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妹背の君 -創世歴 308年 穀雨 新越国 斐磨谷-

  「いや、アカンて……」

  ハリは目を下に落として言った。

  視線の先にはおそらくまだ温もりが残っているだろう衣が、無造作に落ちている。衣から立ち上がった脚は幼く、細い。

  「……ワレ妹やんか」

  絞るように言葉を紡ぎ出した。

  「ハリ[[rb:兄 > にい]]いつから妹できたん……。おかんから産まれた子ぉはみんな死んでしもて、生きとるのは自分だけ言うたやん」

  ナズナの声は微かに震えていた。

  「……や、言うたけど。な?」

  「な?」

  「……」

  頑なな少女を前に、ハリの頭は混乱していた。

  *

  秋に一兵士として戦に赴いたハリは、いささかの武功を認められ主人であるガマズミから土地を賜った。かつてヒマ族が住んでいた土地の一部である。

  ミヤマの軍に属している身としては、常にヒマの地に居る訳にいかない。管理の為にと申し出て、一族の女を一人戻してもらった。

  ヒマ族の生き残りは己を含め八人。

  男の一人は若君の衛士を務めている。十に満たない男子二人は国主の右腕とも言われるオワセの家に預けた。土地の管理を任せるにはまだ幼い。

  女はと言えば……。年長の女はなんと言うか、素行が悪い。端的に言えば男癖の悪い信用の置けない女だった。その下は双子がいる。歳は十六、一通り何でもそつなくこなすが、気ままな性格だ。

  土地を賜る時の条件として、周辺に設けた[[rb:畠 > はたけ]]の世話をガマズミの民と共にしなければならない。ヒマ族は狩猟採集が基盤にあり、農耕の経験は皆無だ。余所者へ常に指示を仰ぎ、従うというのが、どうもこの二人には出来そうにない。

  そして残った選択肢が齢十四のナズナだった。

  五つになれば弓を引くというヒマ族にあって、このナズナは狩りが上手くない。おっとりとして、勘が鈍いのか、モタモタしている間に獲物に気づかれたり、逃げられたりしてしまう。その代わり手先は器用で、仕掛け罠や細工が得意で魚や小動物をよく獲ってきた。

  性格は大人しく従順であり、単調な作業を重ねる事にはむいているだろう。

  冬を越して農作業を始めるというこの時期に合わせて、ハリは暇を貰ってヒマの土地でナズナを迎えた。

  「ウチ……ハリ兄と一緒になる思て来たんよ」

  日も暮れて寝ようと思った矢先、ナズナはおもむろに衣を脱いでそう言った。裸の少女を目の前に、ハリは大いに混乱する。

  女の経験が無い訳では無い。ハリにとってナズナは妹同然だった。女だと思ったことは無い。それでもやや膨らみかけた胸を見れば、子供と同じように見る事は出来なかった。

  目を落としたまま、ハリは足元の衣をそっと差し上げる。

  「いきなしこんな事したらアカンて……。誰がこんなん教えよったん」

  叱られた子供のように、おすおずと口篭る。

  「ツリフネ姉……。衣一枚脱げば男なん、あっちゅう間やて」

  衣を受け取らずにナズナは答えた。

  「かっ……」

  年長のツリフネの顔が頭に浮かび、思わず唾をとばした。

  「アイツはダメや。あんなん聞いたらアカンがな」

  手を出さないナズナに、ハリは仕方なく目を閉じて衣を被せた。

  「なんで急に添おう、思てん……」

  「急やない。ウチ……ずっと兄の事想っててんよ」

  初耳だ。それらしい素振りなど感じた事もない。

  「兄はウチんこと……何とも思わへん?」

  「大事やで……」

  静かに答えた。

  何とも思わなかった訳では無い。

  主人のガマズミにはアタネという男子がいた。傾城の美女などと謳われた母によく似た美青年で、小柄ながらに父譲りの組手の遣い手であり、位を笠に着ない姿は兵にもよく慕われていた。

  ハリはアタネさえ良ければ、ナズナをもらって欲しいと思っていた。ナズナは女になったばかりの頃に、カヤマの男に手篭めにされている。男に良い思いはないだろう。

  大事な妹だ。同じように辛い思いはさせたくない。アタネであればナズナを幸せにしてくれるだろうと思っていた。

  しかしアタネは戦で傷を負い、死んでしまってもういない。

  「大事やったら…」

  期待を込めるようにナズナの目がハリを見る。ハリは目を逸らした。

  「ワレは妹や……」

  ヒマの土地を追われてから、十年近くも共に過したのだ。 突然言われたところで心変わりするものではなかった。

  ナズナの目に涙が溜まる。

  「兄のアホ!!」

  わっと声を上げ、仄暗い外へ駆け出した。

  「あ、おい。どっちがアホやねん!!夜、外出るやつあるか!?」

  続けて飛び出したハリは、ぐっと足を踏みしめた。

  「お……頭? なんでこんなトコおんねん」

  中年男がナズナの肩を抱いて立っている。ガマズミだった。

  ガマズミの居城はヒマの北に位置するワラビノ砦である。[[rb:徒歩 > かち]]で四半時も掛からぬ場所ではあるが、それでも宵の時に現れるのは不自然だ。

  「下っ端兵の[[rb:妻儲 > めも]]けなんぞいちいち祝う立場じゃねぇが、お前はアタネの恩人なんでな……」

  ハリは[[rb:殿 > しんがり]]に残ったアタネを救出に引き返し、その後戦死したアタネの仇を討っている。ハリにすれば、アタネは死んでしまったのだから恩人と言われても素直に受け取る事はできない。

  そもそもが……。

  「妻儲け!?」

  「そう、聞いてる。違うのか?手は早いようだが」

  意地悪く片笑みを浮かべて、首を鳴らす。そしてナズナをゆっくりハリの方へ向けた。

  帯を留めず、羽織っただけの衣の合間から、女になりがけの未成熟な体が覗いた。

  「や、ちゃうねん。ワシやないねん」

  「へぇ?他に誰いるのか」

  「や、それもちゃうねんけど……」

  ナズナが脱いだとガマズミに伝えるのは酷だろうと口を噤む。ガマズミは楽しそうに肩を小さく揺らした。

  「ニコシヒメから遣いが来てな。ヒメさんと、ヒマの……ほれ、あの乳のでかい嬢ちゃんから祝いだとよ」

  ニコシヒメは[[rb:従姉 > あね]]のアザミの事だ。若君に[[rb:嫁 > か]]したアザミは対外的に、名ではなくニコシヒメと呼ばれている。乳のでかいというのはツリフネの事だろう。

  ガマズミは従者に持たせていた荷をナズナに渡すと、その手でナズナの背を突くように押した。よろけたナズナはハリの胸元へ収まる。

  ナズナの手が文様を縫いつけた編み布と、鹿角の刀子を持っている。ヒマの、いわゆるハレ着であった。

  「お前の妻を肴に酒でもやろうかと思ったが、邪魔したようだ」

  「や、その……」

  言いかけるハリの肩をガマズミが引く。触れそうなほど近くに顔を寄せたガマズミが、耳元で低く囁いた。

  「女が裸で逃げ出すようなやり方はやめた方がいいぞ」

  「せやからちゃうって……」

  ハリは弱々しい抗議の声を上げるも、カラカラとした笑い声でとばしながらガマズミは従者と共に去っていった。

  「……とりあえず、中入ろか」

  ナズナに手を掛け、穴屋へ連れ戻す。

  ハレ着なん、いつぶりやろか……。

  十年前の戦で、大人は皆死んでしまった。最後に郷の妻儲けを見たのは何時だったか。ハリにはもう思い出せなかった。

  誰が作ったんやろか。

  布はおそらくツリフネだろう。ダラダラしたナマケモノだが、器用な方だ。すると、刀子はアザミか?

  ハリは首を横に振る。

  姉はこんな細工やる根気ねぇやろ。

  すると双子であろう。

  ヒマの面々を思い出す。皆がいじる悪く笑みを浮かべていた。

  これ、ワシの知らん間に仕組まれたんちゃうやろか……。

  まぁええか……。

  うっすらと記憶に残る郷の妻儲けの光景を思い出しながら、ハリは目を閉じた。

  焚き火越しにハリを見るナズナの顔に、うっすらとした微笑みが浮かんでいた。

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