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紙とインクの香りに満たされた、木漏れ日差し込む森林へ。雑誌に見とれて踏み入ればきっと満足できるだろうから。
平積みの本を薙ぎ倒しかねない大きな尻尾を旗に迷い込んだお客さんをきっと導いてみせる。そう、今日もエプロンを後ろ手で結び林床へ足を踏み出す。
今日は遅番、お客さんも出入りする入口から入る。ショッピングモールに入ってる地域でも大きな本屋さん、昔から近くを通るたびに足を踏み込み他のお店とは違う本特有のいい匂いに誘われていたっけ。
入口にはポツポツと島のように本棚が配置され、雑誌が並ぶ。左手にはすでに学生たちが集まっているけど文房具のコーナー、天井には凸面鏡とカメラがぶら下がっている店内は意図的には音を立てないだけでレジや検索機の音、足音が方々から不規則に伝わってくる。
スニーカー越しに伝わる固い床は柔らかな光を受け川底の石のようにつやつやしている。
慣れた足取りで疎らな専門書コーナーを壁伝いに歩きブリッジを押し上げると「STAFF ONLY」と掲げられた扉を三回ノックした。
*
「おはようございます」
一礼して入ったバックヤード、挨拶はまばらで言った傍から声は紙に吸い込まれていくし至る所で本の倒れる音がする。本の部門に対して書店員が足りていないこの店舗ではよくあることで各々が担当している部門も一つでは無いから仕方ないよね。
ロッカーで肩に提げていたトートバッグを降ろし指定のシャツ、エプロンに腕を通して後ろ手に結べば着替えは終了。
エプロンポケットには愛用の文房具達、高級ラインの金属軸の黒ボールペンと少々太めの多色ボールペンはノック部に金属糸が仕込まれてタッチペンとしても使える優れもの。手のひらサイズのブロックメモは立ち仕事でも次が崩れず書けるし切り離しやすい、その他段ボールを開封するためのカッターがついたはさみにマスキングテープと絆創膏。ステープラーを仕込む猛者も居るらしいけれどカウンターに備え付けられたオーソドックスなもので十分だし以前エプロンに穴を開けてからはポケットに入れなくなった。
ロッカーを閉じて、振り替えると搬入口から運び込まれただけの段ボールの塚。今日の入荷は何だろう。新刊カレンダーは当てにならないし毎日出勤のタイミングが良くも悪くもドキドキで今日の出来事を占うひととき。
事務所兼倉庫に置かれた段ボールを開きずらり並ぶ同じ表紙。今日の特典一覧昔から追っている小説には栞、最近話題の単行本はポストカード。店頭に出す前にシュリンクで挟み込んで整えておかなければいけないけれど、数日前に売り場から消えてしまった在庫を先に補充しなくちゃ。
特に売れ筋少年コミック、大人買いする大人も心は少年のままのようで棚にあったはずの数十巻は下らない本達が一挙に消えてしまうとなったら嬉しい反面現場は息を呑む。新刊と補充分と一緒に来る箱の中から数冊在れば事足りる技術書を掻き分け巻数順に並んだ一回り大きな箱を荷台に載せ替え売り場に出る。
台車がお客さんの近くを通るたび「恐れ入ります」と声を掛ける。書店員は他の接客業よりも丁寧な言葉遣いが求められるような気がする。
それというのも早さが求められるわけでもなければ、突き詰めると嗜好品に該当するからだろうか。本を選び取って内容を吟味する、その本の何が自分にとって欲しいと感じさせるかと。
そう夢中になっているお客さんを邪魔するのも自分が本の蟲であるから共感出来て気が引ける。目的の少年コミックぽっかりと空いた口に運んできた本を巻数順に並べ、同じ本がまた大人買いされた時に備えて本棚下の引き出しにストックする。自分の担当している部門は棚の動きがあまり激しくないから何とか棚の状態を維持できているけれど数日ぶりに確認しに行くと歯抜けになっていたりするから気が抜けない。
棚整理も兼ねてPOP類の調整、本で一括りにできるわけもなく一冊一冊内容が違うから迷っている人には案内したくなる。
ふと顔を上げると見慣れた制服、あれは近くの……学校名は忘れたけど寮制のある高校だよね。試験前になると参考書とコミックがたくさん売れるから覚えてる。シャムの彼は入口を抜けて雑誌に目もくれることなくずんずんと中腹まで歩み進める。遅れて入店したボーダーコリーの彼はジャージ姿で入口に並んだ雑誌を手に取りななめ読みしているようだけれど、どうも読書は慣れていないのか数分後には雑誌を閉じて耳の裏をガリガリ掻きながら別の棚へ向かう。
当店のラインナップは地元に合わせて発注しているけれど、一見して分かる彼らのように幅広い層に合わせた書店づくりは難しい。雑誌や漫画を取り扱わなければ若年層の来店を見込めず、専門書も一部取り扱わなければ固定客が去ってしまう。普段は触れない棚に本、どこまでも続く本棚の林に迷い込んだお客さんが新しい本と偶然出会うそういった体験を演出するのがPOPの調整だと思う。
数週間後には背表紙だけを見せて差す本でも、出てすぐの本に店員や取次版元を含む関係者が読んで欲しい本そういった本たちが表紙をよく見えるよう面に陳列。俗に面陳して試し読みを用意する他、書籍紹介に書評を貼り付ける。いわば売り手の声、著者は著者近影という生産者の顔があって自分たちのような黒子でも「この本を読んで欲しい」と伝えたい。一般業務外で書いた手書きPOPもいつかは捨てる事になったとしても届いて欲しいそんな想い。
時折鳴るレジの呼び鈴、時のゆったりと流れるように思える書店でもお客さんは多種多様でレジ周りの忙しさは常に読めない。本の会計以外にも図書カードの注文に本の問い合わせと要望も混ざり合っているからより一層。
ヘルプで呼ばれて本の問い合わせ、同僚の作ったフェア本棚を横目に大きな尻尾を振りながら海外SFを得意とするハヤシモ文庫の棚へ案内する。前任者が大学卒業と共に辞めて以来自分の担当になっているこの本棚もほかの書店と大して変わらないラインナップ、『機械羊』は有って『キュービック』が無い、『動物工場』が有って『1894年』が無いだとか色々と不完全燃焼。『華氏1167度』は有るけどね。
「……っかしいなぁ。この辺りだと思うんだけど」
「俺も探すから、も一度タイトル教えてくれよ。お前の背じゃ上の方見えないだろ」
さっきの二人、知り合いだったんだ。盗み聞きになっちゃうけれど本を探しているなら案内しなければならないし。
「一言多いな……春だったか季節と『への扉』。コールドスリープするSFで猫が出てくる__」
「失礼します『冬への扉』をお探しですか?それでしたらここに。」
二人に分け入ってシャムの彼の視界からは見えにくいであろう上部から一冊引き抜き手渡す。もちろん接客スマイルを忘れずに。
目を白黒させながら「ありがとうございます……」とつぶやくシャムの彼。よく見ると耳まで真っ赤だ。
「見つかって良かったな、寒川」
「あ、あと『星は無慈悲な夜の王女』と『村に遠吠えあらん』と……欲しい本のリスト作っているので探してもらえますか」
「もちろん!『無慈悲な』と『遠吠え』ですね、両方名作なのでぜひ読んで欲しいです。あと、このラインナップから考えると『コード』『残虐器官』『かれら』『変態』『きみはロボット』は押さえてもらいた__」
ついうっかり口走ってしまった自分の読書の趣味。好きな作品はもっと知ってほしいけれど押し付けるのはいけない。それは書店員としての矜持に近いものがきっとあると思う。
寒川さんに手渡されたリスト、ブリッジを押し上げて確認するとタイトル・著者・978-4から始まる十三桁の数字。
「失礼いたしました。この併記されている数字を使えば当店の検索機ですぐに見つかるのでご案内しますね」
「さすが寒川そんな事まで知ってたんだな」
「いや、知らなかった」
依然耳は赤いままだけれど、チラチラとこちらを見てくる寒川さんと疑問符を浮かべるボーダーコリーの彼。
「えっと、これはISBNというものでして一般市場に流通する本の殆どに登録されている番号なんです。タイトルだけで探すのも難しいので沢山本を買う場合はこの番号を書き留めていると便利ですね、もちろん一桁でも間違えると全く別の本になるのでそれだけ注意してください」
近くに有った検索機にリストに記された数字を上から順に打ち込んで、どんどん出てくるレシート。
「ピックアップしてくるのでこちらで少々お待ちください」
そう言い残してレシートを見ながら集めていく本たち。さっきの三冊と合わせて七冊とは学生にしては結構な出費になると思うけれど、図書購入費が家計を圧迫している身としては何も言えない。
「おまたせしました、このままレジにお運びしますね」
ボーダーコリーの彼はどこへやら、寒川さん一人で待っていた。
「ありがとう……ございます、あとこれもお願いします」
手に握った本は、昨日発売されたばかりで新人作家さんだったから自分でPOPを書いた少年コミック。今のラインナップだと意外なチョイスに驚きながら。
「かしこまりました、ではレジまで」
受け取ってレジを通す。
「ブックカバーはお掛けしますか」
「カバー掛けると何の本か分からなくなるので要らないです。コミックだけラッピングお願いできますか」
「承りました、少々お待ちください」
会計を済ませ商品を渡すと、一礼してから足早に出口に向かう。その背中を追っているとボーダーコリーの彼が出口で待っていた。
「よっす、随分買い込んだな。俺が持つぞ」
「これくらい自分で持てるからいい。あと今日付き合わせたのと……いつもの礼だ、取っとけ」
「えっ、いいのか。中身はなんだろ」
「おい、今開けるなよ」
今日も書店は物語に溢れている。978-4のその先で割り振り切れないその中で、呼び鈴を聞けば大きな尻尾を旗に本との出会いを案内する。
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