「還る時」
「着いたわ」
突然エレオノラが立ち止まりながら言った。
彼女の視線の先には大きな建造物があった。
古風な造りのそれは、城にしては小さく地味だが貴人の別荘にしては大きく立派なモノに見えた。
「やっと敵の本拠地だね」
ブラムは、人狼と同じ方向を見ながらつぶやいた。
「ここにマリもいるんだよね?」
「ええ。わずかですが、頂上の玉座の間で彼女の気配を感じます?」
「気配?随分と曖昧な表現ですね?」
エレオノラの言葉にスヴェートは訝しげな視線を投げかけながら尋ねた。
「ごめんなさい。でも、他に適切な言葉がないの。
ただ、マリがそこにいるのは確か。これだけは、はっきり言えるわ」
「そう言えば、人狼は生まれつき感覚の一部が鋭くなるって聞いたことがあるな。
たしか、マリも手の感覚が結構鋭かった気がする…」
ふと思い出したように、ブラムが、つぶやいた。
「つまり、その〝気配〟を感じるのが、貴方は得意と言うことですか?」
「そう。まあ、〝死んでからは〟より敏感になったみたいですけどね」
人狼のその言葉に場の空気が一気に凍りついた。
「それって、どう言うこと?」
とブラムが問いかけた時だった。
エレオノラは、さっと腕を上げ自分の手を見つめた。
その手は霧のような半透明にモノに変わっていた。
「残念ですが、そろそろ時間切れのようですね」
人狼は悔しそうに唇を噛みしめながら言うと、呆然とする二人に目線を戻した。
「申し訳ありませんが、私はここまでのようです。本当なら一緒にマリを助けて一言謝って置きたかったのですが…」
「貴方は一体…」
スヴェートは呆然としたまま尋ねた。
「そうですね。一言で言うなら、マリの初めての戦友でしょうか」
「戦友って…。マリって、最初ウールヴヘジンだったんだよね?」
ブラムの問いにエレオノラは頷いた。
「そして、貴方は最初自分はリュバンの国民だと言っていました」
スヴェートの責めるような追及に対しエレオノラは落ち着き払った様子で頷いた。
「あれは、嘘です。そうでも言わないと、協力してもらえないと思ったので…」
「僕らを、騙したのか?」
ブラムの語気が荒くなっている。
スヴェートは、片手を上げ彼を制した。
「色々と聞きたいことはありますが、時間がないようなので一つだけお尋ねします。
貴方が、私たちに望んでいることはなんです?」
「マリを助け出すこと。彼女を捕えてる魔物とその眷属の生死は問いません。
彼女の居場所は、あの建物の入り口近くにある武器庫に手がかりがあるはずです」
「分かりました。では、まずは武器庫を目指しましょう」
「お願いします」
エレオノラは胸に手をあてながら一礼した。
彼女の身体は、徐々に形を失い今では腰から下が白い霧のようなモノに変わっていた。
次の瞬間、人狼はふと何かを思い出したように、再び口を開いた。
「それから、もう一つお願いしたいことがあります」
「なんですか?」
「マリに会ったら、伝えて下さい。〝エレオノラは、マリを赦している〟と」
と、エレオノラが言い終わった時だった。
彼女の残った身体が突然弾け彼女の一部だった霧も跡形もなく消えてなくなった。
「行ってしまったようですね」
スヴェートは、空に視線を移しながら言った。
「還った…のかな?」
ブラムは同じ方向を見ながら尋ねた。
「そうかもしれませんね」
そう答えはしたが、スヴェートはどことなくエレオノラが未だに近くにいるような気がしてならなかった。
だが、今はそのようなことを考えている時ではない。
スヴェートは自身を叱咤すると、魔物の住む建物をスッと睨みつけた。
「行きましょう。マリが待っています」
彼女の言葉にブラムもうなずく。
「うん。行こう」
二人は、建物に向かって進み始めた。
※
魔物の根城へ向かうスヴェートとブラム。
その二人の背を物陰から覗き込む者がいた。
「さてさて。どうなることじゃろうな」
リュカオンは、そうつぶやくと顎の毛をさすった。
「きっと上手くいくわ。どちらも優秀な狩人だもの」
突然、彼の手元から声がした。
老狼は驚いた様子もなく、手に持っていたカンテラを持ち上げた。
カンテラの中には火を湛えた蝋燭の代わりに白く光る小さな玉のようなモノが鎮座していた。
「君は、そう思うのかいエレオノラ?」
リュカオンはカンテラに向かって尋ねた。
「その口調だと、貴方は、あの二人ではマリを助けられないと思っているみたいね」
返答の声は、カンテラの中の光から発せられていた。
「そうは言っておらん」
リュカオンは首を振った。
「ただ、ワシは多くを見すぎた。志半ばで倒れる者を幾度となくな…」
「相変わらず悲観的ね。じゃあ、どうして私に彼らと接触しろと言ったの?」
「他に適した者がいなかっただけだ」
「それは、どうかしら?」
カンテラの中のエレオノラはからかう様な口調で言った。
「そろそろ場所を移そうか?」
リュカオンは露骨に話題を変えたが、エレオノラはあえて何も言わなかった。
「私も、もう還るのね…」
彼女は感慨深げにつぶやいた。
「いや、君はまだ還らなくとも良い」
意外な返答に光の玉はかすかに輝きを増した。
「でも、もう時間切れじゃないの?」
「確かに、君と世界の繋がりはもう切れている。だが、今しばらくの間は、ワシがここに止めておいてやろう」
「…」
「君も結末を見ずに還るのは、いささか心残りであろう?」
「…貴方って思ったよりも慈悲深いのね」
エレオノラの言葉にはさっきまでのからかいはなく、純粋に感謝の念が込められていた。
「慈悲ではない。死にぞこないの老いぼれの気まぐれじゃ」