「お兄ちゃんいい匂いするー。」
孤児院のβの子供達に言われて、爽は驚く。
ヒートを起こして帰ってきた爽に、いつも通り抱きついた子たちが不思議そうに爽を見上げていた。
(βの子たちでも匂いを感じるんだ…!)
自分のヒートがあまりにも酷いとわかって、困惑してしまう。
孤児院は裕福ではないので、ヒートの時の抑制剤なんて買うことはできない。
薬がないので、こんな時は部屋で寝ていることしかできない。
「ご、ごめんね。気になるよね。兄ちゃん…ヒートがきたから、部屋で寝てるね。しばらくは来ないでね。」
「えー」
「ごめんね。ヒートがくると熱が出たりするんだ。辛いから構ってやれないから。」
そう言いながらも、まだ十四歳なので酷いヒートは経験がないし、香りがここまで酷いのも初めてだった。
甘い香りが自分から香っていると思うと、爽は恥ずかしくなる。
原因は犬の獣人外交官レオへの恋心だろう。
「爽…大丈夫?」
翌日の朝、孤児院の主人が部屋のドア越しに爽に声をかけてきた。
爽は熱を持つ体を動かせずに布団の中で返事をする。
「大丈夫だよー…。でもごめん…まだ熱が治ってないから…仕事は無理かもー…。」
「そう。無理しないでね。」
「うーん。」
爽はこの日、初めて仕事を休んだ。
レオは図書館で爽がいないことに、妙な寂しさを感じていた。
しかし、最近同僚のネロが結婚をして代わりと言わんばかりに見合いの話がやってきていた。
レオは相手がいなかったので、外交官の上司がコイツはどうだと次々にやって来るのだ。
こういう話が好きなのだろう。
「うーん…」
写真を見て唸っていた。
相手は女の猫の獣人のΩらしい。
なぜだか、告白してきた爽を頭に思い浮かべて気まずい思いがした。
爽のまっすぐな好意はどうしても眩しく、嫌な思いはしない。
「なんと…話そうか…」
よくわからないが、爽に話しておくべきだと思った。
レオには今のところ付き合う予定の相手はいない。
「レオ!」
突然背後から声をかけられた。
振り向くと最近結婚した外交官の仲間であり友人のネロがいた。
「おおー、ネロ。」
「聞いたぞ、レオ。お見合いの話が来たって?」
「あー、聞いたか。そうなんだよ。」
苦笑いを浮かべると、ネロは申し訳なさそうな表情を浮かべた。
ネロが結婚する前までは、彼に多く縁談が来ており、レオは今のようには多く来なかった。
「俺が…結婚したからか。」
「別にお前のせいじゃないさ。上司たちの趣味みたいなもんだよ。」
皮肉ぽく言って返した。
しかし、心が穏やかで優しいネロはシュンと尻尾を下げる。
「よくない趣味だな。」
そう呟きながら、仕事の資料でも探しているのか本を見始めたネロに、レオは訊ねる。
「結婚した…雪くん?元気かい?」
「あぁ、元気だよ。」
「あんまり無理させるなよ。」
「そ、それ!どういう意味だ?!」
ニヤリと笑って言ったレオに、ネロは恥ずかしそうに尻尾の毛を膨らませて言う。
レオは思わず笑ってしまった。
夫婦らしいことはしているらしい。
「お前もαだろう。番のΩの香りはそりゃあ魅力的だろうから、無理させるなって言ってるんだよ。」
「そ、そりゃあ、いい香りだけど…。雪はあまり体が丈夫じゃないんだ。無理はさせたくないさ。」
「ああ、そうだったな。雪くんは弱視で体が弱いんだった。それにしても、働き者で気が利いて…いい子だよな。」
ネロの結婚相手の雪というΩの人間を思い出して、思わず口にした。
使用人としてネロの屋敷にやって来た彼はとても働き者で、よく洗濯や食器洗いや料理をしていた。
下働きをしている姿しか思い浮かばないほどに働き者だ。
「結婚してからは…二人でどこか出かけたりしたか?彼はお金にも気を使うような子だろう。」
「あー、たしかにそうだね。でも、私が書いたいって言ったら素直に受け取ってくれるような子だよ。最近、彼に帽子を買ったらとても嬉しそうにしてて…」
ネロは嬉しそうに話す。
思わず微笑んでこう言った。
「おいおい、ノロケ話か?」
「のろけ…?!い、いや…まぁ…そうなってしまうか。」
ネロは恥ずかしそうに微笑んだ。
親友が幸せそうで何よりだ。
「雪…私が買った帽子を毎日眺めるのが日課でね。大事そうにしまい込んでいる姿をよく見て…それが…」
「はいはい。雪くんが可愛いんだな。」
「う…そうだ…。」
クスクスと笑ってネロの返事を聞いた。
その時、ふと爽を思い出した。
「あー、最近…俺もΩの人間と友人になったんだ。」
「Ωの人間と友人に?」
「うん。名前は爽っていうらしい。それが…妙に…いい香りだったんだ。」
言いづらく思いながらも、親友相手なので言ってみた。
ネロは目を丸くしてレオを見つめる。
「いい香り…?運命的な話だな。」
「あーたしかに…。まるで、都市伝説の運命の番ってやつみたいだな。」
この世界での都市伝説的な話で、運命の番などというものがある。
運命の相手はとてもいい香りがするらしく、本能的に離れがたいと思うほどに、嗅いだことのない魅惑的な香りがするらしい。
「俺はそんな話信じないがな。運命の番なら本能的にいい香りだと感じて、噛みつきたくなるとか…。俺はそんなんで番を作りたくない。」
「たしかに、運命なんてものがあって離れられなくなるのは、運命に束縛されているようで…嫌だな。」
ネロはうなづいてそう言う。
レオはその言葉を聞いて、さらに話を続けた。
「Ωはαと番になったら番の解消ができず、αはできる。Ωは番を解消されてしまったらもう誰とも番になれないなんて、この世はどうかしてる。」
「うん。そうだな。Ωだけがなぜだか不公平だ。」
「Ωがαに番にされる時にうなじを噛まれるが、あれはマーキングだろう?それが元で新たに番を作れなくなってしまうが…αはつけるだけでなにも変わらないからな。」
こうして時々、ネロとは様々な語り合いをする。
ネロはうなづいてから返事をする。
「しかし、αもΩと番になるとそれ以外には反応しなくなる。解消できるがな。」
「そうだ。しかし解消できるんだ。Ωは一度きり。医療が発達して、Ωも解消した後に新たな番を作れるようになればな…。」
「そうだな。」
ネロはうなづいた。
レオとネロはこうして話し合いながら、獣人ではなく人間の医療の状態について考える。
人間の抑制剤は値段が高く、貴族や裕福な家庭でしか買うことができない。
ヒートが来てしまった爽を思うと、少しだけ胸が痛い。
しかし、断りづらい見合い話に、YESと答えるしかなかった。
見合いの日、レオは相手の猫の獣人の女性と街を歩いていた。
その様子を、ヒートが終わっていた爽は見かけてしまう。
「え…え…?!」
「そー兄ちゃんどーしたの?」
爽と街で買い物をしていた子供たちは、首を傾げて爽を見上げていた。
爽はあまりのショックでその場に立ち尽くしていた。