Scape wolf 2-16「救世主」

  「救世主」

  

  ロキたちが戦場で鬨の声を上げ互いを鼓舞していた頃、マリは、集落で義勇兵の訓練を眺めていた。

  「昨日の晩で集まったのが、これだけか」

  ふと、隣に腰かけていたガルムが独り言のように言った。

  彼の視線の先にいる兵士は、二十人ほど。

  昨夜の襲撃のことを考えると、あまりにも心もとない人数だ。

  「一晩でこれだけ集まったんだ。マシな方だよ」

  マリは、そう言うと、彼の方に顔を向けた。

  「いざとなったら、私一人でも戦うさ」

  「今は、冗談を聞きたい気分ではないのだが…」

  「冗談じゃないことは、お前が良く知っているだろう〝番人〟?」

  「その名で呼ばれるのは、久しぶりだな」

  ガルムは、口もとをゆるめながら言った。

  「ああ、分かっているさ。ただ、あまり気負わないでくれよ、〝黒狼〟」

  「今は、〝灰色狼〟だよ」

  マリは、そう言うと、ゆっくりと立ち上がり兵士たちの背後に広がる森を見た。

  「客人が、来たようだな。私が、先に様子を見てくる」

  

  マリは、集落の南のはずれに広がる森に入った。

  音が聞こえたのは、このあたりのはず。ロキたちは、西から出発したから、相手が少ないリスクと労力でここまでたどり着くルートを考えれば、この場所に行き着くのが自然だろう。

  灰色狼は、剣を背中からはずし、周囲に注意を向けた。

  音の主は、すぐに見つかった。

  いや、見つけられたと言った方が正しいだろう。

  しばらく森を彷徨っていると、突然、男が一人木の陰から飛び出しマリにすがりつこうとした。

  「止まれ!」

  マリは、剣を突きつけながら男に向かって叫んだ。

  「降伏する。助けてくれ!」

  男は、両手を天高く掲げながら言った。

  彼の着ているシャツの肩の部分には退魔騎士団が好んで使う十字のシンボルが刺繍されていた。

  武装は一切しておらず、着の身着のままと言った格好だった。

  「お前、騎士団の人間か?」

  マリが剣を下ろしながら尋ねると、男はゆっくりと頷いた。

  「そ、そうだ。でも、今は違う。逃げてきたんだ」

  「逃げてきた?どうしてまた…」

  答えは大体分かっていたが、念のため尋ねた。

  男は手を上げたまま答えた。

  「俺は、農家の息子だったんだ。でも、一年前に魔物退治の報酬の代わりに親に売られたんだ。

  今まで辛抱してきたが、もう限界だ。仲間からは奴隷のように扱われ、外に出ればいつ死ぬとも分からない。それに…」

  彼の言葉は、そこで途切れた。

  突然目を見開き短い悲鳴を上げながら、男はうつ伏せに倒れた。

  その背には、大量の矢が針山のように生えていた。

  マリは、男のもとに駆け寄った。

  「おい、しっかりしろ!」

  だが、無駄だった。

  矢の一本が貫通して心臓まで達していた。

  マリは、やりきれない思いで立ち上がると、矢の飛んできた方向を見た。

  武装した兵士が数十人。全員がこちらに向かって矢を放とうと弓を構えていた。

  ヒュンという風切音とともに数十本の矢が、放たれた。

  マリは、とっさにその場を駆け出し矢を全て避けた。

  「裏切り者を殺せ」

  「バケモノともども焼き払え」

  兵士たちが口々に叫んでいるのが聞こえた。

  続けて剣を抜く音。

  マリのなかの獣が、血を求めて立ち上がった。

  「まとめて狩ってやるよ、黒羊どもが」

  重心を下げて剣の刀身を肩に乗せ、相手の出方をうかがう。

  だが、次の瞬間、マリのもとへ飛び込んできたのは、剣でも矢でもなく騎士たちの悲鳴だった。

  突然、青白い炎が目の前に広がり、戦士たちは黒焦げの死体と化した。

  「この火は…」

  マリは、そうつぶやきながら左手をさっと振った。

  赤黒い炎が、彼女の背後に表れ、勢いよく森に広がった。

  赤い火は、白い火を呑みこみながらマリを囲うように広がり、やがて巨大な炎の要塞のようになった。

  「そこにいるのは、分かっている。出てこい」

  マリは、わずかに残った白炎に向かって言った。

  すると、炎から人影が現れた。

  頭からつま先までを白く輝く鎧で覆い、右手に十字型の長剣を握っている。

  身体からは、強い香の匂いが漂っている。

  「久しぶりだな、マリ」

  白騎士は、マリに向かって言った。

  男とも女ともつかない不気味な響きの声だ。

  「何をしに来た?」

  マリは、相手を睨みつけながら言った。

  その顔は、いつの間にか狼のそれに変わっていた。

  「争いを止めに来た。この争いは、あまりにも醜い…」

  騎士は怒りと悲しみが入り混じったような口調で言った。

  「これは、私たちの問題だ。お前には関係ない」

  マリは剣を騎士に向けながら言った。

  「いや、関係ある。碧玉の騎士団にリュバン。どちらも私の望む世界には不必要な存在だ。

  今までは、目をつぶってきたが、今回ばかりは粛清せねばならない」

  「彼らには、指一本触れさせない」

  「なあ、マリ。私とともに行く気はないか?君は、十分戦った。

  君のためにも、私は新世界を作りたいんだ」

  「この世界を消し去ってからか?」

  「そうだ。この世界は、あまりにも醜い。だからこそ、今一度この地を更地に変え、新たな世界を作るのだ。

  人と魔物、区別のなく互いを慈しみあえる世界を。

  マリ、もう一度聞く。私たちとともに行かぬか?」

  「黙れ!父を殺したお前になど、したがうつもりはない!」

  「君の父は、愚かだった。まさか、救世主たる私に刃を向けるとはな。そうでなかったら、君と一緒に新しい楽園で暮らせただろうに…」

  白騎士のこの言葉を聞いた瞬間、マリのなかで何かが音を立てて崩れた。

  「黙れ…。黙れ黙れ黙れ!」

  マリは、白騎士のもとに駆け寄ると剣を水平に振った。

  白騎士は、その一撃を手にした長剣で薙ぎ払い、体勢が崩れたところに蹴りを入れた。

  人狼の身体は、数メートル吹っ飛び、地面に転がった。

  「そこだ!」

  白騎士は、倒れたマリに近づき剣を振り下ろした。

  だが、騎士が感じたのは、肉の斬れる音でなく、剣が何か硬いモノにぶつかる音だった。

  騎士の剣は、細い剣の刀身に当たっていた。

  マリは、右手に持った細剣で騎士の剣を受け止めると、左手から取り出した何かを相手の腹に向けた。

  騎士が一歩後ろに下がるのと、パンと言う乾いた音があたりに響き渡ったのは、ほぼ同時の出来事だった。

  白騎士は、自分の腹に手をあてた。

  指の間から大量の血が流れ落ちた。

  マリの左手には、煙を上げる短銃が握られていた。

  「その剣と銃、懐かしいな…」

  騎士は、そう言いながら腹から手を離した。

  いつのまにか出血が止まっている。

  「君がウールヴヘジンに入ったばかりの頃、エレオノラから受け継いだのだったな。

  まだ持っていてくれて嬉しいよ…」

  「お前のために持っているんじゃない。これは、私の十字架だからだ」

  「やはり、まだ君は自分の責任だと思っているのだね?」

  「…」

  「彼女が死んだのは、君のせいではない。あれは、嘘をついた人間どもの責任だ。

  そもそも人間がもっと寛容であれば、君やマリアが追放されることも、ウールヴヘジンが存在することもなかったのだ」

  「だから人間を滅ぼすと言ううのか?」

  「人間だけでない。この世の全てだ。

  この世界は、幾度もの争いで醜く歪んだモノに変わってしまった。

  だからこそ、世界は一度滅び新しく作り変えなければならない」

  白騎士は、そこで一度言葉を切ると、剣を腰の鞘に納め、マリの方へ手を差し出した。

  「マリ。君は、この醜い世界のためによく働いてくれた。新しい世界では、永遠の安らぎを約束しよう。

  だから、私と一緒に来なさい」

  「断る!」

  マリは、騎士の言葉が終わらぬうちに答えた。

  「たとえ世界を作り変えたとしても、罪は消えない。お前の罪も、私の罪も…。

  そんなうわべだけの安らぎなど、私はいらない」

  彼女は、そこまで言うと右手の剣を騎士の方に向けた。

  「仮に私が安らぎを得るとすれば、それはお前を殺した時だ、ルー」

  「そうか、残念だ…」

  白騎士は、手を下ろしながらささやくように言った。

  「今日は君のその意志に免じて、下がらせてもらおう。

  だが、私は間もなくこの世界を滅ぼすつもりだ。心変わりがあったら、早めに私のところに来なさい」

  彼は、そう言ううと踵を返し手をさっと払った。

  次の瞬間、マリの作った火の壁が消え、騎士はそのまま森の奥へ進んで行った。

  「待て!」

  マリは、騎士を追いかけようとしたが、気づくと彼の姿はどこにもなかった。