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[chapter:序章・恋多き天使]
西を治める大国、デランダ王国。
そこは獣の耳と尻尾を持つ、あらゆる種族の獣人達が住む国であった。
その贅を尽くした王都の裾野には、大陸一の繁栄した街並みが広がっていた。
中央の巨大な城壁に守られた城や宮殿には、貴族や王族や大臣、騎士などの獣人だけが住む事を許されている。
その王都は、選ばれた強く美しい獣人達が居を構え、また国の政治を担っていた。
王都の外の城下町では、ヤマネコ族やイヌ族、草食系の獣人達が、商売を営んでいる。
この世界は、どの種族もその身体能力により階級分けされ、それは能力の高い順から『アルファ』『ベータ』『オメガ』に分類されていた。
リーダーとしての才覚があり、獣人としての能力が高い『アルファ』が一族を統率する。
特に王族の『アルファ』ともなれば、自身の気が高まると共に『獣化』する。
獣として神々しい古の姿に戻れる稀なる存在であり、他の獣人達からも憧憬の念を抱かれていた。
全獣人の多くを占める『ベータ』は凡獣人であり、『アルファ』に尽くし、それを支える習性を持つ。
そして最も個体数の少ない『オメガ』は、繁殖力や妊娠率も高く、ただひたすらに子供を産み生き長らえるだけの存在として軽んじられていた。
それは常に発情期や妊娠、出産などで、まともな職に就けないだけではなく。
その濃厚な発情フェロモンが他の獣人を惑わすのもあって、多くは囲われものになっていたり、繰り返し出産する事から短命な者も多い。
特にオスのオメガともなれば、更にメスよりも需要が低く、働き手としては何の役にも立たなかった。
そんな様々な獣人達に溢れ、栄える王国デランダにも陰りがあった。
王国の頂点には、この国で最も美貌と権力を持つ百獣の王が代々君臨していたが、現国王は次代の『獅子王』の名をいずれかの息子へ譲るのには、苦悩していた。
現在の『獅子王』には、多くの子供がいたが、そのほとんどが『ベータ』であるか、アルファであっても小柄であり、『獅子王』には相応しくなかった。
ただ、長男のトリスタンだけは、見目麗しく、大きな体躯をしており、ライオンの中のライオンたる雄々しいオスであった。
その輝くばかりに美しい金の巻き毛は、クルクルと首筋を辿って肩に掛かり。
白磁の肌は艶めかしく、高い鼻梁は陰影の濃い、彫りの深さであり。
長い手足には、ライオンのアルファに相応しい、しなやかな筋肉が盛り上がっていて、まさに『獅子王』の名に恥じない美麗さであった。
だが、問題はその中身だった。
トリスタンは、ライオンの割には温厚で人当たりもよく、良くいえば物腰の柔らか、悪く言えば威厳がなかった。
そして、その優男ぶりは他国にも有名な程であり、下半身の緩い、恋多き王子と有名だった。
とにかく、来る者は拒まない。
それが、例え人妻だろうが、恋人がいようが、好意を向けて来る者を一切拒まない。
それによって、度々、闘いにはなるものの、次代の『獅子王』であるが故に、その勇ましさでは勝てる者がいなかった。
宮殿の続きにある西の棟には、王子の愛獣人達が勝手気儘に住み着き、その中には既婚者や、子連れのメスまでも居座っているような混沌ぶりだった。
それだけ愛獣人達を抱えていても、トリスタンは何故か妃や側室などという公的な伴侶を持とうとはせず、発情期のメスとは交尾しなかったので、あちこちで子供が出来るというような過ちは犯さなかった。
そしてそれ故に唯一無二の子種欲しさに、愛獣人達は王子の寵愛を我が物にせんと、日々、陰湿なる争いを続け、それを苦に西の棟を出て行く者も多く。
当のトリスタンはまるで他人事のように、そんな愛獣人達のいさかいは放置していた。
流石にその放蕩ぶりには、父王も忍耐の限界がきて、ついにはトリスタンの首根っこを捕まえて叱責した。
そして、『獅子王』を継ぐべくして、身を固めるように命じたのである。
今いる愛獣人の中から妃を選ぶか。
父の決めた相手と結婚し、子供を儲けるか。
近々行われる、隣国であるヴァリューカの王子アーデルの結婚式に参列し、その帰国までに花嫁を決める事。
それでも軽はずみな不倫や、略奪愛に興じるのであれば、王子としての権利を剥奪し、国外へ追放する。
父王によるこれ程までの厳命には、流石の放蕩王子も、どうしたものかと頭を悩ませた。
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[chapter:第一章・悪魔の受難 1ー①]
この国の獣人は、大体において享楽的である。
デランダ王国の騎士として属し、また小隊を任されているシンディは、つくづくそう思った。
王族ともなると、側室だの、妾だのと山のように抱えるのが当たり前であるという風潮には嫌気が差す。
王族でなくとも精力の強いアルファならば、何獣人もの妻を抱えるオスもいる。
獣の習性に駆られて、発情期に入ったメスやオメガを襲うような獣人には反吐が出る。
シンディの故郷である北の国ラヴィールーザは、公爵こそ後継ぎの為に何人もの妻を娶る事を許されてはいたが、それ以外の獣人は基本的に一夫一婦制だった。
それが当然であり、そうあるべき姿であると思っていた。
自分はライオンのアルファとしても、騎士としての誇りもあり、またプライドもある。
そう軽々しく、性欲を発散する為に関係を持つべきではないとも思っていた。
アルファのオスには、生涯を共にする[[rb:番 > つがい]]を決める権限がある。
自らが共に生きると決めた獣人の[[rb:項 > うなじ]]に噛み付き、その愛の証を刻む事で、相手の人生をも決めてしまうのだ。
そう思えば、そんな愛する者との大切な行為を、軽々しく性欲だけの問題では片付けられなかった。
シンディは並外れた堅物であり、その尊大なる態度から、『鬼の小隊長』『クラッシャー・ナイト』などと呼ばれ、皆に恐れられていた。
メスとの逢い引きにうつつを抜かし、遅刻してきた部下には、頭を丸刈りにさせて、トイレ掃除だけを1ヶ月やらせた事もある。
シンディに対して、発情フェロモンを飛ばしまくり、やたらとすり寄って来た兵舎の給仕にあたる人妻のヤマネコには、公の場で『淫乱クソネコ』『恥を知れ』と侮蔑し、追い出した。
そんな横暴とも言える振る舞いを語ったら、きりがない。
だが、シンディの猛獣としてのカリスマ性は、他の者からは抜きん出ていた。
ライオンの中でも飛び抜けて大型で、獣化した時のその[[rb:鬣 > たてがみ]]は類のない長さであり。
明るい栗色のフワリとした腰にまで届く美髪は、剣を振るう際には風にたなびき、優雅に舞う。
豊かな長髪の頭上にある丸い耳と、穂先の付いた伸びやかな尻尾は、百獣の王の証でもある。
孤高の美剣士は、一途が故に潔癖でもあった。
シンディは、幼い頃に出会った運命の相手が忘れられずにいる。
まだ、人型にもなれなかった頃の幼児期に、この匂いは番になると感じたライオンがいた。
後頭部にハート型のアザがあったまでは覚えているが、名前も知らないオスだった。
シンディ自体は、北国ラヴィールーザの公爵の血を引いていたが、母国で暮らさず、デランダ王国の騎士として王国に身を捧げる事を選んだ。
運命の番と感じた獣人と、幼児の頃、父に連れて来られたデランダで出会ったからだ。
あれだけ麗しいライオンならば、王族ではあるだろうし、すぐに出会えると思っていた。
後頭部のアザも目印になると思ったが、よくよく考えれば人型になってしまえば、アザは髪の毛に隠れてしまうし、オスならば獣化しても鬣で見えなくなってしまう。
その上、王族は総じてそういった身体的なマイナス部分は隠したがるので、表立っては知られる事がない。
願わくは、あの運命のライオンにもう一度、巡り会いたい。
ハートの形をしたアザが後頭部にある、運命の番に。
だがデランダ王国で暮らすようになって18年も経ち、もしかしたらもう出会えないかも知れないと、近頃シンディは半ば諦めかけていた。
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[chapter:悪魔の受難 1ー②]
「私が、でございますか?」
シンディは、思わず聞き返してしまった。
そこは即座に「ありがたき幸せ」とでも返すべきところだった。
王族の中でもデランダの国政のトップたる『獅子王』アルベルトに呼ばれ、宮殿の王座を前に控えていたシンディは、不可解な突然の任務に、その場ですぐ『はい』と頷けなかった。
アルベルト王は、そんなシンディの実直さを快く思っていた。
「近日中に、隣国ヴァリューカの王子、アーデルの結婚式が行われる事になっている。尤も、あちらも何やら揉めているらしい。日取りまでは決まってはいないようだが。アーデルと友人だった息子のトリスタンに、旅行がてら参列してくれと言われてな」
「アーデル……殿下と、トリスタン殿下は、ご友人でしたか」
「お前もアーデルとは、留学時代はデランダで同級だっただろう。知っているか?」
「存じておりますよ。というか、犬猿の仲でした」
「犬猿の仲?」
「アーデルとは喧嘩した記憶しかございません。獣化して決闘した事も13回ございます」
「普通……そんなに何回も獣化して決闘したりしないだろう。よくもまぁ、生きていられたな。お前が勝ったのか?」
「7勝6敗で勝っています。向こうは向こうで、自分が7勝6敗だと言い張っていますけどね」
「目くそ鼻くそ、なんだな」
王の下品な物言いには、シンディも言及しなかった。
アーデルとソリが合わないのは、初対面からではあったので、それには反論の余地もない。
ヴァリューカ王国の世継ぎとして生まれ育ったアーデルは、その麗しい容姿をひけらかして高慢な態度を取っても、周りから崇められていた。
常に性欲を発散するメスが側にいたし、乱れた王族の恥さらしと、シンディは軽蔑し、見下していた。
卒業後、トリスタンとのらんちき騒ぎの噂も数多く耳に入ってはいたので、アーデルへの不快感は募るばかりだった。
シンディからすれば、その乱れた生活はトリスタンとアーデルこそ『目くそ鼻くそ、ご同類』である。
そんな尻軽王子に付けと言われれば、快くは承諾出来なかった。
「頼まれてくれないか、シンディ」
「私である必要性はあるんですか?トリスタン殿下には、直属の部隊がありましたよね?」
「これは、トリスタンから直々の願いでもあるのだよ」
「はぁ?!」
王子とは、遠目に式典や公の場でしか会った事はないし、特に話した記憶もない。
今回の案件も、本来ならば王子直属の部隊が護衛に付く筈だ。
なのに何故、シンディがわざわざ指名されるのか。
「あいつもシンディに会いたいと言ってたから、ここに来る筈なんだが……」
「失礼を承知で申し上げますが、陛下……」
シンディが断りを口にしようとした瞬間。
大広間の扉が、大きな音を立てて開け放たれ。
その先には、目映い程の光を放つ、雄々しいオスライオンの姿があった。
「シンディ!ごめんね。遅くなっちゃって。ちょっと昨日遊んでた子が、なかなか離してくれなくて」
その見た目の麗しくも勇猛な出で立ちとは違う軽薄な物言いに、シンディの眉間のシワは深く刻まれるのだった。
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[chapter:悪魔の受難 1ー③]
トリスタン王子。
デランダ王国の国王の長男であり、ライオン族の中でも極めて大きな肉体を持つ、次代の『獅子王』でもある。
襟足の長い、黄金の巻き髪は目が眩む程に輝き。
両眼の青碧は、海の色よりも深く。
どんな王族のアルファのメスより、艶かしくも華やかな美貌は、デランダに住む獣人達から羨望の的であるのも頷けた。
190センチはありそうな大柄な体躯は、剣士であるシンディと変わらない程の筋肉の密度があり、ぱっと見は、この屈強そうな王子が『放蕩王子』として名高い好色なオスとは思えなかった。
自分が会いたいと言っておきながら、遅刻して来た豪胆さもさる事ながら、シンディの怒りを露にした顔を見ても能天気に尻尾をフリフリと嬉しそうに揺らしている。
肝の座ったオスなのか、ただの馬鹿なのか、シンディも測りかねていた。
「ああ、やっと念願叶って、シンディを間近で見る事が出来た。……やっぱり綺麗だな。こんなにも綺麗なライオンを見た事がないよ」
「お言葉ではございますが、騎士である私に求められるのは強さであり、美しさではございません。容姿ならば殿下の方が、余ほどにお美しくていらっしゃいますよ」
「うふふ。そんな風に堅そうで、奥ゆかしいところも素敵だね。堪らないなぁ。交尾したくなっちゃう」
「はぁ?!」
「僕はこう見えて交尾はした事がないんだよね。いや、獣化しない為に発情期以外のセックスはしているよ。でも、子孫を残す為の交尾はした事がないんだよなぁ。……シンディとなら、交尾しても良いかな?」
「……私はアルファのオスですが」
「うん。僕もだよ」
「という事は、どちらにも子宮はございませんよね?」
「うん。そうだね」
「それなら、どうやって交尾するっていうんですか?!どうやって子供が出来るってんだ?あんた、子作りの方法が分かっているのか?」
「確かに出来ないけど、シンディとなら交尾って位に何時間でもセックス出来そうかな、と思って。だって、こんなに綺麗なライオン、見た事がないから」
「あんた馬鹿か?!馬鹿だろ!セックスし過ぎて、脳味噌が沸騰したか!そうやって全ての事柄を下半身で考えるから、色ボケ王子とか言われんだよ!頭にまで精巣が詰まってんだろ!」
「……ああ、噂に違わぬ毒舌具合……。酷い……」
「悪かったな!これが地だ!」
「素敵過ぎる」
「何?!」
「シンディが格好良すぎて。キュンてなっちゃう。胸も、下半身も」
「私にその男根の先を向けてみろ。ぶった切ってやるからな。その誰彼構わず発情する淫乱な性器を、みじん切りにしてくれる」
「シンディは、お尻、使うのは嫌い?出来れば僕はお尻を使いたくないんだけど、シンディがどうしても嫌なら、僕のお尻を使っても良いよ?……いや、待って。やっぱりシンディの処女も欲しいかな?……う~ん。悩んじゃうなぁ」
シンディの中で、マグマのような熱いものが込み上げて来た。
その怒りで尻尾が逆毛立ち、穂先の部分がプルプルと震えている。
ある意味、これだけ性欲に忠実なのは、古の獣の血がなせる王族らしい姿なのかも知れない。
だが、この緩さは許せない。
他の誰かに向いている分には、どうでも良いが、自分に向けられているとあれば、例えそれが主であろうが受け入れるつもりもない。
父王の方を見ると、この軽薄な息子の尻軽発言をどうしたものかと、眉をひそめて苦渋に満ちた表情をしていた。
「王。先程、トリスタン殿下の護衛をとお伺い致しましたが、慎んで辞退させて頂きます」
「気に食わんか」
「王子の護衛を引き受けて、自分の尻を掘られかねない危機に身を投じるつもりは毛頭ございません」
トリスタンが背後で「え~?シンディ、何でダメなの?どうして?」と問いかけて来ていても、シンディは自らの耳に蓋をし、無視し続けた。
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[chapter:悪魔の受難 2ー①]
「どうして駄目なの?僕に付くって事は、小隊としてはかつてない大きな仕事になるよね?シンディも絶対昇進すると思うんだけど」
「昇進なんぞ、どうでも良い!」
廊下を足早に歩くシンディに、トリスタンが追いかけて来た。
もう、王子への言葉使いなんぞ気にしているゆとりもなかった。
国王からの命令辞退は、降格処分になるかも知れなかったが、貞操の危機を感じながらの任務には耐えられない。
何よりも、この自堕落な王子に付くなど精神的にももたない。
シンディはどんな過酷な任務にも耐えられる自信があったが、トリスタンに付くのだけは我慢ならなかった。
「僕はシンディの希望に出来るだけ沿ってあげたいと思ってるんだけど。……ほら、ね。綺麗な人には尽くしてあげたくなるだろう?」
「尽くしてなんぞいらん!希望に沿って貰えるのなら、即刻、私への命を解いてくれ。そして私の事は忘れてくれ。記憶に残すな!微塵も思い出すな!脳内から消去しろ!」
「嫌だよ。こんなドキドキする人に、初めて出会えたのに忘れるなんて。ずっと見てたいから、僕の部屋にシンディの肖像画を飾ろうと思ってた位なのに」
「やめろ、気持ち悪い!もしも、そんな事をしてみろ。その肖像画を引き裂いてやる!」
「やだ……クラッシャー・ナイト・シンディ……。格好良過ぎる!今、すぐ、ベッドで気持ち悦い事がしたい!」
「この色魔が!それ以上、俺に近付いてみろ!命はないと思え!」
「拒絶されると、余計に燃えるタイプなんだよね、僕」
「殺すぞ!」
言葉と同時に、シンディの尻尾がピシャリとトリスタンを叩いた。
シンディがどれだけ毒を吐こうとも、昼行灯のトリスタンに対しては、暖簾に腕押しだった。
そうして、なんだかんだと日々が過ぎていき。
気が付けば、トリスタンはシンディの小隊を引き連れて、ヴァリューカ王国に旅立つ前日になっていた。
結局、シンディがどれだけ辞退を申し出ようが聞き入れられず。
また、部下達からは「せっかくの昇格する好機を逃さないで下さい」と泣きつかれ。
引き受けざるを得ない事態となっていた。
出立前の立食パーティーには、名だたる王族が顔を見せていた。
その中でも、一際きらびやかな団体は、トリスタンの愛獣人達だった。
トリスタンは自由奔放に性欲を晴らす為に集まった愛獣人達が住む西の棟には、常に美しいメスのアルファ達が待機していて、夜伽を命ぜられるのを待っている。
それも総じて性欲に飢え、熟したメスばかりだった。
シンディにとっては、胸が悪くなるような世界だ。
自らの父も公爵であったが故に、5人の妻がいた。
幸いな事に、シンディが後を継がなくても済んだので、公爵の血を絶やしてはならないという足枷もなく、こうやって異国の騎士として務めるのにも問題はなかった。
だが、王族が多くのメスやオメガを侍らし、それを護衛するのには不快感を感じずにはいられなかった。
どうして一獣人を愛し抜く事が出来ないのか。
何故、有り余る猛獣としての性欲を、自分で処理する事に罪悪感を感じるのか。
王族の子種は尊きものであるなどという概念が、こうやって主の奪い合いとなり、囲っているメス同志を殺伐とした関係に陥らせるのだ。
シンディが、明日からの事を思うと気後れして、溜め息を思わず漏らしてしまった時。
ふと目の前を見ると、トリスタンの愛獣人の頂点であろうタイガーのメスが、他の者達を引き連れてシンディの元へと近付いて来た。
豪奢な黒髪を靡かせながら、ドレスを蹴るようにして大股で歩き、ヒールを響かせている。
鼻をツンと上向かせるその姿は、自らの美しさに自信のある表れだった。
[newpage]
[chapter:悪魔の受難 2ー②]
トリスタンのメスであるタイガーは、シンディを見下すようにして話し掛けて来た。
「貴方がシンディ?」
「そうだが」
「やだ!本当にアルファのオスじゃない!トリスタン殿下は、オスを南の棟に入れるって言ってたけど、冗談じゃなかったのね」
「何だと?!」
南の棟は、王の妻や、王子の妻が部屋を持つ事を許される城だった。
トリスタンはあちこちに手を出す、快楽主義の王子ではあったが、今までに一度も南の棟へ誰かを住まわせた事はなかった。
「何かの勘違いだ。私は、殿下をお守りする騎士であって、殿下の妻になんぞなれる筈もない」
「貴方が来るから、殿下は私達を西の棟から降ろすつもりでおられるのよ!どうやって取り入ったの?子供も産めないくせに!」
「取り入ったつもりはない。殿下付きには辞退し続けていたのに、聞き入れては貰えなかったんだ。だが、それも護衛の事であって……」
愛獣人達のとんちんかんな思い込みを正そうとシンディが言っても、聞き入れようとはしなかった。
メスとして、オスに負けたくはないというプライドが、愛獣人達を怒りに駆らせていた。
途中からは、後ろの愛獣人達までがシンディに食って掛かって来た。
何をどうして、こんなにも責められなければならないのか。
シンディの眉間には徐々にシワが深く刻まれ、その額には血管が浮き出ていた。
「オスが南の棟になんぞ入るなんて、おこがましいですわ。出立前には、自ら辞退なさいませ。騎士としても名折れですわよ」
「……黙って聞いてりゃ、ギャーギャー、ギャーギャーうるさい。このクソネコが」
「は?!」
「お前らがトリスタンに気に入られてるのは、孔だけだろうが。お前達はせいぜい、その孔が飽きられないように締め付けてろ。どうせ頭と一緒に緩んで来るんだろうからな。この万年発情期が!」
「な、な、なんですって?!」
「教養も品性もないんだから、娼婦と変わらん。悔しいなら、トリスタンの子供を産むか、妃にでもなってみろ!あたかも妃にでも選ばれたかのような大きなツラで歩き回って、恥ずかしくもないとは、トリスタンのメス共は羞恥心の欠片もない、脳味噌が空っぽな年増のメスばかりなんだな!」
その凶器なまでの毒舌に、皆が絶句する。
愛獣人の誰よりも麗しいシンディの毒には、誰も言い返す事が出来なかった。
「は~、すっきりした」と最後に吐き捨ててシンディが踵を返すと、今度は二十獣人ばかりのオスの団体が、行く手を阻んだ。
どの獣人も、鍛え上げられたアルファの騎士達であり、その白地に金糸で縁取られた服は、トリスタンの直属部隊専用の軍服だった。
ライオンやタイガー、チーターにパンサーと、どの獣人も屈強であり、自分達は王子に付く、精鋭部隊であるという矜恃があった。
「おうおう、良いのかねぇ。トリスタン殿下のお気に入りのメス達に暴言を吐いちまって。そんな事をしたら、この度の護衛も降ろされるか、降格させられんじゃないの?」
「だから何だと言うんだ」
「ラヴィールーザでは公爵の息子だかなんだか知らねぇけど、才能のない落ちこぼれだったから、デランダに捨てられて来たって言うじゃないか。ちょっとお綺麗な顔をしているからって、いい気になるんじゃねぇよ」
「確かに私は、公爵としての[[rb:巫 > かんなぎ]]の力は ほとんどなかったから、後継ぎにはなれなかったが、別に捨てられた訳じゃない。自ら進んで、この国で暮らすと決めたんだ」
「ラヴィールザでは巫の力がなければ、公爵の息子でもなんでもないだろ。ただの平獣人だろうが。どうせ色惚けしたトリスタン殿下に体で取り入ったくせに!」
「……お前、許さん」
シンディは、まるで舞うが如く剣を抜き、右へ左へと剣先を八の字に描き、そのまま再び鞘へと戻した。
一呼吸置いて、シンディを罵倒した獣人の軍服が散り散りに裂かれ、全裸になった。
辺りでメス達の阿鼻叫喚や、オスの雄叫びが轟く。
「曲がりなりにもトリスタン殿下の直属部隊が、公共の場で殿下を愚弄するとは部下の風上にも置けん。そんな無能なグズは騎士を名乗るな。この低脳獣人が!貴様はゴミだ。今すぐ田舎に帰って、畑でも耕してろ!カス!」
シンディの暴言には、後ろにいた騎士達がいきり立った。
皆が一斉に剣を抜く。
だが、シンディは柄を握るだけで、抜こうとはしなかった。
[newpage]
[chapter:悪魔の受難 2ー③]
「お飾り部隊のお前達が束になって掛かって来ようが、私には傷一つ付けられん。どうせ、ボンクラなボンボンの集まりだろうが。クソが集まっても、クソ以外の何者でもない」
「おのれ!」
「我らを愚弄するか!」
一触即発、そんな張り詰めた空気を割いたのは、間延びした低音の声だった。
「駄目だよ~。喧嘩したら」
「トリスタン?!」
「殿下!」
王子直属部隊は直ぐ様、剣を鞘へと戻し、跪いた。
シンディも膝をつこうとすると、それをトリスタンが遮った。
「シンディ。ごめんね。嫌な思いをさせちゃったね。もう少し早く助けてあげたら良かったね」
「別に嫌な思いも何もしてはおりません。殿下のお気を煩わす事も……」
「駄目だよ。そんな他人行儀に話さないで。いつもシンディは、僕をクソミソに言ってたじゃない」
「しかし、ここは公の場ですし……」
「公の場だろうが、内々だろうが、君は僕の誰よりも大切な人だよ?そんな君を侮辱した事は許せないね」
「殿下……」
トリスタンは良く通る声を張って、申し渡した。
シンディに失礼を働いた王子直属部隊は格下げして、平部隊に。
食って掛かった愛獣人達は、実家や、故郷に帰るようにと命じた。
それには当の者達ではなく、シンディの方が非難の声を上げた。
「ちょっと待て!私に失礼を働いたっていうのは、どういう事だ?!失礼と言ったって、私もそれなりにやりかえしてるし!こんなのは大した事じゃ……」
「大した事だよ。だって、シンディは未来の妃だよ。僕が獅子王になったら、国で二番目に権力のある獣人になるんだから。王妃になってたとしたら、死刑になってたところだよ」
「王妃ってなんだぁ~~~~?!」
「え?僕の奥さんだけど」
「なるか!この馬鹿野郎!私もオスでお前もオスだ!オメガでもないのに結婚出来るか!あんたの脳味噌は腐ってる!一度、頭の中を入れ替えて来い!」
「え~?嫌だよ。入れ替えたら、僕じゃなくなっちゃうでしょう?僕は僕のままで、シンディを妃にしたいんだよ」
「だから、絶対にならん!」
「ねぇ、お願い」
「うるさい!死ね!この腐れ色ボケ王子が!」
「色ボケする位に、君にメロメロだよ」
「何がメロメロだ!お前はオスとしても、王族としても間違ってる!その軟弱な精神を鍛える為に、10年位、寺で修行して来い!」
先程、トリスタンの部隊の者が発したトリスタンへの侮蔑よりも、遥かに酷い罵詈雑言がシンディの口から飛び出している事に、当の本人は気付きもしない程、怒りに我を失っていた。
二人の小気味良い、掛け合うような言葉の応酬が延々と続いて、辺りは深閑となった。
そうしてトリスタンは、ヴァリューカへと旅立つ前に、愛獣人達が住む西の棟を廃止すると宣言してしまい。
乱れた生活から一新、身綺麗な王子へと転身したのであった。
[newpage]
[chapter:悪魔の受難 3ー①]
トリスタン王子とその一行は、総勢12人という少人数での旅路となった。
大層な事を嫌がったトリスタンが、シンディの部隊だけで良いと言い、簡単な非常食や衣服だけを馬車に積み、あとは馬での移動となった。
ヴァリューカへの道のりは、休み休み行っても約10日間程度ではあるし、途中は集落や街も点在している事から、食料などもほぼ緊急事態に陥る事はない。
あるとすれば、山間を抜ける際に山賊と出会う確率がないではなかったが、シンディの部隊は手練れの剣士ばかりだったので、万が一に襲われても逆に討伐してしまうだろう。
だが、デランダ王国を出てすぐに、シンディは回れ右をして帰りたくなった。
今更ながらに、とんでもない任務を引き受けてしまったと後悔した。
トリスタンは友人であるアーデルの結婚式に参列するだけではなく、この度の旅の間に自らの妻を見付けて帰らなければならない。
愛獣人達は全て、故郷や実家に帰されてしまったし、この旅の間で見付ける事が叶わなければ、父王の決めた愛のない結婚を強いられる。
その上に、このまま不道徳な生活を続けていれば、トリスタンは次代の獅子王になる権利も剥奪される。
国王が実際には、どの程度の本気なのかは分からないが、トリスタンは旅の直前に、それを公約として署名してしまったのである。
馬を並列して進ませていたシンディとトリスタンは、始終、やいのやいのと言い合いし通しだった。
「大体、あんな約束を王としてたんなら、どうして愛獣人達を全員帰してしまったんだ!お気に入りのだけでも残しておけば良かったものを!」
「お気に入りなんて子はいなかったよ。みんなそれぞれに可愛かったけど、獣化しない為の、セックスするだけの相手だったし」
「このクソ下衆王子が!あんたのような奴の死に様は決まってる!忘れた頃に、恨まれていた捨てたメスから刺されて死ぬんだ!それも戴冠式の直前とかに!そうなったら、ざまぁみろ!と嘲笑ってやる!」
「どうしてシンディはそんなに僕に冷たいの?シンディが誠実であれって言うから、愛獣人達とは別れて来たのに」
「だから、ちょっとは残しておけと言ったんだ!もしも気に入った相手を見付けられずに帰国したら、好きでもないメスと無理矢理に結婚させれるんだぞ?!それなら、好いた相手を残して……」
「だから、好きな子なんかはいなかったから」
「この馬鹿王子!去勢しろ!」
道々での激しい言い合いに、隊士らも初めの内は「王子に対して、何と恐れ多い」と止めに入ったり、怯んだりと動揺していた。
だが、やがてそれも半日を過ぎると、木々の間をすり抜ける そよ風のように、気にもならなくなった。
それでもシンディの怒りは止まる事を知らずに、毒を吐き続けている。
「大体何なんだ!誠意を見せるとか言いながら、メスに秋波ばかり送りやがって!口だけは取り繕っても、今までの淫らな生活を、そう簡単に直せる筈もないんだ!」
「秋波なんか送ってないよ。僕がラブビームを送ってるのはシンディだけなのに。そりゃ、一応は誘ってくれたからには、笑顔くらいは返してるけど」
「さっきは、娼館に入りかけてただろうがっ!」
「へぇ?あそこ、娼館なんだ?お茶しようって誘われたから、食べる所かと……」
「馬鹿!尻軽!すけべ野郎!節操なし!好色漢!病気移されて、くたばりやがれ!」
「散々な言われようだけどね。僕は、前は軽くても、後ろは処女を守ってるから。シンディの為に」
「そんな事は聞いてないし!聞きたくもない!」
「あ!シンディ~待って~!」
急に駆け出した隊長に合わせて、他の隊士も駆け足を強要され。
一行は予定よりも早い行程で、旅路を進めていた。
[newpage]
[chapter:悪魔の受難 3ー②]
出立してから3日目、街を抜けてしばらくしてからの事だった。
トリスタンの体温が熱いのか、その体臭が醸すようにして上がって来るなと、シンディが感じてすぐの事だった。
馬を止め、木陰にトリスタンを休ませると、明らかに顔が赤く上気していた。
「トリスタン……熱がある……」
「今朝から、ちょっとダルいかな、とは思ってたんだよね……」
「どうして言わなかった。その時なら街に引き返せたものを」
「ごめん。大丈夫だと思ったんだ。すぐに治るかな、と思ったから。僕は、風邪もあまり引かない質だしね」
「馬鹿は風邪を引かないらしいからな。まぁ、あんたなら風邪の菌も逃げて行くだろうし」
「ちょっと、シンディ。君のそういう厳しいところは好ましくはあるんだけど、体調が悪い時位、優しくして貰えないかな。流石に鉄のハートの僕でもへこむよ」
トリスタンは、この時とばかりにシンディの膝枕を所望した。
普段ならふざけるなと言って退けるところではあったが、流石に気弱になっているだろう病人に対して、そこまできつく言い出せなかった。
風邪にしてはおかしい。
確かに微熱はあるが、咳や喉の痛みなどの諸症状が見受けられず。
それだけではなく、トリスタンの体からは、芳しい花の蜜のような匂いが立ち込めて来た。
勃起する。
シンディは、自らの突然の性的衝動に戸惑った。
これは『発情期』だ。
それも、メスのものではなく、より濃厚なオメガの発情フェロモンだ。
「トリスタン……。あんた、アルファじゃなかったのか?」
「アルファ、だった筈なんだけど。何だろう……これじゃ僕、まるでオメガだよね」
「オメガだよね、じゃない!私の隊は、全員、アルファなんだぞっ?!」
オメガの発情フェロモンには、猛獣としての性欲を抑える事は出来ない。
トリスタンの発情に、周りの隊士達が釣られ、欲情を露にし始めていた。
「みんな、この場から離れろ!これは命令だ!あの岩場の向こうに移動しろ!」
シンディが叫ぶと、皆が一斉にその場から下がった。
シンディは、トリスタンを抱き上げ、籔の中へと足早に駆けて行った。
隔離しなければ、トリスタンは自分の部下達に強姦される。
そんな事態にだけは、絶対なる訳にはいかなかった。
[newpage]
[chapter:悪魔の受難 3ー③]
部下に抑制剤を買いに行かせたが、今から街に行って帰って来るには半日は掛かる。
いつ何時、誰かに襲われるかも知れない。
今のトリスタンに自分以外を付かせて、もしも間違いがあってはと思うと、シンディが傍を離れる訳にはいかなかった。
王族の、それも現国王の長子が外遊中に孕まされたとあっては、申し開きも出来ない。
隊士達からひとまず引き離し、森の中の小さな洞窟でトリスタンを横たわらせた。
こんな年齢になって初めての発情期だからか、トリスタンはまるで流行り病にかかったように、ぐったりとしていた。
「ごめんね……シンディ」
「別にあんたが悪い訳じゃない。知らなかったんだろう。自分がオメガだって事を」
「うん。稀にあるらしいんだよね。オスとしての能力が強すぎて、オメガだったのが分からないって事。26になるこの年まで、一度も発情期なんて来た事がなかったし」
オスのオメガは、総体的にあまり男性らしくはない。
小柄だったり、メスのようであったり、闘争心がまるでなかったりするものだが、トリスタンは温厚ではあっても、剣の名手であった。
体付きも普通のアルファより大柄だったし、武術大会ではシンディと当たる事はなかったが、上位に残る程の腕前だった。
メスとの性交渉も難はなかったし、トリスタンの遺伝子を求めて、周りにはいつも多くのメス達が群がっていた。
「こんな事なら、たとえ発情期に交尾してても、子供は出来なかったかもね。オメガなら、オスとしての能力はないかも知れないから」
「交尾、本当にしなかったのか……」
「言っただろう?獣化しない為のセックスはするけど、発情期の子は下げてたって。でも、思えばオスとして子供の出来る交尾したくない、ってのは、無意識にオメガとしての感覚があったのかも知れないな」
「トリスタン……」
「シンディの為に、オメガに覚醒するのを待ってたのかも」
「馬鹿を言うな。あんたのような淫らな奴は、初めからオメガだと分かっていたら、絶対にあちこちのオスに色目を使ってただろうが。後付けで、健気な物言いをしても今更だ」
口では毒を吐きながらも、シンディはトリスタンの額に冷たい濡れタオルを置いてやる。
その落差に、トリスタンの胸が熱く疼いた。
「ごめん。シンディ。近くでこんなフェロモンを発してたら、辛いだろう?君はアルファだから」
「私はラヴィールーザの公爵の血を引いているから、巫の力がほんの少しだけある。奇跡を起こす程の力はないが、自分の獣化を抑える事が出来る。……暴走する前ならば」
「スゴいな!獣化を抑えられる王族なんて!デランダでは有り得ない!」
「完璧には無理だ。抑制剤程の確実性もないし。だが私には、確固たる信念があるからな」
「信念?」
「私は、幼い頃に出会った運命の番としか交尾しない。それも、絶対に結婚式を挙げてからでないとしない」
「え?……ちょっと待って。そしたら、シンディってまさかの童貞?」
「童貞で悪いか」
「そんなに、精力溢れてますっていうガチガチのライオンのアルファで?!童貞?!ちょっと有り得ないんだけど!」
「うるさい!あんたの貞操観念が低く過ぎるんだ!私は純愛を貫くライオンなんだ!」
「君ね、僕の事を王族らしからぬって言ってたけど、それだけ性欲を抑える君の方がライオンらしからぬ、だよ!ライオンのアルファなら、多くのメスを囲いたくなるのは本能だろ?!」
「自家発電で解消するか、剣や格闘技で晴らせば良い。不実な行動で、後悔する位なら」
「じっ、自家発電ーーーー?!」
トリスタンの絶叫は、山の谷間に跳ね返り、長く尾を引いて木霊していた。
[newpage]
[chapter:悪魔の受難 4ー①]
シンディの衝撃の告白に、トリスタンはしばらく呆然としていた。
トリスタンのような[[rb:色雄 > いろおとこ]]を絵に描いた獣人からしてみれば、シンディの堅物さは滑稽に思えたのだろうか。
しばらくの間、何か言いかけては口を接ぐんでと繰り返していた。
「えーと、それはシンディは、その為に童貞を守っていると」
「そうだ。悪いか」
「それはもう意中の子がいるって事だよね?」
「まぁ、そうだな。まだ会えてないけどな」
「会えてない?!それって、どこの誰か分からないって事?!」
「誰かは分かってる。ただ、居場所は分からない」
「その子、オメガ?」
「いや、アルファだ」
「そう……かぁ……。僕、シンディの番候補から外れちゃったんだ……」
見るからにトリスタンは塞ぎ込んでいた。
シンディは、それがトリスタンからの愛情を遠回しに拒絶してしまったと思い至って、別段、何の罪悪感も感じてはいなかったが、一応は詫びておいた。
するとトリスタンもそれを分かってか「悪いと思ってもいないくせに」と言い返して来た。
「もしもその子と出会えなかったら、シンディはどうするの?もう、シンディ以外のオスと結婚しちゃってるかも知れないよ?そしたら誰か他の好きな人を見つける?」
「いや。その時は諦めるが、だからといって、他の獣人と結婚するつもりはない。もう、一生、独り者でも良い」
「ちょっと!一生童貞を貫いちゃうの?!そんな、もったいない!」
「何がもったいないだ、馬鹿。必要のないものを、使う場所がないから使わないだけだろうが」
「立派そうなのに!シンディのぺニス!」
「立派だから使わないとならないのか!大きさは使用率と比例しないんだよ!あんたのその、何でもシモに移行する思想は、どうにかした方がいいぞ。獅子王として威厳がなさすぎる!」
シンディは、そこでふと思った。
トリスタンがオメガだと判れば、次代の獅子王はどうなってしまうのか。
現国王の子供には適正のあるオスのアルファがいないし、そうなると他の王族から選ぶしかない。
適齢期である王族となれば、数は限られるし、必ずしもそれが王に相応しいとは限らない。
トリスタンが帰国すれば、国内が荒れるかも知れない。
そうシンディが懸念していると、トリスタンが倒れるようにして ぐったりとしていた。
シンディは慌てて駆け寄り、体が楽になるように体の向きを変えてやった。
「トリスタン?!」
「……どうしよう……シンディ。体が、熱い……」
「発情のボルテージが上がって来たか。……くそっ、こっちまで、クラクラするっ……」
トリスタンが暴走している。
その濃いフェロモンは、嗅いだ事がない程に甘やかだった。
どれ程、自制心には自信があるシンディでも、股間に猛り狂う雄根をトリスタンへとねじ込みたくなる妄想で頭がおかしくなりそうだった。
だが、もしこの場を離れて、どこかのオスにでも交尾されてしまったら、トリスタンは確実に妊娠してしまう。
一国の王子を守るという使命感だけが、シンディを律していた。
「シンディ~……」
「もう少しだ。トリスタン。今、部下に抑制剤を買いに行かせているから、もう少し我慢しろ」
「我慢出来ない……。もう、おかしくなっちゃうから、……ねぇ、お願い」
「トリスタンっ……」
トリスタンはシンディの顎をペロリと舐め、その盛る股間を解すようにして揉んだ。
シンディの体内を、甘い電流が一気に流れる。
「これ、欲しい……」
「駄目だっ!トリスタンっ!」
「お願い、これ、ちょうだい?シンディ、お願い……」
あのいつも軽薄な程におちゃらけているトリスタンが、涙目になって懇願している。
シンディの喉がゴクリと音を立てて、唾液を嚥下した。
[newpage]
[chapter:悪魔の受難 4ー②]
シンディの体が獣化しようとして、喉がグルルと唸る音を漏らす。
鼻の頭にシワが寄せられ、犬歯が伸び始め。
長いプラチナブロンドの髪が、フワリとボリュームが増したのは、毛穴を引き締めたからだ。
下腹に力を込めていないと獣化が進んでしまう。
このままでは獣の姿に変態し、その野生の本能に駆られて、トリスタンを強姦してしまう。
それだけは絶対にしたくはない。
シンディの騎士としてのプライドが許さなかった。
だが、トリスタンもこのまま放置しておけば、獣化して逆にシンディを襲いかねない。
薬が届くまでは、半日かかる。
欲望を吐き出さなければ、退路はない。
もう覚悟するしかなかった。
「トリスタン。これからする行為は交尾じゃない。セックスでもない。……分かるか」
「シンディ……意味が分からないよ」
「とにかく性欲を晴らしてしまわないと獣化してしまう。だからこれはやむを得ない行為だって事だ」
「やむを得ないけど、交尾してくれるの?」
「私は愛する獣人としか交尾しない。それは絶対にだ。そして、その相手はあんたじゃない」
「じゃあ、どうするの?」
「共同自家発電だ」
「共同自家発電ってなんなんだよ~」
「もう、黙れ」
シンディはトリスタンの下肢の衣服を剥いだ。
これが本当にオメガの性器か、と思わせるような猛々しいぺニスが飛び出すようにして現れた。
自らの前もはだけさせ、いきり勃つモノを取り出すと、トリスタンの目がそれに釘付けになった。
「スゴい……。シンディ、おっきい」
「あんたのも、まぁ、メスが寄ってくるだけのモノではあるな」
「欲しい、これ、欲しい。……ちょうだい、シンディ」
恐らくトリスタンは、もうまともじゃない。
初めての発情期に理性を失っている。
シンディは、トリスタンに自らの雄を触らせてやった。
その弓なりにそびえるモノは、太い血管が脈打ち、胴もパンパンに張り詰めていて、傘のように張り出した先端はビクビクと欲望に震えていた。
トリスタンは、栗色の茂みを愛おしむようにして撫で。
左手を添えて陰嚢の下から持ち上げ、右手は そこから生える棍棒を握り、手を上下させた。
そして、シンディもトリスタンの屹立を掴んで扱き上げてやると、ほんの数回で噴くようにして飛沫を上げた。
「あ、あ、あぁぁぁぁぁ!」
「トリス、タンっ!」
「足りない!まだっ、……もっとっ」
「おい!自分で挿れようとするな!そっちは駄目だっ!」
シンディの熱棒を尻孔へと無理矢理に挿れようとするトリスタンの体を、シンディは地面に押さえ付けた。
その片足を大きく開かせて尻の谷間を覗き込むと、そこはもうメスの孔へと変貌していて、滴るようにして濡れ、オスを求めてピクピクと蠢いている。
シンディは、トリスタンの尻尾を掴み上げ、その誘う蜜孔へと舌をペロリと這わせた。
「あぁぁぁん!やぁぁあ!」
「……なんて、匂いだっ!……こんなっ……」
「シンディ!シンディ!そこ、舐めたら、ダメっ!また、キちゃう、から~!」
「クソっ!この淫魔め!私を籠絡するつもりかっ!」
シンディの舌が、肉環をグニュリと通過して、中へと入り込む。
その襞の一枚一枚をなぞるように舌を踊らせ。
時折、ジュルッと蜜を吸い上げると、トリスタンは前の雄芯からも白い欲望の蜜を噴き上げていた。
[newpage]
[chapter:悪魔の受難 4ー③]
「あぁぁ、あぁぁぁ!……お尻、やぁ!シンディの舌がっ、ヌルヌルして、い……あぁっ!」
「トリスタンっ!私のも、触ってくれ!……獣化して、しまうっ!」
シンディは互いの体を交差させるようにして、トリスタンの顔に向けて、自らの怒張をさらけ出した。
目の前に現れた赤黒いオスの象徴に、トリスタンは飛び付く。
タラタラと淫液を滴らせている巨大なぺニスにかぶり付き、頬張った。
その汁を貪るようにして吸い上げ、幹の部分を扱き上げるように擦り上げた。
「……っそんなに、オスのコレが美味いのかっ!この淫乱がっ!」
「美味しい……シンディの、美味しいっ!あぁっ!」
トリスタンの尻孔の入り口は、初めこそ慎ましく閉じてはいたが、舐めると途端に花が開くようにパックリと中を見せた。
その蜜壺の中は赤く熟れていて、淫らな襞がオスを誘っている。
シンディが、唾液と淫液に濡れたトリスタンの蠢く肉洞に指を一本、挿入した。
捻るようにして長い指を押し込んでやると、奥から更に蜜がトロリと溢れて来る。
ズルリと引き抜いて、今度は二本にしてズンッと突き挿れる。
そうして指を減らしたり増やしたりしながら出し入れさせると、トリスタンは達きっぱなしになった。
「口がっ、疎かに、なってるぞ、トリスタンっ!」
「あぁ!……んんぅ!んぐぅ!……うぅ、……あ、んんぅ!んふぅ~!」
「もう……出す、ぞっ!」
「んん~~~~っ!んぅ~っ!」
シンディがガクガクと腰を前後させながら、トリスタンの口内へと射精した。
自らの先端から爆発するようにして流れ出す精液を、トリスタンの喉がゴクゴクと音を立て飲み干していく。
トリスタンもまた、尻を回すようにして前からも後ろからも蜜を溢れさせていた。
その後も、二人はあらゆる体位で、互いの性器を嬲るようにして舐め続けた。
トリスタンはあられもなく足を開き、奥の蜜孔を蕩けるように解れさせ、シンディの指や舌を誘い込んでは食い締め。
シンディも尽きることなく、精を放ち続け。
そうやって何時間も腰を振り続け、着ていた服がドロドロになるまで、互いに何度も快楽を貪った。
隊士が抑制剤を届けに来た時には、どちらも疲労により服を着るゆとりもなく。
その濃密なる発情の芳香に当てられ、薬と着替えの服だけを置いて、飛んでいくようにして立ち去っていった。
トリスタンには口からの服用する丸薬以外に、太腿に針を射つ、即効性のある抑制剤も投与した。
すると、熱に冒され、赤らんだ頬が徐々に落ち着いていき、平静さを取り戻していった。
シンディとトリスタンの、事後の姿を部下に見られたのには、「誤解されただろうな」とシンディが諦念したように呟くと、トリスタンは「誤解じゃないよ。愛があったもの。僕には」と嬉しそうに尻尾を振っていた。
トリスタンの想いに、シンディは応えられなかった。
自分には、追い求める運命の番がいる。
ただひたすらに、これは獣化をしない為の行為だったのだとトリスタンに言った言葉を、自らにも言い聞かせる。
それでも、悔恨の思いに駆られた。
「苦しむ事はないよ。シンディ」
「トリスタン……」
「シンディは、こういう事するの、初めてだったんだよね?でも、シンディも言ってたじゃない。これは交尾じゃないって」
そのつもりだった。
いつものように、吐き出して終わりのつもりだった。
だが、さっきまでの行為は、そんな簡単には片付けてしまえないような、密度の濃い交じり合いだった。
たとえ挿入はしていなくても、あれは我を忘れる程の快楽だった。
トリスタンの項を見てしまえば、噛み付いて、無意識に番の印を付けてしまっていたかも知れないと思う程に。
「シンディの初めては、ちゃんと好きな人にしてあげてね。……ずっと忘れられない、その人に」
そう言うトリスタンは、笑顔を浮かべながらも耳を伏せ、泣きそうに顔を歪めていた。
その表情に、何故かシンディは後ろめたさを感じてしまうのだった。
[newpage]
[chapter:第二章・天使の恋煩い 1ー①]
朝から、シンディが率いる小隊は色めき立っている。
木陰で休むトリスタンからほんの少し離れた場所では、隊長のシンディを囲んで皆が興奮を露にしていた。
トリスタンの番をし、全裸で愛液にまみれ、恐らくトリスタンと情を交わしたであろうシンディに、オス達の疑念が降り注いでいた。
初めの内は、シンディも丁寧に否定してしたが、終いには怒髪天を衝き、隊士達に毒のある爆弾を投下しまくった。
そんなシンディも、落ち着いてはいられない旅路に頭を痛めた。
ここでデランダへ引き返すか、国王にこの状況を伝えるべきだとトリスタンへ進言したが、そのどれもを却下された。
王の長男がオメガであると判れば、次代の獅子王へ嫁がされるだろうし、そうではなくともデランダへ帰れば、確実に好きでもないオスの妻にされる。
せめて、最後に友人であるアーデルの結婚式を祝ってやりたい。
そのためにも、この旅を続けさせて欲しいと頭を下げられた。
オメガである王子の未来を思えば、シンディも首を横には振れなかった。
トリスタンの発情フェロモンは、抑制剤を飲んで一旦は治まりをみせたが、安心はしていられなかった。
とにかく、そのフェロモンが凄い。
普通であれば丸薬だけで日常生活を過ごせる程に落ち着く筈だが、トリスタンからは未だにその色気のような、フェロモンの残り香のようなものが滲み出るように発散されていた。
抑制剤を口からも飲み、太腿に射す即効性のものも投与しているにも関わらずだ。
シンディの隊は、選び抜かれた精鋭ばかりを集めていたので、発情に対しては自制を促せたが、それでも皆がそわそわと浮き足立っている。
今は何とかアルファ達が襲わずには済む程度ではあったが、発情期の色香がムンムンと伝わって来ていて、勃起させられた隊士達は自慰をして何とか過ごすしかなかった。
「みんなごめんね。迷惑かけちゃって」
「ちょっと、トリスタン!こいつらの近くに寄るな!臭いんだよ、まだ!私の隊士達を犯罪人にする気か!」
「え?臭いの?僕の発情フェロモン。……他の獣人のしか嗅いだ事なかったけど……。そうか……僕のは臭いんだ……」
「そうじゃないっ……いや、そうなんだが。……だから、貴方のフェロモンは普通じゃないんだ!エロの塊なんだよ!」
「エロの塊って、ちょっと酷い」
「とにかく!抑制剤飲んでもそれなら、もうどうしようもないから、絶対に私から離れるな!分かったな!この色魔!」
「シンディが守ってくれるんだ?」
「やむなく!仕方なしに!どうしようもないから!嫌々だけどな!」
「うん。ごめんね。でも、スゴく嬉しいよ」
「抱きつくな!馬鹿!噛み殺されたいかっ!」
トリスタンの尻尾がシンディの尻尾に絡むと、それを叩き落とすようにして、穂先が逃げる。
あまりにもそれを繰り返していると、ついにはシンディの逆鱗に触れ、トリスタンの尾は引っこ抜かれるかと思う程に引っ張られた。
それからの旅の進行には、隊の並びが変えられた。
以前はシンディとトリスタンが先頭を切っていたが、今は二人を取り囲むようにして馬を走らせている。
トリスタンを擁護する為だった。
飢えたオスに発情され、襲われる訳にはいかなかったので、近付かせないようにする為にはそれしかなかった。
[newpage]
[chapter:天使の恋煩い 1ー②]
そこは田舎街というには拓けた場所だった。
いわゆる夜の街といった風情があり、飲み屋や、賭け事を売りにするバー、安宿、娼館なども多く、子供の姿はほとんどない。
近くにイヌ族とハイエナ族の村があるからか、その二種の獣人達が多く集まっていて、独特のオス臭い匂いのする街だった。
以前ならば、トリスタンにはメスしか寄っては来なかったが、漏れ出す発情フェロモンに引き寄せられるようにオスまでも近寄って来ようとする。
だが、すぐ側にシンディという猛獣が付いているので、思うようには近付けない。
そうやって円を描くようにして少し離れたところに、目をギラつかせたオス達がたむろするようにして、こちらの様子を伺っていた。
「トリスタン、どこかで食事をしている間に、宿を探させるから、絶対に私から離れないようにな」
「分かってるよ。ここでの宿っていったら……」
「恐らく、貴方が泊まった事もないようなお粗末な部屋だが、文句は言うな。次の街まで行くと、夜中になってしまうんだ」
「いやいや、文句なんて言わないよ。多分、逢い引きする宿になるんだよね?……もちろん、シンディは僕の部屋で守ってくれるんでしょ?」
「……仕方ないからな」
「シンディとの逢い引き!嬉しいなぁ」
「何が逢い引きだ!この色情狂が!脳味噌が沸騰してるのか!昨日、あんなに出したのに!」
「これは僕がいやらしいからじゃないよ。発情期なんだから仕方ないだろ?それも、この年で初めての発情期だから、もう爆発しちゃってて、自分でも止められないんだよね。だから、今晩もよろしくね?」
「何がよろしくだ!貴方はそもそも発情期じゃなくても、しょっちゅうメスを連れ込んでただろうが!それも人妻ばっかり!マニアか!」
「人妻が寄って来るんだもの。何故か。王族の若い女の子は、お父さんに管理されてるか、僕から手を出されても愛獣人にされるのは困るから、逃げられるというか」
「ちゃんとした妃を娶れ!百歩譲って、一人では性欲が晴らせないなら、ちゃんと側室を設けろ!」
「好きな子じゃないのに、奥さんにするとかしたくないよ。後悔しちゃうじゃない。っていうか、僕はもうアルファじゃないから、帰っても妃は娶らないんじゃないかな」
「あんたは、誠実なのか、そうじゃないのかが、よく分からん!」
シンディは目も離せない状況だったので、トリスタンと自分の腰紐を繋いで離れられないようにしていた。
というのも、さっきトイレへ行っただけの ほんの瞬間に、トリスタンはハイエナのオス達に群がられていた。
慌ててシンディが蹴散らした直後、今度はイヌのオスの群れに安宿へと連れ込まれそうになっていた。
こんなにもフェロモンが濃いなんて、どれだけ抑制剤が効いていないんだと呆れてしまう。
抑制剤を飲んでもこれなのだから、昨日のようにフェロモン全開ならば、シンディがどれだけ守ろうとも、盛るオス達との血の抗争は免れないだろう。
そうしてやむなく、片時も離れないようにという苦肉の策により、腰紐で繋ぐ事になったのだった。
[newpage]
[chapter:天使の恋煩い 1ー③]
「シンディ、あのね。何だかこれさ、この繋いでるヤツね。僕、犯罪者みたいじゃない?悪い事、してないのに」
「あんたは犯罪者並みに周りを誘惑してるんだ。自重しろ!ていうか、今までの素行の悪さだけみたら、十分、犯罪だ。馬鹿め」
「え~?僕は何もしてないよ?」
「トリスタンの言う事を聞いて、このままヴァリューカに行くなんて判断をすべきじゃなかった。やっぱり引き返して、王に申告して、あんたにすぐ婿を付けさせるべきだった。私の失態だ」
「アーデルとお互いの結婚式はお祝いしようって約束してたんだから駄目だよ。もし帰るなら、父上にお婿さんはシンディが良いって言うからね」
「ふざけるな!そんな事してみろ!あんたを刺して、私も自害してやる!この能天気なアホ王子と誰が結婚なんぞするか!」
シンディのイライラは頂点を極めていた。
これから、この色気を爆発させたオスと、発情期が終わるまで、共に過ごさねばならないのか。
発情期は、ちゃんと普通に終わってくれるのか。
もしや、突然変異とかで、発情期に終わりがない個体だとかいう恐ろしい事はないだろうか。
シンディの苦悩は尽きなかったが、隣にいるトリスタンは さも嬉しくて堪らないといった浮かれようで尻尾を楽しげに揺らし、シンディの腕にしなだれ掛かって来た。
思わずムカッ腹が立ってしまったので、トリスタンの太腿に蹴りを入れると、腰紐で繋がっていたので、トリスタンもろとも床に倒れ込んだ。
シンディに押し倒されちゃった、と喜ぶトリスタンの顔面を殴りそうになったが、王子だった事を思い出して、そこはグッと踏み止まる。
トリスタンの絡む腕は放置し、シンディは自らの鼻を摘まんで、その苦行にひたすら堪えていた。
トリスタン達が泊まる宿は貸し切りにして、隊員が交代で辺りを見張り、厳戒体制が敷かれた。
シンディは、トリスタンと同室で休む。
念の為、シンディも発情を防ぐ為の抑制剤を飲んだので、トリスタンの漏れ出るフェロモンも感じなくなった。
それでも風呂上がりのトリスタンは、壮絶なる色香を発していた。
おまけに昨夜、シンディが付けたであろう、吸い痕や、噛み痕が身体中に残っていて艶めかしい。
抑制剤を飲んでいなければ、再び愛欲にまみれた夜を過ごす事になっていたかも知れない。
トリスタンは、ベッドに腰掛けるシンディの隣に座ってきた。
フワリと香る石鹸の薫りすらも艶かしく、シンディはその芳しさにクラリと目眩を覚えた。
「幸せだろうな。シンディの番に選ばれた子は」
「それはどうだかな。私は、厳しいから束縛するかも知れないし、窮屈に思うかも知れないぞ」
「そんな事ないよ。そんなに長く想われ続けてるなんて、羨ましいもの。……僕もそこまで愛されてみたい」
「トリスタン……」
「代われるものならば、シンディの想うその運命の番になりたいよ。……でもまぁ、僕はシンディの好みでもないから、例え昔に出会ってたとしても、好かれる確率は全くなさそうだけど」
シンディのように、堅実で清らかで、清楚な獣人。
トリスタンからは、真逆のタイプだ。
シンディに出会うって分かっていたら、もっと真面目に生きて来たのに、と言うと、出来もしない事を言うなと叱られた。
トリスタンは、今まで手に入らないものは何一つなかった。
何でも欲しいと思う物は、すぐに自分のものになった。
だが、シンディが手に入らないのなら、今まで欲しがったものなど何の意味もない、つまらない物だと思った。
本当に欲しい物が思う通りにはならないというジレンマは、かつてない乾きをトリスタンに与えるのだった。
[newpage]
[chapter:天使の恋煩い 2ー①]
それからの道中は、隊士総出での警戒体制のままの移動となった。
抑制剤を飲んだ事でトリスタンの性欲は抑えられてはいたが、漏れ出すフェロモンが半端なかったので、常にトリスタンの周りをぐるりと護衛が付いている。
シンディが付いているだけでは、ふとした合間に近寄って来る者が数名いたからだ。
そこまでオスを引き寄せるフェロモンではあったので、念の為、隊士達も性欲を抑える薬を飲むように義務付け、まめに自慰するようにと命じて、トリスタンの警護にあたった。
流石にシンディだけは、初日にトリスタンと欲に溺れて以降は、取り乱す事もなく、淡々と側に付いていた。
「シンディの隊のみんな、大丈夫だったかな。僕のせいで何かあったら……」
「気にしなくて良い。私の部下は精神的にも鍛えられているから、あんたを襲う事は絶対にない。薬さえ、ちゃんと飲んでいてくれたらな」
シンディも今までなら、巫の力で完全に獣化を抑えられる自信があった。
だが、トリスタンの発情期が始まった時は抑えが効かず、暴走しそうになった。
巫の力が使える事を忘れてしまう程の、濃密なるフェロモンだった。
だが、例え自らを自制出来たとしても、抑制剤が届くまでの間に獣化するかも知れないトリスタンの性欲を晴らしてやる事に変わりはなかったのだから、そこにはもう悔いはない。
悔いがあるとすれば、運命の番以外には欲情しないという自らの信念が揺らいだ事に対してだった。
あの時のトリスタンは、妖艶であり、愛らしくもあった。
いつものように、飄々とした余裕もなく、シンディに乞い、涙してすがり付いて来た。
乱暴な程にトリスタンの男根を扱き、蜜孔を開いて舐め倒して、何度も達かせてやった。
ひたすらに下肢を責め続けていたのは、顔は見れなかったからだ。
見てしまえば、情が移ってしまうような気がして恐ろしかった。
[[rb:項 > うなじ]]はもっと見る事が出来なかった。
あの白い後ろ首を見てしまったら、噛み付いて、番の証を刻んでしまいそうになる。
今まで何度もメスやオメガの発情期に出会った事はあったが、あんなにも我を忘れるような芳しい薫りを嗅いだ事はない。
もしや運命の番ではと思わせる程の甘美なる薫りに、初恋の獣人を忘れてしまいそうになった。
今も巫の力を使っていなければ、恐らく欲情する。
部下の手前、護衛しながら勃起するなどという事態には陥りたくはなかった。
トリスタンといると、自らが築き上げた信条や理念が、無残にも打ち砕かれる。
側にいるべきではないのかも知れない。
そんな風に思ってしまう程に。
[newpage]
[chapter:天使の恋煩い 2ー②]
国境を越え、ヴァリューカ王国に入った途端、その景色や人々の姿は一変する。
華やかな軽い素材の衣装を好むデランダの人々とは違い、その身を隠すような、あらゆる紋様を編み込まれた装いであるのは、この国の慣習からか。
大陸の最南にある地ではあったので、奥へと進むごとに、人々の肌も浅黒い獣人達が増えていく。
ヴァリューカの中心部に入った頃には、トリスタンの発情期は完全に終わっていた。
あの時の濃い発情フェロモンはなんだったのだ、と思わせる程にケロリと『アルファのオス』に戻っていた。
今も昼食をとっているだけで、給仕のメスや客のメスがあれよあれよと集まって来る。
その壮絶なオスとしての魅力には抗えない姿は、まるで蜜に群がる蟻のように、まさに『集られている』といった感じだった。
そこでふと、シンディは思った。
まれにオスのアルファの見た目でありながら、メスのようにオスを引き寄せてしまう獣人がいる、という話を聞き及んだ事がある。
一族を統率する程のアルファが、敵対するアルファをフェロモンで落としてしまった事から、分類としては『後天的なオメガ』という稀な例らしかった。
トリスタンもそのタイプなのだとしたら、合点がいく。
こうして現に、あれだけのオメガフェロモンを出していたにも関わらず、今は最強のアルファとして、街中のメスをメロメロにしているのだ。
ヴァリューカのメスは、慎ましいと有名だった筈だが、噂というものは本当に当てにはならない。
獣人種の違う浅黒い肌のメスに囲まれたトリスタンの色白さは、更に際立っていて、異国にいるのだと実感する。
メス達は、トリスタンの体を不躾にも卑猥な手付きで、撫で回している。
それは、胸や腰だけではなく、股間にまで伸ばされ、シンディの中でカッと燃えるような怒りの感情が湧き出す。
トリスタンは退けようとしているのかいないのか判らなかったが、一向に離れようとはしないメス達には、遂にはシンディの方が痺れを切らした。
群がられているのを掻き分けて、シンディがメス達をトリスタンから引き離しす。
「離れろ。この御方は由緒ある血筋であらせられる。触れる事はまかりならん」
「え~?!」
「でもお茶位、良いよね~?」
「あ、別に二人で来ても全然いーよ。私達は、構わないわよね~?」
「あ、気は使わなくて良いから~。私達がお世話するしぃ?」
年齢層が低いのか、会話の低脳さに付いていけない。
シンディは、一瞬、もしかしたら言語が違うのかと勘違いした。
「良かったら、ご飯の後、あの筋の店ででゆっくり飲もうよ。うちらの店、そのまま泊まれるようになってるから、飲み過ぎても大丈夫だし?」
「私らが介抱してあげちゃうしね?」
「ね~?」
言葉使いやメス達の服装から、若い娼婦達なのだろうと察した。
こうして金を持っていそうなオスを誘惑し、連れ込もうとしているのだ。
『あの筋』というのは、そこからは娼館やそれらしき店が建ち並ぶ区域になるのだろう。
この辺りをウロウロしながら、旅人を物色しては、店へと連れ込んでいるようだった。
[newpage]
[chapter:天使の恋煩い 2ー③]
シンディが最後の通達とばかりに、低く唸るようにして「居ね」とメス達へ命じた。
それでも、滅多とない上玉だと思ったのか、食い下がり、去ろうとはしなかった。
「お兄さん達、デランダかラヴィールーザの人だよね?そっちの方のオスってスゴいって話だよね?」
「そうそう!ヴァリューカの男より柔らかいけど、持続性がスゴいって!」
「そしたらさ、一人につき三人体制でスッゴくサービスしちゃうから!ね?連れの人も呼んでくれていーよ」
「触るな」
「全然、遠慮しなくて良いよ?私ら、分かってるから……」
「触るなと言ったんだ!このクソネコ共が!」
シンディが犬歯を出し、獣化する片鱗を見せると、メス達は一気に飛び退いた。
「その汚い手で触れるな!そこから腐ってくるだろうが!これ以上、自分達のテリトリー以外で商売をするようなら、ここではもう生きてはいけないようにしてくれるぞ!」
「な、何をそんな……」
「この御方は、デランダ王国の第一王子、トリスタン殿下である。この街の娼婦は、その王子を誘惑せんとしたばかりか、一般の店にまで入り込み、街の秩序を乱しているとヴァリューカ国王に進言しておいてやる。……来月には、お前達の店があると思うな」
メス達は震え上がり、平伏しながら許しを乞うていた。
そこそこの出の者だとは思ったが、まさかそんな大国の王子が、こんな小さな小隊だけを連れているとは思わなかったのだろう。
それはもう、必死の形相で土下座していた。
ふと、トリスタンがシンディの腕を取り、絡めて来た。
「ま、その位で、ね?」
「あんたが、きっちりと断らないから、毎回こうやって絡まれるんだよ!その曖昧な態度はどうにかしろ!」
「お付き合い出来ないよ、ごめんね?ってちゃんと言ったんだけどね」
「あんたの言い方は、「じゃあ、また後でね」とか「この後でね」とか、期待を持たせるんだ!この天性の色魔め!もっと自分がいかがわしい存在だと理解しろ!」
「分かった、分かった」
トリスタンはそう言うと、シンディの腰にスルリと腕を回した。
そしてその長い髪の毛をかき上げ、首筋にチュッと音の鳴るキスをし、平伏すメス達を見下ろした。
「悪いけど、僕はこのオスにしかセックスも交尾も出来ない質だから。他のどんな子でも勃起しないから、帰って」
トリスタンがゴロゴロと嬉しそうに喉を鳴らしながら、シンディの首にジャレついてくる。
その耳がプルプルとシンディの首をくすぐる感触に、全身から血の気が引き、鳥肌が立った。
そうして、その百獣の王たる怒りの咆哮を上げると、店の客や店員までもが、その恐怖のあまりに店から逃げるようにして飛び出してしまった。
[newpage]
[chapter:天使の恋煩い 3ー①]
城下町に入ってもシンディの機嫌は直らなかった。
獣人の行き交う街並みで、馬を引きながら歩き、シンディはトリスタンを無視し続けている。
最初はヘラヘラとしていたトリスタンだったが、シンディの尻尾の毛をプルプルと逆立てて怒る様には、流石に焦りを見せ始めていた。
「ねぇ、シンディ。お願いだから、こっち向いて」
「あんたの方なんぞ見なくても、ちゃんと護衛はするから安心しろ。前を見てろ!馬が賢くなかったら、あんたはとっくに迷子になってるぞ!」
「何でそんなに怒ってるの?あれは誘って来る子を追い払う為にしたんじゃない。それにちょっとくらいキスしたって……口じゃなかったのに。ていうか、口にキスさせてくれないくせに……」
「誰が人前でそんな不埒な真似をするか!だから、そのチャラチャラしたところが気に食わないんだ!私がいなかったら、娼館に入ってただろう!前も入ろうとしてたしな!」
「入ってないだろう?前だって、お茶飲む場所だって騙されそうになったんだから。あれは不可抗力だよ」
「あんな妖しげな喫茶店があるか!……ちょっ、馬鹿っ!触るな!」
「手、繋ぐのも駄目?」
「いかがわしさの極みみたいなお前には触られたくない!」
シンディがトリスタンの腕を叩くと、それ以降は一言も口を利いて来なくなった。
あまりにも静まりかえっていたので、トリスタンがどんな表情をしているのか覗き見たかったが、そこで「やっとこっち向いてくれた」などと嬉しそうにされては腹の虫が収まらないので、シンディも黙りを決めた。
何故あんなにも苛立ったのか。
確かにトリスタンの、のらりくらりとした態度に腹が立ったのもある。
メス達のしつこく迫って来るのにも怒りを覚えたのもある。
だが、きっかけはトリスタンが『触られていた』事にあると思う。
その不快感を伴う怒りの感情は、何に対して、誰に対して、何故か、という理由が付けられない。
それをまた、追及してはならないようにも思えた。
王城に入る頃には、無言の時間にも慣れ、ほんの少しシンディの気が解れた途端、トリスタンが口を開いた。
「シンディ、僕は本当に王子であり、オメガである自覚に欠けていたよ。反省した」
「トリスタン……」
「僕は自分をアルファだと信じていたし、メスが寄って来る事への貞操観念が欠落して育ったと思う。……だから、本当に欲しい人が現れた時に、手に入らないっていうのは自業自得なのかも知れない」
トリスタンの表情には、ふざけているような節は片鱗も見えなかった。
いつも楽しげに揺れている尻尾も、寂しげにしんなりと項垂れたままだ。
こんなにも真摯に語る姿は見た事がなかったので、シンディも返す言葉が思い浮かばなかった。
「シンディに出会えるって分かってたら、シンディの為に綺麗な体でいたかった。初めからオメガとして生まれ育って、シンディの運命の番になりたかったよ」
泣いてしまう。
そんな感情を必死で堪えるようなトリスタンの表情に、シンディの心はざわついた。
この世で一番麗しいオスが、己の穢れを悔いている。
穢れてなんかいない。
あんたが私の下で、あんなにも愛らしく喘いでいた姿は、初々しくて、堪らなかった。
そうは思ったが、それを口にはしなかった。
そんな事を言ってしまえば、永遠の番だと決めた、あの初恋のアザの持ち主を裏切ってしまうような気がして。
[newpage]
[chapter:天使の恋煩い 3ー②]
デランダ王国の王子が訪れたとあって、王宮内は急に慌ただしくなった。
それも、小さな小隊だけを引き連れての来訪だったので、隊員までも手厚い歓待を受け、王族仕様の部屋が与えられた。
それには、シンディが慎んでお断りしますと言って、トリスタン以外の者はヴァリューカの兵舎の空き部屋を希望した。
「駄目だよ。シンディは私と同じ仕様の部屋でないと」
「私も一兵卒にしか過ぎない」
「貴方はラヴィールーザの公爵の息子でしょう?デランダやヴァリューカでなら、王子の地位に値するよ?兵舎での寝泊まりは、僕もアーデルも認めないと思うけど?」
「アーデルはどうだかな……」
「友達だったんだろう?」
「私の悪口を、あいつから聞いてないのか?」
「とても仲良く喧嘩している学友がいたのは聞いていたよ。それが我が国の騎士団にいる貴方だとは知らなかったけどね」
「仲良く喧嘩……。どこが仲良くだ。全くソリが合わなかったってのに。あいつの脳も色ボケしてるんじゃないのか?」
「うふふ。ソリが合わなくて一周回って仲良しになっちゃったんじゃない?僕はそんな友達はいなかったらから、凄く羨ましいなって思って聞いていたよ」
トリスタンとシンディが待たされていた応接室の扉が開かれ、そこから豪奢なオスが現れた。
アーデルだと分かり、シンディはすぐにトリスタンの背後へと下がって、跪いた。
その浅黒い肌はヴァリューカのオスの象徴でもあり、鋭い目付きは、王族の最たるタイガーの気質が表れている。
荒削りな雄々しい顔立ちは、オスらしい麗しさで獣人達を魅了するだろう、獣王たる威厳があった。
襟足が長めの艶やかな黒髪にピンと立ったタイガーの耳は、常に警戒しているような様を見せ、気性の荒さが窺える。
だが、縞模様の尻尾だけは緩やかに揺れていて、冷たい程に無表情な顔とは反比例して機嫌が良さげだった。
「トリスタン、久しぶりだな」
「アーデル。相変わらずの[[rb:雄前 > おとこまえ]]だねぇ」
「お前こそ、相変わらずの[[rb:優雄 > やさおとこ]]ぶりだな。どうせメスからは引く手あまたなんだろう。……ん?ちょっと待て。お前、何か前と違うな。……前よりも、こう……何か艶かしく……」
「あぁ!僕、オメガだって、この年で分かったんだよね。いや~、そりゃもう、ここに来る途中で発情しちゃって大変だったよ~」
「な、何だとぉ~?!」
今まで表情を崩さなかったアーデルの顔が、その驚愕のあまりに崩れた。
シンディは俯いていたので そのアーデルの表情を見る事は叶わなかったが、こんなにすっとんきょうな声を出すのを聞いたのは初めてかも知れない、と思った。
[newpage]
[chapter:天使の恋煩い 3ー③]
「あれだけ遊びまくってたお前が!来るメス拒まずだったお前が!落とせないメスはいないと豪語していたお前が!」
「ちょっと、アーデル。やめてくれないかな。もうね、僕は改心したんだよ。一途な愛に生きるって。一獣人に尽くす健気なオメガとして生まれ変わったんだよね」
「お前、気が狂ったか!ていうか、発情期が来て、別獣人格が覚醒したか!天変地異の前触れか、これは!」
「アーデルに言われたくないよ。君だって結婚するって聞いた時は、気でも狂ったかと思ったよ。でも、側室はいっぱいいるんだろう?」
「……側室は全部、実家に帰した」
「ええっ?!まさか、アーデルまで?!オメガになっちゃった、とかじゃないよね?」
「なるか!私は生粋のアルファだ!」
アーデルはデランダ王国に留学し、卒業した後も母国のヴァリューカへ帰るのを拒んだ。
帰れば、父王から妃を娶れと急かされるのは分かっていたし、高慢な側室達が子種を寄越せと待ち構えているのが分かっていたからだ。
そうして、デランダ王室で過ごす間にトリスタンとつるんで悪徳の限りを尽くし。
父王に諭される度に異国へと逃れ、旅をし続けた。
隣国の黒曜王国や、ラヴィールーザなどにも放浪し、ついには無理矢理に強制送還されてしまった。
帰国してみれば、案の定、目をギラギラさせた後宮の側室達が待っていた上に、父王が用意していた妃候補が既に何獣人かいて、結婚式の準備までされていた。
アーデルは即日、後宮を解体し、妃達も追い出した。
そのあまりの暴挙に、トリスタンも呆気に取られていた。
「つかぬことを伺うけど、アーデル。お嫁さんがいないのに、どうやって結婚式をするんだい?」
「これが なかなかしぶといメスがいて、大臣の娘なんだけどな。こいつが父親の権力もあって、王宮にのさばっているんだ。父上は、このメスと俺を結婚させるつもりらしい」
「へぇ~。我が儘王子のアーデルもついに観念したかぁ。これって、おめでとう、って言って良いの?」
「めでたくなんぞあるか!あんな高飛車なメスとは絶対に結婚しない!何としても父上を捩じ伏せてみせる!」
アーデルがふと、トリスタンの背後に目をやると、騎士らしいオスが控えているのが目に入った。
トリスタンは相当な腕前の剣士ではあったが、流石にオメガともなれば護衛を付けるのか、という程度に思っていたので気にも留めなかったが、珍しい程に長い栗色の髪には見覚えがあった。
「……まさか……シンディ?」
「お久しぶりでございます。アーデル殿下」
「シンディ?!嘘だろう?!あのシンディが!敬語!有り得ないだろう!気味が悪い!」
「失礼な事を仰らないで下さい。これでも私だって成長したんです。……以前は、身分も弁えずに大変失礼を致しました」
「やめろ!本当に気持ち悪い!敬語を喋るのは、これからも禁ずる!立て!今すぐに!」
アーデルの命により、シンディは顔を上げた。
そこには苦虫を噛み潰したような、苦悶の表情を浮かべる旧友が立っていた。
[newpage]
[chapter:天使の恋煩い 4ー①]
シンディとアーデルがデランダ王立の寄宿学校へ入学したその時から、『恐怖時代』と言われ、今でも伝説となっている。
二人が共に、10歳で入学してから20歳で卒業するまでの10年間、それは校内が最も粛清された時代だった。
在学中、シンディとアーデルは共に満点以外の成績を取った事がなく、常に生徒会長を交互にこなして他の者に譲る事なく卒業した。
シンディが舵を取るようになってからは、風紀が異様なまでに厳しくなった。
生徒に性的な嫌がらせをしていた教師は、デランダ王国追放にまで追いやり。
不良の溜まり場だった旧校舎は、改築され、特別授業の行われる教室となって、生徒全体の学力が上がった。
たむろしていた不良達の末路は、シンディが知る以外、誰も知らされていない。
アーデルが舵を取った時からは、とにかく学力の向上の為にスパルタ式の授業が増えた。
教えるに相応しくない、低脳な教師は即刻追放され、女王のように君臨していた理事長も、学校の運営費を着服していたと分かると失脚させ。
二人は、校則や制度まで変えるばかりか、無能な教師や経営者を排除するまでに権力を持った。
そんな完璧なる独裁者にも欠点はある。
二人は卒業式当日まで、犬猿の仲のままだった。
まるで、学校行事のような獣化しての決闘には、毎回こっそりと生徒達による賭けが横行していた事を、本人達は知る由もない。
10年間で書いた反省文の回数は、13回。
そのどれもが獣化しての闘いが原因で、13回のうちの勝ち負けは、未だに本人達の意見が分かれるところだ。
久しぶりの再会に、『大人になった』二獣人は、『一応』は笑顔で握手し合った。
アーデルはトリスタンの為に、翌日には王族を集めてのパーティーを開く準備をしろと執事に申し渡し、その日の夕食は旧交を温める為に、トリスタンとシンディの三人だけで取る事にした。
旧交を温めるとは、嫌味の言い合いをするという事だっただろうか、とトリスタンは思った。
アーデルからは「いけ好かない奴だった」とは聞いていたが、よもやここまで息の合った罵り合いを交わす仲だとは思ってもみなかった。
シンディからも、昔からソリが合わなかったとは聞いていたが、これは逆にソリが合いすぎているのではとすら思う。
それはもう、トリスタンの口が挟めるような隙間は、微塵もない程だった。
[newpage]
[chapter:天使の恋煩い 4ー②]
「シンディ、お前、結局、卒業してからラヴィールーザには帰らなかったのか。まぁ、次代の公爵としての、巫の力ない無能な息子なら、親も自由にさせてくれて羨ましい事だな。それだけ身軽な能無しだと人生、生きていくのも楽で良いな」
「いやいや、アーデルのように責任ある立場でありながら、ちゃらんぽらんにあちこちの国で遊び回るデタラメな人生の方が羨ましいぞ。自らの娯楽の為に国を滅ぼす覚悟があるとは畏れ入る。それで結局は、親の決めたメスと結婚させれるんだから、傑作な結末だな」
「父上の決めたメスとは、絶対に結婚しない!私には決めた相手がいると進言してある。しかし、相変わらず口が悪いな、このクソライオン!お前のせいで、私はライオンに対してじんましんが出るようになったんだぞ!」
「トリスタンと遊び呆けていたくせに、何がライオンにじんましんだ!それを言うなら、私がこの世で一番嫌いな獣人がタイガーなのは、お前のせいなんだ!このスケコマシが!そもそも学校の粛清にしたって、お前が女教師なんかと交尾していたからじゃないか!」
「交尾なんぞしていない!あれは獣化しない為に手伝ってやると向こうから言って来たんだ!そもそも王族が獣化しないが為のセックスは番の印を付けなければ、ある程度は公認だった筈だろうが」
「生徒同士はな!だが年増の家庭がある女教師と寝るなんて、そもそもお前には道徳観に欠けてるんだ!その後も、理事長とまで寝てただろうが!いちいち私に、別れさせるような事をさせやがって!」
「理事長は不正を吐かせる為にタラシこんだんだ。あの後、失脚させたんだから良いじゃないか。その後始末は、お前がつけてくれたし、問題なく卒業も出来た」
「問題は大ありだ!このメスたらしが!」
目の前を罵詈雑言が行き交う中、トリスタンは何だか羨ましく思えて来た。
自分は、家庭教師が何人もついて勉学を修得したが、もしもシンディと同じように学校へ通えていたら。
アーデルのように、構って貰えていたのだろうか。
自分の為に怒って、世話をして、叱責される。
そんな学生生活を送れるのなら、学校へ通えば良かった。
例え今更とはいえ、アーデルになりたいとまで渇望した。
「良いなぁ。シンディとアーデルは仲良しで。両想いなんだねぇ」
「「どこがだ?!こんな奴とっ!」」
見事にシンクロするまでに、息が合っている。
ここまで似通った感性がありながら、相容れないのは、やはり徹底的な貞操観念の違いだろう。
性的に潔癖なシンディと、王族らしい多くのメスを従わせるアーデルとは、馬が合う筈もなく、その溝が埋まる事もない。
トリスタンとアーデルは似通った育ちではあったので、すぐに意気投合したが、シンディにはやはり毛嫌いされてしまった。
もしかしたら、アーデルに重ねられたのかも知れないとも思う。
「あ~あ、僕もシンディに、アーデルみたいに構って貰いたいなぁ。アーデルになりたかった」
「「お前は本当に馬鹿だな!」」
またシンクロした。
シンディとアーデルは、口を開くのが恐ろしくなったのか。
そこからは、無言の食事会になってしまったのだった。
[newpage]
[chapter:天使の恋煩い 4ー③]
途中からは静かな食事会となったので、トリスタンがようやく話題を振るようになったが、相変わらずのボケ具合で、右からも左からも突っ込まれまくっていた。
そうして三獣人は食事を終えて、デザートが運ばれて来る頃になって、ようやく今後の話をしようとした時。
豆台風が訪れた。
召し使いが、シンディの前にシャーベットを置こうと配膳した瞬間。
「し、失礼致します~。あ、あ、あぁ~っ?!」
何もない場所で転び、シャーベットはシンディの胸元へとブチまけられ、召し使いは見事に顔からビターンとスッ転んだ。
それには、かけられた当のシンディよりも、アーデルの方が過敏に反応した。
「何をやってる!この馬鹿ネコがっ!」
「す、すみません~!も、申し訳ございません~!」
「そもそも、おっちょこちょいのお前が給仕なんぞするから、こんな事になるんだ!馬鹿め!ネコはネコらしく、大人しく丸まってろ!」
「俺はネコじゃないです~。一応、ライオンです~。あ、あのアーデル……様のご友人だとお伺いして、……その、……」
「敬語を使うな!ネコの脳味噌では、敬語に変換するのは時間がかかってイライラする!」
「す、すみません~」
召し使いはまだ子供のように思えた。
耳の形状はやや尖ってはいたが、尻尾は確かにライオンのものではあった。
だが、その体つきはほとんどネコだ。
大きな薄茶の瞳は不安に揺れ、耳をプルプルと震わせているのは、自分より大きな猛獣に囲まれているが故に、本能から怯えを感じているからだろう。
明るいフワリとした髪の毛も緊張により逆立てていて、先端にぼんぼりの付いた尻尾もピンと張り詰め、警戒し続けている。
ライオンの子供は、慌ててシンディの胸元のシャーベットを拭いながら、ペコペコと必死になって頭を下げていた。
だが、何故かアーデルまでもシンディとへ頭を下げた。
「騒がせてすまん。こいつは本当に そこつ者で……」
「アーデルが……頭を下げた……」
「私だって謝る事もある!馬鹿にするな!……だから、……その……、こいつなんだ。……だから」
「はぁ?!」
「私が妃にするつもりなのは、このネコなんだ!」
「えぇ~?!」
シンディは大袈裟な程、大声で叫んだ。
アーデルが今まで相手をしてきたのは妖艶なネコ科のメスばかりだったので、まさかこんな子供を妃するとは、想像もしていなかった。
その子供は、真っ赤な顔をして、シンディへとお辞儀をした。
「せ、聖夜と言います~。は、初めまして……」
「子供か?!」
「これでも、アーデル……様と同じ年です~」
「見えん!10歳位かと思った!」
「わ~。可愛いね~。アーデルのお嫁さん。食べちゃいたくなるね~」
トリスタンが嬉しそうにそう言うと、アーデルは慌てて飛んで来て、聖夜を抱き上げた。
トリスタンがいくらオメガだと分かっていても、過去の前歴があるだけに、油断ならないと思ったのか。
アーデルは、トリスタンに向かって『シッシッ』と手で払って退けようとした。
[newpage]
[chapter:天使の恋煩い 5ー①]
翌日の晩餐会は、トリスタンの為に開催されたものではあったが、いざ開かれてみれば、まるで見合いの席のようであった。
ヴァリューカ王族の娘達が、挙ってトリスタンへと媚を売りに行く。
デランダという大国に嫁ぐとなれば、一族の誉れとなる。
メス同士が牽制し合い、牙を向き合う状態は、まるで椅子取りゲームのような競り合いになっていた。
だが、同じ王子であるアーデルの側には、誰も寄ろうともしなかった。
それは、父王ナルサスが決めた大臣の娘であるダリアが張り付いて離れなかったからだ。
ダリアはチーターのアルファだったが、その気の強さはアーデルがどれだけ毒を吐こうとも気にも留めなかった。
黒い豊かな巻き毛に、浅黒い肌は、ヴァリューカの典型的な王族のアルファだ。
大きな瞳や、ふくよかな肉体は、メスとしては魅力的ではあったが、その所作の一つ一つには高慢さが溢れていて、悪い意味で育ちの良さが見え過ぎていた。
「何度も言うがな。お前とは結婚するつもりはない。お前も、さっさと違うオスを捕まえろ」
「私は、アーデル様のご気性をよく理解しております。側室を何人持っても、何人子供を産ませても構いません。私に妃という立場と、お子を授けて頂けるのであれば、他のメスと自由に交尾して下さってよろしいんですのよ」
「側室なんぞいらん。子供も他で作るつもりはない」
「まぁ!私だけに絞って下さいますの?嬉しゅうございます!それなら、早々に子作りせねばなりませんわね。沢山産むために。式も早くに挙げませんと!」
「お前、言葉が通じているか?脳に虫が湧いてるだろう?医者にかかった方が良いぞ」
「ご心配なさらないで下さいませ。ちゃんと子供も出来る健康体であると、医者にもお墨付きを頂いております」
「馬鹿なメスだな。頭が痛くなる」
「ご安心下さい。馬鹿なメスは、側室には入れないように申し渡しておりますから」
アーデルは絶句した。
ダリアは、とても同じ言語を喋っているとは思えなかった。
元からの性格なのか、王の妻として生きていく為に教育されたからなのかは分からなかったが、幼い頃から大臣が躍起になって勧めてきたメスだけあって、何事にも動じない図太さがあった。
聖夜を父に紹介しようとしても、ダリアが張り付いて威嚇するので、近寄ろうともしない。
仕方なく、アーデルはシンディに聖夜の警護を頼んだ。
他の誰よりも大柄であるシンディには、どんな輩も近寄ろうとはしなかったので、聖夜は安堵しているようだった。
「ゴメンなぁ。シンディ」
「聖夜が気にする事はない。これは私の仕事の範疇だから」
「でもトリスタンに付かなきゃならないのに、俺なんかに……」
「トリスタンは剣の名手だから、ここにいる中では私以外には歯が立たない。まぁ、発情期も終わってるしな」
「は?!」
「いやいや、何でもない」
あれだけオスの勇猛さを露にしているトリスタンが、まさかオメガであるとは誰も思わないだろう。
ヴァリューカで発情期を迎えなければ、このまま帰った方が無難ではある。
デランダに帰れば、嫌でも揉める事にはなるだろうし、アーデルの友人として参列するならばアルファのままでいた方が箔が付く。
それ思えば、アーデルには出来るだけ早く、トリスタンの発情期が来る前には式を挙げて貰いたかった。
[newpage]
[chapter:天使の恋煩い 5ー②]
「聖夜は、どこでアーデルと知り合ったんだ?」
「アーデルとは、デランダ王国との国境にある山の麓の街で出会ったんだ」
母親は、デランダの王族だったらしいが、城で仕えていたヤマネコの父親と恋に落ち、紆余曲折の末に駆け落ちして、ひっそりと隠れるようにして暮らしていた。
山の家から麓に降りるとすれば買い物か、手製の工芸品を売りに来る位で、そのほとんどが下界と接する事はなかった。
聖夜は、その時たまたま買い物の為に街へ来ていて、アーデルと出会った。
初対面から、アーデルの頭にスープをぶっかけた。
それはシンディも体験していたので、その様子を想像力するのは容易だった。
詫びとして、街に滞在中、道案内などの世話をしろと言われ、付き添っていたところ、聖夜にも発情期が来たのだった。
「もしかしたら、お前は……」
「うん。オメガだよ。だから、アルファのアーデルは、俺に引き摺られちゃったんだよな」
「王族の血を引いているなら、ナルサス陛下も認めてくれるんじゃないのか?」
「母さんは王族といっても低い身分だったし。俺も幼獣時以来、獣化も出来ないみそっかすだしさ」
聖夜はアーデルに襲われ、交尾させられた。
だが、アーデルがヴァリューカの王子である事は分かっていたので、そのまますぐに医者へと駆け込み、事後処理をして子供を成す事はなかった。
聖夜は、両親が身分差の恋に苦しんだ末に生まれた子供だったので、同じ轍を踏もうとは思わなかったからだ。
「アーデルは責任を取るって言って、俺を引き取ってくれたんだけど、帰ってみたらお妃様になる人はいるし、もう、どうしようかな~って思ってんだよな。俺、あのお妃様にめちゃくちゃ嫌がらせされるし」
「ナルサス陛下には、まだ会ってないのか?」
「今みたいに、こうやって何度も同じ場所にいた事はあるんだけど、大体は王座に座ってらっしゃるし。ナルサス陛下は俺の事を認めるつもりはないみたいなんだよな。アーデルも陛下に俺の話をすると無視されるし」
ヴァリューカの国王ナルサスは、傲慢で残忍な独裁者としても名高い、最強のタイガーだった。
王になったのも、15の時に獣化して父王を倒した事からの、強引な即位だった。
その横暴さは国外でも有名であり、国王としては50年という異例の長い歴任ではあったが、この度、数多くの子供の中から、アーデルを次代のヴァリューカ国王へと推挙したのである。
無論、アーデルの意思はお構い無しであり、妃を決めずにフラフラとしている息子を縛り付ける為に、大臣の娘までも用意する周到さだった。
「ナルサス王は、得体の知れない妃を貰うのはヴァリューカの王子として恥だと思ってるんだと思う。俺も、こんな殺伐とした王宮の中でやっていけんのかな~って思うと、全然、自信ないし」
「聖夜は、アーデルの事をどう思ってるんだ?無理矢理に襲われて、連れて来られたんだろう?」
「……うん。まぁ、そうなんだけどな」
自分勝手で、口が悪くて、人の都合など考えない、我が儘な王子だと思っていた。
どうにかして、早く逃げ出したいとばかり考えていた。
だが自分が発情期に入って、獣化しかかったアーデルに襲われて、その気持ちが一変した。
アーデルは、聖夜を愛していた。
大切に、大切に、包むようにして その想いを伝えて、聖夜と結ばれたいと望んでいた。
だが、己の口の悪さが災いして聖夜には伝わらず、また、聖夜が発情期を迎えてしまい、溜め込んでいた欲望が爆発してしまったのだ。
それを知ったのは、襲われた翌日の事だった。
初めての行為で体が傷付けられた上に、避妊の事後処理でボロボロになった聖夜の枕元には、涙しながら謝罪するアーデルの姿があった。
すまないと。
こんなにも愛していたのに、獣である本能に抗えなかったこの身が呪わしいと。
その後の甲斐甲斐しい介護は、アーデルの言葉に偽りがなかったのだと教えられた。
そうした時間を積み重ねていき、聖夜もやがてアーデルを愛するようになっていった。
[newpage]
[chapter:天使の恋煩い 5ー③]
「物好きだな、聖夜は。あんな冷血獣人を。お前の気が知れん」
「わははは。俺もホント、物好きだよな。いくら俺達が両想いでも、アーデルの周りはそれを許さないしさ。あいつが、一般の獣人だったら良かったのになぁって、いつも思う」
「聖夜……」
「シンディ。アーデルがダリアと結婚したら、どこか俺の住めそうな場所、紹介してくれないかな?実家には帰り難いんだ。大反対を押しきって家出同然で出てきたから。父さんと母さんは、王族に対して嫌な感情しかないし」
「私が責任を持とう。お前が絶対に幸せになる場所を探してやる」
「良いのかよ?そんな安請け合いして」
「こんな小さな子ネコを面倒みれないでどうする。私に任せておけ」
「ネコじゃねーし!……でもありがとうな」
聖夜は、これ以上、下げられないだろうというまでに、体を折り曲げるようにして頭を下げた。
ヒラリと聖夜の項にかかる髪の毛が翻る。
シンディは、思わず目を見張り、息を飲んだ。
聖夜の首には、番の証である噛み痕があった。
それは恐らく、アーデルが付けたものに違いない。
だとすれば、聖夜はもう、アーデル以外とは交尾出来ない。
番の証を刻まれたオメガは、他のオスと交尾しようものなら、気が狂う者もいれば、自害してしまう者もいるからだ。
だが、その噛み痕よりも少し上。
ちょうど項の毛の生え際辺りに、紋様があった。
ハート型の、判を押したようなはっきりとしたアザが。
母親がデランダ王国の王族だと言っていた。
あの時は獣化した幼獣の状態だったので、後頭部にあったように思えたが、人型になればこの位置なのかと。
シンディの初恋のライオンはオスのアルファだと思い込んでいたが、幼い頃の記憶の曖昧さからは絶対かと言われれば自信がない。
まさかこんなところで出会うとは。
しかも、旧友の番として。
幸運と不運が一度に押し寄せ、シンディを翻弄する。
何が正しいのか。
どうすれば良いのか。
自分はどうしたいのか。
どうしてやれば良いのか。
思いが混沌として、シンディは己が真意を見定める事が出来なくなっていた。
[newpage]
[chapter:第三章・悪魔は愛に殉ずる 1ー①]
翌日になると、王宮内は何故か慌ただしく多くの獣人達が行き交っていた。
召し使いの誰もが、早足で廊下を駆けて行く。
誰か大物がアーデルの結婚式に訪れたとでもいうのか。
あるいは、ナルサス王がついに無理矢理結婚式の日取りを前倒しにしたか。
あまりにも慌てた召し使いのイヌが、シンディの体にぶつかって来て平謝りした。
「もっ、申し訳ございません!失礼を致しました!」
「えらくざわついているな。何かあったか」
「アーデル殿下のお式が、突然、週明けに行われる事になりまして……」
「ナルサス王の采配か」
「は、はい。決めたからには早い方が良いと。お式での服や、お料理がもう間に合わなくて」
「アーデル殿下もついには父君には逆らえなかったか。ダリア様とは、あまり仲良くはなさそうだったが」
「いえ、お相手はダリア様ではございません。トリスタン殿下です」
「はぁ?!」
「トリスタン殿下がオメガだという事が分かりまして。昔からの親友ならばこれ以上の良縁はないと、ナルサス陛下がお決めになられたんです」
「何だとっ?!」
シンディの胸の鼓動が、何故か苦しい程に早く打ち始めた。
全身の血が沸騰するような、怒りと焦り。
そんな痛い程の激情が、全身の血管を駆け巡った。
気が付けば、トリスタンの部屋の扉に向かって、力の限り拳を叩き付けていた。
部屋にいたトリスタンは、相も変わらずのんびりとソファーに凭れ掛かっていた。
「トリスタンっ!どういう事だっ!」
「何でこんな事になっちゃったかなぁ」
「何をぼんやりとしているんだ!どうしてこんな事になった?!」
「いや~。昨日の晩餐会で色んな王族のメスを紹介されてね。もしかしたら、うちの父から『花嫁を探してくれ』なんていう伝令があったのかも知れないけど」
それはもう、何獣人もの王族の娘が確実に花嫁になれるだろう確率の高いトリスタンへ、凄まじい圧をかけて求婚してきた。
ナルサス王も、ここで決めてしまえと命じて来た。
そのあまりの横暴さに我慢ならなかったトリスタンは「自分はオメガなので、妃を貰う事は出来ません」と真実を告げずにはいられなくなった。
そこは、それで事なきを得たと思っていたら、翌日になって「アーデルの妃はトリスタン王子とする。結婚式は週明けに執り行うので、父君にもその旨を伝えた」と言われたのだ。
「そんなっ……」
「いや~、僕もアーデルはダリアと結婚するから大丈夫かなって思ってたんだよ。どこかでアーデルがそれをひっくり返して、聖夜との愛を貫くのかな、って他人事みたいに思ってたんだけど、まさか自分の身に降りかかろうとは……」
「何を悠長な事を言っている!この能天気王子が!アーデルもあんたも、自分の意思とは関係なく結婚させられるんだぞ?!」
「そうなんだけどね。まぁ、王族の子供ならありがちな事だから、それ程に驚かないんだけど。父上もきっと、オメガになっても大物を捕まえたな、って位で喜んでそうだし」
「お前はそれで良いのか?!」
トリスタンのヘラヘラとした物言いが許せない。
愛してもいないオスの元へ、無理矢理嫁がせられる事への拒絶が感じられないのが、何故、こんなにも苛立つのか。
トリスタンの言う通り、これ以上ない良縁であり、断る理由もないのかも知れない。
だが、あれだけ熱心にシンディを口説き続けていたのに、こんなにも簡単に他のオスへと鞍替えする事が出来るのか。
シンディは、自らの中に沸き上がる感情がトリスタンへの怒りであるのを認識していた。
それは感じた事のない程の、激しい怒りだった。
[newpage]
[chapter:悪魔は愛に殉ずる 1ー②]
「本当に、それで良いのか。お前は、アーデルとこれからずっと連れ添っていけるのか」
「連れ添っていくもくそも、ナルサス王の傍若無人さは知ってるだろう?ここで僕が嫌だと言えば、デランダと戦争をすると言い出すか、僕を牢獄に閉じ込めるか……。そんな事は平気でする方だよ?どうやって逆らうって言うんだい?」
「あれだけ、交尾せずにいたのにか!」
「だってシンディは、僕と絶対に結婚してくれないじゃない。……だったら、もう誰と結婚したって同じだよ。アーデルなら気心も知れてるから、気楽かも」
「アーデルは聖夜を愛しているんだぞ?!あんたは、あいつらを引き裂くつもりか!」
「……聖夜には悪いなとは思ってる。だから、妻の座は後々に聖夜に譲るよ。僕は子供を産めば、ナルサス王も納得するだろうから、アーデルの子供を産んだ後は隠居でもするさ」
「……結局、お前は誰と寝ても良いんだな……」
シンディの、地を這うような声で呟いた。
その感情の沸点をとうに越えていて、自分でもコントロールが出来ない。
抑えきれない自らの口が、勝手に悪意ある言葉を吐き出していた。
「あんたはやっぱり、オメガになってもふしだらな事には変わりなかった。誰に肌を許そうが、気にもならない淫乱なメスだ。そうやってこれからも何獣人のオスに色目を使って、誘惑するんだろうな!この淫売が!」
シンディが罵倒すると、トリスタンの表情から感情が消えた。
その耳は、ペタリと倒れるようにして垂れ。
いつも楽しげに揺れている尻尾もまた、クタリと項垂れていた。
そして、その下瞼から盛り上がるようにして涌き出た涙の滴は、白磁の頬をポロポロと零れ落ちていった。
「じゃあ、どうすれば良いんだい?」
「トリスタン……」
「僕がこれを逃れるには、自害するしかない……」
本当は、アーデルと結婚したい訳じゃない。
自分がどれだけ望んでも、手に入れられないのは、目の前にいるオスなのだと。
どんなに愛しても。
恋い焦がれても。
渇望しようとも。
貴方は決して自分のものにはならないのに。
トリスタンの口は開かれる事がなかったが、涙はその心情を物語っていた。
それを見て、シンディは言ってはならない言葉を口にしてしまった後悔の念に襲われた。
今までどれだけ毒を吐いても、良心の呵責に苛まれた事など一度もなかった。
相手が泣こうが叫ぼうが、自業自得と思えば、罪悪感すら湧かなかった。
それ以上、トリスタンを見てはいられなくて、シンディは踵を返して部屋を後にした。
だがいくら振り払おうとも、トリスタンの涙する姿が、シンディの頭から離れる事はなかった。
[newpage]
[chapter:悪魔は愛に殉ずる 1ー③]
夜の帳が下りて、辺りが寝静まった頃、シンディの部屋の扉がコツコツと小さな音を立てた。
その細やかな様から、何か秘密裏にあるようにも思えたので、そっと音を立てないようにして扉を開いた。
「シンディ、ゴメン。寝てた?」
「聖夜?!……いや、起きていたが……」
「ちょっといい?」
「入れ」
シンディは廊下に人がいない事を確認してから、扉を閉じた。
聖夜は、ナルサス王に認められなくとも、アーデルが最も望む妃候補ではある。
それが、夜中に他のオスの部屋に入ったなどと噂が立てば、聖夜はこの国で生きてはいけなくなるからだ。
「あのな、シンディはアーデルの結婚式が終わったら、デランダに帰るよな?」
「そうだな。私はデランダの騎士団に所属しているから、最終的にはデランダへ帰る事になるだろうな」
「その時、俺を連れてってくれる事は出来ないかな?……デランダに行きたいんだけど」
「聖夜……」
「あのさ。アーデルとトリスタンが結婚する事になりそうだろ?もしも、このままここに残っても、トリスタンは優しいけど、ダリアは陰険だからさ。側室にでもなろうもんなら、俺、毎日、いびられそうだから。……ここにはいたくない」
あれからというもの、ダリアは自分の方が妃の地位に相応しいのだと、大臣である父を連れてナルサス王へと食ってかかったらしい。
それならば、第一側室にしてやると言われ、帰されたダリアは、自分の城で怒りのあまりに獣化して暴れ回ったらしい。
城の一階部分のあちこちを大破して、やっと獣化が治まった。
確かに、そんなメスが側室になろうものなら、同じように側室として残されるだろう聖夜は、鬱憤を晴らす為の格好の餌食にされるだろう。
それはあまりにも忍びないと思った。
「ここに残されたら俺、多分、殺されちゃうから。ダリアに」
「殺される?」
「これは秘密にしててくれよ?絶対だぞ?……俺、アーデルの子供が腹にいるんだよ。そんなの今のブチ切れたダリアに知られたら、絶対に殺されちまう」
確かに、妃の座を奪われ、寵愛は自分より下の聖夜が一心に受けているのだと知れば、プライドの高い王族のメスであるダリアが黙っているとは思えなかった。
聖夜はこの国では生きてはいけない。
親元にも帰れない。
だが、生まれて来る子供は、どう隠そうとも王の血筋になる。
「聖夜。デランダでどうやって生きていくつもりだ?お前が産む子供は、恐らくタイガーの子になる。王の強い遺伝子は、他の種族を圧するから」
「分かってるよ。だから、どこか山奥か田舎で暮らしたい。俺、田んぼ耕したり、鳥捕まえたりするの、得意なんだ。だから、何とか子供と生きていくから」
「その決意は、堅いのか」
「うん」
シンディは、しばし思い巡らせた。
この命を失わせてはならない。
そして、今の自らの気持ちと。
これからどうしたいのか、どうあるべきなのか。
「聖夜。ここを出る時はお前を連れて出てやる。必ずだ」
「ありがとう」
「ただ、後から追われても困るから、周りには納得させる必要がある。それがどんな方法になるか分からないが、どうあってもお前を連れて行くから、信じてくれるか?」
「分かった。シンディを信じるよ」
「どんな事があってもだぞ」
「うん。どんな事があっても」
シンディは、聖夜と固く握手を交わした。
そして、自らも悔いのない行く末となる為に、改めて固く決意するのだった。
[newpage]
[chapter:悪魔は愛に殉ずる 2ー①]
翌日には、『トリスタンをアーデルの妃に迎える』と御触れを出した王自ら、野外での昼食会を開いた。
普段は王座に座り、下々の者達とは触れ合う事をしようとはしないナルサス王にしては珍しく、あらゆる獣人達と会話を交わしている。
ヴァリューカと肩を並べる大国であるデランダの王子を息子の妃に選んだ事で、浮かれているのだろうか。
それとは反比例して、当の息子であるアーデルは、怒り心頭といった表情で、その唇からは犬歯を覗かせていた。
隣にいるトリスタンは尻尾も項垂れ、いつも絶やさない笑顔を見せようともせず、今は落胆も露にしている。
そんなトリスタンに、豊満な肉体のメスが近付いていった。
メスから凄まじい闘気を感じ、それを察知したシンディは すぐに駆け寄った。
だが、それがダリアだとは瞬時には分からなかった。
顔自体は既に獣化していて、人型の時の愛らしい面差しの片鱗もなかったからだ。
「おのれ!トリスタン!噛み殺してくれるわ!」
七割方の変化を終えたダリアは、トリスタンへと飛び掛かっていった。
その間に体を滑り込ませたシンディは、鞘から抜いていない剣でダリアの喉元辺りを殴打した。
重い一撃をダリアの急所に当て、体がよろめいた直後、更に[[rb:鳩尾 > みぞおち]]へと剣の柄頭をめり込ませる。
あまりにも流れるような その技に、周りの者達は、唖然となった。
完全に獣化しきれてはいないダリアは、その姿のまま失神していた。
「危なかったな」
「シンディ~!」
「このメスが妃の座から降ろされて、激怒しているとは聞いていたが、よもや襲って来ようとは。獣化して、理性を失ったか」
「凄い格好良かったよ~。ありがとう~」
トリスタンが抱き付きかねない勢いだったのを片手で制する。
シンディの目の前には、ヴァリューカの国王、ナルサスが立っていた。
しなやかな長い黒髪を靡かせ、横柄に胸を張る姿は、噂通りの傲慢そうなオスだった。
浅黒い肌に、細い鼻筋と、薄いが大きな唇は、情のなさを感じる。
そのギラギラとした三白眼で睨め付ける様は、大抵の獣人ならば尻尾を巻いて逃げたくなる程の威圧感があった。
シンディは、ダリアの体を衛兵に指示して運び出させてから、ナルサスを前に膝をついて頭を垂れた。
「御前にて、お騒がせを致しました」
「そなた、トリスタンの騎士か」
「はい。デランダ王国の第3小隊、隊長のシンディと申します」
「アーデルの妃をよくぞ守ってくれた。その素晴らしい立ち振舞い、気に入ったぞ。私の直属の騎士にならんか?」
「ありがたきお言葉。しかし、私の命はデランダの獅子王に捧げております。どうかお許しを」
「このナルサスの命令でも靡かんとは、骨のあるオスだな。益々、気に入った。褒美をつかわそう。ヴァリューカ一の美姫か?金か?何でも欲しい物を言え」
この場で申し出れば浅ましいと考えたシンディは、少し考える時間を欲しいと願い出た。
その慎ましさに更に感じ入ったナルサスは、明日には申し出よと言い、その場を去って行った。
それは、この場限りの約束ではない、と言われたようなものだったので、ナルサスとの繋がりが欲しかったシンディにとっては願ってもない幸運だった。
[newpage]
[chapter:悪魔は愛に殉ずる 2ー②]
「相変わらず抜け目のないヤツだな、シンディ」
「アーデル、お前な、隣にいたんなら気が付け!このウスノロ タイガー!」
「私からはトリスタンが邪魔して死角だったんだ。それにお前程に剣は巧みじゃない。おまけに私は丸腰だ」
「獣化すれば最強の男と豪語していたくせに、都合が悪くなると言い訳か。腰抜けめ」
「確かに獣化すればお前にも負けんがな。私の方が7勝6敗で勝ってるしな」
「何回も言わせるな。私が7勝6敗なんだ。勝手に勝ったように言うな!最後に闘ったときは、お前が校門に激突して気絶したのを忘れたか。あの後、門が破壊されたと卒業式にまで理事長にチクチク嫌味を言われただろうが」
「忘れたな。そんな愚にもつかない事は」
「この、ご都合主義の脳味噌が!一度、ぶん殴ってリセットしてやろうか!」
「お前には数えきれない位に殴られてる。もう懲り懲りだ。これ以上殴れて、私の優秀な頭脳が壊れたらどうしてくれる」
アーデルとの言い合いになると、トリスタンは隣でキョロキョロと首を左右に振り、その言葉の応酬に口を挟めなくなってしまう。
二獣人をそうやって見渡している時、ふと、その視線の中へと何者かが倒れる姿が、目に飛び込んで来た。
「聖夜?!」
聖夜が茂みの前で、倒れている。
だが、それに反応したのはその名を口にしたトリスタンよりも、シンディだった。
「どけ」
トリスタンの肩を押し退けて、シンディが駆け寄ると、真っ青な顔をした聖夜が「ゴメン」と漏らした。
「シンディ、他の人を近付けないで。バレたら困る」
「分かった」
シンディが聖夜を横抱きにして抱えると、アーデルが射殺すかのような視線を向けて来た。
「聖夜っ!」
「ここは私が聖夜を運んで行く。医者にもちゃんとみせる。だから、お前はここを離れるな」
「聖夜は私の妃だぞっ!」
「今は、お前とトリスタンの御披露目の真っ最中だろうが。ついでに言うとな。聖夜はお前の妃じゃない。お前の妃になるのはトリスタンだ。それを良しとしたから、この席があるんだろうが」
アーデルは、シンディの言葉にぐうの音も出なかった。
それはアーデルへの叱責でもあった。
父のお膳立てに逆らいきれず、のうのうと他の獣人を妃にするという場に、愛する者を置いていた事への痛罵だった。
シンディに素直に抱かれている聖夜を見るのが辛い。
自分の不甲斐なさに、アーデルはうちひしがれた。
そして、その隣でトリスタンもまた表情が陰り。
シンディの後ろ姿を、ただ呆然と見送っていた。
[newpage]
[chapter:悪魔は愛に殉ずる 2ー③]
聖夜の部屋は、召し使いの部屋より酷い、納戸のような部屋だった。
おまけに北向なのもあって、寒々しく、湿気でカビ臭い。
こんな部屋では具合が更に悪くなると、シンディは自らの部屋で寝かせる事にした。
「聖夜!あんな部屋を与えられて、何でアーデルに文句を言わない?!」
「あそこはナルサス陛下が与えて下さった部屋だけど、ほとんどいる事はなかったよ。アーデルの部屋にいたから」
「あの野郎!勉強だけは優秀でも、それ以外の事は本当に無能だな!聖夜にこんな思いをさせやがって!冷血馬鹿王子!あいつは、頭蓋骨の中まで氷で出来てるんだ!クソ タイガーめ!ブッ殺してやろうか!」
シンディがあまりにもアーデルの悪口を連発するものだから、聖夜も笑いを堪えられなくなった。
「何がおかしい?!」
「いや、シンディが俺の分までアーデルの悪口を言ってくれるから、スッキリするな~と思って」
ここのところの聖夜は、過酷な環境でのストレスからか、悪阻が酷かった。
だが、トリスタンの訪問からアーデルとの結婚が急に本決まりとなって、慌ただしくなり、何とかアーデルには気付かれずに済んだ。
「しかし、ヴァリューカの結婚式っていうのは、えらく簡単に決まるものなんだな。デランダなら花嫁の準備から何からで数ヶ月前からの準備になるぞ」
「本来のヴァリューカでは長ったらしい式典があるらしいんだけど、ナルサス陛下がそれを嫌ってるらしくて。王族の前での人前式と、パレード位しか自分の時もしなかったらしいよ」
「週明けには、式を行うって言ってたか。……聖夜。結婚式に出たいか?」
聖夜は首を横に振った。
アーデルが誰かと結婚式を挙げる姿を見たくはない。
それを見る前に、ヴァリューカを出たかった。
だが、シンディはトリスタンがヴァリューカに嫁ぐまでは、あくまでもトリスタンの騎士ではある。
主の嫁ぐ様を見届けなければ、デランダ王国には帰れない。
「……俺、結婚式の前に一人でヴァリューカを出ようかな……」
「それは駄目だ。言っただろう。私に任せると」
「でも……」
「大丈夫だ。策はある。もう少し、待ってくれないか?」
シンディは聖夜の手を握り、安心させるようにしてポンポンと肩を叩いた。
その細やかな優しさ、聖夜は胸を熱くした。
ここに来ての初めての心暖まる触れ合いに、妊娠して精神的にもナーバスになっていた聖夜は、大粒の涙を流した。
「聖夜。もしも、ここを出られたとしたら、私の妻になるか?」
「え?」
「一人でタイガーの子供を育てるのは、難しい。私の妻になれ」
「でも、俺は……」
「聖夜がアーデルの番なのは知っている。私がお前を抱けば、お前は生きてはいられないだろう。……だが、それだけが夫婦じゃない。体の結びつきはなくても、共に暮らしていく事は出来る。……どうだ?聖夜」
シンディは優しい。
この先ここを出て、穏やかな生活を送ろうというシンディの言葉に、偽りはないだろう。
ライオンのアルファとしての衝動を堪えても。
他のオスの子供を育てる事になっても。
きっと、それを貫き通してくれるだけの誠実さが、シンディにはあった。
「どうする?聖夜」
「俺は……」
それだけ実直なシンディに対して、聖夜も己を偽る事なく応じたい。
聖夜は、シンディの手をギュッと握り締めた。
[newpage]
[chapter:悪魔は愛に殉ずる 3ー①]
誰かがポンポンと膝を叩いているような感覚があった。
椅子に座ったまま、足を組んで夢うつつだったシンディは、瞬間、それが夢なのか現実なのかが分からなかった。
気が付いた時には目の前にトリスタンがいて、思わずギョッとなった。
「シンディ、あのね……」
「しっ。大きな声を出すな。聖夜が目を覚ます」
「聖夜、いるの?何で?どうして、シンディの部屋にいるの?」
「だから、大きな声を出すなと言ってるだろうが」
「ちょっと、こっち来て!」
トリスタンは、シンディのブラウスの前襟首を掴んで外へと連れ出し、自らの部屋へと引き入れた。
その力強さは、アルファのオスそのものの強引さだった。
「聖夜は、アーデルの番だよ?!どうしてシンディの部屋にいるんだ!こんな事が許されると思ってるのか?!」
「確かにアーデルの番だな。……だが、私の運命の番でもある」
「何だって?!」
「聖夜には、私の番である印があった。幼い頃からあるアザだ。あれを頼りに、ずっと探し続けていたんだ」
「で、でもっ、シンディの番は、アルファだって……」
「幼少期の記憶だから、曖昧だったのかも知れない。メスではなかったのは確実だったけどな」
シンディがずっと探し求めていた、運命の番。
その者でなければ、結婚はしないと。
もしも番と結婚出来なければ、一生独りで生きていくとまで心に決め、ずっと愛し続けていた初恋の獣人、それが、聖夜だった。
トリスタンの中で、嵐が巻き起こった。
シンディが他の獣人のものになってしまう。
シンディを渡したくない。
シンディと離れてしまえば、自分はきっと壊れてしまう。
そんな襲い来るような感情の波風が、トリスタンの中で吹き荒んだ。
「嫌だっ!」
「トリスタン?!」
「嫌だ!シンディ、愛してるんだ!シンディを愛してる!誰にも渡したくないっ!」
トリスタンは、シンディの首に腕を回し抱き付いた。
苦しい程に。
その力の限り。
シンディは、拒絶しなかった。
だがトリスタンの熱い告白とは対照的に、シンディは感情を荒げる事なく、その声だけは恐ろしく冷静に淡々としていた。
「貴方はアーデルと結婚するんだろうが。そう自分で決めたんだろう?」
「アーデルとは、結婚したくない!したくないけど、仕方が……」
「何が仕方がないんだ?ナルサス王が決めたからか?ナルサス王が絶対だからか?」
「だって逆らえば、国交断然になるかも知れない!戦争になるかも知れない!そしたら、僕には拒絶するなんて……」
「私を愛していると言いながら、それは諦められる程度のものだったという訳だ。……それとも何か?アーデルと結婚はするが、裏で私を愛獣人にでもするつもりか?また、デランダでの不道徳な生活に逆戻りするのか?」
シンディの言葉には容赦がなかった。
その声は低く諭すように、泰然自若としていた。
[newpage]
[chapter:悪魔は愛に殉ずる 3-②]
シンディの痛烈な言葉に、トリスタンはただ、首を振る事しか出来なかった。
感情と行動が伴わない。
自分を取り巻く環境が、この感情を許さない。
だから、どうしたら良いのか。
自らの感情だけで動き、この国同士を破滅に向かわせてしまうとしたら。
そんな事が許される筈もなかった。
だが、溢れ出す想いは止められなかった。
初めて愛したオスが、目の前にいるのに。
こうして触れられる位置にいるのに。
想う事も許されないのかと。
「……こんなに愛してるのに。……シンディを……愛してるのに」
「トリスタン」
「こんなにも欲しいと思った獣人はシンディ以外にいないよ。なのに、どうして駄目なの?どうして僕が愛したら駄目なの?」
「どうせまた、他の獣人にも同じ事を言うんだろう。あんたは尻軽だ。花から花へと飛び交う蝶のように、色んな獣人に愛を囁いて回るんだ」
「もう誰にも言わない!誰にも触らない!シンディしか見ない!愛してるんだ、シンディ!」
「あんたの言葉は、信じられない。私は、あんたのように沢山の獣人に、愛情を分け与えるような事は許せないんだ」
「もうそんな事はしないと誓うよ!お願いだ、信じて!シンディ!」
トリスタンの顔がゆっくり、ゆっくりと近付いて来て。
鼻先同士が触れ、角度をほんの少し変えて鼻翼を擦り抜け、唇が触れ合う直前。
クルリと体を回転させるようにして、シンディはトリスタンの背後へと回り、その首に腕を回した。
頸動脈を締めるようにして、腕の筋肉に力を入れる。
トリスタンはシンディの名を呼びながら、気絶した。
「すまない。……トリスタン……」
シンディはベッドから上掛けを持ち寄ると、トリスタンの体に掛けてやった。
翌日には、シンディ自らが宮殿内最奥のの王の間に赴き、ナルサス王の褒美が欲しい申し出た。
シンディの漢気を買っていたナルサスには、小さな事を言わずに、欲を張っても良いぞ、とまで言われた。
跪くシンディを立たせ、近くにまで来るように命じた。
アーデルはそんなナルサスの、今までの横暴な父からは考えられない、シンディへの寵愛を不気味に思った。
もしかしたら、シンディをデランダ王国へ帰すつもりはないのかも知れない。
あの腕前を自分の物にする為に、シンディをがんじがらめにするつもりではないだろうかと懸念した。
「さあ、一晩考えてみてどうだ。お前が欲しい物は決まったか?」
「妻が欲しいと思っております。それには、是非とも王のお墨付きを頂きたく」
「どのメスだ?人妻以外なら誰でも所望するが良い。いや、人妻でも構わんぞ。そのオスとは別れさせてやる。だが当然、王族のメスなんだろうな」
「アーデル殿下のお妃候補だった聖夜を、是非、妻に迎えたい」
「な、何だとっ?!」
それには、隣に座していたアーデルが飛び上がった。
寝耳に水、と言わんばかりの驚愕だった。
ナルサスは、そんなもので良ければ喜んでくれてやると、吐き捨てるように言い放った。
父の傲慢さに、アーデルはもう我慢ならなかった。
そして、自らの妻を奪おうというシンディも許せなかった。
「許さんぞ!シンディ!あれは私のものだ!」
「聖夜はものじゃない。魂のある命だ。お前の所有物でもない。……そして、私が幼い頃から探し求めていた、運命の番でもある」
「あれは私の番だ!私から奪おうというのなら、この場で殺してくれる!」
アーデルの喉がグルグルと威嚇する音を立てている。
獣化する。
何度もアーデルと闘って来たシンディは、それを直感していた。
[newpage]
[chapter:悪魔は愛に殉ずる 4ー①]
アーデルは、王宮中に轟くような雄叫びを上げた。
顔面に黒と黄の縞模様の毛が生い茂り、獣の爪が皮膚を裂くようにして尖り。
口は大きく裂け、鼻先と共に、獰猛なる牙が伸びる。
恐らく、この国で最大であろうタイガーのオスが覚醒した。
シンディは、久しぶりにその姿を見たが、学生時代の頃よりも一回り大きくなっているような気がした。
アーデルが獣化すれば、シンディもしなければ相手にはならない。
天井に向かって咆哮を上げると共に、その背をしならせるようにして延び上がる。
長い栗色の髪が、獣の鬣へと変化し、着ている軍服が引き裂かれる間から、ライオンの毛並みが現れた。
それは百獣の王であるライオン族の中でも、一際、猛々しいオスの姿だった。
完全なる獣化を終えると、二匹は向かい合った。
威嚇をするアーデルは、もうそのほとんどを獣の本能に囚われている。
先に飛びかかったのは、アーデルだった。
獅子の喉元を噛み千切る為に牙を向け、対してそれを寸でで避ける。
目の前の皮膚を引き裂かんと爪を立て、間際でそれを薙ぎ払う。
動く速さも、2頭は同等だった。
誰もその猛獣同士の闘いを止める者はいなかった。
神聖なる獣化をしての決闘は、何人たりとも介入は許されない。
獰猛なるナルサス王ですら、割って入る事は出来なかった。
だが、たった一匹の小さなライオンが、無謀にも飛び込んで行った。
「やめろぉ!やめてくれ~!」
格闘する二匹の間へと体を滑り込ませたのは、聖夜だった。
聖夜は、アーデルの牙の前に立ちはだかる。
それには、シンディの方が先に察知した。
聖夜の喉笛をかき切らんばかりに噛み付こうとするアーデルの牙を遮ったのは、シンディの前足だった。
アーデルの牙が、シンディの右前足に食い込んで、肉を引き裂く。
その瞬間、聖夜の悲鳴が、辺りに響き渡った。
愛する者の絶叫に、アーデルも我に返った。
飛び込んで来た目の前の血飛沫は、聖夜のものかと。
自らが、聖夜の喉を食い破ったのかと、絶望した。
「聖夜ぁぁぁぁぁぁ!」
アーデルのその声は獣化した獣の声ではなく、人型の声だった。
自らが愛する者を傷付けてしまった衝撃が、アーデルの獣化を解いた。
「聖夜っ、……聖夜……」
「俺は大丈夫だよっ!……でも、シンディが……」
『大丈夫、だ……』
シンディは、聖夜が手当てしようとするのを制して、アーデルに向き直った。
シンディの獣化は解けてはいなかったが、自身の巫の力を使って、アーデルの心中へと話し掛けた。
『お前は、この国最強のタイガーだろう。私と闘えるのなら』
「シンディ……」
『この脳足りんの冷血王子が!お前より強いオスは、この国にはいないんだ!何を躊躇う?!お前が求めているものはなんだ!お前はどうしたいんだ!……それだけの力があって、何故、それを行使しない?!お前がオドオドとしているのなら、私が奪うぞ!」
シンディの言葉は、アーデルの胸を[[rb:劈 > つんざ]]いた。
友の言の葉は心の臓に染み渡り、アーデルの中を掻き乱す。
何を求めるか。
何を欲するか。
タイガーの王として。
その頂点に君臨する為に。
[newpage]
[chapter:悪魔は愛に殉ずる 4ー②]
聖夜は、慌ててアーデルの長衣を拾い、その体に着せた。
辺りは、騒ぎに駆け付けた獣人達で溢れ返っている。
アーデルとトリスタンの式の為に、多くの獣人が滞在していたからだった。
アーデルは聖夜の肩を抱き寄せ、父であるナルサス王へと視線を向けた。
その射抜くような瞳は、断固たる決意にみなぎっていた。
「父上!私の妃は、この聖夜、ただ一人だ!他に、側室も妾妃もいらない!」
「な、何を抜かすか!この若造が!タイガーの王ならば、多くのメスやオメガに子を産ませ、より有能な子供を次代に……」
「聖夜に何獣人も産ませれば良いんだろう?確実に有能な、私の遺伝子を残してやる。聖夜を妃として迎えられないのなら、王位なんぞクソ食らえだ!……何なら、今一度、獣化して貴方と雌雄を決しても良いんですよ」
聖夜を妃として認めないのなら、王位は継がないと。
それは結果として、他の者が継ぐ事になる。
アーデルという、最強のタイガーがいるのにも関わらず、だ。
それは、ヒエラルキーの理に反していた。
そして今、公の場でアーデルは、自分は現国王よりも力のあるタイガーであると知らしめた。
シンディとの決闘は、ナルサスを事実上の王位から引き摺り降ろしたようなものだった。
ナルサスも、もうそれ以上は言う権利もなかった。
「か、勝手にするが良い!」
まさに尻尾を巻いて逃げ去るようにして、ナルサスは部屋から退いた。
「聖夜……」
「アーデルぅ~」
アーデルが、聖夜の小さな体を抱き締めると、辺りからは喝采が沸き起こった。
長い間、独裁下にあったヴァリューカ王国の、新しい次代の訪れに獣人達は喜びの雄叫びを上げた。
「聖夜、私の妃になれ。もう誰にも邪魔される事なく、交尾しまくって、子種を注ぎまくってやる」
「何でその「妃になれ」で、止めといてくれないのかなぁ~。その後がなかったら、感動的だったのに~!」
「当然、交尾だけじゃないぞ。セックスもしまくってやる。お前相手なら、毎日発情期になれる自信があるからな。ベッドから下りる間もなく勤しむぞ!」
「そんな即物的な告白じゃなくて、もうちょっと気が利いた言葉はないのかよ~!」
「愛してるぞ、聖夜」
「アーデル……」
「死が私達を別つ時が来ても、私はお前だけを永遠に愛するだろう」
そうして、新しいヴァリューカ王国の王は、小さなライオンのオメガを娶った。
旅の途中で偶然に、奇跡的に巡り合ったアーデルと聖夜は、ようやく身も心も結ばれ、共に生きていく事を誓ったのだった。
[newpage]
[chapter:悪魔は愛に殉ずる 4ー③]
シンディは、その場を静かに離れた。
右前足から流れ出る血を、どうにか止めたい。
部屋を出た途端に、腕がフワリと鬣へと回された。
「シンディ、こっちに来て。手当て、するから」
トリスタンは、シンディを自らの部屋へと連れて行った。
かなりの深い傷ではあったが、シンディは止血の為の包帯以外はいらないといって、医者を呼ぶのを拒否した。
巫の力で治癒出来るから、おおごとにしなくても良いと言い張った。
せっかく、アーデルが聖夜を妃に迎え入れると決まっためでたい時に、水を差すような事をしたくはない。
とにかく止血だけを終えて、集中したいからと、シンディはベッドで横たわった。
闘いが中途半端に終えたので、シンディの獣化は解けなかった。
それでも、その気持ちは晴れやかだった。
「シンディ。わざと、アーデルを獣化させるように仕向けたね。派手に演出しようとして」
『あの馬鹿王子が、いつまでもウダウダとうだつの上がらないのを、発奮させてやっただけだ。まだ、あーだこーだと言うつもりなら、聖夜は本当にヴァリューカから連れ出してやるつもりだった』
「それで、聖夜を奥さんにするつもりだったの?」
『聖夜には、アーデルの番の印が付けられているんだ。それに腹には子供もいる。そんなのは、無理に決まってるだろう。アーデルが愚図のままなら、今のデランダの家か、ラヴィールーザの実家にでも連れて帰ってやろうとは思った』
妻になれと言ったあの時も。
聖夜は、シンディの気持ちに感謝しつつも、アーデル以外を愛せないからと言って、その申し出を断って来た。
シンディもそう言うだろうとは分かっていたので、出来る限り、聖夜の望むようにしてやろうとは思っていた。
シンディが話ながらぐったりとし始めたので、トリスタンは慌てて枕元へと駆け寄った。
「シンディ、やっぱり医者を呼ぼう?もしも、何か菌でも入ったら……」
『必要ない。これは傷を治す為に巫の力を使ってるから、疲れが出るんだ。いつもは、私とアーデルの2人分を治癒してるから、学生時代を思えば大した事はない』
「え?アーデルの傷も治してあげてたの?!そんな事する位なら、喧嘩しなきゃ良いのに」
『闘った後、治療してやる時には、いつもそう思うんだ。……だが、また忘れて喧嘩してしまう……』
「仲良しなんだね」
『違う!誰があんな、クソ下半身の緩いエロタイガーなんかと!』
それからは、シンディが治療に専念するようにと、トリスタンも話すのを控えた。
うつらうつらと寝ている間、シンディの長い鬣を鋤くように撫でてやると、ゴロゴロと喉が音を鳴らしていた。
その先端にぼんぼりの付いた尻尾も、珍しく踊るようにしてパタパタと揺れていた。
獣化した方が素直で可愛いのに。
そうは思ったが、トリスタンはそれを口にはしなかった。
この可愛い姿を少しでも長い時間、見ていたかったから。
[newpage]
[chapter:悪魔は愛に殉ずる 5ー①]
シンディはほぼ丸一日寝たきりだったが、翌日の夜には完全に傷も塞がり、ほとんど痕もなくなっていた。
アーデルと聖夜が見舞いに来た時には、巫の力を傷の修復へと向けていたからか、外との接触が完全に途絶えていて、何の問いかけにも応えられない状態だった。
「せっかく来てくれたけど、シンディはこの調子で……」
「お前が詫びる事はない、トリスタン。元はといえば、私が不甲斐ないがばかりにこうなったんだ。だが獣化しているとはいえ、このシンディの姿はいつもの事なので、特に珍しくもないがな」
「珍しくもない?」
「学生時代、シンディと獣化して闘った後はいつもこうだった。こいつは、私の傷も治してくれていたようだったしな」
「知ってたんだ……」
「そりゃ、あれだけの重症を負って、翌日には治るんだから、何かしてるだろうなとは思ったさ。礼を言った事はないけどな」
「そこでお礼を言っておけば、次からは喧嘩にならなかったかも知れないのに」
「誰が言うか!」
アーデルとトリスタンが話している間、聖夜はアーデルの代わりに「ごめんな」としきりに繰り返し、シンディの鬣を撫でていた。
それには、アーデルも咎める事はしなかった。
シンディが目覚めた時、トリスタンは枕元で伏せたまま、寝入っていた。
その頭をクンと嗅ぐと、トリスタンの甘い体臭がしたので、風呂にも入らず付きっきりで側にいたのだろう。
馬鹿な事を、と思う反面、嬉しく思う自分もいる。
アーデルとトリスタンが結婚すると知った時、自らに湧いた感情は紛れもなく『嫉妬』だった。
初恋の獣人を裏切りたくはないという気持ちから、トリスタンへの想いを認める訳にはいかなかった。
トリスタンが幸せならば良い。
アーデルを愛せるようになれば良い。
それならば、自分の中にある不可解な感情にも封印する事が出来る。
だが、恋多きオスだったトリスタンはシンディと出会い、生まれて初めて『愛する』という感情が芽生えたが、その想いを断ち切れず。
アーデルは、愛しい者を大切に想いながらも、王子というしがらみから逃れられず。
また、シンディの初恋の獣人、聖夜も苦しんでいた。
アーデルと愛し合い、その子供を宿しながら他の獣人に妃の座を譲り、子供を連れて離れて生きていくとまで、思い詰めていた。
シンディは、全員の想いを叶えてやりたかった。
誰もが、愛故に苦しみ、理不尽な立場に追いやられているのを見てはいられなかった。
だからこそ、タイミング良く訪れたナルサス王の気紛れな慈悲を利用したのだ。
一か八かの賭けではあったが、どう転ぼうとも、一番不遇ではあろう聖夜だけは、何とか助けてやるつもりだった。
自らの想いは封じて。
だが、それももう堪える必要はない。
こうして、シンディにも最後に望むものは残ったのだ。
誰のものにもならずに、愛しく想える存在が。
[newpage]
[chapter:悪魔は愛に殉ずる 5ー②]
『おい、起きろ。この寝汚いライオンが。寝るなら寝るで、さっさとベッドに入れ。アーデルの結婚式までに風邪でも引いたらどうする』
「シンディ……。もう、治ったの?」
『完治した。久しぶりに治療で力を使ったな。だが、アーデルの式には出られそうにない。獣化したままでは、私に視線が集まってしまうだろうしな』
「でも、獣化してるシンディ、凄く可愛いよ。それに、物凄く綺麗だ。こんなに長い鬣のライオンは見た事がない」
『ラヴィールーザのライオンは、長毛種が多いんだ。寒い地域だからな』
トリスタンはベッドへと上がり、シンディの側に添うようにして横になった。
その柔らかな[[rb:顎 > あご]]の毛に顔を埋め、鬣から背中をゆったりと撫でる。
そうするとシンディも気持ちが良いのか、ゴロゴロと喉を鳴らしていた。
やっと、わだかまりがなくなったように思えた。
シンディの心が解れ、その心が開かれているのを感じる。
ライオンとしての言葉は、トリスタンの心へとダイレクトに伝わって来るからだ。
いつもよりも、皮肉めいた言葉が少なくなっているように思えた。
「シンディがね。聖夜を欲しいって言った時から聞いてたんだ」
『そうか』
「泣きそうになった。胸が苦しくて、血が噴き出すかと思った」
『それはまた大袈裟な』
「聖夜が、本当に好きだったの?」
聖夜に一目惚れした瞬間は、今もはっきりと覚えいる。
あの匂い、あの毛並み、あの啼き声。
そして、あのハート型のアザ。
どれもが瞬時に愛しく思え、それが薄らぐ事はなかった。
だが、トリスタンと出会い、その芳しい体臭を嗅いだ時は揺らぎそうになった。
どんなメスやオメガの発情フェロモンにも、感じないでいられるという自信が崩れさった。
巫の力も意味を持たず、抑制剤ですら効き目を疑う事もあった。
トリスタンが、すれたようで、その実、純真な性質なのだと分かったら、もう駄目だった。
聖夜が初恋の相手だと知っても、もうときめく事はなくなっていた。
『聖夜は可愛いとは思う。だが、それは弟や家族の親愛のようなもので、恋人や妻に想うような感情じゃない。ましてや、友人の番にそんな感情を抱く筈もない』
「それ……本当?だって、聖夜を妻に欲しいってナルサス陛下に言ってた……」
『あれは、アーデルの尻に火を着けてやる為だ。あいつ、何を躊躇ってるのか、馬鹿じゃないか?!本当に聖夜が欲しいのなら、ブッ倒して政権強奪してやれば良いんだ!』
「ちょっとシンディ!穏やかじゃないんだけど!っていうか、それ乱暴過ぎる!」
『これは、私の地なんだからしょうがない。私がアーデルなら、学校を卒業した後、すぐに王座を奪ってる!』
「でも、そしたらアーデルと聖夜は出会えてなかったよ?」
『……まぁ、そうだな。だとしたら、奴の回り道も無駄ではなかったという事だ。もちろん私も回り道をしたが、やっと障害もなく、素直になれた』
「素直に?」
シンディは、ニヤリと牙を覗かせた後。
その大きく長い舌で、トリスタンの頬をベロリと舐めた。
突然の衝撃に、トリスタンは「うひゃぁ!」と奇声を発してしまった。
[newpage]
[chapter:悪魔は愛に殉ずる 5ー③]
「し、シンディ?!」
『デランダに帰れば、あんたもどうなるか分からない。どこかの王族か、次代の王に嫁がされるかも知れない。……それでも私は、あんたに仕えていたい』
「それ……本当?」
『本当だ。この命、尽きるまで、トリスタン殿下に尽くす事を誓う』
「僕が、他のオスの元に嫁ぐ事になっても?」
『ああ』
「他のオスと無理矢理に交尾させられても?」
それにはシンディも言葉を失った。
現実的な事を言われてしまうと、決心が揺らぎそうになる。
トリスタンが他のオスに抱かれ、あの甘い匂いを纏いながら咽び啼き、自分ではないオスのペニスを尻に挿入され、子種を流し込まれる。
それは毎夜のように、シンディの胸を引き裂くだろう。
恋しい者が他の獣人に抱かれ、その子供を産むのを傍で見る苦しみは、業火に身を焼かれるが如く枷となり、重苦に縛られ続けるだろう。
それでも傍にいたい。
それだけの決意がシンディにはあった。
『他のオスに抱かれようとも、私にとっての仕えるのは、あんただけだ。これからも、永遠に』
「シンディ……」
『私がどれだけ、こうと決めたら頑なに想い続けるか、知ってるだろう?』
トリスタンは、そのライオンの頭頂部に鼻を埋めた。
こんな誇り高いオスはいない。
愛の為に自らの信念を貫き、それがどれだけの重責であろうとも背負おうとする。
トリスタンも、このオスの為に全てを捧げたいと思った。
これだけ自らの全てを[[rb: 擲> なげう]]ってくれるシンディに対して、自分の全てを賭けたい。
それが例え、王子という立場を失うとしても。
トリスタンは意を決して、大きく息を吸い込んだ。
シンディを抱き締めながら、天井を仰ぐ。
その金の髪はフワリと波打ち、手足から獣毛が繁る。
開いた口から鋭い牙を剥き出し、遠吠えのような長い咆哮を上げた。
シンディの首元には、麗しいオスのライオンがゴロゴロとしなだれ掛かっていた。
『トリスタン?!』
『うふふ、獣化しちゃった。これで、シンディとセックスすれば、アーデルの結婚式には参列出来るね?』
『ばっ、馬鹿!私と寝れば、お前は穢れて、嫁には行けなくなるかも知れないんだぞ?!発情期じゃないから、子供は出来なくても、他のオスに種付けされたメスが……』
『種付けして?シンディの子種が欲しい』
『何を言うか!』
『シンディと交尾したい。シンディとしかしたくない。……もしも、他のオスと交尾しなきゃならないなら、僕は自分の命を断つ』
トリスタンは本気だった。
その揺るぎない覚悟には、口を挟む事も出来なかった。
それはまるで、発情フェロモンを発しているかのように、シンディを虜にする。
もう抗えないと思った。
『くそっ。この淫魔め。私を堕落させるつもりか!』
『うん。堕落しちゃって?』
『他の奴に、こんな事を言うなよ。言ったら噛み殺すぞ』
『言わないよ。シンディにしか。……愛してるのは、シンディだけだから』
『……私は、結婚してからでないと、交尾はしないつもりだったんだが』
『え~?!やだよ!そんなの!今、発情期じゃないんだから、交尾じゃないじゃない!だからしてもいーよ!獣化してるんだし、アーデルの式までには戻りたいでしょう?!』
『挿入するのには変わりないだろうが!』
『僕、獣化してのセックスは「初めて」なんだけどな』
『うっ……』
『僕の初めては、シンディにあげたいな』
『……この、悪魔め……』
『……ね?……お願い』
そうして、二匹は長く、長く、その愛を確かめ合い。
獣化が解けると分かっていても、解こうとはしなかった。
少しでも互いの愛を感じていたくて、獣の姿のまま、交わり続けた。
その夜が明けるまで。
[newpage]
[chapter:悪魔は愛に殉ずる 6ー①]
週が明け、アーデルと聖夜の結婚式が盛大に行われた。
白地に金糸の刺繍がされたアーデルの豪華な装いに合わせて、聖夜もまた純白のドレスに身を包んでいた。
小柄な聖夜に王族らしいオスの婚礼の衣装はすぐには揃わなかったので、メスが着る為の花嫁衣装が用意された。
それにはギリギリまで着る事を渋った聖夜だったが、「それなら二人で裸で式に出るか?お前が獣化出来るのならば、それも良い」というアーデルの暴挙とも言える発案で、それ以上の文句を口にはしなくなった。
だが、元来そこつ者である聖夜が長いドレスなんぞを綺麗に着こなす筈もなく、何度も転びそうになるのをアーデルが助け、終いには抱きかかえられての御披露目となった。
街中でのパレードには、絢爛豪華な屋根なしの馬車で回り、庶民的な花嫁だと獣人達には親しみを持たれ、歓迎された。
トリスタンとシンディは、来賓の席での一番上座に座らされていた。
トリスタンは当然ながら、何故か騎士であるシンディまで座らされ、それには式の最中ですらブツブツと文句を言い続けていた。
「何故、私がこんな豪華な椅子に座っているんだ。護衛に付く筈なのに!」
「今日はラヴィールーザを代表して、オルガ公爵とジェリントン公爵が来て演奏してくれてるよね?あそこにお父さんが来てくれてたかも知れないと思えば、息子がここに座ってても良いんじゃないの?」
「私は公爵の息子という地位より、デランダ王国の騎士という立場の方が性に合ってるんだ。楽器の演奏も下手だし、自分の事にしか巫の力を使えないんだから」
「でも、アーデルの傷は治してあげてたんでしょう?優しいね、シンディ」
「な、何をっ……」
「流石、僕の旦那様だな~と思って」
これ以上、何を言おうとも、トリスタンに艶めいた方向へと変換されてしまいそうだったので、シンディは口を閉ざした。
その後も、アーデルには散々からかわれた。
結ばれた翌日には、今までの仕返しとばかりに、皮肉三昧な毒を含んだ祝辞を甘んじて受けなければならなかった。
トリスタンへは、シンディのどこが良いのか、こんな堅物といたら苦労するだの、毎日が坊さんのように清らかに生活させれられて息が詰まるだのと、言いたい放題だった。
それには、トリスタンが「でもシンディの交尾は凄いんだよ」と夜での閨話を暴露されそうになったので、羽交い締めにして黙らせた。
そうして、アーデルと聖夜の式を終えて、トリスタンはシンディの小隊を連れて再び帰路へと着く。
その道々では、それはもう甘い二人に当てられて、隊士達は「こんなにも見せ付けられるなら、行き道での殿下の発情期を我慢させられている方がマシだった」と愚痴が出る程だった。
シンディは、今までに泣かせてしまった負い目もあって、トリスタンの好きなようにさせてやっていた。
立ち止まれば、腰を抱き寄せてキスをする。
どこにいても腕を組み、肩に頭を乗せて来る。
そして、その嬉しそうに揺れている尻尾の隣で、バシバシとそれを叩き落としていたシンディの尻尾も、いつしかユラユラと揺めき始め。
デランダ王国に入る頃には、尻尾同士を仲良く絡み合わせて共に揺らすようになっていた。
[newpage]
[chapter:悪魔は愛に殉ずる 6ー②]
デランダ王国へと帰還後は、予想以上の事態が待ち受けていた。
トリスタンがオメガだと先に知れ渡っていた母国では、トリスタンの帰りを多くの王族のオス達が出迎えた。
是非にも我が妻にと、それはもう年若い子供の域を出ない者から、老年のオスまで、何獣人ものあらゆる猛獣が宮殿で待ち構えていた。
それにはトリスタンも威儀を正し、断固たる意思をもってして拒絶した。
父王には、シンディの元以外には嫁がないと。
次代の王座には何の未練もないので、誰に委ねても構わないと、言い放った。
だが、優秀なるアルファがいない今の王家としてはどうにもならず、父王も苦悩した。
トリスタンを越える、勇猛な年頃の王族がいない。
強いオスを据えようにも、トリスタンを上回る美しさも、強さも、カリスマ性もあるオスがいない。
そこで苦渋の決断をしなければならなかった。
シンディをトリスタンの夫に迎え。
その役処としては、宰相という地位を授けられた。
そしてトリスタンは、デランダの歴史上初めてオメガの国王として、次代を受け継ぐ事となったのである。
結婚式と戴冠式は立て続けに行うものとして、その日取りを半年後と定め、準備に入った。
それには、当の本人であるトリスタンから悲鳴が上がった。
シンディへの想いが通じ、そのシンディとの結婚も認められ、順風満帆な未来が開けるものと思っていた。
その夜も、目眩く甘い生活が待っている筈だった。
だが、現実はそうではなかった。
「ちょっと!ベッドを別にするって、どういう事だい?!シンディ!」
「一緒に寝れば、どうせあんたは、やれセックスだ交尾だと、毎晩せっついて来るだろうが。前にも言ったが、私は結婚してからでないと、ベッドを共にはしないと決めているんだ」
「ヴァリューカではしたじゃない!」
「あれは、獣化したからやむなく、だ!あれはカウントには入らない!」
「ちょっと、そんなに我慢してたら、僕、性欲溜まり過ぎて獣化しちゃうよ!そんなの困る!」
「……まさか、獣化しそうだからとか言って、他のオスやメスと浮気するつもりじゃないだろうな……」
「しないよ!絶対!そんな事!だから困ってるんだろう!」
「……仕方ないから、発散するのには付き合ってやる」
「発散するのって……、また共同自家発電?」
「そうだ」
「でもそれって、僕のお尻も触ってくれるって事だよね?……僕、最近、分かったんだけど、お尻ならイク時に潮を吹けるんだって……」
「わーーーーーーー!!!!」
シンディは、慌ててトリスタンの口を塞いだ。
周りに誰かいる訳ではなかったが、トリスタンの卑猥な会話には耐え難いものがある。
それはもう、結ばれてからというもの、そのグレードに拍車がかかってしまい、シンディの怒髪天を衝く事も日常になっていた。
「この呆れた淫乱王子が!どうしてそう、不埒な考えしか湧かないんだ!あんたの頭の中は、そればっかりか!」
「うん。もう、シンディのペニスの事で、頭がいっぱい。シンディとのセックスを想像したら、頭からも潮吹いちゃいそう」
「このクソエロ脳味噌が!そうやって、私を誘惑して、淫蕩に耽り、腑抜けにするつもりか!その色目を使ってねだる事を、はしたなくは思わないのか!この色魔め!」
「思わないよ。だって、わざとシンディを煽ってるんだもの」
「だから、そうやってすぐに肌を晒すな!卑猥なポーズを晒すな!このふしだらなオメガめ!私を弄ぶつもりか!」
「うん。もう必死。シンディが欲しくて、欲しくて、堪らないから」
「……馬鹿め……」
「シンディは?僕の事、欲しくない?」
「……欲しいに決まってる……。だから、苦労してるんだろうが」
「嬉しい……」
シンディは、トリスタンの腰を引き寄せ、奪うようなキスをした。
二人はそのままベッドに縺れ込む。
慈しむように相手の性器を舐め、扱き、欲望を吐き出させる。
トリスタンは、はしたない程に尻の孔を大きく開かされると、愛蜜を溢れさせて悶えた。
そうやって、もう誰にも咎められる事もなく、互いの想うがままに求め合う。
最後まで結ばれる事はなくとも、悦楽に酔い、ドロドロになるまで、二人は愛し合うのだった。
[newpage]
[chapter:最終章・悪魔も天使の褥で夢を見る①]
デランダ初となるオメガの王トリスタンは、草木が芽吹く季節に、かつてない華やかな式を挙げた。
ヴァリューカ王国からは親友としてアーデルが祝いに駆け付け、その妃である聖夜は身重の為に来る事は叶わなかったが、無事に出産した暁には子供と共に訪れる約束をした。
夫となるシンディは、隣国ラヴィールーザの公爵の子とあって、母国から滅多とない五大公爵がデランダへと訪れ、その前途を祝する曲が捧げられた。
トリスタンとシンディへ、健康祈願と、やがて産まれて来るだろう健やかなる子の為に捧げられた曲から連動するようにして、トリスタンに発情期が訪れた。
共に待ちわびた初夜は、トリスタンの発情期を迎えた事により、よりめでたい夜となった。
初夜での受精は、王族では特別に神聖なものとされていたからでもある。
二獣人は、全ての衣を脱ぎ、互いの盛り上がった筋肉をなぞり、慈しむようにして撫でた。
時にはその肌に口付け、舐め、少しずつ高め合うようにして、愛撫した。
シンディは、トリスタンの背中までもキスの雨を降らせた。
頭皮からも、発情期の為か甘い香りがしていて、吸い寄せられるように黄金の髪の毛に鼻を埋め、匂いを嗅いだ。
すると、トリスタンの白磁のような肌からは想像出来ないような黒い皮膚が、後頭部にあるのを見つけた。
髪の毛で隠れてはいるが、掻き分けてみると、それは大きなシミのようだった。
「トリスタン……。頭皮にシミがある……」
「ああ、それ?大人になってからは言われた事がなかったんだけど、幼児期の獣化してた頃は、よく親に隠しておきなさいって言われてたなぁ。……ハート型のアザなんだけどね」
「何だとっ?!」
「王族にアザがあるなんてのは好ましくない事だから、髪の毛も伸ばせって言われたり。まぁ、獣化しても鬣があるから、誰にも知られる事はないけどね」
トリスタンに、ハート型のアザがある。
思い起こせば、初恋の獣人にあったアザも、結構な大きさだったように思う。
聖夜にあったアザは、殆ど首に近い項にあり、大きさも小さかった。
おまけに、あの時はお辞儀をした時にハート型が見えたのだ。
という事は。
「本来は、ハート型が逆向きになる……」
「え?!」
「それは、探しても見付からないな。髪の毛の中だしな」
「何?何?何の事?このアザが、どうかした?」
シンディが、初恋の獣人に出会った経緯をトリスタンに話した。
一目惚れした、美しいハート型のアザを後頭部に持つライオン。
あれだけ美しく、気高いライオンだから、育てば立派なアルファのオスになるだろうと思っていた。
それが巡り巡って、今目の前にいる事。
それを聞いて、トリスタンの瞳からは涙が滂沱として流れ落ちた。
シンディがずっと探していた愛する運命の番が、自分であったという幸せに、涙腺が壊れたように、止めどない喜びの涙が零れ続けていた。
[newpage]
[chapter:悪魔も天使の褥で夢を見る②]
「シンディ……ずっと想っててくれたんだ……」
「最初にこの話をしていれば良かったな。そうでなければ、こんなにも貴方を苦しませずに済んだのに」
「いや今で良かったと思うよ。僕もどれだけシンディを愛してるのかって、自分でも何度も思い起こせたし。毎日毎日が、昨日よりも今日は更に、貴方を愛してるって事に気が付けたから」
「トリスタンは、いつから私を見ていたんだ?」
「シンディが騎士団に入った、入団式の時からだよ」
一際美しく、腰まで届くような豊かな栗毛を、舞うように翻す騎士がいた。
見た瞬間から目を奪われ、虜になった。
何度もシンディを自分の直属の騎士にしてくれと父に頼んだが、シンディが所属している団が王族の直属ではなかった為に叶わなかった。
やっと念願叶って、シンディの小隊を連れてヴァリューカに向かうまでは、それが愛だとは分からなかった。
一目で惹かれながらも、本当の愛情へと高まっていくのには、時間と、その人となりを知ってからだったと思う。
「僕達、知らない間に両想いになってたんだね」
「そうみたいだな」
「言って、シンディ……。シンディは、僕の事……」
「愛している。この魂をかけて」
「僕も、シンディを愛してる」
シンディがトリスタンに覆い被さると、その長い髪の毛がベッドへ扇形に拡がり、二獣人の姿が隠されてしまう。
飢えたように互いの唇を貪り合い、その舌を絡め合う。
粘膜も唾液もトロトロに蕩ける程の、甘く酩酊するような口付けに、互いが夢中になった。
トリスタンの発情フェロモンは濃く、シンディもそれに釣られ獣化しかけるのを必死で抑えなければならなかった。
その尖る牙をトリスタンがペロリと舐めると、シンディの欲望は更に歯止めが利かなくなった。
ツルリとした陶器のような白い肌に、歯形や鬱血の痕が残る程にむしゃぶりつく。
トリスタンの胸の頂上に辿り着いた時には、その頂を思う存分、吸い上げた。
「あぁ~~~~っ!」
「こんなところまで、悦いのか」
「胸だけで、ちょっと達っちゃった……」
「淫らな奴め」
「淫らな奴は嫌い?」
「私にだけ、淫らならば良い」
「シンディにだけだよ」
シンディは胸を弄ぶ間、トリスタンの男の部分を扱いてやった。
いつも触り合っている時よりも多く、何度も腰を振り上げては白い愛液を撒き散らす。
トリスタンはもう、限界だった。
発情期によって熟れた疼く尻の孔に触れて貰えない事に、その募る欲望を爆発させてしまい、涙を滲ませていた。
「シンディ!シンディ!……もう!いやぁ、……達ってるのに、達けないっ!いやっ!やっ、あぁ!あぁ!あぁ~っ!」
「ここはずっと達してるぞ」
「そこ、……だけっ、……いやぁ!シンディっ!」
「分かってる」
シンディは、トリスタンの腰を折り曲げるようにして畳み込み、その尻孔を晒すようにして足を広げ、尻たぶをも押し拡げた。
そして迷う事なく、これから愛し合うであろう窄まりにキスをしてから、ヌルリと舌を滑り込ませた。
「ひぃぅぅぅぅっ!」
「何もしていないのに、いやらしく濡れているな」
「そこで、喋らないでっ!あぁ!……や、いやぁ!ヌルヌルしたら、いやぁ!」
「簡単に指が入る。……中も、凄い……。引き込むみたいに、うねってる。発情期だからか……」
オスが欲しい。
その精子が欲しいと、トリスタンの隘路はヒクヒクと蠢いて、シンディの指を引き摺り込もうとする。
グチュン、グチュンと拡げた足の間から濡れた音がして、もう堪らなくなり、トリスタンは捩るようにして快楽のままに尻を踊らせていた。
[newpage]
[chapter:悪魔も天使の褥で夢を見る③]
「シンディ!あはぁっ!……お尻、動い、ちゃう。……動いちゃう~」
「いやらしい奴。……そんなに欲しいか」
「欲しい!シンディの、ここにちょうだいっ……。あぁ!ん!」
シンディは、己が男根に手を添えて、トリスタンの尻の割れ目にトンと乗せる。
それはもう、一度放った後であるかのようにしとどに濡れ、今もタラタラと淫液を漏らし続けている。
トリスタンの割れ目をヌルヌルと行き来させ、その暖かみを感じただけで赤黒い雄蕊はビクンビクンと震え、先端の割れ目から蜜を溢れさせていた。
シンディも限界だった。
そうして、その猛々しい亀頭部分を期待に震えるトリスタンの蜜孔へとズブリとめり込ませると、悦びの声を上げて仰け反り、挿入された括れ部分を締め付けてきた。
シンディは、揉み込まれるような愉悦に腰をブルリと震わせた後、そのまま急き立てるようにして突き上げ、巨根を埋め込んでいった。
「あぁ~~~~~っ!いやぁ~~っ!」
「くっ……。うぅっ!」
挿入だけで、トリスタンは下肢をカクカクと揺らしながら前からも後ろからも潮を吹き、達きまくっていた。
シンディもまた、最奥までズンッと挿入し終えた途端に、射精が始まった。
ビュービューと底が尽きる事のないライオンの射精は、終わりがないように思える程で。
その間も、それを奥へ奥へと流し込むようにして、シンディは腰を突き続けていた。
「あぁ~っ!あぁ~っ!ダメぇ!……あぁっ!スゴいっ!いやぁぁぁぁ!イクっ!イクの、止まらない、からぁ!あぁ、んぅ!」
「挿った途端に、これ、とか……。ずっとしてたら、どうなるんだっ」
シンディは、トリスタンの膝裏を押さえ付け、尻へ叩き付けるようにして、腰を前後させた。
ドチュン、ズチュンと淫らな体液が掻き回される音がして、トリスタンの体内で撹拌され、泡立ちながら、外へと漏れ出している。
それは、シンディの下生えをベットリと濡らすばかりか、トリスタンの背中を伝い、シーツをも濡らしていた。
「あぁ!いやっ!……シンディの、漏れちゃう!……赤ちゃん、の、……漏れちゃう!」
「何度だって、出してやる!……いくらでも、注いでやる!」
「いっぱい、ちょうだいっ……、シンディ、もっと!……あ、あ、あ、スゴいっ!……また、おっきく……やぁぁ!」
「トリスタンっ!愛してるっ……」
「あんんんぅ!」
トリスタンの背が海老反るようにして、その尻孔をキュウキュウと痙攣させ、シンディの雄芯を引き絞る。
シンディもまた己が砲身でトリスタンの蜜壺の中の襞を何度も捲り上げて、オスが悦ぶ部分と、メスが悦ぶ奥を責め続けた。
尻筋をギュッと引き締め、トリスタンの孔へとめがけ怒張を捻り込んだ瞬間に、再び精を撃ち放った。
温かな命の種が子宮へとドクドクと注がれているのを感じて、トリスタンも足の爪先をキュウッと丸めた。
「そんなにっ、締めるなっ!……くそっ」
「やだぁ!……また、吹いちゃう、……またぁ!いやぁ!」
「何度でも吹いたら良いだろう!」
「あぁ!あぁ!あぁっ!……善過ぎて、おかしくなっ、ちゃったら……、やぁっ!シンディに、嫌われ、たくないっ……!」
「おかしくなれ!……今日は、枯れるまで抱き続けてやる!」
「あんぅ!」
シンディがコンッと突いた最後の一突きで、トリスタンは陸に打ち上げられた魚のようにビクビクと体を震わせて、更に上の絶頂を極めた。
その目はもう虚ろであり、口角からは、唾液が零れていた。
長く太い雄がズルリと引き抜かれるのにも、体を戦慄かせて悦んでしまう。
快楽に痺れる体を俯せにされ、再び尻孔に熱杭が潜り込んで来ただけで、トリスタンは高い嬌声を上げていた。
背後から、耳元で愛の言葉が囁かれ、全身が喜びに満たされる。
そして、その直後。
トリスタンの後ろ首辺りに、痛い程の何かが食い込んで来た。
シンディから番の印を刻まれたのだと分かった時には、嬉しくて声を上げて泣いてしまった。
トリスタンが泣いて泣いて止まらなかったので、しばらくシンディは宥めるようにして、その後ろ首を舐めてやる。
だが、やがて二獣人にもまた悦楽の波が押し寄せ、獣の欲望のままに尻を振りまくった。
2人は夜が明けても尚、共に意識が途切れるまで、激しくまぐわい続けたのだった。
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[chapter:悪魔も天使の褥で夢を見る④]
式を挙げた途端に発情期を迎えたトリスタンのお陰で、二獣人は1週間も部屋から出ては来なかった。
寝食を忘れる程に交尾し続けて、全身を愛液まみれにし。
ベッドだけではなく、床やテーブル、その壁に手をついて背後からと、あらゆる場所で愛し合い、快楽は止まる事がなく。
トリスタンは何度も気絶するようにして絶頂を迎え、最後にシンディを咥え込んだ時は、その腰に跨がって無意識に尻を回していた。
記憶も所々が朧気だったが、シンディは確実に新しい命が腹に宿っているのを感じていた。
「子供は、元気に産まれてくる。恐らく、デランダでも特別な子供だ」
「ほん、と?……あんっ……。そこ、突いたら、やっ……あぁっ!」
「もしかしたら、巫の力を受け継いでいるかも知れない。何かの波動を感じる」
「楽器をさせた方が、良い、かな?ラヴィールーザに留学、させる?ん、んう!」
「楽器はどうか、な。……私があまり才能がなかったし。……くっ。……だが、強い、子供が生まれるだろう。アルファの、メスだ」
「メス?!そんな事、何で分かるの?」
「何でと言われても、巫の力としか言えないんだが、なっ!」
「ああぁぁぁぁ!やぁ!……また、キちゃう~っ!」
シンディが下から腰を回しながら抉り、突き上げてやると、トリスタンは痙攣するように体を震わせながら達していた。
「もう、部屋を出るぞ。いつまでも交尾してたら、そのうち呆れられる」
「出たくない。ずっと、こうしていたいよ」
「もうずっと側にいてやれるだろう?……お前の望むがままに」
トリスタンは体を屈めて、シンディの唇にキスをした。
シンディは、これまでよりも互いの距離が縮まり、自分の中でトリスタンの存在が溶け込むようにして馴染んでいるのを感じていた。
初めて出会った時から、芳しい薫りを放っていた運命の番。
その愛らしく麗しい姿は、以前と変わらない。
トリスタンの緩やかに揺れる尻尾を掴んで、シンディはその穂先にキスをした。
すると、倒れるようにしてトリスタンは覆い被さって来た。
その体を、そっと抱き締める。
ずっと探し求めていた初恋のライオンと、巡り巡って再び相見え。
これからは共に生きていく。
自らの伴侶として。
ーENDー
2017,02,18
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