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白蛇の早苗 第2話【白蛇様】

  

  

  "わたし"が、ここに生まれてからずっと、かれらはわたしのコドモで、エサで、そしてトモダチだった。

  

  かれらは、"わたし"を色々な名前でよんだ。ははおや、ちちおや、ばけもの、かみさま。

  かれらはいつでもばらばらで、ケンカばかりして、あやうくて。

  いくつかの"わたし"をしたがえた、イヤなかみさまのうしろにかくれながら、

  ときおり、話しかけてきたり、わがままをいってきたり、おびえてみたり。

  むぼうにも、わたしたちを殺そうとしてくるのもいた。

  結婚しよう。そう言ってくるものたちもいた。――――ちょっぴりうれしかった。そいつは、けっきょくたべちゃったけど。

  それでも、どんなにわたしたちにひどい目に遭わされても、かれらはおびえながら、わたしにはなしかけてきたっけ。

  かれらはどうしようもなく愚かで、かわいくて。

  だから、まちがっても、わたしたちと同じではない。そうおもってた。

  

  

  いちばんあとに、ひさしぶりにうまれた、"わたし"。

  うまれたとき、かれらはずいぶんとおおきくなっていて。

  話しかけてくるものたちも、だいぶ減っていた。

  あのイヤなやつもだいぶおとなしくなってた。

  昔みたいにかれらとじゃれあうことは、もうないのかな。そうおもって、すこし寂しい気分だった。

  はなしかけてもムシするやつもいるし。そういうやつは何人か食べちゃった。

  たいぶ、すさんでたな。わたし。

  

  だから。

  かもしれない。

  

  ひさしぶりに、嗅ぐ、なつかしい匂いをしてた、あの子。

  結婚しよう。そう言ってきていたころの、かれらみたいな。

  ちょっぴりあのイヤなヤツのにおいもしたけど、それもふくめて、すごくなつかしくて。

  そして、彼女はやさしかった。

  食べたくなった。かじりたくなった。お中に入れたくなった。

  でもそれ以上に、かわいくて。おろかでおさない、むかしのかれらのように。

  でも、せのびして、はなをふくらましている、いまのかれらのようでもあり。

  その決心は久しぶりのことだった。

  ほかの"わたし"たちは、鼻で笑った。

  あのこは、ほかの"わたし"たちのあいだでも、ひょうばんだった。みんな知っていた。

  それでも、"わたし"たちには、あの子にその気があるものか。っていわれた。“昔”みたいなことになるぞと、警告するのもいた。

  いいじゃない。たぶん、"わたし"にとっては、さいしょで、さいごなんだから。

  いちばんあとにうまれた、"わたし"。

  昔に比べたらチカラも弱い、いちどにひとケタぐらいしか、あのこたちをのみこめない、そんな、ひ弱な"わたし"の、気の迷い。

  その気の迷いから生まれたのは、百年に一度の、気まぐれな一言。

  

  ――――およめさんに、きませんか。って。

  [newpage]

  第2話 白蛇様

  

  「ぜぇっ、ぜえっ」

  笹薮の中で、早苗は地面に手をついて息を整えていた。どこをどう飛んだものやら。気がつけば、早苗は妖怪の山の麓まで降りて来てしまっていた。

  尻尾にひっかけていたはずの小傘もいつの間にか居なくなっている。どこかで振り落としてしまったのだろう。多少、済まない気持ちもしたが、早苗は丁度良く撒くことができたぐらいにしか考えていなかった。

  「ど、どこだろ、ここ」

  辺りは明るい里山だ。遠くから青臭い稲の匂いが風に乗って漂ってくる。近くには集落があるらしい。木は妖怪の山程密集して生えてはいないが、姿を隠すには丁度いい。周囲には獣道は見当たらず、人間の集落には多少近いようだが、この辺りは人間の匂いもしない。隠れるには最高の環境だ。

  ――――ここで、とりあえず落ち着くまでゆっくりしよう。まず、これからどうするか、ゆっくり考えよう。そうひとりごち、早苗はぺたんと、笹薮に座り込んだ。正確には、とぐろを巻いて横たわった形だが。

  「‥‥どうなっちゃうんだろうなぁ、私」

  空を見上げてつぶやく。雲がゆっくりと流れていく。ありえないことばかり起こりすぎていて混乱している頭に、その光景は一服の清涼剤であり。

  「‥‥」

  何も考えず、いや、何も考えられず、早苗は口を開けたまま、ぼんやりと空を見上げていた。

  

  早苗は失念していた。人里に近いということは、そこを餌場とする妖怪もまた近くに居るということを。

  

  

  

  [newpage]

  

  

  

  

  妖怪の山の守矢神社から少し下った辺り、いわゆる高原と呼ばれる地形に、天狗の里はある。

  巨木が立ち並ぶ森の中には烏天狗の集落が、その周辺、普通の高さの森の中に蕎麦や野菜の畑がちょこちょこと広がり、やはりちょこちょこ、バラバラと白狼天狗の家が散らばる。

  白狼天狗達の集落の中でもさらに端。九天の滝に近い崖の側。そこにとある白狼天狗は住んでいた。

  小さな庵に、すこしばかりの畑。小さな井戸。

  庭に植わっているのは形の良い、モミジの木。

  そう。白狼天狗、犬走椛の住居である。

  この静かで落ち着いた庵から、悲鳴と怒号と騒音が響いたのは、早苗が神社を飛び出して行った数時間後の、よく晴れた、遅い朝であった。

  「ねえ、おねがい!」

  「‥‥」

  目の前で手を合わせ、必死にたのみこむ人物に、椛は無言で侮蔑の目を向けていた。

  「ね、べつにさ、危害を加えたり、悪いことを頼んでいるわけじゃないんだから」

  「‥‥」

  「タダの人探しだよ。私の家の早苗ちゃんが、家出しちゃったんだ。どこかケガをしてるみたいだし、このままじゃ心配なんだよ。ね、その自慢の目でさ、探してくれないかな。テレグノシス」

  「‥‥」

  「あ、お礼ならもちろんするよ?これ、これこれ。外にいたときに買った、お酒。純米大吟醸だ。暗い雪室でしっかり保存してあるからね。熟成古酒になってる。うまいんだよう?とろとろでさ」

  「‥‥」

  「ねえ、何とか言っておくれよ。頼む。もう、お前しか頼る相手が居ないんだ。目も鼻も利いて、頭も切れるもみちゃんなら、きっと早苗を見つけてくれるとおもったんだ。頼む、このとおり!」

  大仰に膝をついて頭を下げる諏訪子。

  しかし椛はさらに機嫌を損ねたようで、ギリ、と牙を向くと、静かに吐き出すように言った。

  「諏訪子様。それは精一杯の誠意ですか」

  「そうだよ!もう、これでダメなら、わたしは、わたしは‥‥」

  「ならこれは一体どういう事です!」

  「へ?」

  訳がわからない、といった表情をした諏訪子に、椛の理性が一瞬飛びそうになる。

  「ぬあっ‥‥こ、この、いい加減にしてくださいよ!?この期に及んで、まだとぼける気ですか!」

  「あーうー‥‥」

  「人を"後ろから"抑えつけておいて、‥‥こんな慇懃無礼なものの頼み方は初めて見ましたよ!今すぐわたしと、"二人"を開放しなさい!」

  「‥‥慇懃無礼なのはわかってんダヨ、狗賓」

  「――――!!」

  諏訪子の空気が一瞬で変わった。

  笑顔が彼女から消える。

  「いい?もみちゃん。アナタの選択肢は二つだけ。わたしの言うことを素直に聞くか。そこの二人のように、わたしの「家族」になって、言うことを聞くか。どっちかなんだからね?」

  「ぐうっ‥‥!」

  「分かっているのかな‥‥?」

  表情のない顔でじとりと見つめてくる諏訪子を、忌々しげに椛は睨むと、背後に首を回す。

  そこには、目から光を失い、しかし不気味に薄ら笑いを浮かべ椛の両腕を後ろに捻り上げて拘束している、文とはたてが居た。

  話は早苗が神社を飛び出していった辺りまで遡る。

  早苗がいなくなった後、諏訪子と神奈子はまずはたてと文の入った卵を片付けた。少々難儀をしたが、とりあえず庭の端に並べておこうということにしたのだ。すぐに割って助けてもいいが、そうしたらまた二人は早苗を追いかけ回すだろう。事態が落ち着くまで、放っておこう。神奈子はそう提案した。

  諏訪子は素直にその話に乗るふりをして、神奈子が拝殿に向かうと、躊躇なく一つの卵をたたき割った。

  「う‥‥」

  出てきたのははたてだった。その体は全体がブルブルとした透明な白身にまみれ、髪はバラバラと顔に張り付いており凄惨で、お世辞にも色気のある光景ではなかったことを一応述べておこう。

  「起きなさい」

  「う‥‥あ‥‥」

  ゾル状の液体に包まれ、再度の誕生を果たしたはたての頭を諏訪子は膝の上に乗せ、傍らに置いた洗面器に熱いお湯を張り、手ぬぐいをそこに浸しては丁寧に顔を拭っていく。そして優しく語りかけた。

  「起きなさい、はたて。目を開いて、よく見るのです。『アナタの母親』の顔を」

  「あ‥‥」

  眼を開いたはたては、見た。諏訪子の優しい微笑を。「この世で初めて見た自らの親の顔」を。

  「おかぁ‥‥さま‥‥?」

  諏訪子の口が三日月の形につり上がった。想定どおりだ。

  今の早苗の、いわゆる"超"「神代大蛇」の面白機能は徹底しているようだ。相手を飲み込み、卵に封じ、どうやら「刷り込み」まで行えるようなのだ。

  演技かもしれぬ、と諏訪子はさらに追い打ちで魅了の力を眼に込め、はたてに流し込む。しかし、諏訪子の神力はたいした抵抗もなく、はたてに飲み込まれていった。どうやら、本当に刷り込みがなされているようだ。

  「ふふ、ふふふふ。早苗ー。本当にあなた、面白いことをしてくれるじゃない。ふふふ、あはははは」

  「おかあさま?」

  「ああ、ごめんごめん。はたてを怖がらせるつもりはないんだよ。おお、よしよし。いい子だ」

  「あー‥‥」

  怯えた眼で、含み笑いをする諏訪子を見上げていたはたてだったが、諏訪子に抱き寄せられると、幸せそうに眼を閉じ、ぎゅう、としがみついてきた。もう完全に諏訪子の子供。いや、諏訪子的には下僕である。

  「ふふふ、ふふふふふ。早苗ちゃん。‥‥いや、綺麗な強いミシャグジよ。覚悟してなさい。オマエを従えるのはこのわたしなんだからね」

  改めての所有宣言。

  自らに従属しない、反抗的な若いミシャグジ。生きが良く、油断していたとはいえ一時諏訪子を立ち上がれない状態にまで追い込んだ。しかも自分譲りの神の力まで持っているときた。数千年の長きにわたり、ミシャグジをあの手この手で従属させ、まとめ上げ、祟り神をやってきた諏訪子が、ここまでされて燃えないわけがないのだ。

  「さあ、つぎはあのこの番だ。すまないな、はたて、「生まれた」ところ直ぐで申し訳ないが、手を貸してくれるかい?お前のかわいい「妹」の誕生だ。さあ、こちらへおいで」

  「はい、おかあさん‥‥」

  ふらふらと、はたては乾き始めた卵白もそのままに、諏訪子に付き従って射命丸の卵に向かって歩き始めた。二回目の「産声」が上がったのは、すぐのことだった。

  射命丸も、さしたる抵抗もなく諏訪子を「親」と認識した。はたてのこともちゃんと「姉」と認識したようだ。

  「‥‥あはは、あははははは、はははははは!」

  二人の天狗を侍らせた諏訪子の、不敵な高笑いが神社に響き渡る。もう完全に悪乗りの局地に達している彼女を、誰か止めてやれよと思うものはここには誰もいない。国津神はというと、早苗を探すとか言って昼前に出かけて行ったままだった。

  高笑いはしばらく続いたが、いい加減喉が乾いてむせるようになってきた頃、諏訪子はようやく次の行動に移った。

  まずは、早苗の足取りを突き止めること。優秀な手下を2人も手に入れた諏訪子だったが、まずは大まかな足取りの確認を行えば、範囲を狭められてより効率よく探せる。

  脳裏に思い浮かべたのは、この二人と、早苗とよくつるんでいるあの白狼だ。

  「次は、あの子に頼もうか。さ、ふたりとも、まずはオフロに入っておいで。そのままじゃ、変な目で見られるから。服はわたしが洗って乾かしておくよ。心配しないで体洗っといで。ほら、風呂場はその廊下の奥だ。暖簾がかかっているからね、すぐに分かるよ」

  「はい、おかあさん。ほら、文ちゃん、いこう」

  「うん、お姉ちゃん」

  普段の二人を知る者が聞いたら仰天して固まってしまうような台詞を吐きながら、天狗二人は風呂場にむかって歩いていく。うまく手下を二人も手に入れることができた。手に付いた卵白を払いながら、諏訪子はニタリと、不気味な笑みを浮かべていた。

  そして、哀れ手下となった鴉天狗二人を従えた諏訪子は、椛の住処を二人から聞き出すと、一直線にそこに向かった。彼女達の記憶はほぼ残っていた。刷り込みによって上書きされたのは諏訪子との人間関係周辺だったので、そこに関係の無い部分は改変されずに済んでいた。なんて都合の良い記憶改ざんであろうか。洗脳といったほうが良いかもしれない。

  そうして椛の住処にたどり着いた諏訪子は、すぴょすぴょと眠りこけていた椛に容赦なく二人を襲いかからせたのである。結果は御覧の通り。近接戦闘にかけては、二人に引けを取らない位の実力を持つ椛だったが、寝込みを襲われては一巻の終わりである。為す術も無く寝間着姿のまま二人に取り押さえられてしまったのだった。

  「くそっ、放せ、放しなさい!」

  「いやですよぉ。おかあさんの言いつけですからぁ」

  「はたてお姉ちゃんの言うとおりです」

  「うえっ‥‥!」

  椛は改めて天狗を見上げる。特に「妹」、射命丸を。いつも自分をいじり、戯言をふっかけて楽しんでいるあの勝気な烏天狗が、甘ったるい声で「諏訪子さまぁ」?「おねえさまぁ」?吐き気がするほどの違和感に、演技であって欲しいと椛は思ったのだが、その手に込められた力と、光を失った目は今の彼女が正気を失っていることを容赦なく伝えてくる。はたても、――そして諏訪子も同様だ。

  あの子供みたいな無邪気な神様が、このようなことをするなど椛には想像がつかなかった。悪夢なら覚めろ。強く思うが、腕の痛みがそれを否定する。

  「こんな、非道なことをして!あなた、神様でしょう!いいとおもってるんですか!」

  「もみちゃん、アナタ少し勘違いをしてない?神様がいつでも仁義に厚く、正道を踏むものだと思ってるの?あたしみたいな存在はね、自分勝手が信条だ。神奈子みたいな国津は別かもしれないけどね。逆らったり機嫌を損なえば祟るだけさ」

  そういってニヤリと笑う諏訪子に、椛は寒気を覚えた。

  「さあ、椛。おとなしくわたしの言うことを聞くか、従順な下僕になるか、えらびなさい。そんなひどいことを頼もうとしているわけじゃないんだから」

  「‥‥!」

  椛がうしろの二人を再度見つめる。従順な下僕と化した彼女らを。

  二人がこうなっているのは早苗の"超"神代大蛇のおかげなのだが、諏訪子はあえてそれを言わず、脅しに使った。

  「頑固だネ。‥‥ねえ、椛。話を変えようか。早苗の蛇姿、カッコよかったと思わない?」

  「え、それは‥‥」

  一瞬だけ反応した椛に、諏訪子がニヤリと笑う。

  「バカわんこ」

  「っなにっ!‥‥あああっ!?」

  「あっさりボロをだしたね。あなた、実は今朝ウチで何があったか、全部見てたんでしょ?」

  「――しりません」

  「おかしいとは思ったんだ。どうしてあんなにタイミングよくこの二人が神社に来たかって。普段ならさ、建前でも清く正しくを公言しているヤツラだ。こんにちわー!って、あいさつくらいはするのが普通だったんだけどね」

  「‥‥」

  「今日に限って、盗撮をしてきたのさ。しかもしかも、一番良く見える庭に隠れて。こりゃー、何か有ったのか知ってると考えたほうがしっくり来るよね」

  「‥‥」

  「さて、そこで先ほどの貴方の反応ですが。わたしになっとくのいく説明をしてくれませんかね」

  「うう‥‥」

  「ねえ、うち、覗いたでしょ。んでこの二人に教えたでしょ。何が起こってたか」

  「あれは、二人が勝手に‥‥‥!ちょっと、話しただけです‥‥私は‥‥」

  ――「何見てんの?ねー!教えてってば!え!?早苗ちゃんが!?文、文ーっ。聞いて聞いて!」

  椛の脳裏に今朝の光景がよみがえる。椛は何気なく覗いた守矢神社のドタバタをついうっかり、はたてに零したのだ。「なんかさなえさんが蛇のカッコしてる」と。気がついたときには、二人の烏天狗は風だけを残して神社に飛んでいってしまった。

  変装か何か、宴会の出し物の練習かなぁ、そんな話は聞いてないけどなぁ、と椛は軽く考えて、そのまま寝床に入ったのだった。それがいつの間にかこの状況だ。「早苗が蛇神になってね」と、乱闘の後の一言目に諏訪子から言われたとき、椛はその気配を感じられなかった自分を恥じた。感じられていれば状況が変わったとも思えないのだが、椛は不器用に真面目だった。

  ついに観念した椛に満足そうに頷くと、諏訪子は台詞を続けた。

  「そうかそうか。勝手にか。でも二人に教えちゃったのは椛ちゃんだ。さて、その結果、二人はこうなってしまったよ?」

  「知りません!二人の取材態度が悪かったんでしょ!」

  「物事の原因は、なぜを突き詰めればどこまでも遡れる。生物が誕生したところまでね。重要なのは結果に至る決定的な分岐点での出来事だ。そういう話をしたとき、アナタの行動はどういう行動だったかな」

  「う、ぐ‥‥!」

  「分岐点だねぇ。あなたが「こっそり」うちを覗かなきゃあ、こんな事にはならなかっただろうね」

  「ううう、ううっ!」

  正味、こじつけである。椛が教えたとしても、彼女らがいつも通り「清く正しい」取材をしていれば、結果はまた違ったかもしれないのだ。が、椛は不器用に真面目だった。「自分のせいかもしれない」という意識が彼女の言葉をつまらせ、諏訪子に付け入る隙を与えてしまった。結果、追い詰められてしまった。

  自分が悪いとの罪の意識を次々と諏訪子に植え付けられ、椛は泣きそうになっていた。

  「さ、わかったら、機嫌を直して頼まれてくれないかな。今早苗が居るところを大体つかんでくれればいいんだよ。匂いでも、姿でも。終わったら、放免してあげるからさ」

  「‥‥っわ、わかりました、わかりましたよ!これだけですよ!この一回だけですからね!」

  ついに椛は折れた。‥‥随分時間がかかったが、大体、諏訪子に言われたのは「早苗を探して」である。特に拒む理由もないような単純なお願いだ。素直に探していればここまで苛められることもなかったのだが、椛が諏訪子に逆らい続けたのは寝込みを襲われ、理不尽に拘束されて腹を立ててしまい、後に引けなくなっていたためなのだ。彼女のプライドの高さが不幸を呼んだのだ。彼女にとっての。もうひとつの不幸は、諏訪子がSだったということか。

  がっくりうなだれる椛を、諏訪子は無邪気な満面の笑みで見つめた。

  「これだから、悪役ってやめられないんだよね」

  「この外道!ひとでなし!」

  「おほほ」

  椛の涙声が、朝の崖の上に響いた。諏訪子の高笑いと一緒に。

  

  [newpage]

  

  諏訪子が悪の女幹部と化していた頃、早苗はちょっとしたピンチを迎えていた。

  「あ、あああああ、あああ‥‥」

  「こ、怖がらなくていいです!大丈夫!」

  早苗が隠れていた笹薮であったが、来客があった。

  近くの集落に住んでいると思われる、子供である。

  笹を敷き詰めて仮の寝床を拵えた早苗だったが、笹薮の意外な心地良さに、今朝からのドタバタの疲れも加わり、うっかり眠ってしまったのだ。

  早苗を眠りから引き戻したのは絹を引き裂くような幼い悲鳴だった。驚いて身を起こした早苗の眼に映ったのは、夕焼け空と尻餅をついて、かわいそうなくらいに大きく目を見開いて腰を抜かしている子供の姿だった。

  年の頃は十くらいだろうか。おかっぱ頭の女の子である。かごを背負い、手には鎌を持っていた。笹や何か、山菜を取りに来たのだろう。

  集落から随分離れたところまで取りに来た女の子に、危ないじゃないの、妖怪に襲われたらどうするのと説教をしようとした早苗だったが、早苗の姿を見た女の子は、それはそれは驚いてしまい、声も出せないほど怯えてしまったのだ。

  無理もない。なんの気なしにのぞいた藪の中に自分の体も何倍もあるような蛇が居たら大人でも腰を抜かす。ましてや、半分人間の体がくっついた、「化物」である。失神しなかっただけマシだ。‥‥いや、そのほうが楽だったかもしれないが。この子をほっといて逃げるとならば。

  「お、おちついて、おちついて、ね、あなたを別に食べようとなんかしないから。お姉ちゃん、ちょっとここで寝ちゃってただけなんだから。ね、大丈夫だから。ね?」

  「ひ、ひぃ・・‥」

  何度も何度もなだめたのだが、女の子はなかなか緊張を解いてくれなかった。さっさと逃げて、姿を消せばいいのかもしれない。でも早苗にはこの場を離れられない理由があった。

  先程から、妖気を感じるのだ。しかも無数に。どうやら、この近くに住む妖怪が集まってきたらしい。妖気のレベルとしては、雑魚である。しかし数が異様に多い。正直この子一人に引き寄せられたとは思えない。

  間違いなく、彼らの標的は早苗だった。縄張りに突如として現れたミシャグジ。時に神、時に妖怪と、両者の間に立つその特異な存在は、彼らに危機感を持たせるには十分な畏れを、彼らに向かって蒔いていたのだ。

  自分の不用意さに早苗は心のなかで舌打ちをする。

  今の自分ならば簡単に蹴散らせるだろう。そんな気がする。しかし、この子をその乱戦の中で無事に守りきれるかというと微妙である。この子が怯えたままならばなおさらだ。どうにかして自分は無害な存在であると分かってもらわないといけないのだ。

  あれこれ考えたり、他の手をためそうとしていた早苗だったが、無情にもタイムリミットが来てしまった。

  森に、恐ろしい遠吠えが響き渡ったのだ。彼らの襲撃の合図だろう。

  女の子が一層、恐怖に顔をひきつらせて辺りに視線を巡らせる。

  

  早苗は覚悟を決めた。

  

  「童(わっぱ)!よく聞きな!」

  突如として声色の変わった早苗に、女の子はビクリと振り返った。

  ――なるべく、恐ろしげに、でも威厳を持って。

  なだめすかしてダメならば、畏怖で持って従わせるしか無い。

  早苗の脳裏に浮かんでいるのは、カミサマモードの、威厳に満ちている時の神奈子だ。

  ――――八坂様、お願いです。私に勇気をください。

  「何度言ってもわからぬようだが、わらわにはお主を食べる気などさらさら無い!お主のような小童一人、腹に入れたところで膨れるものも膨らまぬわ!‥‥しかしな、お前の周りには、お前で十分な妖怪どもが近づいてきておるのだぞ?気づかなんだか!?このまま三下共の夕飯になりたくなかったら、素直にわらわの云うことを聞け!よいか?返事は!」

  「‥‥あ、ひ」

  「返事は!聞いておるのか!」

  「‥‥は、はいっ!」

  よりにもよって、「わらわ」なんて‥‥。「キャラ作ってるでしょ?」と小傘に言ったあの日のことを思い出し、早苗はフッ、と口元をゆるめた。

  「人の事言えませんよね‥‥こんな三文芝居まで打っちゃって」と心のなかで自分を笑い、小傘にごめん、と言うと、早苗は女の子に優しく微笑みかけた。

  「よし。‥‥よいか、その鎌は持っておれ。籠は捨てろ。合図をしたら、ここから飛び出すぞ。こっちへ来て、わらわにしがみつけ。‥‥そうじゃ。絶対にわらわを離すでないぞ。よいな?」

  「はいっ!」

  女の子は言われたとおりに、早苗に近づくと手を伸ばして早苗にしがみつく。女の子がしがみついたのを確認すると、早苗は左手を回してしっかりと抱き抱えた。

  細かい震えが女の子から伝わってくる。その震えを押さえるように、早苗は女の子を抱く左手にもう少し、力を込めた。――――大丈夫、怖くないからね。

  右手の大幣を強く握り締める。絶対に守ってあげる。絶対にお父さんお母さんのもとへ帰してあげる。

  私は蛇神だ。ミシャグジを降ろした、東風谷の風祝だ!負ける気など、毛頭ない!

  抱いた女の子の顔が、すぐ横にある。頬には一筋涙の流れたあと。しかし、恐怖の表情はしているとはいえ、女の子の視線はしっかりと定まり、口も悲鳴をあげぬよう、きつく結ばれていた。

  ―――――すごいなぁ、あなたは強い子だね。私は、ちょっと緊張してるよ。こんな大袈裟なセリフを吐かないと、落ち着かないくらいにね。

  早苗は小さく微笑むと、辺りを警戒したまま、女の子に顔を向けずに優しく話しかけた。

  「いい子じゃ。‥‥童、名はなんという」

  「さ、幸と言います‥‥」

  「サチ、か。良い名じゃ」

  「あ、あの」

  「ん?」

  「蛇様、お名前は‥‥?どこかで、見たことある気がします」

  早苗はふっ、と笑うと、言った。

  「白蛇(ミシャグジ)の早苗じゃ。普段は人間に化けておるがの。‥‥これでも神様なのだぞ?あまり怖がってくれるなよ」

  「え、あ、あの早苗様ですか‥‥守矢神社の?」

  「同じような別人と思え。アレは仮の姿じゃ」

  彼女は普段の早苗を知っている様だったが、演技続行。今は威厳をもったカミサマとして振る舞うのだ。元に戻ったときのことを考えると適当な返答ではなかったが、今の早苗にはそんな事に構う余裕は無くなっていた。

  ――――オオオオオオッ

  「ひっ」

  森にもう一度、恐ろしい遠吠えが響く。サチの体が、小さく跳ねた。今は、この子を守るのが先決なのだ!

  「さあ、行くぞサチ。しっかり掴まっておれよ!」

  笑顔で言う早苗の口からは、牙が覗いていた。鋭い、蛇の牙が。恐ろしい形をしたそれは、しかしサチにはとても頼もしいものに見えたようである。

  「は、はいっ!白蛇様!」

  「よし!良い返事だ!」

  力のこもった返事を聞くと、早苗は白い体をくねらせて一気に森の上まで飛び上がる。

  夕暮れの紫の空を背景に金色の光を照り返しながら、一匹の純白の蛇神が空を泳いでいく。

  

  三度目の遠吠えが響き、森が一斉にざわめいた。

  

  

  

  戦いの始まりだった。

  

  

  

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