「洞窟にて」
夜、雨、森の中。
ブラムは、赤い水たまりの中から女性の身体を抱き起した。
「大丈夫か?」
女性は彼の方を見ながら、かすれるような声で言った。
「何でだよ。俺のことなんか放っておけば良かったのに…」
ブラムは嗚咽交じりに言った。
目には涙があふれ、女性の顔が歪んで見える。
女性はブラムの問いに答えず、ゆっくりと目を閉じた。
「ミナ?おい、ミナ!返事をしろ。俺を置いて逝くなよ…!」
ブラムは声を上げたが、ミナは目を開けようとしなかった。
「ブラム…」
彼女は目を閉じたままささやいた。
「私の血を喰らえ。私の命を使って生き延びろ…」
ミナはそう言った瞬間、彼女の身体が急に重くなったように感じた。
ミナはそれ以上何も話さなかった。口もとから漏れていた白い息も、今はもうない。
ブラムは天に向かって声を上げた。
その時、背後で音が聞こえた。
巨大な獣が地を踏みしめる音。
強い殺気を備えたその生き物は、ブラムと事切れたミナの方に向かっていた。
ブラムは、ミナの顔に視線を戻した。
彼女の最期の言葉が頭の中で反響する。
ブラムは、その首に犬歯を突き立てた。
首から流れ出るミナの命が口の中に広がった。
次の瞬間。ブラムは全身が熱くなるのを感じた。
肉がよじれ骨がきしむ。
生きてやる。ミナにもらったこの命、ここでコイツにくれてなどやるモノか。
ブラムはミナの身体をそっと地面に置くと、立ち上がり後ろを振り返った。
気がつくとブラムは、石の壁に囲まれた部屋の中にいた。
昨夜のスヴェートの記憶が、すこしずつよみがえってくる。
「夢、か…」
ブラムは、そう独り言をつぶやくと濡れた目をゴシゴシとこすった。
長い間心の奥に封じ込めていた古い記憶の夢。
その封印が解けたのが疲労感のせいだけでないことは彼自身よく分かっていた。
ブラムは、マリの方を見た。
彼女は、まだ眠っている。
普段のピリピリとした感じはない。
これまでの寝姿を野に生きる狼の寝方に例えるなら、今の彼女は家の中で買われた犬か猫の寝姿だ。
ブラムは、無防備に眠る人狼をしばらくの間見つめ続けた。
彼女ほどではないのかもしれないが、自分にもヒトに話したくない過去がある。
別にやましいことではない。
ただ、話すとその記憶が昨日のことのようによみがえり、自分を苦しめるのが辛いのだ。
昨日、マリは自分に自身の記憶を見せてくれたが、あれは全てではない。
ウールヴヘジンに殺された父との思い出、彼女が各組織を転々と渡り歩くことになった理由、アゾットやデボラという謎のジン物、そしてモリガンと言う人狼。
分からないことはまだ数えきれないほどあったが、ブラムは前ほど気にはならなくなった。
彼女はいずれ教えてくれるはずだ。教えてくれなければ、それでも良い。
ブラムは胸の内でそうつぶやくと立ち上がり、洞窟の外に出た。
外に広がる森は、平和そのものだった。
針葉樹の葉が揺れ、その間を小鳥が歌いながら舞い飛ぶ。空高く昇る太陽が、それらを優しく照らし出す。
美しい自然の光景を見ながらブラムは物思いにふけった。
マリは自身の傷をブラムに見せた。
それは、彼女自身の弱みを知ってしまったということだ。
自分は、このまま自分の記憶を胸に閉まっておいて良いのだろうか?
ブラムは自分の胸に拳をあてた。
「良いわけないよな…」
もしかすると、これは自分と―自分の過去と向き合う時なのかもしれない。
痛みを分かち合う。リュカオンが言ったのは、こういうことなのかもしれない。
彼は、そう自分に言い聞かせると洞窟に戻った。
中では、マリがすでに起きて自分の足に巻かれた包帯を外し始めていた。
「おはよう。体調は、どう?」
ブラムが話しかけると、マリは彼の方を見て答えた。
「問題ない。今日一日じっとしていれば、傷もすぐに治ると思う」
彼女はそう言うと、おもむろに靴とストッキングを脱ぎ足を撫でた。
傷は、すでに半分ほど塞がりかけていた。
「マリって本当傷の治りが早いよね。それって、この前見せてくれた治癒の魔法と関係があるの?」
ブラムが尋ねると、マリはうなずいた。
「周りの話では、私は人狼の中でも特に治癒の力が強い個体らしくてな。そのせいか、大抵の毒物も効かない身体なんだ」
「そう言えばあの時、剣で胸を刺されていたよね。あれも、その力と関係があるの?」
かなりデリケートな質問だったが、ブラムは敢えて言葉に出して尋ねた。
今を逃せば、彼女はさらに固く心を閉ざしてしまう。
そんな不安がブラムを後押ししていた。
不快に思われただろうか?
一瞬そう思ったが、マリは気にする様子もなく質問に答えた。
「さすがに私でも致命傷を受けたら死ぬよ」
彼女はそう言うと、左手をブラムの前に差し出した。
中指に、村を出る際に彼が見つけた指輪がはめられていた。
「これは、私がウールヴヘジンにいた時に知り合ったオークから貰ったモノだ」
マリは、そう言いながら指輪の石座をさわった。
石座には、相変わらず本来そこにあるはずの玉が嵌められていない。
「彼女の話では、これはエルフの彫金師が作ったモノで、ここの石座に嵌まっていた石は身につけた者に危機がおとずれると一度だけ身代わりになってくれるモノだったらしい。
もっとも、その石は、あの日に砕けてなくなってしまったがな…」
「じゃあ、その石がマリの死の身代わりになったって言うことなの?」
ブラムが問いかけると、マリは再び首を縦に振った。
「そういうことになるな。まったく、私は、あと何回死ねば良いのやら…」
「えっ…?」
「いや、何でもない」
マリはそう言うと、再び自分の足の傷に目を向けた。
「やっぱりか…」
彼女は、ぼそりとつぶやいた。
「どうしたの?」
ブラムは尋ねがら、彼女の方に近づき傷口を眺めた。
特に変わった様子はない。
「弾が中に残っている」
マリはそうつぶやくと、ブラムの方に目を向けた。
「私のカバンの中に木製の箱が入っている。悪いが、取ってきてくれないか?」
「う、うん。分かった…」
彼女は何をするつもりだろう?
ブラムは、そう思いながらも言われた通りにした。
目的のモノは、すぐに見つかった。
マリのカバンは、キレイに整頓されていて、どこに何が入っているかがすぐにわかるようになっていたのだ。
「マリって意外と几帳面なんだね」
ブラムは、イタズラっぽい笑みを浮かべながら箱をマリに渡した。
「〝意外と〟は余計だ」
人狼は箱を受け取りながら言った。
「何が入っているの?」
ブラムが問いかけると、彼女は箱を開け中が見えるように膝の上に置いた。
銀色のナイフ、消毒液と書かれたラベルが貼られた茶の瓶、ガーゼ、包帯…。
箱の中には、その他ブラムには良く分からないモノがキッチリと並べられていた。
「救急箱だ。だいぶ簡易的だがな」
マリは、そう言いながら箱からナイフと瓶、ガーゼを取り出した。
瓶の中の液体でガーセを湿らせ傷口を拭き、続けてナイフでそこを切開し始めた。
麻酔らしいモノは使っていない。
マリは、顔をしかめながらも黙々と自分の傷にナイフを入れていった。
しばらくすると、彼女は箱からピンセットを取り出し傷口に差し入れ血のついた弾を取り出した。
続けて針と糸で傷口を縫合し、ガーゼで覆うと新しい包帯を巻いていった。
無駄のない動きだ。
「洗って、煮沸しておいてくれ。水がなかったら、私の水筒から使って良い」
マリは、そう言いながら治療に使った器具を布に包みブラムに差し出した。
ブラムは道具を受け取ると洞窟を出て、水源を探した。
幸いにも水源は、すぐに見つかった。
昨夜ブラムがマリを担いで渡った川だ。
ブラムは川に近寄ると、ナイフとピンセット、古い包帯を洗い、マリが「医療用」と言って持たせてくれた小鍋で水をすくった。
洞窟に戻ると、洗ったモノを一つ一つ鍋で煮沸した。
「これで良い?」
ブラムは、全ての工程を終えるとマリに尋ねた。
「上出来だ」
マリは、そう言いながら器具を箱に戻すと突然ブラムの頭にそっと手をおいた。
「ありがとう」
ブラムは、顔が熱くなったような気がした。