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生熟(なまな)れ (三) ー創世歴 302年 新越国 秋分ー

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  コモタチに近づいた頃には日は落ち、辺りは暗くなっていた。その暗闇にポツポツと灯りが浮ぶ。灯りは次第に大きくなり、ゆらゆらと辺りを照らした。競い合っていた虫が突然の来訪者に、鳴りを潜める。暫しの静寂を、しわがれた男達の声が破った。

  「タカハヤー!!」

  「おぅ、じさ。わざわざ迎えなんぞ要らんかったぞ?暗い中、谷になんぞ落ちたらどうすんじゃ」

  タカハヤは軽口混じりに灯りへ呼びかける。まだ明らかな主の姿を表さぬ声は、笑いに満ちた。

  「そこまで耄碌しとらんわぃ」

  「ほうかよ」

  年寄りは存外大声で応え、タカハヤも笑って応える。灯りがハッキリとした松明に変わると、年寄りたちの顔も次々と顕わになった。

  見れば、出迎えたのは年寄りだけではなかった。女に子らもいる。にこやかな歓迎に、アザミはタカハヤの脇から顔を出した。

  「ニコシの長、シナキの子、アザミじゃ」

  アザミが言うと年寄りは大きく頷いて破顔し、皆は口々に歓声をあげた。

  「噂にゃ聞いとったが、ホンマ[[rb:先代の長 > サイカチさま]]にそっくりじゃの」

  「ほうかの...?」

  益荒男であるサイカチに似ているなどとは女へ向けた褒め言葉ではないようだが、アザミは伯父を敬慕している。照れくさそうにはにかんだ。

  郷の皆に連れられ、タカハヤ達は男の郷に入り、アザミは女の郷へ入った。ニコシ族は男女の居を別にする。コモタチの郷も変わらぬようで、アザミはほっと女衆の中に混ざった。

  「はるばる、よう来られたの。ニコシの娘さまに会えて、ワシらも嬉しいわ」

  年配の女が大甕を抱えて言う。アザミは女の甕を持ってやり、腰を落ち着けた。

  「すっかり遅うなってしもうたが、出迎えありがとうの」

  アザミは差し出された湯に水を足し、足を洗った。一日歩き続けた足に、湯が気持ちいい。

  「アザミさま、おおきいのぉ」

  家の子だろうか。幼女がちょこんと隣に座り、足を並べた。幼女の足はアザミの半分ほども無い。

  「足だけじゃねぇぞ」

  アザミが手を差し出すと、幼女も手を差し出す。

  「手ぇもじゃの」

  幼女と手を合わせた。この子は人懐こいらしい。幼女を膝に抱えてやると、嬉しそうに笑みをこぼした。

  やがて穴屋には郷の女達が集まり、にわかに騒がしくなった。子らが転げ回り、女がたしなめ、賑やかに飯が盛られていく。大皿には数尾のウグイが並んでおり、ほぐしていくつかにわけた。

  「ほいじゃ、大したもんはないけど、ようけ食べんさいね」

  弾けるような声が合図のように、皆は箸をとった。

  穴屋にはウグイを焼いた香ばしい香りが漂っていたが、幼女は不満げにほぐし身を眺めていた。

  「まぁた、ウグイじゃぁ...。母さ、お客さんが来た時くらいもっとえぇもん食べようや〜」

  「贅沢言いんさんな!! ただでさえ、この冬は越せるか……」

  言って、母親ははたと口を噤む。表情に翳りが見えた。

  「ほいじゃけど……アザミさまだって、せっかく来てくれとんのに……」

  幼女はチラリとアザミを見上げる。幼いながらも、もてなしたいのだろう。申し訳なさそうな顔をしていた。

  「えぇ、えぇ。ワシぁ何でも食うけ、気ぃ遣わんでえぇよ」

  アザミは笑ってほぐし身を頬張ってみせる。幼女は頬を緩め、小さく頷く。そして、ほぐし身をつんつんとつつき、惜しげに口に入れた。

  冬を越せるか……か。

  思えば出迎えた男衆は翁ばかりだった。人手がないとは聞いていたが、蓄えも出来ぬほど困窮しているのだろうか。

  「郷は今どんなもんじゃ?」

  アザミは尋ねる。

  「若衆がこぞって労役に出とります……」

  ぽつりと声が上がる。連れ合いもありそうな妙齢の女だった。

  「こぞって?」

  女を置き、子を置き、親を置き。郷を離れるのがそれほど喜ばしいことだろうか。アザミは首を捻った。

  「初めて労役に出た者が言うとったんよ。仕事はしんどいけど、飯は必ず出るし、うめんじゃと」

  「労役が済んだら、ちぃとばかじゃが褒美も出る」

  「働きのえぇ者はミヤマさまに仕えることもできるゆう話じゃ」

  「仕える⁉ ミヤマにか?」

  ひっくり返るような声が出る。まことしやかに流れる女達の言葉は、アザミには思いもよらないことであった。

  「郷を攻め、仲間を殺し、土地を奪った奴らじゃろうが。仕える言うんはどういう事じゃ‼」

  年かさの女は悲しげに首を振った。

  「郷におるよりええ暮らしじゃと…そう言いよんよ」

  「えぇ暮らし…」

  「ほうじゃけ、若衆は喜んで出て行った」

  「残っとるのは年寄りばっかじゃけぇね。山も荒れ放題じゃ…」

  「そがいな話が、あるか…。若衆は郷を捨てて己の利に奔るか⁉ ミヤマが唆しとんのか‼」

  声が震えた。血の気が引けた手を握り締める。

  「そりゃわからんけど…」

  女は項垂れた。

  「冬に備えねばならんのに、男がとられりゃワシら飢えてしまうわ...」

  「アザミさま…。ミヤマさまはワシらに死ねゆうとるんじゃろか?こんげな小さな郷は[[rb:無 > の]]うなってもかまわん思っちょるんじゃろか」

  気づけば、皆がこちらを見ている。目尻に涙を浮かべる者もいた。幼子ですら、キュウと裾を握りしめている。不安でならないのだろう。

  アザミはその固く握られた小さな手を、両手で包んだ。

  「心配いらん。そがいなことさせんけぇの。皆も安心して待ってろ」

  皆を見回し頷く。

  ほんの少し表情の緩んだ女達を見て、アザミは何とかせんとと思った。

  翌日朝餉も早々に済ませ、アザミは男衆の元へ足を運んだ。広場には男達が何人も集まっている。中央にはタカハヤがいた。橙に染めた衣に羽飾り。周りを取り巻くヤマケの者も一様に、派手な身なりをしている。アザミと目を合わせたタカハヤは、どこか嬉しそうに頷いた。

  「タカハヤ!!」

  アザミの声に男達は顔を上げる。

  「おぅ、アザミ」

  「その出で立ちは...」

  「おぉ、叔父さから頼まれててよ。これからヤマケの者で巻狩りするんじゃ」

  アザミが行う忍び猟と違い、多数で行う巻狩りは同士討ちを恐れる。森の中で目のつきやすい容姿をするのが常であった。

  どうやらタカハヤには、前もって話があったらしい。日頃頼りにならないと思っていた父も、案外己の勤めを果たしているらしい。

  「ワシは?」

  「ヌシは女と共に居てやれ。ヌシがおりゃ皆も安心じゃろよ」

  タカハヤの言葉に、翁達も頷く。 アザミは拳でとんと胸を叩いた。

  「おぉ、任しとけ。タカハヤも獲物期待して待っとるぞ」

  「[[rb:案内 > あない]]がおらんけ、今日は下見じゃ」

  タカハヤは苦笑し、お手上げというように両手をあげた。不確実な事は口にしない。いかにも堅実なタカハヤらしく、アザミも笑みを返して見送った。

  「アザミさま~」

  闊達な声に振り向けば、あの幼女が息を弾ませ、走ってくる。

  「おう、アサ」

  アザミは[[rb:幼女 > アサ]]を抱き上げた。柔らかな頬がピタリと触れ、くすぐったそうにアサは肩をすくめた。

  「皆はこれからどうする?」

  「女は酒仕込む言うとったよ。アザミさまもどうじゃ?」

  アサはアザミの腕の中で、ニシッっと歯を見せる。

  「ほしたら行こうか」

  地面に下ろされたアサは、トコトコと小走りに行く。アザミは悠然とその背を追った。

  ― あらたふと、あがこもたちの、うぶすねよ

  まほらにたまふ、とよみさち

  ついてはこして、ささげみよ

  あなかぐわしや、はてのさけ ―

  山間に女衆の歌声が朗らかに響いた。

  広場に置いた大きな甕に、日干ししたニワトコの実を入れる。続いて女達は同じように日干しした桑の実やサルナシを入れていく。薪を足した炉に大きく火が起こり、しばらくすると、甘い香りが辺りにふわりと漂った。

  「えぇ匂いじゃぁ」

  アサは甕に近づくとすんすんと鼻を動かす。女が匙を入れ、少しだけアサに渡した。

  「あめぇのー」

  目尻をほころばせ、アサはアザミにも匙をよこした。

  甕からは細く湯気が立ち昇っている。女達は焦がさぬように、時折甕を掻き混ぜては談笑する。年寄りは忙しなく菅を編み、その手元から蓑が出来上がっていた。

  いつの間にか、アザミの周りには子らが集まっている。手には赤い汁が注がれた、小さな杯。皆おこぼれをもらってきたのだろう。一気に飲みほす者、舌ですくっては、勿体ぶるようにしゃぶる者、既に空いた杯を惜しげに舐る者、様々であった。

  「のぉアザミさま。イサを婿に迎えるちゅうはホントか?」

  「んっ!?」

  脇に腰を降ろしたアサが、ちょろりと上目遣いで見上げている。むせ込んだ息を整えながら顔を上げると、皆も興味深そうにこちらを見ていた。

  子らまで知っとんのか…。

  妙な気恥ずかしさに顔が火照る。

  「わ…ワシは歳の近い男がいる聞いただけじゃ……。ほいじゃが、そのイサっちゅう男はおらんようじゃの?」

  いれば挨拶くらいは来ただろう。しかし、郷にいたのは翁ばかりだ。イサは労役に出ているのかもしれない。

  「イサはおるよ。寝とる」

  アサは皿に残る汁を舐りながら、目だけをこちらへ向ける。アザミは首を傾げた。 ニコシを束ねる男が怠け者では困る。

  「寝とる?」

  アザミは声を低くして言葉を重ねた。アザミの内心を悟ったか、女が後ろから手を振る。

  「ちぃと病がちなんよ。あぁ、でも……いつもは元気じゃぞ。それにイサは山勘えぇんじゃ」

  周りの女達もこちらを伺いながら、頷いた。

  山に寄って生きる者にとって、勘がいいに越したことはない。アザミの頭に、雄々しく立ち回る男が浮かんだ。

  「そりゃぁ、ええの」

  「それに顔もええんよ。ワシがもう十ばか若けりゃぁの」

  そこそこの女がほぅとため息をつくと、同じ頃の女達はヌシじゃ相手にされんじゃろと囃した。

  「姿も立派か」

  思わず頬が緩む。女達も上気した顔で頷いている。

  「ありゃ花じゃ」

  「ほうじゃの。眺めとるだけで気ぃが良うなる」

  は、……花?

  女達の盛り上りと裏腹に、アザミの気は途端に冷めた。

  花のような男っちゃ、どんなもんじゃい……。

  これという像も描けず首を傾げていると、アサが袖を引いた。

  「アザミさま、気ぃになるじゃろ? ワシがイサに会わせちゃる」

  アサがふふんと胸を張った。

  イサの住まいは郷の中でも、少し小高い岩棚の上にあった。郷やその先の林がよく見える。元は物見の類であったろうと思われた。

  「イサはなんぞ人から離れた所におるんじゃ」

  干し魚に、豆、栗を浸した甕を持ち、アザミとアサは岩棚へ続く坂を行く。

  「静かでええんじゃと」

  「人嫌いか?」

  「んにゃ……なんちゅうか、固い男じゃ」

  「固い……」

  固いが……花みてぇな……わからんのー……。

  これといった姿も描けぬまま、イサの穴屋の前に立った。簾のかかった穴屋は岩棚にひっそりとたたずみ、人の気配は感じられない。その在り様はどこか寂しく見えた。

  「イサ、飯じゃぞ〜」

  呑気なアサの声が響く。雪原にぽっと花が咲いたように温もりが漂う。

  「あぁ、アサか。ありがとう」

  中からは若者らしい声が返った。低くない声色から、大柄では無さそうな印象だ。

  無邪気に手招くアサに続いて、アザミも穴屋に入った。暗がりに慣れぬ目で、はっきりとは見えぬが、影はほっそりとして、男と呼ぶにはまだ未熟な骨柄に見えた。

  「……ヌシぁ誰じゃ」

  横たわった人影が険のある声を発した。

  愛想のねぇ奴じゃの。

  アザミは小さく鼻を鳴らすと、少年とも思える男を前にあぐらをかき、軽く頭を垂れた。

  「いきなしすまんの。ニコシノシナキの子、アザミっちゅう[[rb:者 > もん]]じゃ」

  名乗ると、少年は微かな声をあげ、身を起こした。

  「……コモタチの長ワセの子、イサじゃ」

  慣れてきた目に、その端正な顔立ちがはっきりと見て取れた。少女のように華奢な体つきだが、よく見れば肩も腕も筋が刻まれ、男である事を示している。病がちという割には、しかとした眼光が強さを感じさせる。女と男がないまぜに生きているような不思議な感覚に「見てるだけで気ぃが良うなる」と言った女の言葉が浮かんだ。

  固くて、花みてぇな男か……。

  男らしくも美しく映るイサの姿に、コトリとアザミの胸が拍動した。伯父という出来上がった憧憬ではない。初めて出会う[[rb:異性 > オトコ]]というものに、心が惹かれた。

  「火、入れるぞ」

  アザミは目を落とし、熾火に薪を足す。新たに加えられた薪に熱が加わり、じわりと細く煙をあげる。薪の周りに組んだ石の上に、持ってきた甕を置いた。

  「アザミ……さま……なんぞここに来られた。いや……」

  イサは一度口篭り、アサへ向く。

  「アサ。ヌシぁ戻れ。アザミさまに話がある」

  「うぇぇ? ワシがアザミさま連れてきたんぞ」

  不服そうに頬を膨らませる。アサはアザミから離れたくないのだ。しかしイサは無表情に顎をしゃくった。

  「大人の話じゃ、アサ」

  大人の…?

  また小さく、アザミの胸が拍動した。脇にしがみつくアサに後ろめたさを感じつつ、イサへの好奇心が抑えられない。アザミはアサの小さな頭を撫でた。

  「すまんの、アサ。長うなるかもしれん。暗くなる前に[[rb:母 > かか]]さの元へ戻れ」

  「えぇぇ……」

  アサは小さく呟き、渋々と穴屋を出ていった。

  静かになった穴屋の中で、甕がふつふつと音を立てている。焦げ付かぬよう、アザミは甕の中をクルクルと掻き混ぜる。立ち昇る湯気がアザミの頬を撫で、穴屋をしっとりと温めた。

  火に照らされるイサは幽艷としている。ともすれば消えてしまいそうなイサを繋ぎ止めるように、アザミは声を掛けた。

  「寝とってもかまわんぞ?」

  「いや……」

  「話が?」

  煮えた豆を皿に盛り、薪を少し抜いた。

  「コモタチには何をしに来られた」

  皿を受け取り、イサが尋ねる。儚げであった目に光が灯る。しかしその目に情のようなものはない。厳冬に張る氷のような冷ややかさだ。

  「[[rb:父 > とと]]さの名代で……」

  口をついて出たのは、名代の事であった。イサから婚姻などと言う熱を感じなかったからだ。

  「それだけか?」

  氷の双眸はそのままに、イサの追及は続く。

  「コモタチの子を婿に……言われんかったか?」

  「……末の子が同じくらいで。ま、婿に……とは聞いた」

  「病と?」

  「それはさっき聞いたばっかじゃ」

  イサは鼻にかけたように嗤うと、皿の豆を掻きこんだ。

  「ワシの[[rb:父 > とと]]は[[rb:欲張り > よくどう]]じゃ。郷の者もな」

  「[[rb:欲張り > よくどう]]?」

  イサは手を止め、アザミをはたと見据えた。

  「あんたはお人よしか、よほどのアホか?」

  「あ?」

  急に語気を強めたイサを、アザミは睨めつけた。

  「ほうじゃろよ?病でいつ死ぬかわからん男じゃ。それ隠して婿になんぞおかしい思わんか?」

  「…死ぬとは限らんのじゃろ?」

  「ワシは母さに似とる。長くねぇ思う…」

  空にした皿に目を落とし、イサは無造作に匙を投げた。

  「郷の者はアンタを喜んで出迎えたじゃろよ?皆期待しとんじゃ。アンタを、じゃねぇ。ニコシの血ぃをじゃ」

  イサの言葉はつけつけとしている。どこか毒を含む物言いに、アザミは声を落とした。

  「今のニコシに力はねぇ。みんなミヤマに呑まれた。期待するほど…」

  言いかけた言葉を、イサが嗤う。

  「そりゃぁ[[rb:長 > おさ]]であったニコシの者にはそうじゃろよ。だが、ワシらみてぇな小さな郷の者からみりゃぁ、新しい長に通じとるニコシの力はまだまだ大きく見えるもんじゃ」

  通じとる…の。

  アザミの心に影が落ちた。ミヤマの家は同族を殺し、土地を奪った仇だ。アザミの敬愛する[[rb:伯父 > 先代の長]]もその前に斃れた。討つべき家に仕える父の姿が、アザミには虚しく映る。

  「ただの手先じゃぞ…」

  「手先にすらなれん者の心は、アンタにゃわからんじゃろよ…」

  パチリと薪が爆ぜ、ひんやりとした空気が背を撫ぜる。イサは膝をぱんと叩いた。

  「ま、そういうこんじゃけ。ワシは婿にいかんし、コモタチを出るつもりもねぇ。そもそも…」

  意味ありげに片眼を細める。アザミは自然と顔を寄せた。

  「まともに子が成せるともわからんしの?」

  「こ、子ぉ…!?」

  突然沸いた色事に、思わず身を引いた。アザミにとって男女の色事などは、まだ朧げなものだ。脳裏を駆け巡る妄想に、すっと身を縮こませる。

  「いっちゃん大事とちゃうか?」

  「そりゃ…その」

  もごもごと口ごもるアザミの前に、イサが顔を寄せた。

  「ワシにゃ、頼んでもねぇ世話を焼きに来る女もようけおるけん。心配せんでええぞ?」

  「あ…?」

  イサの指がそろりと頬を撫でた。

  「なっ…なんしよん……」

  「合わせてみんとわからんもんもあるけんの?」

  指はうなじを通り首元に伸びる。びくりと体が揺れた。

  「…っ」

  「試してみたいと違うか?相手してもえぇぞ?」

  「そ…がな、わけあるか、ボケぇ‼」

  ようやく声を上げたアザミは、襟に掛かった指を弾いた。イサは冷淡な笑みを口元に浮かべていた。

  「アンタ、[[rb:形 > なり]]は女じゃが、中はてんで子どもじゃの」

  「やかましいわ、ボケっ」

  怒鳴りながら外へ駆け出た。

  「そんなで、よう婿なんぞ言うたの」

  「やかましっちゅうとんじゃぃ、アホ‼」

  なにが固ぇ男じゃ。逆じゃろが、逆‼あけすけに言いよって、恥っちゅうもんがねぇんかぃ‼

  姿が見えねば、なんとでも言えた。アザミはあしざまに呟きながら、つと足を止める。不意にイサの指が首筋を触れた気がして、そっと首に手を伸ばす。もちろんそこに指があるはずもない。感覚だけが鮮明に残っていた。

  「気安く触りよって…ボケが」

  アザミはふっと息を吐く。紫色に染まり始めた空に、吐く息が白く見えた。

  視界の端にポツポツと光が入り、眼下を見た。郷の入口で灯りが並んで揺れている。

  タカハヤが帰ったか…。

  アザミはイサの影を振り切るように、郷に向かって坂を駆け下った。

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