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毒舌殿下の黒兎花嫁

  [chapter:序章・跳べない黒兎]

  チヒロが歩くと、誰もが振り返る。

  それはもう、昔から慣れた光景ではあったので、チヒロ自身も気にはならなくなっていた。

  そもそもこの獣人達の住む世界で、最弱の生物とされているウサギ族がこんなにも大柄な筈がない。

  ウサギ族ならば、どれだけ大きなオスだろうが体長150センチ未満なのが、チヒロは185センチもあった。

  その頭頂部から生えた長い耳と、丸い尻尾だけが、ウサギ族だと知らしめてはいたが、体だけ見れば猛獣である王族並みだった。

  だが、その屈強そうなのは見た目だけで、チヒロはその最弱のウサギ族の中でも、取り分けみそっかすだった。

  チヒロは、大陸最北の国、ラヴィールーザの片隅にある雪ウサギ一族が住む小さな村で生まれ育った。

  1年を通して雪の振る日が多いラヴィールーザのウサギ族は、総じて白い耳と尾を持つ雪ウサギしか生まれて来ない。

  だが、チヒロだけは何故か耳も尾も真っ黒だった。

  古の時代ならば、雪の中の黒兎など、猛獣の餌にしてくれと言わんばかりだっただろう。

  だからチヒロは、最弱のウサギ族の中でも、更に憐れみの目で見られる事が多かった。

  この世界の、どの国の獣人も皆、『アルファ』『ベータ』『オメガ』の三種に分かれ、各々の役目を負って、生息している。

  より力の強い大型種である『アルファ』の位にある獣人が、王族として国を支配し、あらゆる種族の獣人達を導いていた。

  『アルファ』は、秀でた美貌と、能力、そして戦闘能力の高さに突出していて、その特別な能力の中に『獣化』があった。

  古の血を濃く引く『アルファ』は、戦闘能力が高まったり、極度に興奮すると、本来の獣の姿へと変化する。

  その神々しい姿は、獣人達の憧れであった。

  大型獣人である『アルファ』であるに仕える者として存在する『ベータ』は、獣人の8割を占め、主に中型の獣人がほとんどで、標準的な容姿と能力であり、従順な性質を持っていた。

  最も少数ではある『オメガ』は、発情期のフェロモンが他の種よりも濃く、妊娠しやすい、多産系の生物であり。

  発情期には、周りのオスをフェロモンで誘惑し、妊娠、出産している期間が長かった為に、不当な扱いを受ける事も多く、総じて短命だった。

  また、『オメガ』は、唯一オスであっても子を成せる子宮を持っていた。

  チヒロは、まさに黒兎のオスでありながら、オメガでもあった。

  だが、オメガでありながら、発情期の来ない出来損ないだったが故に、村の者からは奇異の目で見られる事も多かった。

  だからこそ、チヒロの両親は教育だけは最高のものを息子に学ばせた。

  神の国、音の都、とも言われるラヴィールーザは、音楽的才能さえあれば無償で王立学校への入学が可能だった。

  ここを卒業出来れば、将来を約束されたも同じであり、例えそれが『発情期のないオメガ』という無価値なチヒロでも、生きていく術を身に付けられると思っていた。

  確かにチヒロは、身体的な能力が劣っている分、ピアノの才能には抜きん出ていた。

  どの学生よりも、天才的な音楽センスがあった。

  すぐに暗譜したり、耳で聞いただけで弾く事が出来たり、どんな難曲も弾きこなした。

  テクニックだけではなく、その表現力にも優れていた。

  だが、いざ卒業となってみれば、ギリギリの危うい成績で、教授達に難色を示されながらやっと卒業したようなものだった。

  チヒロは演奏家としては致命的な、人前で演奏する事が出来ない、極端なあがり症だったのだ。

  [newpage]

  [chapter:第一章・恋する黒兎1-①]

  音楽の神が棲む国、ラヴィールーザ。

  大陸内で最も極寒の地でありながら、その資源や産業は充溢した国であり、『音楽』という文化をこよなく愛する獣人達が住んでいた。

  ラヴィールーザ国内最高レベルの[[rb:王立学校 > ロイヤルスクール]]音楽学校であるを卒業した演奏家達は、それ相応の地位を与えられ、例えそれがオメガであろうとも虐げられる事なく生きていく事が出来た。

  その音の都ラヴィールーザには、最も権力を持つ『五神』と言われる最高位の王族がいた。

  『五神』と言われる五獣人は、王族の中で最も地位の高い公爵であり、獰猛なる大型の獣人だった。

  そして、その奏でる音は不思議な力を持ち、生命力に溢れていた。

  エドワード公爵は、枯れた川に水を溢れさせ。

  ダグラス公爵は、荒れた大地に花を咲かせ。

  レオンハート公爵は、不治の病を患った少女を完治させ。

  マーク公爵は、何日も吹雪く村に太陽の光を当てたという。

  五獣人は、『[[rb:巫 > かんなぎ]]』の力を有していた。

  神の力を宿らせる存在として、まさに獣人達から神の如く崇められていた。

  その力は代々受け継がれ、最も力を有する者が、次代の『公爵』として君臨する。

  その巫である五獣人に仕える事は、ラヴィールーザに住む獣人としても誇り高い事であった。

  だが、そんな厚待遇の仕事に就けると言われても、チヒロは嬉しくも何ともなかった。

  チヒロの兄は、公爵の一人、ピアノの巫であるキースに仕えていた。

  兄はキースに殊の外、気に入られていたが、休暇で村に帰って来た際に足を骨折してしまい、キースの城へ帰る事が出来なくなってしまったのだ。

  「何で、俺が兄さんの代わりに行かされんだよ~!やだ、やだ、やだ~!」

  チヒロの長い耳は、ペタンと折れ曲がり、項垂れていた。

  何度、雪道をUターンして帰ろうとしたか分からない。

  公爵が住むというラヴィールーザ最北の城に向かう間、踏み締める雪が足を捕らえて重く感じる。

  最小限の着替えしか入っていないカバンも、石が詰まっているかのように重い。

  麓の村までは馬に乗って来たが、あまりの豪雪に城までの坂道は歩いて登るしかなかった。

  公爵であるキースに仕えるという僥倖をふいにする訳にはいかないと、両親は代わりにチヒロを向かわせた。

  幸いな事に、チヒロには音楽的な才能もあるし、オメガではあるが発情期の来ない出来損ないではあったので、発情フェロモンで迷惑をかける事もない。

  雇って貰えれば御の字、ダメなら諦めて帰って来いと、半ば無理矢理に家を追い出された。

  確かに22にもなって、家の穀潰しになりかけていたので、チヒロもここで何とか働き口を見つけたいのは山々だった。

  「他の公爵様は、みんな天使のようにお優しいって言うのに!よりによって、何でキース公爵なんだよ~!」

  キースが歩いた後には、草木も生えない。

  力量のある音楽家達ですら、キースの前で演奏すると、泣いて逃げ出すか、楽器すらも辞めてしまうという。

  巫としての力は絶大だったが、滅多な事では仕事を引き受けず、私利私欲に加担していると分かると、逆に不幸を呼んで依頼主を没落させた事もあるらしい。

  そのあまりの暴君ぶりに、キース公爵は最北に住む『冷血殿下』として、獣人達に恐れ戦かれる存在だった。

  [newpage]

  [chapter:恋する黒兎1-②]

  「お前、どうするつもりなんだよ!キース!」

  「別にどうもこうもしない」

  「どうもこうもしねぇのは、一番ダメなの!分かんねぇかなぁ!もう!」

  レオンは、ソファーに深く沈むように腰掛けながら、気だるげに長い足を組んでいた。

  五神である公爵の一人、レオンは、滅多に城を出ようとはしない、引き籠り友人であるキースの城へと訪れていた。

  レオンは、『[[rb:巫 > かんなぎ]]』の中でも珍しい、楽器を演奏しない音楽家だ。

  歌を歌う事を生業とし、その声は神そのものの御告げであると、獣人達に敬慕の念を寄せられていた。

  腰にまで届く長い巻き髪の金髪、青く空のように澄んだ瞳が煌めく美貌は、紛れもなくアルファの大型獣人である証拠であり、最強のライオン族だ。

  そのライオン族の中でも、際立って大柄だろう体躯は、張り詰めた筋肉に覆われた屈強な肉体だった。

  「レオンがそれ程に言うのならば、やぶさかでもない。俺の妻としてお前を迎えてやる。お前なら、今すぐ第一夫人にしてやるぞ」

  「バカ言ってんじゃねぇぞ!最強のアルファである俺様を妻にするとか!ていうか、俺を嫁さんにしたって、子供も産めないのに嫁にする意味がねーだろ!」

  「お前のように美しく、強い男はいない。そして、その喉から発せられる歌声は、まさに神の声そのものだし、お前ならば納得の第一夫人だ。……性格と言葉使いはさて置き」

  「置くなよ!そこ!俺は性格もめちゃくちゃ優しいっての!まぁ、言葉使いは さて置き」

  レオンに毎度、説教されながらも生活スタイルを変えようとはしないキースは、五神の中でも『偏屈者』として通っていた。

  見た目だけならば、レオンと変わらない獰猛な肉食獣の体型だったし、同じくライオンのオスとしても最強のアルファだ。

  真っ直ぐに流れる艶やかなプラチナブロンドに、輝くエメラルドの瞳は、美女と見紛う麗しさであり。

  白い肌に、深く影を落とす彫りの深い目鼻立ちは、見る者の魂を奪う容貌で、その氷のような無表情の美貌に笑顔が浮かぶ事はない。

  唯一、ピクピクと動く丸耳と、すらりと伸びた尾の先のフワリとしたぼんぼりが揺れる様子で、何とかキースの感情を垣間見る事が出来た。

  だがいくら美麗な面差しであっても、その悪魔の舌がそれを打ち消してしまう。

  国中の皆が恐れ戦いて、いつしか誰もキースの巫としての力を、求めようとしなくなっていた。

  依頼したら何を言われるか分からないと噂が噂を呼んで、いつの間にか『キース公爵は、悪魔の使徒だ』とまで言われるまでに至ってしまった。

  それには一番近くに住んでいたレオンが胸を痛め、何度となくキースを改心させようとしたり、外へと連れ出しての一般の獣人達に触れ合わせたりと尽力したが、冷血殿下が信念を曲げる事はなかった。

  「ともかくだな!お前は子孫を残す義務がある!公爵家を絶えさせない為にも、子供をボコボコ作れ!何の為に嫁がいるんだ!」

  「嫁なんぞ本当はいらないんだ。獣化しない程度に性欲を発散出来れば。そもそも発情期だからといって、ムラムラされるのも煩わしい」

  「……お前、発情期の芳しい匂いが煩わしいのか」

  「どこが芳しい匂いなんだか。メスの匂いをプンプンさせて、尻を振るなんざ、醜悪以外の何者でもない。そもそも、そんな動物的な欲望は、知的じゃない」

  「キース……お前、インポじゃねぇよな?」

  「馬鹿にするな。ちゃんと勃起はするし、交尾も、射精も出来る。ただ、発情期のメス臭い匂いは、萎えるんだ」

  「お前、前から頭がおかしいとは思ってたけど、相当にイカれてるな。発情期に交尾しなかったら、子供が出来る筈ねぇじゃん……」

  レオンは、頭を抱えてしまった。

  キースも数多い兄弟の中で、巫の力があったからこそ、公爵としての地位を継いだだろう筈だ。

  アルファとしての性欲も、子孫を残す子種の多さも、他の獣人からすれば格段に能力としては高い。

  公爵としての仕事もろくにしようとしない、子孫を残そうともしない、この変人はどうしたらまともになるのか。

  レオンは頭を痛めた。

  「キースな、恋した事、あんの?」

  「恋などという感情は幻想だ。そんな浮わついた気持ちに惑わされるから、まともな演奏も出来ないんだ。こないだも吟遊詩人だとかいうド下手クソが、恋の歌を歌います、とか抜かして俺の耳を汚してくれたから『楽器が悲鳴をあげてるぞ。騒音を止めろ』」と言ったら、泣いて逃げ出しやがった」

  レオンは「あぁ」と嘆きの声を漏らし、ソファーに突っ伏した。

  「キースの口を縫ってしまいたい」と言うと「お前も先月、ソプラノ歌手の女に迫られて、「音痴のくせに」と泣かせてただろうが」と言われ、何も言い返せなくなってしまった。

  [newpage]

  [chapter:恋する黒兎1-③]

  「すみませ~ん。お留守ですか~?」

  チヒロが何度もドアノッカーを叩いても、中から誰も出て来ようとはしなかった。

  キースの城は、それ程に大きな城ではなかったが、小高い丘の奥に幾つもの棟が分かれて建っていた。

  兄曰く、奥の棟にはキースの妻達や、親族が住んでいるが、偏屈なキースのいる母屋には近寄ろうとはしないのだという。

  家族とも疎遠だなんて、どれだけ変わり者なんだと呆れると同時に、そんなキースに気に入られていた兄を、改めて凄いと思った。

  元より、尽くす事が習性のようなウサギ族ではあったので、兄のようなベータのウサギは王族達には重宝がられていた。

  チヒロも世話をする事に関しては苦痛ではなかったが、如何せん、あの悪名高いキースだ。

  兄以外の召し使いは殆どクビにしてしまっていたらしいし、料理人や掃除夫も顔を合わせないようにして仕事をこなしていたというから、そのキテレツな暮らしぶりに合わせて仕事が出来るのか、自分でも自信がない。

  「よし、もう1回叩いてもダメだったら、手紙を置いて帰ろう。俺とは縁がなかったって事で!ていうか、出て来ないように!お願いします!」

  チヒロは、最後に力強くドアノッカーを叩いた。

  留守であってくれという願い虚しく、その扉は開かれた。

  中から現れた獣人達を見て、チヒロは長い耳をピンと立てて緊張を露にした。

  その二獣人は、大型獣人と変わらない程に身長のあるチヒロよりも更に背が高く、体つきも二回りは大きかった。

  その獰猛さに、チヒロはすくみ上がった。

  食われてしまう。

  オメガのウサギと、アルファのライオンとでは、醸し出すオーラの力強さからして格段の差があった。

  「あ、あの……俺はチヒロと言います。ここで仕えていました兄のチトセが怪我をしてしまいましたので、代わりに俺が……」

  チヒロが言い終わる前に、金の巻き毛のライオンが大声を上げ、嬉々としてチヒロの顔面の間近に顔を寄せて来た。

  「うお~!ウサギちゃんだ!それも初めて見た!黒いウサギちゃんだ!スゲー美味そう!」

  すると隣に立っていた直毛金髪のライオンが、レオンの首根っこを引っ張って引き離し、冷ややかにそれを宥めた。

  「獣化するなよ、レオン。お前の食欲は、性欲よりも勝るからな。もしも獣化したら、食っちまうぞ」

  「あっ、あっ、あのっ、あのっ……」

  「何だろう?!この子、不思議な匂いがする。ベータ?ベータにしては色っぽい体臭だな。噛ってみてぇ!」

  「噛るな、馬鹿。これは食用じゃない。うちの召し使いだ」

  そう言ってさらりとした長い髪のオスが、チヒロを抱き寄せた。

  甘い体臭がチヒロの鼻をくすぐる。

  抱き寄せられたオスの胸元から薫る体臭は、芳しい薫りがした。

  思わずチヒロは、その胸元に鼻を寄せてクンクンと嗅いでしまう。

  だが、抱き寄せた獣人の方もチヒロに思うところがあったのか、その頭から生えた長い耳の付け根辺りをしきりと嗅いでいた。

  頭上からフンフンと鼻息を感じて、千尋は我に返った。

  「うわぁ!し、失礼しました!あ、あのっ、あのっ、キース様は……」

  「俺がキースだ」

  「は?!」

  「お前が抱き付いて、クンクン匂っていたこの俺が、キースだ。……お前、馬鹿みたいに耳が長いくせに、聞こえないのか?」

  「はぁ?!はぁぁぁぁぁ?!」

  チヒロは慌てて仰け反り、体を離そうとすると、突然キースの手から放たれてひっくり返り、コロンコロンと雪の中に転がって行った。

  黒兎が雪の中で転がる姿を見て、レオンが「本当に狩猟本能を刺激されるな」と言うと、隣のキースが横から蹴りを入れて来た。

  [newpage]

  [chapter:恋する黒兎2-①]

  チヒロは、改めて公爵が住む城の艶やかな内装に、目を白黒させていた。

  外から見れば、さほどに大きな城とは思えなかったが、中に入ってみればどこを見渡してもキラキラとして目映い。

  調度品のきらびやかさも、絵画の重厚さも、家具の細工の細かさも、あつらえたものだと分かる豪奢なものだった。

  何よりも目の前に座っているアルファのライオン達が、その周りの豪華さを上回る華々しさだ。

  同じように足を組んで、ソファーの肘掛けに頬杖を付いていても、どうしてこんなにも印象が違うのだろうか。

  レオンは、興味津々といった面持ちで、人の良さげな人懐っこさが見て取れる。

  片やキースはと言うと、まさに慇懃無礼、傍若無人という奔放さに溢れていた。

  「チトセが怪我をしたと言ったな」

  「は、はい。実家に帰る途中で、崖から落ちたらしくて。と、とにかくキース様とお約束した日には帰らねばと思いまして、弟の俺がひとまず代わりに来ました……」

  「チトセと変わらないレベルの仕事が出来る、という前提だろうな」

  「あ、兄と比べられますと心苦しいのですが……努力します」

  「チトセよりは無能という訳か。お前以外に出来る兄弟はいなかったのか」

  チヒロは五人兄弟だったが、チヒロとチトセ以外の他の三人はアルファだったので、有能ではあったが家事能力としてはチトセがズバ抜けていた。

  チヒロも、ベータの奉仕能力と比べられると、間違っても「それ以上出来ます」だの、「同じ位出来ます」だのと言うのもおこがましかった。

  下手にそんな大口を叩いたら、後でどんな仕打ちが待っているか分からない。

  何せ偏屈公爵、変人殿下のキースに仕えて長続きした者はおらず、それこそチトセは召し使いとしては奇跡の存在だった。

  そんな脂汗が止まらないチヒロに、隣のレオンが助け船を出した。

  「まぁまぁ、そう 初っぱなからハードルを上げてやんなよ、キース。チヒロは初めて誰かに仕えるんだからさ。多少は大目にみてやれ。何せ、チトセが出来すぎた召し使いだったんだから」

  「れ、レオン様も兄をご存知でしたか」

  「知ってる、知ってる。何せ、キースの無茶ぶりをサラリとこなすし、出来なくても絶妙にキースを怒らせないで、事なきを得るテクニックは天才的だったな。ウサギ族は召し使いに向いてるとはいえ、あれは文句なしの完璧な仕事ぶりだった」

  兄の作り上げた業績が凄過ぎる。

  チヒロは、フォローしてくれたレオンには申し訳なかったが、更に難易度を上げられてしまったような気になった。

  「俺は無能ですので、実家に帰らせて頂きます」と喉まで出かかっていたが、キースの一声がそれを阻んだ。

  「初心者にそれ程、無茶は言わん」

  「は?」

  「仕事は俺の身の回りの雑用程度しかないし、休憩時間も多いからな」

  それには思わずチヒロも「あんたの身の回りの雑用が問題なんだ」と心の中で突っ込んだ。

  「料理は料理人が作るし、掃除は掃除婦がやってるからな。見た事はないが」

  「見た事がない?!」

  「俺に会えば何か言われると思っているのか、いつも俺の見ていない時に掃除をしているらしい」

  「まさかの使用人からハブられてるとか!」

  「何だと?」

  「いや、主が鼻摘み者とか!身内から、雇い主が村八分だなんて……」

  「お前、何気に失礼な奴だな。噛み殺されたいか」

  「あぁっ!すみません!すみません!つい、本音がっ!」

  チヒロの思った事を口にしてしまう素直さには、隣で聞いていたレオンも声を殺して笑っていた。

  兄のチトセとはタイプが違ったが、ある意味、無鉄砲な程にキースへと立ち向かって行くのには似たものを感じていた。

  [newpage]

  [chapter:恋する黒兎2-②]

  チヒロは改めて、有り得ないような場に居合わせたものだと感動していた。

  音神といわれた五大公爵の2人と同じ空間にいるのが信じられない。

  チヒロも[[rb:王立学校 > ロイヤルスクール]]を卒業しているが、チヒロよりも遡ること五年前に卒業した世代は、まさに歴史上初の公爵五人が揃った超越的な年だった。

  公爵たるもの、首席での卒業は当たり前ではあったが、五人共に首席などという事例は、前代未聞であり、その卒業式は かつてない華々しいものだったという。

  キースはピアノ科、レオンは声楽科でのトップで卒業し、在学中も巫としての力を発揮していた。

  奇跡の一端に、五人が卒業した後は、校内が常に花に溢れ、雪が降り積もる事がなくなった。

  チヒロはキースと同じピアノ科だったが、巫の力を持つ『本科生』のキースと、巫の力がない『分科生』のチヒロとでは、月とすっぽんの違いがある。

  分科生は、巫の奏者を助けるテクニックを求められ、その補助の奏者の道を選ばないのであれば、調律や楽器を製造する科で腕を磨くしかない。

  キース達公爵が卒業した後も伝説的な存在として残された業績の数々が語り草となっていて、今も生徒達に言い伝えられている。

  その語り草は、悪い業績の方が多かったが。

  「でな、チヒロ、聞いてる?」

  「あ、は、はいっ!」

  「キースを促して欲しいんだよな。是非とも、チヒロに」

  「促す、って……何を……」

  「キースはさ、全く子供を作ろうとしない訳。俺達、公爵たる者、数多く子供を作って、より力のある後継ぎを残さなきゃってのに、こいつはライオンのアルファとは思えない、インポ野郎なんだよな」

  「だから不能ではないと言っているだろうが。俺は正常だ」

  「正常なアルファのオスは、メスの発情期やオメガの発情期にはムラムラするもんなんだ。何が発情期のフェロモンか臭いだ。お前、よくそれで公爵に選ばれたな」

  レオンはキースの言い分には、もう耳を貸そうとはしなかった。

  キースには三人の妻が離れの棟に住んでいるが、発情期に全く子作りをしようとはしなかった。

  ライオンのアルファである、メスのアデルは、キースと幼なじみであり、伯爵令嬢だ。

  王族の間でも見目麗しいと名高い極上のメスだったので、妻になった時には周りからの期待も大きかったが、それでも三年経った今も妊娠する兆しがない。

  王立学校ヴァイオリン科を首席で卒業したドナルドは、オスのコヨーテでオメガであったが、音楽的な才能でキースの妻にと迎え入れられた。

  そのヴァイオリンのテクニックは凄まじいものがあり、キースも気に入りはしたものの、見た目が豆タヌキのようだと言って欲情しないと突き放した。

  古のオオカミの血を引くジャスティンは、オメガのオスであったが、その多産系であるが故にキースの元へと嫁いで来た。

  他の種族の獣人からは、概ね一度に一匹ずつしか生まれなかったが、ジャスティンの家系は一度に4~6匹も生まれる事があった。

  また、ジャスティン自体も大型であり、メスのように麗しい容姿だったが、フェロモンの匂いがきついと言って、キースが発情期に足を向ける事はなかった。

  「周りがキースに合うだろうって気を利かせてやってるってのに、あーだこーだと、イチイチ文句ばっかり言いやがって!」

  「だから、レオンなら快く妻にしてやると言ってるんだ。美しいし、才能に溢れているし、発情のフェロモンも匂わない」

  「だから、俺はオスのアルファだから、子供が産めねぇっつってるだろうが!何でアデルはダメなんだよ。アデルとは恋人同士だし、交尾もしてんだろうが」

  「アルファのメスは、発情期に何時間も交尾しまくらないと子供が出来にくい。あれとは発情期以外でしか交尾した事がない」

  「それ交尾じゃねーじゃん!セックスじゃん!」

  「だから、発情期の匂いは萎えるんだ」

  お前はちょっと黙ってろ、とレオンが通る声で制した。

  巫の力を持つレオンの声は、例え歌声ではなくても、その声に威力がある。

  同じ公爵であるキースですらも、その毒を吐く口を閉ざされた。

  [newpage]

  [chapter:恋する黒兎2-③]

  「チヒロは、ところでお兄さんの代わりって事はベータなのか?ベータにしては、何となく甘くて美味しそうな匂いがするんだけど」

  「あ、あの、ここまで鼻が良いお二人には隠しおおせる事は出来ないと思いますので申し上げますが、俺はオメガでして……」

  「オメガっ?!」

  それには、キースが異常に反応した。

  キースは、メスやオメガのフェロモンを毛嫌いしているからだ。

  「で、でも、俺はどうも生まれついての発情期が来ない出来損ないのオメガらしいので、キース様にご迷惑をかける事はないと思います」

  「キースになら、オメガでも余計に嫌悪するだけだから、発情期が来ても襲われる心配はねぇと思うけど。……まぁ、とにかく、チヒロに頼みたい」

  「俺に、ですか?」

  「キースが、何とか交尾するように仕向けて貰いたい」

  「えぇ~?!」

  仕向けるとは、何をどうやって、仕向けろと言うのか。

  身の回りの雑用しかしない召し使いの、既に無能の烙印を押されているチヒロ如きに、何が出来ると言うのか。

  自分には、この偏屈な主の怒りを買わないようにするのだけでも精一杯だった。

  「無理!無理無理無理です!キース様の交尾のお手伝いなんて!」

  「交尾のお手伝いとか言うな。この駄ウサギが。まるでお前とペッティングするみたいだろうが」

  「ペッ、ペッ、ペッ、ペッ……」

  「何だ、お前。こんな事に動揺するなんて、童貞か。まさか交尾もした事がないのか?」

  「こ、こ、交尾、くらい、した事はっ……」

  「ないのか。ウサギ族は、性欲が強いと聞いていたが、中にはお前みたいな変獣人もいるんだな」

  「稀代の変獣人である貴方に、言われたくはないです~!」

  「……今、何て言った?この無能ウサギが!夕食のメインディッシュにしてやろうか!」

  「ひぃぃぃぃぃぃ!」

  キースとチヒロの間を割くようにしてレオンが手を差し出し、「黙れ」と言うと、二匹はグッと押し黙った。

  「そんなに難しい事は頼まねぇよ。ちょっとこう、嫁さんとの間を取り持ったり、発情期が来たら、同じ床に寝かせるように仕向けたりして欲しいんだよ。俺もさ、仕事があるからもう行かなきゃだしな」

  「れ、レオン様!行っちゃうんですか?!」

  そんな大役を任されて、捨て置かないでくれと、チヒロはすがった。

  レオンとて、巫としての仕事があるのは分かってはいたが、変人の発情をコントロールするなんぞ、チヒロには荷が重すぎる。

  「いや、俺も他の奴らに「キースの面倒みてやれ」とは言われてるから、ちょくちょくは来てやるんだけど、流石に俺は公爵だから、ここに来ると嫁さん達に逃げられるんだよな。キースじゃなくて、俺に孕まされたらマズイと思ってるんだろうけど」

  王族の中でも、飛び抜けて性欲が強く、繁殖力もある公爵の地位がある者同士が、メスやオメガを取り合いしたとあっては、獣化しての闘いになる恐れがある。

  公爵同士が、伴侶をなるべく会わせないようにする、それは暗黙のルールのようなものでもあった。

  「ぐ、具体的にはどうしたらいいんでしょうかね?」

  「発情期に入った嫁さんとのムードが盛り上がるように、マタタビを盛っちゃうとか?」

  「それは、ちょっと犯罪っぽいですよ……」

  「キースはマタタビに弱いんだよ、これが。だから、うまく盛れたら子作りさせられるぞ!」

  「な、成る程!」

  「ていうか、チヒロはマタタビ、大丈夫なのか?」

  「俺はマタタビより、スリッパに萌えますね」

  「「スリッパ?!」」

  レオンとキースの声が見事にハモった。

  「スリッパをこう、パタパタされると堪らないんです。何ていうか、ウサギなんですけど、闘争本能を刺激されるというか……」

  「惚けているとしか思えないウサギにも、闘争本能なんてものがあるのか……」

  「ちょっと、キース様。馬鹿にしてます?ウサギだって怒る時はありますよ!」

  「いや、お前の兄のチトセは何をしても怒らなかった。俺の妻達の嫌がらせにものほほんとしてたし、俺はウサギ族というやつは悟りでも開いているのかと思ってたぞ」

  チヒロは、キースの言う「妻達の嫌がらせ」という部分に反応した。

  何を嫌がらせされるというのか。

  何故、召し使いに嫌がらせをせねばならないのか。

  肉食獣からのいびりにも飄々としていただろう兄の偉大さに、今更ながら感服する。

  チヒロは、これから過ごす日々を思うと、気が重くなった。

  [newpage]

  [chapter:恋する黒兎3-①]

  チヒロが主だってする仕事といえば、キースの髪と尻尾のブラッシングに始まり、食事の補助、撒き散らした楽譜の整理、服の出し入れや整理など、身辺の世話がほとんどだった。

  自分としては問題なくこなしていたつもりだったが、キースの反応は酷いものだった。

  やれ、髪の毛をぞんざいにとくな、ガサツな兎め、だの。

  この食器を早く片付けろ、能無し、だの。

  俺が指定した服はそれじゃない、センスの欠片もないのか、だの。

  事あるごとにチクチクと皮肉を言われ、その度に小さくなって、ビクビクと震えていた。

  たが、広げた楽譜のまとめるのには、何も言われなかった。

  キースがその楽譜を見ているのか見終わっているのかは、すぐに分かったし、楽譜の順番も間違える事なく棚に整理する事が出来たので、それにはキースも目を見張り、驚いているようだった。

  「お前、楽譜が分かるのか」

  「は、はい。ほんの少し……」

  「何か楽器は出来るのか」

  「出来……ません」

  王立学校に通い、キースと同じピアノを専攻していたとは言えなかった。

  相手は音の神と呼ばれる、神の手を持つ獣人だったし、自分はギリギリのお情けで卒業出来たような落ちこぼれだ。

  それも、巫の力を持たない分科生だった。

  ましてや、もしもピアノを弾いているのがバレて、キースの前で演奏するなんて事になれば、緊張のあまりまともに弾けるとは思えない。

  「楽器が出来ないのに、楽譜は読めるのか。逆なら分かるが、普通は有り得んな」

  「え?」

  「何か楽器をやっていただろうからこそ、楽譜が読めるんだ。お前、何か隠しているな?」

  「え?あ、あのっ、そのっ……」

  「やっていた楽器は何だ」

  「兄弟がピアノをやっていたので、横からほんの少し、教えて貰っていた程度です。ですから、弾けるなどとは言えない程のお粗末なものですので」

  「ふうん……」

  一流しか好まない耳は、お粗末と言われれば聞く気にもならなかったのか、興味が薄れただろうキースに、チヒロはホッと胸を撫で下ろした。

  ここで弾けと強要されれば、確実に貶されるのが目に見えている。

  こんな悪魔の舌を持つ男から酷評されれば、即座に首を括ってしまいたくなるかも知れない。

  只でさえあがり症な上に、ピアノに関しては尋常なくメンタルが弱い。

  ここは何としても、聴かれる訳にはいかなかった。

  それでも、四六時中、キースの奏でる美しい旋律を聴いていると、堪らなくなる。

  巫の力を持つキースのピアノは、本人の毒々しさとは反比例した、優しくも力強い、孤高のテクニックを有していた。

  キースの横で連弾してみたいという欲望はあるが、己の力量のなさを思い返し、我に返る。

  音神の手から紡ぎ出される調べは、奇跡を起こす音だというのも分かる、パワーを感じるものだった。

  その音が聞こえる範囲で咲いている花は、例え花瓶に挿す切り花でも枯れる事がない。

  温室の果物や野菜も、何の手入れもせずに、新鮮さを保ち続ける。

  この素晴らしい力が、本人の偏屈さだけで周りが敬遠し、活かされないのにはもったいないと思った。

  チヒロも、その音を聴くと心が踊り、体の活性化が促されるのを感じる。

  キースのピアノを聴くと、日々の疲れも癒された。

  もっと、この素晴らしい音を他の獣人達にも広めてやりたい。

  だが、それを勧めるような勇気は、チヒロにはなかった。

  [newpage]

  [chapter:恋する黒兎3-②]

  何日か過ごしてみて、チヒロも少しずつ、周りが見えて来るようになった。

  城で仕えている者達は、キースを恐れて在宅中は出ては来ないが、明らかにキースがいないと分かる時間帯にはこっそりと現れて仕事をこなしているようだった。

  チヒロが話し掛けてみると、真面目で人の良いベータの獣人ばかりで、変人公爵の身の回りを世話させられているチヒロは、皆に同情されてしまった。

  チヒロの兄のチトセの有能さもそこから聞き及んで、チヒロもそれに倣うようになると、キースの小言が少し減ったような気がした。

  召し使いだけでなく、奥の棟に住んでいるだろう親族も全く姿を見ない。

  あえて挨拶に向かうべきかとキースに聞くと「お前は俺の世話もろくに出来ないくせに、親族のご機嫌伺いをするのか」と非難されたので、キースの城からは出る事をしようとは思わなくなった。

  周りから聞く内に色々なルールがあり、キースの城にはキースの許可なく訪れる事は許されないのを知った。

  キースには3獣人の妻がいたが、その妻達もしかり、だった。

  3獣人の中の唯一のメスであるアデルは、幼なじみでもあり、気心も知れているのかキースと夜を共にするのも多かった。

  アルファでもあるアデルは、オメガよりは妊娠し難いのもあって、性欲を晴らすのにはうってつけの存在だったのだろう。

  2人は共に性生活を楽しむだけという、セックスしかしない関係だった。

  レオンに子作りを促すようにと言われていたチヒロも、アデルならばいつか発情期に交尾する事もあるかも知れないと、アデルの城へと通うキースには気分良くなって貰うように心掛けた。

  キースを送る際に、城の入り口でアデルとは出会う事もあったが、ライオンのアルファらしい、高慢な程に気高いメスだった。

  「貴方、ウサギにしては大柄よね」

  「チヒロです。何かごさいましたら、どうぞお気軽にご用命下さい」

  「ご用命ね。出来れば、他の妻の元へ行かないで、私のところにキースを連れて来るようにしてくれると嬉しいわ。セックスも回数をこなしていれば、もしかしたら、ひょっこり子供が出来るかも知れないしね」

  「最大限、努めさせて頂きます」

  「マタタビはいつでも使えるように用意しておいてちょうだい。特に私が発情期になって、そっちに行った時には。キースは、いつも発情期になると交尾したがらないのよ。困った人」

  キースがマタタビには弱いと分かっているので、それを用意したのがバレたとあっては、チヒロもタダでは済まないだろうと想像すると、それだけは「お任せ下さい」と返答出来なかった。

  オスのオメガである、オオカミのジャスティンは、艶やかなブラウンの髪を襟足の辺りまで伸ばした見目麗しい、はんなりとした美青年だった。

  だが気難しい性格で、我が儘ではあったので、キースは食事を共にしても、ほとんど言葉を交わさなかった。

  せっかく多産の家系であっても、発情期にはキースが避けようとするので、子供の作りようもない。

  事務的にジャスティンの棟へとキースが訪れた際には、チヒロだけが奥へと連れ込まれ、兄のチトセまでも非難された。

  その口調は、やんわりと上品なものだったが、内に毒を含んでいた。

  「前の召し使いは全く使えないボンクラなウサギだったけど、今度はちゃんと働けるんだろうね?」

  「は?」

  「私のところに来る前には、キースをマタタビで酔わせておいて、メロメロにしておいてくれるかな?発情期の時は特に。もう、泥酔するくらいに酔わせちゃって良いから」

  「は、はぁ……」

  「寝てても勃起させればこっちのものだから。何としてもアデルよりもドナルドよりも、キースに気に入られるようになりたいんだ。協力、よろしくお願いするね」

  これはキースが食事程度で逃げるのも頷けた。

  いくら美しくても、ここまで強欲ならば、発情期でなくても萎える。

  歴代の公爵からみれば、妻が3人しかいないのは異例の事であり、キース自身が これ以上妻を迎えようとしていないのが分かる。

  それでも恐らくは、公爵としての立場や、周りからの勧め、他の公爵達との繋がりもあって、渋々、受け入れているだろう利権や、義務的なものも垣間見えた。

  発情期に入った妻だけは、キースの城で過ごす事を許されるという決まりがあるにはあったが、そこで交尾が成功した例はないようだった。

  何らかの足枷がなければ、発情フェロモンを厭うキースが、自らの城へ発情期の妻が入るのを許す筈がない。

  可哀想な方達なのかも知れないとも思う。

  もしも、キースが愛を育めるような、本人の好むメスやオメガと出会えていれば、それ程に多くの子供を授かる事が出来なかったとしても、ここまで交尾から疎遠にならなかったかも知れない。

  今になって改めて、レオンに頼まれた仕事の荷の重さを痛感するチヒロだった。

  [newpage]

  [chapter:恋する黒兎3-③]

  アデルやジャスティンのように、発情期にだけ城を訪れる事を許された妻達とは違い、コヨーテのオメガであるドナルドだけは、頻繁にキースの城を訪れていた。

  ドナルドは、チヒロよりも頭1つ半は小さい小柄なオスだったが、横の体格はガッチリとした骨太の体格だった。

  小太りで肉尽きもよく、頬はポッチャリとしていて、大きく愛らしい筈の瞳ですらも、コヨーテらしい好戦的な目付きの鋭さが、肉食の獰猛さを窺わせた。

  ドナルドは、左眉を吊り上げる癖があるのか、何につけても眉をクイッと上げるので、その陰険な性質を見た目から滲ませていた。

  ドナルドがキースの城に出入りを許されていたのには、その凄まじいテクニックで奏でられるヴァイオリンの腕前にあった。

  キースのピアノとの協奏曲は、テクニカルの極みだ。

  ただ、ドナルドの気性も、その音色のように激しかったので、チヒロもどう対処したら良いものか分からなかった。

  ドナルドが来た時は、キースの世話は全てドナルドがする。

  ドナルドがしくじったり、キースの意思にそぐわない事をしてしまったのに関しては「チヒロがやった」と擦り付ける。

  また、チヒロが用意した的確な楽譜の準備や、食事、着替えなどの手際の良い見えない部分に関しては、ドナルドがやったのだと主張する。

  このままではとばっちりを食らってしまうと勘付いたチヒロは、キースが困らない程度の手助けをする以外は、ドナルドに任せる事にした。

  芸術家の気紛れで、ドナルドが訪れるのは疎らではあったし、普段は夜までには帰るので上手く逃げれば何とかなった。

  夜のキースは、アデルの元に行かない日は自室のベッドで過ごす。

  チヒロがピアノが弾けるのは、キースがアデルの棟で休んでいる時だけだった。

  城には五台のピアノがあったが、それを順繰りに廻りつつ、調律してやったり、鍵盤を磨いたりと、メンテナンスをしている。

  触れる時間は少なかったが、最高級のピアノを奏でている間は、まるでキースと連弾をしているような気持ちになり、チヒロを陶然とさせた。

  キースの方はというと、時折、チヒロが近くを通り過ぎた時などに、クンクンと鼻を鳴らして匂いを嗅いで確認しては、眉間にシワを寄せていた。

  キースは、発情フェロモンを臭いと感じ、嫌悪している。

  チヒロは発情こそしないものの、子宮はあるので、ベータよりは臭く感じるのかも知れない。

  そう思うと、出来るだけ近くには寄らないように意識せざるを得なかった。

  それでも、巫の力に満ちたキースのピアノの音は官能的な色気に満ちていて、チヒロの感性を揺さぶった。

  巫の力に酔わされる。

  チヒロは、キースを嫌いにはなれなかった。

  キース自身には恐れ戦いても、その魅惑的なピアノは抗えきれない力でチヒロを虜にしていた。

  [newpage]

  [chapter:恋する黒兎4-①]

  度々訪れるドナルドの我が儘し放題には、如何とも対処のしようがなかったので、チヒロは「どうぞお二人でごゆっくり」と言って早々に下がろうとした。

  だがそれにはキースが許さなかった。

  「お前はここにいろ」

  「ですが、お邪魔に……」

  「お前の楽譜出しは早いんだ。それを棚にしまうのも早いし、いつもきちんと整理されている。俺が書き散らした楽譜もちゃんと整理出来ているだろう」

  「でも、それも奥方様が……」

  「お前のやり方が良いんだ。部屋から出て行く事は許さない」

  そう主に言われてしまうと、チヒロは逃げ場もなくなってしまった。

  ドナルドの、そのドングリのようにギョロギョロとした丸い目に憎悪を含んでいるのを察して、思わずビクビクとしてしまう。

  キースが席を外した途端に、ドナルドは噛み付くようにしてチヒロへと突っかかって行った。

  左眉をクイッと吊り上げる仕草は、チヒロを蔑み、小馬鹿にしているようだった。

  「僕がいる時はキースの仕事をしなくて良いって言ったよね?!」

  「す、すみません。何とかそうしようと試みたんですが……」

  「お前はさ、掃除とか洗濯とかしてたら良いの!変にやるから、キースにだって期待させちゃうんだよ。……そしたら、せめて出来るだけキースが見てないところでやって、「ドナルド様がやりました」って言うようにして」

  「……分かりました」

  「どんな小さな事でもだよ!あ、失敗はこっちに擦り付けないでね!それを負うのはお前の仕事だから。それと、物凄い効き目のマタタビを用意したから、それをキース様に仕込んでよ」

  「……それは、ちょっと……」

  「何だよ!出来ないとは言わせないよ!何が何でも、僕はキース様と交尾したいの!僕に夢中にして、他の奴らのとこには行かせたくないんだから!」

  ドナルドの小鼻が膨れあがり、興奮しているのが分かる。

  まるで発情期のように、体温が上がっているのも伝わって来る。

  キースは、ドナルドの音楽的才能は誉めてはいたが、その容姿に関してはこき下ろしていた。

  コヨーテというよりは、タヌキだと。

  丸く赤らんだ頬も、ぷっくりと競り出た腹も、見ようによっては可愛らしくもあったが、キースは見目が麗しくないので欲情出来ないと洩らしていた。

  確かに他の妻達は、美しかった。

  アデルはライオンのメス特有の猛々しい美女だし、ジャスティンの艶かしさは、しなだれかかって来られれば誰でもよろめきそうになる色気があった。

  そんな美しい二獣人でも孕ませようとはしないキースに、周りが見るに見かねて音楽的才能に溢れたドナルドを寄越したのだが、それでもキースは奥方の誰も妊娠させなかった。

  ドナルドから、いつキースにマタタビを与えてくれるのかと詰め寄られている時、当の本人が部屋に帰って来た。

  慌ててチヒロから離れたドナルドは、キースの腕にしがみついた。

  その尾のユラユラと揺れる様は、発情しているかのようで、キースの眉間にも深い溝を刻む。

  これはマイナス効果だと察したチヒロは、慌てて二人へと紅茶を勧めた。

  どの妻にも気を使うが、なまじ演奏が出来る為に頻繁に出入りするドナルドには、本当に疲労困憊させられる。

  チヒロは無意識に、小さな溜め息を漏らした。

  [newpage]

  [chapter:恋する黒兎4-②]

  ドナルドが帰った後、大きな荷物がいくつも城に届いた。

  キースの部屋へとそれを届けると、開けてみろと命ぜられた。

  しばし躊躇ったが、更に催促されたので開けてみると、中には多種多様な物が入っていた。

  「これは何ですか?」

  「全てお前の物だ。殆どが服や靴だな。雑貨もあるが」

  「え?俺の?!」

  「どう考えても、お前の図体ではチトセの服は入らないだろう」

  「でも、これ!どれも高価そうですよ!」

  「そりゃ、お前のサイズなら、王族御用達の店で買い揃えなきゃだったからな。王族並みに大柄だし」

  「ちょっ……ちょっと待って下さい!そしたら、これ!キース様の服と値段が変わらないんじゃ……」

  「お前に俺のような派手なデザインが似合うものか。その没個性の顔に合わせて、ちゃんと超地味なデザインにしてある。素材は良いが」

  素材は高級な布地を使われていたり、毛皮や刺繍なども施されたそれなりのものではあったが、確かにキースが着ているようなデコラティブな物はなかった。

  チヒロがキースの服を着せられれば、それこそ道化師のようになってしまうだろう。

  「き、キース様……。これは給料から天引きでしょうか……。出来ましたら、20年ローン位にして頂けますと……」

  「誰が服如きで20年もローンを組むか。しみったれたウサギだな。これは……その、支給品だ!いわゆる制服だ!」

  「制服にしては豪華過ぎます!それも、何なんですか!こんなキラキラした文鎮とか、アクセサリーとか!側仕えには必要ありませんよ!」

  「俺の与える物に文句を付けるか。ウサギの分際で。俺は周りにいる者も、美しくなければ許せないんだ。その貧乏臭い服を3日間周期で着回しているのが、腹立たしくてかなわん!」

  確かにチヒロは故郷から持って来るのには限界があったので、懸命に服を洗い回して着ていたが、やはりそれには不満たったのだ。

  城の召し使い達は、ベータばかりで殆どが小柄な者ばかりだったので、大柄なチヒロにはいわゆる召し使いの制服が入らなかった。

  ここは素直に受け取る事にして、チヒロが丁寧に頭を下げて礼を言うと、キースの表情は不機嫌なままだったが、尻尾だけはクリンクリンと揺れていた。

  機嫌が良いのかも知れない。

  そう思うと、何やら仏頂面のキースが可愛らしく思えて来る。

  中をどんどん開いて、種類ごとに分けていくと、1つだけ、えらく貧乏臭い物が出てきた。

  それは王族が、寝室で室内穿きとして使う物とはまるで違う、薄っぺらな布地の室内穿きだった。

  「キース様。スリッパだけは、俺の分相応の物にしてくださったんですね。いや、休む時にまで装飾激しいスリッパをご用意下さったら、申し訳なくて履けませんしね」

  「これはお前の部屋用じゃない。部屋用はこっちだ」

  キースが差し出したのは、装飾激しい派手な部屋穿きだった。

  「え?それじゃ、この地味なスリッパは……」

  「それは、お前の遊び用だ」

  「遊び用……」

  「以前にスリッパでマタタビ並みに興奮すると言っていただろうが」

  キースはチヒロの前で、その薄っぺらなスリッパをユラユラと揺らしていた。

  [newpage]

  [chapter:恋する黒兎4-③]

  ああ、これは不味い。

  と、チヒロは思った。

  スリッパが興奮するなどと言わなければ良かった。

  これはいわゆるウサギ族の『禁秘』だった。

  これを他の一族に知られれば、苦労せずにウサギを術中に嵌める事が出来る。

  それはマタタビ以上の効果があった。

  キースはチヒロの鼻の前でスリッパを上下に揺らす。

  初めは必死に目を瞑り、懸命に耐えた。

  だが、パタパタとスリッパから風が送られると、もう我慢ならなかった。

  「ブー!」

  「何っ?!」

  「ブー!ブー!ブー!ブー!」

  チヒロは、まるで別人になったかのように、スリッパへと噛み付こうとしたが、咄嗟にライオンの瞬発力が利いて、キースはそれを瞬時に避けた。

  「ブー!」

  「ブー!ってお前っ……。ウサギではなくブタだったのか?!」

  「ブブー!」

  チヒロがキースの揺らすスリッパに食い付いて、それを奪い取った。

  顔をぶんぶんと振りながら、チヒロはブーブーと唸り続けている。

  キースはその光景を見て、プルプルと肩を震わせていた。

  その表情はほぼ、いつもと変わらなかったが、その穂先の付いた尻尾だけは愛らしく、ピョンピョンと踊らせる。

  ひとしきりスリッパで遊び、動きが緩慢になったところで、キースはそれを取り上げた。

  そこでチヒロも素面に戻り、「うわぁぁ!」と悲鳴を上げながら膝をついてしまう。

  キースは、慌てて支えるようにして抱き寄せた。

  「チヒロ!だ、大丈夫か?!」

  「スリッパを振り回されてもいないのに、興奮するとか!俺はどれだけスリッパ萌えするんだ~!」

  「萌え……あれは萌えだったのか……」

  「それも噛んでも極上の薄さ具合とか!恨めしいです!キース様!」

  興奮のあまりに、チヒロの額からタラリと汗が流れた。

  汗と体臭と。

  これは、キースが眉間にシワを寄せる、忌避すべきものだ。

  チヒロは、咄嗟に離れようとしたが、キースが固くチヒロの肩を掴んでいたので、それにはかなわなかった。

  「キース様!も、申し訳ございませんが、お手をお離し下さい!臭いでしょう!」

  「臭い?」

  「俺、俺、興奮してたからっ」

  「まぁ、ウサギ臭くはあるかな」

  「うわぁぁぁぁ!すぐに香水をブチまけて来ます!」

  「何ぃ?!香水?!それは許さん!というか、香料のきついボディソープも許さん!お前は湯で汗を流す以外に、泡立てる事を禁ずる!」

  「それじゃ、汚れが落とせません~!」

  「汚れなんぞ落とさなくても良い!お前の風呂は、週一位でも良い」

  「そ、そんなっ……」

  そこまで不当な扱いをされてまで、我慢は出来ない。

  奥方からのストレスや、キースの暴言を唯一癒してくれるものは、主不在の時のピアノと、寝る前の入浴だけだった。

  風呂まで許されないとあっては、流石に不法就労だ。

  「お風呂に位、入らせてくれたって良いじゃないですか!キース様が俺の体が臭いと思われているなら、入浴の義務を主張します!」

  「いつ、俺がお前を臭いと言った?」

  「さっきだって、ウサギ臭いって……」

  「ウサギ臭い、というのは……その……悪くない、という意味でっ。……だから、その……」

  「無理しなくても良いです!今すぐに風呂に入って来ます!」

  「だから、入らなくて良いと言っているだろうがっ!」

  キースは、チヒロを胸の中へ抱き込んで、その耳の付け根をクンクンと嗅ぎ始めた。

  クンクン、クンクンと嗅ぐ間に、ハァハァと荒い息遣いも聞こえて来る。

  これはどういう事態なのだ。

  もしかして、食われてしまうのか?

  チヒロの防衛本能が極限にまで働き、体をガタガタと震わせた。

  「くそっ……。怖がらせると思ったから、堪えていたのにっ……」

  「き、キース様?」

  「お前の耳の薫りは堪らないんだ。これは、芳しい、というものなのか?」

  「良い匂い……なんですか?」

  「分からん!分からんが、ずっと嗅いでいたい!出来れば、朝から晩まで!」

  「ちょっとそれはっ!俺も貴方も仕事になりませんよ?!」

  「だから、堪えてたんだ」

  そんな事とは露とも知らず、臭いから嫌がられているのだと勘違いしていた。

  ウサギの耳からライオンを喜ばせる匂いを発しているとは知らなかったが、そういえばレオンも初めて会った時に「甘い匂いがする」と言っていた気がする。

  頭の上で、クンクンするキースが可愛い。

  こんなにも恐ろしい悪魔の舌を持つオスが、まるで構って欲しいとじゃれついて来る子供のように思えた。

  チヒロの胸もキュンと苦しくなる。

  押し退けようとしても、キースのあまりの愛らしさに、どうしたら良いのか分からなくなってしまった。

  そこである程度落ち着くのを見計らってから、提案する事にした。

  『ウサ耳クンクン』は、奥方様がおられない時に。

  キースのピアノの時間と、チヒロの仕事を邪魔しない程度で。

  1日3回まで。

  香水と香りの強いボディソープやシャンプーを使わないから、風呂には入らせて欲しい。

  それならば嗅ぐ事は厭わない、とチヒロが言うと、キースの尾っぽはブンブンと激しく空を切って揺れていた。

  だが、その口は「傲慢なウサギめ。お前のような出来損ないのウサギ如きが、この俺に条件を出すとはおこがましいにも程がある。だが、それを聞いてやるのは、やぶさかではない」と貶しつつ、同意したのであった。

  [newpage]

  [chapter:恋する黒兎5-①]

  何せ偏屈公爵と名高いキースではあったので、チヒロもウサギの耳元を嗅ぎたがるという、その奇行には戸惑った。

  変人でも約束を義理堅く守ろうとするキースは、チヒロが許す範囲内でしか嗅ごうとはしなかった。

  ただ、嗅ぎ出したら凄い。

  それはもう、食われるのではないかと恐れる程に、クンクン、クンクンと嗅ぎまくる。

  ソファーで押さえ込まれたり、ベッドで押し倒され時には、貞操の危機すら感じる程だった。

  キースは、発情期でなければ、アデル、ドナルド、ジャスティンの三獣人と順繰りに夕食を摂る。

  それは、妻達との約束であったのか、キースも逆らう事なくこなしていた。

  だが、夜を共に過ごすのはアデルだけだった。

  毎日ではなかったが、アデルに誘われるか、二人がそんな雰囲気になるかで、キースがアデルのベッドへと向かう。

  チヒロもレオンに託された手前、何とか他の妻達へと向かうようにと促してはみたものの、キースの頑なさは予想以上だった。

  だが裏を返せば、アデル一人だけを愛している、という事なのだ。

  それを知ってからは、チヒロもただ耳元を嗅がれているだけの行為ではあっても、何やら罪悪感に苛まれるようになった。

  夕食の補助をし、アデルの部屋の前でチヒロは下がる。

  それには、日に日に辛さを感じるようになっていた。

  何故、こんなにも苦しくなるのか、チヒロ自身にも分からない。

  キースの毒舌にも慣れて、仕事は苦もなくこなせるようになって来た。

  だが近頃は、アデルの部屋へと送り出すのには、何とも言えない胸苦しさを感じてしまう。

  別れ際、キースを部屋へと招き入れた後、アデルは扉を閉じてチヒロへと話し掛けてきた。

  「貴方は、前の側仕えとは違って、私の事を推してくれているようね。助かるわ」

  「……ありがとう、ございます」

  「キースは、発情期でなければセックスをしてくれるの。それも熱烈にね。最近は特に凄いのよ。この分なら、もしかしたら発情期にも交尾してくれるかも知れないわね」

  「そうですか」

  「貴方が来てくれてからよ。お礼を言いたい位だわ。こないだ、セックスした時もね……」

  アデルの口から、聞きたくもないキースとの熱い情事をあからさまに聞かされた。

  それがどれ程に激しく、どれ程に長い間、求められたのかを語るアデルの表情は恍惚としていて、今からの行為に興奮を隠せないようだった。

  キースはシャワーでも浴びているのか、部屋からは出て来ない。

  チヒロは、もう胸苦しさを越えて酸欠状態になり、失神寸前だった。

  性行為に免疫がないだけではない。

  キースが、誰かと結ばれる。

  その瞬間を想像したくはなかった。

  「アデル様。キース様がお待ちなのでは……」

  「あら、そうね。……だから、もうじき来る発情期には、是非とも協力してちょうだい」

  「協力、ですか……」

  「マタタビでキースを酔わせるの。多分、次の発情期には成功すると思うわ。近頃、キースには愛されていると感じてはいるし。その心地悦さを知れば、キースも発情期に交尾をしたくない、なんて言わなくなるとは思うのよね」

  「……承知致しました」

  あまりにも長い時間、アデルと話していたから痺れを切らしたのか、キースが中から顔を覗かせて来た。

  アデルが話していた相手がチヒロだと分かって、目に見えてギョッと狼狽えた表情を見せた。

  それは、いつまでも帰ろうとはしないチヒロへの叱責のようにも見えた。

  [newpage]

  [chapter:恋する黒兎5-②]

  キースは驚きと共に、怒りで片眉を吊り上げていた。

  チヒロは、アデルに迫っていたのではないかと誤解されたくはないあまりに、泡を食ったようにして捲し立てた。

  「あ、あのっ、今後はですね、アデル様とキース様の床を同じくしてはどうかと、アデル様に提案していまして」

  それには、アデルが横で大喜びしていた。

  類を見ない有能な側仕えだと、キースにも絶賛していた。

  「……何だと……?」

  「キース様は、どうやらアデル様にご執心のようにお見受け致しましたので、お子様はアデル様がまずお産みになれば、キース様もこれから……」

  「勝手な事をするな」

  キースの怒りを含んだ言の葉に、チヒロだけではなく、アデルですらも後ろへ一歩、後退った。

  「側仕えのウサギ如きが、俺の子作りに口出しするか。俺はやりたいようにやる。それをお前が指図するような真似をするな」

  「も、申し訳、ございませんでした」

  「お前は俺の楽譜の管理をしていればいいんだ。この出来損ないのウサギが!」

  キースの口から吐かれる罵詈雑言は、いつもと変わらない筈なのに、どうして今日に限っては身体中を引き裂くのか。

  愛するメスと睦み合う為に、もっと長く過ごせるようにと提案しただけだ。

  こんな事ならば、さっさと自室へと帰っていれば良かった。

  鼻の奥が痛いと思った直後、チヒロの瞳からは、ハラハラと涙の粒が流れ落ちていた。

  これ以上、時間を取れば、更にキースの怒りを買ってしまう。

  チヒロは、全身を小さく震わせながら頭を下げ、その場を立ち去った。

  ピアノが弾きたい。

  その一心しかなかった。

  キースを送り出した後は、いつもキースのピアノを順番に弾いて回って、メンテナンスをしている。

  それは、誰にも言えないチヒロの憂さ晴らしだった。

  こんなにも悲しい気持ちでピアノを弾いた事はない。

  チヒロの大きな手は、鍵盤の上を縦横無尽に踊り、音を奏でた。

  その一心不乱に紡ぐ音は情感に溢れていて、チヒロですらも止められなかった。

  キースに惹かれていた。

  あの、とてつもなく偏屈で、自分勝手なオスを。

  高飛車で、我が儘で、人の気持ちを省みもしない、酷い言葉で相手を傷付ける傍若無人な獣人を。

  だが、その実はとても不器用であり、純粋だった。

  キースの本質を知れば知る程に、感情表現が極端に下手な、照れ屋なのだという事が分かった。

  口ではどれだけ毒舌を吐き出そうとも、その尻尾だけは本心を表していて、隠しようもない。

  図星を突かれると、それまで饒舌だった口が、急に吃どもり出す。

  だがさっきのキースは、はっきりとした意思を持ってして、チヒロを痛罵した。

  差し出がましい事をする召し使いだと。

  百獣の王であるライオンに、愚図なウサギが指示するなと。

  チヒロの良かれと思った事が、キースの心証を害してしまった。

  居たたまれない。

  その溢れんばかりのあらゆる感情がチヒロを取り巻き、暗澹たる思いに陥っていた。

  [newpage]

  [chapter:恋する黒兎5-③]

  チヒロの大きな耳が、ピアノの以外の音を拾い、その手を止めた。

  部屋の隅から、拍手の音がする。

  音の方へと視線を向けると、そこにはドナルドが立っていた。

  いくら拍手を送られても、その小馬鹿にしたような吊り上がった左眉が皮肉めいていて、心から賛辞しているようには見えなかった。

  「素晴らしい!まさかウサギの側仕えが、そこまでのピアノを弾くとは思ってもみなかったよ!」

  「ドナルド様……」

  「ピアノの調律は誰がやっているとキースに聞かれて、僕がやってるって咄嗟に応えちゃったけど、お前がやってたんだね」

  「すみません。この事はご内密に」

  「分かってるよ。僕がやっている事にしておいてあげるから」

  ドナルドは、馴れ馴れしくもチヒロの肩を抱き寄せるようにして、その顔を覗き込んで来た。

  底意地の悪そうなドングリ眼が、チヒロの瞳を捕らえる。

  コヨーテに睨まれたウサギは、固まる事しか出来なかった。

  「ちょっと相談があるんだけどね。お前は、これからもピアノを弾きたいよね?出来ればキースにバレる事なく」

  「はい……」

  「僕の為に尽くしてくれるなら、それを可能にしてあげても良いよ」

  「ですが、俺はキース様の側仕えですので、ドナルド様に尽くすといっても……」

  「ああ、そういう意味じゃなくてね。お前がピアノの整備をしているのを、僕がしている事にするとか、お前の弾いているピアノは、僕が弾いている事にするとか、そんな感じ?」

  要するに、ヴァイオリンだけでなくピアノも弾けるという事で、他の妻達とは一線を画したいのだとチヒロも察した。

  ドナルドが他の妻達よりも優れているのは、音楽的な才能だけだ。

  それでも、その才能は音神であるキースからしてみれば、何よりも魅力的ではある。

  「ピアノは一応、子供の頃からやってたし、学校でも少しはやってたんだけど、ヴァイオリン程には芽が出なかったんだよね。でも、僕にピアノの才能があると分かればキースも嬉しいだろう?」

  「ですが、それでは目の前で弾けと言われたら困るんじゃ……」

  「見られたら弾けないとか、連弾は緊張して出来ないとか、そこは可愛らしく逃げてやるよ」

  チヒロでも思わず言ってしまいそうな尤もらしい理由に、言葉を失った。

  どのみち、ここでは短時間にコソコソと弾く事しか出来ない。

  ドナルドの手を借りれば、弾く時間が増える。

  それは、心惹かれる取り引きではあった。

  この想いを封じて、ここで暮らしていく上に、ピアノを弾くにもままならない環境では、チヒロも堪えていける自信がなかった。

  せめて、ピアノだけでも弾いていたい。

  この想いを晴らせる場所をなくしたくはない。

  ドナルドの提案に、チヒロは頷くしかなかった。

  そうして、チヒロはドナルドの棟にあるピアノを弾く事を許された。

  キースのピアノの内の1台も、ドナルドが練習する為に借りるという名目で、時折弾かせて貰える事になった。

  [newpage]

  [chapter:第二章・物好きな黒兎1-①]

  翌日から、キースはチヒロに近付かなくなった。

  もしかしたらクビだと言われるかも知れないと覚悟していたので、一旦は安堵したが、それでもあれだけ「チヒロの匂いを嗅ぎたい」と言っていたキースが、傍にも寄らなくなったのには物悲しくなった。

  その代償のようにしてドナルドに呼ばれ、キースのピアノの部屋を借りきると、思う存分に弾く事が出来た。

  ドナルドには緊張するからと、続きの部屋にいて貰い、一人の時間を謳歌する。

  気兼ねなく弾くのは久しぶりだったからか、いつも以上に伸び伸びと弾く事が出来た。

  かれこれ2時間ばかりが過ぎて、部屋の扉をノックする音で、チヒロは我に返った。

  『ドナルド。この音は本当にお前が弾いているのか?』

  扉の向こうから聞こえるキースの声に、慌ててドナルドが部屋へと戻って来た。

  「キース、ピアノを弾く時は一人にしてって言ったよね?」

  ドナルドは、チヒロに後片付けをさせながら、部屋の空気を入れ替えた。

  キースは、鼻が敏感なのでチヒロの匂いを嗅ぎ分けるかも知れないと思ったからだ。

  『こんな音を聴かされて、黙っていられるか。お前、こんなにも弾けるなら、どうして俺の前で弾かないんだ?』

  「言ったよね?ピアノは人前で弾いたら緊張するから諦めたんだって」

  『とにかくここを開けろ』

  部屋の空気が入れ替わったのを確認して、ドナルドはキースを招き入れた。

  チヒロは既に、続きの部屋から外へと抜け出していた。

  「あんなにも弾けるのに、どうして人前で弾かない?」

  「だから、緊張するんだよ。何故か。それとも僕のヴァイオリンは、ピアノに劣る?」

  「いや、お前のヴァイオリンとは、全く別の……」

  キースは何かを言い澱んで、口に拳を当てた。

  室内が外気で冷えきっていたので、こんな中でピアノを弾いていたのかと聞くと、弾き終えてリフレッシュしていたとドナルドは応えた。

  キースには、再度、ピアノを弾いている時は放っておいてくれと約束させたが、最後まで納得がいかないという表情をしていた。

  そこへチヒロが「お茶のご用意が出来ております」と言って入って来た。

  ドナルドは、キースの腕に凭れ掛かっていた。

  その光景に、チヒロの胸はまた引き裂かれる。

  納得の上での取り引きだったとはいえ、こうなるように仕向けた一端は自分にもある。

  分かってはいても、胸の痛みは治まる事はなかった。

  「キース、僕のピアノ、そんなに良かった?」

  「そうだな。お前があんなに素晴らしい音を奏でるとは思わなかった」

  ソレハ、俺ガ弾イテイタンデス。

  「キースの為に弾いたんだ。ピアノ、苦手だったんだけど」

  キース様ノ為ニ、弾イタノハ、俺ナンダ。

  「俺の為だと言うなら、目の前で弾いてくれ」

  ソレダケハ、出来ナイ。

  「僕、キースの目の前なんかで弾いたら、緊張してめちゃくちゃになっちゃうよ?それこそキースの耳を汚したくないから。……それより、ね?今晩は僕の部屋に来てくれない?」

  「そうだな」

  イヤダ。イヤダ。ヤメテ。

  キース様、弾イタノハ、俺ナンデス。

  ドナルド様ジャナイ。

  チヒロがどれだけ心の中で叫んでも、キースに届く事はなかった。

  その後、2獣人はチヒロの淹れた紅茶を飲む事なく、ドナルドの棟へと向かい、その夜、キースが帰って来る事はなかった。

  チヒロはもう、ピアノを弾く事すらも出来なかった。

  あれだけ、体の奥から沸き出していた音の洪水が、一気に渇れ果ててしまった。

  今、ドナルドと愛し合っているのかも知れないと思うと、その胸を抉られるような苦しみで心臓が止まりそうになる。

  この苦しみは、いつか終わる時が来るだろうか。

  キースの妻達に子供達が授かり、次代の公爵が生まれて、自分も年老いていく。

  そうなれば、自分は音神に仕えていたのだと、誇らしげに語れる日が来るのかも知れない。

  例え今、張り裂けんばかりに苦しかったとしても。

  いつか、チヒロもそうやって過去を振り返る時、穏やかな気持ちでいられるようになりたい。

  そう願うしかなかった。

  [newpage]

  [chapter:物好きな黒兎1-②]

  朝食を用意して良いのかと料理長に聞かれ、チヒロもどうしたものかと悩んでいると、キースがどんよりとして帰って来た。

  表情からはさほどに判らないが、その尻尾の項垂れ具合から、かなり気分を害しているように思える。

  料理長はキースの姿を見て、慌てて逃げ帰ってしまい、結局のところチヒロが伺いを立てる他なかった。

  「あの……キース様。料理長が朝食はどうしたものかと……」

  「いらん」

  「では、お飲み物は」

  「水をくれ」

  「かしこまりました」

  チヒロが冷たい水をピッチャーに入れて持って来ると、キースがソファーの上で肘掛けに凭れるようにして倒れ込んでいる。

  そんなにも激しい夜を過ごしたのかと思うと、今すぐにでも自室に逃げ込みたい心境にはなったが、自分は仕えている身なのだと奮起して、キースへと水を差し出した。

  「キース様。お水を……」

  「チヒロ」

  「は、はい」

  「こっちに来い」

  「え?あ、あ、あぁっ?!」

  「お前を嗅がせろ」

  「ちょっ……キース様っ……」

  キースがソファーに横たわる上からチヒロが覆い被さるようにして、引き寄せられる。

  キースの胸元からは、ライオンのオスの薫りが香ばしく薫る。

  風呂には入っていないような、濃い体臭だった。

  「キース様……あの……」

  「昨日は死にそうになった」

  「はぁ?!」

  「ドナルドが必死に迫って来るものだから、逃げようとするとヴァイオリンを弾くだの、俺のピアノを聴かせろだの、二人で演奏しようだのと言って帰らせようとはしなくて……」

  「そう、なんですか……」

  「召し使い一同で周りを固めているし、ドナルドに至っては気を許したら上から乗っかって来そうだったし、思わず我を忘れて自らの妻相手に獣化しそうになった」

  「それ程に思われるのでしたら……」

  「馬鹿。そうじゃない。欲情して獣化しそうになったんじゃなくて、怒りのあまりに獣化しかけたんだ。危うく召し使い一同、皆殺しにしそうになった」

  妻を含めての惨殺ともなれば、どんな正統性があろうとも流石に不味い。

  王族の獣化は神聖なるものではあるし、ある程度の暴走は猛獣としての性であると認められるが、キースのように元から評判が地に堕ちた獣人ならば、更に皆から疎遠にされてしまうだろう。

  「貴方でも気になるんですか」

  「俺でもとは、どういう意味だ?!」

  「人の意見なんぞ、どうでも良いと思っているのかと……すみません」

  「いや、確かに俺はどうでも良いとは思っているが、他の公爵達がもう少し周りを気にしろとうるさいんだ。俺がこの家の評判を落とせば、次代の公爵が困るだろうと。もしも、これ以上問題を起こすなら、爵位を取り上げると脅されている」

  「そこまで強行手段を取らないと大人しくならない貴方も相当ですね!まさに猛獣!」

  「流石に4獣人相手では、獣化して闘っても勝ち目がない」

  「まぁ、公爵様方の脅しなら、ちょっとは耳を傾けられるんですね。……あぁ、レオン様、帰って来てくれないかな~」

  「お前!レオンに惚れているのか?!」

  「はぁ?!」

  「あいつには、[[rb:番 > つがい]]がいるんだぞ!それも精通する前から番の証を付けるという、非常識な相手が!」

  番の相手は、オメガにとっては終の伴侶だ。

  [[rb:項 > うなじ]]を愛するアルファに噛まれ、永遠の絆が刻まれれば、もう他の誰とも交尾する事が出来ない。

  番の相手以外と交尾をすれば、気が狂ってしまうオメガもいる。

  それは永遠の愛を誓う、尊い証だった。

  「あのマセガキは、自分の城の時計番の息子を番にすると皆の前で公言して、後ろ首を噛んだんだ。まだ、相手は三つだったんだぞ?!あいつは変態だ!」

  「えぇ?!それって、子供の頃から番の約束してたって事ですよね?!そんな獣人、聞いた事がないですよ?!」

  「だから、あいつは変態なんだと言っている!子供に番の証を刻むなどと……幼児趣味か!」

  「てか、それを貫いたんですか?!アルファは、番を一人に決めなくていいのに?!レオン様、見た目と違って、凄い純愛!感動した~!」

  「くそっ……!あいつの事はどうでもいい!俺に抱かれながら、他のオスの事を口にするな!」

  キースの言葉が、まるで恋人の嫉妬のようにも聞こえる。

  いや、これは幻聴なんだと、チヒロは自らに言い聞かせた。

  キースは、側仕えとして誠意を持って尽くせ、という意味で言っているのだ。

  もしくは愛玩動物のようなものなのだ。

  飼っているペットが、他の物に懐くのが許せない、傲慢な飼い主なのだ。

  そう思い込もうとするのに、キースの胸の中は暖かくて。

  やがて、チヒロの心も解れるようにして、心の言の葉が突いて出て来るのだった。

  [newpage]

  [chapter:物好きな黒兎1-③]

  「キース様は、怒っておられるのかと思ってました」

  「何がだ」

  「昨日は、俺を遠ざけておいででしたので」

  「あれは……」

  キースは言いかけて、ゴクリとその言葉を飲んだ。

  その飲んだ言葉は、恐らく本心だとチヒロは思った。

  飲まないで、口に出して欲しい。

  例えそれが、どんな罵詈雑言であったとしても。

  キースの本心を聞きたいと強く思う自分がいた。

  「あの時は、お前がまだ部屋の外にいて……」

  「すみません。アデル様とのお時間をお邪魔してしまいました」

  「そうじゃない!その時、俺は初めて気が付いたんだ。自分の愚かさに」

  「それは、他の皆様と交尾なさらないのを反省された、という意味ですか?」

  「違う!どこまでお前はトンチンカンなんだ!お前の脳味噌の少なさと、耳の悪さは、本当に絶望的だな!付ける薬もない!医者も[[rb:匙 > さじ]]を投げる!」

  「分かりませんよ!貴方のその嫌味ったらしい言い方じゃ!ていうか、いつも毒ばっかり吐くから、肝心な主旨が見えないんです!」

  「……だからっ、お前が泣くとは思わなかったんだ……」

  キースに叱責されて、チヒロは涙を流した。

  主である王族の子作りに、口出ししする召し使いなんぞは、とんでもなかったとは今になってみれば思う。

  「すみません……」

  「お前は悪くない。俺は、あれから己の行動や心理を分析するようになった。確かに、近頃の俺はちょっと変だった」

  「貴方はいつも変ですよ」

  「何ぃ?!」

  「あ、すみません!すみません!」

  「この旨そうなウサギの耳を噛られたいか!」

  「やめて下さい!耳はこれしかないんです!替えはないんです!お許し下さい~!」

  そんな憎まれ口を叩いていても、その首から背を撫でる手も優しいし、耳元に寄せられた鼻がクンクンと嗅ぐ仕草は、愛しい事、この上ない。

  チヒロも、キースの胸元の匂いを嗅ぐと、堪らない気持ちになって、体に熱を帯びる。

  キースが公爵でなければ良いのに。

  同じウサギ族ならば、例え出来損ないのオメガでも、想いを伝える事が出来たかも知れないのに。

  やがて、二人は互いの体温の暖かさに身を委ね、その芳しい薫りに包まれて、安らかな眠りについていた。

  [newpage]

  [chapter:物好きな黒兎2-①]

  ジャスティンが発情期になり、ドナルドがキースの城へと来るのを禁じられた。

  発情期の妻は、子作りの為にその期間は、優先的にキースの城に滞在する事を認められている。

  今までは、発情フェロモンを発する妻達から逃れる為に、キースは仕事と称して外出したりと逃げ回っていたらしい。

  だが、今回はどういう訳か城から出ようとはしなかった。

  ジャスティンがしなだれ掛かっても、あらぬ方向を向いてはいたが、退けようとはしない。

  本来アルファのオスならば、発情期のメスやオメガを前にすれば、その発情に釣られ交尾しまくるものだが、如何せん交尾嫌いのキースではあったので、逃亡しないだけでも奇跡だと、ジャスティンも浮かれている。

  自らの城から連れてきた召し使い達に、やれ髪をとけだの、爪の手入れをしろだのと、キースの前で美しくあろうと必死だった。

  その端々に、ジャスティンの性根が垣間見れた。

  せっせと世話をする召し使い達の耳を引っ張ったり、足蹴にしたりして、せせら笑っている。

  オイルマッサージをしていたヤマネコの召し使いは、尻尾をにじり踏まれ、痛みに突っ伏した頭を更に蹴り上げられていた。

  発情期の度に召使いへこんな仕打ちをしていたのだとしたら、長く続かない原因は、キースだけの問題ではないかも知れない。

  キースの城の召し使い達も、ジャスティンやドナルドがいる間は気配すら感じない程に引っ込んでしまい、出て来ようとはしなかった。

  発情期で気が立っているのかも知れないが、それにしても酷い扱いだった。

  またそれも狡猾な事に、キースが見ていない間に、憂さ晴らしするかのように当たり散らす。

  キースが交尾してくれない鬱積を、周りに八つ当たりする。

  やがてジャスティンが連れて来た召し使い達は、その暴力に戦き、部屋の隅に縮こまってしまった。

  「あ~あ!もう!つまんない!せっかくキースが珍しく城にいるってのに!ピアノ、ピアノってさ!普通、オメガの発情期を前にしたら、アルファなら1日中交尾してるよねぇ?」

  使い物にならなくなった召し使い達の代わりに、呼び寄せられたチヒロは、ジャスティンの豊かな毛並みである尻尾をブラッシングしていた。

  チヒロのそれは、キースの髪の毛をとくのに鍛えられた丁寧さではあったので、ジャスティンもそれには文句がないようだった。

  「ねぇ、チヒロだっけ?前にもお願いしてたけど、マタタビ、用意してくれてる?今からキースに仕込んで来て」

  「今はピアノを弾いておられるので……。お邪魔出来ませんから」

  「いつ弾き終わるの?だってもう何時間も弾いてるんだよ?いつまで待たされるのさ!」

  「それは、キース様のご気分によりますので」

  「待っていられないよ!もう、お風呂に入るから、準備して」

  『風呂』というジャスティンの言葉に、隅で振るえる召し使い達が「ひぃっ」と悲鳴を上げた。

  それを見てジャスティンの風呂の世話が一番難儀なのだろうと、すぐに察した。

  いちいち召し使いを粗暴に扱い、鬱憤晴らしをする。

  もしかしたらこんな横暴な行いも、発情期の間だけではなく日常的なのだろうかも知れないと思うと、周りの者達の気苦労は察するに余りある。

  結局、召し使い達が震え上がったまま全く動こうとはしないので、仕方なくチヒロが風呂へと向かうしかなかった。

  [newpage]

  [chapter:物好きな黒兎2-②]

  チヒロは、風呂で叫ぶジャスティンの元へ慌てて駆け寄った。

  「失礼致します」

  「何をもたもたしてんの?!早くシャンプーして。耳に水が入ったら承知しないからね」

  「かしこまりました」

  これはもう、キースに感謝するしかない。

  日々、チクチクと文句を言われていた甲斐あって、チヒロのボディケアは完璧だった。

  あれだけ苦痛だった『キース苦行』も、今となっては感謝したい程だ。

  その丁寧さには、何かしら難癖を付けてやろうとしているジャスティンも、文句の付けようがないようだった。

  「もういいよ。湯に浸かるから」

  ジャスティンが手を差し出したので、浴槽までの補助が必要なのかとチヒロもその手を取ろうとしたら、想像も出来ないような力強さで引き込まれた。

  目の前に水面が現れ、その直後、前のめりに湯の中へと突っ込まれた。

  上半身ごと押し込まれ、チヒロは立ち上がろうと足掻いたが、ジャスティンが全体重を掛けて押さえ付けていて、起き上がれない。

  暴れる度に、ガボガボと水が鼻や口から入って来て、恐慌状態に陥った。

  「あはは!ウサギって泳ぎが下手なんだ!溺れちゃう!溺れちゃう!死んじゃうかなぁ?!あはは!」

  ジャスティンはチヒロと変わらない程に大柄だったし、オオカミ族だけあって、その体も筋肉質だった。

  押さえ付けられる力が強く、水面が顔を上げられない。

  背後の高笑いするジャスティンの声も、遠退いていく。

  チヒロは、心の中で想うオスの名前を叫んだ。

  無意識に。

  その声が聞こえる筈がない。

  それなのに。

  求めるオスの声が、聞こえたような気がした。

  一瞬、意識が遠退いた後、気が付くとチヒロはキースに抱き寄せられていた。

  「どういうつもりだ。ジャスティン」

  「あ、あのっ、それは、そいつが私の耳に水を入れたからっ、思わず払っちゃって……」

  「耳に水が入ったから、溺れさせて殺そうとしたのか」

  「違うよ!一人で勝手に滑ったんだ!そいつが!」

  「とにかく、これはもう連れて帰るからな」

  「あ、ちょっと!キース?!」

  チヒロは、体がフワリと浮いたのを感じてはいたが、まさかキースに抱き上げられているとは思ってもみなかった。

  溺れかけていたショックで、そこまで頭が回らない。

  自分の意識がしっかりと覚醒した時には、別の部屋へと移動し、柔らかなタオルで髪を拭われいた。

  「すまなかった。召し使いが足りないと言うからお前を貸したんだが、行かせなければ良かった」

  「キース様……」

  「風邪をひくぞ。着替え、自分で出来るか?」

  「はい……」

  まるで別人のように優しいキースに、チヒロもギクシャクとしてしまった。

  いつものように毒々しくなければ、どうにも調子が狂う。

  チヒロは、ヨタヨタとしながらシャツを脱ぎ、スラックスのチャックを下ろす。

  ヒュウッと、息を飲む音が聞こえてキースの方を見ると、何故かその白い顔が真っ赤に染まっている。

  そのキースの狼狽えた表情を見て、もしや主の前で着替えるのは不躾だったのではと、チヒロは激しい焦燥感に駆られた。

  [newpage]

  [chapter:物好きな黒兎2-③]

  「すっ、すっ、すみません!大変、お見苦しいものをお見せしてしまってっ……」

  「何なんだ!それは!」

  「は?」

  「だから、何なんだ!それは!」

  「な、何が?」

  「お前の耳はデカいだけで、相変わらず聞こえが悪いな!いちいち聞き返すな!だから、それは……」

  キースの目線は、チヒロの尻に向けられている。

  チヒロは思わず、いつもは服の下に隠れている まん丸な黒い尻尾をプルンと震わせた。

  「うわぁ!動いた!」

  「し、尻尾ですか?!俺の?!」

  「そんな寸足らずな尻尾が、この世にあるのか?!根元で千切れたんじゃないのか?!」

  「馬鹿にしないで下さい!これはウサギの標準装備ですよ!大きさも形も一般的な尻尾です!……色は黒いですが……」

  キースはおもむろに、その丸い尻尾をムニュッと掴んだ。

  その感触に、チヒロは思わず「ひゃわん」と変な声を上げてしまった。

  「な、な、何するんですか~!」

  「柔らかい……。暖かい……」

  「そりゃ、生きてるんですから、暖かいですよっ、……て、いやん!」

  キースの中で、何かがプツリ、と音を立てて切れた。

  チヒロは足を引っ掛けられ、その場にコロンとひっくり返された。

  ちょうど、尻を突き出すようにして俯せにされ、尻尾だけがポンとキースの眼前に現れる。

  その丸みを帯びた黒い毛玉に、キースは鼻先を突っ込んだ。

  「あひゃん!」

  「何なんだ!この可愛いのは!」

  「やっ、いやぁ!クンクンしたら、いやぁ!あぁっ!」

  「おまけにこの匂い!これが、本当に発情期の来ないオメガの薫りか?!くそっ、……何て匂いだっ!」

  「やっ、やっ、尻尾、噛まないでぇ!いやぁ!尻尾、ダメだからっ!ダメぇ!あぁ~っ!」

  キースはチヒロの尻尾が唾液で濡れそぼつまで、噛んで、舐め尽くした。

  そして、その下にある蜜孔から甘い、誘うような薫りがするような気がして、強引に下着を下ろし、その尻たぶを左右に開いた。

  フワン、と糖蜜のような薫りが漂った。

  その甘さに、キースの自我も崩壊した。

  小さな窄まりに、無我夢中でペロペロと舌を這わせる。

  チヒロの喘ぐ声が、キースを更に暴走させた。

  「やっ、やぁ!……お尻、舐めないで、お願い!お願い、です!あぁっ!あぁっ!」

  「何て甘いんだ!お前の尻の奥は、もっと甘いのか?!もっと濡れろ。もっと、このいやらしい蜜を舐めさせろ!」

  「舌で、グリグリしたら、やっ、……あぁん!あんぅ!」

  キースの舌が、チヒロの尻孔へとクチュンと滑り込んだ瞬間。

  部屋の扉がドンドンと叩かれる音がした。

  外からジャスティンが狂ったようにして、キースを呼んでいる。

  発情期で欲情したオメガの欲望は、アルファの男根を求めて盛り、暴走していた。

  チヒロがキースを振り返ると、その股間は痛々しい程には猛り、勃起している。

  スラックスを突き破って出て来そうな盛り上がったペニスは、服の上からも その熱量が分かる程で、射精寸前の限界にまで張り詰めていた。

  チヒロは、キースのペニスの巨大さに怯み、後退った。

  「キース様!もう!早く交尾して下さい!体が熱くて、堪らないんです!」

  ジャスティンの求める声が、二人の間に虚しく響く。

  キースは、くしゃりと顔を歪ませて、チヒロから目を反らした。

  何故、そんな泣きそうな顔をするのか、チヒロには分からなかった。

  そしてキースは扉の方へと向かい、ジャスティンと共に部屋から出て行った。

  あれだけ勃起していれば、いくら発情フェロモンを嫌がるキースでも、交尾出来るだろう。

  2獣人はこれから抱き合い、キースの男根はジャスティンの体内に挿入し、そしてその子種を注ぎ込むのだ。

  ジャスティンの子宮にキースの愛液が放たれ、二匹は蕩けるような快楽に溺れ、やがて子を成すのだろう。

  苦しい。

  息が出来ない程に苦しい。

  さっきまで、自らの尻を舐めていたあの舌が、他のオスの尻を舐めるのか。

  あんなにも、強く、熱く、チヒロを求めてくれていたのに。

  他の獣人を愛さないで。

  貴方が誰かと求め合い、愛し合うなんて耐えられない。

  チヒロは踞ったまま地面に臥せ、動けなくなっていた。

  その暗い悲しみと、絶望で。

  [newpage]

  [chapter:物好きな黒兎3-①]

  ろくに睡眠もとれないまま、チヒロはいつも通りにキースの朝支度へと向かった。

  もしかしたら昨夜から交尾が続いているかも知れないと思ったが、寝室が開け放たれていたのを見て安堵した。

  朝食を運び込もうと部屋に入った途端、チヒロは俯いて視線を反らした。

  2獣人は交尾こそしてはいなかったが、キースの膝の上にジャスティンが跨がり、その腰を妖しく回している。

  服を着ていなければ、完全に最中ではあっただろうが、見た限りでは昨夜の余韻に浸っているといったところだろうか。

  ジャスティンはまだ足りないとでも言うかのように、仕切りと尻を振っていた。

  それだけ求められていても、キースは冷めたようすで顔を反らし、窓の景色を見つめていた。

  「キースぅ。ねぇ、しようよ。もう、体が疼いておかしくなっちゃいそうなんだけど。ねぇってば」

  チヒロは声を掛けようか悩んでいたが、食事を運ぶワゴンがガタンと揺れて、キースの視線が向けられた途端に、昨日の事が甦った。

  キースの歯が、チヒロの尻尾を噛み。

  キースの舌が、チヒロの尻孔を舐め。

  その目眩くような愉悦を思い出し、チヒロは股間を熱くさせた。

  キースの表情は強張ったまま、チヒロに釘付けになっていたが、膝の上に跨がるジャスティンが「あぁん」と甘ったるい声を上げていた。

  「もう、いきなり盛っちゃうんだから。キースってば」

  ジャスティンがキースの膝の上から降り、近寄って来たかと思うと、チヒロをワゴンから押し退けた。

  「食事は後でとるから、もう出て行って」

  「は、はい」

  「キースがその気になっちゃったみたいだから。交尾し終わったら食べるよ」

  「承知しました……」

  チヒロは、一礼をして部屋から出る。

  発情期の妻を持てば、それだけ盛るのは当たり前の事だ。

  ジャスティンが発情期を終えるまで、こんな生活が続くのだ。

  そう思うと、チヒロはいつまでも平静でいられる自信がなかった。

  部屋から下がろうとすると、背後に気配を感じ、振り返るとキースが立っていた。

  「ピアノを弾くぞ」

  「は?!」

  「このイカレ耳の愚図ウサギめが。何度も言わせるな。ピアノを弾く」

  「あ、あの……ジャスティン様が……」

  チヒロが目線を下げると、確かにキースの股間は盛り上がっていたが、交尾するつもりはないようだった。

  こんなにも盛っていたら、王族ならば獣化してしまわないだろうか。

  王族は、闘争本能や性欲が高まり過ぎると獣化してしまう。

  そうなれば、その欲望が発散されるまで、獣化は解けない。

  「キース様。無理はなさらないで下さい。獣化されたら……」

  「巫の力を持つ公爵は、その力を発すると獣化も治まるんだ。知らなかったのか」

  「そ、そうなんですか?」

  「普通に弾いただけでは治まらない。巫の力を使う時は、物凄いパワーを使うんだ」

  チヒロはキースに腕を捕まれて、ピアノの部屋まで引き摺られるようにして連れて行かれた。

  キースに放り出され、立ち尽くすジャスティンは、目尻を吊り上がらせ、鬼のような形相でチヒロを睨み付けていた。

  [newpage]

  [chapter:物好きな黒兎3-②]

  チヒロは、キースが特に気に入っているピアノの部屋に連れて行かれた。

  そこには特別に古いピアノが置かれていて、奏でる音の素晴らしさは秀逸だったが、その調律は他のどのピアノよりも難しかった。

  ピアノにはそれぞれ人と同じように個性があるので、その調整も様々だ。

  チヒロは、そんなピアノの表情や性質に触れ合う事も好きだった。

  キースが、ほんの少し鍵盤に触れ、音を鳴らすだけで、周りの空気に色艶が溢れる。

  巫の力を使ってはいなくても、それだけの魅力のある音だった。

  「最近、どういった訳か、ピアノの調子が良い。定期的に調律師には頼んでいるが、この間、調律師が来た時に、誰かがメンテナンスをしているのか、と聞いて来た」

  「そう、ですか。それは、ドナルド様がされてらっしゃるのでは……」

  「本人もそうは言っていたが、そもそもヴァイオリンを王立学校で学んでいた奴が、どこで調律師の技術を学ぶんだ?ピアノをやっていても、特に自ら進んで学ばないとならない特殊技術なのに、それは不可能だろう」

  確かにチヒロは、王立学校在学中に調律の課程を選択した。

  本科生とは違い、分科生にはそのメンテナンスや、製造に携わる技術的な専科がある。

  ピアノの実技での成績が軒並み低いチヒロに、調律師としての技術を学んで、何とか合格にまで至るようにという教授からの勧めがあったからだ。

  今になって思えば、その制度がなければチヒロが卒業する事は不可能だった。

  「ど、ドナルド様が調律師を呼んでおられたのでは?いつもピアノの整備をしておいて、キース様に気持ち良く弾いて貰う為に……」

  「だとしたら素晴らしい調律師だな。その者を呼んで、褒美を取らせたい。……とドナルドに言ったら、黙り込みやがったんだが」

  キースの的確なる追及に、ドナルドも返答に窮した。

  奥深い『音色』や、色鮮やかな『音色』を出すピアノを調律することは本当に難しい。

  全ての調律師が、それに長けている筈もない。

  「これだけ音色の幅を広く作れる調律師はそういない。ただ、調律するだけでなく、中の部品にいたるまでの知識を有している者の手にかかっている。そういう意味では、演奏家だけでなく、調律師も芸術家だと言えるだろうな」

  ここまでキースに誉められたら、チヒロも本望だ。

  音神に認められたというだけでも、調律の勉強をして良かったと思えた。

  調律はピアノに対して愛情があり、研究する意欲がないと成立しない。

  調律だけ合えばいいという気持ちで調律したピアノには、それだけの浅い音色しか出ない。

  「お前だろう。チヒロ。ピアノを調律していたのは」

  「え?」

  「ラルフにピアノの部品を仕入れる相談をしていたらしいな。俺に分からないように届けさせていたようだったが」

  「あ、あの……」

  「俺にお前の部屋の中を家捜しするような真似をさせるな。お前の部屋を漁れば、隠しおおせない証拠が出て来るだろう」

  「……すみません。おっしゃる通りです。……俺がピアノを調律していました」

  キースにそこまで言わせまで、嘘を突き通す事は出来ない。

  どのみち、ドナルドがほぼバラしたも同じだったので、真実が知れるのは時間の問題だった。

  [newpage]

  [chapter:物好きな黒兎3-③]

  「お前、やっぱりピアノを弾けたんだな」

  「それは本当に少ししか弾けません。というか、物凄く下手なんです」

  「あの時、弾いていたのはドナルドではなく、お前だったんだろう」

  「ち、違います!確かに、調律する時には少しだけ、弾かさせて貰いました。神の手を持つキース様のピアノに、無断で触ってしまって申し訳……」

  「弾け」

  「そ、それは……」

  「これは命令だ。弾け。手抜きなんぞしても、俺にはすぐに分かるからな。つまらないものを聴かせるなよ」

  つまらないものを聴かせるな。

  それはチヒロにとって、呪縛をかける言葉でもあった。

  あがり症のチヒロに「上手く弾け」というのは、全くの逆効果でしかない。

  だが、ライオンから睨まれたウサギが、抗う事は出来なかった。

  ギクシャクと体を動かしてピアノに向かい、椅子に座った。

  だが、鍵盤の上に手を乗せる勇気までは出なかった。

  「何でも良い。弾いてみろ」

  「お、恐らく、お耳を汚す事になるかと……」

  「耳を汚すか汚さないかは、俺が決める事だ。とにかく弾け」

  チヒロは過呼吸になりながら、ピアノを弾いた。

  リズムは狂い、ミスタッチをし、つっかえて、ボロボロの曲とは言えないような曲を演奏した。

  一曲を弾き終えた時には、背後から大きな落胆を窺わせる溜め息が聞こえて来た。

  それは学生時代からいつもの事ではあったが、相手がキースである事がいつもより切なかった。

  だが、遅かれ早かれ知られる事だっただけなのだと、自らに言い聞かせた。

  「腕前が超一流なのは、調律の技術だけか」

  「……すみません……」

  「構わん。今度から、お前に全て調律を任せる。部品の交換もこそこそしなくても良い。ラルフにも言っておく」

  「すみません」

  「何度も謝るな。謝れば謝る程、謝罪の価値が下がる」

  「……すみま……」

  キースは部屋から出て行ってしまった。

  ジャスティンの元へ帰るのだろうか。

  それとも、違う部屋のピアノを弾きに行くのだろうか。

  巫の耳を穢してしまった。

  あんなものを聴かせてしまい、キースの尊い神の力を磨耗させてしまったのではないだろうかと心配になる。

  チヒロは、これ程にあがり症である自分を疎ましく思った事はなかった。

  卒業出来ないかも知れないと言われた時も、それ程には思わなかった。

  もしもキースの前で緊張せずに、自分が奏でる最高の音を聴かせる事が出来たなら。

  例え貶されても悔いはない。

  そんな日が訪れる事は、これからもある筈はないけれど。

  [newpage]

  [chapter:物好きな黒兎4-①]

  キースにピアノを触らせて貰える許しを得た。

  それは、チヒロにほんの少しの安らぎを与えた。

  暇な時間があれば、ピアノを触る事が出来る。

  耳障りな音を出す訳にはいかなかったので、曲を弾く事はかなわなかったが、それでもピアノを愛で、触れて、ピカピカにして、綺麗な音を出すように整備はしてやれる。

  キースがいなければ、弾く事も出来る。

  もうドナルドに代わって貰う必要もなくなった。

  チヒロが鍵盤を磨いていると、部屋にジャスティンが入って来た。

  ジャスティンがピアノの部屋に入る事は絶対にない筈だった。

  キースがこの部屋に入る事を許しているのは、チヒロ以外にはドナルドしかいなかったからだ。

  「いい気にならないでよね。ちょっとピアノが弾ける位で」

  「ジャスティン様……」

  「せっかく発情期を迎えたのに!いつも、どこかに行ってしまうキースがいてくれてるのに!どうして、こんなウサギなんかを愛人にするんだよ!」

  「ちょっとお待ち下さい。キース様は、ちゃんとジャスティン様の為に城で……」

  「私の為だって言うなら、どうして交尾してくれないのさ!」

  キースはジャスティンと交尾していないと言うのだろうか。

  いくらキースでも、一昨日や昨日のように勃起していれば、あの後、ジャスティンと交尾したのだろうとばかり思っていた。

  「どうして、そんな……」

  「知らないよ!お前がヘタなピアノを聴かせるからだろう!キースは繊細なのに、お前がっ……」

  ジャスティンは、発情期もあってか興奮が治まらなくなっていた。

  それも、近くにいる夫に無視され、召し使いに当たり散らし、夫の側仕えを愛人だと曲解する程に分別を失っている。

  何とか誤解を解き、心身共に健康な状態で子作りして貰いたい一心で、チヒロはジャスティンを宥めようとした。

  嫉妬に胸が痛まない訳ではない。

  だが、さしたる才能も、美しさも、身分もない自分が、キースの愛人であると勘違いする程に、ジャスティンを追い込んでしまっていた。

  そんな有り得ない勘違いで、ジャスティンに苦しんで欲しくはなかった。

  「誤解です。ジャスティン様。キース様は、この度のジャスティン様の発情期の為におられるんです。芸術家でいらっしゃいますから、気紛れなのは大目に見て差し上げて下さい」

  「発情期が始まって何日経ってると思ってるの?こんなにグダグダしてたら、発情期だって終わっちゃうだろ!そしたら、次々に他の奴らが発情期を迎えちゃうのに!」

  「大丈夫です。オメガの発情期は、確実に妊娠しますから。キース様もきっと……」

  「……ピアノなんてなければ良いのに」

  ジャスティンの目は澱んでいた。

  キースに嫁いでから、一度も交尾して貰えた事がなかった。

  多産であるオオカミ一族の期待を受け、巫である公爵に嫁いだ事は、一族の誉だった。

  次代の巫を産むのはジャスティンだと、周囲には待望され、数年が過ぎた。

  お前は出来ない妻だと、実家からも貶され、不妊ではないかと一族の間にも噂が立ち。

  発情期の欲情を独り治めるしかない日々は、ジャスティンの精神を暗黒へと引き摺り下ろした。

  その心の奥底に、悪魔を住まわせてしまう程に。

  [newpage]

  [chapter:物好きな黒兎4-②]

  「ピアノなんて、なくなってしまえばいいんだ」

  「ジャスティン様?!」

  「こんな物があるから、私と交尾してくれないんだっ!」

  ジャスティンは壁際にあった大きな花瓶を持ち上げ、鍵盤に向かって叩きつけた。

  陶器の割れる音と、ピアノの悲鳴が辺りに木霊した。

  その音に冷静さを取り戻したのか、自らしでかしてしまった現実を目の前にして、ジャスティンの顔から血の気が引いていた。

  巫の器でもある楽器を汚しただろう大罪に、ジャスティンはたじろぎ、部屋から出て行ってしまった。

  チヒロはもう、ジャスティンを追う事をしなかった。

  早くピアノの修復をしなければ、という焦りに囚われていた。

  幸いな事に、ピアノの表面に目立った傷はなかったが、鍵盤から染み込んだ水はどうしようもなかった。

  水気を取り、フェルト部分や、交換出来る部分の交換をした。

  可能な限りの手を尽くした。

  だが、キースの耳はこれを聞き分けるのではないか、という不安は拭えなかった。

  調律師の腕前を見分ける耳を持っているキースに、微妙な音色の違いを覚られるのかと不安にはなったが、チヒロには出来る限り手を尽くすしかなく。

  だが、チヒロのそんな努力の甲斐もなく、部屋から出た後、ジャスティンがそれを台無しにした。

  発情フェロモンを撒き散らしながら、キースにしなだれかかり、甘えた口調で媚びていた。

  「駄目だよ。キース。あんな人にピアノを触らせてたら。裏でピアノに当たり散らして、花瓶の水をぶっかけてたんだよ?!僕は必死で止めたんだけどね」

  「チヒロが、ピアノに水をかけていたのか」

  「そうだよ!その内キースのピアノは全部壊されちゃうよ!あんな人は早くクビにしないと!」

  「ガーガーと喚くな。耳障りだ」

  キースは、自らの腕に絡むジャスティンの手を、叩くようにして払った。

  大柄なライオンの力に、ジャスティンはよろめいて床に崩れ落ちた。

  「もしそれが本当ならば、由々しき事態だな。公爵のピアノを汚したとあれば、死刑に等しい」

  「そ、そうだよね。早く、追い出さないと……」

  「だが、俺に隠れてまで裏で必死にピアノの調律をしていた奴が、急にそんな事をするかな」

  「そ、それは、キースが……」

  「俺が何かしたか?俺は、あいつにピアノの調律も、触れる事も、制限したつもりはない。……そもそも、花瓶の水だという事を知っているあたり、お前もその場にいたという事になるな」

  「そ、それは、あいつが水をかけるのを止めようと……」

  「ピアノのある部屋には、出入りを禁じていたと思うが。どうやって、チヒロが水をかけたのを止められるというんだ?」

  見つかる前に、チヒロへ罪を擦り付けようとしたのが裏目に出た。

  罪を偽りの真実で覆い隠そうとして、逆に自ら罪を白日の下に晒してまった。

  何かを言い繕うとすればする程に、辻褄が合わなくなり、ジャスティンは吃りが止まらなくなった。

  「馬鹿な事をしたな。お前のした事は、お前だけには留まらない。お前の一族も生きていく場所を失う事になるだろうな」

  「そっ、そんなっ!キース、ゆ、許して!私は、貴方の子種が欲しくて、だからっ……」

  「子供が欲しかったから、ピアノを壊そうとした?……お前は何を言っているんだ。気でも狂ったか」

  キースはジャスティンの腰を抱え上げ、迷う事なく玄関へと向かった。

  足跡一つない、白銀の世界が広がる外の世界に突き落とすようにして、その体を放り出す。

  ジャスティンは転がって、全身が雪まみれになっていた。

  「召し使いには知らせておいてやる。故郷に帰る為の、最低限の防寒具も与えてやる。お前に付いて行きたくないという者は、ここで雇ってやろう。……さて、ここを追い出されたお前に、どれだけの召し使いが付いて行くかな」

  無情にもジャスティンの目の前で、扉は閉じられた。

  ジャスティンは、いつまでも許しを乞い続けた。

  だが、どれだけ扉を叩こうとも、扉も、キースの心も、決して開かれる事はなかった。

  [newpage]

  [chapter:第三章・恋い焦がれる黒兎1-①]

  そうして全てが明るみとなり、ドナルドの今までの策略までもキースの知るところとなって、ドナルドはそれを必死になって取り繕う羽目になった。

  ジャスティンが追い出されたのには、明日は我が身とばかりに危機感が襲ったのか、それかなりふり構ってはいられなくなった。

  キースの城にも足を運びにくくなってしまったにも関わらず、発情期を迎えたドナルドは、チヒロを捕まえて、廊下の隅に連れ込んだ。

  「ねぇ!今度こそ、何とかキースの子供を授かりたいんだ。協力してくれるよね?!」

  「お世話はもちろんさせて頂きますけど、マタタビを仕掛ける、というのには賛同できません」

  「僕に逆らうって言うの?!」

  「ちゃんとキース様と想い合って、お子様を授かって下さい。この一時の事ではありません。奥方様として、これからも一生を共に過ごされるのですから、間違っても無理な交尾は……」

  「無理な交尾じゃなきゃ、どうやってキースがしてくれるっていうんだよ!綺麗事を言ってたら、永遠に交尾して貰えないんだ!もう良い!僕が自分でするから!」

  「ドナルド様?!」

  総じて発情期に入ったオメガは、極度の興奮状態になるので、ドナルドもまともな判断が出来なくなっている懸念はあった。

  ジャスティンも常軌を逸していた行動を取っていたが、キースに愛されてはいない鬱憤が、更に利己的な振る舞いを増長させていた。

  キースにそれを言うべきか。

  また、側仕えのウサギ如きが出過ぎた真似を、と言われてしまうだろうか。

  チヒロには、ライオンのアルファの生理は理解出来なかったが、その精力は他の獣人のそれを上回るものではあったので、ともすればドナルドの誘いを良しとするのかも知れない。

  獣人の床を整える時に、それとなくお声を掛けてみよう。

  キースには納得して交尾して貰いたい。

  それならば、チヒロも胸は痛んでも、快く世話する決意が出来る。

  そうして、キースの部屋に訪れた時には既に遅く。

  キースの目は、酩酊して虚ろになっていた。

  ドナルドは、夕食での食前酒にマタタビ酒を混ぜたのだ。

  食卓の皿をなぎ払い、床にも食事を撒き散らした惨状は凄まじいものだった。

  マタタビに弱いと聞いてはいたが、そのあまりの荒れように、チヒロは言葉を失った。

  キースは、テーブルに臥せっている。

  「キース、もうベッドに行こう?」

  「……違う……お前じゃない……」

  「僕はキースの妻だよ?ね、ベッドに……」

  「臭い。触るな。気分が悪い」

  「大丈夫だよ。キースも、ここ、その気になってるでしょう?ね?僕に子種をちょうだい」

  ドナルドは大柄なキースの肩を抱えようとしてバランスを崩し、雪崩れるようにして共に床に倒れ込んだ。

  慌ててチヒロが近寄り、キースの体を支えた。

  すると、キースは鼻をクンと鳴らした。

  「キース様、大丈夫ですか?」

  「チヒロ……」

  「横になられますか?立てますか?」

  「チヒロ、チヒロ……、チヒロ」

  キースがチヒロの存在を確認すると、その体に抱き付いていった。

  あれだけ尊大だったキースが、まるで子供のようにすがり付いて来る。

  チヒロの胸は、そんな見た事もないキースの姿に甘く疼いた。

  ドナルドと二人で立たせようとすると、キースはドナルドを払い除けた。

  「触るな。臭い。鼻が曲がる」

  「ぼ、僕はキースの妻だよ?!」

  「妻なんぞいらん。……出て行け」

  「キースっ……ちょっと、あぁっ!」

  ドナルドは激しく暴れたが、キースとの大人と子供程の体格差に抗う事すら出来なかった。

  キースは、その首根っこを掴み、投げ捨てるようにして廊下に放り出した。

  「キースっ!」

  「もう、ここに来るな」

  「なっ……」

  「実家に帰れ。その臭いには、吐き気がする」

  言い切った後、キースは扉を閉め、鍵を掛けた。

  事実上の夫からの三行半に、ドナルドは呆然としたまま廊下で立ち尽くした。

  [newpage]

  [chapter:恋い焦がれる黒兎1-②]

  ガチャリ、と扉に鍵を掛けた音が、妙に大きく部屋の中で響き渡る。

  どうしてドナルドを追い出したのか。

  何故、部屋の中にチヒロを残したのか。

  それを問いただす事は、チヒロには出来なかった。

  キースの目は、明らかにマタタビで酩酊していて、朦朧としている。

  それだけではなく、獣化が始まっているのか、顔面に毛が覆い、犬歯が尖るようにして伸びていて、改めてキースがライオンのアルファである事をまざまざと思い起こさせた。

  「キース……様。……駄目ですっ……」

  「こっちに来い」

  「間違えないで下さい!俺は奥方様ではありません!」

  「間違えたりなぞするものか」

  それはどういう意味なのかと思うより前に、チヒロはベッドへと押し倒されていた。

  二人分の重みを受けて、ベッドが沈み込む。

  キースの犬歯が目の前に迫り、ウサギ族であるチヒロの本能が全身を硬直させた。

  ベロリ、と唇を舐められ、それはまるで「口を開け」と催促されているような気がした。

  ヒュッと息を吸おうとした瞬間、キースの長い舌がチヒロの口内に滑り込んで来た。

  「あんぅ!んんぅ~!」

  「……チヒロっ……」

  強引なまでに荒々しく、チヒロの口内は蹂躙されていた。

  歯茎をなぞられ、頬の肉を削ぐようにして舐め、舌を絡ませる。

  キースの熱く激しい舌の動きについていけない。

  チヒロの口角からは唾液が溢れるようにして漏れたが、それすらも舐めて拭おうとする執拗さに、クラリと意識が遠退きそうになった。

  「お前は唾液すら、甘い……」

  「キース……様。……お願……い……もうっ」

  「もっとお前を舐めさせろ」

  食われてしまう。

  この獰猛なライオンに、噛み付かれ、息の根を止められてしまう。

  愛しいオス。

  チヒロの、心から求める愛しいオスは、今、紛れもなく自分に欲情してくれている。

  恐ろしいのに、でも嬉しい。

  マタタビが理性を失わせているのは分かっているが、それでも呼んでいる名前は、間違いなく自分の名だった。

  キースが服を引き裂くのにも、逆らう事は出来なかった。

  それは、キースの熱い唇がチヒロの首筋を這い回っていたからだ。

  時折、尖った歯が皮膚に当たると、ビクンと体が震える。

  ウサギの本能が、肉食獣の食欲を恐れている。

  チヒロは、手足に布地が残る以外、全ての布地を裂かれ、潜んでいた恥部までも露にさせられ。

  使われた事もないチヒロの男の部分である性器は、恐怖と期待に震え、勃起していた。

  それを見たキースの喉がグルルと唸る。

  そして、その陰嚢から持ち上げるようにして、ベロンと舐め上げられた。

  「やっ……、いっ、やぁぁぁぁぁ!」

  「甘い……」

  「あぁっ!あぁっ!いやぁ!ペロペロしたら、いやぁ!あんぅ!」

  「ペロペロせずにいられるか!これだけ蜜を溢れさせられて!」

  「キース様!キース、様ぁ!あぁっ~!」

  キースの大きな口が、チヒロのぺニスを飲み込んだ。

  敏感なそこを、口を窄めるようにして上下に扱かれる。

  尖った歯が擦るように触れると、噛み千切られるかと思うような恐怖も襲う。

  吸い上げられ、引き抜かれるかと思うような強烈な刺激に、チヒロは絶叫した。

  「いやぁ~!ダメぇ!……出ちゃ、出ちゃう~!あぁっ!あぁっ!いやぁ!」

  ジュポッ、ジュポッと生々しい音が自らの股間から聞こえて来て、チヒロの羞恥は限界点を越えてしまった。

  「やぁ~~~~っ!」

  下腹の奥底から込み上げて来る射精感に、チヒロは尻を激しく突き上げた。

  キースの口内にそれを突き立てるようにして。

  全解放されたその快感は、感じた事もない絶頂だった。

  最後の一滴までも溢さないとばかりに、キースの唇はチュウ、チュウとそれを吸い上げる。

  チヒロの全身は快楽に痺れ、キースの長い髪の毛が腰に触れるのですら、悦びに感じてしまう。

  チヒロはもう、その快楽に抗う事が出来なくなっていた。

  [newpage]

  [chapter:恋い焦がれる黒兎1-③]

  クチュ、クチュと自らの下肢から濡れた音がする。

  だが、チヒロの脳はそれをもういやらしいものだとか、恥ずかしいものだとか考える思考すらなくなっていた。

  体を折り曲げるようにして押さえ込まれ、自らの膝頭が顔の横に来ている。

  尻が浮き上がり、股を舐めるような くすぐったさや、時折、刺すような痛みすら感じる。

  それはキースの牙なのだと実感して、自らの押さえ付けている手を見ると、半分獣化しかかっているのか、鋭利な爪の生えた毛深い手が見えた。

  これ程に獣へと近付いているのなら、恐らく射精する本能しかなくなっている筈だ。

  それなのに。

  キースは、ひたすらにチヒロの体を解すようにして、舐め続けている。

  陰毛からペニスや嚢の部分だけでなく、一際むず痒い会陰部分、その尻孔、そしてチヒロの丸い尻尾まで、舐め倒している。

  そして尻孔を舌で抉るようにして開かれるのには、キースの獰猛なる肉食の欲望を感じていた。

  それでも、嫌悪感はなかった。

  チヒロの中のオメガの性か、キースへの焦がれて、焦がれて、溢れんばかりになった恋情からか、体も精神もその愛撫は涙が出る程に嬉しかった。

  その喜びに、チヒロのオスの部分も、メスの部分も、はしたない涎を垂らし続けている。

  「キース、様っ!キース様!あぁっ!そんなっ、……開い、ちゃうっ。あぁっ!」

  「グルル……」

  「いやぁ!……もう、ダメぇ!あぁっ!あぁっ!あぁっ!……きちゃ、う~!」

  チヒロの限界を察してか、キースは顔を離した。

  チヒロの体をコロンとひっくり返して、獣のポーズを取らせると、その蜜孔に指を挿入させて来た。

  オメガの肉洞は、オスを受け入れるものではあるので、快楽を感じると開き、蜜を溢れさせる。

  チヒロの未発達な尻も、オメガの淫蕩な性によってオスの男根を誘うようにしてパックリと開く。

  熱い何かが当たったと思った瞬間、その骨盤を裂くようにして太い肉棒が穿たれた。

  「あぁ、あぁ、……あぁぁぁぁぁ!」

  「グウゥっ……」

  「やっ、……おっき、い~!死んじゃ……う~!いやぁ~!」

  熱い丸太のような熱棒が、前後しながらチヒロの中を犯していく。

  ヘソを通り過ぎて、胃にまで到達するのではないかと思うような怒張は、それが全部入り込んだと察するのには、股にキースの下生えを感じたからだ。

  「全部……はいっ……た?」

  「チ……ヒロ……」

  「キース様の、……スゴい、おっきい……。……あぁ?!やっ、まだ、おっきくなっ……」

  その体内の陽物がグンッと更に延び上がったかと思うと、途端にズルリと引き抜かれた。

  そのカリの部分が引っ掛かるまで抜くと、ズンと大砲を押し込んで来る。

  チヒロが痛みを感じてはいないと察すると、その抽挿を思いのままに速めた。

  腰をぶち当てて来るような激しさに、チヒロは上半身をガクガクと揺らし息もままならない。

  それでも、キースのペニスが体内で快楽を求めようとしてくれるのが嬉しかった。

  愛されてはいなくても。

  例え本能のままだったとしても。

  メスやオメガの発情フェロモンが嫌で、その匂いのしないチヒロが、ただの捌け口であったとしても。

  今、チヒロを抱いているのは、間違いなく焦がれていた愛しいオスだ。

  子が成せる体なら良かった。

  そうしたら、その子を引き取って、どこか辺境でこっそりと生きていけた。

  この命の潰えるまで、偏屈なライオンの事を想いながら。

  愛しています。

  愛しています。

  貴方を。

  迷惑だと分かっているから、この想いは告げません。

  だから、もう少しだけ許して下さい。

  貴方の生命を受け止めるまで。

  チヒロの祈りのような願いは、キースには聞こえない。

  体の悦びだけを分かち合う。

  その肉の襞が踊るようにキュンキュンと蠕動し、キースのモノを搾るように締め付ける。

  チヒロのペニスの先端から快楽の息吹きが放たれた時、その尻奥も悶えるようにして達していた。

  引き千切られるような蜜壺の絶頂に、限界にまで昂ったキースの欲望も弾けた。

  それはライオンのオスらしい大量の精液であり、ドクドクといつまでも脈打ちながらチヒロの中を浸していく。

  その間も快楽を追うようにして腰を回され続けて、体内を撹拌するグチュン、クチュンという淫らな音が響き渡る。

  そうしてチヒロの意識が途絶えかけた瞬間、その後ろの首筋に肉を引き千切られるような激痛が走った。

  それが何の痛みなのか、朦朧としていたチヒロには理解出来なかった。

  [newpage]

  [chapter:恋い焦がれる黒兎2-①]

  チヒロが目覚めた時、そこにキースの姿はなかった。

  ただ愛液にまみれた自らの体と、情事の跡を残すベッドのシーツだけが、昨日の事は夢ではなかったのだと教えてくれる。

  キースが何のつもりでチヒロを抱いたのか。

  チヒロを抱いて、何を思ったのか。

  これからどうしたいのか。

  それを問いただす勇気が、チヒロにはなかった。

  ただ、ここにはいられない、という漠然とした未来だけは見えていた。

  王族でもなく、オメガとしても役立たずなチヒロには、キースの妻になるという権利もなかったし、また、このまま側仕えとして残るのも気が引けた。

  キースの子種は、妻達に注がれるべきものである。

  チヒロは、ただの主の気紛れでお手付きになってしまっただけの事だ。

  その巫という稀少な存在であり、交尾をしたがらないキースの発情を向けれるべきは自分ではない。

  まさか、不妊であるチヒロが妊娠してしまうような事はないとは思うが、この事実が明るみになれば、必ずその軋轢は妻達とのいさかいの元となるだろう。

  それは、この[[rb:項 > うなじ]]に刻まれた証あかしにあった。

  キースの妻達の誰一人として、番としての証を与えられた者はいなかった。

  例え極度の興奮状態から、誤って噛んでしまったにしても、アルファの付けた番の証は絶対に消える事はない。

  キースが初めて選んだ番が側仕えのウサギだったなどという事実は、ラヴィールーザの最高位である公爵として、汚点にしかならない。

  これを妻達に知られる訳にはいかなかった。

  知られる前に立ち去ろう。

  可能な限りの仕事にキリを付けて、ここを去る。

  兄のチトセの足が完治していれば、入れ替わりに戻ると告げれば良いだけの事だ。

  だが、チヒロは例え村に帰っても、もう誰の元へも嫁ぐ事は出来ない。

  子供の産めないオメガでも、愛する者と出会えれば、結ばれる可能性もあっただろう。

  だが、子供が産めない体の上に、他のオスの印を首に持つチヒロを、誰が貰ってくれるというのか。

  また、チヒロ自身もキースに番の印を刻まれ、番の呪縛に囚われたまま、他のオスに抱かれる事は死を意味する。

  せめて、キースの子種がずっと体内に残っていれば良いのに。

  チヒロはキースの物であろうガウンを羽織って、ピアノの前に座った。

  この城で曲を奏でるのは最後かも知れない。

  チヒロの全神経が研ぎ澄まされ、指先から光が放たれるようにして鍵盤を弾いた。

  ピアノの奏でる音が、光を伴って空気中に分散する。

  そんな感覚は、チヒロも初めてだった。

  それはまるで、巫の力に満ちたような、神々しい音の洪水だった。

  [newpage]

  [chapter:恋い焦がれる黒兎2-②]

  とにかく5台あるピアノの点検だけは終えて去りたかった。

  ただの愚図なウサギに、調律の全てを任せると信用してくれたキースには申し訳が立たなかったが、それでも最後くらいは丁寧な仕事をしてから去りたい。

  それから、執事のラルフを筆頭に、影で手助けしてくれた召し使いの皆にも、礼をして回りたかった。

  チヒロがいち早く、この城での仕事に慣れたのには彼らの助言があってこそではあったし、出来れば彼らとキースの仲を取り持ってから去りたかったが、それが叶わなかったのだけは残念だった。

  そうしてチヒロがピアノのチェックに回る途中、廊下でばったりとアデルに出会った。

  キースの城には、ドナルド以外は発情期を迎えなければ訪れる事は許されない。

  アデルがここにいる、という事はアデルもまた、発情期を迎えたのだと理解した。

  「ご苦労な事ね。チヒロ」

  「アデル様、発情期を……」

  「迎えたわ。今回は絶対に交尾するつもりだったし、出来る自信もあった。ここのところのキースとのセックスも激しかったし、次は子種を貰える確信もあったから」

  キースが一番に愛しているのはアデルだ。

  それを何度も、何度も、チヒロは呪文のようにして、心の中で唱えた。

  迂闊な事を口にしてしまわないように。

  項にある番の印は、アデルからは見えない。

  幸いな事にチヒロの襟足の毛と、詰め襟の服がそれを隠してくれている。

  それでも、チヒロの額からはジワリと汗が滲み出していた。

  「キース様も、麓からお帰りになられましたら、お喜びになられるかと……」

  「それはどうかしら?」

  「は?」

  「貴方、キースとセックスしたでしょう。貴方の体から、キースの匂いがするわ」

  アデルは、鼻の良い王族のアルファだ。

  その上に、今現在、発情期を迎えていて、そのオスへの渇望を極めていた状態だからこそ、チヒロの体に残されたキースの痕を嗅ぎ当ててしまった。

  「チヒロ、貴方、確か子を成せないオメガだと言ったわね。それなのに、妻達を差し置いて、キースから子種を貰ったの?」

  「……すみません……」

  「まぁ、フェロモン嫌いのキースなら、獣化する前に適当な相手を捕まえて性欲を晴らす事も有り得るかも知れないけど。今は貴方の存在は困るわね」

  「……出ていく準備はしています。きちんと身辺整理を終えたら、すぐに故郷へ帰ります」

  「そうしてくれると助かるわ。他に気が散っても困るから。……もしも、貴方が妊娠可能なオメガなら、キースから別の棟を頂いて、四人目の妻としてここに残るのもありだったんでしょうけど」

  「滅相もごさいません!ウサギ如きが、音神である公爵様の妻になるなどと……」

  「そうね。ちゃんと自分の立場を弁えているのなら、キースに会わないでここを立ち去ってちょうだい。私達の蜜月を邪魔されたくはないから」

  チヒロは深々と頭を下げてから、ピアノの部屋へと入って行った。

  今日からキースとアデルが交尾する。

  それも義務や、突発的な欲望ではなく、愛のある交尾を。

  その前に、ここを出よう。

  チヒロは惜しみながらも、ピアノの1台、1台に最後の別れを告げた。

  [newpage]

  [chapter:恋い焦がれる黒兎2-③]

  キースが麓での巫としての仕事を終えて帰って来ると、玄関で出迎えたのはチヒロではなく、メスのフェロモンを爆発させたアデルだった。

  アデルは、悩ましく尻尾を揺らしながらキースへと抱き付いて来た。

  「待ってたのよ、ダーリン。今日から交尾しまくりましょ。いつもより、激しくして、ね?」

  「発情期が来たのか……」

  キースは眉間にシワを寄せながら、アデルの腕をほどき、リビングへと入って行った。

  仕事の疲れだけではない疲労感に襲われ、キースはソファーへと沈み込んだ。

  それにも構わず、アデルは その膝の上に横座りして来た。

  アデルがキースにキスをしようとすると、顔を背ける。

  キースの下肢を刺激しようとして、アデルが腰を揺らすと、更に眉間のシワが深くなった。

  「……舐めてあげましょうか?キース」

  「いらん」

  「今回なら、きっと交尾出来るわよ。私達はこんなにも、体の相性が良いんだし、最近は特に気持ち悦かったんでしょう?貴方、朝まで勃起が止まらなかったじゃない」

  アデルが誘うようにして腰を擦り付けても、キースの雄は何の反応も示さなかった。

  そのあまりにも無反応な様に焦りを覚え始めたアデルは、キースのスラックスの上から揉むようにして触れて来たが、キースが眉間にだけではなく鼻の頭にもシワを寄せ始めたので、その手を引っ込めざるを得なかった。

  「貴方……まさか、チヒロを妻にしたいの?」

  アデルの問いに、キースは無言だった。

  その表情に感情は見えなかったが、アデルのメスの直感が働いた。

  「子供の産めないオメガに無駄な種付けはしないで。貴方は公爵なのよ」

  「……分かっている」

  「それならチヒロを実家に帰して。発情期の妻をほったらかしにするような真似は、まさかしないわよね?」

  アデルはキースのボタンを一つずつ外し、前見頃を開いていく。

  その筋肉の盛り上がった胸板に、アデルは噛み付くようなキスをした。

  キースの白い胸に、アデルの噛み痕と、口紅の赤が、鮮明に浮かび上がっていた。

  最後のピアノの点検を終えると、そこにはドナルドが立っていた。

  今はキースが一番お気に入りであるアデルの発情期に入った事から、他の妻達は城への出入りが禁止されている筈だった。

  ライオンのアルファであるアデルとキースを取り合うのには、他の獣人達からすれば命を奪われるかも知れないというリスクがあるからだ。

  それを差し置いてでも押し掛けて来る程に、妬みのようなものがトグロを巻いて、ドナルドを駆り立てていた。

  「アデルと話してた時、キースと寝たって言ってたけど、それ本当なの?」

  「……ドナルド様……」

  「同じオメガなのに!僕の方が才能もあるのに!どうしてウサギなんかっ!」

  「お待ち下さい。あれは、その……たまたまキース様が欲情なさっておられる時に、俺がタイミング悪く出くわしたんです。……それは、本当に事故のようなものなので……」

  チヒロは、ドナルドに言いながら、自らにも言い聞かせていた。

  この現実を直視しろ。

  何をどうしようが、自分には希望はない。

  何よりもキースの妻達に知られないようにすべきだと思っていたのなら、全てを放置して、早々に立ち去れば良かった。

  自分がグズグズとしていたがばかりに、ドナルドに知られるまでに至ってしまった。

  「多情なウサギが、キースを惑わせたか!この淫乱がっ!お前もどうせ、王族の性奴隷として遣わされて来たんだろうが!」

  ドナルドの言葉が、刃のようにしてチヒロの胸へと突き刺さる。

  それは、ウサギのオメガとしては、最も辛い言葉だった。

  [newpage]

  [chapter:恋い焦がれる黒兎3-①]

  淫乱なウサギ。

  ドナルドがそう蔑むのには、理由がない訳でもなかった。

  ウサギのオスのベータはまめまめしく働く、という以外にも、ウサギ族には特化した部分があった。

  ライオンやタイガーなどの獰猛な猛獣の、性欲を煽る習性がある。

  それは、食欲と性欲の両方から刺激する、ウサギ族の特性だった。

  小柄で色白で愛らしく、快楽に溺れ易い事から、囲い者にされる事も多く。

  メスはもちろん、オメガともなれば、子供を欲しがる権力者にも需要があった。

  好事家の王族などは、多くのウサギを抱え、ハーレムのような暮らしをしている者もいる。

  チヒロの村でも、何獣人かの行方不明者がいたが、事実、獣人買いに誘拐され、富裕層に売られている事も多かった。

  だからこそ、ウサギ族のメスやオメガは愛に殉ずる事に憧れ、一人に尽くしたいと思う気持ちを強く持っていた。

  この淫らな肉欲に流されず、愛する獣人と生涯を終えたい。

  愛してもいないオスに抱かれ、悦ぶ自分には堪えられない。

  ウサギ族だからこそ、チヒロもドナルドの痛烈なウサギへの蔑みには、胸が苦しくなる。

  「だからキースには、ウサギを雇うなと言ったのに!お前達兄弟して、体でキースを貶めようとするなんて!」

  「兄弟……して?」

  「お前の兄も、キースの妾だったんだよ!キースはチトセといたら、他の妻達を蔑ろにするんだ!チトセとのセックスに夢中になって!」

  チヒロは息の根が止まりそうになった。

  そんな話は聞いた事もない。

  兄は職務に堅実な側仕えであり、その確固たる仕事へのプライドから、キースへの恋情を抱く筈もなかった。

  キースもまた、兄の有能さは買ってはいたが、情愛のようなものを含んでいるようには思えなかった。

  「淫乱なウサギがっ!子供も産めないオメガのくせに!キースを籠絡しようとする悪魔め!出ていけ!この疫病神!」

  ドナルドはいつも以上に片眉だけを吊り上げ、狂ったようにして涎を撒き散らしながら怒りを爆発させて、去って行った。

  音の神である公爵の奥方様に、あんな事を言わせてしまった。

  仕える者としては失格だ。

  だが、今はそれよりも兄の存在が重くのし掛かっていた。

  キースが妻達をどう思っているか、そんな事よりも、もっと。

  兄がキースに愛されていたのかも知れない[[rb:現実 > リアル]]が。

  もしかしたらチヒロが抱かれたのにも、兄の身代わりだったのではないかという疑念が湧いた。

  キースはチヒロの尻尾を見て、驚いてはいた。

  兄の尻尾も、同じように丸い。

  それはもしや、その尻尾が白ではなかった事への驚きだったのだろうか。

  愛でていたオスの白い尻尾ではなかったが、ウサギの魅惑的な誘いに、抗えなかったのか。

  愛されていたのは、兄だった。

  チヒロは聞きたくもなかった事実と、積み重ねられた心労により、その心はズタズタに引き裂かれ、自虐的になっていた。

  どうせ無能なオメガなら、生まれて来なければ良かった。

  生まれながらにして生命力の弱いウサギは、子供の内に命を落とす事も多かったが、何故、自分は生き残ってしまったのか。

  黒い雪ウサギは、生まれて来てはならない。

  淘汰されるべき存在だった。

  チヒロは一刻も早く、ここを離れたかった。

  早く離れなければ、自我が崩壊する。

  どれだけ愛しても愛されない。

  そしてこれからも、決して愛される筈もない、運命の番であるオスの元から去る。

  チヒロの中のあらゆる感情が弾け、それはもう心的にも飽和状態だった。

  [newpage]

  [chapter:恋い焦がれる黒兎3-②]

  チヒロは、ここに来た時に持ち込んだ衣類などの最低限の物だけをカバンに詰め込んだ。

  だが、たった一つ、これだけは置いて帰る事は出来なかった。

  キースがチヒロの為にと用意してくれた『遊び用』のスリッパ。

  絶妙な薄さと噛み心地で、チヒロも我を忘れる程だった。

  これはチヒロ以外、何の用途もなさない、安物の室内履きだ。

  それもチヒロが噛んだ痕もあるし、こんな物を返せと言われる事はないだろう。

  チヒロは、そのスリッパをカバンの隅に押し込んだ。

  その唯一の持ち物であるカバンを抱え、部屋を出ようとした時。

  その道を塞ぐようにして、キースが立っていた。

  慌てて来たのか、その服装も乱れていて、息も荒く興奮している。

  だが、興奮していたのには別の理由もあるのは明白だった。

  キースの乱れたシャツの下には、赤い口紅の痕や、吸われ、噛まれた痕があちこちに残されていた。

  アデルと睦み合っていた直後に、ここへ来たのだ。

  「ラルフから聞いたぞ!出て行くとは どういう事だ!チヒロ!」

  「ちょうどおいとましようと思っていたところです。退職願いを書く必要もありませんね。今日でここを辞めさせて頂きます」

  「俺は認めないぞ!ウサギの分際で、公爵家の仕事を放り出すつもりか?!そんな勝手な真似は許さん!」

  「可能な限りの後始末はしました。もう、俺は懲り懲りなんです。貴方に振り回されるのは」

  キースは我が儘で、尊大で、傲慢だったが、その奥底には思いやる気持ちがあると信じていた。

  単なる側仕えのチヒロにも、最高級品の物を与え、あんなにも無惨なお手前であるピアノを聴かされながら、それでもピアノに触る事を許してくれた。

  ただ感情表現の下手な人だったという事を知り。

  チヒロの中で『愛』という小さな種が芽吹き、花開いた。

  だが、そんな淡い恋心も、今は暗い絶念に打ち消されてしまった。

  「もう、子作りしようとしない我が儘な貴方に、かしずくのには疲れたんです。義務だと思って、奥方様達に交尾をしてあげて下さい。アデル様をお気に召しておられるのなら、アデル様の受精する期間にちゃんと交尾してあげて下さい」

  「アデルを愛してなんぞいない!アデルを愛した事など一度もない!」

  「そう言いながら、貴方はいつもアデル様とベッドを共にしていたじゃないですか!何故、そんなにも愛しておられながら、俺なんかを抱いたんですか!それも、番の証なんかつけて!」

  物珍しい黒ウサギとのセックスで興奮したが故の過ちだったか。

  もしくは、兄の身代わりだったのか。

  そうだとすれば、キースの発情フェロモンが嫌うのにも納得がいく。

  キースは、メスはアデルでなければ抱こうとはしない。

  ただ単に性欲を晴らすのには、発情フェロモンの匂いがしないオスの方が都合がいいのだ。

  兄はベータではあるから、メスのように臭い匂いを発する事はない。

  多くの妻を持つ王族のアルファは、貞節に縛られない。

  どれだけチヒロがその純愛を捧げようとも、キースが何獣人もの番を持つのも当たり前だからだ。

  「俺は……チトセじゃない……」

  「何だと?!」

  「俺はあんたの愛人のチトセの代わりなんかにはなれない!そんなにもチトセが良かったんなら、俺が帰ったらチトセに伝えてやるよ!キース様が兄さんの帰りを待ってらっしゃる、ってな!」

  チヒロはキースに体当たりするようにして、部屋から飛び出した。

  フワリとキースの体臭の中に、アデルのメスの匂いを感じる。

  もう限界だった。

  誰かのものであるキースの側にいるのには、チヒロの精神が堪えられなかった。

  [newpage]

  [chapter:恋い焦がれる黒兎3-③]

  城を飛び出すと、そこは一面の銀世界だった。

  本来の雪ウサギは白銀の雪を踏み鳴らすのが大好きだったが、キースの城を訪れてから、チヒロは外にほとんど出る事もなかった。

  真新しい雪を自分の足で踏み潰していく感覚は、快感だった筈だ。

  だが、今はそんな喜びすらも感じられない程に、心が嘆き、悲鳴を上げていた。

  こんなにも愛する人に出会えたのに、それが成就する事はなかった。

  どんな人生の選択をしようともキースと結ばれる運命は開けない。

  馬鹿なウサギの勝手な片恋を告げたとしても、ラヴィールーザの五大公爵であるキースがその心を明け渡す筈もない。

  例え他に愛する者がいても。

  チヒロは、それでもキースを愛していた。

  何度も、何度も、諦めようとして、もがき、それでもこの愛を切り捨てる事が出来なかった。

  決して許される筈もないのに、キースを受け入れた時の感動は、至福のものだった。

  まるで愛されているかのような熱い抱擁や愛撫に、チヒロは悶え悦んだ。

  あの瞬間に命を断てば、絶頂の幸福の中で死ねただろう。

  「キース……様ぁ……」

  お慕いしていました。

  心から、貴方の全てを。

  チヒロは、やっとそれを口にする事が出来た。

  雪景色が全ての。

  誰も聞いてはいない。

  物音一つしない、無音の世界の中で。

  そして、その時。

  チヒロの下腹が熱く脈打った。

  ドクドクと、熱い血の奔流が下肢から全身を駆け巡った。

  こんな感覚は初めてだった。

  体温が上昇し、陰嚢から燃えるように何かが込み上げ。

  尻奥の、感じた事のない部分から、ジュワッと熱い飛沫が溢れるようにして。

  尻孔が濡れるような感覚があった。

  まさか、発情期をこの年で迎えたのかとチヒロも気が動転した。

  もしもチヒロの子宮が機能しないのではなく、何らかの原因で眠っていただけだったのだとしたら。

  巫の力を持つキースのピアノで、癒されたのだとしたら。

  こんな場所で発情してしまえば、どうなってしまうのか。

  チヒロは自らに発情期が来るとは思ってもみなかったので、抑制剤を持ち歩く事はしなかった。

  ウサギの発情フェロモンは濃い。

  それを嗅ぎ付けられたら、無事ではすまされない。

  チヒロの故郷の村までは、歩いて半日。

  馬を使えばもっと早くに着くが、この深い雪の中で、馬がどれだけ堪えられるのか。

  そして、馬を買うにも借りるにも、こんな体の状態ならば、襲ってくれと言わんばかりだ。

  例え時間が掛かっても、遠回りして獣人里の少ない裏道から帰る他ない。

  だがもしかしたら、もう、故郷へは生きて帰れないかも知れない。

  発情したオメガが、抑制剤を飲まずにオスの群れに放たれれば、貪り尽くすように犯される。

  そして、もしも獣人に捕まり、その餌食になれば、番の証を刻まれたチヒロは狂ってしまうだろう。

  チヒロは、『絶望』という名の闇に堕ちていた。

  [newpage]

  [chapter:恋い焦がれる黒兎4-①]

  焦るチヒロのこめかみに、汗が流れ落ちる。

  チヒロの生まれ育った村まで、まだ半分も歩いてはいない。

  獣人里を避けて、山道や獣道を通っているので、予想以上に時間も掛かるし、かなりの悪路もあった。

  そしていつの頃からか、妙な違和感を察知していた。

  何度となく、付けられているかも知れないと感じる事があったが、その度にウサギの脚力で撒くようにして何とか逃げ切った。

  山小屋というには荒れ果てた家らしき場所を見つけ、そこで休む事にした。

  その見るも明らかに誰も住んでいないと判るあばら家は、窓枠や扉も歪んで、すきま風が入り込んで来る。

  それでも、降り始めた雪を凌ぐのには、贅沢を言ってはいられなかった。

  チヒロが暖炉に火を灯し、暖を取ろうとした時、入り口の扉を壊さんばかりにして、数人の獣人達が入り込んで来た。

  「やっと落ち着いてヤれる場所に辿り着いたな。流石にこの雪の中では外でヤれねぇからなぁ」

  「おい、可愛くない巨大な黒いウサギって聞いてたけど、見た目は可愛いじゃねぇか。御主人様よりはよっぽど勃起するぜ」

  「それもそうだが、……堪んねぇ匂いだな。嗅いでるだけで、射精しちまいそうだ」

  見た所、その三獣人のオス達は、ヤマネコ、キツネ、ジャッカルのベータのようであった。

  どこから付けられていたのか。

  何度か怪しいと思った時はあったが、撒いて逃れられたと思っていた。

  「俺達は別々に追ってたからなぁ。どこか落ち着ける場所にお前が留まるのを待ってたんだよ」

  「そんなっ……」

  「俺達の主人がさ。犯すか殺すかしたら、一生暮らせる程の褒美をくれるって言うからよ。どうせなら楽しんだ方が良いだろ?淫乱なウサギのオメガが、せっかく発情してくれてるってのにさ」

  「主人って」

  「まぁ、もうどうせ会う事もないから言っちまうけどな。ドナルド様だよ。俺らはドナルド様の城で働いてたんだ」

  ドナルドの差し金で、オス達に付けられていた。

  普通の状態ならば逃げ切れたかも知れないが、発情したフェロモンが足跡を残してしまい、易々と追尾を許してしまっていた。

  「へへへ……それにしても良い匂いだなぁ」

  「公爵様の愛人らしいからな。上玉だぞ。さぞかし具合もイイんだろうな」

  「お前ら、押さえ付けろ!」

  部屋の奥にいたチヒロの退路はなかった。

  飛び掛かってきたジャッカルのオスに背後から乗っ掛かられた。

  腕を前に回され、衣服の合わせ目から服を引き裂かれる。

  腕に絡まった服がチヒロの自由を奪った。

  左右から肩を押さえ付けられ、ジャッカルがチヒロのスラックスを下着ごと引き下ろす。

  まろみを帯びたフワリとした黒い尻尾が現れて、オス達の喉がゴクリと鳴った。

  その尻尾を掴み、腰を上げさせると、チヒロの蜜孔が露になった。

  そこは発情期の甘い糖蜜に濡れていて、オスを誘う孔に変貌していた。

  「スゲェ……こんな匂い、初めてだ……」

  「やっ、……嫌だっ!……離せっ!」

  「舐めてくれって誘ってやがるぜ」

  「やっ、……いや……いやぁぁぁぁぁ!」

  オスのザラついた舌が、チヒロの陰嚢から尻孔までをベロリと舐めた。

  その瞬間、全身に悪寒が走り、ザワリと鳥肌が立ち。

  チヒロは喉が裂けんばかりに絶叫した。

  [newpage]

  [chapter:恋い焦がれる黒兎4-②]

  チヒロはがむしゃらに暴れようしたが、三獣人のオスに両肩と、ふくらはぎを膝で踏みつけるようにして押さえ込まれていて、まるで身動きが取れなかった。

  暴れれば暴れる程に体温が上がって、よりフェロモンを放ち、尻を誘うように振ってしまう。

  「いやっ、やだぁ!やっ!……いやぁ!」

  「嫌だって言っても、ここはオスを欲しがってるぜ。舐めれば舐める程、溢れてきやがるっ」

  「ひいっ、……やっ、あぁぁぁぁ!」

  ピチャッ、ピチャッ、と舌が舐め上げる音と、ジュルジュルッと吸い上げる音がする。

  ジャッカルの長い舌先がチヒロの蜜孔から溢れる淫液を求めて、窄まりを抉じ開けようとして、その入り口をヌルヌルと弄りまくる。

  こんなにも嫌なのに、体が言う事を利かない。

  脳が激しくオスを拒絶していても、体が心地好く感じて、オスの舌を求めてしまう。

  ウサギの淫蕩な性なのか、発情期のせいなのか分からない。

  だが、その舌から逃れようとしても、悦んでいるように孔をヒクヒクとさせ、尻を揺らしてしまう。

  右肩を押さえているヤマネコが、チヒロの襟足の毛を掻き分けた。

  「おい、こいつ、番がいるぞ」

  「そりゃ公爵の愛人なんだから、飼われてたんだろ?」

  「だとしたら、ヤっちまったら狂い死にするんじゃねぇの?」

  「いいだろ。殺しても良いって言われてんだし」

  「まさか、キース公爵の奥方様じゃないよな?だとしたら、逆に俺達の方が殺されるぞ?」

  「まさか。ウサギが奥方様の訳がねぇよ」

  ウサギが奥方の訳がない。

  こんなにも淫らな性を持ち、こうして他のオスに犯されようとも、それを悦んでしまう体を持つオメガが、音の神である公爵の妻になんぞなれる訳がない。

  だとしたら。

  ここで犯されて死ぬのは、自分にとって相応しい最後なのかも知れない。

  淫乱なウサギは、その性に流され、オス達に陵辱されて絶命する。

  ここから抜け出す術がないのなら、それからは逃れられない。

  チヒロは絶望感に力が抜けてしまい、尻肉を緩ませてしまった。

  「あぁ……んっ!あん!」

  「うぉ!尻が急にパックリ開きやがった!スゲェ、蜜が溢れて来た!」

  「はあぁ、……あうぅ!んんぅ!」

  ジャッカルが貪りつくようにして鼻先を突っ込んで来て、その甘い汁をジュルルっと吸うと、他のオスも鼻息を荒くする。

  そしてオスの舌が、チヒロの体内にグニュリと中にめり込んだ瞬間。

  大きな爆音と共に、吹雪が舞い込んで来た。

  チヒロを押さえ付けていた手が離れ、体が軽くなる。

  オス達の壮絶なる悲鳴が響き渡り、チヒロはそれを呆然と見つめていた。

  喉を噛みきられ、血飛沫が飛び、体を壁に叩き付けられ、断末魔の叫びが最後に轟き。

  全ての制裁を終え、静寂が訪れた時。

  チヒロの視線の先には、ライオンのオスが血濡れた牙を剥き出しにして、威風堂々と立っていた。

  雄々しい[[rb:鬣 > たてがみ]]を靡かせたその獣は、天井に向かって咆哮を上げた。

  「キース……様……」

  ライオンは近付いて来ると、額をチヒロに擦り付けて来る。

  その体臭は、紛れもなくキースのものだった。

  チヒロの瞳からは、大粒の涙が溢れていた。

  止めどなく。

  まるで涙腺が壊れてしまったかのように。

  だが、チヒロの涙を止めてくれたのは、目の前の愛するオスではなく、全くの部外者からの声かけからだった。

  「チヒロ~。大丈夫か~」

  「れ、レオン様?!」

  「無事だったか?遅かったか?!」

  「ぶ、無事です……多分」

  「そうか、良かった~。……おい、コラ。この偏屈ライオン。お前が近寄ったらチヒロに血が着くだろ。ちょっと来い」

  レオンはキースの鬣を掴んで外へと連れて行き、雪で血を洗うようにしてから、タオルで丁寧にその口を拭いてやった。

  そして散々な状態のチヒロは、コソコソと慌てて着替えようとしたが、キースの目線だけはそれを逃さず、食い入るようにして見ていた。

  尻尾だな、と勘付いて、チヒロがそれを隠すようにすると、グルッと咎めるような唸り声が聞こえた。

  チヒロが着替えを終えた途端に、キースが駆け寄り、まとわりついて来た。

  2メートルを越える大きな猛獣が子供のように懐いて来る姿に、チヒロはほだされてしまう。

  その豊かな鬣に顔を埋め、抱き付くと、キースも穂先の付いた尻尾を優雅に揺らし、喉を鳴らす。

  初めてわだかまりなく、触れ合えた気がする。

  チヒロは、その喜びに胸が弾けそうになった。

  [newpage]

  [chapter:恋い焦がれる黒兎4-③]

  「確かにスゴいな~。チヒロのフェロモン。俺も自分の番の事を考えてないとクラクラくるわ」

  レオンがフンフンと鼻を鳴らし、あっけらかんとして言うと、キースが途端に威嚇し始めた。

  公爵同士の争いは、血で血を洗う激闘となる。

  チヒロは慌ててキースの首にしがみついた。

  「キース様!ドウドウ!大丈夫ですよ~。あれはレオン様の社交辞令ですよ~」

  「まんざら社交辞令でもねーんだけど」

  「もう!余計な事を言わないで下さい!貴方達が闘いだしたら、俺は止められないんですから!」

  「キースとは闘った事があるぞ。学生時代に」

  「えぇ~っ?!」

  「初対面で妻にしてやるとか、全校生徒の前でぬかしやがったから。講堂で獣化して闘いになって、後で先生にめちゃくちゃ怒られちまったよ」

  「とんでもない学生時代の思い出ですね……」

  チヒロがレオンとばかり話しているのが面白くなかったのか、キースがその袖の端を噛んで引っ張った。

  この獣人は、どうしてこうも獣になると愛らしいのか。

  普段から こうして素直にしていれば良いものを。

  そう考えて、それがライオンの姿になる事で、キースの毒舌を封印されているからなのだと気が付いた。

  「貴方は口を開かなかったら、可愛い方なんだと、初めて知りましたよ。どれだけいつも毒々しいんだか」

  「ガウッ!」

  「怒らないで下さい。本当に助かって、感謝してるんですから」

  「グルル……」

  「追って来てくれたんですよね?ありがとうございます」

  「グウッ!」

  「やですよ。こんな所で何言ってんですか。馬鹿言わないで下さい」

  「……チヒロ。キースの言う事、分かんのか?獣化してんのに」

  「……あ、本当だ」

  言葉が『分かる』というよりは、言っている意味を『感じる』という感覚に近かった。

  そう言うと、レオンは納得がいったようにして、ニヤリと笑みを浮かべた。

  「キースはな。獣化した時は、絶対に喋ろうとはしねぇんだ。感情が駄々漏れになるからな。だから、巫の力でチヒロに伝えてんだろ?……こいつ、本当にチヒロに惚れてんだな」

  「そう、なんですか……」

  キースがレオンにガウガウと文句を言っていた。

  『余計な事を言うな。自分の気持ちは、ちゃんと自分から伝えたかったのに』と。

  チヒロは、それが例え獣であるキースの言葉であっても嬉しかった。

  その鬣に顔を埋め、溢れさせた涙は、キースにも伝わっていたのか、グルグルと喉から甘えた音を鳴らしていた。

  パタパタと揺れる尻尾が、愛しくて堪らない。

  キースがチヒロの尻尾を舐めまくっていたのを思い出して、今なら その気持ちが何となく分かるような気がした。

  [newpage]

  [chapter:愛に満たされる黒兎1-①]

  キースは、チヒロが出て行った後、己が行動の愚かさを悔いた。

  どうしてもっと大切にしてやれなかったのかと。

  優しい言葉の一つもかけてやれなかったのかと。

  だからと言って、あれだけの拒絶をされた後だけに、チヒロを迎えに行くのには躊躇いがあった。

  思いあぐねていると、コソコソと城の隅で覗き見るドナルドを見つけ、捕まえた。

  アデルの発情期である期間に、城へ出入りが許されない筈のドナルドが、何故、危険を侵してまでここにいるのか。

  その理由を問いただし、怒りを爆発させた。

  ドナルドが追うなと止めるのも構わず、それを振り切って獣化し、雪原を走り抜けた。

  チヒロが残しただろう足跡や、空気中に漂う匂いを拾いながら、その後を追い続けた。

  雪がそれほど締まっておらず、風もほどよく凪いでいたのが幸いして、チヒロの体臭を辿る事が出来た。

  途中からチヒロの残り香に発情フェロモンが加わって、他のオスの匂いも同じように追っているのを察知して、焦りを覚えた。

  偶然にもキースの城へと向かっていたレオンと出会い、チヒロを窮地から救う事が出来たのだった。

  連れて帰ろうとするキースに、チヒロは躊躇いを見せた。

  自分がキースに想われているのは分かっている。

  その番の証も、キースの気紛れで付けられたのではない事も。

  だが、あの妻達がいる城に帰るのには体が拒絶した。

  そんなチヒロにレオンが「完全なる獣化を遂げたキースを元に戻すのには、俺が闘わなきゃなんねーんだけど」と脅しのような説得をされ、気が付いたらキースの背中に乗って、帰路についていた。

  レオンがチヒロを自分の馬に乗せようとすると、それにはキースが鼻にシワを寄せて嫌がった。

  番の発情期に他のオスと相乗りするなど以ての外と、チヒロを自分の背中に乗せるように命令した。

  チヒロも天下の公爵殿下の背中に跨がるのは畏れ多いと徒歩を希望したが、当然の事ながら却下された。

  キースの背に乗っている事で、近道である道が舗装された街中の大通りを通っても、発情期を迎えているチヒロに手出ししようという蛮勇はいない。

  それどころか、あの偏屈公爵と名高いキースが、番を背に乗せ、同じ公爵であるレオンを従えての堂々たる歩みには、手を組んで拝む者までいた。

  近頃では、麓の寺院や、公の講堂でしか演奏をしなかったキースだったので、その姿を間近で見せる事も少なかったし、ましてやライオンでの姿ともなると人前に晒した事はほとんどなかった。

  その神聖なる姿に、獣人達は羨望の眼差しを送っていた。

  城に帰ると、ドナルドが慌てた様子で出迎えた。

  あくまでも自分はチヒロを引き留めようとしたのだと。

  チヒロが勝手に飛び出したのだと、その正統性を訴えていた。

  キースは獣化していて口は利けなかったが、代わりにレオンがドナルドを問い詰めた。

  「チヒロが襲われそうになってたとこをさ、キースが助けたんだ。その襲った獣人達が、ドナルドの城の者だったらしーんだけど?」

  「し、知りません!そんな事!それなら奴らが勝手に……」

  「そいつら、チヒロを襲えば褒美をやる、って言われてたらしいんだがな。……隠しだてするようなら、タダじゃ済まさねーぞ。『本当の事を、正直に、包み隠さずに、言え』」

  レオンの言葉には巫の力が含まれていた。

  ドナルドは、それには逆らえない。

  ガタガタと震えながら、その性根をさらけ出した。

  「チヒロなんか、穢されて死んでしまえば良い。キースに会えなくなるように、他のオスに汚されてしまえ。僕がキースの妻に相応しい。次代の巫を産むのは、音楽の才能に溢れる僕だ。僕は……」

  レオンの力によって愚考を吐き続けようとするドナルドに対して、キースが怒りの咆哮を上げた。

  ドナルドはヒイッとしゃくるようにして戦き、後退った。

  「僕は悪くない!キースから性悪ウサギを遠退けてやろうとしただけなんだ!それは感謝されるべきもので……」

  それ以上言う事を許すまじと、キースはドナルドに飛び掛かり、その耳に噛み付き、引き千切った。

  「うわぁぁぁぁ!」

  ドナルドの右側の頭上からは、滝のような血が流れ出て、痛みのあまり床に転げ回る。

  そして怯えるようにして、ほうほうの体でその場から逃げ出した。

  その姿は、獰猛な肉食獣の誇りなどは微塵もなく、無様なものだった。

  [newpage]

  [chapter:愛に満たされる黒兎1-②]

  チヒロは、曲がりなりにも妻であるドナルドへの凄まじい制裁に、言葉を失っていた。

  耳を失うのは、獣人としては恥ずべき姿であり、過去に罪を犯し、処された者に多かった。

  その多くは真っ当な仕事に就けず、ひっそりと身を潜めて暮らすか、闇の世界で生きて行くしかない。

  ドナルドはキースに絶縁状を渡され、その上、演奏家としての道も絶たれたも同じだった。

  「おいおい、キース。俺が喋らせたのにさ。何だか、俺がお前にやらせたみたいになっちまっただろうが」

  「ガウッ!」

  「うるっせーよ!何言ってるか分かんねーけど、何となく分かる。俺を小間使いみたいに思ってんな。お前」

  「グオッ!」

  「うるせーっつってんだろ!」

  キースとレオンの会話も不思議と成り立っていたので、番同士のようだ、とチヒロが漏らすと、どちらの方からも非難轟々だった。

  キースの帰還に、発情期の匂いを色濃くまとわり付かせたアデルも現れた。

  その姿は、いつも以上に妖艶であり、キースを熟れた子宮の奥底から誘惑するような艶かしさがあった。

  「キース……結局、チヒロを妻にするつもりなのね。私は、ドナルドのように反対したりはしないわよ。だって公爵は、何獣人もの妻を持つ事が許されているもの」

  アデルは、そのしなやかな手でキースの背骨をなぞる。

  アルファのオスならば、飛び付きたくなるような色気だった。

  「でも、獣化を抑えるのにはウサギではダメでしょう?同じ王族でなければ。私なら人型のままでも交尾してあげれるし、獣化して交尾もしてあげれるわ。……今回の交尾は、私に譲りなさい。良いわね?チヒロ」

  チヒロがアデルが言うままに引き下がろうとすると、その退路をキースに断たれた。

  キースが威嚇している。

  その鬣も逆立つ程の怒気に、チヒロはウサギの本能から、思わず すくみ上がった。

  だがキースの怒りの矛先は、チヒロではなく、甘い夜を過ごそうと誘うアデルに向かっていた。

  「ど、どういう事なの?キース。貴方、今の状態では、私と交尾するしかないのよ?何故、威嚇するの?」

  キースは、牙を剥きながら咆哮を上げた。

  王族同士の闘いの火蓋が下ろされんばかりの威圧に、アデルも釣られ、犬歯が伸びる。

  これでは交尾ではなく闘いになる。

  キースは、アデルを敵と見なし、攻撃態勢を崩そうとはしなかった。

  2獣人の間を、レオンが割って入った。

  「悪いな。水を差すようだが、可愛いウサギちゃんが怯えてるから。ここはお互いに引いて貰おうか」

  レオンは、キースから引き剥がすようにして、アデルを押し退けた。

  「アデル、ここは下がれ」

  「何故ですか?私の方がキースの王族としての生理を理解しています!」

  「例えそうであってもな。キースはお前を交尾する相手だと認めていない。恐らく、キースがお前をもうメスとして抱く事はない」

  「そんなっ……」

  「ここでアルファ同士の闘争になる前に立ち去れ。でなければ、俺も獣化してキースに加担するぞ」

  「ですが、レオン様っ……」

  「聞こえねぇか。『立ち去れ。そして、二度と姿を見せるな』」

  レオンが命じると、アデルは体を震わせながら部屋を出て行った。

  巫の『言』からは逃れられない。

  アデルは、それ以降、姿を見せなくなった。

  それからどこへ消えたのか、いつの間にかアデルの棟である城からも、その姿を見る事はなくなった。

  [newpage]

  [chapter:愛に満たされる黒兎1-③]

  アデルが去った後も、キースは興奮が治まらないのか、唸り続けていた。

  それは、レオンに向けられていた。

  自らの番が、発情期を迎えているが故の興奮。

  アデルに触発された獣としての闘争心に火が付き。

  そして、その側に自分以外の屈強なアルファがいる事で、獣人としての理性を失いつつあった。

  「キース……ブッ飛んじまったか」

  「れ、レオン様!どうしたら……」

  「キースが治まるには、俺と闘うか、性欲を晴らすしかねぇんだけど。流石に俺も親友とは、意味もなく闘いたくねぇなぁ」

  「それは……」

  「チヒロ、キースと交尾、してやってくれるか?」

  獣化した王族のアルファと、違う種族が交尾するのには、とてつもない障壁がある。

  本能のままに食われてしまうかも知れない恐れ。

  その体格差と、性器の差。

  ウサギ族であるが故に、チヒロの恐怖心は他の肉食獣よりも遥かに勝る。

  運命の番が発情期である限り、キースの獣化は解けない。

  この状態での交尾には、深い愛情が必要だった。

  「チヒロ。ウサギ族のお前に、辛い選択をさせてゴメンな。でも、キースの番なら、これからもこの姿のキースも受け入れてやらなきゃなんねーんだよ」

  「はい……」

  「ま、俺んとこの体格差、お前んとこと比じゃねぇから!だって、チヒロ、ウサギだけどデケェじゃん。俺の嫁さんなんかハムスターだから、毎回、潰しちまいそうになるぞ」

  「ねっ、ハムスター?!ライオンの妻がハムスターですか?!ちょっと、それ犯罪!確か、幼少の頃から番の約束をした奥方様でしたよね?!無謀過ぎる!」

  「それでも俺んとこ、子沢山の大家族だぞ~。……だからさ、種族が違っても、何とかなんだよ。お互いに惚れあってたらな」

  「……レオン様……」

  キースが吠えたてるようにして脅嚇すると、レオンは飛び上がって退いた。

  「うわっ!ダメだ。これ以上、ここにいたらマジで俺、キースに噛み殺されるわ。じゃあな!チヒロ!頼んだぞ~!」

  レオンはライオンのアルファとは思えない情けない様で、逃げるようにして部屋を出て行った。

  器が大きく、慈しみ深いレオンには、救われた。

  彼がいなければ、チヒロの恋は始まりもしなかったし、想いが通じる事もなかった。

  そしてレオンこそ、長く苦しい恋を味わって来たに違いない。

  恐らく、この世で最も脆弱なネズミと、最強のライオンとの恋は、自分達以上に様々な壁が立ちはだかっていただろう。

  それでも乗り越えて来れたのだから、自分とキースも、きっと乗り越えられる筈だ。

  チヒロにも、キースへの溢れんばかりの愛情があるのだから。

  [newpage]

  [chapter:愛に満たされる黒兎2-①]

  チヒロは、極度の興奮状態に陥ったキースを落ち着かせる為に、跪き、その鼻に自らの鼻先を当てて見つめた。

  しばらくそうしていると、キースも外敵がいなくなったと納得したのか、荒かった息も落ち着きを見せ始め、剥き出しだった牙を収めた。

  「どうして、助けに来てくれたんですか?」

  『自分の妻を助けないでどうする』

  「俺には奥方様方を追い出す程の価値はないですよ?愚図なウサギですし」

  『その愚図なウサギを愛しく思うんだから仕方だろう』

  「いっ、愛しく思ってたんですか?!あれで!あんなに毒吐いて、悪態付いて、嫌味ぶちかまして、小言だらけだったのに?!」

  『俺が嫌な奴だったっていう韻を踏みまくるな。……これでも、反省しているんだ』

  初めて会った瞬間から、盲目的に惹かれた。

  その体臭を嗅いだだけで、運命の相手だと無意識の内に感じていた。

  だが、人を愛するという気持ちを知らなかったキースは、その感情が何なのか分からなかった。

  アデルを抱いても、チヒロを思い浮かべてしまい。

  やがて、それはチヒロではないと思い至ると、アデルにも食指が動かなくなり、勃起しなくなった。

  耳の匂いだけでも堪らなかったのに、尻尾の匂いを嗅いだ時は我を忘れた。

  このウサギが欲しい。

  何が何でも欲しい。

  そう思った時、それが愛なのだと知った。

  それでも、どうやってそれを伝えたら良いのか分からなかった。

  口を開くと、皮肉ばかりが突いて出て、本心を言い逃してしまう。

  言いたい言葉は それではないのに、つい暴言を吐いてしまう。

  チヒロがピアノを調律している姿をこっそりと覗き見て、あの麗しい音を奏でる指を持つのはチヒロなのだと確信を得ても、それを誉める言葉が思い付かなくて。

  城を出て行ってしまっていた後、激しく後悔した。

  雪原の中、チヒロの匂いを追って、追って、追い求めて。

  愛する番が発情期を迎えたと察知した時は歓喜した。

  だが、他のオスの匂いが混じっているのには、焦りを覚え、もしもチヒロを奪われでもしたら、気が狂ってしまうかも知れないと思う程に理性を失った。

  ライオンに獣化したキースは、人型の時よりも饒舌であり、素直だった。

  それはまた感情だけでなく、その欲望にも忠実だった。

  『チヒロ、欲しい』

  「キース様……」

  『お前が、欲しい。交尾、したい』

  「発情期のフェロモン、嫌じゃないんですか?」

  『フェロモンが嫌なんじゃない。お前以外の匂いが嫌なんだ』

  「俺だけは良いんですか?」

  『お前が良いんだ。……お前を愛しているから』

  「キース様。それ、人型に戻ってもちゃんと言って下さいね?」

  一獣人と一匹は、連れ添うようにして風呂場へと向かった。

  全ての汚れを落として、抱き合いたい。

  ただ、互いだけ。

  お互いだけの、薫りに包まれて。

  [newpage]

  [chapter:愛に満たされる黒兎2-②]

  キースが獣の性に流されないようにしているのは分かっていた。

  風呂で体を流してやる時も、事あるごとにフーフーと息を整えるようにして、暴走するのを堪えている。

  チヒロの裸を見てしまえば、その場で襲ってしまうと思っているのか、始終、目を逸らしたままだ。

  その鼻息の荒らさは、極度の興奮を示していたし、全身の毛穴を引き締めるようにして毛を逆立てていた。

  何よりもそのペニスは、思わず目を背けたくなる程に盛っていた。

  完全に獣化した状態であるキースのぺニスは、獣人の時とは違い、細身だが長い。

  先端は矢尻のように返りがあり、幹の部分にあるゴツゴツとした突起は、見た目にも凶暴なフォルムなので、果たして自分の中に収まるのかと心配になる。

  ライオンのオスのペニスは、メスの中で痛みと刺激を与え、かなりの確率で排卵や受精を促すというが、それがウサギの自分でも果たしてそうなのか。

  その痛みに、自分は耐えられるのか。

  それでも愛するオスを前に発情しているチヒロの体は、それを求めて止まない。

  尻の奥からムズムズとした甘い苦しみが、チヒロの下腹に澱んで、尻孔から蜜が漏れ出し、濡れてしまうのを感じる。

  ベッドに上がると、大型獣のキースが座る部分のスプリングは かなり沈む。

  キースのぼんぼりの付いた尻尾が、パシパシとベッドを叩いて嬉しそうに揺れている。

  その様があまりにも可愛くて、チヒロは踊る尻尾を捕らえ、穂先に口付けた。

  厳かに、想いを込めて。

  キースもそんなチヒロの長い耳をベロリと舐めると、チヒロは「あひゃん」と変な声を出してしまった。

  チヒロの雄は、キースの舌だけで、完全に勃起した。

  逸るようにして体内が欲情するのを堪え、チヒロは座るキースの首に手を回して、その顔中にキスをした。

  ご機嫌なのか、キースの喉もグルグルと音を立てているので、チヒロはキスを止めるタイミングが分からなくなってしまう。

  「あ、あの……キース様。俺は、ここからどうしたら良いんでしょう?」

  『お前の尻尾が見たい』

  「尻尾、ですか」

  『お前の尻尾は、どこの誰のものよりも、可愛い』

  「そんな事を恥ずかしげもなく言うのは、両親と貴方位ですよ。……雪ウサギの癖に白くはないので、物凄く恥ずかしいんですけど」

  『その黒い尻尾は、この世のものとは思えない、魔性の尾だ。俺を籠絡し、堕落させ、夢中にさせる魅惑の尻尾だ。食べてしまいたくなる程に愛おしい』

  「食べないで下さい……。ていうか、貴方のそのデレっぷりは何なんですか?!今までは、鬼のように辛辣で、毛ほどにも優しくなかったくせに!」

  『俺としては、……その……言ってるつもりだった。だが、この鈍感ウサギには、ハッキリと、間違える事なく、言葉にしなければならないと学習した。これからは、嫌という程に言ってやる』

  「嫌になんかなりませんよ。……もっと言って下さい」

  『お前も言え。俺をどれだけ愛しているのかを』

  そう言えば、チヒロもキースに面と向かって気持ちを吐露した事がない。

  言ってはならないと思っていた。

  だがこれからは、何度でも、いつでも、それを口にしても構わないのだ。

  「キース様……愛しています。貴方に巡り会えた[[rb:僥倖 > ぎょうこう]]に感謝します」

  王族ライオンと出来損ないのウサギが想い合い、結ばれるという、有り得ない奇跡に。

  とこしえに続く、崇高なる愛に。

  チヒロは、臥せをして尻だけを高く掲げた。

  ひょっこりと現れた、黒く丸いそれは、キースを誘うようにしてピクピクと震えている。

  大きな口が、パクリととチヒロの尻尾を咥えると、尻の肉がキュンと引き締まる。

  しばらくは、甘噛みしたり、しゃぶられたりと尾がぐっしょりと唾液で濡れるまで、翻弄され。

  その刺激だけでも全身を戦慄かせ、チヒロの性器は前も後ろも愛液にまみれて、トロトロになっていた。

  背筋をゾロリと舐めながら、キースの巨体が背に覆い被さって来る。

  暖かい腹の毛がチヒロの背を包み。

  そしてキースは、誓うようにして、チヒロの項に刻まれた『愛の印』に舌を這わせた。

  [newpage]

  [chapter:愛に満たされる黒兎3-①]

  キースの舌が、後ろ首をしきりと舐める。

  チヒロの尻には、逞しい獣のペニスがゴリゴリと当たっていて、トロリとした先走りの濡れた感覚が、尻の割れ目辺りに感じる。

  それだけ盛っているのに、キースが首元を舐め続けて。

  何かを堪えている。

  そう感じて、チヒロは首を横に捻り、振り返った。

  「キース……様?どうしたんですか?……あの……」

  キースの喉が、苦し気にグウッと鳴る。

  その時チヒロは、目の前で神の御業を見た。

  体を覆っていた体毛が霧散するようにして消え。

  獣の筋肉は人型のものへと変化し。

  豊かな鬣は、艶やかなプラチナブロンドへと流れるようにして変容していった。

  「キース様……」

  「……お前、を……傷付けたくは、ない。獣のままお前を抱いて、怖がりなウサギの心に、傷を……負わせたくはない……」

  「どうやって変化を解いたんですか?」

  「巫の力を使った。変化しかかった時に抑える事はあっても、完全なる獣化から戻るのは初めてだ。……本来は、神からの授かり物である力を、こんな風に自分の為に使うべきじゃないが、……やれば出来るものだな」

  「キース様……、俺の為に……」

  「それ、やめろ」

  「は?!」

  「様付けするのをやめろと言ったんだ。相変わらず聞こえの悪い耳だな、それだけ大きな耳をしているくせに、お前、野生のウサギなら確実に殺されてるぞ」

  「何だか、人型に戻った瞬間に、夢から覚めた気がします……。可愛らしいのは、ライオンの姿限定だったんですね」

  「うるさい。お前がどう聞こえていようが、俺はライオンの姿の時も、今も、言い方を変えてはいない。お前が勝手に都合良く変換してるだけだろうが。この間抜けが」

  「ううう……直接耳から聞こえると、変換が難しい~」

  「ほら、ちゃんと名前を呼べ」

  「……キース……」

  「もっと」

  「キース……」

  キースはチヒロを後ろから強く抱き締めた。

  その耳や頬に口付けながら、手は体のあちこちを撫で回し、いきり勃つ男根をチヒロの尻の谷間に擦り付ける。

  身体中を艶かしい動きで弄ぐられ、尻には熱棒をヌルリ、ヌルリと押し付けられている。

  こんなにも欲情が高まった事はない。

  チヒロはもう、あられもなくキースの雄を求めて、悲鳴を上げていた。

  「あぁ!あぁ!……キースっ!やっ、いやぁ!もう……」

  「もう、何だ?」

  「お尻が、……おかしくなっちゃうっ!やっ、やっ、……もう、出ちゃう~!」

  「触っているだけでもこれか。……凄いな。ウサギの発情期……」

  「キースっ!」

  「分かってる」

  オメガの尻は、アルファの雄を受け入れる為に、発情期は特に濡れやすく、媚肉も柔らかくなる。

  キースが揺れるチヒロの尻肉を掴み、その両親指を濡れる秘孔へとグイッと挿し込んで、押し開いた。

  熟れた孔は、くぱぁっと開いた途端、甘美な芳香を放って、オスを誘惑する。

  キースの喉がゴクリと唾液を嚥下する。

  チヒロの濡れた尻尾が、プルンと震えたのを見たら、もう駄目だった。

  「チヒロっ!」

  「あ、あ、あ、あぁぁぁ!」

  その亀頭部分をグポンと飲み込ませると、チヒロの尾がプルプルと揺れる。

  キースの張り詰めた理性の切れる音がした。

  そして腰を捻り込むようにして、グイグイと己が砲身を打ち込んでいった。

  [newpage]

  [chapter:愛に満たされる黒兎3-②]

  「あぁ~~~!やっ……おっきい!……そんな、いきなりっ、……裂けちゃう~!」

  「裂けて、ないっ!お前の中は、ちゃんと俺に馴染んでるっ!……くっ、そんなに締めるな!馬鹿!」

  「あうっ!あうっ!あぁっ!……そこっ、そこっ、ダメぇっ……あ、あぁ~!」

  「ここ、かっ!」

  キースはチヒロの上半身を上向かせ、チヒロの膝裏ごと抱え込んだ。

  座るキースの上に落とされるようにして挿入を深くされたチヒロの肉洞は、キースの雄芯をズブズブと自重のままに侵入させる。

  その大きな衝撃に、チヒロの下腹から勃起するペニスは弾け、弧を描くようにして白い蜜を打ち放った。

  「あひゃぅ~ん!」

  「なんて声を出すんだ。……俺まで釣られそうになっただろうがっ!」

  「あぁっ!あはぁ!……そこ、キース!そこ、突いてっ!あぁっ!」

  「自分で腰を振るか!この淫らなウサギが!」

  「淫らなウサギは、嫌い、ですか……?」

  振り向いたチヒロの目が涙に潤む。

  また泣かせてしまう。

  あの時、自分の不用意な一言が、愛しいウサギに涙を流させた悔恨がある。

  二度とそんな涙は流させない。

  キースは、チヒロの目尻にキスをした。

  「俺に抱かれている間は、淫らなウサギでいろ。もっと喘がせて、もっと啼かせてやる。……もっと俺を欲しがれ」

  「欲しがっても、良いの?」

  「いくらでも」

  キースはチヒロから己が隆起を引き抜くと、その衝撃だけでもチヒロは軽く達してしまい、甘い声を上げた。

  チヒロをベッドに仰向きに横たわらせ、しなやかな足を肩に担ぎ上げ、ズンと再び一気にペニスを挿入させた。

  「あぁ~~~~!」

  「達きっぱなし、だな。……だが、俺も、もう、限界、だっ!」

  キースは、チヒロの蜜壺に向かってガツガツと腰を入れまくった。

  キースの膨張が押し込み、また引き抜かれる度に、チヒロのぬめる肉襞を捲り、戦慄かせる。

  グチュン、グチュンと、淫液が泡立って尻孔から漏れ、キースの陰毛もしとどに濡らす。

  そして、体内を蹂躙する雄が限界にまで腫れ上がり、その開かれた子宮の入り口を更に押し拡げ。

  爆発するようにして、精を注ぎ込む。

  ビュービューと尻奥に放たれる大量の子種は、チヒロの中だけでなく、その心も満たしていた。

  愛するオスは、自分にしか交尾しない。

  その優越感と安堵に、浸っていた。

  キースもまた、初めて愛するオメガの子宮に射精するという壮絶なる快感に、腰を突き挿れるのを止められなかった。

  射精がいつまでも止まらない絶頂に、自我を失いそうになる。

  キースは愛しさを込めて、チヒロの膝裏にキスをした。

  そんな堪らない仕草に、チヒロも胸が苦しくなり、無意識に尻孔をキュンと引き締める。

  その快楽の証を完全に出し終えた後も、キースは腰を回し続けていた。

  「あぁん!……あん!やん!……キースっ!そんなに、したら、……出ちゃっ……」

  「何度でも出せ」

  「違っ……。キースのが、出ちゃうっ」

  ゴポッ、コポッっと、キースが抜き挿しする度に、その愛液も漏れ出して、シーツへと染み込んでいく。

  キースの精液を取り零したくはない。

  全ての子種を、体に受け止めたい。

  チヒロの中のメスの部分が、貪欲にそれを望んでいた。

  「いやっ、やっ、……突かないでっ!出ちゃう、からっ!」

  「何度でもお前に撃ち込んでやる」

  「キースっ……」

  「俺が、お前になら無尽蔵になるって事を教えてやる。無限に射精してやるから、安心しろ」

  「……嬉しい……」

  チヒロはキースの長い髪の毛を鋤きながら、うっとりと酩酊していた。

  きっと、自分の卵子はキースの子を宿す。

  それは、愛に包まれた結合によって、命を成し、チヒロの腹に根付く。

  チヒロは、自らの腹をゆっくりと撫でた。

  いつか生まれてくるだろう、キースとの結晶を慈しむように。

  「……キース。いっぱい、愛して下さい。……ずっと、これからも」

  「愛してる。これからも、お前だけを、永遠に」

  再びチヒロの中の怒張が蠢き出す。

  チヒロはその快感の波に揺蕩う。

  これは愛なくしては得られない愉悦なのだ。

  そう思えば、自分は運命の番に出会うまで、その為に発情しなかったのかも知れない。

  キースに、その初めてを捧げる為に。

  [newpage]

  [chapter:愛に満たされる黒兎3-③]

  何時間も交尾し続けるなんて有り得ないと今まで思っていたが、番の発情期にはその限界がない事を初めて知った。

  シーツが愛液でドロドロになっても、まだ溢れ出る。

  チヒロも男の部分からは精液が尽きても、何度も潮を吹いていた。

  その前の部分だけでなく、後ろからも潮を吹いた時には、あまりの悦楽に泣いてしまった。

  「もうっ、やぁっ!死んじゃうっ!イキ過ぎて死んじゃう~!あんっ!あんっ!……やだって、言ってる!のにっ!……あぁ~っ!」

  「もっと、欲しいと、言っただろうっ。……ライオンは50回以上は、射精出来るからな」

  「ごじゅっ……」

  「まだ、全然、イケるぞ」

  「やっ、いやっ!……お風呂、お風呂に入りたいっ!キース、……お、お願いっ」

  チヒロの耳をピクピク震わせての哀願に、キースはメロメロになった。

  そうしてキースを陥落させ、体も綺麗になって、食事にもありつけたチヒロは、やっと人心地ついた。

  ウサギも性に貪欲だと言われている方だったが、ライオンのアルファの性欲は半端ない。

  古のライオンが、多くのメスを抱えているのには納得の絶倫さだった。

  これがまだチヒロはウサギでありながら大型ではあったので、この荒淫にも耐えられたが、普通のウサギならばヤリ殺されている。

  そこでふと、チヒロは兄のチトセがキースの愛人であったというドナルドの言葉を思い出した。

  兄がキースお気に入りの愛人だったとしたら、あの小さな体で、この果てない欲望を受け止めきれたのだろうか。

  そして、もしもチトセがここに帰って来たら、キースは兄も妻にするとでも言うのだろうか。

  チヒロのナイフとフォークを持つ手が止まり、俯いていると、キースが怪訝な顔をした。

  問いただされ、チヒロがチトセの事を言うと、キースから怒号が飛んだ。

  「馬鹿を言うな!いや、お前は馬鹿だったな!この駄ウサギが!チトセは有能だったし、気に入って側に置いてはいたが、欲情した事など1度もない!」

  「あ、そうなんですか」

  「あ、そうなんですか、じゃない!このとんちんかんな、愚鈍ウサギが!チトセを側に置いていたのには、他の妻達を寄せ付けないようにする為でもあったんだ。お前、兄からは何も聞いてないのか」

  「兄さんは、仕事の内容に関しては何も話さない人だったので……」

  「守秘義務を家族にも守っているのか。……流石だな、チトセ」

  キースはこれから、チヒロ以外には妻を迎えないと断言した。

  それが覆される事はないだろうし、キースの兄への信頼に、邪なものはなかったのも本当だろうとは思った。

  だが、妻はチヒロだけだと言われると、嬉しい反面、若干の不安も残る。

  この旺盛なライオンの性欲は、交尾の度にこんなにも盛るのだろうか。

  元妻であったアデルとは獣化しないが為の性行為もあった事を思えば、発情期以外でも普段からこの性欲が持続しているのだろうか。

  「それはお前が発情したら、俺も釣られるに決まってる」

  「発情期だけですか」

  「いや、まぁ、毎晩、盛れるだろうとは思う。お前が隣で寝てるんだから」

  「ベッドを別にする案を申請します」

  「却下」

  「きゃっ、却下?!毎晩ですよ?!俺はピアノを触る時間もなくなります!」

  「そこまではしない。発情期でなければな。……だが、今は発情期だしな」

  「今日は、1日、中休みという事で……」

  チヒロが席を外し、キースとの距離を置こうとした時。

  パタパタパタパタと、魅惑的な音が耳に入り込んで来た。

  キースの手には、何故かあのチヒロお気に入りのスリッパが握られている。

  それをテーブルの隅で、パタパタと叩いている。

  駄目だ。

  見たら駄目だ。

  目を瞑れ。

  耳を閉じろ。

  チヒロは自ら長い耳を押さえて体を丸め、縮こまったが、その大きな耳は魅惑の音を拾い上げてしまう。

  キースは、チヒロの額をパタパタと叩いた。

  あの薄っぺらい、柔らかな感触が、チヒロの額を打ち付ける。

  それは悪魔の囁きのように、甘美なる誘惑だった。

  そうしてチヒロの我慢の限界は、いとも簡単に突破されてしまい。

  「ブー!」

  「来たな」

  「ブー!ブー!ブー!」

  「よしよし!こっちに来い!」

  「ブブー!ブー!」

  ひとしきり床の上をスリッパと追いかけっこして、ハムッとそれを噛んだ時には、何故かベッドに押し倒されていた。

  「あぁ~!汚い!汚いですよ!こんな技を使うなんて!」

  「お前はスリッパの誘惑には勝てないからな」

  「神聖なるスリッパを、こんな事につかうなんて!卑怯ですよ、キース!」

  「これは使えるな。あの店にあるスリッパを全て買い占めてやろう。良かったな。遊び用のスリッパが尽きる事がなくて」

  「ちょっと……、やっ、あっ、……あぁぁぁぁ!いやぁ~!」

  結局、チヒロは発情期の間中、ほとんどベッドの住人と化していた。

  その間もチヒロの体調が崩れなかったのには、時折、キースのピアノを聴かされていたからだろう。

  癒しの力をもつ巫の力は、その妻の為に惜しみ無く使われていた。

  [newpage]

  [chapter:最終章・黒兎もピアノを奏でる]

  黒兎もピアノを奏でる

  チヒロは、初めての発情期で妊娠した。

  それは、キースの巫の力によって覚られ、子供がメスのアルファである事まで読み取られた。

  「この子には、巫の力はそれ程にはない。だから、次代の公爵にはならないな」

  「そんな事が、生まれる前から判るんですか?」

  「巫の力は見えるように判る。次代は放つ力が違うんだ。だから、俺達、公爵が全員揃うと、とてつもない力が働く」

  災害地には、皆が集い、その復興に力を注ぐ。

  雪国であるラヴィールーザが目立った雪害や、飢えがないのには、公爵達の力によるのもあった。

  その波動は、決して悪影響を及ぼす事はない。

  「え?そしたら、貴方が悪徳地主に災いをもたらした、というのはデマですか?」

  「わざわざそんなクズの為に力なんぞ使うものか。それは、雪崩が起こるだろうな、とは見えていたから、助けなかっただけだ。何で俺が、そんな悪魔の手先のような事をせねばならん」

  「いや~。貴方なら、やってもおかしくないだろうな、と……」

  「何だと?!」

  こうしてやいのやいのと、言い合うのにも幸せを感じる。

  チヒロは、心穏やかに母となるまでの期間を過ごしていた。

  チヒロの負担を減らす為に、完治した兄のチトセが城に戻り、傍に付く事で、チヒロもまたゆったりと過ごす事が出来た。

  チヒロが妻に迎えられてから、近隣の棟に住む、疎遠だったキースの親族達との交流も増えた。

  口の悪いキースの通訳になる事で、本来はそんなつもりではないのだと、橋渡ししてやり、親交を深めた。

  遠方に住む先代の公爵にも久方ぶりに連絡を取り、安定期に入ったら旅行がてら会いに行く約束をしている。

  妊夫ではあったので、結婚式は身内だけで行いたいと言うと、確かにこじんまりとした式を城の中で執り行う事は出来たが、公爵全員が揃っての演奏にはチヒロも恍惚となり、聴き終えた後には感動のあまりに失神してしまった。

  そうして式も終え、腹の子もすくすくと育ち。

  3日後の寺院での豊穣を祈る演奏には、キースと共にチヒロも連弾する事になっている。

  これには、チヒロは拒絶した。

  寺院などという大きな場所での演奏に、緊張しないでいられる筈がない。

  散々な演奏になって、キースの顔に泥を塗るだけだ。

  そう言っても、キースは頑として聞き入れてくれなかった。

  「お前は絶対に失敗しない」

  「何でそんな事が分かるんですか?今まで一度も人前で演奏出来た試しがないんですよ?!絶対に失敗します!」

  「それは有り得ない。お前の腹には俺の子供がいる。お前のピアノには、巫の力が宿るだろう。……だから、何も考えなくても弾ける筈だ」

  キースの子が体内にいる事で、チヒロにも僅かながら超自然的な力が発揮される事は分かっていた。

  キースに抱かれた後、その精を体内に残したままピアノを弾くと、音の粒が光輝いて、辺りに溢れたのを覚えている。

  子供を妊娠してからも同じように、ピアノを弾くと力が滾って、キースを前に弾いても、間違える事はなかった。

  それは、指から音が溢れ出すというような感覚だった。

  「でも、やっぱり人前では……」

  「お前のピアノには力がある。たとえ、俺の巫の力はなくても、だ。俺も隣で弾く。お前の力だけなら小さなものでも、俺の音が合わされば、それはより大きな力となって、ラヴィールーザの地に轟くだろう。その音を聴けば、大地の生命も力強く息吹く。……それを感じたくはないか?」

  キースはチヒロの手を取って、その甲にキスをした。

  音の神に愛されている事で、チヒロも勇気を出せるかも知れない。

  弾く事の喜びを、夫と、獣人達の皆と、分かち合いたい。

  今まで叶う事のなかった、誰かの前で、誰の為に弾く事を。

  「ギリギリまで、貴方の尻尾を握ってても良いですか?緊張が和らぎそうなので」

  「勝手にしろ。俺もその時は、尻尾に巫の力を込めておいてやる。俺だけじゃないぞ?腹の子も、お前に力を貸そうとする。……お前は一人じゃない。チヒロの指先からは、お前が満たされているだけの力が漲るだろう」

  チヒロは、嬉しそうに揺れるキースの尻尾を捕まえて、唇を寄せた。

  その柔らかな穂先は、愛しいオスの匂いがして、チヒロの心を穏やかにさせる。

  チヒロは大いなる愛に包まれていた。

  出来損ないの黒ウサギは、今までビクビクと小さく震えて縮こまる事しか出来なかった。

  だが、番と出会って、外に出る勇気が湧いた。

  例え白くなくても、雪に隠れなくても良い。

  黒ウサギは、自由に雪原を跳ねる。

  愛する番に見守られながら。

  ーENDー

  2018,01,25

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