」

  オギは遠慮するように、ウマラを見る。ウマラは大きく頷き、オギにアケビを握らせる。

  「構わない。今トクサはいないし、私もトクサに言ったりせぬよ」

  夫らハヤセビトは宗主国チハラの憲を貴ぶ。チハラは身分の差が大きく、目上の者と目下の者がともに食事を取ることはない。アザミらニコシビトはそれほど差はなく、オギのヒマ族に至っては身分の差はないようなものだ。それでもオギは主に合わせ改めているのだろう。

  「ほな、いただきます」

  恭しくアケビを受け取ると、器用に果肉を取り出し口に放り込んだ。

  「んまっ。若もはよ食うたほうがえぇですよ。体に染みるっ‼」

  ぐっと目を輝かせて、ウマラに勧めた。

  「そう…?」

  ウマラを見よう見まねで果肉を取り出し、同じように口にする。

  「あぁ…甘い。おいしよ、アザミ」

  見上げたウマラの頬を、涙が一筋流れた。

  *

  「おぃ、ヌシ…」

  手を差し出すと、やんわりと防ぎ、頭を振る。

  「なんでもない。このところたまにあってね…」

  「なんでもねぇワケねぇじゃろ…」

  拭うそばからぼろぼろと涙が溢れ出す。

  「本当に何でもないんだ。別に、痛いわけでも、つらいわけでも、苦しいわけでもない。ただ…涙がこぼれるんだ」

  ウマラは手をかざし否定するが、何も無いようには見えない。

  「なんでもねぇワケなかろうよ」

  こんな弱っとんなら、昨日追い出さねばよかった…。

  アザミは後悔にウマラの頭を抱いた。

  「気がかりがあると違うか?」

  もたれさせるように、固く抱く。

  「気がかり…」

  ウマラがそっとアザミの腕に頭を乗せた。

  「そうだな…しいて言うなら不甲斐ないという事か」

  「不甲斐ない?」

  「えぇ…。皆の求めに応じることが私の務めだ。それなのに、このところ億劫と思うことがあってね…。身勝手なものだろう」

  身勝手じゃろうか。まだ幼子ではないか。アザミは夫の顔を見つめる。

  容姿は確かに幼い。しかし夫の目は大人のように見える。

  「オギの言う通り休んでもえぇんじゃねぇか?」

  「いいえ…」

  億劫だと言った口が否定する。務めと信じる[[rb:心 > のろい]]が、己の不調に蓋をしていた。

  「ヌシにひとつ、まじないをしてやろう」

  「まじない?」

  体を起こす。

  「ほうじゃ。まじないじゃ」

  「生憎だがね、アザミ。[[rb:子 > し]]は怪力乱神を語らずという言葉があってね。物事には理があって、不思議な力などというものは…」

  「はっ、ヌシらが言いそうなことじゃが、まぁ見てろ」

  アザミは浅い皿に水を張る。そして、魔よけの[[rb:椒 > はじかみ]]の葉を一枚ちぎって怪訝な顔をするウマラに渡した。

  「息を吹け。長くな」

  ウマラは言われた通り、椒の葉に長く息を吹きかける。アザミは椒の葉を受け取ると、皿の水をぐるりと回し、葉を浮かべた。葉はしばらく水面をくるくると回っていたが、やがてウマラの方を向きぴたりと止まった。アザミは掌に載せ、音がなるほど強く打った。そして小さく祝詞を唱えて、葉を掲げる。

  「なにが…わかる」

  「…なにも」

  「なにも?」

  「いいことも、悪いことも起こらん。なんもねぇっちゅうことじゃ」

  「それでは」

  不満そうに椒の葉を取り上げる。

  「まじないの意味がないではないか。まじないを行っても、行わなくても変わらないなんて…」

  アザミは肩を揺らしてウマラを見る。

  「ヌシぁ、まじないが何かを運んでくる思っちゅうか?それゃ吉兆を見るだけじゃ。無いものをあると言えんし、起こらんもんを起こる言えんのじゃ」

  「気休めだな」

  興味が失せたか、葉を放り投げる。ふらつく足取りで、裾をさばいた。

  「おい、ワシぁなにもねぇちゅうたろ。そりゃぁよ、ヌシが寝ていても、遊んどっても変わりねぇちゅうことじゃ」

  「…先ほど言っただろう。私の務めなのだ」

  その身体で何ができる…。

  「ワシの言うことが信じられんか?」

  「貴女の事ではない。まじないなどというものが信じられないだけだ」

  「あの…」

  頑ななウマラを、控えめな声が止めた。

  「ええんとちゃいますか?なんやあればトクサ様、とんできますよって」

  「しかし、それでは…」

  「案ずるな。人が来りゃ呼んでやる」

  アザミは二人に休むように言い、室を出た。

  *

  郷に日が差し、穴屋から炊事の煙が立ち昇っている。

  一つから声が聞こえた。言い争っているのは幼い兄弟だろうか。諫めるようにとぶ母親の声。なだめているのは姉だろうか。

  アザミには六人の妹と一人の弟がいた。幼いころは諍いなど日常で、その都度母が怒鳴り声をあげていた。それも月日が経ち、娘になっていくと、一人、一人と外へ嫁いでいき、家の中は静かになった。

  懐かしいの…。

  アザミは目を閉じ、郷の空気に身をゆだねた。

  「あざみさまー」

  幼女の声に目を開ける。よく見る顔だ。いつもは歳の近い姉と一緒に歩いているが今日は一人だ。

  「かあちゃに[[rb:あみふ > ・・・]]ならうんだって」

  「ヌシぁせんのか」

  「ん…とね。おしりいたい」

  「ははっ。そうかワシもじゃ。ずっと座っとるの尻痛ぅなる。編布も織布も好かんわ」

  笑って尻を叩くと、幼女も尻を叩いて笑った。

  「アザミさまー」

  今度は少年がやってきた。外を隔てる門のあたりに母と姉が見える。

  「おぅ、かかさはどこへ行く?」

  「炭焼き小屋に炭を取りに行くってさ」

  どこかつまらなそうに、少女の横へ腰を下ろした。

  山中に炭焼きを生業にする者がいる。母娘はこれから炭を取りに行くのだろう。

  「ヌシぁ行かんのか?」

  「まだ早ぇってさ。おれ、結構力あると思うんだけどな」

  細腕に力こぶを作って見せた。色々やりたい年ごろなのだ。

  「まぁ、そのうちじゃろ…」

  頭に手を置くと、気恥ずかしそうに目をそらせる。男衆に混ざるのも近いうちだろうと思った。

  ほうじゃ…。少しずつでえぇんじゃ……。皆、そうして大人になるのだ。

  「あ、やべ…トクサさまだ」

  少年は門に見えた人影にピクリと背を伸ばし、幼女の手を引いて奥へ消えた。

  来よったか……。

  アザミは広場の岩に腰を掛けたまま、人影を待ち構えた。

  淡白な顔つきに、切れ長の目。ニコシには、そして夫の出自であるハヤセにも珍しい黒髪を、耳の横できっちり束ねている。長い上衣を着込み、豪奢な長剣を佩いていた。

  「若が、こちらにおいでになっていますね」

  アザミの前に立つなり、トクサは口を開いた。

  チハラの憲では、目下の者が自ら話しかけるものでは無いと聞いている。口調こそ丁寧なものの、トクサのそれは、アザミに対する侮蔑であった。

  「あぁ、おるぞ…」

  ゆらりと立ち上がり答えた。

  身分がどうこう言うつもりはない。そもそもそれは外からもたらされたもので、こちらにあったものでは無いのだから。だが、アザミとてニコシを治めてきた一族の矜持がある。

  奥へ足を向けるトクサの前に立った。

  「主の妻の寝間に立ち入るのはチハラの憲か?随分と乱れとんのじゃの」

  ピクリとこめかみに青筋が経つ。

  宗主国チハラこそが崇高であり、そのチハラを血を引く己に絶対的な自我を感じているトクサにとって、チハラに対する侮辱はそのまま自身への侮辱であった。

  「……では、ここへ呼んでいただけますか」

  「そりゃぁできんの」

  「貴方は若の務めを理解しているのか。小国の内政のみに身を委ねてきた貴方に」

  「しとるつもりじゃ。じゃが、アレは子どもじゃぞ」

  口の端が歪んだ。

  「若を子どもと侮るか」

  「別に、侮っとるわけじゃねぇ」

  座っていた岩をごろりと、トクサの足元へ転がした。

  「ヌシぁその石、担げるか?」

  皆の姿を見るため、アザミが広場に置いた岩。並のものなら二人がかりだろう。トクサは岩を一瞥し、今度は嘲りをにじませる。

  「猩々のごとき貴方であれば容易いかもしれぬが、私は人でして。手に負えるものではないかと」

  「ヌシのしようとしとることは、その石をアレに担がせるようなもんじゃ」

  アザミは岩をもとへ戻した。

  「知恵はあるかもしれん。心構えもあるかもしれん」

  「かもしれないではない。ある。私はそう見ている」

  トクサは語気を強め言う。余人には知れぬ何かを、トクサは抱えているのだろうか。今のアザミにはまだ計りようもない。

  「身体はどうじゃ。小さな身じゃ。大人と同じではねぇじゃろよ。心根はどうじゃろか。全てを知ってるような目で、案外に何も知らんような気がせんか。アレは素直じゃ…。皆がこうあるべきだと教えれば、己にできるのだと疑いもしねぇ。体は悲鳴をあげとるのに、それすら気づかんのじゃ…」

  トクサの目を見据えた。

  「[[rb:主 > ウマラ]]を輔けるのが、ヌシの務めじゃろうよ。よう見ろ。死ぬぞ?クニを担ぐ前に、ヌシらが殺すんじゃ。ウマラはワシの夫じゃ。むざむざ見殺しにゃせん。連れてくいうなら、ワシは腕ずくで止める。剣でもなんでも抜け」

  パキリと指を鳴らす。

  トクサの手が柄頭に触れた。アザミはわずかに身構える。

  「私の剣は、若のためにある」

  剣がカチンと音を立てた。

  しばし視線を差交し、そして離れる。

  トクサは踵を返し、門外へと消えた。

  *

  「アザミさま~」

  日が傾き始めたころ、気の抜けた声がアザミを呼んだ。

  侍女のナズナである。

  「今日はずっと外におられたんですなぁ」

  「ワシの周りは騒がしいけぇの」

  隣に座っていた少年の肩を抱く。騒がしいという割に、少年はしんみりとナズナを見上げている。

  「なんや、元気ねやんなぁ」

  「さみしんぼじゃ。のぉ?」

  「さ、さみしくなんかねぇし‼」

  急に少年は声を荒らげる。門に母娘の影が見えた。

  「お、噂をすれば…」

  「かぁちゃん…」

  今否定したことも忘れたように、少年はトッと駆け出した。ワイワイと何かを言いながら親子は戻ってくる。

  「遅かったの。心配しとったぞ?」

  「はぁ、薪拾いしてたもんで」

  炭を作るには薪がいる。次の時のために、母娘は一仕事してきたようだ。

  「これ、アザミさまに」

  女は数尾の干し魚を手に提げた。

  「ワシは食うもんに困らんけぇ、ヌシらで食え」

  なるべく民に食わせてやりたいアザミは、やんわりと断る。

  「うちら、大丈夫です」

  娘がくるりと背を向けると、炭を積んだ背負子の下に干物がびっしりとぶら下がっていた。

  「こりゃ大量じゃな。ほしたらありがたく頂こう」

  親子を見送り、二人は宮へ戻る。

  「そういや、若さまさっき起きましたで。夕方なっとるって驚いとりました。自分で寝といてそりゃないで?」

  ナズナは干物をあぶりながら、カラカラと笑い声を立てた。

  それだけ深く眠れたならいいだろう。アザミは先に室へ向かう。

  「アザミ…」

  アザミを見たウマラは清々しいというより、困惑にまみれている。

  「よう寝れたか」

  「…えぇ。でも本当に、何もなかったか?」

  「おぉ。言うたとおりじゃろ? メシにするぞ」

  ウマラは父と二人で食事をするようだが、アザミは宮に仕える女を呼んだ。郷から連れてきた侍女、ミヤマの家からあてがわれた下女。広間には女が集まり、賑やかに準備を進めている。

  「ほいじゃぁ、いただくか」

  皆が座った頃アザミは声をかけ、それぞれに食べ始めた。

  膳は母娘からもらった干物のほかに、豆、菱の実、むかご、アカナ、サルナシ、アケビと色とりどりに並んでいる。ウマラはアザミの勧めるまま箸をつけた。

  「どうじゃ、うまいか?」

  「…煙たいね」

  「おぉ、炭焼きするついでに燻しとるんじゃろな」

  「それに…塩辛い」

  眉根を寄せた。

  「はっ、旨かろうよ。気に入らねば湯でも掛けろ」

  白く粉が吹くほどの干物が、アザミは嫌いではない。好みもあるだろうが、それにしてもウマラの顔は妙に暗い。

  「何が気に入らんのじゃ」

  「塩は…国をあげた交易品だよ、アザミ。ずいぶん贅沢ではないか」

  箸で干物をつつく。

  四方を山で囲まれたこの国では、南のチハラを通じて塩が運ばれる。チハラの征服を受ける前は、東のウカミの国を通じていた。チハラはウカミ攻略のために、ウカミとは国交を断絶している。塩は民が容易に手にすることができないはずなのだ。

  「横流し…。あるいは東と通じる者がいるのか……?」

  あぁ、そういう事か。

  夫の憂鬱を見て、アザミはそっと頬を寄せて耳打ちした。

  炭焼き山の奥で岩塩がとれる。

  「そ…んなの聞いた事無いぞ」

  「ほうじゃろの。ワシらも[[rb:ミヤマ > ヌシら]]に話したことはねぇしの。大昔はもっと採れたらしい。山の塩は海の塩と違うて、採れば無くなる。他国にやれるほど採れんし、あそこらに住む者にとっちゃ大事なもんじゃ。黙っとけよ」

  ウマラはは何か思うように、干物に手を付けた。

  「みな食えよ。豆食うたか?どうじゃ?」

  「少し固いね」

  「菱の実食うたか?」

  「えぇ。おいしいよ」

  「アカナも食うたか?好き嫌いはいかんぞ」

  「好き嫌いは無いよ……その、アザミ?」

  徐々に口を歪めたウマラが、小さく息をつく。

  「貴女方は、口を開かねば食事できないのか?」

  「はぁ? んぁんんんんん~…?」

  アザミはわざと口を閉じて喋った。

  「そうではなくて。話をせねば食事できないのかと聞いている」

  広間を見回す。

  女達は身分も立場もなく、話に花を咲かせ、食事を口に運んでいる。そこに憂いは影も形も見当たらない。

  「その方が楽しかろうよ。ヌシは色々考えすぎじゃ。ただメシが旨い。それでよかろうよ?心に隙間を作っとけ。常にいっぱいいっぱいじゃ辛かろうよ」

  アザミは干物をつまみ上げ、一口で胃袋に放り込んだ。

  「しかし…」

  「ヌシはワシの夫じゃ。いなくなりゃつまらんぞ」

  「…つまらない…?」

  つまらない、つまらない。

  ウマラは呟きながら膳をつつく。

  「若、アザミさまの言葉。そのままとらまえたらあかんですよ?」

  横でオギが肩を揺らした。

  「どういう意味だ」

  「つまらんやない。若がおらなんだら、さみしい。の、間違いや」

  「そ…」

  ぴくりと顔をあげたウマラが、アザミの裾を引く。

  「そうか…。そうなのか?アザミ、さみしいのか?」

  うるりとしたあどけない目が、アザミを求めている。アザミはうっと目を逸らす。

  「そ、それでもええぞ」

  「そうか…?」

  「ほしたらな、若。もっとよーさん食べなあかんで」

  オギは兄のように胸を張る。

  「そうか?」

  箸が膳から口に豆を運ばせた。

  「せやで。元気のうなったら、アザミさま心配しよりますから」

  「そうか?」

  まだ手を付けていなかったむかごを口に運ぶ。

  「せやせや。な、アザミさま?」

  ちろりとオギがアザミを伺うように見る。その目は何かを求めている。

  「ほうじゃの。メシ食うて泣かれたらかなんわ」

  アザミは応えた。

  「あ、あれは。泣いてたわけじゃないと言っているだろう‼」

  つんと顔をあげ、次々と膳を進める。

  その顔にもう涙はなかった。

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