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悪友 ー創世歴 立夏 305年 新越国ー

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  創世歴 307年 清明 新越国ー

  灯明皿に灯った火がゆらりと揺れて、仄暗い室の影がちらつく。身の丈六尺に迫る程の女、アザミに跨り、こちらは五尺に満たない小柄な少年、ウマラがうんうんと唸りながらアザミの身体を押していた。

  「…ぉぃ。ぉい」

  アザミが女にしては低めの、腹に響くような声でウマラを制する。声に気づいたウマラはアザミの肢体から身を離した。

  暖もろくに無いようなひんやりと冷えた室だが、額に滲んだ汗が頬を伝って落ちた。

  「なんです?」

  怪訝な顔で、つい今しがた、婚姻の儀を終えたばかりの新妻を見下ろす。

  「……ちと必死じゃの。その、色々とよ?」

  アザミが櫛の通ったウマラの艶やかな髪を掻きあげ、頬に触れる。琥珀色の瞳でジッとウマラの目を見つめた。

  「え?……や、でも……」

  顔に熱が篭っていくのをウマラは自身でも感じていた。アザミの視線から逃れるように、顔を背ける。

  「そういうのが……良いと、聞いたので……」

  「はぁ?」

  幼い夫を乗せたまま、アザミは上体をぐっと起こした。

  「誰に……何をじゃ」

  そのままウマラを身体の下に組み伏せる。羞恥に顔を赤らめた夫を眺めながら、含み笑いをもらした。

  「ん?」

  「っ〜……」

  ガマ。話が、違うではないか……。

  ウマラは心の中で一人の男を罵った。

  *

  創世歴 305年 立夏 新越国 ー

  「あいつはね〜、面子気にする奴だから。人の居ない所へ呼び出した方がいいな!!」

  「ホント?」

  「嘘なんか言わねぇさ。俺を誰だと思ってんの?ガマちゃんよ?」

  人気のない川原で、妙に小さな、しかし態度の大きな少年と、少女が座り込んで話をしている。少女は深刻な顔つきだが、少年の方は至ってあっけらかんとしたもので、随分と温度差があるようだった。

  「人前じゃきっと格好つけちゃってさ、すんなりウンなんて、言わねぇよ。でもアンタみたいな女が好きなんだ。誰も見てなきゃ、喜んで答えるに違いねぇって。俺を信じてみった!!」

  腕組みをしながら、自分の言葉に激しく頷いている。

  「じゃぁ……」

  胡散臭そうに少年を眺めていた少女は、やがて何かを決めた様子ですくっと立ち上がった。

  「ぁあ、おっと」

  慌てた少年は、少女に手を差し出す。

  「あそこに入ってるから」

  少女は川端を指差すと、パタパタっと郷の方へ駆けていった。

  「あそこってどこだよ〜」

  少年、ガマは少女が指差した方へやってきて覗いた。視線の先には小さな[[rb:魚篭 > びく]]が沈められている。

  「おっ、これかぁ」

  魚篭を取り上げると、ちいさなカマツカが五匹ばかり入っていた。

  「ちっせぇなぁ。焼いたら縮むし、こりゃぁ蒸し焼きだな」

  ガマは独りごちると、早速火を起こし始めた。河原の石を竈のように積み上げ、火を入れる。火力が強くなってきたところで、空気が入る程度の間隔を保ったまま石を重ねた。焼き石を作るのだ。

  その間、ガマは林の笹薮に向かった。筍が頭を出し始める頃で、若葉は無い。昨年生えた葉から、比較的青く若々しいものを選り抜き数枚摘む。河原へ戻ると、魚篭の中で活き良く跳ねたカマツカを取り出し、頭を軽く石で叩く。笹の葉に包んだ頃には、石も充分に焼けていた。

  焼け石の間に突っ込み、しばらく待てば完成である。

  「んまっ。さすが俺!!」

  小さいながらも、ホクホクに仕上がったカマツカを頬張り、ガマは満悦に目を細めた。一匹、二匹と平らげていると、急に視界が淡く桃色に染まった。

  「んぁ?」

  「がま、おしごと」

  はっきり目を開くと、七つくらいの幼女が立っていた。手にはげんげ草で作った花冠を持っている。

  「なんだ、おめぇ。飯はやらんぞ。あと、ガキのお使いもしねぇかんな」

  しっしっと追い払い、三匹目を頬張った。

  「んー!!」

  幼女はその場で地団駄を踏み、声をあげる。

  「なんだよ、うっせぇなぁ」

  一瞥するガマの鼻先に、花冠を突きつけた。目の前に鬱陶しく揺れる、花冠を指先でちょいとすくう。

  「がま、おれいするといろいろおしえてくれるでしょ?」

  手ぶらになった幼女は、後ろで手を組みクネクネと体をくねらせた。

  「……お礼ってこれじゃねぇだろな」

  指先でくるくると花冠を回す。

  「かわいいでしよ?」

  幼女はにひっと頬を綻ばせ、白い歯を見せた。

  「俺をなんだと思ってんのよ」

  「がま」

  言うと、幼女はガマにぴっとりと寄り添って座った。

  「あんね。前にきれーな兄ちゃん見たの。その兄ちゃんのこといっぱいしりたいの!!」

  幼女は手をいっぱいに広げて言う。

  「かっ、ませてんなぁ。十年早ぇっての」

  「おんなはおとこよりおとなだもん」

  プクッと頬を膨らませた幼女は鼻をつんと突き出した。

  何が大人だよ。まんまるの腹しといてよ。

  四匹目を口に放り込んで幼女を眺めた。ぷくぷくとした手足に、丸々とした腹。立派な幼児体型だ。

  しかし綺麗な兄ちゃんなぁ...。

  ガマは郷の中の男を思い浮かべた。女というのは大概、年齢が低い時は見栄えのいい男。妙齢になると、体格のいい男を好む傾向があるとガマは見ている。

  つまり初めは見た目。小さいうちは憧れているだけでいい。しかし己の生活というものを肌で実感するようになると、己を養える逞しい男へと目が移るのだ。なんとも打算的だが、それか本能なのであろう。

  そしてそのどちらもが己に備わっていない事を、ガマは知っていた。五尺に満たない体、童顔。これでも歳は十五。本来なら大人に混じって生活しているところだが、男達に相手にされない。

  だからガマはこうして、人から人へ上手い話を伝えては、食い扶持を何とか稼いでいる。すっかりと身に染み付いたこの生き方が、今ガマの頭を忙しなく働かせていた。

  「そりゃぁ、色白で目のスッと切れ長なやつか?」

  淡白な顔立ちだが、なかなか人気の高い男だ。

  「いろじろだけど目はおっきいよ」

  「あー...小柄だけど赤毛が巻いたやつか?」

  目が大きくて、そばかすなんかが案外そそると、これまたやはり好まれる童顔男がいる。小柄で童顔で赤い巻き毛なんて、そっくり己と同じ条件なのに、目が大きいか小さいかで雲泥の差だ。声に出しつつ悲しくなる。

  しかし幼女は大きく頭を振った。

  「ううん。小さくて、目はおっきいけど、かみはさらっさらのまっすぐ」

  まっすぐな毛質で、目が大きくて、体は小さい...?

  そんなヤツいたか…?

  「かみはねぇ...。おぎのほ みたいにきらきらしてるの」

  「荻の穗...」

  言いかけて吹き出した。

  「荻の穗って、そりゃぁ...」

  この国の主である[[rb:深山 > ミヤマ]]の家が[[rb:早瀬国 > ハヤセノクニ]]から、この[[rb:新越国 > ニコシノクニ]]へ居を構えるにあたって、己ら早瀬の民も同じくこの地に移り住んだ。[[rb:早瀬人 > ハヤセビト]]も、元々住んでいた[[rb:柔人 > ニコシビト]]も体色が薄く、毛色も明るい者が多い。しかし荻の穗(淡黄色)と表す程、髪色が薄い者はガマの知る限り二人しかいない。

  [[rb:新越国造 > ニコシノクニノミヤツコ]]、[[rb:蘭 > アララギ]]とその子の[[rb:荆 > ウマラ]]だ。それだってガマが直接見た訳では無い。そう、聞いているだけだ。下々の者は、おいそれと[[rb:貴人 > あてびと]]の姿など見られるものでは無いのだ。

  国を司る役人やその私兵、家人は、下々の者と居住が分けられている。貴人が住む居住の、さらに奥の宮に二人は住んでいるはずだ。

  それをこの幼女は見たという。どこで...。

  ガマは改めて幼女をまじまじと見た。

  知らない顔である。

  「お前...」

  聞きかけた時、遠くで鐘を叩く音が聞こえた。日が西へ傾き始めている。仕事納めの鐘だった。

  「かえらなきゃ...」

  幼女は呟き、おもむろに立ち上がると振り向きもせず貴人とを隔てる垣の方へと駆けて行った。

  「なんなんだよアイツ……」

  幼女の後ろ姿を見ながら、最後のカマツカに手を伸ばす。

  どっという衝撃と共に激痛が走った。

  「い゛っでぇっっ!!」

  「おぉ〜ガマか。ちっさくて見えなかったわ」

  ニヤニヤと意地汚い笑みを浮かべた男が立っている。男は続けて、ガマが作った簡易の竈を蹴り散らかした。積み上げられた石が散り散りに飛ぶ。最後のカマツカは川の中へ戻って行った。

  「何すんっ……」

  口ごもる。男が睨んでいた。

  「目障りなんだよ、おめーはよ。働きもしねぇでいいご身分だぜ」

  俺だって、好きで働いてねぇわけじゃねぇやぃ……

  文句の一つも言いたいところだが、言ったらどうなるかは目に見えていた。すごすごと脇へ避けて小さくうずくまる。男は川岸で身体を拭い、仲間と一緒に帰っていく。ガマは嘆息と共に頭を下げた。

  「ガマ、災難だったな…」

  「シシ……」

  見上げれば、幼なじみのシシが立っている。手に数尾の鮎を下げていた。

  「今日鮎が捕れたからよ、一緒に食おうぜ」

  お世辞にも美男とは言えない顔で、シシは笑みを零した。

  *

  「俺だって好きで働いてねぇわけじゃねぇーっての!!」

  シシが1人で住む穴屋で、ガマは細腕を上げてがなりたてる。

  「うっせぇ。騒ぐな」

  シシは炙った鮎を差し出しながら、たしなめた。

  「気にすんなよ。お前が色々口きいてくれるおかげで助かってるやつはいるぜ?」

  シシは苦笑いを浮かべて、己の鮎にかぶりついた。

  シシはガマより二つ下の幼なじみである。昨年の秋、流行病で親を失った。他人の世話にはならないと決めたシシの背中を押すため、ガマは方々に口をきいて回った。

  シシは元々真面目な質だ。我慢強く、力もある。大人たちのウケは良かった。今では一人前として認められ、男たちと共に過ごしている。

  比べて己はどうだ……。

  鮎を受け取りながら、しんみりと項垂れた。

  「俺、お前を働かせて食わしてもらってるみてぇじゃん」

  「んなこたねぇよ。お前のおかげで、俺ぁこうして食い扶持かせげてんだからよ」

  シシはからからと笑い声を上げたが、ガマの気は晴れなかった。

  「そのうち、なんかいい事あんだろ。いきなりでかくなるとかよ」

  「んなわきゃねーよ……」

  ガマは呟き、鮎の頭をかじった。

  翌朝目を覚ますと、シシはもう出掛けていた。頭の上には椀が一つ。中には[[rb:蓴菜 > じゅんさい]]の吸い物が入っていた。

  「俺ってホント……」

  言葉を吸い物と共に飲み込んだ。

  外は既に日が高く、人の影は見えない。皆それぞれに働いているのだろう。

  「特に頼まれてる事もねぇなぁ……」

  と、すればやる事は飯のタネを探しに行くか、文字通り飯を探すか、である。ふと昨日の幼女が頭をよぎった。

  「若君かぁ……」

  歳は確か十ばかりだったか。きっといい暮らししてんだろうなぁ...

  ガマはぶらりと足を外へ向けた。

  郷を出て林に入ると、一際大きなナラの木に登る。郷を見れば、大屋根が目に入った。

  一番大きな宮では、官吏が執務を行っている。若君は若年であるから、まだ公の場には姿を現さないだろう。

  「したら……」

  ガマは宮と連なる建物に目を遣った。幾つかある内の一つに目をつける。ナラの木を降りて、郷を囲む塀へと走った。

  うさぎが空けた穴を通り、垣の中へ潜り込む。

  本当はこんな穴、あっちゃいけねぇんだろうなぁ……

  以前たまたま見つけた穴。大人ではとても潜り込めないが、それでも防衛の観点で見れば報告すべきものだろう。しかし、ガマはまだ誰にも言わないでいた。面倒事に巻き込まれたくはなかったのだ。

  人目を避けながら、目をつけた建物にするりと忍び込む。梁の上から窺うと 眼下で淡黄色の小さな頭が動いていた。

  やっぱ、俺すげぇかも……。

  顔は見えないが、四尺ほどの身丈ならば大人ということは無い。ならば若君、ウマラで間違いないはずだ。

  しかし簡素な室だな。

  室をぐるりと見渡しながら、ガマは思った。

  茅で編まれた円座。小さな文机。重ねられた木簡。後は筆と葛龍。魔除けだろうか、祭壇と思しき棚に銅鏡と[[rb:剣 > つるぎ]]が一振あるのみ。

  皆が住んでいる穴屋と違い、土や煙の燻した匂いはなく、清らかとした空気を感じる。埃まみれの己は穢れたもののようで、胸がチクリと痛んだ。

  俺みたいなのが来ちゃいけねぇな……。

  外へ出ようと身体を起こすと、下でガタリと音が鳴った。

  見れば、ウマラが鏡を取ろうと手を伸ばしている。いっぱいに爪先立ちしている姿は、ふらふらしてどこか危なかしい。

  あぁ危ねぇなぁ……鏡なんてかなり重いだろう。足に落としでもしたら……。

  ガマは一度伸ばしかかった体をかがめて、様子を窺った。

  ウマラはようやく鏡を手に収めると、鹿革で表面を磨きはじめた。反射した光が、時たまガマを照らす。

  綺麗好きかな。通りで部屋も整っているわけだ。

  ガマは、懸命に磨く姿に胸をなでおろし、再び外へ出ようと体を伸ばす。

  「あぁ、そうだ!!」

  ウマラの少年らしい高らかとした声が聞こえた。ガマは思わず身をすくめる。

  「たまには剣も磨いてみよう!!」

  独り言がでけぇよ…。

  梁で立ち往生したガマは、ウマラの方へ目を落とした。

  爪先立ちになり、今度は身の丈の半分ほどもある剣に手を掛けている。

  お付きの者とかいねぇのかよ……。

  人を呼べば事足りそうだが、誰か呼ぶ気配もない。ウマラはようやっと剣を下ろすと、鞘を払った。そして、皮では無く、鏡を手に取る。

  反射した光が、ガマの顔を照らした。

  眩し……

  「お前何者だ。そこで何をしている」

  険のある声が、ガマを刺した。

  へっ…!?

  鏡の中の顔と目が合う。大きく見開いた白目に、ぽつりと小さな三白眼。剣と同じ[[rb:鈍色 > にびいろ]]の瞳がキラリと光った。

  終わった……。

  目の前が暗くなる。ガマはぼとりと床へ落ちた。

  「ひゃっ」

  小さな叫び声。

  ガマは床へ這いつくばり、丸くなる。

  「おい……」

  爪先がガマの肩をつついた。

  「へぇ」

  「お前は何者だ」

  頭上から声がする。微かに震えているようにも感じた。ガマもガマで戸惑う。みだりに口をきいてはならないと聞いていた。

  「……答えても、いいんすか?」

  「こちらが問うているのだ。隠しだてするつもりか」

  高ぶった声で問い詰める。

  「やや……そんなつもりは。あの……ガマっていいます」

  答えたものの正しいかわからない。何者でもない、ただの民だ。

  「ガマ……?それは諱かなにかか?お前は私をたばかるつもりか」

  「いみな…? たばかる……てなんすか?」

  「お前言葉わからないのか?異人か?諱は…あだ名のようなものだ」

  目の前に胡座をかいた膝が現れ、ため息をついた。

  「私を偽り、陥れるつもりかと聞いている」

  「ほぇ…。いや。名……俺の顔、蛙みたいだからって、生まれた時に母ちゃんが」

  「蛙?」

  今度は視界に顔が現れた。抜けるような白い肌。ほんのりと赤みの差した頬。櫛の通った淡黄色の髪。椿のような赤い唇。長い睫毛。少女のような顔立ちだが、ただ一つ。鈍色の小さな瞳だけが、あどけなさを打ち消すように揺れている。

  まるで成人のようなその目が、ガマの前で不均衡に歪んだ。

  「ふん。言われてみれば、見えなくもない。しかしガマとは……気の毒にな」

  左右に離れた小さな目。低い鼻、大きな口。美男でないのは間違いないが、気の毒といわれるとなんとも言えない気分だった。

  「はぁ……そ、っすね」

  「それで? ここはお前のようなこどもが訪れて良いところでは無いぞ」

  こども……。

  話し方こそ大人びているものの、目の前の若君は己より遥かに幼い。一尺あまりも小さな少年に子供扱いされ、むずむずとする。しかしそこはそれ。貴人だからと、むず痒い心を抑えつけ、己の境遇やら幼女のことやらを説明した。

  聞き終えたウマラは「なるほど」と嘆息する。

  「お前は頭が足りないらしいな」

  「いっ……」

  「見つかればどうなるか想像できなかったのか? その[[rb:女子 > めのこ]]が間者である可能性は? 大人扱いされないのであれば、そう見える努力をするべきではないのか。シシとやらが男に厚遇されるのはそこがお前と違うからだろう……。己の改善もせずにただ認めろと言うのは、虫のいい話ではないか」

  「そ……は、言いますけどね! 若さまみたいに初めから何でもありゃぁ……」

  冷ややかな視線と続けざまに出される指摘に、ガマは思わず声を上げ、はっと息を飲んだ。首をすっと伸ばしたウマラが目を細め、こちらを見ている。

  「だから……、簡単なもんじゃ」

  おずおずと声をすぼめるガマ。ウマラはその襟首を掴み、勢いよく引っ張った。

  「ちょっ……」

  「葛龍へ隠れろ」

  「へ?」

  「早くしろ」

  有無も言わさずガマを葛龍へ押しやると、蓋を閉めてしまった。

  「ちょ……なんす」

  「声を上げるな」

  いきなりなん……

  葛龍の網目に顔を寄せると、人影が映った。

  「若、失礼致します」

  まだ若い青年の声が、凛と響く。声一つで室の空気が水を打ったように静まった。

  異人だ……。

  彫りは浅いが、端正な顔立ち。早瀬人とは少し違う白い肌。瞳孔の見えない黒い眼。左右に高く結われた黒髪の美豆良。髪色の濃い者もいるにはいるが、青年のカラスを思わせるような、深い黒色の髪は目にした事がない。黒い目の者を見るのも初めてだ。

  隙間から見えた人影にガマは息を飲んだ。

  青年は室へ入るなり、大きく溜息をつく。

  「鏡も剣も御身を護るためにございます。持ち出して遊ぶようなものではありません」

  「遊んでいた訳では無い。磨こうと思っただけだ」

  実際初めはそうしようと思っていたのだろうから、本人にとっては心外であろう。ウマラはつんと顔を背ける。

  青年は頭を振り、両手を広げた。

  「若は身体が二つにも三つにもなるようですね」

  青年の手の先に鏡、剣、鞘がそれぞれ転がっている。

  「……片付けようと思ったが、戻せなかったんだ」

  「鞘を?それは奇なることですね」

  「祭壇にだよ……」

  「誰ぞ呼べば済むことです。嘘をつくなら、相手が信じるような、まともな嘘をつかれた方が良いかと思います」

  にべもなく言うと、青年は祭壇へ鏡と剣を供えた。

  「人を近づけさせたくないんだ……」

  ぶつぶつと呟きながら、ウマラが円座に腰を下ろす。青年も従い、前に腰を下ろすと、[[rb:頭 > こうべ]]を垂れた。

  まともな嘘って……なんだよ。

  ガマは葛龍の隙間に顔を押し付け、成り行きを見守った。

  「用があったのだろう、トクサ?」

  ウマラが問うと、トクサと呼ばれた青年は一度深く礼をし、身体を起こした。

  「十日ほど[[rb:暇 > いとま]]を頂きます」

  「暇?」

  「[[rb:尾鷲 > オワセ]]の所領にいる長兄が妻を娶ることになりました。言祝ぎに参ります」

  尾鷲!?

  ガマはまたしても息を飲んだ。

  尾鷲の縁者なのか、あの異人……。奴婢にしちゃ態度がでかいけど、どういう繋がりなんだろ?

  尾鷲は[[rb:深山 > ミヤマ]]を支える三家の一つである。右腕とも言われる尾鷲は、深山の家と血の繋がりもあり、他の[[rb:平瀬 > ヒラセ]]、[[rb:生谷 > オブカイ]]の家より関係が深い。

  ガマは食い入るように見つめる。

  「そう尾鷲の惣領にね。それは慶事だな。私からも一筆したためようか。……あぁ。でも、今更嬉しくないかな」

  ウマラは小首を傾げた。

  「若の祝いとあれば、兄も慶びましょう。……私では無く、父から渡るように致しましょう」

  トクサが深く頭を下げると、ウマラは心なし曖昧に笑みを浮かべた。

  硯に水を満たし墨をする。ウマラもトクサも声をあげず、 滑らかな石の上を墨が滑る音だけが室に響く。ガマもその音を聴きながら、二人を見ていた。

  しかし慶事って割には、二人とも嬉しそうじゃねぇなぁ……。

  そんな事を思いながら。

  やがてウマラが木簡に文字を綴り、トクサは恭しく受け取り下がる。ウマラは入口までいって下を覗くと、笑みを浮かべながら葛籠の蓋を開けた。

  「あれ、異人すか?俺初めて見た!!」

  開くなり声を上げるガマにウマラは苦笑をこぼす。

  「半分ね。オワセのおじが都にいる時、[[rb:千原 > チハラ]]の女に産ませたらしい」

  「あ、そりゃ妾腹ってやつすね」

  「まぁ……」

  「ありゃぁ若さまのお目付け役みたいなもんすか?態度でかいっすね!!」

  「まぁ、そのようなものだが……お前の態度の方が余程だよ?」

  緊張が途切れたガマは、いつものようにベラベラと言葉を零していた。

  「す、んません……」

  ガマはぺこりと頭を下げる。しかし湧き出した好奇心が、ガマの口に次々と言葉を喋らせる。

  「でも若さまほどの方に、なんで妾腹の子がついてるんです?偉い人の事はわからんけど、そういうのって正妻の子が相応しいんじゃないんすか?」

  「まぁ……色々あるんだよ。お前は……面白いところに気がつくな」

  「え、そすか?」

  ウマラは、目を丸めたガマをじっと見つめると、細く息を吐いた。

  「しかし、私とした事がうっかりしていたよ」

  「?」

  ウマラは首をとんと叩く。

  「お前の処遇をどうするか、トクサに謀っておくべきだった」

  どこか意地の悪い笑み。ガマはギョッとして口を抑えた。

  「もっとも聞かずとも答えは容易に想像できるがね」

  「容易……」

  「首を打って晒しておくのが良い」

  「ひゃっ……」

  身をすくめ、葛籠に引っ込む。

  「なんて…ね。さすがに私もお前のようなこどもが首を打たれるのは寝覚めが悪い」

  「そ、そっすよ。俺ほら、若さまの言う通り頭足りねぇんで!!許してくださいよ!!」

  「自らを卑下するとは、志の無いやつだな」

  「そんなもんねっす!!命が一番っす!!」

  「しかしね、ガマ。過ちは正さねばならぬと思わないか? 四知、という言葉がある」

  薄く笑みを湛えたまま、ウマラは指を立てた。

  「しち……ななっすか?」

  「違うよ。東の大陸の話さ。とある高官に賄賂を渡そうとした者がいた。その者は賄賂を固辞する高官に対して、私達二人だけしか知らぬ事と言う。高官はそれをたしなめて言った。天が知り、地が知り、我が知り、子(お前)が知る。誰も知らぬとなぜ言えるのか。と」

  「へぇ〜?」

  ガマは頭をひねった。

  「悪事というものは必ず漏れるという例えで……」

  「や、わかんねっすけど。やっぱ知ってるのは若さまと俺だけって事でいいんじゃねっすか?」

  けろりとしたガマに、ウマラは[[rb:慍然 > うんぜん]]として閉口する。

  「や、だって。俺、天も地も口をきくなんて聞いた事ねぇもん」

  「例えだよ。ここのいう天地は[[rb:人間 > じんかん]]だ。私達を取り巻くこの世の中の事をいう」

  ガマはますます首をひねった。

  「じゃ、やっぱ俺と若さまの二人っすね。若さま異人に人を近づけさせたくないって言ってたっしょ?そんで異人が去った後、わざわざ居なくなったか見に行ってた。ここには若さまと俺だけっす」

  「お前……大した減らず口だな」

  ウマラは一言言って小さくを肩を揺らした。

  「口から生まれたんだろって、よく言われるっす」

  「なんだそれは」

  「え?聞いた事ないすか。口から生まれたから、他んとこより口が達者だって……まぁ褒め言葉じゃねっすね」

  「つまり馬鹿にされているのか。本当に志が無いな」

  再び笑みを浮かべたウマラを前に、ガマはすうっと立ち上がった。

  「おい、どこへ行く」

  「や、もういいかなって……」

  「いい訳ないだろう。四知についてはいい。お前の言をいれてやろう。しかし、罪が無くなった訳では無いよ」

  いい雰囲気だと思ったのに、しつけーな……。

  とは少しも表に出さず、座り込む。

  「お前、話を売るのだろう?」

  「うる?」

  「だから、話と何かを交換して得をしている訳だ」

  「はぁ、そすけど」

  「私に話を売るといい。 対価はお前の命。どうだ。話し甲斐があるだろう」

  「とんでもねっすよ。そんな……」

  「それがお前の、[[rb:生業 > なりわい]]なんだろう?」

  命などとのっぴきならない話をしているのに、ウマラは天気の事など話しているような、柔和な笑みを浮かべている。下々の者の命など取るに足りないのだろうか。それとも戯言を弄して、困る姿を嗤っているのだろうか。

  意地が悪ぃや……。

  「どうせなら誰も知らない、面白い話がいいな」

  ガマの胸中など知る由もなく、ウマラは声を弾ませる。

  「そうは言いますけどね、面白いって人によって違うっしよ?俺は相手によって話を選ぶんすよ。でもそれって、付き合ってるウチにわかってくるもんなんすよ。いきなりは無理っすよ」

  ガマは弁明に必死だ。

  「そうか。私が面白いと思う話を教えればいいんだな?」

  そうじゃなくて……

  命懸けのガマと対象的に、ゆるゆるとしたウマラは積んであった木簡をひろげた。糸で綴られた木札には見慣れぬ文様が書き込まれている。

  「なんすかこの模様?」

  「模様ではなく、文字だよ。一つ一つに意味がある。その意味を連ねると、言葉となるんだ。多くは東の大陸から伝わったもので、昔あった出来事から、ものの考え方。草木、薬、兵法、時には妖の話なんてものもある。先程の四知も……」

  ウマラは別の木簡を手に取り開いた。

  「や、いっすよ。わかんねぇし…」

  ダメだ。何言ってるか全然わかんねぇ……。

  「そうか?」

  ウマラのきょろりとした目は随分あどけない。いや、この目こそが年相応だろう。

  こんな顔して、俺の命を握ってるってんだからたまんねぇよなぁ。

  目を細めて窺うと、ウマラは期待に満ちた目でこちらを見ている。その目はあの幼女にも似ていた。

  ガマは小さくため息をついた。

  「新越国の[[rb:国造 > クニノミヤツコ]]、深山の家には若さまがいる。若さまは訳あって、尾鷲の妾腹、トクサさまのみをお傍につけておられる。誰も知らないけど、本当はもう一人いる。その男は優れた遠耳と口利きで、郷のことを若にお伝えして輔けている……」

  苦悩を打ち明けるような、ぼそぼそとした口ぶりでガマが言い、ウマラは眉をしかめた。

  「誰も知らない話とは言ったが、偽りを言えとは言ってない。私にそんな男はいない。後ろは全てでまかせでは無いか」

  「でまかせ、でもないかもしれねっすよ?」

  頭をボリボリ掻き、しまりのない笑みを零す。

  「若さま、知りません?そいつ、ガマって言うんすよ」

  あ、と口を開けたウマラが初めて笑い声をあげた。

  「でまかせでは無いか! 本当に減らず口だな。ふふ……それは私が認めさえすれば、真になると言うことだろう?」

  「だめっすか?」

  「いや、うん。いいよ。面白い」

  「んじゃぁ……」

  よっと立ち上がったガマの裾が引かれた。

  「どこへ行く」

  「へ?」

  「お前は優れた遠耳と口利きで私を輔けるのだろ?」

  「……いや」

  そりゃでまかせっす……よ。

  口に出す事も出来ず項垂れた。

  *

  「あ〜……余計な事はするもんじゃねえなぁ」

  うさぎの穴をよじよじとくぐりながら、ガマはボヤいた。

  「とんだ変わりもんだ。そんな話聞いたこともなかったのによ…」

  宮の奥に住むミヤマの嗣子。若年にして理智高く、聡明。ガマ達の言葉で言えば「賢い」という噂だった。

  「賢いっちゃ賢いかもしんねぇけど、ありゃずる賢いの間違いだろ。何言ってっかよくわかんねぇし…。や、わざと小難しいこと言ってだまそうとしてんじゃねぇの?何が偽りだよ、もぉ…」

  人がいないのをいい事に、ぼろぼろと愚痴が零れる。

  「その娘が何者か調べておいで」

  その後ガマはそう命じられた。しかも三日の内にという期日付きで。深い溜息をつきながら、ガマはシシの穴屋へ戻った。

  「なぁ、最近[[rb:他所 > よそ]]から人が入ってきたりしたか?」

  シシが摘んできたコゴメを湯がきながら、ガマは尋ねる。

  「いや、聞かねぇなぁ。そういうのはお前の方が得意なんじゃねえの?」

  帰りにガマが掘り起こした[[rb:野蒜 > のびる]]を齧りながら、シシは答えた。

  あいつ何者なんだろなぁ……。

  コゴメを皿にあげ、幼女の顔を思い出していた。

  翌日ガマは川原へ出むいたが、幼女は現れない。それから二日、ガマは郷の中から外までくまなく巡り歩いた。谷には木を切り、炭焼きをする者。川には猟をし、獲物を処理する者などが転々と住み着いている。彼らはあまり郷へ顔を出さない。そういう者にも聞いて回ったが、面影すら掴めなかった。

  三日目、ガマはトボトボとウマラの元を訪れる。

  「若……」

  梁の上から声を掛けると、ウマラはにこやかに笑みを浮かべた。

  「待ってたよ、ガマ」

  目の前に降りると、ウマラは小さな布袋を文机に置く。

  「さぁ、聞こうか」

  「……それが……何も」

  ガマは口ごもる。

  「何も?」

  郷の内外、女の居住。ガマが行けるところは全て行った。集められる限りの情報は、集めたつもりである。

  「正直……手掛かりが無さすぎるす。若は心当たり無いんすか?」

  「さて。どうだろね。私は余程のことがなければ、宮の外へ出る事もないからね」

  「あいつ、見たような素振りだったんだけどなぁ……」

  「郷にいないという以外にガマがわかってる事は?」

  ウマラが尋ねた。

  正直なところ、叱責の一つもあるだろうとガマは構えていたが、ウマラは存外淡々としたものである。調子が出てきたガマは、咳払いをしながら胸を張った。

  「外から入ってきた様子は無い。ニコシ[[rb:人 > びと]]じゃない。訛りはなかったんで。本人は多分貴人じゃない。見た目も話し方も俺らと変わらない。けれど貴人側の居住にいる。若にお会いしたことがある…」

  ガマが指折り数える。

  「ん……最後のがね、わからないな。検討がつかない」

  んむっと唸り、首を傾げた。

  「こちら側は調べてないんだね」

  「さすがに俺みたいなのはフラフラできねっす」

  そうか、呟くとウマラは出ていく。戻ったウマラは衣を手にしていた。

  ウマラの衣に比べるとかなり質素である。染色もなく生成りの自然な風合いだが、織目を見れば、ガマの着ているものより細く、滑らかである。

  「なんすか、それ」

  「こちらに仕える下男が着ているものだ。それでもお前の着ている物よりまともだろう?」

  「はぁ……そすね?」

  「着てみると……」

  そう言って差し出した手を、ウマラは急に引っ込めた。ガマの指先をくっと睨む。その目のまま、ぐるりと周りを回った。

  「お前汚いな……」

  「んな事ねっす。ちゃんと体拭いてるす」

  ガマも眉をしかめたが、ウマラは追い払うように手を振る。

  「軒の下へ行って、体を拭け。爪の中も指の股も、耳の裏も全部だ」

  渋々体を拭き、差し出された衣に袖を通した。見た通り柔らかく、肌触りがいい。衣は生成りだが、帯は淡い萌黄色に染められている。

  そしてウマラはガマの髪に櫛を通した。

  「なんか、手ずからすんません……」

  「結び慣れていないだろうからね」

  痛いほど引っ詰められた髪が結ばれると、ガマ自身スッキリとした気分になった。

  「けど、なんなんすか。これ」

  小綺麗な格好になったガマは不思議そうに尋ねた。

  「うん。その格好でこちら側を調べておいで」

  「いや、バレるっしょ!!」

  「なぜ?」

  「なぜって……そりゃ……。俺は生まれが良くないすから」

  生まれ…ね。ウマラは口元に嘲弄めいた笑みを浮かべる。

  「例えば二人の同じ格好をした赤子を並べる。一人は貴人、一人は民。お前は見分けがつくかい?」

  「そんなの……わかんねっすよ」

  ウマラは大きく頷く。

  「トクサを見た時どう思った?」

  「異人? その、偉そうって…」

  「なぜ」

  「……見た目とか、態度とか。目つき?」

  正直に答えて良いものか、恐る恐る口にした。ウマラは再び頷く。

  「[[rb:干越夷貉 > かんえついばく]]の子、生まれたるときは而ち声を同じくするも、長ずれば而ち俗を異にするは、教へ之をして[[rb:然 > しか]]らしむるなり」

  「は?」

  「生まれた時はみな同じ赤子だ。貴人を貴人たらしめるのは、日々の研鑽だよ」

  「けんさん?」

  「己を磨き高める事。トクサは見事だよ。身嗜み、言葉遣いなんていうのは、もはや挙げるまでもない。視線の動かし方、声の張り、指の先まで意識せずとも行えるよう、心血を注いだのだろうね。短気な所だけは傷。あれは直らないらしい」

  おどけるように、肩をすくめた。

  「よく分かんねっすけど……そりゃぁ、俺みたいのでもけんさんすりゃぁ貴人になれるってことすか?」

  「あぁ」

  ぱっと、ウマラが目を輝かせる。

  「まさに。まさに然るべきたよ、ガマ」

  「しかる……て、俺怒られんの嫌なんすけど」

  怪訝そうに眉をしかめたガマに、ウマラは笑い声を浴びせた。

  「本当にお前の言う通りであるべきだ。生まれではなく力のあるものが、政を担うべきだ。しかし……」

  楽しそうにガマを眺める。

  「話の通じぬ者は今まで幾度も見たが、話が通じるのに、言葉が通じぬ者は初めて見たよ。お前はどうやって人の話を理解しているのだろうね?」

  「……わかんねっすけど」

  ウマラは通じていると言ったが、ガマにはさっぱりわかっていなかった。

  「さぁ行っておいで、ガマ」

  話を切る。

  「え……」

  「次も三日[[rb:後 > のち]]を楽しみにしているよ」

  ウマラはにこりと微笑んだ。

  *

  ウマラが教えてくれた事は三つ。

  人と行き交ったら、道を避け頭を下げる。

  衣服の立派な者だったら深く頭を下げ、己と変わらなければ浅くでいい。

  頭を下げず道も譲らなくて良いのは、民と、淡い黄色の帯の者。

  厳密に言えばもっと細かいらしいが、覚えられそうにない為、三つに絞った。試しに貴人の居住を歩いて帰れと言われたが、ガマは居住を抜けるまで生きた心地がしなかった。

  「まいったなー...」

  まずは半分。と下賜された栗の実に割れ目を入れながら、ポツリとガマは呟いた。焚き火の中に栗を放り込み、帰りに見てきた居住地の様子を思い出す。

  宮の周りは高官の住まい。宮に仕える下男などは高官に囲われているだろう。その他の下官は高官の居住から民の居住に近い外側にありそうだ。

  「ま、無難に下の方からだな……」

  パキっと音を立てて割れた焼き栗を刺し、ガマは独りごちた。

  明くる日、ガマはまたしても日が昇って二刻も過ぎた頃から動き始めた。大人たちは外へ繰り出し、郷の中は静かなものだ。

  出入りが許されているものの、高くは無い身分。卑屈なほど身を低くする必要はないが、あくまで恭謙である事を心がける……のだそうだ。

  貴人てのは窮屈なもんなんだな。

  慣れぬ姿勢にあちこち痛みを感じながら、ガマは門をくぐった。

  ふと、遠くに懐かしい音を聞く。 馬のいななきであった。

  ガマの生国である[[rb:早瀬国 > ハヤセノクニ]]は西大陸の北西、[[rb:火神岳 > ホカミダケ]]の中腹にある高原地帯に位置する。国土の八割は草原で、ほとんどの者が羊と馬を飼って暮らしていた。その為、早瀬の者は歩くより先に馬に乗る。ガマも八つの時まではそうして暮らしていた。

  しかし[[rb:新越国 > ニコシノクニ]]に移住して、その暮らしは一変する。低山地帯の新越の国土は、豊かな森に育まれているが、平地も草原もない。馬の数は減らさざるを得なかった。今ではごく一部の貴人のみが馬を使用し、ほとんどの者は山人としての暮らしを余儀なくされた。

  懐かしさに胸を動かされ、ガマは馬の声がする方へ足を向けた。

  馬にとっては決して広くないその馬場に、馬が十数頭放たれている。そのうちの一頭がガマの姿を認めると、ゆっくりとちかづいてきた。

  「あ、お前人懐っこいやつだな」

  手を伸ばすと鼻面をぐいと押し付けてくる。手にかかる鼻息がくすぐったい。

  「やっぱりいいもんだな...」

  ガマも馬に顔を寄せた。が、しばしの懐古は突然終わりを告げる。

  「かぁちゃん、お馬だよ〜!!」

  「んあっ!?」

  後方からの大声に思わず振り向く。

  「あ、お前!!」

  「がま〜」

  声の正体はあの幼女だった。幼女はガマをみとめると、足元に取り付いた。

  「どぉしたの? きょうはきれいきれいなかっこうね」

  「うっせ。くっつくな、汚れる」

  「あぁっ、すいません!! ほら、アサ離れんかね」

  母親らしき女が幼女を引き剥がし、小さくうずくまった。

  そっか、俺今こんな格好してるから...。

  小綺麗な宮の下男の姿は、民にとってはそれでも畏敬の対象なのだ。扱いの違いに戸惑いながら、ガマは母親を立たせると、人目がつかないよう住まいへ入れてもらった。

  母親と共に見つけたことで、幼女の姿も見えてきた。およそ、こうである。

  幼女の名はアサ。近頃、[[rb:新越国 > ニコシノクニ]]で行う河川土木の為、[[rb:上津国 > コウヅノクニ]]から招いた技術士が使う人足の娘。新越国へ入った時、一行は国造アララギの歓待を受ける。アサはその時ウマラの姿を盗み見ていたらしい。

  さらに加えると、技術士だけでなく人足の妻子も不自由無いよう、衣食住は新越国によって与えられているが、手仕事もなく暇を持て余しているそうだ。かと言って、勝手の分からない他国で、自由に歩き回ることも憚られる。

  アサは好奇心が旺盛で、目を離すと消えてしまうので困っていた。という事だった。

  「なるほど。施せばよい、というものでも無いのだね」

  ガマの報告を木簡に書き綴り、ウマラは小さく息をつく。そしてガマへ微笑みをよこした。

  「父上に奏聞しておく。たすかったよ、ガマ」

  「や、俺は若に言われて聞いてきただけなんで...」

  改めて礼など言われると、気が引けた。

  「私が命じたのは、娘が何者か調べるだけ。人足の娘でした。の、一言でも命を果たした事になる。だが、お前はそれ以上のものを持ってきただろう?十分だよ」

  「はぁ...そりゃどうも」

  それ以外の事は、好奇心から出る癖みたいなものだから、やはり何となく照れくさい。

  「けど、そんな下のもんの話も聞いてくださるんすね」

  それはガマにとって意外だった。

  「ん、まぁ特例ではあるね。この国を併合した[[rb:千原国 > チハラノクニ]]は、古くから東大陸との交流が深い。技術も知識も格段上。新越はそれなりの国土を有しているが、長らく内々だけの統治に留まり、外に力を求めなかった。言えば、遅れてるんだよ。千原の政にくい込んで行く為には、国力の底上げが必要だ。とは言っても、この不便で後進的な山国にわざわざやって来る者は少ない。彼らは貴重な人材と言う訳だよ」

  やっぱり何言ってるか良くわかんねぇな...

  ガマが首を傾げていると、ウマラが唐突に立ち上がった。

  「しまった。花活けてる最中だった...」

  脇に避けていた花を小さな壺に差す。少しくったりとした花をウマラは残念そうに見つめた。

  「花、好きなんす? それなんすか?」

  交互についた葉の先に、隠れるよう控えめについた白い花。よく見かけるが、食べられるわけでもなく、気にした事の無い花だった。

  「これ? チゴユリだよ。花はいい。花は[[rb:一時 > ひととき]]に咲かぬだろう。雪の溶けきらぬ早春。地を焼くような盛夏、凍るような風の吹く晩秋。それぞれにそれぞれの花が咲く。この、何も無い室に花を一つ添えると、それだけで月日の巡りを感じられるからね」

  ウマラは言う。ガマは室をぐるりと見回した。初めて見た時と変わらない。簡素で、無駄なものは無い。

  「摘んでこなくても、外出たらいくらでも咲いてるっすよ」

  ガマが言うと、ウマラは手を振って嗤った。

  「[[rb:煩 > わずら]]わしい」

  「へ?」

  「外へ出ようとするとさ、衛士は何人つけたらいい。いつ頃出て、何処を通り、いつ戻るのか。外へ出る理由は...。 花を見たいから、なんて意味もない身儘な理由ではね。......皆も煩わしいだろう」

  やっぱり貴人は窮屈だ。そして...

  「たいくつじゃねっすか」

  「たいくつ...あぁ」

  ウマラが手を打つ。

  「そう、退屈か。知っていても、我が身に充てた事が無かったが。そうだね。たまに退屈だと感じる」

  「寂しくないんすか、一人で」

  「寂しいって、どのような想い?」

  ウマラは不思議そうにガマを見つめる。

  それもわからないくらい、一人で居るのだろうか。

  俺はたとえ人から馬鹿にされないとしても、こんな暮らし、したくねぇな...。

  人と交わらず、ただ独り奥で過ごすウマラに、ガマは侘しさを感じずにいられなかった。

  「若。俺、ちょっと思ったんすけど...。俺が小綺麗にしてこん中歩いたみたいに、若が俺の格好したら、気づかれないんじゃないすか?」

  「...どうかな」

  「着てみて下さいよ」

  帰る時にと畳んでおいた己の衣を引っ張り出し、ガマはウマラの身に被せた。

  「...臭う」

  「気にしすぎっす」

  ガマの衣に袖を通したウマラは、まだ何となく小綺麗だ。

  「髪...髪っすね。さすがに色は変えられないけど...」

  ふむ。

  頷いたウマラは髪を一度おろし、丁寧に編み込む。そしてガマの衣を包んでいた布切れで頭を覆った。都合よく目元も少し隠れている。

  「あぁ、いい感じっすね」

  佇まいがきちとし過ぎだが、これは最早変えられないだろう。

  「じゃ、行くっすよ」

  「どこに」

  「その格好に似合うとこっすよ」

  奴婢を連れて歩くように、ガマは前に立ちウマラを連れて郷を行く。そして外門を抜けてガマは走り出した。

  「待てガマ、何処へゆく」

  後を追うように走るウマラの足取りはペタペタとして、恐ろしいほど遅い。ガマは引っ返すと、ウマラを背に担ぎあけた。

  「何を...」

  「何っておんぶっすよ。若走り方知らないみたいだから」

  「...走っていただろう」

  「ありゃ走るって言わねっす」

  「なぜ走る」

  「だって声掛けられたら怖いじゃねっすか!!」

  郷からだいぶ遠ざかると、ガマはウマラを下ろした。

  「いっ...っ」

  ウマラが地に着けた足を浮かせる。白い足に血が滲んでいた。

  「あ...足。裸足で歩かないすもんね...」

  衣の袖を引きちぎり、ウマラの足をそれぞれ包む。

  「[[rb:沓 > くつ]]くらいは履くべきだったな」

  「大丈夫...すか?」

  「今はね。もういいよ。少し歩きづらいけどね。それよりどこへ行くつもりだ?」

  「ま。多分いいとこっす」

  ガマはウマラに歩調を合わせ、ゆっくり谷筋を下った。

  「チゴユリ......チゴユリだ!!」

  木陰に咲いたチゴユリの群生に、ウマラが躍り出る。

  「こんなにまとまって咲くものなのだな。なぁ、ガマ。美しいな」

  「や...俺は見慣れてるんで、なんとも」

  思った以上に喜ぶ姿に和みつつも、ガマ自身は花を愛でる質では無い。曖昧に答える。

  「それは残念だ」

  ウマラは言うとその場へしゃがみ込んだ。

  時折林を抜ける涼風が、青々とした葉に隠れるように咲いた花を揺らした。

  「なぁ、ガマ。お前はなぜ私の居住がわかったのだ?」

  「あ〜...まぁ。上から見てなんとなく。勘?」

  「上からとはなんだ」

  ガマは訝しがるウマラをナラの大木に案内した。

  「登るとわかるっす。木、登ったことあります?」

  「無いよ。登る理由がない」

  「...っすね」

  躊躇するウマラを下から支え、ナラの木に登らせた。

  「ほら、よく見えるっしょ」

  「あぁ、なるほどな」

  二人の目に新越郷が映っている。立夏を迎えた郷は、木々が瑞々しく萌えている。

  「美しいな、この地は」

  「そっすね」

  枯れたようにくすんでいた森は、この時期に生まれ変わるように青くなる。ガマはこの景色が好きだった。

  「気持ちいいっすよね」

  「そうだな。心地いいよ」

  「その心地良さに意味とか、理由とか必要っすか?」

  「...いや」

  「いいじゃないっすか。だって、気持ちいいんすもん。それだけでやる意味あるでしょ」

  「そうかもね...」

  ウマラは嬉しそうに目を細めた。

  「ガマの目は私とは違うように物を見る」

  「そっすかね」

  「お前が訪れて数日。私にはお前の考えが目新しく、興味深かったよ」

  「そりゃぁ良かったすね」

  木から下りたウマラが穏やかに告げる。ガマはやっと肩の荷がおりた様な気がしていた。

  「穴...塞いだ方がいいすよ」

  ふと、うさぎ穴を思い出した。どんなに堅固な柵を築こうと、穴があっては意味をなさない。自由に出入りできる穴など、郷の為にも、この人の身を守る為にも要らないのだ。

  ガマはウマラを案内するため、穴へ向かった。街道を横切ろうとした時、馬の息遣いが耳に入る。

  「あ、伏せて」

  影とぶつかりそうになった瞬間、ガマはウマラの頭を抑えて地に伏せた。

  「気をつけろ」

  男の声がし、ガマは「はいっ」と小さく答える。目の前を馬の脚が通り過ぎた。カポカポと足音が遠ざかり、そろそろかと顔を上げると、先へ行った馬上の男がこちらをじっと見ている。

  黒髪、黒い目、端正な顔立ちに、上げ美豆良。

  「...異人だ」

  「なに?」

  ウマラも顔を上げる。

  「トクサ...」

  ウマラが口にしたと同時に、トクサが動いた。馬首をこちらへ向ける。

  「ガマ、走れ」

  「へ?」

  「どこでもいい、すぐ行け!!」

  「足止めしろ。弓!」

  ウマラの声と、トクサの声が重なった。

  「弓!? あいつ頭狂ってんのか!?」

  走り出したガマに矢の風切り音が聞こえた。どっと衝撃が走る。

  「っでぇっ」

  足に激痛が走る。ウマラの怒鳴り声が聞こえた。ガマは脱兎の如く林を駆けた。

  *

  「腹減ったな…」

  ガマは木の上にいた。あれから三日。ガマは山の中に身を置いている。帰れば郷であの異人が待ち受けているのではないかと思うと、足が向かなかった。

  父ちゃん、代わりに捕まったりしてねぇかな…。弟達は?シシは大丈夫だろうか。

  気にはなるものの、確かめる度胸もない。

  「腹、減ったなぁ…」

  ウマラと郷を出る前に受け取った栗を腰に下げているものの、下に降りて火を起こすのも恐ろしい。結局宝の持ち腐れである。

  腹を擦りながら空を仰いだ。

  足に受けた矢傷は大したこと無かったが、それでも時たまズキっと痛む。

  「ガマ。おーい、ガマよ」

  突然名を呼ばれ、思わず幹にしがみつく。

  「お前そんなとこで何してんだよ。降りてこいよ」

  下でシシがからからと笑い声を上げている。

  「ちょっ、しっ。お前が上がってこい!!」

  声を抑えながら上から呼ぶ。怪訝な顔をしつつ、シシは木を登る。ガマと同じように、木の俣に座ったシシはガマに何かを投げてよこした。

  「んぉっ。あ、こりゃ栃餅か」

  「おぅ、食えよ」

  久々のまともな飯に、ガマは嬉々としてかぶりついた。

  「ったく姿見せねぇから心配したぞ?」

  口元に笑みを綻ばせ、大して心配もしてない様相である。

  「…あぁ、悪い。ちょっとな 。それより郷、何か変わった事ねぇか?」

  ガマはそれとなく聞く。シシは腕組みをし、おぅと答えた。

  「上から下に大した騒ぎだぞ?」

  「い゛ぃぃっ!?......な、なに。何が」

  シシは答えず、懐からもう一つ栃餅を出しかぶりつく。

  「おい、シシ...」

  「あぁ、これよ、これ」

  歯型の着いた栃餅をチラつかせた。

  「栃餅がどうかしたのか?」

  「ちげーよ。いよいよまともに始まるらしいぜ」

  水量の多い[[rb:天玉水 > アメノタマミズ]]川を分水し、氾濫を抑制しつつ、用水としてを郷の近くへ引き込むのだそうだ。

  「仕事に応じて褒美が出るからよ、女から子供まで総出だ。お前も来いよ」

  「でも...」

  いや、総出なら...かえって目立たないのか。それとも己の事など、取るに足らないのか。

  シシの口ぶりを聞く限りでは身の危険は無さそうだ。

  「ここでひとつよ、お前を見る目、変えてみようじゃねぇの」

  シシがニヤリと歯を向く。

  「...そうなぁ」

  残りの餅を飲み込んで、ガマは小さく頷いた。

  活気に満ちた郷の様子を見て、まずは胸を撫でおろした。誰も彼も他人を気にしている暇は無いのだ、と思うほどの賑いだった。

  ガマも翌日から作業に加わる。数日経った頃、組頭が朝から落ち着きなくウロウロしているのを見た。

  「どうかしたんすか?」

  「今日は殿がお見えになるらしい。粗相の無いようにせねば...」

  そう答える組頭があまりにもうろたえていて、一番粗相しそうだと仲間内で笑った。

  しかし殿...か。若の父ちゃんてことだよな…。

  ほんの数日前の出来事が、もう昔のように思える。己が若と口をきいていたなどというのは、むしろ夢ではなかったのかと思うほど実感が薄れていた。

  号令がかかり、ガマは他の者と共に地に伏して待つ。

  人の話す声が聞こえる。上擦った声を上げているのは組頭だろう。隣と肘をつつき合いながら、笑いをこらえた。

  「小柄な者もいるね。作業は体に[[rb:堪 > こた]]えないだろうか」

  若い声が聞こえた。若いと言うよりは幼い。

  この声...。

  顔を上げそうになるところをぐっとこらえる。

  ガマの前で足が止まった。糸で彩られた沓と、白い脚が目に入る。頭に影が落ちた。

  影はすうっとガマの横に伸びる。

  「大事[[rb:なかった > ・・・・]]かい?」

  耳元で声が囁く。

  「ひゃい」

  裏返った声を上げると、両隣が体を小刻みに揺らした。

  「また、おいで...」

  さらに一段小さく、声が囁く。

  そりゃ勘弁してくれ...

  心中で叫びながら、ガマの頭はひとりでに頷いていた。

  *

  創世歴 307年 清明 新越国ー

  「ヌシのようなもんに友があったとはの」

  体の上に陣取った妻、アザミが驚いたように声を上げた。

  「友?」

  「ほうじゃ。気の置けん者は友っちゅうてええじゃろ」

  些か友というものがどういう者を指すか、ウマラは捉えられない。が。

  「そういう者を友と呼ぶなら、あるいは、ガマは友なのかもしれません」

  ウマラは答えた。

  「ほんで、その友がなんちゅうたかよ?」

  アザミがニヤニヤと意地悪く笑みを浮かべている。

  「それは...」

  直近でガマが訪れたのは、ウマラがアザミへの妻問いから郷へ戻ったすぐ後だった。

  *

  「若、わーか!! [[rb:妻儲 > めまう]]けなさるんですって?おめでとーございます」

  初めの頃こそ遠慮があったものの、今ではその影すらないガマ。その調子がウマラには新鮮で、特に咎めもしないでいた。ガマは好きな時に話に来て、適当に話をして帰っていく。

  時に有用な話もあったが、ほとんどは他愛ない雑談である。此度は己が郷で売る為のネタ集めであろうと、ウマラは見た。

  「相変わらず耳が早いね」

  「はぁ、それが生業なもんで。そんでどんな方なんです?」

  「ん...」

  不思議な事に、彼女の事を思い出すと妙に体がうずく。それを鎮めるように、ウマラは大きく息を吐いた。

  「美しい目をしている...琥珀のような...」

  「こはくってなんです?」

  「ん、あぁ。そうだな...何が似てるかな。松脂のような色か」

  松脂というと途端に色褪せて感じるが、ガマが知らないのだから仕方ない。んんっと咳払いをし、続けた。

  「鷹のようなつり上がった眉が凛々しく、意志の強さを感じさせる[[rb:女 > ひと]]だよ」

  「強い...すか」

  「そう、とてもね」

  「......へぇ」

  何とも言えない表情をガマは浮かべる。

  「あ、えと。まぁー下世話な話っすけど、体とかどうなんす?」

  胸の前でわきわきと手を動かす。

  その手の動きは何なんだと思いながら、ウマラは彼女を思い浮かべる。

  「大きいね...。どこがとか言うのはなくて...うん。どこもかしこも...」

  「どこもかしこも!? そりゃぁー羨ましい話で」

  腰を妙な形にくねらせたガマがニヤリと笑った。ガマの腰つきにどのような意味があるかはわからないが、これはガマにとってネタになるのだろうという事はわかった。

  「年上っすか」

  「そうだよ」

  「へぇ...気つかいます?」

  「気など遣わない...」

  両家で取り決めた婚姻であるし、彼女も了承したのだ。気を遣うことなど一つもない。気にかかることと言えば...。

  「女は...いつ男を男として見るのだろうね」

  「ほえ?」

  我ながら庸劣ではないか。ウマラは自嘲した。 しかし問わずに居られないのだ。 妻となる女の目は、どこか己を憐れむように見る。

  「大人の男...て事すか?」

  「まぁ...そうだ」

  「若、こどもすからね」

  「私は子供では無いよ」

  ガマはハハッと軽い笑い声を上げて手を振った。

  「はいはい。存じてますよ。若がそこらのガキんちょと違って、思慮深いなんて事は十分ね。でもそりゃ知ってるもんの目線す」

  こちらに通うようになってから語彙が増えたガマ。たまにこうして小難しく言葉を投げると、得意そうに鼻をヒクつかせる。それが返って幼じみて見えるのが、本人にはわからないらしい。

  ウマラは苦笑しながら、年上のこどもを眺めた。

  「傍から見りゃぁこどもですって。そりゃぁもうしゃぁない!...まぁ、でも?」

  薄笑いでガマは耳元に口を寄せる。

  「ちょっとくらい乱暴な方が、女は嬉しいらしいす」

  反射的に身を離したウマラはまゆ根を寄せた。

  「乱暴ったって、殴るわけじゃねっすよ。押しが強いのがいいんす。押し倒すくらいの気でねぇ!!」

  楽しげに声を上げ、「ま、俺は経験ないんで。知らんすけど!」と付け加えた。

  *

  ガマは知らなかったのだ。妻となる女がウマラの一尺程も大きい事を。並の男では勝てぬほどの、膂力をもった女だと。知っていれば、そんな助言はしなかっただろう。

  ウマラは悪友の助言を入れ、見事粉砕したわけである。

  「そういうのは己の力で、どうこうできるようになってしろ?あまりに必死で涙ぐましいわ」

  訳を聞いたアザミは、ますます声を上げ半身を震わせた。

  そうだとしても、今すぐに勇猛果敢な[[rb:益荒男 > ますらお]]になれる訳でもない。

  「......どうあれば、良かったのでしょうか」

  嘲るように笑いをもらす妻に、ウマラは思わず問いかける。

  「さて...の」

  笑いを収めたアザミが、じっと見ている。

  己を眺める妻の目が、愁いを帯びているようにウマラは感じた。

  ー次回へ続く

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