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神の契りは解けない(5)

  空気が凛と澄んでいた。

  風が木々を揺らし、鳥のさえずりが遠くで響く。

  大和は目を閉じたまま、ゆっくりと息を吸い込む。

  ——霧生。

  名前を呼んだ瞬間、ふっと頬を撫でる風が止まった。

  まるで世界が息を潜めたかのように、一瞬だけ静寂が深まる。

  カサリ。

  足元の落ち葉がわずかに揺れるのと同時に、境内の空気がふわりと滲むように変わる。

  いつの間にか、薄く霧が漂い始めていた。

  ひんやりとした湿り気を含んだそれは、ゆるやかに地を這うように広がり、陽の光を鈍く屈折させる。

  大和は思わず唾を飲み込んだ。

  「霧生……?」

  呼びかけた声が、霧の中でわずかに吸い込まれる。

  そして——。

  霧の向こうで、確かに何かが動いた。

  「……や、まと……」

  そこに立っていたのは、紛れもなく霧生だった。銀色に光る髪、しなやかな身体。彼は、一糸まとわぬ姿で、まだぼんやりとした表情のまま、大和を見つめている。銀の瞳が淡い陽光を映し、微かに揺れていた。

  喉が震える。

  これは、夢かもしれない。そんな気がして、動けなかった。

  霧生は一歩、こちらへ踏み出そうとした。

  しかし、次の瞬間。

  ふらり、と。

  「霧生!!」

  反射的に駆け寄り、その身体を支える。腕の中に感じる体温。

  確かに、霧生は“生きて”いた。

  「霧生、目、覚ましたんだな……!」

  震える声で言うと、霧生はゆっくりと瞬きをし、口元にうっすらと笑みを浮かべた。

  「大和は……やっぱり、迎えに、来てくれたな……」

  それを聞いた瞬間、大和の視界が滲んだ。

  「バカ野郎……!!」

  腕の中にいる霧生を強く、強く抱きしめる。

  「お前……本当に、もう……消えちまうかと思ったんだぞ……!!」

  肩を震わせる大和の背に、霧生はそっと手を回す。まだ力は戻りきっていないのか、その腕は頼りなげだった。

  「……すまない」

  霧生の指が、大和の髪を梳くように触れる。

  「でも、お前が呼んでくれたから、戻ってこれた」

  「……っ!マジで、バカ……」

  大和は顔を上げ、霧生の頬を見つめた。いつもの無表情ではなく、どこか穏やかな、優しい表情をしていた。

  「おかえり、霧生……!」

  「ただいま、大和」

  涙に濡れた笑顔が、光の中で輝いていた。

  「さて、感動の再会は終わったかな」

  背後から朱峯の声が響いた。二人で顔を上げ、そちらを向く。

  「霧生、思ったより早いお目覚めだね」

  「朱峯……なぜ……」

  「ゆっくり話をしている時間はあるのかな。人の姿でいるのは、随分と辛そうだけど」

  その言葉に、大和がハッと息を呑む。そうだ、目覚めを喜んでいる場合ではない。霧生と大切な、これからの話をしなければ。大和は深呼吸をした後、ゆっくりと口を開いた。

  「霧生、お前はこれからどうしたい?」

  霧生の瞳はまだ揺れていたが、その顔に迷いはなかった。

  「俺は、大和の側で、ずっと共に生きていきたい」

  想いは同じ——。

  大和はふっと肩の力を抜いて口元を緩めた。

  「それは俺も同じ。なあ、霧生。お前は神でいたいか?それとも人間として生きていくか?」

  両方のメリットとデメリットを手短に話す。

  神として、その強大な力で大和に加護を与えながら、人々からの信仰を糧に半永久的に生き続けるのか。

  それとも、神の力を失って、終わりのある命に生まれ変わり、大和とともに暮らすか。

  朱峯に問われて、大和は選ばなかったことも、ありのまま正直に話す。霧生の命は霧生自身が決めるべきだと。どちらを選んでも大和はずっと霧生のために生きると。そう伝えた。

  「大和……思い出したんだな」

  「まあな……って、なんだよ、大事な話の時に」

  「いいんだ。そんなのもう決まっている」

  霧生はゆっくりと大和の首筋に顔を埋める。ひんやりとした鼻先が肌に触れて、思わず背筋が震えた。

  「はあ……大和、いい匂いだ」

  「……あ!昨日ここで寝たから、風呂入ってねぇんだ!やっぱ離れろ!」

  「嫌だ、もう離れない」

  「ああもう!それで、どうするんだよ!焦らしてないで早く言え!」

  どれだけ突っぱねても、霧生はしがみついて離れない。

  そして、大和の顔をまっすぐに見つめ、まるで射抜くように言った。

  「人間になって、大和と一緒に暮らすに決まっている」

  「……っ!」

  霧生の瞳は揺るぎなく、迷いは一切なかった。

  「大和の側にいたい。神でいようとする限り、また大和に苦しい思いをさせることになる。それに、もともと信仰を失って近いうちに消える運命だったんだ。神の力に未練はない。これからは俺自身の力で大和を守っていく」

  まるで誓いのように紡がれた言葉に、大和の胸が強く締め付けられる。

  込み上げてくる息が詰まるほどの感情を押し殺し、大和は精一杯の力で霧生を抱きしめた。

  「……なら、決まりだな」

  ぎこちなく微笑みながら、大和は霧生の背中をポンと叩いた。

  「でも、お前のことは、俺に守らせろよ」

  「決まったようだね」

  低く、どこか楽しげな声が割って入る。

  霧生を抱きしめたままの大和が、はっと顔を上げると、朱峯が腕を組んで立っていた。朱色の衣が陽の光を受けて微かに揺れる。

  「聞いてたならわかっただろ……そういうことだから」

  少しむくれたように言う大和に、朱峯は肩をすくめた。

  「盗み聞きするつもりなんてなかったんだよ。私は神だから、どこにいても聞こえてしまうだけ」

  「ったく……」

  大和が舌打ち交じりに呟くと、朱峯は目を細め、霧生をじっと見つめた。

  「それにしても、君がそこまであっさりと決断するとはね。もう少し躊躇うかと思っていたけれど」

  「何を迷うことがある。もはや今の俺の生きる意味は大和だけだ」

  霧生が静かにそう言う。彼の瞳はどこまでもまっすぐだった。

  「……あーあ。霧生を人間にしないといけないのかぁ」

  朱峯は相変わらず感情の読めない顔をしている。しかし、ゆっくりと微笑んだ。

  「なら、儀式の準備をしようか」

  「ってことは……あんたがやってくれんのか」

  「うん。こんな儀式をしてくれる神なんて、私くらいしかいないだろうからね」

  大和が肩の力を抜いた。そして霧生を肩で支えながら、深くお辞儀をする。

  「よろしくお願いします」

  朱峯は少し楽しげに笑いながら、大和の肩を軽く叩く。

  「さて、霧生。本当に後悔はないんだね?」

  「ない」

  即答する霧生に、朱峯はまたもや唇を吊り上げた。

  「いいね。では、始めるとしよう」

  そう言うと、彼は袖の中から何かを取り出した。

  そして、その瞬間——境内の空気が再び張り詰める。

  神が、神を手放す。

  その儀式が、今、始まろうとしていた——。

  朱峯がゆっくりと腕を上げると、彼の手の中で水晶のような玉が仄かに輝いた。それはまるで月の雫を凝縮したかのように淡い光を放つ。

  境内の空気がざわめき、霧生は静かに目を細める。

  「……それは?」

  「神の力を封じ、人の身に転じるための道具、玉藻——私の霊玉だよ」

  静かに答える朱峯の声に、霧生はじっと目を細めた。その青灰の瞳は、真っ直ぐに玉藻を見つめている。

  風が止まる。

  木々のざわめきが止み、まるで世界が儀式の開始を見守るかのように静まり返る。

  朱峯は小さく微笑み、手にした玉藻をゆっくりと掲げる。

  「霧生、あと一つ必要なものがある」

  「……必要なもの?」

  朱峯の目が、霧生を見据えた。

  「そう。お前の思いのこもった何かを、この儀式に捧げなければならない」

  霧生は一瞬、戸惑ったように眉を寄せた。

  「……俺は、何も持っていない」

  「だろうね。長く神として存在してきた君が、この人間以外の何かに執着を持っていたとは思えない」

  朱峯は肩をすくめ、大和に視線を向ける。

  「だが、この儀式には、この世に残っている強い思いを込めたものが必要になる」

  その時だった。

  「だったら、俺が差し出す」

  静かに、しかし迷いなく、大和が口を開いた。

  「……大和?」

  「少し、待ってろ」

  大和はそう言って、踵を返した。霧生は、その背中をじっと見つめる。

  次の瞬間——

  轟音が響いた。

  腹の底まで響くような振動が境内を揺らし、朱峯が興味深そうに目を細める。

  「大和……っ」

  霧生の表情が強張る。

  そして、しばらくして。

  「ふう……待たせたな」

  バイクのエンジンを切り、大和が境内へと戻ってきた。キーを抜き、シートを一度だけ撫でる。そして、キーに付いている小さなお守りを、ぎゅっと握りしめた。

  「これは、俺の宝物だ」

  朱峯が目を細める。

  「宝物?」

  「俺は、昔ここで霧生と約束したことを、なんでか忘れてた。忘れて、自分はこの世界に一人ぼっちなんだって絶望して……。でも、高校で迅先輩に出会って変わることができた」

  霧生が困惑したように、大和を見つめる。

  「なあ朱峯。霧生の唯一の宝物は俺だろ?だったら、俺の宝物も霧生の宝物だ」

  霧生がはっと息を呑んだ。

  「俺は昔霧生に救われた。霧生のことを忘れてしまっている間は、迅先輩が救ってくれた。今の俺がいるのは二人のおかげだ」

  大和が手の中のキーを空に掲げる。

  「霧生は嫌かもしんねぇけど、俺を変えてくれたように、こいつらは霧生が人間に生まれ変わるのを助けてくれる気がする」

  霧生は、わずかに目を泳がせる。躊躇うように落ち着きなく動く指先を、大和はゆっくりと握った。

  「今お前がすべきことは、これからずっと俺と生きていくって覚悟だけだ」

  「……っ」

  「だから、受け取ってくれよ」

  霧生は静かに目を伏せ、そして、しっかりとそのキーを握りしめた。大和は、それを見てそっと頷く。

  「よし……じゃあ、このバイクとお守りで、頼むぜ、朱峯」

  朱峯は微笑む。

  「では、始めよう」

  玉藻の淡い光が強くなった。

  まるで霧生の神としての力を吸い取るように、漂っていた周囲の霧がゆっくりと収束していく。

  霧生を抱きしめたかったけれど、一歩も動けなかった。じわりと額に汗が浮かぶ。

  朱峯の声が、境内に響く。

  「この魂を、人の世に転じさせる——」

  音もなく、風が境内を吹き抜ける。

  鳥の声が、遠のいていく。

  「神の縛りを解き、名を贈る——」

  霧生の身体が、玉藻の光に包まれる。

  大和は手を伸ばそうとするが、やはり動けない。

  霧生の銀色の髪が、淡い光を帯びる。

  指先から何かが剥がれていくような感覚に、霧生は目を閉じた。

  痛くはない。ただ、身体が芯から冷えていくようだった。

  (大和と生きる。それだけでいい)

  光が一気に収束していく——。

  霧生の身体が一度静かに輝く。

  それはまるで神が最後の別れを告げるような、穏やかで、それでいて切ない光だった。

  「これで、終わり……か……」

  霧生の声が、淡く滲む。

  だが——。

  「さて、最後の仕上げだね」

  朱峯が、霧生へと近づく。それはまるで、仕上げに自身のサインを入れる画家のような、余裕のある歩みだった。

  「な、お前……っ!」

  大和が咄嗟に叫ぶ。

  だが、まだ身体が動かない。

  霧生と朱峯の影が重なる。

  朱峯が霧生の顎をすっと持ち上げた。

  霧生は、わずかに目を見開く。

  そして——。

  「!!」

  朱峯の唇が、霧生の額に触れる。

  一瞬にして、境内が白光に包まれた。

  光が消えた瞬間、霧生の身体がその場に倒れ込む。

  大和は、縫い付けられたように固まっていた両足を叱咤し、慌てて駆け寄って抱き上げる。

  温かい。

  確かに、生きている。

  「霧生、大丈夫か!気持ち悪くないか?生きてる、よな……?」

  立て続けに問いかける大和に、霧生はゆっくりと目を開ける。青灰の瞳が、光を帯びて七色に輝いていた。

  「ああ、わかる。大和、俺はもう、人間だ」

  大和の胸がぎゅっと締めつけられる。抑えきれず、強く霧生を抱きしめた。

  「霧生……っ!!」

  「いやぁ、我ながら初めてにしてはうまくいったねぇ」

  満足そうに微笑む朱峯。大和はそんな朱峯を鋭く睨みつけた。

  「……おい、お前」

  「ん?」

  「霧生に、何した!」

  「ん?儀式をしただけだよ」

  「はあ!?なんで、その、キ、キスとか……!絶対必要なかっただろ!」

  まるで飼い主を守る犬のように、霧生を抱きしめたままキャンキャンと喚く大和を見て、朱峯はくすくすと笑う。

  「いやぁ、どうしても必要だったんだよねぇ」

  「嘘吐け!その顔どう見ても面白がってんだろ!」

  「失敬な……まぁ、これは、私からのプレゼントみたいなものだよ」

  「な・ん・で、お前からのキ、スが、霧生へのプレゼントになるんだよ!!」

  朱峯は「ゴチソウサマ」と呟きながら舌で唇を舐めると、くるりと身を翻し、「おい」とか「待て」などと言っている大和に背中を向ける。

  「霧生、お前喜んでないよな?!」

  「ん……?」

  「なんでデコ触りながらぼうっとしてんだ!余韻に浸ってんじゃねぇ!」

  「いや……違……」

  霧生はほんの少し眉根を寄せる。なんだか妙に額が暖かい気がした。

  「ふふ、喜んでくれるかな」

  先ほどのキスを思い起こし、ちょっと嫌がらせも入ってたけど、と笑いながら、朱峯は一人、白霧神社を後にする。空を見上げると、すっかり霧は消え、眩しい青空が広がっていた。

  「プレゼントというよりは、おつりかな。あれでは対価が大きすぎたから」

  ふっと口元に笑みを浮かべながら、足元の落ち葉を踏みしめる。そして、静かに呟いた。

  「さて、もう一仕事だ」

  鳥居の前で立ち止まり、軽く振り返る。

  境内の奥、大和が霧生を支えるようにして、必死に何かを言っているのが見えた。霧生は相変わらず無表情ながらも、大和の言葉にじっと耳を傾けている。

  朱峯は少しの寂しさを滲ませながらも、満足げに目を細める。

  そのまま踵を返し、鳥居をくぐると——彼の姿は、霞のようにふっと消えた。

  「本当に大丈夫か?気分は悪くねぇの?痛いところとか……っ」

  「大丈夫だ。ちょっと身体が重く感じるくらい、か……?」

  霧生は大和に渡された服を着ながら、ぼんやりと虚空を見つめる。不思議な感じだ、この衣擦れの感覚も、自分が人間になっていることも。

  「お前、なんか落ち着いてるな。俺の方が動揺してて恥ず……」

  「いや、俺は大和がいるから、それだけで……」

  「そういうことじゃなくて……!!」

  大和が両手で顔を覆った、その時——。

  ブブブッ、ブブブッ!

  ポケットの中で、スマートフォンが震えた。

  「ん?」

  大和は反射的に取り出して画面を見る。そこに表示された名前に、顔が強張った。

  「……母さん」

  いつでもこの瞬間は緊張する。大和は少しだけ眉を寄せ、心配そうに大和を見つめた。

  「ちょっと、黙ってろよ」

  霧生にそう言いながら、通話ボタンを押す。

  「……もしもし」

  『あ、やっと出たわね!というか、大和、事故ったんだって!?』

  開口一番、義母のやや高めの声が飛び込んできた。大和は一瞬目を瞬かせ、それから「あー……」と曖昧に唸る。

  「ああ、まぁ、大丈夫……っていうか、何で」

  『保険会社から連絡があったのよ。それよりあんた、身体大丈夫なの?病院にはちゃんと行ったんでしょうね』

  「行ったけど、かすり傷だけ」

  『はぁ……そういう時はちゃんと連絡しなさいよ』

  「ん……ごめん」

  喉につっかえたみたいに、言葉がうまく出てこない。未だに義両親と話すのには緊張してしまう。

  『……大和、そろそろ学校には慣れた?また時間あるときにでも帰ってきなさいね』

  「あ……」

  用件は済んだのだろう。「帰ってきなさい」「顔を見せなさい」というのは、大抵電話を切る前の決まり文句だ。いつもならこんな言葉に反応したりしない。しかし、今日の大和はピクリと唇を震わせた。

  「実は……今近くにいるんだけど、この後、家行っていい?」

  『……何言ってんの。あんたの家なんだから、いつでも帰ってきなさい』

  その言葉に大和がほっと一息吐いた。

  「……あ、あとさ」

  言いかけて、霧生を一瞥する。

  「一人、連れていきたいやつがいるんだけど。泊まらせていい?」

  『ええ?お友達?珍しいわね』

  「まあ……そんな感じ」

  『ふぅん?いいわよ。ご飯も用意しとくわ』

  「ありがと」

  適当に誤魔化しつつ、大和はまだ胸の奥に重く残っている緊張感に拳を握った。

  実家を出てもう3年以上になる。帰省するのは一年に二回——盆と正月だけ。それほど遠くない距離に住んでいるのに、どうしてこうも精神的な距離があるのかは、考えるまでもない。

  普通に会話はできる。高校の寮に入るまでは一緒に暮らしていたし、「家族」をしてくれていたと思う。それでも、どこか他人行儀なままの関係。

  『じゃあ、気をつけてね』

  「ああ……」

  通話を切ると、大和はひとつ深呼吸をする。

  「母親か」

  「まぁな」

  霧生からの問いかけに、大和はスマホをポケットに突っ込みながら、ぼそりと答えた。

  「んじゃ、行くぞ、霧生」

  「家に、か?」

  「ああ……さすがに風呂入りたいし、まともな飯も食いたい」

  本殿の横に置いてあった荷物を手に取って立ち上がる。バイクはもうないから、歩きで向かわなければ。

  神社の石段を降りる二人の背中を、暖かな日差しが照らしていた。

  昼下がりの陽射しが降り注ぎ、草木がそよぐ音が心地よい。

  長い儀式を終えたばかりの霧生は、どこか不思議そうな顔をしていた。

  「……変な感じだ」

  ぽつりと呟く霧生に、大和はちらりと横目をやる。

  「何が?」

  「足の裏から地面を感じる。風も……体の中に染み込むように入ってくる」

  「お前、今まで感覚なかったのかよ」

  「いや、あった。あったはずなんだが……こうも違うとはな」

  霧生は歩きながら、拳を開いたり閉じたり、頬を撫でたりしてみたりしている。まるで、自分の体の感覚を確かめるように。

  「今更すぎるけどさ、ちゃんと歩けてんのか?」

  「問題ない。大和が隣にいるから」

  「そういう意味じゃなくて!」

  ツッコみながらも、霧生が隣にいることが、どうしようもなく安心した。霧生が眠ってしまってから、そう経っていないのに、なんだかとても懐かしい気持ちだ。

  そうやって、いつもの調子に戻りかけた大和だったが、子どもの頃に歩いていた通学路に行きあたって、思わずため息を吐く。

  「はー……やばい」

  「どうした」

  「実家に行くの、未だに慣れねぇの」

  一年に二回しか帰らない場所。

  特別何か嫌な思い出があるわけではないのに、家に入るたび、どこか自分がそこに“馴染まない”ような感覚を抱いてしまう。

  「霧生、変なこと言うなよ」

  「変なこと?」

  「……なんていうか、俺のこと家族とか。あと、べたべた触るとかもナシ」

  「それは無理だ」

  「即答すんな!!」

  霧生は困ったような顔をしつつも、少しだけ笑った。

  「わかった。気をつける」

  「マジで頼むぞ……」

  元々、パーソナルスペースなど知らない霧生である。大和は大きな不安を覚えつつ、のろのろと実家への道を歩いた。

  どれだけゆっくり歩いても、所詮は小学生の徒歩圏内。あっという間に大和の実家に辿り着いた二人は、玄関の前で立ち止まる。

  「……はー、マジで緊張する」

  何度も両手を握っては解くのを繰り返し、チャイムを鳴らせない大和に、霧生がそっと頭を撫でた。

  「なっ……おい!」

  思わず手を振り払いそうになったが、その恥ずかしさがほんの少し緊張感を和らげた。霧生は、ただ静かに大和を見つめている。

  (……ったく。)

  大和は小さく息を吐き、ようやく意を決してチャイムを押した。

  ピンポーン。

  「はいはい……って、あら、大和。ほんとに近くにいたのね」

  「……ちわ」

  ドアが開いた瞬間、義母が驚いたように目を丸くする。大和は目を逸らしながら、少しだけ頭を下げた。

  「あら、お友達もの凄くイケメンね!!外国の方?って、ああごめんなさい、入って入って」

  大和はなんだか不思議な感覚がした。違和感と言ってもいい。

  (なんだろ……この感じ。)

  「霧生だ。邪魔する」

  普段どおり遠慮のない口調で挨拶をする霧生を横目に玄関で靴を脱ぎながらその原因を考えていると、奥からバタバタと足音が近づいてきた。

  「兄貴じゃん!珍しい!」

  部屋の奥から顔を覗かせたのは、中学に上がったばかりの弟——陸人だった。陸人は勢いよく玄関に駆け寄り、二人の顔を交互に見比べる。

  「……陸人、久しぶり」

  大和は微妙な間を置いてから、ややぎこちなく応えた。

  その直後——

  「わん!!!」

  足元から高い鳴き声が響いた。

  「うおっ!?」

  驚いて飛び退くと、そこには小さな柴犬が尻尾を振りながらぴょんぴょんと跳ねていた。

  「い、犬!?」

  「ああ、こいつ、最近うちに来た犬。名前はコタロウ」

  「……コタロウ」

  大和がしゃがみ込むと、コタロウは興味津々に彼の匂いを嗅いでくる。

  「お前、犬大丈夫なのか?アレルギーは……」

  「アレルギー?それってちっさい頃の話だろ?しかも動物アレルギーじゃないし。っていうかコタロウめっちゃ可愛いでしょー!お母さんが知り合いから譲ってもらったんだ!」

  大和が困惑していると、コタロウはくるりと霧生のほうに目を向け——次の瞬間、ぴたりと動きを止めた。

  「……?」

  霧生がコタロウを見つめる。

  コタロウも霧生をじっと見つめる。

  沈黙。

  「なんか、霧生のことめっちゃ見てね?」

  「見てる、な……」

  コタロウはふと、霧生の匂いを嗅ごうと鼻を近づけるが、すぐにピクリと耳を動かし、一歩引く。

  そして——

  「わんっ!」

  唐突に吠えると、勢いよく大和の後ろに回り込んだ。

  「お前のこと、怖がってんじゃねぇの?」

  「これは……」

  「うん?」

  霧生は少し考え込むようにして、それから大和にだけ聞こえるように小さく呟いた。

  「俺の中に、まだ少し……神の気配が残っているのかもしれないな」

  「……は?お前はもう人間だろ?」

  「そのはずなんだが。動物は人間よりも敏感だから、何か感じたのかもしれない」

  ひそひそと話をする大和の足元で、コタロウがきゅうんと小さく鳴く。そんな中、陸人はキラキラとした目で霧生を見上げていた。

  「なあ、兄貴」

  「なんだよ」

  「この人、兄貴の友達?すげぇ雰囲気あるイケメンだな!」

  「あー……まぁ……」

  大和はため息をつきながら、ようやく家の中へと足を踏み入れた。霧生と陸人と、神に怯える小型犬と一緒に。

  先に部屋に入っていた母がキッチンから顔を出す。

  「ああ、大和、お父さんは今日仕事の人と出かけてるのよ。来るって連絡くれてたら出かけなかったでしょうに」

  「……まぁ、急だったし」

  大和が肩をすくめると、母は霧生をちらりと見た。

  「それにしても、霧生くんてば本当にかっこいいわね!モデルとかしてるの?」

  「していない」

  霧生が無表情で即答する。大和はまたも感じた違和感にやや首を傾げた。

  「で?近くまで来てるって言ってたけど、どこに行ってたの?」

  「あー……白霧神社」

  「ああ、あんたあそこ好きね」

  昔からよく行ってたでしょう、と続けられて、大和が少しだけ目を見張る。

  「……母さん、知ってたのか?」

  「そりゃあ、気づくわよ。帰ってくるのが遅いと思って探しに行ったら、いつもあそこにいたから」

  霧生がじっと大和を見つめる。なんだか居心地が悪かった。一人、神社で時間をつぶしていたことが母に知られていたことも、心配して自分を探してくれていたことも、今初めて知ったのだ。

  「それにしても、大和にこんなイケメンの友達ができたなんて、びっくりしたわ」

  「ほんとだよな。なんでヤンキーの兄貴とこんなイケメンが友達になったんだろ」

  「俺と大和は友達ではなく——」

  「ま、まあ成り行きで!」

  霧生の言いかけた言葉に慌てて被せる。

  (今こいつ、何て言いかけたんだよ……!)

  どんな説明でも、母と弟に誤解される気がする。家族にしても、恋人にしても——。

  恋人……。

  (いやいやいや、そうじゃなくて!!でも、あいつこれから俺と一緒に生きるとか言ってたし……いや、待て、それってつまり……)

  「うわああああ!!!」

  「何よ急に!」

  「びっくりしたあ!!兄貴どうしちゃったの!?」

  大声を上げると、母と陸人が二人して飛び上がった。霧生は、自分の言葉を遮られたのが不服なのか、少しだけ眉間にしわを寄せている。

  「ってかそもそも、霧生と両想いっ?!そのうえずっと一緒に生きるとか、恋人ってか伴侶?!そっちの意味で家族ってこと?!」

  「ふ……」

  二人には聞こえないほどの大和の小さな独り言が聞こえ、霧生はふっと目を細めた。まるで「気づくのが遅い」とでも言いたげに。

  「……っ!!!」

  霧生の笑った声が耳に入り、大和はハッと口を押えた。今自分は何を口にしたのか。自分の行動が信じられず、真っ赤になって硬直する。そんな彼を、三人がじっと見つめた。

  「なんか、兄貴雰囲気変わったね」

  「ええ、こんな大和見たことないわ。霧生くんのおかげかしら」

  「大和はいつも可愛いぞ」

  「可愛い?」

  陸人が訝しげに霧生を見上げる。大和は、ようやく意識を取り戻したように、勢いよく霧生の方に振り向いた。

  「……今、何つった?」

  「可愛い、だ」

  さらりとした言葉に、大和の動きが完全に止まる。

  「お、お前……っ!!」

  母と弟が興味津々に二人を見つめる中、大和の顔はさらに赤くなっていくのだった——。

  母が夕食の準備をすると言うので、霧生と大和は、コタロウの散歩をすることにした。元々動物は大好きだが、中でも犬が好きだ。コタロウは愛らしくくるまった尻尾を揺らしながら、大和のペースに合わせて歩いている。

  「いい子だなー、コタロウ」

  名前を呼べば顔を上げ、真ん丸の目が大和をじっと見つめた。

  さっき色々と自覚してしまったからだろう。今霧生と並んで歩くのは、やたらと気恥ずかしかった。必死にコタロウに集中し、意識を逸らせようとする。

  「……大和は」

  「ん?」

  「大和は、まだ母や弟と話すのが嫌か?」

  霧生が静かに問いかける。大和は、ふっと軽く息を吐き、空を見上げた。

  「いや……そうでもないかもな」

  夕焼けが西の空を染め上げ、橙色の光が二人の影を長く伸ばしていた。コタロウは軽快に歩きながら、時折振り返って大和の様子を伺う。風がそっと頬を撫でるたびに、心の奥に溜まっていたわだかまりが少しずつ溶けていくような気がした。

  「俺は、ただ家に一緒に住んでるだけだと思ってた。俺だけ血が繋がってなくて、俺だけ家族じゃない。父さんと母さんは、しょうがなく俺を育ててくれてるんだって、思ってた。でも、俺が帰ってこない時、母さんは心配して探してくれてたんだな」

  大和の声が、茜色の空気に混じっていく。

  「陸人が酷いアレルギーって知って、俺本当は犬が飼いたかったけど、絶対無理だと思って言えなかった。俺より陸人の方が当然優先されるだろうって。でも、言ってみたら違ったのかもな。俺が高校で寮に入りたいって言っても、こんな格好をしてバイクを乗り回し始めても、二人とも何も言わなかった。でもそれは、俺のことがどうでもよかったんじゃなくて、尊重してくれてたからなのかなって。俺は自分だけ家族じゃないって悲観してたけど、俺の方が勝手に線引きしてたのかなって、今はそんな気がしてる。ちょっとだけど」

  「そうか」

  霧生の相槌は柔らかく、大和の胸にすっと染み込んだ。こんな風に思えたのは、紛れもなくこの男のおかげだと、思う。

  突然、霧生が不思議そうな顔で腹を撫でた。

  「……腹から変な音がした」

  「あはは!腹が減ったんだな」

  「これが、空腹か」

  霧生は本当に人間になったのだ。そして、大和と一緒にこれからも生きてくれるのだ。どうしようもなく嬉しい。胸が一杯になって、大和は歩みを速めた。

  「霧生、早く帰ろう」

  家へ戻る道すがら、ふと父の姿が目に入った。夕食前に帰ると言っていたが、用事は済んだらしい。

  「父さん」

  大和が声をかけると、父は一瞬驚いたような表情を見せた。

  「散歩か」

  「ん。夕飯ができるまでの間に」

  「そうか。君が霧生くんだね。母さんから聞いてるよ」

  「はい」

  短いやり取りの中に、じんわりとした温かさを感じた。

  (俺のこと、話してたんだ。)

  大和の知らないところで、父も母も彼を気にかけてくれていた。

  霧生が横で静かに佇んでいる。ふと目が合うと、霧生はただ静かに頷いた。それだけなのに心が軽くなる。

  (……ああ、やっぱこいつのおかげだ。)

  玄関のドアを開ける。

  家の中には、いい匂いが漂っていた。

  「おかえりー!ご飯もう出来てるわよ……って、お父さんと会ったのね」

  「……ただいま。そこで会った」

  コタロウのリードを外し、足を拭いてやる。

  「先に手を洗ってらっしゃい」

  母の声に、大和と霧生、そして父は洗面所へ向かう。三人で順番に手を洗うのがなんだか擽ったかった。霧生も自分も、家族の一員として馴染んでいく感じがして。

  リビングに入ると、食卓に母の手料理が並び、陸人は先に席についていた。お箸もお椀も、大和と霧生の分が用意されていて、見慣れたテーブルは少し窮屈になっている。

  席に着く。霧生も、陸人も、肘が当たりそうなくらいに近い。けれど、もう不安も緊張もなかった。家族の一員として、ちゃんとここに座っていると、そう思えた。

  テーブルには白米に味噌汁、焼き魚に煮物、漬物までついた、どこか懐かしい雰囲気の和食が並んでいる。

  「霧生くん、ごめんなさいね。私、おしゃれな料理とか作れなくて」

  少し申し訳なさそうに手を合わせて言う母に、霧生はゆっくりと首を振った。

  「いや、和食は好きだ。大和が作るのもいつも和食だから」

  「お、おい!いらんこと言うな!」

  大和が慌てて霧生を睨むが、霧生はどこ吹く風とばかりに「いただきます」と言ってから味噌汁を啜っている。

  「あら、あなたたち一緒に住んでるの?」

  母が興味深そうに目を輝かせながら尋ねる。大和は口に含んだご飯を吹き出しそうになりながら慌てて飲み込み、赤くなった顔で反論する。

  「ち、違うから!こいつが勝手に転がり込んできただけで!」

  「ふーん……?」

  陸人が箸を動かしながらニヤリと笑う。

  「それで?霧生さんは何してる人なの?学生?それとも社会人?」

  「んん……社会奉仕、か……?」

  「えっ、ボランティア?!」

  陸人が驚いた声を上げる。元々神様だったのを知っている身としては、言い得て妙だな、なんて思っていた。

  「でもボランティアってお金にならないじゃん」

  「大和が養ってくれている」

  「してねぇよ!!」

  大和が勢いよく突っ込みを入れるが、霧生はまったく気にしていない様子で煮物を口に運ぶ。気に入ったのか、里芋ばかりを選んで食べ進めていた。

  「じゃあ、霧生さんは兄貴のどこが好きなの?」

  「おまっ、何……ッ!?」

  陸人が面白がるように問いかけると、大和はガタンと椅子から立ち上がる。

  「大和は優しい。何も覚えていない時も俺を追い出さなかったし、俺が倒れている時も毎日看病してくれた。飯も美味いし、可愛いし、いい匂いもする」

  「ギャアアアアアア!!お前!何!ハァアアア?!」

  当たり前のように答える霧生に、大和がじたばたと暴れる。三人は「へぇ~」と意味ありげな表情を浮かべ、大和を見つめた。「食事中なんだから座りなさい」と言う母に、顔を真っ赤にしながら椅子に座って俯く。

  「もう飯が喉を通んねぇ……」

  その言葉に、家族の笑い声が響いた。

  追及の手を緩めない母と陸人をなんとか宥め、ようやく食事を終える。食後の片付けを手伝い、風呂も済ませた頃にはすっかり夜も更けていた。

  大和は自分の部屋へと足を向ける。実家に帰るのは久しぶりだったが、随分と使っていないはずの部屋は清潔に保たれていた。母がたまに掃除をしてくれていたのだと思うと、また胸がきゅうっと締め付けられた。

  だが、そんな感謝の気持ちは次の瞬間、霧散する。

  部屋の中央に敷かれた二組の布団。それが、見事にぴったりとくっついていたのだ。

  「母さん……っ!」

  まるで「夜伽はこちらでどうぞ」と言わんばかりの布団の配置に、大和はぎゅっと拳を握りしめ、恥ずかしさにぷるぷると震える。

  そんな彼の葛藤など知らないと言わんばかりに、霧生は何の躊躇もなく布団へと潜り込んでいた。昔の大和の寸足らずの服を着て、すでにくつろいだ様子だ。

  「何を突っ立っている。早く入れ」

  掛布団の隙間から覗く金色の瞳が、大和を真っ直ぐ見つめている。

  「お前なぁ……」

  ため息混じりにぼやきつつも、大和は仕方なく布団に入る。実家の布団はふかふかとしていて、少しお日様の匂いがした。まるで霧生に包まれているようで、どうしようもなく、落ち着く。そして、すぐ隣には霧生がいる。じんわりと伝わってくるその体温に、ふとアパートで一緒に暮らしていたことを思い出す。

  「こうやって一緒に寝てたの、すげぇ前みたいに感じるな」

  何気なく呟くと、霧生がわずかに目を細めた。

  「色々と、一遍に起こったからな。無理もない」

  「ほんとに、嘘みたいなことがいっぱいあったな。お前が転がり込んできて、神だとか狼だとか信じられないことばっかり言って、なぜか一緒に暮らして、倒れて……消えるとか、人間になるとか……っ」

  思い出して、目の奥が熱くなる。またこうして一緒にいられるのが、奇跡のように感じた。

  「泣くな」

  「泣いて、ない……っ」

  霧生がそっと大和を抱きしめ、指で目元を拭う。

  「こうしてまた大和に触れられて、嬉しい。俺を救ってくれてありがとう」

  「俺は、別にっ……むしろ、今まで、俺を守ってくれてたのはお前で……」

  そのせいで霧生は力を使いすぎて倒れた。そして今は人間となって神の力を失ってしまった。

  「俺は大和と居られるだけでいい。これ以上ない幸せだ」

  霧生の言葉が全身に染み込み、じんわりと身体を温める。

  「子どもの大和を神社で初めて見た時、こんなに美しい人間がいるのかと目を疑った」

  「……」

  「見目も心も美しく、芯の強さがあって、一目で『欲しい』と思った。そしてお前も俺を求めてくれた。その時からずっと、俺には大和だけだ」

  「……っ」

  熱烈だった。霧生の真っ直ぐな視線が大和を射抜く。

  「お、れは……」

  言わなければ。自分の気持ちを。きちんと伝えなければ。

  「俺、は、お前のこと、覚えてなかったけど、なんでか追い出せなくて。ずっとなんか、懐かしくて。で、どんどんお前といるのが心地よくなって」

  顔が熱い。見られたくなくて掛布団を引き上げようとするが、その手を掴まれる。そのうえ顎を指で救い上げられて、至近距離で見つめられた。

  「や、め……」

  「続けろ」

  大和の瞳に、また涙が滲む。

  「……お前が消えるかもって、思ったら、頭真っ白に、なって……っ。霧生に生きててほしくて、霧生を失いたく、なかった……っ」

  「ん」

  「だから……」

  一瞬言い淀んだ後、ぐっと唇を噛み締める。

  「昔のこと、思い出す前から、お前のこと、好きになってた……!思い出したら、俺のこと、ずっと守ってくれてたってわかって、もっと、好きになった……っ」

  「大和……」

  「約束どおり、俺と、ずっと一緒にいろ!」

  「ああ。大和は俺のたった一人の愛する伴侶だ。絶対に離れない」

  「霧生……!」

  力いっぱい抱きしめ合うと、霧生の鼓動が直接響いてくる。生きている。霧生に包まれている。大和が顔を上げ、自然と二人の唇が重なった。

  「ん……」

  「大和……っ」

  ここは実家なのに。一階には両親も弟もいるのに。わかっていても止められなかった。忙しくキスの合間に服を脱ぐ。すぐに首筋に顔を埋め、匂いを嗅がれる。この仕草も、懐かしくて涙が出そうだった。

  「は、は、大和……いい匂い……」

  「ン……っ、人間になっても、わかんのか、よっ」

  「わかる。発情している、甘い匂いがする」

  「ん、あ……っ」

  ぺろ、と耳の裏を舐められる。ぞくりと背筋が粟立ち、たまらず全身を仰け反らせた。

  「や゙、ぁっ!」

  「可愛い……大和、可愛い」

  「あ゙、ん゙ん゙!声、やば、い……ッ、聞こえるッ」

  「我慢しろ」

  「ん゙ん゙っ、無理、ぃ」

  力無く首を横に振ると、霧生がキスで唇を塞いでくれる。それでも、胸の突起に指を這わされると、唇の隙間からくぐもった声が漏れた。

  「ん゙、ぅっ!ん゙ん゙……っ」

  「はぁ、大和、大和」

  「きりゅ、ぅっ」

  今までにないくらい身体が昂っている。軽く胸の先を指の腹で擦られているだけで、ガクガクと腰が戦慄いた。大和は霧生に縋るように抱きつき、必死に彼の唇を吸う。愛おしさで身体が弾けてしまいそうだった。

  「大和、愛している」

  耳元で囁かれた言葉が、必死に耐えていた大和の背中を押す。コップの水があふれるように、じんわり甘く、ゆっくりと絶頂へと押し上げられた。

  「んぁッ、やばい、やば、いッ、ぅ゙ーーー……っ!」

  大和が唇を噛み締めながら、ぶるり、と大きく身体を震わせる。そそり立った陰茎から、どろりと白濁が一筋漏れたのを見て、霧生が息を呑んだ。

  「ぁ゙、俺、からだ、へんに、なって、る……っ」

  「大和ッ」

  胸への軽い戯れで甘く達した大和に、霧生の理性が崩れた。上から覆い被さり、鎖骨を甘噛みする。そのまま身体中に噛みつき、キスをし、大量の印をつけていった。

  「フー……フー……」

  「ぁ゙、きりゅ、そこ、やばい、っ」

  少しでも反応したところは霧生にしつこく舐めしゃぶられて、大和は身を捩って快感に抗っていた。大きく脚を広げられ、太ももの付け根や陰嚢の裏まで、顔を埋めて匂いを嗅がれる。恥ずかしくて身体が燃え上がりそうだった。

  「そ、なとこ、いや、だぁ……!」

  「大和……すごく、いい匂い……」

  温かい舌の感触が鼠蹊部を這い、そのまま陰嚢を通って、しとどに濡れた陰茎に辿り着く。ぬめった口内に迎えられ、大和の腰が大きく反った。まるで離れてほしくないというように、ぎゅっと太ももが閉じる。

  「んあっ!そ、れ、だめ、声、が……っ」

  「我慢しろ」

  「ン゙ッ、ああっ」

  必死に両手で口を押さえ、声を押し殺す。それでも、唇が絞りながら上下し、亀頭を舌全体で覆われると、大和の口から堪えられない嬌声があがった。

  こんな気持ちいいのは知らなかった。甘く達した後で敏感になりすぎている。じゅ、じゅ、と吸われると、脳みそまで溶けていく感じがした。

  「きりゅ、も、やばい、やばいからっ」

  すぐに熱が迫り上がってきたのを感じて、口を離させようと腰を捩る。しかし霧生はしっかりと抱え直し、一層深くまで飲み込んできた。

  「バカ……っ、も、出そう、なんだってっ!」

  「ん、もう少し」

  「や、や、無理無理無理ッ!」

  舌のざらざらとしたところで、裏筋を小刻みに扱かれる。かと思えば、甘く吸い上げながら舌先で鈴口を抉られる。その間も唇はしっかりと上下していて、大和の腰も釣られるようにカクカクと動いてしまっていた。

  「ぁ゙……やば、い……ッ、も、我慢できな、いッ!来てる、上がってきてる、から!離して、霧生……っ」

  陰嚢がぎゅうっと上がる。押し出されるように、渦巻いていた熱が一点を目指して昇ってくる。尿道口がぽっかりと開いた。それを塞ぐように霧生が舌を強く押し付け、くちゅくちゅと穿る。

  大和はたまらず大きく身体を仰け反らせ、亀頭を喉奥に突き込んだ。

  「ぁ゙……ッ!ゔ、ぐ……ッ!ん゙ーーーッ!」

  勢いよく精液が飛び出し、霧生に飲み込まれていく。嚥下されるたびに吐精させられ、身体が何度も痙攣と硬直を繰り返した。

  「ぁ゙、っふ、っふ、はああっ」

  ぬぽ、とゆっくり喉奥から抜かれ、そのまま残滓も吸い上げられる。蕩けて脱力しきっている大和に、霧生がそっとキスをした。射精後の気怠さの中でそれに応えながら、大和は霧生の下肢に手を伸ばす。そこは見事に天を突いて勃ち上がり、先端から滲んだ蜜で下着の色が変わっていた。少し滑る先を指先で擦りながら、大和はごくりと唾を飲み込む。

  (俺、男なのに、これ、欲しくなってる……。)

  後孔が勝手にきゅんきゅんと収縮していた。大和は自分の浅ましさに顔を赤く染め、横を向く。しかし霧生に顎を掬われ無理矢理視線を合わせられた。

  「大和、好き。大和と番いたい」

  「番うって……?」

  「交尾して、伴侶になることだ」

  「う、ぇ……っ?!」

  自分も同じことを求めていたのに、こうもはっきりと言葉にされると居た堪れない。それでも身体は正直で、陰茎からあふれた先走りがぽたりと糸を引いた。

  「ぁ、えと、でも、霧生、ここじゃ……」

  うろうろと目を泳がせながら大和が言い淀むと、霧生の剛直が一回り太くなる。

  「大和、俺と交尾するの嫌じゃないんだな?」

  「えぇ……っ?!」

  「大和、脚開け」

  「うわ、バカ!」

  思い切り両脚を広げられ、全てを晒け出す格好にされた。必死に手で股関を隠しつつ、大和は慌てて首を振る。

  「霧生、無理!」

  「なぜ拒む!こんなに想いあっているのに、大和は番いたくないのか?!」

  「うわ、違う違う!俺だって、お前と、その……番いたい、け、ど……」

  自分がいかに恥ずかしいことを言っているのか実感が湧いてきて、大和の声がどんどん小さくなっていく。霧生は拒まれた怒りから眉間に深くしわを寄せていたが、首まで真っ赤にしている大和を見て、少しだけ表情を緩ませた。

  「クッソ、ヤりてぇのがお前ばっかりだと思うなよ!でもここ実家だし、なんも準備してねぇし、だから無理ってだけだから!」

  「本当か……?」

  「なんで嘘吐かなきゃなんねぇんだ!あんなこっ恥ずかしい告白までしたんだぞ!」

  とうとう無理やり布団を被ってしまった大和に、霧生がその布団ごと抱きしめる。

  「大和は俺のことが好きか?」

  「……当たり前だ」

  「ちゃんと言ってくれ」

  「す、好きに決まってんだろ!じゃなきゃこんなの、許してない……」

  大和の広げられた両脚の間には、また上を向いて蜜を滴らせている陰茎があった。霧生が太ももをさすると、太ももも陰茎もぴくりと震える。すぐにでも奥まで挿入して揺さぶって種を付けたい。そんな本能が湧き上がってくるのに抗いながら、霧生は大和の内腿に何度も吸い付いた。

  「ひゃっ」

  「フー……フー……」

  「ああもう!ちょっと待て!」

  大和が勢いよく起き上がり、そのまま四つん這いの姿勢になる。ぎゅっと太ももを閉じ、霧生に顔を向けて睨みつけた。

  「今は入れらんねぇけど、ここ、挟んでやる、から……っ」

  情けなさと恥ずかしさでどうにかなりそうだ。自分から尻を向けて、まるでねだるみたいに。

  霧生は無言のまま大和に覆い被さった。後ろから太ももの隙間に陰茎を差し込む。適度に筋肉がついたそこは、熱い杭に驚いたのかぶるりと震えた。

  大和の陰茎の下に霧生のものがぴったりとくっつく。それは激しく脈を打ち、蜜を滴らせていた。霧生は低く呻きながら背中にたくさんのキスをしてくる。

  「ぅ……霧生……っ」

  「やま、と……動かすぞ」

  「はああっ」

  ずるり、と引き抜かれたかと思うと、すぐに激しい抽送が始まった。肉のぶつかる音が部屋に響く。会陰から亀頭まで、霧生のもので擦り上げられている。見れば、大和の太ももの間から霧生の亀頭が飛び出したり引っ込んだりしていた。二人の蜜が絡んで、ねちゃねちゃと白く泡立った糸が引いている。

  (こんなの、もう、セックスじゃねぇか……っ!)

  「うぁッ!ん゙ん゙、ん゙、ぐッ」

  「はあっ、大和も、気持ちいいか?」

  「ん゙、ん゙、……もち、い……っ」

  霧生のもので裏筋を擦られ、たまらず太ももに力が入る。みちみちと締まったそこをこじ開けながら陰嚢を突き上げられると、つま先まで痺れるほどの快感がよぎった。霧生も堪えられないというように、喉の奥から低い呻き声を絞り出している。その気持ち良さげな声が、大和の思考を霧がかかったようにぼやけさせていく。

  「霧生、ッ、好きだ、ぁ」

  「ゔ……ッ!ぐぅぅぅ!」

  「ぁ゙、ん゙、気持ちい……っ、きりゅ、霧生、好き、大好きッ」

  「はああッ!大和、まずい、もう……っ」

  大和が、涙と涎でぐちゃぐちゃになった顔で霧生に愛を囁く。その目はとろんと蕩け、愛慕と悦楽に溺れているのが見てとれた。霧生のピストンが一気に加速する。

  大和がそっと下肢に手を伸ばし、パンパンに膨れ上がった霧生の亀頭を優しく手のひらで包んだ。そのままくちゅり、くちゅりと捏ね始める。

  「ゔ、ぉ゙……ッ」

  「きりゅ、の、すご……どろどろ……」

  「~~~~ッあ゙!もう出る、出、る……っ」

  霧生は大きく腰を振って、太ももをこじ開け大和の手の中に陰茎を押し込む。一番奥まで突き上げると、まるで褒めるように亀頭を揉まれ、下肢がびくびくと痙攣した。腰が止まらない。大和が大きく震え、太ももに力が入る。霧生は目の眩むような快感に、天を見上げ喉元を晒した。

  「お゙……ッ、ゔ、ゔ、ゔッ」

  「はあああッ!ん゙ん゙っ、ん゙、ぁ……っ」

  大和の手の中に霧生の大量の精液が迸る。大和自身も達したらしく、陰嚢が何度もしゃくりあげるように押し上がっていた。

  最後まで出させようと、大和の手が射精直後の陰茎を絞り上げる。ぶるぶると腰を痙攣させながら、霧生は耐えられず大和のうなじを噛んだ。

  「痛、ぁ゙っ」

  「ぐ、ゔううう!ぅ゙、あ゙!」

  「すご、まだちょっと出てる……」

  大和の人差し指が鈴口を割り、こちょこちょと擽るようにそこを抉る。霧生は背後からきつく大和に抱きつきながら、腰を激しく振り立てた。

  「やま、と……ッ!ゔ、ゔ!ゔーーーッ」

  立て続けに二度目の射精が始まった。大和はその光景を熱に浮かされたような目で見つめながら、射精中のそこを指の輪っかで上下に扱いてやる。カリ首を重点的に引っ掛けてやると射精の勢いが増すのがわかった。獣のような声をあげながら、何度も精液を噴き上げる霧生に、大和の後孔がきゅんきゅんと疼いた。

  最後の一滴まで搾り出し大和の手が離れると、霧生はどさりと布団に倒れ込んだ。やや虚な目でふうふうと息を吐いている。

  大和もティッシュで汚れを拭き取り、霧生に並んで布団に横になった。冷静になると、とんでもなく恥ずかしいことをした自覚が湧いてくる。じっとしていられず、寝返りを打って霧生に背を向けた。

  「大和……」

  「ファッ!」

  すぐに背中が暖かくなり、抱きしめられたのだと気づく。そのままうなじの匂いを嗅がれ、ぺろりと舐め上げられた。

  「こ、ら……!」

  「大和、足りない。もっとしたい」

  「これ以上はダメだっつの!バカ!」

  「……」

  霧生は拗ねたように甘噛みをしてくる。霧生に触れられたところが痺れ、ぞくぞくとしたものが背筋を通るのがわかった。このままでは本当にまた始まってしまうかもしれない。

  「……続きは……ウチ帰ってから、な……」

  「……!」

  もごもごと消え入りそうな声で呟いて掛け布団を頭まで被った。顔から火が出るとはこういう感覚を言うのだろう。耳も首も、手先までじんじんと熱い。

  「帰ったらすぐ交尾する」

  「~~~っ!その、交尾ってのヤメロ!なんか生々しい!」

  「間違ってない」

  「そう、だけど……っ」

  甘えるようにぐりぐりと頭を擦り付けられて、髪の毛が擽ったい。どうしようもなく恥ずかしいのに、この暖かさから離れたくなかった。前に回された霧生の手に自分の手をそっと重ねる。

  「ほらもう寝るぞ」

  「ん……」

  「おやすみ」

  「おやすみ……大和……」

  散々体力を使った後で、少し高い霧生の体温に包まれ、大和はすぐにうとうとと眠りに落ちた。久しぶりに感じるこの安心感。なんだかいい夢が見られそうな気がした。

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