憧れの獣人さんは、彼を渡したくない。

  「え?休み?」

  「はい。そうなんです。なんでも…あるαの男性に会ったら、またヒートがきたとか。そんな手紙が来て…休むと。」

  「また?」

  国立の図書館で受付のβの女性に尋ねたところ、返ってきた答えに驚いた。

  レオは爽のことを考えて心配になる。

  ヒートはそろそろ終わるはずだと思っていたが、ある男に会って再度ヒートが来るなんておかしい。

  「私は聞いた時、都市伝説の運命の番の話かと思っちゃいましたよ。ロマンチックですよね。」

  「運命…の番…。あぁ、そんな話もあったね。」

  「ええ。でもよく考えたら怖いですよね。体に異変が起きるのだから。」

  「たしかに。」

  レオはぼーっと返事をしながら、背筋に寒気が走った。

  犬の獣人なので、尻尾も下がってしまう。

  爽に運命の番が現れるなど、なぜか考えたくない。

  あんなに瞳をキラキラとさせて自分を見ていたのに、本能というものでまったくこちらを見なくなる、なんてことが起きるのだろうか。

  (そんなことがあったら…どんなに悲しいか。)

  なぜかそう思った。

  レオは本を借りてから図書館を出る。

  最近あったお見合いの話はすでに断っていた。

  どうしても爽の純粋な好意を思うと、傷つけたくなかったからだ。

  地面に視線をやって歩いていると、フワリといい香りがした。

  思わず顔を上げて相手を探した。

  Ωの香りだったからだ。

  「待って!」

  見つけた相手の腕を掴んだ。

  その相手は頬を赤らめている爽だった。

  じんわりと汗をかいて、辛そうに目を細めている。

  驚いて固まってしまった。

  「そ、爽…!ど、どうした?!」

  「あ…れ、レオさん…。」

  爽は縋り付くようにレオの下に膝を落とした。

  立っているのもやっとでフラフラだ。

  おそらくまたヒートを起こしていた。

  「な、なんで?」

  「あ…あの人が来て…。」

  「あの人?」

  「け、啓之助さん…。」

  爽は骨までガクガクと震えながら、香りをさせてレオを見上げていた。

  これが、運命というものだろうか。

  まるで誘っているように甘い香りをさせて、体を震わせている爽に、レオまで顔が熱くなった。

  啓之助という男のせいでこうなっているのだろうと思うと、嫉妬で燃えてしまいそうだった。

  「それは…君のなに?」

  「え?」

  レオは噛み付くのを我慢して爽を見ていたが、本能が脳を溶かしてしまいそうだ。

  「爽、とにかくここから離れよう。匂いがすごい。」

  「え…あ…ごめんなさい。」

  爽を引っ張って歩き出し、なんとか静かな神社までやって来た。

  爽はどれほど必死に逃げてきたのか、足までガクガクと震えていて、途中から歩けなくなってしまい、レオが抱き抱えて行った。

  レオは愛おしく感じる香りに、必死に耐えていた。

  「何があったの?」

  はぁはぁと息を乱している爽にゆっくり訊ねた。

  爽は顔を上げて、口を震わせながら答える。

  「最近…毎日訪ねてくるんだ。啓之助さんが。」

  「誰?」

  「図書館で僕のことを知って訪ねてきた人。αで…お金持ちで…悪い人ではない。優しくて…僕のことを好きって…」

  爽の言葉に、レオはショックを受けた。

  爽はどう思っているのか、確認したくても声にならない。

  「ぼ、僕は…!本能であの人を…!」

  爽は怯えたように涙目で訴えてきた。

  しかし、レオは反射的に爽の口を押さえた。

  「す…好きなの?その人が…」

  爽はレオの質問に首を横に振った。

  それでも、爽の体は啓之助にあったから震えているのだ。

  「で…でも…いい香りで…」

  爽は混乱していた。

  レオもそれは見ていてわかっている。

  しかし受け入れられなかった。

  「心と体は別って言いたいの?」

  レオは強く言ってしまった。

  爽は泣きながら首を横に振った。

  「ち、違う…そんなんじゃ…」

  「ならどうして震えているんだい?爽。」

  「こ…これは…僕だって…嫌です!」

  何を言われても、レオはたまらなく嫌だった。

  「爽。俺は本能に逆らえないような人は好きではない。その本能とやらでΩは襲われたりして性犯罪に遭うんだ。」

  「れ…レオさん…!」

  「君も、その状態じゃあ、どんなことがあっても誰も責められないよ。」

  「あ…そ…そんな…」

  爽は涙をポロポロと流して、レオを見上げた。

  まだいい香りが爽から漂っている。

  「ぼ、僕は…!レオさんがいいんです!だから、逃げてきた!」

  「本能はその啓之助さんが良いと言ってるんだろう?」

  「ち、違う!たしかに…あの人はいい香りがするけど…でも…!レオさんが好きなんです!」

  「嬉しくないよ。」

  レオがそう言うと、爽は涙をポロポロと流しながら俯いた。

  「何を言っても…信じてくれませんか。」

  「君の運命の番なんだろう、その人が。」

  そう冷たく言った時、爽は目を手で覆いながら強い口調で言った。

  「あなたが、運命の番がよかった!」

  爽はヨロヨロと立ち上がると、そのまま立ち去ろうとした。

  レオは慌てて爽の手を掴んで止める。

  「ま、待て!君は熱が…!」

  爽の腕は高熱で熱く、レオはあまりの熱さに驚きながらも爽の顔を見た。

  すると、爽はふらりと体を揺らして倒れた。

  高熱だったからだ。

  「爽!」

  駆け寄ると、爽は呼吸を激しく乱している。

  その辛そうな姿に、心の中で「なにが運命の番だ」と思ってしまう。

  こんな辛い思いをしてまで結ばれる相手とはどんな奴なのだろうか。

  爽はうなされながら、レオの手を掴んだ。

  「レオ…さん…。」

  助けを求めるように高熱にうなされている。

  あいかわらずいい香りがフワリと爽から香る。

  (この香りが…俺のために香っていたら、どんなに…)

  レオは爽を抱き抱えて、爽が話していた孤児院まで向かった。

  孤児院について、玄関で声をかける。

  「ごめんください!」

  腕の中では爽がうなされている。

  香りはどんどんと強くなり、熱も上がっている。

  そんな爽を心配して、孤児院に似つかわしくない男が出てきた。

  玄関から出てきたのは爽の話していた男だと、レオほ一眼見てわかった。

  出てきた佐島啓之助はいいスーツを着た好青年だ。

  「爽!」

  爽を見てすぐに駆け寄ってくる。

  爽の香りにすぐ頬を赤らめながらも、レオの抱き抱える爽を奪う勢いで顔を覗き見た。

  「爽!大丈夫か?」

  啓之助がそう声をかけた時、爽はフワリと漂ってきた啓之助のαの香りに反応して、心臓を高鳴らせた。

  その心臓の痛みに、爽は「ウッ」と唸って胸を押さえる。

  苦しそうに顔を歪めた爽を見て、レオは啓之助に思わず怒りを覚えた。

  「離れろ!君は爽には毒だ!」

  そう言いながらも、強くなった爽の香りに体が熱くなっている。

  啓之助はレオを見て、不安げな顔をする。

  「あなたは…?」

  「外交官をやっている者だ。」

  「爽とは…どんな関係で?」

  「友人…」

  答えに詰まった。

  友人と答えたら、きっと啓之助は安心してしまう。

  それがなぜか嫌だった。

  「友人…?本当ですか?ならば爽を返してください。俺のせいでそうなったんだ!」

  啓之助は顔を赤くしながらそう言った。

  その言葉通りにして渡してしまったら、本能のまま爽を襲ってしまうのではないかと思う。

  レオは渡したくなかった。

  「抑制剤は持っているんですか?」

  獣人であるレオはそう言った。

  獣人はその獣性の強さ故に抑制剤を幼い頃から使っているが、人間は家族でない限り使っていることはない。

  ここで爽を道端に置いたとしたら、間違いなく襲う人間が大勢現れるだろう。

  「そ…それは…家に帰れば…」

  「渡せません。」

  啓之助の言葉に、レオはそう答えた。

  すると、啓之助は必死な顔でさらに話す。

  「彼は俺の運命の番だ!だから本能で惹かれ合うんだ!だから、今日も会ったらこうなったんだ!」

  その必死な形相に、レオは怒りがさらに跳ね上がった。

  「運命だと?それならば、こんな辛い思いをさせるな!」

  腕の中では爽が苦しそうに息をしている。

  今必要なのはきっと治療だとレオは思う。

  運命の相手に何ができるんだと思っていた。

  「彼が逃げるようならば、君は彼に必要とされていない!気持ちよりも本能を優先しているようならば、運命なんて馬鹿らしい!」

  レオはそう言って、啓之助を無視して孤児院へと入って行った。

  苦しんでいる爽を早く楽にしてやりたかったのだ。

  そうして、院長にも話をしてから爽をベッドに寝かせた。

  医者を呼んで治療を終えると、爽はやっと落ち着きを取り戻していた。

  しかし、自分が爽の運命でなかったことが、なぜか悲しかった。