とある海岸を恐怖と惨劇の舞台に変えた人型の水棲生物。
その内に宿るのは生存圏を汚された怒りか生命を繋ぐための思いかはたまた純粋なる本能か。
どちらにしろ地上に生きる者たちにとっては恐怖の対象でしかなかったのはどちらにしても悲劇かは定かではない。
そんな感情をよそに今、その恐怖に終止符が打たれようとしていた。
岩場に追い込まれたのか、それとも上がったところか。
異形の生物はその禍々しい姿を月明かりに浮かび上がらせてうごめく。
水に濡れた鱗がそのゴツゴツした表面を月明かりに輝かせながらジワリ、ジワリと迫る。
その視界がとらえる人影。
その女性は恐れ震えながらも銃を構え、生物に対峙する。
幾度となくその恐怖におびえ、恐れ、そして少なからずのものを奪われた女性は恐怖にとらわれながらも震える手で銃を握り、その先を生物に向ける。
生物もまた恐れることなく、おびえることなく女性に向かっていく。
その目的は何なのか、それはきっとその生物の本能のみが知る話であろう。
一歩、また一歩生物は歩を詰める。
女性も震えながらも銃を握る。
そして―。
一発。また一発。
夜の岩場に銃声が響く。
直撃を受けた生物は一歩、また一歩後ずさる。
女性も引き金を引いた衝撃に体を揺さぶられながらも一歩、また一歩踏み出しながら引き金を引く。
生物は銃弾に貫かれ後ずさりながらもそれでも女性に向かおうとするが女性はさらに引き金を引く。
求めるものと拒絶するもののせめぎあいは続き……。
「うわあああああっ!」
女性の咆哮とともに最後の一発が放たれる。
「―!」
生物はその直撃を受け、ついに岩場から海に転落する。
しばしの静寂。
ただ月明かりと波の音だけがある中、女性は恐る恐る岩場の端に近づく。
あの異様な生物を飲み込んだとは思えないほど海面は静かに凪いでいた。
空を見上げれば月がことの終わりを告げるかのように静かにそこにある。
終わった―。
女性は心からそう感じた。
恐怖の時は終わった。
この手で、自分の力で終わらせたのだ。
大きな安堵感に満たされながら女性は大きく息を吐く。
そしてゆっくりと立ち上がる。
全ての弾を撃ち尽くした銃がその手からするりと抜け落ちるのを感じることもなく。
静かに海に背を向け、そっと歩き出すその背中から―!
波よりも大きな雄たけびに声にならない悲鳴がかき消された……。
「カット!OK!」
そこで声がかかり、一帯で展開されていた仮想現実の空間は一瞬で現実に解き放たれる。
監督も、一帯を撮影していたカメラマンや他のスタッフも。
女性役の役者も駆け寄ったスタッフがあれこれフォローしているようだが役者の口調はかなり厳しい。
それでも監督やカメラスタッフはそれなりの撮影ができたと満足げだ。
言うまでもなくこれはモンスターホラー映画の撮影現場であり、そのラストシーンの撮影が終わったところである。
見たところさほど大きな制作チームというわけでもなくどちらかというと低予算と短期期間で奔走しているという感じである。
役者がこぼしているのはやはりその辺りが関係しているのだろうか。
気質的にいろいろ厄介そうなものを秘めていそうな彼女をなだめすかしてようやく主演に起用させた顛末はきっと話せば短くはない。
その一方でこのスタッフが主演以上に力を入れたと思われるのがかの水棲生物のデザイン。
古典的なデザインをオマージュし古き良き、そして根幹的な恐怖を刺激する存在感に満ちたその姿の再現は主演役者のスカウト代に負けないくらい予算を圧迫した……と思える。
だからこそ作成はともかく実は意外と低価格で貸与されたというのはスタッフにとっては僥倖であった。
その背後には今主演役者に声をかけている女性―なんでもあるモデル・イベント会社の社長らしい―の手腕があったらしく件の水棲生物の「中の人」もその会社の社員らしいが、その素顔や素性については厳格な契約によりノータッチとなっている。
その社長はというと「契約」をネタに水棲生物にたいしてあれこれ悪態をつくやや自意識の高い主演役者をあれこれなだめている。
撮影自体はほぼ終わったが最後に主人公を襲う水棲生物のシーンのCG合成をはじめまだまだやるべきことは少なくはないのだから。
そうして撮影後の後片付けでにぎわう岩場を一対の異形の目がじっと見つめていた……。
[newpage]
撮影現場から少し離れた砂浜―と言っても岩場に囲まれたちょっと狭めの砂浜。
そこにも月明かりを受けた波がきらめき、幾度となく寄せては返す。
そんな波間から何かが現れる。
流れ着いた木片か、それとも海藻か。
どこか異様な形をしたそれは少しずつ岸に近づいていく。
海面に浮かび上がるその形は岩―のように見えながらも違っている。
魚の頭を人の形に押し込んだ様なゴツゴツとした形、その目にはギラリとした光が浮かぶ。
硬い貝さえ砕きそうな口元からは荒い息が漏れる。
頭部から肩、両腕、胸元、腰、そして両足。
人の形をした水棲生物がじわじわと浜辺に上がってゆく。
「ウウウウ……ガアアア……」
荒い呼吸をしつつついに全身を現した生物は一歩、また一歩砂浜に足をつけていく。
全身を覆う硬い鱗、その継ぎ目から海水を砂浜にしたたらせながら。
巨大な口を大きく開けて、ぎらぎらした目を見開きながら。
もしその光景を知らぬものが見ればまさにかの映画の再現となるだろう。
そこから始まる「シナリオのない物語」がいかなるものになるのか。
生物は静かに砂浜を内地に向かいながら重い足取りで歩く。
ひたひたと、それでいて重く。
ある岩陰にたどり着いた所でその足取りを止めた生物はふとあたりを見回す。
惨劇の犠牲者となりそうな人影は幸い辺りにはいなさそうである。
一通り見回した所で生物は自身の硬い鱗に覆われた表皮に手をかける。
天然の防水・耐圧服と言えるほど硬く、がっちりとまとわれたそれに手をかけると一気に引き剥がした!
「グハアアア……」
なぜか生物に苦痛の色はない。
むしろ嬉々とするかのように生物はその硬い表皮を剝いでいく。
肩、腕、胸、腰、脚、そして……。
「ふあぁぁぁっ」
信じられないほど澄んだ声とともに生物は自分の頭、そして顔を剥いだ。
すべての表皮を剥いだむき出しの姿で潮風に吹かれ、月光にさらされる生物。
その姿はあまりにも生々しく異様―とはいえなかった。
なめらかで青々とした表皮は月光を映して輝き、その柔らかい身体のラインは潮風の中で静かに震える。
その形は色鮮やかな熱帯魚のように見え、しなやかに力強く海を駆けるイルカのように。
つい先程までいかついほどの表皮に覆われていた海洋生物はスマートな表皮を持つそれへと姿を変えた。
「はあ……はあ……」
穏やかな声とともに息を漏らす口元や顔立ちも勝手に比べればスッキリとしたものになっている。
いかつい甲殻のような鱗に覆われた異形の美から一転、呼吸とともに柔らかくよりしなやかに身体をしならせる異形の美を持った生物。
体格だけを見れば性別ははっきりとはわからないが、おそらく人間とはまた異なる性差があるという事だろうか。
しかし、そんな些細なことは気にならないくらい月下と潮風に包まれたその生物は美しかった。
「……」
つややかでしなやかな青い表皮を輝かせながら生物は全身で呼吸をしている。
表皮のすべてから潮風に満ちた空気を、照らし続ける月明かりを吸い込むように。
硬い表皮に押し込まれるように覆われていた反動と言わんばかりに。
感覚に酔いながら生物は砂浜を静かに歩く。
潮が満ちればその足跡も波にかき消されそうな微妙な位置で。
しなやかな、そして確かな動きで歩いてゆく。
まるでステージを歩くモデルのように。
花道を歩く役者のように。
「はあ……」
その顔はどこか浸っているようにも見える。
海と陸の間を微妙なバランスで歩く生物の足取りがふいに止まった。
軽く海の方に目を向ければ、ちょっとした水平線と月明かりに浮かぶ星空。
不思議な光景にも見える空間がそこにある。
生物はその青い表皮で、その瞳で空間の空気を吸い込み身体を震わせながら引き込まれるようにその空間に進みたい衝動に駆られる。
その中で生物は自分の身体を覆う青い表皮さえ邪魔に思えた。
表皮の中で夜と潮と月の空気に満たされ切った自分を解き放ち、眼の前にある空間に飛び込んでいきたい。
その本能のまま、生物は自分の首筋に手をかけるとそのまま青い表皮を引き剥がし始めた。
まるでラバー皮膜か弾力のある薄布のようにその表皮は生物の手に引っ張られるとそのままじわじわとその身体から引き離されていく。
「うっ、あぁ……」
じっくりと水をまとった表皮その内側が引き離される感覚に生物は軽く声を上げつつも自身の表皮を引き離していく。
その中から現れたのはやわらかくもしなやかな素肌。
程よい太さの首筋に程よく細めの肩幅が見える。
鎖骨があらわになる辺りまで肌が見えたところで生物はゆっくりと両腕の表皮を剥がしていく。
まるでイルカが海面から飛び出すようにその細腕が表皮から抜け出した。
そこからいよいよ胸元に手をかけてゆっくりと下ろしていく。
性別を感じさせなかった胸板が解き放たれた中から巨・爆とは行かないが形の良い一対の膨らみがあらわになった。
そこからじわじわと擦り下ろしていく中ですっきりした背筋や程よく引き締まった腰回りが見える。
軽く身をかがめてするりっと表皮を下ろせば形の良いお尻が現れ、そこからすらりとした両足が表皮から抜け出していく。
すべてを脱ぎ捨てた時そこにはまた新たな異形の美を持つ生物がいた。
首から下を見ればなめらかな素肌と整ったラインを持つ全裸の人間。
細身の線と一対の膨らみ。
そして―下腹部の下にひっそりと存在する「証」がその生物が女性である事を示している。
しかしその顔は深海魚かイルカを思わせるつややかな表皮に彩られた魚のような人の顔。
魚面人―そう言えそうな存在がいた。
「あ……」
よりあらわになった素肌を月光と潮風にさらしながら生物は両足で砂浜を踏みしめ、大きく身体を広げる。
裸の胸元をゆっくりとふるわせ、文字通り全身で呼吸をしながら。
より魚と人の間をくっきりさせながら生物は海を見つめる。
人として泳ぐのか、魚として戻るのか。
思いの渦にその身を投じ、身を委ねながら生物は歩いていく。
そこに……。
「お疲れさまといいたいけど、ここはヌーディストビーチじゃないのよ?続きはホテルの浴場でおやりなさい」
と声がかかる。
振り向けば一人の女性が立っている。
ショートカットに彩られた艶のある顔立ち。
オレンジ色のビジネススーツ越しから感じられる生物とはまた異なる「女の艶」を持つ雰囲気。
しかし容易に隙を見せなさそうな雰囲気はなぜか生物さえ動きを止めている。
「し、社長……」
その姿を見た生物はその魚の顔越しに気まずそうな表情を浮かべる。
「まったく、今回はちょっと昂ぶりすぎたようね。「モニター」を頼むのもちょっと考えたほうがいいかしら、トキナ?」
水棲生物としての「気まずそうな顔」で下腹部―彼女の「証」を隠しながらトキナは髪を整え直す間もなく、そのクールさと穏やかさの混じった顔立ちに気まずそうな恥じらいの表情を浮かべていた。
「早く車で着替えてきなさい。その後は迅速に後片付けよ!」
「は、はい!」
社長が投げたバスタオルを受け取って素肌に巻き付けるが先か、トキナは駆け足で社長が乗ってきたキャンピングカーに飛び込んだ。
そしてシンプルな衣装を着込んで飛び出したトキナは社長とともに自分が脱ぎ捨てた表皮―映画撮影用の着ぐるみスーツを大急ぎで回収していった。
まるで波間の砂山のようにそれらはあっさりとその場から消えた。
人と魚・幻想と現実の間で行われた麗しきパフォーマンスの余韻さえも……。
[newpage]
そんなひとときが過ぎたあとのとある入江。
その砂浜をトキナは歩いていた。
いわゆるサマーワンピースを身に着け、サマーサンダル越しに砂を踏みしめながら歩く。
彼女以外に人影はいないということはモデルとしての撮影―ではないようだ。
ならどうして彼女は……。
いつの間にかサマーサンダルを脱ぎ、素足のままでトキナは砂浜を歩き続ける。
月明かりのライトに照らされ、静かに吹く潮風に包まれながら。
歩いていくうちにトキナは静かにサマーワンピースの裾に手を伸ばし、静かに引き上げていく。
引き抜いたサマーワンピースを潮風に託したその下から現れたのは一糸まとわぬ姿で歩くトキナ。
ほんのり恥じらいと高まりの混じった顔で進んでいくのは入江の奥、小さな洞窟。
砂浜からのそれとはまた違う方向から吹き抜ける潮風に導かれて裸身のトキナは洞窟をくぐる。
「はあ……」
洞窟に囲まれた砂浜の向こうに満ちる海からの月明かりと吹き抜ける潮風に刺激された裸心のままにトキナは海へと歩く。
その心に恥じらいはなく、ただ高まりに満ちた心と身体を歩ませ一直線に、その海の奥にあるものを求めるようにトキナは海の中に飛び込んでいった。
小さな水柱とともに海面をくぐり、吹き上がる水泡をまといながら泳ぐトキナの裸身は大きく変わっていく。
泡の中でその顔が青くつややかに染まる。
素肌の質感からラバーマスクのような、タイツマスクのようなそれへ。
その髪は青に染まるように覆われながら頭の中に消えていき、耳もまた小さく消えていく。
その青はみるみるトキナの裸身を覆いながら変えていく。
首筋から鎖骨、肩から両腕の指先まで。
背筋を駆け抜け、海流の中で軽く揺れるその両胸をしっかりと包み引き締める。
なめらかな腹部から腰をくぐり交互に上下する両足をつなげる形の良いお尻、そして……彼女の「証」をそっと覆い、軽く引き締める。
あとはふくらはぎ、太ももから足の指先まで青く染まり覆われていく。
先程の岩場の浜辺の時と同じようにつややかな青い鱗―あるいは表皮に包まれた姿でトキナは泳ぐ。
人としての裸身から人と魚の重なりあった水棲生物としての裸身になって。
人としてのトキナが両足を動かして泳ぐ度に水棲の表皮が抵抗と水圧を受けて引き締まる。
その度に人としての素肌は程よい制約の中で震えながら伸縮する。
それをしっかりと受け止めながら水棲の表皮は全身で呼吸し、そこから注がれる活力を人としての素肌いっぱいに受け止めながらトキナは差し込む月光に導かれながら夜の海中を泳いでいた。
水棲の青く麗しい鱗を輝かせ、他の魚達と触れ合うように。
人の手足をたくみに動かして自在に海中を進みながら。
人であり魚、魚であり人。
海中と海流をかき分けて進みゆく美しき異形となってトキナは海中をゆく。
人としての鼓動を水棲としての呼吸で覆い引き締めながら。
そんな道行きの中、トキナはふと思い立ったかのように海面に向かって泳ぎだす。
人の形をした青き水棲が勢いよく浮上していく。
その勢いが表皮を程よく引き締めていく中、トキナの青い身体は勢いよく海面に浮かび上がった。
「ふうっ」
久しぶりに人としての呼吸をすると近くにあった小さな島を目指して泳いでいく。
「はあ……」
上陸するやいなやゆっくりと砂浜に腰を下ろす。
いつの間にかその手足の指の間には薄いヒレが張り、首筋には左右一対のエラヒレが呼吸に合わせて動いている。
「うう〜ん」
大きく伸びをしながらトキナは腰まで伸びた背びれごと背中を砂浜に預けて寝転んだ。
潮騒を聞きながら星空を見上げ、寄せては返す波に身を浸す。
水棲生物の鱗をその全身にぴっちりとまとった今のトキナにとってそれは至福の時だった。
このまま素肌と鱗が溶け合って本当の水棲生物に生まれ変われるかも……。
そんな妄想に浸っていたトキナの耳に大きな水音が響く。
「!?」
反射的に身体を起こしたその目に映ったのは―。
[newpage]
わからない。
何か大きな何かが海面で跳ねた。
それだけしかわからない。
しかし、トキナにはそれで十分だった。
反射的に起き上がるとその青い鱗に張り付いた砂を落とす間もなく一気に海に戻っていく。
両足を前後に動かしながらトキナは海中を進む。
あの「何か」にむけて。
ひたすらに、ただひたすらに進む。
その全身を覆い包む青い鱗を輝かせて、
しかし、届かない。追いつけない。
トキナがどんなに勢いよく足を動かしても、その青い鱗を震わせても。
視界がとらえている「何か」に近づく事ができない。
トキナの中である思いが湧いてくる。
(もっと、もっと早く泳ぎたい!)
追いつきたい、追い越したい、捕まえたい。
いや、それ以上に……。
(一緒に、海をゆきたい)
そんな思いがトキナの鱗、その中の素肌の中で湧き上がりながらぴっちりと引き締められていく。
そして、その思いが頂点に達した時。
爆ぜた。
トキナの全身から泡が爆ぜた。
それと同時にトキナを象っていた青い鱗が爆ぜていく。
青い鱗に覆われた人と魚の間の顔を破って長い髪をなびかせた人の顔が飛び込んでくる。
泡の中で爆ぜていく鱗の中から首筋が、肩が、腕が、ヒレの生えた両手が。
背びれの生えた背筋が、鎖骨からその形の良い一対の胸のふくらみが。
みるみる人の姿と素肌を海中にさらしていく。
その流れは腰のあたりまで進み、いよいよ一糸まとわぬ人の素肌が完全にあらわになる―かに見えた。
だが、違った。
腰から下、下腹部から両足の鱗が爆ぜたとき中から現れたのは人の素足ではなく大きく海中でなびく魚の尾ヒレ。
左右に伸びて交互に上下していた両足は新たな鱗の中で一つに合わさり、大きく上下しながらより強くトキナの身体を進ませる。
今のトキナを形作る人型の水棲生物としての鱗が一気に下半身に集約したことで上半身は裸の人間、下半身は魚となった姿。
人魚―俗にそう言われる姿となったトキナが海中をゆく。
海流になびく髪も人としての素肌も枷になることはなく、むしろ水棲生物の姿であった時以上に勢いよく進んでいる。
ともに夜の海をゆく他の魚たちも少し増えたようにも感じられるし、水棲生物の姿よりも自由自在に海中を進んでいるように感じる。
器用にその尾ヒレ、そしてその中で引き締められた両足を巧みに上下させながらトキナは「何か」の後を追う。
少しづつ見えてくるその姿は魚―のように見えた。
イルカ―にも見える。
更に近づいて見ると水棲生物の鱗に包まれていた時のトキナ―にも見える。
ただその姿はトキナとは違いオレンジ色の鱗に包まれている。
見たところ女性の体形をしているようだがそれ以上はわからない。
それを確かめるためにもトキナは両足に力を込める。
その度に青い鱗は下半身を引き締めその動きを振り絞らせ、その感覚がトキナにさらに進む力を与える。
オレンジ色の鱗を輝かせる水棲生物と青い鱗に覆われた尾ヒレをはためかせる人魚は追いつ追われつに海をゆく。
トキナはより全身で海を、海の流れに包まれ引き締められるのを感じつつ突き進んでいった。
そんな果てしない道行きの果てにトキナの目が水棲生物の浮上をとらえる。
トキナは身体を起こし、両足で勢いよく海中を蹴ると後を追うように生物を追う。
どんどん、どんどんと海面に上がっていく。
どんどん、どんどんとオレンジ色の鱗に近づいていく。
そして、遂にその手が届く―と思った瞬間。
トキナは星空いっぱいにその身体を反らせながら海面から飛び出した。
水柱とともに飛び散る海の雫をまといながら長い髪がふんわりと宙に舞い、その形のいい胸の膨らみが思い切り揺れる。
青い背びれが大きくなびき、丸々と輝く月と重なるように麗しい青い鱗をまとった人魚が夜空に舞い青きリングとなって輝く。
そして、再び海の中に飛び込んでいったところで……。
[newpage]
目が覚めた。
「……」
やや寝ぼけ眼で手をかざす。
鱗もヒレもないみずみずしい手。
両足もしっかりとそれぞれに伸びているのを感じる。
何より今自分がいるのは海中でも入江でもなく泊まっているホテルの一室のベットの上と言うことがトキナの意識に再確認されていく。
トキナはベッドの中で手足を伸ばしてしばし余韻に浸る。
「いつもの調子で」低予算映画、しかもまさかの水棲生物のスーツアクターをやることになるとは思わなかった。
いかつい外殻を模したスーツを着ての演技は苦労もあったが思ったより素材も軽く、顔も見えないことでトキナもちょっと羽目を外して演技に打ち込めたと思ったりしている。
何より今回の目玉―あくまでも「モニター」として―のインナースーツ兼タイプスーツの着心地も悪くはなかった。
いつものように素肌越しに顔までぴっちり着込み、その上からいかつい外殻をまとっていく過程と外殻ごしに海中を泳ぐ感覚はいつものように彼女の心を刺激した。
そしてオールアップした今夜、感極まっていつものように一人岩場で外殻を脱ぎ、さらにはスーツを脱いで素肌をさらし、余韻のままに潮風をくぐりながらひと泳ぎしたいと思ったのもいつものとおりであった。
もっとも今回はいつもと要領が違ったせいで社長に軽いお叱りは受けたのだが。
それでもあんな夢を見てしまう程に今回の「モニター」もまたちょっときわどくもどこか満たされるものだった、とトキナは感じていた。
人心地ついたところでトキナはナイトウェアをまとった身体を起こすとゆったりとベッドをあとにする。
しばしのシャワー音のあと、バスタオルを巻いただけの姿で部屋に戻ったトキナの目が窓越しに海の向こうから昇る朝陽をとらえる。
「はあ……」
それに合わせるようにほどけ落ちたバスタオルを拾うことも恥じらいに任せて身体を隠すこともなく、ただ生まれたままの自分を昇りゆく日の出と向き合わせる。
朝陽が鱗もヒレもない、しかしみずみずしく麗しい素肌が彩る裸身を輝きとともにぴっちりと覆い包み、裸の心を解き放っていく感覚にトキナはしばし浸っていた。
[newpage]
「トキナ、にぎわってるね」
舞台袖から大勢のギャラリーをのぞきながら友人が声をかける。
「お客さんたちあってのイベントだけどその分しっかりがんばらなくちゃ。でもどうせならちゃんと見てくれる人たちが来てくれると嬉しいけど」
トキナはしっかりとした顔でそう返す。
ちゃんと心してステージを見てくれる人たちがいるからこそ自分たちもしっかりとステージに立てるのだから。
ここはとあるイベント会場。
そこで行われる夏秋着回しコーデのファッションショーに彼女達は参加している。
トキナや友人はもちろん少なくはないモデルが様々ないでたちのコーデを着込み、去りゆく夏と来たる秋の挾間の装いを彩っていた。
ゆったりと、それでいてしっかりとしたデザインの衣装をトキナも満足しながらまとっている中、友人がさらに声をかける。
「ね、仕事が終わったら例の映画見に行く?あのレトロっぽいホラー映画」
「え?ええ、あの映画ね」
自分が「出演」していた映画の話を振られてトキナは一瞬びくっとした顔をする。
「でもあの映画、主演の子が突然いなくなったっていうけどよく公開できたよ」
うんうんとうなずく友人。
トキナもあの夜からしばし後、そんな話を聞いていた。
一応気まぐれに出ていったというか海外に行ったとか言われているが詳細は定かではない。
なにげに「本当に水棲生物にさらわれた」という噂も出ているのは映画の「水棲生物」には苦笑いもの……とは言いにくい。
とはいえ今のトキナが考えてもどうしようもない話ではある。
だからこそ―。
「さ、お仕事お仕事」
「お仕事お仕事」
どちらからともなく声を掛け合いながらゆったりとした着回しコーデの裾を翻してギャラリーの波ひしめく「浜辺」へと飛び込んでいった。
了