柴後輩とクロ兄ちゃん【ケーキ】

  朝って空気が美味しい気がする。

  大学の1限が8時40分。

  いつも通り8時過ぎに家を出て、大学に向かう。

  俺が通っている大学は工業系で、講義では大体パソコンを使う。肩掛けカバンには、いつもノートパソコンが入っていて少し重い。

  近くに住んでいる学生は自転車で通学していることが多いが、俺は徒歩だ。スマホにイヤホンを繋いでアップテンポなゲームミュージックを聴きながら、散歩気分で通学する。ちなみにイヤホンは有線派だ。

  いつもなら曲に合ったシーンなんかを想像しながら歩くのだが、今日はお隣さんになった犬のことを考えていた。

  俺の部屋はアパート2階の角部屋で、[[rb:玄來 > げんき]]がその隣だ。

  部屋の前を通った時は電気がついていなかった。たしか仕事の出勤時間は昼頃だったはずなので、まだ寝ていたのかもしれない。

  これから買い物とか、ゴミ出しの時とか、フとした拍子に[[rb:玄來 > げんき]]と顔を合わせることになるのだろうか。そのときは何を話せばいいのだろうか。

  嬉しい半面、昔当たり前に出来ていたことに、今は自信が無い。

  「はぁ・・・フー」

  相変わらず[[rb:玄來 > げんき]]のことで期待と不安を抱きながらいつもの道を行く。

  ─────今日はやたらと、大学が近い。

  [chapter:柴後輩とクロ兄ちゃん]

  「おはよー」

  「ん、おはよ。[[rb:琉貴 > るき]]」

  「下の名前で呼ぶなって」

  1限目の講義室。いつも通り窓際後ろの席を確保しているデカい虎の隣にいく。

  ──────[[rb:虎守 > こもり]] [[rb:優 > ゆう]]。1年の時からつるんでいる伏し目で物静かなガタイのいいデカい虎だ。最初の講義で隣に座って、それから大体一緒にいる。

  虎はイヤホンを外して、椅子の上のリュックを自分の足元に置いた。ちなみにこいつは無線派だ。

  「なんで」

  「だから恥ずかしいんだよ。女っぽいし、キラキラ感あるし」

  嫌では無いのだが、どうにも気恥ずかしくて、周りには苗字の[[rb:黒井 > くろい]]とかクロと呼んでもらうようにしている。

  「でもクロって紺色じゃん」

  「苗字と毛並みは関係ないの。ウチは家族4人とも黒毛いないから」

  ウチは両親と姉とで4人家族。俺の毛並みは母親譲りで、少し長めのダークネイビーだ。

  父親と姉に至っては真っ白で、黒毛は1人も居ない。

  「ふーん」

  [[rb:優 > ゆう]]は一瞬耳をパタパタっと動かして、机の脇に置いていたグミの袋を開けた。

  「ん」

  「サンキュ」

  向けられた袋の口からグミを1つ摘んで食べる。

  おばあちゃんから飴が出てくるみたいに、[[rb:優 > ゆう]]からはグミが出てくる。今日はグレープ味。好みの味だ。

  俺も朝飯代わりにと売店で買った紙パックの野菜ジュースにストローを刺す。

  「[[rb:一口 > ひとくち]]」

  「ん」

  今度は俺がジュースの飲み口を[[rb:優 > ゆう]]に向ける。

  昔はかなりの潔癖症で、他人が口を付けたものは絶対に無理だったが、テニス部で矯正された。

  主にスポドリ用コップの回し使いとか、ドリンクの回し飲みとかで。

  生きるために人は変われると痛感した一幕である。

  「ごち」

  「ん」

  デカい虎が頭を下ろして、俺の手元からジュースを吸っている様はちょっと可愛いなと思う。

  ホモだからだろうか。

  [[rb:優 > ゆう]]が飲んだ後でも気にせず、俺は中ほどの机で談笑する同期たちを眺めながらストローに口を付けた。

  「なあなあ、講義終わったらラウニャン行かね?」

  「うちカラオケ行きたーい」

  「カラオケならビグワンのほうが近いし安いやろ」

  「じゃあ、うちビグワンがいいー」

  ちょうど俺たちより何列か前の席で、タヌキの女の子を囲んで同期のうぇーい系たちが談笑している。

  ラウニャンことラウンドニャンは色々遊べる複合施設で、ビグワンことビッグ・ワンがカラオケチェーンだ。

  工業系の大学は女の子が極端に少ないそうだが、ウチも例に漏れないようだ。

  俺はノリが良くて絡んでくれる人は好きだし、うぇーい溜りも気にならないが、[[rb:優 > ゆう]]はちょっと違う。

  「工大病」

  「は?」

  「極端に女が少ない工大みたいな環境で発症するらしい。どんな女も可愛く見えるようになるとか」

  「お、おう。そうなん?」

  この虎は言葉をオブラートに包むということを知らない。常に抜刀状態。抜き身のナイフだ。

  「始めまーす。着席してくださーい」

  話しているうちに教授が講義の開始を告げる。

  「生命の神秘だな」

  「俺の前だけにしろよ。頼むから」

  声通らないヤツで本当に良かった。

  ◆◆◆◇◇◇◆◆◆

  4限目まで講義を終えて帰宅。

  スマホを見ると[[rb:玄來 > げんき]]からメッセージが来ていた。

  “ 今日も晩飯作りに行っていい?”

  期待とそのままの文面に胸がぴょんと跳ねる。

  “ 買い出し行っとくよ。何がいる?”

  了承のスタンプと共に食材調達を買って出る。

  作ってもらうのだから、材料費くらいはこちらで持ちたい。相手は社会人様だが、ここで身銭を切らせたらクロ[[rb:兄 > にぃ]]じゃない。

  荷物を置いて身支度しようとしていたら、意外に早く返信が来た。

  “ 今日は大丈夫!”

  メッセージに続いて送られてきたスタンプでは、デフォルメされた柴犬が尻尾を振りながらめっちゃグッドしている。

  店で何かもらえる当てでもあるのだろうか。

  流石に全て任せ切りにするのはクロ[[rb:兄 > にぃ]]としてもすわりが悪い。

  再び了承のスタンプと労いのメッセージを送り、俺は財布とスマホだけ持って近くのスーパーまで調味料と卵の買い出しに向かった。

  ◆◆◆◇◇◇◆◆◆

  「遅くなってごめん!クロ[[rb:兄 > にぃ]]!」

  今日はカバンは無く、食材の入ったレジ袋だけ持った[[rb:玄來 > げんき]]が玄関の扉を開けて入ってきた。

  鍵は彼の帰宅に気づいて予め開けておいた。

  「昨日と同じくらいだろ。仕事お疲れ様」

  レジ袋には玉ねぎらしき影と、大きな袋入りのバゲットが刺さっている。

  「ねえねえクロ[[rb:兄 > にぃ]]見て見て」

  [[rb:玄來 > げんき]]は食材をキッチンの床に置き、部屋に入るとすかさずスマホの画面を俺に向けてきた。

  「・・・うわっ」

  「へへへぇ」

  映っていたのは俺の尻尾くらい長さのあるドデカいネットに入った大量の玉ねぎだった。

  見たところ撮影場所は[[rb:玄來 > げんき]]の部屋のようだ。

  「今日の朝、業務用スーパーで買ったんだ。なんと10kgで1800円!」

  [[rb:玄來 > げんき]]は巻き尻尾を嬉しそうに振って獲物を見せつけてくる。

  正直、玉ねぎの相場が分からんが、お値打ちなのだろう。

  あと、ちょっと近い────嫌じゃないけど。

  「こんなに・・・食べ切れるのか?ていうか、どうやって持って帰ったんだよこれ」

  「[[rb:担 > かつ]]いで!」

  表情そのままに即答だ。

  [[rb:玄來 > げんき]]は嬉しそうにサラッと言ってのけるが、近くに業務用スーパーなんかあっただろうか。

  「待っててクロ[[rb:兄 > にぃ]]!ソッコーで作るから」

  尋ねる暇もなく、[[rb:玄來 > げんき]]はパタパタとキッチンへ向かってしまった。

  「な、なんか手伝う?」

  「大丈夫ー!」

  既に勝手知ったるといった様子で流れるように作業を進めていく。

  取り出した片手鍋をくるっと回して火にかける仕草も、なんかプロっぽくてカッコいい。

  まあ、[[rb:玄來 > げんき]]は立ってるだけでカッコいいが────いや、それは俺だけか?

  部活も頑張っていたのだろう。肩もシャツの上から形が分かる。

  料理をする横顔はキリッとしていて、何時間でも見ていられる気がする。

  もう米だけ炊いてくれたら、お前だけでご飯3杯食えるよ─────あ、ご飯炊いとけばよかった。

  そんなことを考えながら口半開きで[[rb:柴犬 > おかず]]を見つめていると、こちらをチラッと見た[[rb:玄來 > げんき]]と目が合ってしまった。

  俺はビクッとして口を閉じ、耳をピンと立てる。

  [[rb:玄來 > げんき]]も少し目を見開いたが、すぐに困ったように笑った。

  「ごめんクロ[[rb:兄 > にぃ]]。もうすぐだから」

  「え、あっ全然!急がなくていいよ。俺、飲み物とか準備しとく」

  「うん。あ、スプーンも出しといて。大きいやつ」

  俺は冷蔵庫からお茶を出し、2人分のコップとスプーンをキッチンからひったくって部屋へ逃げ帰った。

  ◆◆◇◇◆◆

  「できたよクロ[[rb:兄 > にぃ]]!」

  「おぉぉ!」

  「オニオングラタンスープ[[rb:(時短ver) > かっこじたんバージョン]]!」

  飴色をした濃厚な玉ねぎスープ。その中から斜めにカットされたウインナーがいくつも顔をのぞかせている。その上には粉チーズと、胡椒とガーリックの香りがするバゲットが2枚添えられている。

  「すごいよ[[rb:玄來 > げんき]]!レストランみたいだ!」

  「時短だけど、しっかり飴色してるっしょ」

  そういえば、玉ねぎを飴色にするのは時間がかかるらしい。しかし、[[rb:玄來 > げんき]]のスープは短時間でも飴色で、しっかり加熱された玉ねぎのいい匂いがする。

  「いただきます!」

  「ボナペティート」

  [[rb:玄來 > げんき]]が得意げな顔で手を差し出しながら言う。何語かは分からないが、たぶん召し上がれ的なやつだろう。

  スプーンでスープをすくって、しっかり冷ましてから口に運ぶ。

  「ふぅんまぁ〜」

  1年間、適当な飯屋とコンビニ飯で済ませてきた身体の五臓六腑を浄化するかの如く、[[rb:玄來 > げんき]]のスープが染み渡る。

  [[rb:玄來 > げんき]]は左手で頬杖をついて、その様子を満足そうに眺めている。

  「[[rb:玄來 > げんき]]も食べろって」

  「クロ[[rb:兄 > にぃ]]があんまり美味そうに食うから、見てるだけで腹いっぱいになりそう」

  「これは美味いって。[[rb:玄來 > げんき]]はいいお嫁さんになるな」

  「じゃあ貰い手なかったらクロ[[rb:兄 > にぃ]]んとこ行くかぁ」

  「おー来い来い。バッチコイ」

  美味い飯のおかげか、すっかり昔の調子で[[rb:玄來 > げんき]]と向かい合って談笑した。

  ◆◆◇◇◆◆

  「あ、やべ」

  ちょうど2人でスープを食べ終わった後、[[rb:玄來 > げんき]]が急に立ち上がった。

  「クロ[[rb:兄 > にぃ]]、バターとかってクロ[[rb:兄 > にぃ]]ん[[rb:家 > ち]]の冷蔵庫に置いといてもいい?」

  「いいよ。あ、ついでに冷蔵庫からケーキとミルクティー2つ取ってきて」

  「え?」

  そういえば、今日は調理中に冷蔵庫を開けていなかった。

  外に出ている調味料以外、全て持参したもので作ったのだろう。

  [[rb:玄來 > げんき]]はキッチンに放ったらかしていたバターを冷蔵庫にしまった後、モンブランが2つ入ったケース1つと、ストロー付きのプラ容器に入ったミルクティーを2つ持ってきた。

  「クロ[[rb:兄 > にぃ]]これ・・・」

  「スーパーで見て、食べたいと思ってたんだよ。1人で2つは多いから買わなかったけど。お前がいるならいいかなって」

  俺はケーキを持ってきて固まっている[[rb:玄來 > げんき]]をすり抜け、キッチンからケーキ用の小皿とフォークを持ってきてテーブルに置いた。

  「それにお前、こういうお菓子とかあんまり自分で買って食べないだろ?だから、たまにはさ」

  「クロ[[rb:兄 > にぃ]]ぃぃ!」

  「ぅおぶっ」

  [[rb:玄來 > げんき]]はケーキをテーブルにサッと置いて、俺を思いっきり抱きしめてきた。

  モフッとした胸板を顔面に押し付けられる。咄嗟に息を止めてしまい、胸が苦しい。

  さらに耳には小さくブンブン音が聞こえる。多分[[rb:玄來 > げんき]]の尻尾だ。

  手のやり場に困っていると、流石に苦しくなって、鼻で浅く息をする。

  ほんのりと甘い柔軟剤の香りと、それよりもっと甘く感じる汗と[[rb:玄來 > げんき]]の匂いがする。

  ──────ヤバい。超える。

  なんなら下もちょっと当たっている。

  たぶん絶対俺よりデカい。

  俺は自分の息子が状況に気づく前に、[[rb:玄來 > げんき]]の頭をポンポンと叩いた。

  「くるしいって」

  [[rb:玄來 > げんき]]はゆっくりと俺を放すと、今までで1番の笑顔でへへっと笑った。

  「食べようぜ」

  「うん!」

  オレお菓子も挑戦してみようかな、などと口にしながら、幸せそうにケーキを食べる想い人を見つめる。

  俺は、次は何をしてやろうかと、心地良い思案に浸っていた。

  [chapter:柴後輩とクロ兄ちゃん]

  ※次回冒頭※

  ━━━シュコシュコシュコシュコ…アッ……アーッ……ギギッ…ハァハァ……シュコシュコシュコシュコ……

  ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバい━━━━━!!!

  ☆ウェーイ系に対する[[rb:優 > ゆう]]の態度が気になる方は、シリーズ5話【海】まで読了後、[[rb:優 > ゆう]]視点の読み切り作品『虎がウソをついた日』を読んでみてください!