「侵入」
「ふあああ…」
見張り台の上、オークの男は一つ大きな欠伸を漏らした。
「何を寝ぼけている。そんな態度でいるとワイバーンどものエサにされちまうぞ?」
隣で同じ見張りの仕事をしていた人間が彼に向かって怒鳴った。
「分かってるよ!」
オークの男は、そう怒鳴り返すと塀の上から場外の様子を見た。
変わり映えのないいつも通りの光景だ。
退屈な仕事だ。早く帰って眠りたい。
もしくは、向う見ずな侵入者がやって来てくれれば、ちょうど良い憂さ晴らしにもなるのだが。
そんなことを考えていた時だった。
カツン…!
どこからか、固い物同士がぶつかる音が聞こえた。
「何だ?」
隣の人間がそうつぶやいた瞬間。
カツン…!
また聞こえた、さっきよりも音が遠い。
「西の城壁の方だな。俺が見てくる」
オークの男は、そう言うと音の聞こえた方に向かった。
やっと、憂さ晴らしができる。
そう思っていたが、程なくして彼は自分の過ちを思い知ることになった。
一方、取り残された人間の方はホッと息をついていた。
やっとオークのうるさい声とムッとする匂いから解放された。
「いっそうそのままワイバーンのエサにでもなっちまえ」
彼は小さく悪態をつくと、城壁の縁にもたれ掛かった。
この仕事は退屈だが、見張り台は安全で楽な仕事場だ。
ここならば、ワイバーンでもない限り襲われる心配などない。
彼は、そう思っていた。
だが次の瞬間、その妄信が跡形もなく崩れ去った。
突然、背後から何者かが彼を羽交い絞めにし口を塞いできた。
一瞬、ワイバーンかと思ったが、口をふさぐ手は黒いなめし革のような皮膚を除けば人間のそれと大差ないモノだった。
誰だ?誰なんだ?
男はパニックになりながら自分の背後にいるモノを振り払おうともがいた。
だが次の瞬間、喉に焼けつくような激痛が走り彼は叫ぶ間もなく意識を失った。
※
「終わった?」
ブラムは、スヴェートの方に近づきながらながら尋ねた。
彼女の足元には喉から血を流し事切れている人間の男の死体が横たわっていた。
「ええ。滞りなく」
スヴェートは、死体には目もくれず手にしたナイフの血を拭っていた。
「そちらは、どうですか?」
彼女はナイフを鞘に納めながら問い返した。
「問題なかったよ。オークがひとり来ただけ」
そう答えるブラムの身体には、大量の返り血がついていた。
「一先ず、第一関門は突破と言ったところですかね?
それにしても、ブラムは高いところに登るのが得意なのは意外でした」
数分前、見張りを攻略するために壁をスルスルと上って行ったブラムの姿を見たスヴェートは改めて彼が魔物なのだと再認識したばかりだった。
「壁を登っていた時のブラム、何だか木登りしてる猫みたいでしたね」
「村でも良く言われたよ」
ブラムはそう答えると。二人の立つ壁の内側にそびえる建物を見上げた。
「早くマリの所に行かないと…」
※
ブラムとスヴェートが城の攻略を始めた頃、マリは牢屋の中でボンヤリと遠くを眺めていた。
彼女が殺した人狼の死体は、看守と思しきオークの男が数人来て片付けていったが、床の血だまりと死者の匂いはそのままにされていた。
同族殺しの儀式は何度行おうと慣れと言うモノがない。
長年密かに続けていた研究のおかげで〝堕心〟の本来の意味はある程度解明できたが、それでも堕心した仲間を自ら救うことはできない。
何とも空しい研究成果だ。
マリは独りため息をついた。
その時、何処からか扉が開く音がした。
看守だろうかと思っていると、案の定、先程人狼の死体を運び去ったオークの一人が目の前に現れた。
猪のような頭のオークは慣れた手つきでマリのいる牢屋の鍵を開けると中に入り彼女の手に鎖のついた枷をはめた。
「喜べ囚人。お前は女王様の花嫁に選ばれたのだ」
オークは首の枷を外しながらマリに向かってそう言った。
「〝女王の花嫁〟? 生憎、私にそんな趣味はないんだがな」
「勘違いするな。花嫁とは生贄と言う意味だ。それも、女王以外肉片一欠け血一滴たりとも食すことの許されぬ最高の生贄と言う意味だ。
名誉な事と思え」
「つまり、女王に頭から丸ごとバリバリ喰われるってこと?
残念だけど、そっちの趣味もないから名誉とは思えないわね」
「違うぞ囚人」
オークは意味ありげな笑みを浮かべながら言った。
「違うって何が?」
「女王は〝花嫁〟をバリバリとは喰わない。生きたまま丸呑みにするのだ」