獣人さんはいい香りに振り向く。

  「爽ー!お仕事はどう?」

  院長に聞かれて、爽は首を傾げながら答える。

  「まぁ…まぁ?」

  「そう…。良くも悪くもないって感じ?」

  「うん。」

  素直に答えた後で思い出す。

  レオと友人から始めようという話になったこと。

  初恋の憧れの人に出会ったことも嬉しいし、少しでも一歩進めたことが嬉しい。

  「あれ?なんか機嫌が良さそうね。」

  「まぁね。」

  爽はニカっと笑って答えた。

  爽は幸いにも、少しはまともな暮らしをできる場所で生きている。

  孤児院は裕福でなくても、Ωを人扱いしてくれる優しい場所だ。

  自分が恵まれているということは、よくわかっていた。

  (僕は幸せだ…。)

  爽はそう思っていた。

  爽、という名前も元々は院長がつけてくれた名前で、苗字もない。

  レオと結婚するなんて叶わないだろうし、身分が違いすぎる。

  それでも、今だけは幸せだ。

  「おはよう。」

  仕事場の国立図書館で、受付の仕事をしていると、レオが本の返却にやって来た。

  「あ、おはようございます!」

  爽は嬉しくて、声が大きくなってしまう。

  それにレオは苦笑いで答える。

  「声が大きいよ。」

  「す、すいません…。」

  「何をしてたの?」

  「あ…えっと、本を読んでました。点検と称して、本を読むことなら…許されるかなぁーと…。」

  爽はコッソリと読んでいた本を見せる。

  レオは目を丸くした後でクスクスと笑う。

  「そっか。本が好きなんだね。」

  「え…えぇ。」

  爽がそう返事をした時だった。

  フワリと爽から甘い香りが漂った。

  爽自身がそう気づいた時、レオも気づいていた。

  爽にヒートの時期がやってきたのだ。

  「あ…」

  αの前でヒートを起こすのは、正直に言って迷惑なことだ。

  爽は恐る恐る顔を上げた。

  すると、レオは口元を手で押さえていた。

  最近、名前を教え合って、しっかりとした友人ということになったばかりだ。

  爽は失敗してしまったと思った。

  「ご…ごめんなさい。」

  息を上げながら、熱を持つ体をレオから遠ざけながら誤った。

  すると、レオは咄嗟にその手を掴んだ。

  たまらなくいい香りがした。

  爽は襲われそうなその勢いに驚く。

  「ご…ごめん。」

  レオが謝った。

  グッと堪えた表情をしている。

  受付の台の向こう側にいる爽をじっと見たレオはこう続けた。

  「咄嗟に…。他の人に襲われると思って…。」

  「あ…。」

  そう言われて、爽は自分のいる空間について思い出した。

  国立図書館の獣人専用室とはいえ、αのやって来る場所なのだ。

  Ωの社会的地位は低い。

  簡単に犯罪に巻き込まれてしまう性別なのだ。

  「あ…ありがとうございます。」

  爽は熱によってぼんやりとする頭を下げてお礼を言った。

  レオは必死に堪えている様子で、爽の頭を撫でていた。

  「いいから、なんとか今日は帰りなさい。」

  「は…はい。」

  爽はうなづいてそこから立ち去った。

  レオは、爽の香りが嗅いだことのないほどのいい香りをしていて、とても驚いていたのだ。

  (なんだ…あのいい香りは…。)

  体に電撃が走るような、衝撃的ないい香りだった。

  鼻から体の隅々まで流れて、頭を溶かしてしまいそうな、花のような砂糖のような甘い香り。

  (好きな香りだ…。)

  レオはそう思って、顔が熱くなった。

  Ωの香りをいい香りだと思うことは、この世界ではいやらしいと思われる。

  体臭をいい香りと言っているのだから当たり前かもしれないが、その一方で相性がいいという俗説があるからだ。

  レオは爽の去って行った後の香りに、酔いそうになっていた。