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「金の糸」ー創世暦 307年 新越国 夏 ー

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  「なんじゃその桑。食うならもっと黒くならんと美味くねぇじゃろ」

  寝所に訪れたウマラが手にした桑を見ながら、アザミは吐くように言う。

  桑は握りやすいように下の枝が払われており、枝先に赤い実を幾つか付けていた。

  「郷の子供が、桑の実の汁で昼寝中の兄に落書きして遊んでいました。よく考えるものですね」

  枝を振りながら、さも楽しそうにウマラは言う。そこいらの子供がするたわいもないいたずらが、彼にとっては珍しいものであるらしかった。

  「時に、アザミヒメ。桑の葉を好む蛾を知りません?」

  桑の葉をいじりながらウマラが呟くように言った。

  「葉っぱなんぞどんな虫でも食うじゃろ。蓼食う虫も好き好きっちゅうしの」

  さして面白くもなさそうにアザミは答える。彼女がそっけないのもいつものことだ。彼女は何事にもわりと淡白である。そしてそんな彼女の態度を気にした風もなくウマラは続けた。

  「桑しか食べない変わった蛾で、金の糸を吐く」

  「金の糸?」

  だらりと床に投げ出していた身を起こしながら、アザミは桑の枝を見つめた。

  「本当に金の糸を吐く訳ではないですが。蛹になるとき自らの身を真綿のような繭にくるむ。その繭を茹でるとキメの細かい滑らかな生糸が取れ、高額で取引される。私が知るところでは東隣のウカミ国のみでしか産出されていない」

  ウマラは視線を枝に落とす。続いてついと枝をアザミの目の前に掲げた。

  「ご存じ、ありません?」

  桑の隙間から冷ややかな目が覗いている。数え十三の少年らしさを微塵も感じさせない、老獪な目。月のような小さな鈍色の目が、じっとアザミの言葉を待っている。

  嫌な目ぇじゃ…。

  アザミの伯父である先代のニコシ首長を討ったのは、ウマラの伯父なのだそうだ。朧気に覚えている仇の顔が、目の前の幼い夫と重なりアザミは静かに目を逸らした。

  「…知らんの」

  「それは残念だ。地理的に近いから、こちらにもいないかと思ったんですが…。都のチハラ人がね、その蚕とかいう蛾から採れる布を喉から手が出るほど欲しがってる」

  「ほしたらウカミに頭下げて頼んでみたらどうじゃ」

  再び体を投げ出しアザミは嗤う。ウマラはバサバサと枝を振った。

  「チハラ人は下手に出るのがお嫌いだ。頭なんて下げるはずがない」

  「は…。頭は下げとうねぇ。布は欲しい。で、どうすんじゃ。山欲しさにウチを攻めたように、湊欲しさにイリシオを攻めたように、次はウカミ相手に戦か。チハラ人はとんだよくどうじゃ。よう好かんわ。チハラ人も、その手下のヌシらもな」

  目の前に差し出されている桑の枝先を手折り、部屋の端へ投げ捨てる。ウマラは残念そうに枝を引っ込めた。

  「よくどうと言えば…大陸にはとても欲深い獣がいたらしい。地上のありとあらゆるものを呑み込んだその獣、果ては己さえ呑み込み消えてしまったそうですよ」

  アザミの怨念がかった感情を逸らすようにウマラはおどけてみせる。アザミは険しい目をそのままに、ウマラの頬をつまんだ。

  「そりゃ獣じゃのうて、人じゃろうよ。人の欲は底無しじゃ。あれも欲しいこれも欲しいと思うとる間に、何が欲しいかもわからんなる。ヌシらは足るっちゅうことを知らん。欲かくとろくなことねぇもんぞ。頭に振り回されていつの間にか食われとった、なんてならんようせいぜい気ぃつけぇよ」

  つまんだ頬を引っ張って離す。わずかに赤みを帯びた頬に触れながら、ウマラは微笑みを浮かべた。

  「足ルヲ知ル者ハ富ミ、強イテ行フ者ハ志有リ。其ノ所失ハ不ル者ハ久シですか」

  「あ?」

  聞きなれない言葉に眉をしかめる。

  「東の大陸の言葉ですよ。価値を理解し満たされる者は豊かであり、価値を知ろうと行動する者は志がともる。それを見失わない者は久しく栄えることができる。と言ったところでしょうか。知ってて言ったのでは?」

  折られた枝先を弄びながら言う。どこか嘲笑めいた顔がアザミの勘に障った。

  「ワシらは字を持たんのじゃ。外の…まいては海の先のことなんぞ知ろうはずもねぇ。つまりは、言葉やなりが違うても考えることはおんなしっちゅうことじゃろ。大体の…そんな言葉があんのなら、強いて行え」

  先ほどのウマラの言葉に被せて嫌味を言う。すると今度は肩をすくめて笑みをこぼした。

  「論語讀ミ、讀ミ了リテ全ク事無ラ然ル者有リ」

  「だから知らんちゅうとろうが。バカにしとんのか」

  声を荒らげるアザミを尻目にウマラは灯明皿の火を吹き消し、室は真暗になった。

  「バカになんてしてませんよ。貴女は私にとっても、クニにとっても珠玉のようなもの…」

  「ほんじゃぁ、せいぜい大事にせぇよ」

  暗がりにぼんやりと浮かぶ影へ言葉を投げる。影はそばまでにじりより横になった。

  「大事にしますよ…」

  ウマラがくっと軽く食い縛るのが見えた。

  「どうした?」

  「いや…少し眠い」

  「子供じゃの…」

  「私は子供ではありません…」

  そう言いつつも目はうつらうつらと閉じかけている。

  「明日は山へ行く言うとったじゃろ」

  「…えぇ。日照りの兆しが…みえてます…から。調べて…きた…」

  「ヌシに何かあると周りが困る。よう寝とけ……おい?」

  ウマラはもう答えなかった。寝息をたてる姿は子供そのものである。

  「変わった子ぉじゃ…」

  夫の寝顔をまじまじと見つめた。

  アザミは大柄で気性も強い、いわゆる女丈夫と呼べる女だった。郷人の信頼も厚く、父の後を継ぎ、郷長を務めるのは己だと自負もしていた。しかしこの春に父は弟を次代の長にと決めてしまった。半ば行き遅れたようなアザミを妻に欲しがったのは、九年前この地を征したミヤマ氏であった

  嫁して驚いたのは夫の幼さである。見た目だけではない、成人も迎えていなかった。少年であるウマラが難なくアザミを受け入れたのは育ちにあるのだろう。

  ミヤマはハヤセという土地から出たハヤセ人で宗主国のチハラに仕えて久しい。集権国家であるチハラの慣習で各身分の差は大きく、ウマラは同族の大人に囲まれて育った。故に知識も教養も高い貴人で、「家」に於いての自分の役割というものを知っていた。

  が、アザミからすれば「人」を知らずに育ったように見える。どのように人が生活を成しているのか全く知らない。それではまるで神ではないか。アザミは思う。

  「もっと下の者に寄り添ったらどうじゃ。ヌシにゃ人がどういうもんかわからんじゃろうが」

  アザミはある時、投げ掛けた。

  「貴女は今ここに立っていていながら、土地の広さを感じられますか。高くあらねば見えぬものがあるでしょう」

  ウマラはそう言って一笑した。私の務めではない、と。

  わからぬでもないが、ウマラをその高みから引きずり下ろしたくなった。人を知らぬ者が人を治められるわけがない。

  幸いにもウマラは頑なではない。まだ変わることができるだろう。それにミヤマはニコシが持たなかった技術がある。ウマラの口から聞く知識は目新しく、興味深いものであった。

  

  翌日ウマラが供と連れだって郷を出た頃、アザミは侍女の一人を呼んだ。ニコシの郷から連れてきた者である。ただしニコシ人ではない。ニコシの奥地で狩猟を営んできた少数民族のヒマ族である。ヒマ族は戦の折りに徹底抗戦を決め込み、ミヤマを前に滅びた。当時成人を迎えていなかった子供数人をニコシで庇護してきた。

  「ウチ、朝弱いねん…」

  女は気だるそうな顔で文句を言った。

  この女はツリフネといい、ヒマ族最年長でアザミと同い年である。ヒマ族には身分というものがなかった。せいぜい一族を取りまとめる代表とその他ぐらいなものである。ツリフネはその姿勢を今でも貫いており、人を敬うということがない。誰にも気取らないこの女をアザミは嫌いではなかった。

  「ちぃと聞きてぇんじゃが…」

  「ウチやないとあかんの?」

  最後まで聞き取りもしないで、さも迷惑そうに首を振る。

  「繭を作る蛾、知っとうか?」

  アザミは構わず続けた。ヒマ族は山の民である。ツリフネはその中でも「まじないさん」と呼ばれる術師で草木に詳しい。これほど聞くにうってつけの者を他に知らなかった。

  「繭?そらおるけど、何なん。アンタ虫食うほど腹減っとんの?」

  うろんげな目でツリフネが言う。

  「虫は食わん。それ、取ってきて欲しんじゃ」

  冗談だと知っているので、さらっと流した。

  「郷出てええの?」

  「婿どのが探しとる。特別じゃ」

  名目上侍女である彼女は、アザミに侍っていなければならない。元来自由人なツリフネはしょっちゅう無断で抜け出ているが、アザミは黙認していた。敢えて口に出したのは「お墨付き」を与えるためであった。

  「あの若様もホンマ変わっとんね。虫なん、どないする気ぃなん」

  「糸を紡ぐっちゅうてたの」

  「虫の糸で?気色悪っ」

  ニコシ国に絹はない。アザミも頼んでおきながら、言われてみれば気持ち悪い気もした。

  「ま、ええわ。自然相手や。期待せんでまっといてや」

  ツリフネは足音もなく、するりと室を出ていった。

  日が落ちる前、トタトタと小さな足音をさせながらウマラが訪れた。息を弾ませたその姿から良いことがあったのは伺い知れる。

  「ほら、これ」

  目の前にくぬぎの枝が差し出された。葉を着込むように巻いた淡い柳色の繭が一つぶら下がっている。

  「それ、どうした」

  「オギが知ってたんです」

  満面の笑みを浮かべ言う。

  オギもヒマ族の者であった。十六になり、顔に成年の証であるヒマ族特有の刺青を施している。小柄で身が軽く、柔順で細やかな気質が気に入られ、ウマラの従者であるトクサという男に取り立てられていた。

  無駄足じゃったか…。

  脇に置いた、同じように葉にくるまっている繭をちらりと見た。

  「あれ…その枝」

  アザミの視線に気づいたウマラが、ツリフネの持ってきた枝を取り上げる。こちらは柏の葉であった。

  「ツリフネに頼んだんじゃが…」

  すでに見つけていたとあってはそれほど喜ばないであろうと思ったが、ウマラは嬉しそうに目を細め謝辞を述べた。

  「しかしヒマ族というのは本当に山に精通していますね。これほど容易く見つかるとは…」

  枝が枯れぬよう二つ並べて水の張った甕に挿した。

  「繭は茹でるんじゃったか?」

  「明日にしましょう。繭は逃げませんし…」

  「ほうじゃの…」

  ウマラは繭探しに出掛けたのではない。新しい水路の開拓、水源確保のために山地を回ってきたのだ。疲れているだろう身体を慮り、アザミは夫を休ませた。

  しかしこれが大誤算となる。

  朝二人が起きると、繭に穴が開きサナギは羽化していた。穴の空いた繭を茹でてみたが、糸を紡ぎ出すことはできなかった。

  「紡ぐためのなに特別な技でもあるのでしょうか…」

  「さぁのぉ…」

  蛾の繭は一繋がりの一本の糸で出来ている。つまり穴の空いた繭では途中で途切れてしまい、紡ぐことはできない。ウカミの家蚕は秘匿された技術で、別の国である彼らには知る由もなかったのである。

  「残念じゃが、そう簡単なもんならとっくにどこかで真似しとるじゃろ」

  「そうですね…」

  二人はゆでた繭を片付けた。

  その年の秋、西の属国に隣国が攻め入り大きな戦となった。ニコシ国も軍を旅し、蚕どころではなくなった。ウマラが再び蚕の飼育を思い出すのは、十年以上も後のことになる。

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