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1 水位上昇
豪雨の中、闇の翼を拡げる。
真っ直ぐ刺してくるような、重たい雨粒。
纏わり付いてくるような、じめじめとした空気。
自前の翼で飛んでいた頃だったら不快に感じていたかもしれないが、闇の烙印から得られる力で飛んでいる今は、さほど気にならない。
だからと言って火山のヌシ様に感謝する気にはなれない。
この間、地下都市をほぼ壊滅させたくせに、反省の色が見えないどころか、私こと緋鳥騎士ヒエンと、御主人様である地下都市市長グレンの私生活にまで介入し、ふたりきりの暮らしを邪魔しているのだ。
許すまじ、ヌシ様。
雲と空が混じり合ったような混濁とした薄暗い空の下、住処である火山ほど近くの氷河地帯だったはずの場所を飛ぶ。
最近続いた異常気象や地下都市を飲み込んだマグマ逆流事件のせいで、氷山がほとんど融解し、水位が上がってしまっている。
その報告を受け、市長の右腕である私がこの目で確認しにきたのだ。
思ったよりも広い範囲に海が広がってしまっている。
一時的であることを願いたいものだ。
想定以上に飛行時間が長くなってきてしまった。
闇の烙印の力にはまだ慣れていない。
緋鳥族にとって、水は危険だ。
海の中に落ちるくらいなら、溶岩風呂の中に沈められる方がまだマシだとすら言える。
そろそろ休憩しなければ。
2 嵐
火山から東、聖王国方面へやや進んだところへ、一年中溶けない氷山地帯がある。
そこはまだ無事で、足の踏み場があった。
雨も激しくなってきた。
雷雲がゴロゴロと轟く音がする。
先ほどまでは茫洋とした空模様だったのに。
最近は大気の状態が不安定なためか、気候変動が激しい。
ふわりと着地し、エネルギー体の翼をしまい込む。
少し、意識が混沌としてきた。
闇の力の使い方にも大分慣れてきたとは言え、使いすぎるとこうなるのだ。
大雨の中、ふらつく脚で、座れそうな岩場を探してみる。
それにしても、最近は幸せすぎる。
満たされすぎて、怖いくらいだ。
闇の魔力を使うことにも当初は抵抗があったが、グレン様との繋がりの証なのだと思うと愛着が湧く。
首輪を愛おしく擦りながら、雨で滑りやすくなっている氷面に鉤爪をしかと食い込ませ歩いて行く。
ただ、今日は独りで頑張りすぎたかもしれない。
闇の力が齎す高揚感に身を浸しすぎてしまっただろうか。
思ったよりも体力を消耗している。
真っ直ぐだった雨が強風で歪んできた。
それに、火山暮らしにこの寒さは結構堪える。
休憩場所を探すよりも、これ以上弱らないうちにグレン様の元へ帰るべきかもしれない。
空が暗雲に覆われているため、今の時間がいつ頃なのかも分からない。
再び翼を具現化し、飛び立つ。
その瞬間、凄まじい光と衝撃が我が身を貫いた。
3 洞窟
何だか、良い夢を見ていた気がする。
だが、ほとんど覚えていない。
いつものことだ。
悪夢に限って、鮮明に記憶にこびり付いている。
「気がつきましたか?」
目の前に竜の顔が現れて、思わずのけぞってしまう。
すると、ようやく自分が仰向けに倒れていたことが分かる。
夢を見ていたのだから、寝ていたに決まっているのに。
起きようと身をよじると、後頭部の羽毛を通して、ゴリゴリとした硬い感触が伝わってくる。
と同時に、全身に激痛が走る。
「待って。まだ動かない方が……」
見た目に反して、可愛らしい声だ。
そして声に反して、強靱な力で押さえつけられる。
ようやく状況を理解した。
私は氷河での水位上昇の調査を切り上げ、火山の地下都市へ帰ろうと嵐の中で飛び立った瞬間、雷に打たれ気を失ったのだ。
その証拠に、羽毛がところどころ焦げてしまっている。
「でも良かったです。もう目覚めないんじゃないかと……」
可憐な竜は、私を両手と翼で包み込むように優しく抱擁してくれる。
どうやら膝枕をしてもらっているようだ。
グレン様と同じ種族、赤竜だろうか?
ただ赤い鱗、翡翠色の角や爪ともに、グレン様よりも若干色素が薄い。
体型は対照的に、しなやかな印象だ。
同じ種族だからと言って、何でもグレン様と比べるのは我ながらどうかと思うが。
介抱してもらっている姿勢のまま、周囲を見回してみる。
感謝の言葉のひとつくらい捧げた方が……とは思うのだが、まだ油断ならない。
いくら可憐な個体とは言え、竜族は基本的に獰猛なのだ。
どうやらここは、氷河地帯の洞窟の中らしい。
壁や床の岩の凹凸は、不規則なはずなのに規則的に見え、不作為による作為を感じさせる。 やや大袈裟な表現だが、自然の芸術と表現としても差し支えないだろう。
全体的に鮮やかな露草色の光に照らされ、幻想的な風景だ。
4 故郷
「凄い雨ですね」
洞窟の入り口付近。
ふたりで座ってもなお余る、椅子にするにはお誂え向きの岩石を運良く見つけ、外の嵐をずっと眺めている。
この赤竜の名はカエデと言うらしい。
カエデさんは当たり前のことを当たり前のように言う。
私は注意深く距離を取った位置に座りながら、
「雷も風も。早く帰りたいのですが」
私が地下都市を発ってから、どれだけの時間が経ったのだろう。
カエデさんが倒れている私を見つけてくれてからは数時間くらいらしい。
だが、私が雷に打たれて気絶してから、カエデさんに助けられるまでの間は、どれほどだったのだろう。
私の発言を受け、カエデさんは見るからに落ち込んだ様子で悲しそうな顔をしている。
カエデさんの事情も知らないのに、失言だったのだろうか。
私はいつも、軽率な発言で大切な御方を傷つけてしまう。
「カエデさんは、どこの出身なのですか?」
遠回しに聞いたつもりだが、これでも踏み込みすぎのような気がする。
「聖王国です。でも、事情があって、もう帰れません」
素直すぎる答えが返ってきた。
いつでも抜けるように、腰に提げた片手剣に油断なく右手を添えるようにしてきたが、この様子では、その必要もなさそうだ。
5 発見
「ヒエンさんは、お優しいのですね」
カエデさんの思考回路がよく分からない。
私としては、ただただ気まずい時間が空虚に流れ続けているだけなのだが。
早く火山に帰りたい。
だが嵐はまだ止みそうにない。
「雨が止んだら、カエデさんも一緒に帰りますか? 火山の地下都市に」
会話のつなぎみたいになノリで、とんでもないことをポロッと口走ってしまった気がする。 カエデさんは、やはりと言うべきかなんというか、きょとんとしている。
後悔しか湧いてこないが、命の恩竜に「故郷に帰れない」などと言われたら、こう言う他ないのではなかろうか。
むしろ言わされた気さえしてくる。
カエデさんがそのような策略家でないことは、これまでの会話で溶岩流を見るより明らかなのだが。
どう見ても、ただの天然である。
さんざん逡巡したあげく、カエデさんが口を開こうとしたとき、
「こんなところにおったのか、馬鹿者が。捜したぞ」
洞窟の入り口から、嵐を切り裂くかのように、火山のヌシ様が大きな溶岩竜の顔をにゅっと突き出してきた。
相変わらず、空気が読めない御方だ。
こういうときは、どうせなら、グレン様に来てほしかったのに。
6 帰り道
嵐はまだ止まない。
それどころか、雨風の勢いはどんどん強くなっている。
その渦中をヌシ様は翼を大きく拡げ強引に突き進んでいく。
こういうときだけは頼りになる御方だ。
いつもはちゃらんぽらんなのに。
私にだけは言われたくないだろうし、あまりにも実力差が大きすぎるから、何も言えないのだが。
ヌシ様は両手のひらで包み込むようにして、私とカエデさんを抱えている。
「貴様らなぞ、いつでも握り潰せるのだぞ」という圧を感じる。
その中で私はカエデさんと身体が触れないよう、必死に距離を保っている。
カエデさんの性格は全然好みじゃないのに、憧れのグレン様と同じ種族というだけで、なんだかドギマギしてしまう。
不意にカエデさんと目が遭ってしまう。
何か言わないと。
カエデさんも動揺に口を開こうとした瞬間、一際大きな雷鳴が轟いた。
ふたりとも悲鳴を上げて怖がったりはしないが、思わず固まってしまう。
その少し後、同じようなことをしようとして同じようなリアクションで驚いたことがおかしくて、ふたりで気の抜けた笑顔を見せてしまう。
「盛り上がっとる様子だが、もう到着じゃぞ」
ヌシ様は滑空するように、火山の麓へと降りていく。
いつもは火口からマグマの中を突き進んで近道をするが、見ず知らずの赤竜カエデさんに対して気を遣うだけの心配りは流石に持ち合わせているらしい。
竜の顎門のような洞窟の中へふたりで入り、地下都市へ向かって歩んでいく。
ヌシ様は私たちを送り届けると、「洞窟は我には狭すぎる」と言っていつもの近道コースへと戻っていった。
気まずい。ふたりきりにしないでほしい。
別にヌシ様サイズでも通れるだけの広さはあるので、わざとやっているのだろう。
これだからヌシ様は……。
嵐の中、何故ヌシ様には雷が落ちなかったのだろう。
不公平な気がしなくもないが、おかげで無事火山へ到着できたので感謝せねば。
早くグレン様のところへ帰りたい。
7 火山洞
通い慣れた洞窟内を歩く。
雷に打たれた身体の調子は既に回復しつつあるが、カエデさんがいるので、いつものような早歩きはできない。
マグマが煮え滾る音が川のせせらぎのようで心地好い。
だが、カエデさんには恐怖でしかないようだ。
私の数歩後ろを、絶えずオドオドしながら付いてくる。
正直なところ、鬱陶しい。同じ赤竜でもやはりグレン様とは正反対だ。
もちろん、こんなことを口に出しては絶対にいけない。騎士でなくとも当たり前の暗黙の了解(ルール)だ。
飛び石地帯に辿り着く。
カエデさんは上手く飛べるのだろうか。
気になって振り向いてしまうが、よく考えたら翼があるのだった。
「ひゃあぁっ!」
驚くほど情けない声が聞こえ、思わずこちらの方がビックリしてしまう。
見ると、頭を押さえしゃがみこんでいるカエデさんの頭上を子コウモリが羽ばたいていくところだった。
カエデさんは何故そこまで……。
私だったら、グレン様やヌシ様に責められて生命の危機レベルまで達さないと出ないような声だ。
手に手を取ったりは絶対にしないが、この御方がマグマの中に落ちたりしないよう、細心の注意を払わねば。
8 失言
死ぬほど気まずい時間を乗り越えて、ようやく市長室に辿り着く。
壁面や棚にはグレン様がこれまでに獲得した多種多様な勲章やトロフィーが飾られている。
観葉植物やパーテーションで区切られた広い部屋には、ソファや応接間も用意されているが、グレン様の仕事机の前にカエデさんとふたりで立たされている。
どうやら、やっと御主人様の元へ帰って来ても、ほっと一息とはいかないようだ。
既に帰ってきていたヌシ様が、置物のフリもせずニヤニヤとこっちを見ている。
肝心のグレン様はそっぽを向いたまま、しらばっくれて事務仕事を続行している。
「ではカエデとやら。我と共に来てもらおう」
えっ、と一瞬マゴつくカエデさん。
ヌシ様は捕食者としての側面を露わにしたような邪悪な表情を浮かべ、その後ろ側の襟首にかぶりつき、引きずるようにしてカエデさんを部屋の外へと連れ去ってしまった。
あまりの早業に、何が起こったのか把握できない。
とはいえ、ヌシ様のおかげではあるかもしれないが、ようやくグレン様とふたりきりになれた。
直立して気をつけの姿勢を保ったまま、ちらちらとその表情を窺ってみる。
「…………」
完全に無視だ。
き、気まずい。
やはり見ず知らずの赤竜を連れ込んでしまったことで、お怒りになっているのだろうか。
「申し訳ありません。勝手な判断で御荷物を増やしてしまい……」
事務仕事を続けていたグレン様の羽根ペンを持つ手がピクリと止まる。
そのペンの鮮やかな橙と黄の色合いとは違い、自分は顔面蒼白になってしまっていることが分かる。
また失言だっただろうか。
だがどの部分だろうか。
命の恩竜に対して当然のお返しであるはずなのに、不用意に謝罪したこと?
勝手な判断をしたこと?
命の恩竜を「御荷物」などと呼称したこと?
グレン様に対しては、私の発言は全てが失言になってしまう気がする。
9 帰還
「うぅ……っ」
グレン様はやにわに立ち上がると、憤激も露わにどすどすと私に近づき、鶏冠を鷲掴みにしてきた。
その行為自体はいつものことなのだが、今日は特別力が強い。
突然のことで上手く反応できず、羽毛が引きちぎられそうな痛みに呻く。
そのまま壁際まで連れて行かれると、背中から強く壁に打ち据えられる。
グレン様御自慢の勲章たちのいくつかが、鈍い金属音を立てて転がり落ちた。
また謝罪案件が増えてしまった。
私などより余程貴重な勲章が……。
「なに考えてんだ?」
痛みに顔を歪ませながらも、床を転がっていく勲章を目で追っていると、グレン様が野太い胴間声で威圧してきた。
いつもよりずっと顔が近い。
敵性生物に向けるような鋭い視線に、思わず本気で恐怖心を抱いてしまう。
すると、グレン様は、少しばつの悪そうなお顔をする。
私が怯えているのが伝わってしまったのかもしれない。
あってはならないことだった。
また反省材料が……。
「悪かった。俺も言い過ぎ、やり過ぎだよな」
思わず耳を疑ってしまう。
それは私の台詞なのに。
「何故グレン様が謝るのです? 私が一方的にご心配を……」
背を向けかけたグレン様が、はっとしたように向き直ってくれた。
「そうそう。それだよ。分かってるじゃねえか。お前が心配だったの。御荷物とか勲章とかどうでもいいんだ」
夢のような言葉を掛けてくださる。
でも、信じがたいことだが、騙されているわけではなく、本音なのは何となく理解できる。「グレン様……!」
何も考えられなくなり、思わず、その胸に飛び込んでしまう。
グレン様はがっちりと受け止めてくれた。
私の一回りも大きい体躯は、やはり頼もしい。
後になって動揺しているようで、心臓の鼓動が徐々に早くなって、どぎまぎしているのが伝わってくる。
らしくないようにも感じられるが、そんなグレン様も愛おしい。
「私も不安で……」
もう今回こそ帰れなくなるのでは……と言いかけた私の喙を、いつものように口付けで塞いでくれた。
両腕を腰に回して、いつもより優しく抱き締めながら。
やはり、されるがままに弄ばれている。
せめて今日こそは、涙を流さないように幸せを受け入れたい。
10 帰還その2
「心配なさそうじゃな。つまらんの~」
空気を読んで外に出たフリをしておいて、窓の外からこっそりしっかりとふたりを観察していた我なのであった。
できる溶岩竜、火山のヌシ様ことリリーである。
無理矢理巻き込んだ赤竜カエデは、両手を顔で覆って恥ずかしがりながらも、指の隙間からチラチラとふたりを見ている。
種族的にはグレンと同じだが、ヘタレなところはヒエンとそっくりだ。
「ほれほれ。もう行くぞ」
更に空気を読んでもう帰ることにした、偉大なる我。
だがカエデは名残惜しそうな様子だ。
仕方がないので、氷河の洞窟から帰ってきたときよりも乱暴に、右手で胴体を鷲掴みにしてやる。
「どこに行くって言うんですか!?」
へっぽこすぎる声で怯えるカエデ。
ヒエンよりも更に素直で愛らしい。
グレンだったらこういう奴は萎えるだろうが、我には最高の玩具だ。
「火山山頂、火口付近の我の棲家じゃ。ガッツリ仕込んでやるから覚悟せえよ~」
脅すように大口を開けてこれ見よがしに舌舐めずりをしてやる。
案の定青くなって、本気で怖じ気づいた様子。
しめしめ。これからが楽しみじゃ。
ヒエンはもういい。あやつにくれてやろう。
市長邸で役員のやつらで遊ぶのももう飽きた。
これからはカエデの時代、もとい我の時代じゃ。
愛くるしい玩具を右手で大事に掴んだまま、翼を拡げ溶岩流の中の近道へ突っ込んでいく。 カエデがどこ出身かは知らんが、赤竜だしこれくらいのマグマは平気じゃろ。たぶん。
元々の我の棲家で、たっぷりカエデを可愛がってやろう。
ときどきヒエンとグレンにもちょっかいを出しに行こう。
皆で日常を謳歌するのじゃ。
いつの間にか嵐は去ったようだ。
晴れ間の差す空には、わざとらしいくらい綺麗な虹が架かっている。
だが外の風景なぞ、元より別段興味もない。
必要に応じて太陽を破壊するくらいの勢いで生きるのが、ドラゴンらしさなのだ。
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