わたしが「それ」を初めて見たのはたまたま通りかかった町外れの一角でした。
その姿にわたしは今まで見た事のない、知る由もないものを感じたのです―。
夕刻前の一時。
町は多くの人達で行き交っています。
わたしも学業を終え、一人家路を歩いておりました。
そんな中―「それ」はいました。
今日もまた、町角の片隅で。
往来の中「それ」は少なからずの人の足を止め、目を引きつけておりました。
その衣装は華やかと言うより派手すぎる色合いのおおよそ元の体付きよりは大きそうな上下一対。
頭には同じ様な色合いの少しくたびれた様な三角帽。
てっぺんにある白いボンボンが少し愛らしさを感じさせます。
そして何よりわたしの目を引いたのはその顔。
一面真っ白に塗られた下地に目元、口元を大きく広げた様な。
しいて言えばそうー笑っているような顔立ち。
でも、その顔は心から笑っている様には見えません。
なぜならその顔は固くこわばり動きと言えるものを見せません。
まるでお面の様な―いえ、お面そのものです。
笑顔をかたどったお化粧をしたお面をかぶり大きめの衣装を身に着けたそれ―。
道化師。
大道芸を見せる道化師が今こうして往来で一人奇妙な動きで歩いています。
まるで油の切れたぜんまい仕掛けの人形の様にぎこちなく、それでいてときどき愉快に動きながら不意にこちらに顔を向けてきます。
その姿はとても異様で奇妙。
しかし、今その道化師と向き合う様に立っているわたしは道化師の動き、そしてその顔から目を離す事ができません。
恐ろしさ故か、それとも……。
そんなわたしの心をを知ってか知らずか。その道化師は奇妙な動きを止めるとどこからか小道具を取り出しました。
数個の小さなボールやお皿、お祭りの縁日で見た様な小さな輪投げ用の輪。
それらを巧みに、時にはちょっとおどけた様な仕草で使いこなす姿にわたしだけでなく道行く人達は皆見入っています。
そうこうするうちに道化師は小道具をいつの間にかどこかにしまうと、今度は自らの体全体を使い踊り出しました。
軽やかに、弾む様に。
それでいて流れる様に、時に妖しさも感じてしまう動き。
それらすべてが目の前の道化師の動きから生まれているのです。
あのだぶついた様な衣装の中で、あの笑いを固めた様なお面の中で。
あの道化師はどんな動きで踊っているのでしょう。
どんな思いで踊っているのでしょう。
ふと道化師を見ている人達の中に仲の良い級友の姿を見つけてもなおわたしは声をかけられないほど道化師に見入っていました。
[newpage]
全てを魅了する時にもいつしか終わりの時が訪れます。
道化師の踊りは最後の盛り上がりを見せていました。
その動きにいつしかわたしは自分の動きを重ねます。
道化師と並んで、道化師と一つになったかの様に。
思えば最初から、あの場所で道化師を見た瞬間からわたしはそうしていたのでしょう。
そして、ついに道化師の踊りは最高の勢いとともに……終わりました。
わたしも強い興奮と胸の高鳴りを抑えられません。
周りの皆さんの拍手が道化師を包みます。
まるでわたしもその渦の中にいる様で。
その渦の中、誰一人気づかれる事なく道化師は姿を消します。
ただ―わたしだけはその動きを見つける事ができました。
黄昏時の雑踏が一時の幻想から解き放たれ日常の中に帰っていく中、わたしは級友に声をかける事なく道化師を追いました。
大きな通りを離れた路地裏の中を道化師は歩いています。
わたしもできる限り身を隠し、気付かれないように後を追います。
まるでいつか知人に借りて読んだ探偵小説の様な風景。
道化師の行く先にあるものは何なのか。
わたしは何を突き止めるのか。
不思議な高鳴りとともにわたしは一人道化師を追います。
わたし以外誰も道化師を追うどころか通りかかる事もないと言う事になんの違和感も感じる事なく。
そして道化師は足を止めました。
袋小路?どこかの物陰?
わたしは幸運にも道化師が周りを見回す前に身を隠す事ができました。
そしてわたしは見届けます。
道化師が辺りを見回し、着ていた服に手をかけるのを。
その時、わたしは知りました。
道化師が歩いていたのは長い入り組んだ路地などではなく、ただ人気のないだけでほんの少しだけ奥まっただけの場所だったと言う事。
道化師の衣装が見る見るうちに学生―わたしの学校の制服に変わっていった事。
そして、被っていた三角帽子を脱いで頭を振り、吐息と共に道化のお面を外したその顔は―。
わたし自身、だったと言う事―。
[newpage]
道化師の衣装から元の制服に着替えた所でわたしはようやくお面を外しました。
素顔に当たる風が涼しく、顔がほんのり熱く感じました。
ずっとお面をつけて芸をしたり踊った事で体が熱くなっていたみたいです。
誰にも見られていない、気付かれないとは言えほぼ屋外で着替えをするなんて本来ならありえない事、恥じらうべき事です。
それでなくともあの様な奇抜な衣装に着替えて人前に立つ事そのものがとても勇気が求められる事なのです。
それが、それをいとも簡単にこなせてしまう。
いまわたしの手の中にあり、先程までわたしの「顔」だった道化師のお面をかぶる事で。
ある日、たまたま町で見つけたそのお面にわたしは心を引かれてしまいました。
別に怪しい雰囲気のあるお店でもなく、お面自体も作りはともかく見た目はなんの変哲もないただの道化師のお面。
その時はその場をあとにしてしまいましたが、それからそのお面を買い求めるまでの間わたしはお面の事が頭から離れず、ついつい普段は起こさないようなしくじりをする事もありました。
そしてお面を手元に置いてからしばらくはただこっそり眺めているだけでしたが、気がつけば鏡の中に道化師のお面をつけたわたしを見つけていたのです。
道化師のお面をかぶっただけのわたし。
それだけなのに何かが違う。
本当にそこにいるのは「わたし」なのでしょうか。
それともわたしの体を借りた「何者か」なのでしょうか。
そんな思いの中でわたしが思った事、それは……。
「この顔に似合う服が欲しい」と。
言うまでもなくわたしは道化師のお面に合う服など持ってはいません。
不意に今の服装で色々な仕草を取ってみましたが何かが違う、そう感じずにはいられませんでした。
もっとこのお面に、このお面の顔をしたわたしに似合う衣装を―。
そこからわたしがこのお面にふさわしい姿となって鏡の前に立つまでそんなに時間はかかりませんでした。
いかにも道化師然とした衣装に笑みを固めた様な顔の道化師のお面。
なのにその顔はどこか喜んでいる様に見えます。
わたしがお面を被り、衣装を身につける事で思う存分動く事ができる事が嬉しいのでしょうか。
冷静に考えればこの姿はただの扮装であり、中には見慣れたわたし自身の姿があるのです。
でも、お面の覗き穴から見えるわたしの姿は間違いなく道化師の姿。
わたしの顔は道化師の顔。
わたしであってわたしではない「わたし」にわたしの素顔もまたお面の顔の様に笑ってしまいました。
それからわたしは見よう見まねで大道芸の真似事を始めてみました。
踊りなどは嗜みの一つとして心得ていますが、それらとはまた違うおどけた、それでいて怪しさも感じる動きを交えながら踊ってみます。
もちろん道化師の姿で。
家族にも、級友達にも内緒の行いは禁忌でありますが同時に不思議な嬉しさも感じさせるものでした。
そして、わたしはこうして時を見ては道化師の姿になって町角で踊ったりしています。
人知れない場所を確かめてお面をかぶり道化師の顔になります。
そしてそこから衣装を着替えます。
もちろん芸を終え、元の場所に戻ったら道化師の衣装から普段の衣装に着替えてます。
そこでようやくお面を外してもとのわたしの顔になります。
道化師の顔になって道化師の衣装の中で妖しくもおかしく振る舞うわたし。
これはこのお面の心がわたしに宿っているのでしょうか?
お面をかぶった事でわたしの求めていた事を行っているのでしょうか?
その答えはあえて「お面の中」に隠したいと思います。
ただ、いま確実に思う事があります。
道化師のわたしを見つめていた級友。
わたしが一番の親友だと信じる彼女。
わたしの動きに見入ってくれる彼女。
見入っている道化師がわたしだとは知るよしもない彼女。
もし叶うならこのお面を彼女にかぶせてみたい。
二人して道化師の顔と姿となって心ゆくまで町角を踊り歩いたり大道芸をやってみたい。
そんないけない思いが募るのはもうすぐ夕暮れ、逢魔が時だからなのでしょうか。
そんな思いをいだきながらわたしは手にしていたお面をそっと抱きしめると、そっと衣装入れのカバンの中に入れ、静かにわたしの「日常」の中に戻ります。
それはわたしにとって「お面」なのかはわかりません。
でも、わたしはまた明日以降もこうして道化師のお面とともに町角に立つのでしょう。
その思いを今は「わたし」と言うもう一つのお面に隠しながら……。
了