柴後輩とクロ兄ちゃん【玉ねぎ】

  ────シュコシュコシュコシュコ…アッ……アーッ……ギギッ…ッンハァハァ……シュコシュコシュコシュコ……

  ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバい──────!!!

  隣部屋で何かが起きている。

  いや、本当は何が起きているかは分かっている。

  ─────誰かがシている音だ。

  いや、ここは角部屋だ。誰かではない。彼しかいない。

  ─────どうしてこうなった。

  いや、当然で、自然なことだ。だって彼は・・・。

  シュコシュコ…ギギッ……ンハァハァ…ハァ……

  ───────雄なのだから。

  「━━━━━ッ!!」

  限界突破した刺激に耐え兼ね、俺は声にならない悲鳴をあげて、布団を頭から被った。

  シュコシュコシュコシュコ……

  布団を被っても身体は正直で、ピンと張った猫耳はしっかりと顔を出しており、アリの足音一つ聞き逃すまいとしている。

  今日は[[rb:玄來 > げんき]]の手料理を食べて、久しぶりにケーキを一緒に食べて、喜んでもらえて、そして幸せな眠りにつくはずだった。

  しかし─────今、夢が現実のものとなってそこにある。

  まともな精神状態を保てるわけもない。悪いと分かっていても音から意識を外せない。

  だって仕方ないじゃないか。昨日まで気配を感じるだけで身体がくすぐられてしまうような相手だ。

  ・・・・・・今も大差ないが。

  そんな、可愛い後輩で、幼馴染で、片想いの相手が、頭の中で妄想するしかなかったことを[[rb:現実 > リアル]]に、今、シている。

  隔てているのは、たった壁1枚。

  シュコシュコシュコシュコ…アッ…アー……

  時折女性の声が小さく聞こえる。恐らくスマホかテレビからの音だ。

  そうだよな。普通はそうだ。[[rb:玄來 > げんき]]はノンケだ。

  ──────自分が普通じゃないだけだ。

  こんな風に[[rb:現実 > リアル]]を突き付けられると、分からされてしまったような気持ちと罪悪感が一緒になって胸に渦巻く─────が、しかし。

  俺はベッドから立ち上がり、[[rb:玄來 > げんき]]の部屋側の壁に背中をピッタリ付けて座り込む。

  ききたいもんはききたいのである。

  それに俺はクロ[[rb:兄 > にぃ]]だ。クロ[[rb:兄 > にぃ]]は[[rb:玄來 > げんき]]が1人でキチンと最後までできたかどうか聞き届ける義務がある。

  先程までと違い堂々とした心持ちで、[[rb:失格 > おれ]]は[[rb:玄來 > げんき]]の行為に集中する。

  少し気になっていたが、このシュコシュコという音は普通よりもザラついて聞こえる。

  息遣いも少し強めに聞こえるし、何かが軋む音も頻繁に聞こえる。普通にシている音ではない。

  ──────床か?

  この少しザラついた音はカーペットだろう。全ての点は繋がった。

  [[rb:失格 > おれ]]は、画面の中で声をあげる女性を観て妄想して一心不乱に床で腰を振る[[rb:玄來 > げんき]]を想像し、悶える。

  無性に何か抱きしめたくて、パンダのクッションを持ってきて、再び座り直した。

  それにしても、壁1枚とはいえ防音はされている。ここまで聞こえるものだろうか。

  [[rb:失格 > おれ]]は少し考え、そして気が付いた。

  「まさか・・・」

  カーテンが掛かった窓を見つめる。

  アレは1つのボーダーラインだ。今はただ聞こえているだけ。不可抗力だ。

  しかし、あのカーテンの先へ進むには意思が伴う。あの先に進んでしまえば完全に━━。

  「フッ・・・これじゃ[[rb:失格 > おれ]]は変態になっちゃうな」

  ────────そして[[rb:変態 > おれ]]はゆっくりと窓を開けた。

  [chapter:柴後輩とクロ兄ちゃん]

  ──────[[rb:琉貴 > るき]]が失格する少し前。

  大好きな[[rb:琉貴 > くろにぃ]]との食事を終えた[[rb:玄來 > げんき]]は自分の部屋に戻り、シャワーを浴びていた。

  このアパートの浴室には毛皮用の全身乾燥機が備え付けてある。

  予定していた家賃よりは少し高くなったが、どうしても[[rb:琉貴 > くろにぃ]]の近くがよかった[[rb:玄來 > げんき]]は即決でこの部屋を選んだのだった。

  「ふう。やっぱこれスゲー便利だな」

  全身乾燥機は使うとコレ無しで居られなくなるとよく言われる。

  実は[[rb:琉貴 > るき]]の部屋探しも決め手はコレだ。

  「エアコンはまだ早いよな」

  フワフワになった[[rb:玄來 > げんき]]は窓を開け網戸にした後、テーブルの前に胡座をかいた。

  自身のスマホを見ると、母からの着信とメッセージが来ている。

  帰宅してすぐに食材だけ持って[[rb:琉貴 > るき]]の部屋に行ったため、スマホは置きっぱなしだった。

  “ 元気にしてる?困ったことはない?もし必要なもがあれば送るから連絡して。”

  恐らく電話の用件はこれだろう。

  “ 超元気 くろにーもいるし 店長も奥さんも最高で仕事も順調 給料入ったら送る”

  [[rb:玄來 > げんき]]がこちらで働き始めたのは5月からだ。母のツテで就職は早い段階で決まっていたが、バイト先との兼ね合いで色々相談した結果である。

  “ ひかりの学費どれくらいになりそ?”

  それだけ返信して[[rb:玄來 > げんき]]はスマホを置いた。母親はもう寝ているだろう。

  [[rb:玄來 > げんき]]の家は3人家族で[[rb:光 > ひかり]]は[[rb:玄來 > げんき]]の妹だ。今年で高校2年生になる。

  早くに父親を亡くし、母親は女手一つで2人を養ってきた。

  物心ついた時から、“ 長男として何ができるか”が[[rb:玄來 > げんき]]の行動指針だ。大学なども行きたいと言ったことは1度もない。

  ただ、妹の[[rb:光 > ひかり]]だけは大学に行かせたいと思っていた。

  妹が家庭のことなど気にせず、普通にワガママを言って、親を困らせ、学生生活を謳歌できるようにすることが、[[rb:玄來 > げんき]]の兄としてのプライドだった。

  普段は明るくおおらかで、頼りがいのある兄だが、高校生になった妹がバイトをしたいと言った時は強烈に反対し、ケンカをしたこともある。

  バイトの目的は[[rb:玄來 > げんき]]が危惧したものではなかったが、最終的には[[rb:光 > ひかり]]のほうが折れた。

  電話で[[rb:琉貴 > るき]]に助けを求めた[[rb:光 > ひかり]]を[[rb:琉貴 > るき]]がなだめたという経緯もあるが、女だからダメだの一点張りで押し切った[[rb:玄來 > げんき]]は大したものである。

  「やっぱクロ[[rb:兄 > にぃ]]はスゲーや」

  [[rb:玄來 > げんき]]は頭の後ろで手を組んで、背中からドサッと床に倒れ込む。

  視線を部屋の空気に泳がせながら、[[rb:玄來 > げんき]]は[[rb:琉貴 > くろにぃ]]との記憶を思い返していた。

  母親の仕事の帰りが遅いため、学校が終わったあとは妹と一緒にいつも[[rb:琉貴 > るき]]の家で過ごしていた。

  家の近くには公園や川や田んぼもあり、1度[[rb:琉貴 > るき]]の家に帰ったあと、外に出て遊ぶことが多かった。

  晩御飯を[[rb:琉貴 > るき]]の家でご馳走になることも多かった。

  [[rb:琉貴 > るき]]の姉もよくかまってくれたが、[[rb:玄來 > げんき]]が小1の頃、姉は既に中学生で、いつも学校の友達と遊んでいた。

  ただ、[[rb:一個上 > いっこうえ]]とはいえ[[rb:琉貴 > るき]]は早生まれで、[[rb:玄來 > げんき]]との実質的な歳の差は2ヶ月ほどしかない。

  それでも[[rb:玄來 > げんき]]にとっては立派な兄ちゃんだった。

  幼い頃の[[rb:玄來 > げんき]]は警戒心が強く、人見知りで、常に気を張っているような雰囲気の子供だった。

  それに対して、幼い[[rb:琉貴 > るき]]は明るくやんちゃで、事ある毎に[[rb:玄來 > げんき]]と[[rb:光 > ひかり]]を引っ張り回していた。

  自分で遊びに連れ出しておきながら、目を離した瞬間に居なくなる。それで[[rb:玄來 > げんき]]たちがどうしたらいいか分からなって、泣きそうになったらヒョイと戻ってきて、あっちに秘密の抜け道見つけたぞ、なんて言ってまた引っ張り回す。[[rb:琉貴 > るき]]はそんな子供だった。

  落ち着きをもって兄ちゃんらしくなってきたのは、[[rb:玄來 > げんき]]が川で大怪我をした時からだろうか。

  [[rb:玄來 > げんき]]の左目の下には古傷があり、そこだけ毛が生えていない。

  これは[[rb:玄來 > げんき]]が[[rb:琉貴 > るき]]の真似をして高い所から川に飛び込んだときについたものだ。

  そのときは飛び込み位置が悪く、水中の岩に顔をぶつけて[[rb:玄來 > げんき]]は病院に運ばれた。

  それから[[rb:琉貴 > るき]]は何かと2人の面倒をよく見るようになり、遊びは家の中でゲームをすることが増えた。

  [[rb:玄來 > げんき]]は自分から何かを求めることがほとんどない。それでも[[rb:琉貴 > るき]]は[[rb:玄來 > げんき]]が喜ぶことを楽しそうに、当たり前であるかのようにやってのける。

  [[rb:光 > ひかり]]がバイトをしたがった時もそうだ。普通なら助けを求めた[[rb:光 > ひかり]]の肩を持って、理不尽な主張を繰り返す[[rb:玄來 > げんき]]を説得するだろう。

  しかし、[[rb:琉貴 > るき]]は[[rb:玄來 > げんき]]に何を話すこともなく[[rb:光 > ひかり]]の方を説得したのだ。

  ───────オマケに[[rb:琉貴 > るき]]本人曰く、[[rb:光 > ひかり]]が自分から我慢すると言い出したのだという。

  それが自分の気持ちを分かってやってくれているわけでは無いことに[[rb:玄來 > げんき]]も気付いてる。

  彼は自分がやりたいと思ったことをやっているだけだ。

  ─────だからこそ、クロ[[rb:兄 > にぃ]]はスゲーのである。

  「よし、仕込みやっちまうか」

  [[rb:玄來 > げんき]]はキッチンで玉ねぎの皮をいくつかササッと剥いて、処理した玉ねぎと、密閉式の保存袋、容器と一体になったプラスチック製のおろし[[rb:金 > がね]]を持って部屋へ戻った。

  テレビをつけると、海外ドラマをやっていた。どうやら主人公サイドの女スパイが敵に捕まってしまったらしい。今まさに女スパイが尋問を受けようとしている。

  ─────シュコシュコシュコシュコ……

  [[rb:玄來 > げんき]]は適当にテレビを観ながら、玉ねぎをすりおろし始める。

  「アッ...アーーッ」

  テレビの女スパイが叫ぶ。

  ──────ギギッ

  作業の揺れでテーブルが軋む。

  「────ッンハア・・・ハァ・・・」

  [[rb:玄來 > げんき]]が息を漏らす。

  「結構疲れるんだよなこれ。やっぱミキサーいるかなぁ」

  玉ねぎをおろす時はなるべく鼻で呼吸せず、口で呼吸するのが涙を抑えるポイントである。

  「クロ[[rb:兄 > にぃ]]・・・またウマいって言ってくれるかな」

  玉ねぎをすりながら、[[rb:玄來 > げんき]]は頭の中で自分の飯を美味そうに食べる[[rb:琉貴 > るき]]を思い描く───────。

  「───っし、オレもっとガンバッちゃうよ。クロ[[rb:兄 > にぃ]]!」

  [[rb:玄來 > げんき]]は最後の玉ねぎをすりおろしながら、[[rb:琉貴 > くろにぃ]]の喜ぶ顔を思い浮かべるのだった。

  [chapter:柴後輩とクロ兄ちゃん]

  ※次回冒頭※

  「あーあ。やっちゃったね。クロ[[rb:兄 > にぃ]]?」

  「えっ・・・!あっ・・・その・・・」