Scape wolf 2-1「親切な魔物」

  「親切な魔物」

  

  次に目を開けた時。ブラムは、また違う光景を見た。

  彼は固い地面の上で仰向けに寝ていた。

  石の天井。近くで火が燃えているのか、ほんのりオレンジ色に光っている。

  体中が痛い。

  ここは、どこだ?

  確か自分は傷を負ったマリを運んでいる途中で気絶して、その後リュカオンと言う人狼に導かれマリの精神世界に入った。

  と言うことは、ここもマリの心の中なのだろうか?

  いや、多分違う。

  その証拠に今感じている痛みは、あそこでは一切感じなかった。

  そもそも、あの時はずっと触覚と言うモノがなかった。

  考えてみるとおかしな話だが、足の感覚がないことでパニックになっていたのだから無理ないことなのかもしれない。

  ここは、マリの世界でない。

  だとしたら、ここはどこだろう?

  ブラムは、混乱する頭の中で何とか現状を把握しようと身体を持ち上げた。

  身体中に痛みが走る。

  あの時感覚がなかった足も今はビリビリと痺れているのが分かる。

  まだ生きている。

  今まで痛みをこれほどありがたがったことなどあっただろうか?

  そんなことを思いながらブラムはふっと笑った。

  「気がつきましたか?」

  その時。突然右の方から聞きなれない声が聞こえてきた。

  振り向くと、そこには額にツノの生えた狐のような顔の女性が焚火の前で膝を立てて座っていた。

  炎に照らされたその足は鶏のように見える。

  女性は黒いなめし革のような皮膚に覆われた手に持った木のスプーンで焚火の上の三脚に乗った鍋からドロリとした液体をすくい取ると椀に注ぎブラムに差し出した。

  「凍傷に効く薬です。味は悪いですが、効果は良いですよ」

  ブラムは椀を受け取り一気に飲んだ。

  口の中に酷い苦みと青臭い匂いが広がった。

  彼は何とか液体を飲み下すと、口をゴシゴシと拭った。

  すると、すぐに身体がポカポカと暖かくなるのが感じられた。

  不思議と身体の痛みも感じない。

  狐顔の女性はクスクスと笑った。

  「どうですか?」

  彼女はブラムに尋ねた。

  「すごい薬だね。色んな意味で…」

  彼はそう言いながら椀を女性に返した。

  「僕はエイブラハム。えっと…君が助けてくれたんだよね?ありがとう」

  ブラムは、手を前に差し出しながら言った。

  「当然のことをしたまでです。私はスヴェート。神の恩恵が、あなたに降り注がんことを」

  女性はブラムの手をそっと握った。

  手は、黒いなめし革のようだ。

  と、その時。ブラムは、マリのことを思い出した。

  「あの、スヴェートさん。僕を見つけた時、もう一人ヒトを見ませんでしたか?赤いコートを着ていたのですが…」

  彼の問いにスヴェートはサラリと答えた。

  「いましたよ。そこで寝ています」

  スヴェートの指し示した方に顔を向けると、マリが、そこで寝息を立てながら眠っているのが見えた。

  ブラムは彼女の方に這い寄ると、その顔を覗き込んだ。

  顔は狼のまま。

  見たところ、命に別状はないようだ。

  「大切な方なのですね」

  スヴェートが後ろから声をかけてきた。

  ブラムは彼女の方を向き直りうなずいた。

  「もう、姉弟みたいな関係かな?もっとも向こうは、そうは思っていないかもしれないけど…」

  彼はそう言うと、口もとに笑みを浮かべた。

  スヴェートも口角を上げて笑った。

  そして、彼女は側に置いてあった荷物を持って立ち上がった。

  「それでは、私はこれで」

  「もう行くの?」

  ブラムの問いに狐顔の女性はうなずいた。

  「申し訳ありませんが、急いでいるので」

  彼女はそういうと、荷物のそばの壁に立てかけてあった長柄の道具を手に持った。

  武器のように見えるが、先端を覆う四角い鞘のせいで槍なのか斧なのか、それとも別の武器なのかは判別できなかった。

  スヴェートは後ろ―ブラムから見て奥の方へ歩いて行こうとした。

  だが、次の瞬間。彼女は何かを思い出したかのように立ち止まると、再びブラムの方を見た。

  「そう言えば、聞き忘れていたのですが、このあたりでリュバンと言うヒトたちが来たという話は聞きませんでしたか?」

  「リュバン?」

  彼女の問いにブラムは首を傾げた。

  「どうだろう?前に西の方で会ったけど、今はどこにいるか分からないな」

  「会ったことがあるのですか?」

  「うん…」

  ブラムは、マリがリュバンだったことは控えてところどころを誤魔化しながらその時のことを話した。

  「ワタリガラスを探せば、彼らに会えるのですね?」

  彼の話が終わると、スヴェートはそう尋ねた?

  「たぶん、そうだと思う。詳しいことはマリが知っているはずだけど、見ての通り今は寝てるから…」

  「かまいません。貴重な話、ありがとうございます」

  そう言うと、スヴェートは行ってしまった。

  彼女の向かった先には大きな穴があり、その先では暗い森が広がっていた。

  ここは洞窟だったのか…。

  ブラムがそう思い始めた時、スヴェートはすでに夜の闇中に消えていた。

  「大丈夫かな?」

  彼は恩人の身を案じたが、マリを残したまま外に出ることもできず結局その場に留まることにした。

  「今日は色んなことがあったな」

  ブラムは洞窟の壁に背をもたせかけながら、そう独り言をつぶやいた。

  ウールヴヘジンとの戦闘、川渡り、マリの過去、親切な狐の魔物。

  一つひとつ思い返していくと、身体にそれまで抑え込んでいた疲労感が徐々に広がり始めた。

  ブラムは目を閉じた。

  寝てはいけない。

  頭ではそう思ったが、身体はそれ以上に正直だった。