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雛 ー創世暦 328年 萱野国ー

  二振りの剣が空を切る。地を離れていたむき身の足が立て続けに地に降りた。剣を振るう腕。その腕が素早く動く度、身に着けた装飾がこすれ合い、シャラシャラと音を立てた。女は激しく剣を打ち合い、身体をしならせ、大地を踏む。玉水のような汗が褐色の肌を撫で、滝つぼへ落ちる飛沫のように舞った。

  女が動きを止めると、目の前の男は立ち上がって手を広げる。女は大きく頭を垂れて、剣を収める。男は大仰に手を打ち、彼女を手元へ引き入れた。

  「マトリ。また切れが良くなったな。並みの男ではかなうまいよ?」

  男が白い歯を見せ言うと、マトリと呼ばれた女は不満そうに口を尖らせた。

  「並の男?もっとよ。そうね…常勝将軍、イラナキ殿?」

  マトリは兄である男、タカバの後ろへと目を遣る。

  立ち上がってマトリを迎えたタカバと対照的に、後ろに控えた巨躯の男、イラナキは静かに構えていた。

  タカバはさも困った風に眉根を寄せ、首を振った。

  「思い違いにも程があるぞ、マトリ」

  マトリは小さく鼻を鳴らし「そうかしら」と小さく答えた。

  イラナキはヤマセノクニのミヤマ氏に婿へ行った叔父の子で、従兄にあたる。長年戦場を踏んできた従兄は優れた兵家らしく「常勝将軍」と名高い。加えて矛の腕も確かなようで、五分ほどの的すら外さずに突くのだという。

  そのイラナキがカヤノノクニを訪れるというので、幼いころから武芸を重ねたマトリは心待ちにしていた。しかし実際訪れたイラナキを前にして、マトリは落胆する。

  西大陸の最南に位置するカヤノノクニの民は、褐色の肌をもち、チハラノクニの中でも最も小柄な民だ。しかし北西のハヤセを遠祖にもつミヤマ氏は大柄で、肌も白く、眼の色が獣のように薄い。髪の色も様々だ。

  イラナキは髪こそ黒かったものの、白い肌に、青色の瞳を持っている。マトリはイラナキから、狼のような陰湿さを感じた。明朗なタカバのような男こそ、上に立つものとして相応しいと思っていたマトリは、人としての温情を感じさせないイラナキからすっかり興味を失ってしまったのである。

  「イラナキ。どうであろう、我が妹の剣技は?」

  マトリの険しさを覆い隠すように、タカバは朗らかな声をイラナキに向けた。兄妹の会話に反応一つ示さなかった男が、かすかに口を歪めた。

  「剣技ねぇ…。まぁ美しい剣舞だと思いますよ。舞姫にでもされたらいいのでは?」

  イラナキの地の底から湧くような低い声は、どこか嘲笑めいている。マトリはキッとイラナキを睨みつけたが、タカバは鷹揚に頷いた。

  「そうであろう。剣技だけではない、器量もいい。俺はこの子を皇子の妻に推挙しようかと父と話しているところ…」

  「馬鹿言わないで!!」

  マトリは声を荒らげタカバの言葉を遮る。

  「私は兄さまの助けになりたいの。イラナキ殿ほどはいかなくても、[[rb:戦場 > いくさば]]できっと…」

  「馬鹿はお前だ。お前はカヤノの…」

  「そんな話、聞きたくない」

  マトリは室を飛び出した。

  *

  マトリは己の才に自信がある。他の兄にも引けを取らないと自負してきた。しかしそれを披露する機会は与えられず、褒めてくれるのはもっぱら長兄のタカバだけだった。いつしかマトリは、タカバの傍に仕えると心に決めていた。

  「チハラノクニの奥なんてまっぴら…」

  マトリは呟いた。

  チハラノクニの大王は代々、チハラノクニを打ちたてた「創始四氏族」と呼ばれる氏族からのみ女を娶り、高官につけるのもこの四氏族のみであった。十年前「庚辰の変」と呼ばれる改変で、四氏族の家の一つが滅びると、チハラノクニの均衡は破れた。その中で大きく台頭した新興士族がカヤノ氏と、ミヤマ氏であった。

  ミヤマ氏は軍を掌握し、カヤノ氏は奥へ女を送り込んだ。側室である。しかし東宮には既に正室の子である皇子がいた。カヤノ妃の皇子は継承二位になる。次の一手が欲しいのだ。それはカヤノ氏に生まれたマトリにもわかっている。

  「そんなの私が望んでいる事じゃない…」

  また呟く。

  剣を抜いた。一日と欠かさぬ稽古。隅々に染み付いた動き。マトリは頭で考えることもなく、剣を振る。魚の稚魚が、教えられずとも泳ぎだすように。鳥として生まれた雛が、教えられずとも羽ばたくように。

  一心不乱に。

  「よぉ、精が出るな。マトリ」

  不快な低い声が、マトリを止めた。

  影がマトリに落ちる。

  一尺ほども背の高いイラナキが、マトリを見下ろしていた。

  訪れてまだ日も浅いのに、軽々しく口をきくイラナキがマトリは気に入らない。が、立場はマトリが下である。目を伏せて小さく会釈した。

  手が不意に軽くなる。イラナキがマトリの剣を手に取った。

  「軽いな」

  マトリの剣は二尺三寸程。マトリには決して軽くはないが、矛を使うイラナキには軽いのだろう。

  大男の持つ己の剣が少し小さく見えた。

  「どうも俺はこういう小さい得物は苦手でな」

  言いながら剣を差し出す。

  「……もし、戦場で矛を失った時はどうされるのですか?」

  受け取りながらマトリは問う。

  「そんときゃぁ、これしかあるまいよ」

  イラナキが腰に提げた剣を少し抜く。わずかにのぞいた刃が光を受けて鈍く光る。マトリの心が誘われるように動いた。

  「手合わせ、願えませんか。戦場で、私は敵。今、貴方は矛を失ってしまっている」

  イラナキは小さく首を傾げる。

  「そりゃかまわんがよ…。戦場なら、白刃だろうな」

  鞘を走る音が響く。引き抜かれた剣がマトリの方へ向いた。

  *

  マトリは二つの剣を構えた。

  遠い…。

  マトリは思った。カヤノビトは男でも五尺三寸がいいところだ。イラナキの身丈は六尺程あるだろう。馴れた間合いと随分感覚が違う。

  そして通常人が発する闘志も威圧も感じられない。あまりにも静かで、不気味であった。

  「どうしたよ。お前は俺に勝てるんだろ?」

  イラナキが口を開く。同時にマトリは前に跳んだ。

  雄剣を薙ぐ。身体をねじり雌剣を振る。イラナキの剣が雌剣もろともマトリを打つ。マトリは受けずに流して横へ跳んだ。

  「お前は細腕なのに、それを更に二つに分けてんだ。片腕で勝てると思うなよ」

  淡々と言う。

  そんなの言われなくてもわかってる…。

  マトリは剣を構え直した。

  この体格差だ。まともに打ち合って適う訳がない。軽くてもいい。まずは当てなきゃ…。

  マトリが剣を繰り出し、イラナキがあしらう。何合続いただろうか。

  「へばってんじゃねぇの、マトリ。力のねぇお前の武器は速さだろ?一つも当たらんぞ」

  イラナキが嗤った。

  「随分、饒舌なのね。戦う時に口数が多くなるのは癖なの?」

  肩で息をしながら、平静を装う。

  イラナキの切っ先が軽く振れた。

  「まさか。そんなわきゃねぇよ。ただ…お前じゃ退屈なだけだ」

  「っ…」

  一気に間合いを詰めた。

  入る…。

  剣を前に突く。横から影が飛び出した。マトリは上体をのけぞらせ、かろうじてよけた。

  「蹴り!?」

  イラナキの間合いから逃れたマトリが声を上げる。

  「なんだよ。お前は敵に蹴らないでくださいってお願いするのか?お上品に戦ってんじゃねぇぞ。お前、戦場にって言ったな。タカバ殿はお前が征くって言えばよ、そりゃぁ豪華に鎧も揃えてくれんだろうよ。いい的だ、民どものよ。一対一で戦えるなんて思うな。多くの敵をいなしながら、俺の首を狙うんだ。出来なきゃ寄ってたかって身ぐるみはがされて殺される。やれよ、マトリ。そろそろ息も整ったろ?」

  イラナキの切っ先がまっすぐ、鼻筋を狙った。マトリは一対で受け、瞬間的にひねりながら払う。イラナキの剣が引き込まれるように地面に落ちる。一瞬、イラナキの目が剣を追った。

  マトリは好機と見て、雄剣を突きだす。

  目が合った。イラナキの目が、微かな弧を描く。

  マトリの天地が反転した。

  「っ……」

  背中が地に打ちつけられ、息が漏れた。喉元をイラナキの手が抑えている。

  「お前、目がいいな。あんまりよく見え過ぎるもんだから…見過ぎなんだよ。だから」

  まっすぐ伸ばした人差し指を、マトリの目の前でゆっくり左右に揺らす。

  「誘いにひっかかっちまう。もう少し大局的に見てろ」

  「…降りてよ」

  馬乗りになったイラナキを睨む。

  「さて…ここは戦場だったな。俺はよ。刃向けられたら、女だろうが子供だろうが。孕み女であってもよ?等しく同じ敵だ。それが、仮に血を分けた同族であってもな」

  イラナキの指が首に食い込んだ。

  「…ぁ」

  気道が抑えられ、息が細くなる。

  両手でイラナキの手を搔きむしった。

  「だからよ…。お前の力じゃ勝てないって言っただろ。何で得物捨てるかね。剣で刺せばいいだろ。手放しちまったら、もう取り戻せないだろ…」

  イラナキの姿が、言葉と共に闇に溶けた。

  *

  「実妹の躾ぐらい自分でされたらどうです?」

  面白くもなさそうに、イラナキは盃を仰いだ。空になった盃に、タカバが新たに酒を酌む。

  「俺はマトリがかわいくてな」

  自分の盃にも酒を酌んだタカバが白い歯を見せた。

  「はぁ?」

  二杯目の盃を空にしたイラナキは、今度は自分で酒を酌む。

  「兄さま、兄さまって健気だろ?嫌われたくないんだよ」

  満面の笑みを浮かべるタカバに、イラナキは顔をしかめた。

  「はっ…わかりませんね。俺は女兄妹がいないもんで」

  「妹でなくとも、幼馴染とか…」

  言いかけたタカバが、はっと口をつぐむ。イラナキの顔に翳が差していた。

  「いや…。まぁ、これでアレが大人しくなってくれれば言う事無いな」

  視線を逸らしてタカバが言う。

  イラナキは肉をえぐるように深く傷跡の残った左手を見た。

  「さぁ…どうでしょうね」

  「化けないか?」

  タカバはおどけるように、肩をすくめる。

  「どう愛でたところで、鷹の子は鷹。雲雀にはならんでしょうや」

  言いながら、マトリの顔をイラナキは思い出していた。

  彼らが戦場でまみえるのは、もう少し先の話。

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