「苦しみの炎」
マリは自分の傷口の治療が終わると、続けてブラムの頭の傷を見た。
「ちょっと擦りむいただけだよ」
ブラムは、そう言って断ろうとしたが、彼女は一歩も譲らなかった。
「そういう傷が一番危険なんだ。頭なら、なおさらだ。とにかく消毒くらいはしておかないと」
マリはそう言うと半ば強引にブラムの頭を掴んで引き寄せた。
結局、治療は傷の消毒だけで終わった。
処置が終わると、ブラムはスヴェートについてマリに話した。
「私たちは、運が良かったな…。彼女に大事がないと良いが…」
ブラムが話し終えると、マリは目の前の焚火を見つめながら言った。
「そうだね。ちゃんとお礼できなかったから、また会えると良いなあ」
ブラムは、そう言うとスッと立ち上がった。
「何か食べるモノを取ってくるよ。お腹すいたでしょう?」
マリは無言でうなずいた。
「じゃあ、取ってくるね」
ブラムは、洞窟を出て行った。
彼の足音が聞こえなくなると、突然マリは洞窟の奥に視線を移した。
「そこにいるんだろう?」
彼女がそう言うと、奥の暗がりから何かがやってきた。
リュカオンだった。
彼は銀色の杖をつきながらマリに近づくと、焚火のそばで腰を下ろした。
老狼は何も言わない。
マリは彼に問いかけた。
「さっきアイツが言っていたスヴェートと言うのは、お前がよこしたのか?」
「いいや」
リュカオンは首を横に振った。
マリは疑り深い眼で彼の顔を見た。
「だが、私が私自身と話していた時、アンタは私に言ったよな?〝お前は、まだ死なない〟と」
彼女が再び尋ねるとリュカオンはうなずいた。
「ああ、言ったとも。ワシのシナリオでは、お前は死なない予定だったからな。先ほどの質問の答え、訂正しよう。ワシは、あのキキーモラとは何の面識もないが、あの子を導いたのはワシじゃ」
「催眠術にでもかけたのか?」
マリの目がわずかに光った。
気づいていないのか、リュカオンは声の調子を変えずに答えた。
「そんな時代遅れで下卑た真似はせんよ。あの子が君たちのもとに来れるよう、道を少し動かしただけさ」
「相変わらず、わけの分からないことを言う…」
マリは小さく舌打ちをする。
「そのわけの分からない爺さんの言うことに耳を傾けているのは、どこの誰かな?」
声の調子は変わっていなかったが、リュカオンが皮肉を言っているのは、すぐに分かった。
マリは、ゆっくりと立ち上がった
「勘違いするな。私は私の意志で動いている。リュバンに復讐を誓ったのもアイツに私の過去を見せようと決めたのも全部私の意志だ。お前に言われたからじゃない」
「君がそう思うなら、そうすれば良い。いずれ分かることだ」
リュカオンはそう言うと、立ち上がり暗がりに向かって歩いて行った。
「どういう意味だ」
「ブラム君と言ったかな?あの子を引き離すなら、今だと思うぞ」
老狼は、マリの問いに答える代わりにそう言うと、暗がりに消えてしまった。
追いかけはしなかった。どうせ、もうそこにはいない。
以前に会った時もそうだった。
どこからともなく現れ、また消える。
まるで、影のようなジン物だ。
「引き離すなら今の内、か…」
マリはボソリと独りつぶやいた。
リュカオンが消えてから一時間ほど経った頃、ブラムは帽子を胸に抱えて戻って来た。
帽子の中には大きな川魚が二匹と木苺の実が数個入っていた。
「お待たせ。早く食べよう」
ブラムはそう言うと、焚火の前に腰を下ろし魚を手早く調理した。
内臓を取り出して串に刺し焚火の中に入れ焼き始める。
魚に火が通る間、二人は木苺を食べ空腹をなぐさめた。
食事をとっている間、マリはブラムに別れを告げようと何度も口を開いては閉じるを繰り返していた。
もう、お前とは旅をしない。
それだけ言えば良いはずなのに、言葉が小骨のように喉につかえて出てこない。
彼と一緒にいたい。
狼の自分と人間の自分。そう思っているのは、どっちだか分からない。
分かっているのは、今自分は孤独になることを怖れているということだ。
これほどヒト恋しくなったことなど今までなかった。
ウールヴヘジンにいた時やリュカオンの国民だった時は、仲間がいるのが当たり前だった。
ストレイになった時も、孤独感よりも復讐心の方が勝っていた。
だが、今は違う。
復讐心は、まだ衰えていない。むしろ増える一方だ。
だが、ブラムを弟子にするようになってからマリは少しずつ自分が変化していくのを感じていた。
最初の頃は煩わしいと思っていたのに、いつの間にか彼が隣にいるのが当たり前になり今では別れがたく思っている。
ふと、マリはブラムの方を見た。
ブラムは、焼けた魚をかじりながら何か言いたそうにこちらを見ている。
マリは不安になった。
彼は知っている。
自分が何故旅をしているのか。そして、自分が何に立ち向かおうとしているのか。
ウールヴヘジンは魔物を殺すことに長けた者たちの集団。戦力だけで言えば、一つの国に匹敵するほどの力を持っている。
そんな者たちに刃を向ければ、どんな報復が待っているか分からない。
ブラムが怖気づいたとしても、責めることはできないだろう。
やっぱり別れよう。
マリは、決心した。
それが、ブラムにとっても良い選択のはずだ。
ワタリガラスを探し、リュバンに彼を預ける。
後は、好きなようにさせてやれば良い。
村に帰るなりリュバンの国民になるなりブラムはブラムで進むべき道を決め、マリは今まで通り復讐の旅を続ける。
それが、両者にとってもっとも理想的な選択だ。
マリは、そう何度も自分に言い聞かせるとブラムに向かって口を開こうとした。
だが、その時ブラムの方が一瞬早く言葉を発した。
「ねぇ、マリ」
いつもなら無視しても良かったが、自分からも話そうとした手前沈黙はできない。
「何だ?」
マリはそう言うと、何事もなかったかのように魚をかじった。
「聞いて欲しいんだ…、僕のこと」
ブラムは途切れ途切れに言った。いつものようなずうずうしさがない。
「お前のこと?」
マリは首をかしげた。
「うん。昨日…で良いのかな?とにかく、マリは僕に色々と自分のことを教えてくれたよね?」
「ほんの一部だけだがな」
「でも、大事な一部だった。僕は見るべきでなかったのかもしれない。だって、マリの一番ヒトにみられたくないだろう部分を見ちゃったんだもの」
「…」
「だから、僕も話さなければいけないと思うんだ。僕の…僕自身の傷を。僕の話なんてマリには関係ないだろうけど、でも話しておきたいんだ。自分勝手なのは、分かっている。でも、聞いてくれないかな?」
ブラムは、そう言うと体の向きを変えマリと向き合った。
「はっきり言って、あまり良い話じゃない。マリが嫌だと言うなら話さない。でも、聞いて欲しい」
「…」
マリは、ブラムの瞳を見た。
彼の青い眼の中では言葉では言い尽くせない感情が渦巻いていた。
怒り、悲しみ、憎しみ、恐怖。それらがないまぜになったかのような複雑な表情。
マリは、以前にそんな目を見たような気がした。
いや、見たのでない。感じたのだ。
彼の眼にある感情は、心の中でマリ自身が抱いていた感情と似通っていた。
内に秘めた焼石のような苦しみ。この苦しみから発せられる炎を外に吐き出して誰かに感じ取ってもらいたい。
慰めや同情はいらない。ただ、誰かに知って欲しい。
そして、マリは昨日ブラムに向かって炎を吐いた。苦しみの炎は、ブラムの身をいくらか焦したはずだ。
マリは、自分の行いを恥じた。
あまりにも身勝手で軽率だった。
だが、いくら後悔しても、もう後戻りはできない。
自分がやらなければならない贖罪は、ただ一つ。
ブラムの中で燻っている炎に手を差し入れることだけだ。
「分かった」
マリは、うなずいた。
「聞かせてくれないか?」
「ありがとう」
ブラムはそう言うと、話し始めた。