「……場所はここで良いはずだけど……」
ふと時計を見る。
待ち合わせの時間まではあと少し。
場所は―指定されたこの場所で間違いない。
とは言えこの寒い中、しかも夜に待ち合わせと言うのもけっこう酷なものだ。
それなりに厚着はしているのだけどやはり寒いものは寒い。
漏れる息はやはり白い湯気を立てずにいられない。
それでもこんな寒い夜に一人駅前ロータリーの一角で立っているのは待ち合わせの相手が女性―おれの幼なじみだからなのだと思う、多分。
もろもろあって遠く離れて暮らし、妙な縁があって再会したもののなかなか会う機会のない彼女から不意に呼び出されたのは今日の昼過ぎ。
なんとか都合を付けて指定の駅まで足を運びこうして待ち続けているのだが……。
この時間、さほど大きくはない駅と言う事もあってか人通りも思ったより少ない。
それなりに灯りの付いた店もあるけどまあ、それなりにと言う所か。
とりあえず人気は無く、辺りは暗い。
男一人でこのまま突っ立っているのも余りいい気はしない風景だ。
とは言えこうしているのもなんなので一度コーヒーでも買おうと自販機まで歩こうとした時……。
「―待った?」
不意に背後から呼び止められた。
どうやら待ち人来たる―だ。
「―とりあえず待ちくたびれ……」
そう言いながら振り向いた時、おれは思わず言葉を無くした。
そこに立っていたのは一人の女性の姿だった。
厚手のロングコートとシューズ、手袋に帽子とそれなりのウィンターファッションをしている。
ただ、その顔は―。
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濃いグレーの顔。
髪も耳も覆い隠し―いや、元から無かったかの様なその顔。
あたかもそれがその素顔、素肌であるかの様に。
しかしそれが間違いである事は夜灯りの中にもはっきりわかる。
素肌の様に見えるのは顔全体をぴっちり覆い隠している覆面。
そこから見える口元と目元がその顔の奇妙さ、そしてその中にある不思議な魅力を感じさせる。
「もう、何よ、鳩が豆鉄砲食らった様な顔して。こんなカッコしているけど―わたしだよ?」
少し呆れた口調ながらもふっと笑みを漏らす瞳と口元は紛れもなくおれの知る彼女の顔と声だ。
そのせいだろうか。
おれもついつられて笑ってしまう。
「待たせてゴメン。それじゃ……行こ?」
覆面越しの笑顔と共に彼女はおれの手を取り走り出す。
「おい、ちょっと待てよ……」
突然の流れに驚きながらもおれは彼女に引かれる様に走り出す。
駅を離れ、かすかに賑わう町灯りを通り抜け、静かな暗がりの向こうへ。
彼女の軽やかな足取りに引かれながらおれは妙に心が高鳴るのを感じていた。
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「ふぅ……ちょっと走らせちゃったね」
どれだけ走ったか。
町の賑わいを離れ静かな住宅街に入った辺りでようやく走るのを止めた彼女は軽く息を整えながら歩いている。
おれもなんとか一息つきながらその隣にいる。
傍目にはごく普通の―男女のデートみたいなものだろうか。
昔とは違い年頃になったおれと彼女が歩いていればまあ、そんな感じだろう。
ただ、やはり彼女のその顔はつい気になってしまう。
その中に見慣れた彼女の素顔があるとわかっていてもその表情を髪ごとぴっちりと覆い隠すグレーの覆面はどこか怪しい。
そしてそこから覗く彼女の目元と口元はどこか妖しい。
昔見た幼い顔の名残を持ちながらも大人の女性の艶を吹き出している様な雰囲気。
彼女であって―彼女じゃない。
彼女の目と口、声を持つ別の女性、いや―別の「存在」。
そんな風に見えてしまう。
それなのに、こうして何気なくおれとたわいもない世間話をしているのはまぎれもなく彼女なのだ。
この奇妙な感覚はなんなのか。
そして彼女はなぜこんな時間におれを呼んだのか。
そもそも―ここは彼女が住んでいる町でもない。
まさか、その奇妙な姿でおれと夜歩きする為だけに呼んだのか―?
答えの出にくい悩みを抱えつつおれは彼女に付き添いながら夜の住宅街を歩く。
都合良く他の誰かとすれ違う事がないのが幸いか。
もしその場合、彼女の方が変に見られるのだろうか……?
「ねえ、どうしたの?ちょっと疲れちゃった?」
不意に彼女に声をかけられる。
その心配そうな声をおれは慌てて打ち消した。
そうしているうちにおれと彼女はとある小さな公園に辿り着いていた。
「ここは……?」
町の片隅にある小さな公園。
ちょっとした木々に囲まれたその場所は時間も時間だからか人の気配はない。
ここでちょっと一休み、そんな所だろうか。
どうやら彼女もそう思っていたらしく、おれの前で肩にかけていたバッグをするりと外しベンチの隅に置く。
そして―
「ねえ……わたしを……見て?」
振り向きざまにその覆面に覆われた顔をのぞかせおれをどきりとさせるのもつかの間、彼女はいきなり被っていた帽子を外しバッグの横に放る。
そして、その流れのままコートを脱ぎ下ろした。
その下は―何も身に着けてはいなかった。
ただ……。
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コートの中から露わになった彼女の姿はその顔同様全身をグレーに覆われていた。
まるで素肌の様に薄く柔らかく、しなやかな―全身をぴっちりと包むグレーの全身スーツに。
未だ直接はっきり見る事も感じる事もなかった彼女のシルエットがそのスーツごしに露わになる。
バランス良い肉付きをした細くしなやかな手脚。
大きいとは言い切れないけどそれなりに豊かな胸の膨らみ。
細すぎずにくびれきゅっとひきしまった腰のライン。
そして宝玉を思わせる様に形良くつるりとしたスキンヘッド。
全身スーツに素肌と素顔を覆われ引き締められこの夜の闇に溶け込んだ彼女の姿は―あまりにもくっきりと目に焼き付くほどに印象的で美しかった。
一瞬その素顔、そして未だはっきり見る事のできないその素肌を想像する間さえ与えないほど。
「―もう、見てと言ったけどあまり変な顔しないでよ。わたしもちょっと恥ずかしいんだから」
少しむすっとした声で彼女は言った。
彼女の肢体をした何か、そう言える様な姿になっているのにその声は、その口調は紛れもない彼女なのだ。
「それに、見て欲しいのはこの姿じゃない。見て欲しいのは……」
そう言いながら彼女はしなやかな動きで公園の広間に立ち、そのグレーの肢体を上下し始める。
肩を、足を、頭をリズムに合わせて上下させる。
マスクからのぞく口元が軽く動き、そこから漏れる吐息が感じられる様に見える。
マスクから見えるその目元がおれを見据えている。
これから自分がする事を、それをしている自分を見て欲しい、と。
おれはその瞳に向き合わずにはいられなかった。
不意にどこからか聞いた事のない曲が聞こえてくる。
彼女の視線に止められその出所を探す事はできなかったが、おそらくその音源は彼女が持ってきたものだろう。
そしてその曲に合わせて彼女は踊り出す。
軽やかな足の運びで、弾む様な腕の動きで、揺れる様な体の動きで彼女は踊る。
その足裁きは駆ける様に早く、踏み込む様に力強く。
時には飛ぶ様に舞う。
腕の動きも時に花の様に広がり、時に刃の様に研ぎ澄まされる。
弾ける様に突き出されるかと思えば両脇に引き込まれた中でも力強い動きを見せる。
その手脚を支える腰が、肩が、胸が大きく揺れながらその体全体の動きを支えている。
軽く足踏みをしたり、時にはしっかりと地に足を付けたり。
その全身の動きは時に大きくゆるやかに渦を巻き、時に激しくするどい風となる。
大輪の花が、荒ぶる獣が、華やかに舞う蝶がおれの目の前に現れる。
それら全てが今目の前で踊っている全身グレーのスーツと覆面姿の女性が見せているのだ。
ぴっちりと覆われ引き締められた両腕と両脚は伸びる度、引き込む度にその肌を引き締める。
形の良い胸の膨らみや腰のラインは押さえ込まれながらもその形をかえって見せつけつつより確かな動きで魅了する。
余計な装飾どころかなびく髪さえ隠されたそのシンプルな姿形が踊っている。待っている。
時に夜の闇に身を隠しながらも確かにうごめき、時に夜灯りの中思う存分その姿をさらす。
その表情を隠すマスクからのぞく目元はひたすら真剣に踊り続ける自分の姿と動きを見ている。
しかし同時に魅せる様な笑顔を浮かべているようにも見える。
魅せる―まさにその一言だろう。
彼女は今、彼女自身を覆い隠しながらその全てを露わにするように踊り、魅せている。
冷たいとしか言えない夜の空気の中でそこだけが激しく、熱く動いている。
その光景におれは只見入られるのみだった。
流れている曲に乗せて聞こえる声が今人気のアイドル歌手の歌声だと言う事にさえ気づくのがやっとという位に。
そうこうしているうちに曲は最後の山場を迎え、彼女のダンスも終盤に入る。
激しく、優しく、美しく彼女は踊り―フィニッシュを迎えた。
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彼女がようやくゆるりと体を動かしたのはフィニッシュポーズを決めてしばらくしての事だった。
「ふぅ……はぁ……」
マスクからのぞく口元がより艶を増した動きで吐息を漏らす。
目元もどこか潤んでいるように見えるのは踊りきった恍惚からなのだろうか。
踊りきったあとゆえか少し足取りがおぼつかないまま歩いてくる彼女に肩を貸そうと近づいた。
その時……。
「あっ」
彼女の足がもつれた。
おれはそれを支えようとして……巻き込まれて背中から倒れ込んだ。
「……」
「……」
誰もいない夜の公園。
静かで冷たい空気の中、おれは馬乗り状態になった彼女の体温を感じていた。
厚着越しに伝わる彼女は精一杯踊りきったゆえの熱さをまとっていた。
おれの厚着と彼女の薄くしなやかな全身スーツごしに彼女の体の感触が伝わる。
そして―おれの目の前に彼女の顔がある。
グレーの覆面にぴったりと覆われた顔からのぞくその瞳、その口元におれは改めて魅入られた。
それは彼女も同じらしくどこか潤んだ瞳でおれを見つめ、口元は軽く吐息を漏らす。
その覆面の中にある彼女の素顔、そして彼女の姿を引き締め包むスーツごしに彼女を確かめたい……。
そんな思いに導かれおれ達はそのまま身を寄り添わせ―ようとした瞬間、彼女はいきなりおれの体から飛び跳ねるように身を離した。
そして慌てた動きでバッグの所まで行くとスポーツドリンクの入ったペットボトルを取り出す。
「お、おい、大丈夫か……?」
声をかけずにはいられなかったが、彼女は少し恥ずかしげに首を横に振る。
「だ、大丈夫!気にしないで!さ、さっきはちょっと足をもつれさせて転んじゃって気持ちが慌てちゃってただけだから!」
彼女は慌ててそう言いながらペットボトルをほぼ一気に飲み干す。
むせる事がなかったのは不幸中の幸いか。
とりあえず言えるのはこのどさくさであの一瞬に高まっていた感情が一気にクールダウンしてしまった・そして彼女をスーツ越しに抱きしめる事ができなかった。
彼女への思いがない訳ではない。ただ―今はただあの姿の彼女に魅入られすぎた「気の迷い」だったと思おう。
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一息ついた後再びコートを羽織り帽子を被りバッグをかけた彼女と並んで公園を後にする。
「―ねえ……どう……だった?」
「ん?何が?」
「もう……わたしの―ダンス。けっこう自信あったけど、あなたに見てもらえればもっと確信持てるかと思って……」
少し照れくさそうに、少し落ち着いた雰囲気で彼女はそう尋ねる。
相変わらず顔はグレーの覆面に覆われているがその顔は少しだけ曇っているようだ。
「まあーよかったな。あれならどんな演芸会でもうけると思うぜ。謎の全身スーツ女パフォーマンスとかさ」
ワザと軽い口調でそう答えたおれの脇腹に彼女の肘がつんつんと突き当たる。
「―もう、それって励ましてるの?からかってるの?まったく……」
そうぼやく彼女の顔は少し晴れているはずだ。
少なくともおれはそう感じていた。
そんなこんなで駅前の近くの暗がりまで並んで歩いた所で彼女と別れる。
「ねえ、今度はいつ会えるかな~?」
「さあな、お前次第、おれ次第……縁があればな?」
「……だったらまた今度、近いうちに!」
そう言いながら彼女は笑った。
マスク越しに表情こそ見えないけどその瞳と口元は―まぎれもなく彼女の笑顔を見せていた。
「―とりあえずおれもなかなか都合付かなくてゴメンな、お前もとりあえず頑張れ……と」
かなり前に届いていたメールの返事を送ったあとおれはふとテレビの歌番組に目を向ける。
ちょうど今人気のアイドル歌手の新曲披露をやっていた。
悪くない歌声に切れの良いダンス。
おれが一応推している歌手である。
その声と動き、そしてその瞳におれはしばし心を止める。
曲とダンスのフィニッシュがきれいに決まった後やりきった笑顔で司会者のインタビューを受けるそのアイドルの瞳、そしてそれに答える口元がふと画面越しにおれに向けられていた―ような気がした。
了