【獅子友】約束。

  普通に生きる人生なんてごめんだった。

  物心ついた頃には、街の中で知らない場所はなかった。

  一人で乗り物に乗っても不審に思われない年になる頃には、国内中を旅していた。

  パスポートの役割を知る頃には、メジャーな観光地には粗方行った。

  親が懇願するから仕方がなく大学まで出たが、講義で絶対に必要なものがあるとき以外は大学ではなく他の場所を巡っていた。

  やることがなければ寺院巡りなんかもしたし、どこぞやのでっかい美術館なんかも制覇した。

  このまま根なし草と言われ、地に足のつかない仕事でもして、どこかの荒野で野垂れ死にするんだろうな、と勝手に己の終わりまで想像していた。

  だが、そんな未来を一蹴してしまうくらい運命の出会いを果たした。

  いつものように気ままに訪れたオリエンタルタウン。

  いつものようにやることもなく、取りあえず寺院巡りでもするかと宿を出ようとしたところで女神に出会った。

  重いだろう酒の瓶が何本も入ったケースを軽々ともって、明るく「こんにちわ」と声を掛けてきた黒髪の美女――鏑木友恵だった。

  彼女が日課にしている家業の手伝いで、泊まっていた宿に大量の酒を届けに来たところで出会った。

  明るく屈他意のない笑顔に魅せられ、速攻デートに誘ったら、意外なほどあっさりとOKされた。

  初めてのデートは山歩き。寺や名所巡りならば得意とするところだが、歩く道以外は手つかずの山は守備範囲外だった。

  おかげで彼女に今まで溜めに貯めた知識を披露して尊敬の念を受けるはずが、逆に彼女の草花を始め、自然の摂理を教えられ、彼女に対する想いが募った。

  何回かデートをしたが、そのすべてにおいて、彼女に勝てるものがなく、普通なら敗北感の方が増すだろうが、愛しさの方が勝った。

  プロポーズは波打つ夜の海岸。OKをした時の彼女の笑顔は月に照らされ儚く見え、思わず抱き寄せてしまった。

  始めて彼女の家族に挨拶に行った際、定職に就くことを約束させられた。絶対に普通の仕事なんかしないだろうと思っていたが、彼女と結婚できることを考えればそれくらい苦でもなんでもなかった。

  多くの人々に祝福され、順調な結婚生活。

  まさか思いも寄らない人物に、その幸せな結婚生活を邪魔されることになるとは思わなかった。

  ――結婚して数年後。

  ライアンは病院に向かって走っていた。

  今日は半休を取ったはずなのに、クライアントの都合で一区切りついたのは午後の二時だ。

  予定は正午だったから下手をすれば産まれている。

  ライアンは息を切らしながら目的の病室に行けば、案の定、既に赤ん坊は保育器の中だという。

  教えられた場所に行けば、ライアンの妻が保育器を見て最上の笑顔を浮かべていた。

  「友ちゃん?」

  ライアンが呼べば、彼女は最上の笑みを浮かべたまま振り向いてくれる。

  「おかえりなさい、あなた」

  だが、視線があったのは一瞬。直ぐに友恵は保育器に視線を戻してしまった。

  ライアンは彼女にびったりと寄り添うように立ち、同じように保育器が並ぶ部屋を見た。

  「アニキの子、どこにいんの?」

  ライアンが聞けば、友恵がある保育器を指さす。

  「あそこの元気な男の子よ」

  友恵が最上の笑みを向ける相手に嫉妬し、ぴたりと寄り添いながら、ライアンは友恵が教えてくれた保育器を見た。

  子どもなんて同じようなもんで違いが判らない。

  だが、分からないながらも、何故かライアンは引っ掛かりを覚えた。

  それが何なのか分からない。

  分からないが……

  「名前は虎徹よ。虎徹。それ以外はダメ」

  友恵が笑いながら子どもの名前を教えてくれる。

  まだ保育器の名前が掲げられる場所には名前が書かれていないというのに。

  「鏑木・T・虎徹っ。いつかヒーローになるんだから」

  友が呼んだフルネームにライアンの記憶が刺激された。

  「……まさか、アライグマのおっさん?」

  産まれたばかりの子に「おっさん」はないだろうが、ライアンの記憶の中の「鏑木・T・虎徹」は自分よりも年上の……ヒーローだった。

  「アライグマ?」

  友恵が小首を傾げてライアンを見上げる。

  「タイガーじゃないの?」

  不思議そうに見つめる妻に、ライアンはつい「いやワイルドタイガーって名前だったけど、髭が……」と答えて、はっと気が付いた。

  今言った事実は今のライアンの記憶ではなく、もっと別の……いうなれば産まれる前の記憶――前世というやつではないだろうか?

  口を閉ざしたライアンに、友恵は何度も何度も問いかけるが、ライアンは口を割らなかった。

  その記憶は己の正気を疑われるからだった。だが、それは悲劇しか生まなかった。

  「ライアン君、離婚しましょう」

  にっこり笑う友恵がライアンに爆弾を投下した。

  「へ?」

  「そうしたら私、虎徹君と結婚するから」

  「はぁ~?」

  「前世も夫婦で、現世も夫婦って素敵よね」

  嬉々として「離婚届貰ってこなくちゃ」と背を向ける友恵にライアンが泣きついたのは、数秒後のこと。

  血の繋がった叔母と甥だという事実は、数年後ライアンと友恵の間に産まる双子が成長して、虎徹と結婚する! と騒ぎ出すまで終ぞ気が付かなかった。

  因みにその双子の名前は「薔子・カリーナ・ゴールドスミス」と「楓子・メープル・ゴールドスミス」という。

  →約束、そして……(2)に続くかもしれません。