クリスマスなのに熱出して寝込んでたら猪上司が見舞いに来たの巻

  「うう……ぐっ……」

  

  あるアパートの一室に、呻き声が響いていた。

  その部屋のテレビの前には、脱いだままであろうワイシャツがクシャクシャになって置かれており、その上にはネクタイがぐるぐる巻きになって重ねられている。

  箪笥の中にはやや大きめな男物の服、ベランダに干されている下着はトランクス。

  この部屋の主は独身のサラリーマンのようだった。

  

  「あっつ……。だるい……」

  

  ベッドの上で不服そうに声を上げているのは、寝間着姿の熊獣人の男である。ストライプ柄のパジャマからは褐色の被毛に覆われた手足が伸び、短めのマズルの先からは、はあ、はあ、と苦しげに息を吐き出している。

  その顔はどことなく紅潮しており、衣服はじっとりと汗ばんでいた。

  

  隈倉健太郎(くまくらけんたろう)。

  

  まだ社会人になって数年、本人はそれなりに仕事が出来るようになった気でいるが、まだまだ周りからはひよっこと思われている熊獣人の若者である。

  熊は気怠そうにため息をつくと、ごろりと横を向いた。

  窓の外はそろそろ陽が沈もうかという時間帯だ。カーテンの隙間からは赤い光が床に差している。それを眺めながら熊は自分の身を呪う。

  

  (くそ……なんだってこんな時期にこんなことに……!)

  

  今日は12月24日、水曜日。

  一年に一度のクリスマスイブだ。

  

  家族や恋人や、誰もが自分の大切な人と過ごす日である。ケーキやご馳走を前にプレゼントを交換し合ったり、愛を囁き合ったりするわけだ。

  だが残念なことに、隈倉はインフルエンザにかかってしまって寝込んでいるのであった。それもほんの二日前から。

  確かに年末の忙しさで満足に眠れない日々が続いていた。体調不良は先週末から感じていたし、日曜の夜から咳も出ていた。本格的に悪くなってきたのは月曜日だった。明らかにおかしな咳をゲホゲホとし続け仕事の能率が落ちている隈倉を心配し、上司が早退させてくれた。だがその夜には40度近くまで熱が出てしまい、倦怠感と筋肉痛でほとんど身動きが取れなくなってしまった。その夜は寝苦しさでほとんど眠れなかったくらいだった。

  さらに翌日になっても発熱は続いており、隈倉はふらつきながらも近所の病院を受診し、そこでやっとインフルエンザと診断されたのである。

  処方された薬を貰って横になっていたのだが、そう簡単には発熱は収まらず倦怠感も強く、隈倉は依然としてベッドの上でうんうん唸っているという有様だった。何より月曜の夜から始まった節々の痛みが彼の睡眠時間を奪っており、隈倉は肉体的にも精神的にも疲弊していた。

  彼にも付き合い始めたばかりの恋人がおり、昨日向こうから見舞いに来ようかとメールで申し出てくれたのだが、彼女も会社勤めの身である。感染させるのもまずいだろうと考え見栄を張った隈倉は、心配するな一人で大丈夫だ、と返事をしてしまったのだった。

  だが、今の隈倉はそれを完全に後悔していた。

  元来隈倉は頑健な身体をしており、今まで風邪を引いてもほとんど医者にかかったことが無かった。そもそも病院も薬も好きではない。隈倉は今回インフルエンザに罹ったこと自体が生まれて初めてで、完全にその症状を舐めていただである。

  まさかインフルエンザがこんなに辛いとは思わなかった。

  頭は常に重く考えることを放棄したくなるし、身体は鉛のようで全くいうことを聞いてくれない。肩も膝も腰も熱を持って痛む。台所に立つことはおろか、トイレに行くことだってしんどいくらいだ。ベッドに横になっていても勿論苦しい。身の置き所が無いとはこういうことを言うのだろう。

  独りで過ごすにはあまりにもしんどい。

  (はー……。くそっ……せっかく考えてたデートプランも予約してたホテルも全部おじゃんだしな……)

  そう考えて余計に気分が落ち込む。

  実は、今の彼女は隈倉にとって初めて出来た恋人である。付き合って三ヶ月にもなるが、依然として清らかなお付き合い。

  奥手な隈倉は、まだ一線を超えることが出来ていないのである。せいぜい手をつなぐのが精一杯だ。

  なので、今日この日に賭ける隈倉の熱意は相当な物だった。

  このクリスマスイブをきっかけに聖夜ならぬ性夜にしてしまえればいいと、隈倉はそこまで考えていたのだが全て無駄になってしまった。

  心の内で、隈倉は酷く落胆していた。

  

  そこへ、

  

  ぴんぽーん

  

  室内にインターホンが鳴り響いて、頭に響いた隈倉は顔を顰めた。

  宅配便だか宗教の勧誘だかなんだか知らないが、身体の具合が悪くてとてもベッドから起き上がる気になれない。

  無視しようと思った。

  しかし、

  

  ぴんぽーん ぴんぽーん ぴんぽーん

  

  立て続けにインターホンが押される。

  だがそれでも隈倉は起きようとしなかった。枕を頭に被って、そのまま寝てしまおうかという魂胆だった。

  それほどに彼の調子は悪い。

  だが今度は、

  

  どんどんどん どんどんどん

  

  とけたたましくドアが叩かれた。さすがの隈倉もおかしいと思って顔を上げる。物凄く不機嫌そうな顔で。

  余程しつこい訪問者である。意味も無いことだが、ついついドアの方を睨んでしまった。

  次いで、がちゃりと新聞受けの外扉が押し開けられる音がした。

  

  

  「おーい、ケンタロくーん。生きとる?」

  

  

  そこから聞こえてきた野太い声に、隈倉は思わず身を起こす。

  あの声。まさか。そんなはず。

  驚愕に、思わず熊の青年の口が半開きになる。

  

  ――は?な、なんで?

  

  それは、毎日のように職場で聞いている声だったのだ。

  

  

  

  

  

  

  

  

  「おーい、ケンタロ君!ワシや!猪川部長が見舞いに来たったぞ!」

  

  

  

  

  

  

  

  

  [chapter:クリスマスなのに熱出して寝込んでたら猪上司がお見舞いに来たの巻]

  

  

  

  

  

  

  

  

  猪川周作(いのかわしゅうさく)。

  

  43歳。独身。

  太い眉が特徴の、隈倉の上司の猪獣人である。学生時代は柔道で鳴らしたとのことで、肩幅は広く前後にぶ厚い体格をしている。しかし最近の健康診断ではメタボリックシンドロームだと指摘されたとの噂で、事実、それも無理は無いだろうと言えるくらいに立派な腹周りでもある。

  典型的な体育会系の男で、部下は必ず下の名前で呼ぶ。酒を飲むのも大好きだ。

  飲み会でのノリはいいらしいのだが普段は強面の仏頂面、機嫌が悪いとオフィスで平気で怒鳴り散らすような人物なので、とても気さくに話しかけたりできるような相手ではない。

  

  ……そんな彼が、何故か隈倉の家の台所で料理をしている。

  

  その状況に、只でさえ熱のある隈倉は余計に頭がクラクラした。

  

  「ケンタロ君。きみんち出汁取るための何かって無いん?かつおぶしとか昆布とか」

  砕けた様子でそう言いながら、猪川が台所から隈倉が寝ている部屋へと入ってくる。1Kのアパートなので、キッチンと洋室が扉一枚隔てて繋がっているのである。やってきた時はスーツ姿だった猪川は上着を脱ぎネクタイを外し、ワイシャツの袖を捲り上げていた。どうやら仕事帰りに買い物をして、直接隈倉の家へ寄ってくれたようだった。

  慌てて隈倉はベッドの上で上体を起こし、

  「す、すいません。鰹節なら確かレンジの脇の棚に」

  と言いかけるが、猪川によって両肩を掴まれ再び布団の上に横にされた。

  「さっきも言うたやろが、病人は寝とりゃええて。場所だけ教えてくれればええわ」

  「は、はあ…」

  猪川は隈倉から情報だけ聞くとすぐに台所に戻って行った。隈倉はベッドに横になったまま、天井を見上げる。

  さすがに緊張していた。

  ――まさか直属の上司が自宅にまでやって来るとは!しかもたかが見舞いで!しかも料理まで!

  なんで、わざわざ猪川部長はうちに来てくれたのだろうか。全く理由が分からない。二人は特別に仲がいいわけでは決して無いし、自分が猪川部長に気に入られているとは全く思えない。それならば今年入った新入社員の柴犬獣人の方がずっと可愛がられているようなのに――。

  隈倉の疑問は尽きないが、猪川部長が見舞いに来てくれたのは事実だし、わざわざ隈倉のために食事を作ってくれているのも事実である。

  勿論、猪川が家に上がり込もうとしてきたときに、

  (ぶ、部長!俺のインフルエンザうつるといけないですし、さすがにそこまでは!き、今日は帰って頂いて――)

  と隈倉も固辞しようとしたのが、

  (何アホなこと言うとるんや、会社で予防接種を受けさせられたやろが。うつるもんかい)

  そう言って、聞く耳を持たない猪川部長は強引にズカズカと入ってきてしまったのだ。

  俺も予防接種受けてたのに罹りましたけど!……とはさすがに言い返せなかった。

  猪川部長が買ってきたであろうスーパーのビニール袋を先程見たが、それなりに食材を買い込んできてくれたようだ。

  (レトルトの粥なんかも買ってきたで、多少はこれで持つやろ)

  と言っていたから、数日寝込む羽目になる隈倉の体調を見越して色々買ってきてくれたのかもしれない。

  だが。

  嬉しくない、では言い過ぎかもしれなかったが、気が休まらないという意味では正直なところありがた迷惑である。

  はあ、と隈倉はため息をつく。

  

  ――部長。なんで急に俺の見舞いなんて。なんか裏でもあんのか……?

  

  そんなことを考えているうち。

  

  体力を消耗し疲弊していた隈倉は気付かぬ間に眠りに落ちていた。

  

  

  *

  

  

  ゆさゆさと身体が揺すられている。

  遠くで誰かに呼ばれているような気もする。

  気怠いような心地いいような不思議な感覚に、隈倉は思わずううん、と呻いた。

  

  「――ケンタロ君、いつまで寝とんの。起きろっちゅーのに」

  

  その声にはっとして隈倉は目を開く。

  顔のすぐ前に、眉間に皺を寄せた猪の顔があって隈倉の心臓が跳ね上がる。

  「ぶ、ぶ、部長!すいません!」

  隈倉の狼狽ぶりに猪は声を上げてがははは、と笑った。

  「なーにをそんなに慌てとんのケンタロ君は。まあもう少し起きるのが遅かったらきみの唇でも奪ったろかと思っとったけど」

  そう言って猪川は再び大声を上げて笑う。

  面白くも無い冗談だったが、隈倉も調子を合わせて愛想笑いをした。

  少しでも眠れたおかげか、先程よりは幾分か身体が楽だった。

  ふと目を落とせば、ベッド脇の炬燵の上に土鍋が乗っているのが見えた。お椀が二つに、ワイングラスも二つ。準備万端、という風情である。

  さらにその横に立っている瓶は、シャンパンだろうか。

  猪川部長も食べていく気なのか。酒まで用意してあるし。

  というかそれ以前に、ワイングラスなんて隈倉の家には無かったはずだ。まさか、わざわざ買ってきたのだろうか。

  「え、ええと……」

  面食らった隈倉は、戸惑ってしまうが

  「そこに座れや、今よそったるで」

  猪川にそう言われると逆らうことも出来ず、重い身体を引きずりのそのそと炬燵へと入った。

  「し、失礼します」

  その姿を横目に見て

  「ケンタロ君。きみ、まだだーいぶ辛そうやね」

  一応心配してくれているらしい猪川は、仏頂面でそう言いながら鍋の蓋を取る。「――ま、これでも食って元気出してや」

  と言い添えながら。

  もわっ、と湯気が室内に満ちた。鰹節出汁の匂いが香る。

  保温性の高い土鍋のおかげか、中身はまだぐつぐつと煮えている。黄金色に煮えた溶き卵の上に、緑色の刻み葱が映える。椎茸やしめじといったたっぷりのキノコに、白米に埋もれているごろりとした鶏肉。

  「これぞイノカワ特製たまご雑炊や!ぐふふ、一応クリスマスやからな、チキンを多めに入れたったわ」

  猪川が得意気に言い放つ。

  体調が悪く食欲が無いと考えていた隈倉でもうまそう、と素直に感想が出る見栄えだった。

  「い、イノカワ部長……意外な一面っすね……」

  思わずそんな言葉が出てしまって、隈倉は慌てて言い繕う。「や、いや、普段の部長は、あんまり料理とかしなそうというか、家事が苦手そうというか、その」

  言うたびに却って墓穴を掘っているようだった。怒らせてしまったかと冷や冷やしたが、だがしかし猪川はそんな隈倉を面白そうな目で見て、

  「ワシが何年独りで暮らしとると思っとんきみは。これくらい出来んでどうすんの」

  と言っただけだった。

  ことり、と隈倉の前に雑炊を小分けしたお椀が置かれた。

  詰まっている鼻でも風味が感じ取れた。反射的に隈倉の口腔内に唾液が滲む。

  「どれ、んじゃ始めよか!」

  猪川はシャンパンの瓶を手に取ると、慣れた手つきでシールに金具を外していき、近くに置いてあった布をコルクに被せ、静かに栓を外した。

  「あれ、コルク飛ばさないんですか」

  隈倉が尋ねると、猪川はじろりとその顔を見返した。しまった余計なことを言ったか、と隈倉の背中の毛並みが恐怖で逆立つ。

  「……ケンタロ君、きみテレビやなんかの観すぎやで。こないな狭い部屋で飛ばしとったら危ないやろ。コルク飛ばさんのはマナーってもんや」

  と猪川に呆れたように言われてしまった。

  「す、すいません」

  反射的に隈倉はいつものように頭を下げる。

  しかし、逆に言えばそれだけで済んだ。

  職場ではこうはいかない。要らない一言を発したために怒鳴り散らされた同僚や先輩を幾人も知っていた。

  (部長、もしかして今日は機嫌いいのかな…?)

  よく観察してみれば、いつもより表情が生き生きとしているような気がする。なんというか、頬も上気しているというか、肩の力が抜けているというか――

  「……なんやケンタロくん。さっきから人の顔をじろじろ見よってからに」

  仏頂面をした猪にそう言われて、隈倉は目をしばたたかせる。

  「な、なんでもないです」

  隈倉は咄嗟に部長の顔から目を逸らす。

  「まあええわ。ほれ、ついだる」

  猪川がそう言って瓶を傾け、隈倉のグラスにシャンパンを注いでくれた。そのまま手酌で自分の分も注いでしまう。

  「あ、すいません」

  「まあええて。今日は無礼講でな」

  猪川は瓶を置くと、隈倉の正面に胡坐を掻いた。「……ま、ぶっちゃけるとな、ワシもこんな夜に一人で飯食うのも侘しいでな、きみのところに見舞いがてらお邪魔させてもらったっちゅーわけやな」

  そう言って猪川は片目をギュッと瞑った。どうやらウインクのつもりらしかった。

  隈倉は驚いたが、なんだかおかしくもなってしまった。茶目っ気を出した猪川を初めて見たからだ。

  だがおかげでちょっと気が楽になった。

  

  猪川部長、案外悪い人ではないじゃないか。

  仕事場での厳しい顔の方が仮面を被っているだけで、こちらの方が素の彼なのではないのだろうか、という気がした。

  

  「ではメリークリスマス!」

  「め、メリークリスマス」

  

  そう言って若熊と中年の猪はグラスをぶつけ合った。

  

  

  *

  

  

  アルコールが入ったおかげもあってか、意外に隈倉と猪川との宴席は盛り上がった。

  職場ではあまり会話をするようなタイプには見えない猪川だったが、この日は何故か饒舌だった。

  

  「――なにケンタロ君、きみカノジョおったん!?」

  

  お互いにワイングラス三杯くらいを空けた頃。

  

  猪川に誰か看病してくれる人はいないのかと尋ねられた隈倉は、つい彼女からメールがでそういう申し出はあったが断ったと口を滑らせてしまった。初めて出来た彼女を誰かに言いたい気持ちも少しはあったのかもしれない。

  それを聞いた猪川は心底意外そうな顔をした。

  酒の入った猪川部長は、職場での仏頂面が嘘のように表情豊かだった。

  「や、い、一応ですけど。え、部長。てことは俺そんなカノジョいなそうに見えますか」

  「おう、きみあんまり遊んだりしなそうやし。……ま、そこがタイプやねんけど」

  「はい?」

  後半の一言を聞きそびれて隈倉は聞き返すが、

  「いやいや、何でもないわ。気にせんといて」

  頬をうっすらと朱に染めた猪川は首を横に振ってニヤリと笑う。「んで、ケンタロ君。きみら何処まで行ったん?」

  「え、何処までって」

  「いやいやそのカノジョと。さすがにもう一発くらいはヤったんやろ?でへへ」

  だらしない笑みを浮かべて猪川はそう尋ねた。

  唐突に卑猥な問いかけをされた隈倉は固まってしまい、誤魔化すことも出来なかった。何も言えないまま頬がみるみる染まるのが自分でも分かった。

  「え、何、なんでそないに顔赤くしとん。……まさか、まだなん?そうなん?ええっ!?だって付き合って3か月って――いやー!ケンタロ君、きみ今どき純粋やねー!ピュアっピュアやーん!」

  猪川は楽しそうに声を上げるが、隈倉としては恥ずかしいだけである。

  こっちはちっとも嬉しくない。

  「そ、そういうことあんまり大声で言わないでくださいよ……」

  「や、気ぃ悪くしたならすまんかったわ。めんごめんご」

  猪川は笑いながら縦にした手を顔の正面で何度か前後させ謝る仕草をするが、別に反省しているようには見えなかった。

  隈倉も少々憤慨しつつも、相手が上司なのでそれ以上は何も言わなかったが。

  「お。それよりケンタロくん、きみ次何飲む?」

  猪川が隈倉の手元を指差す。気付けば既に隈倉のグラスは空だった。

  「えーと……」

  隈倉は悩む。アルコールの力で症状が紛れているとはいえ、一応病気をしている身である。あまり量は飲まない方がいいかもしれない。

  そんな隈倉の逡巡を感じ取ったのか、猪川が額を叩く。

  「そや、ワシも忘れとったけどケンタロ君てばそもそも病気しとんのやったな。そしたらこれ飲む?ノンアルコールも買うて来たで」

  そう言って猪はごそごそと背中側に置いてあったビニール袋から缶を取り出した。市販のアルコールゼロを謳うカクテルだった。

  「あ、じゃあ、それ頂きます」

  猪川が缶の中身をワイングラスに注いでくれたので、隈倉はそれに口を付けてごくごくと飲んだ。

  「お味はどうや?」

  猪川がにっこり笑ってそう尋ねてくる。

  隈倉はちょっと困った。あまり、美味しいとは言えない味だったからだ。なんというか、苦いと言うか、舌が痺れるというか。

  というか、マズイ。

  しかし、上司がわざわざ買ってきてくれたものである。あまり正直に言うのもいかがなものか。

  気を遣った隈倉はもう二、三口飲んでみてから、

  「うーん……俺はあんまり好きな味じゃないかもしれません……」

  今の酔っぱらった猪川はご機嫌そうなのでこう応えても大丈夫だろうと思い、少しぼかしてそう言った。

  「まあ、そらそうやろなァ」

  

  ――あれ?なんか、おかしい。

  と隈倉は思った。

  

  目の前にいるはずの猪川の返事が、酷く遠くから聞こえた気がしたからだ。ぅわんぅわん、と耳の中で反響するように。

  それどころか、うんうん、と顎に手を当てて満足そうに頷いている猪川の顔が妙に歪んで見える。視界が明滅する。切れかかった蛍光灯のように。しかし部屋のそれは大掃除で替えたばかり。

  

  ――こんなに自分は酒に弱かったろうか。

  

  いやいや、それともまた熱が上がってきてしまったのだろうか。

  まるで地震か何かのようだった。

  身体が足元から揺れているような気がした。

  

  ふらふらとする。

  

  壁が、天井が、景色が、回る。

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  「――だって、それ、ワシがきみのために特別に作ったオクスリやからなァ……」

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  ニヤニヤと笑う猪川のその言葉を最後に、隈倉は意識を失った。

  

  

  *

  

  

  次に目を覚ましたとき、隈倉はほとんど身動きが取れない状況だった。

  身体が怠いだとか重いなどと言うレベルでは無かった。薬の影響か病気のせいか分からないが、それこそ指一本動かすのが精一杯だった。

  おそらく真正面に見えている天井と背中の感触からして、今自分がいるのは明かりの消えた自室、そのベッドの上でである。そこに大の字に寝かされているのだ。

  「う……」

  口も上手く動かない。呻くような声しか出ない。

  身体がかっかと火照っている。筋肉痛も酷い。今度こそ熱が上がってきているようだった。

  

  「……あら。ケンタロ君、もう起きたん?」

  

  薄闇の奥から、そんな声が聞こえた。

  少し意外そうな、驚いたような、しかし笑いを含んだように嬉しそうな声。

  

  ――猪川部長。

  

  信じられないことだが、先程飲まされたカクテルの中に何か薬剤が混入されていたようだった。

  それもおそらく、相当強力な。もしくは大量の。睡眠薬か筋弛緩剤か。

  「ぶ、ちょう」

  隈倉は、顔をほんの少しだけ上げてそれだけを唸る。

  「なーにケンタロ君?きみえらく元気ないやん。どうしたのん?」

  猪川は白々しくそんなことを言ってくる。

  ぎしり、とスプリングが軋む。体重の重い猪川部長もベッドの上に乗ってきたのが分かった。

  隈倉の顔の両側に手が置かれる。猪川が見下ろして来る。ワイシャツの前が開かれ、筋肉の上に分厚い脂肪のついただらしない身体が丸見えだった。

  猪川の顔が隈倉に向かってゆっくりと下りてくる。熱い吐息がかかった。

  隈倉は悲鳴を上げようとしたが、喉が掠れて声が出ない。

  その首筋で猪は興奮した様にふごふごと鼻を鳴らす。獲物の香りを嗅ぎ取るように。

  数秒後、猪川は顔を上げると

  「――あらケンタロ君、ずいぶん汗だくやないかあ。ちょっとワシがお洋服脱がしたるで……あ、ええでええで、君は動かんくて。おじちゃんに任しとき……ぐふふ」

  まるで着せ替え人形のようだった。

  隈倉の腕は全く自力では上げられないというのに、猪川はこういうことに手慣れているのか、隈倉の肘を曲げ先に片袖を通し首を抜く。かと思えば反対側の腕に服をまとめ、あっという間に隈倉を上半身裸にしてしまった。

  猪川の手が、隈倉の胸を、腹を這い回る。

  嫌悪感に、ぞわりと隈倉の被毛が逆立つ。

  「げへへ、やっぱケンタロくんええ身体しとるね……若いっちゅーのは羨ましいわ。ワシ、もう辛抱利かんで」

  猪川が、隈倉の身体に跨るようにして身体を寄せてくる。

  そこで目にしたものに、隈倉は再び叫び出したくなるほどの恐慌に駆られる。

  トランクス一枚となった猪川の下半身の一部が、天を突く様に盛り上がっていたからである。

  「ぶ、ちょう、やめ……」

  隈倉のゆるゆると首を振りながらの必死の声も、猪川を却って喜ばせただけだった。

  猪は気怠そうに首を振る熊の青年を見つめ、目を細めてニッコリと笑ったのだ。

  「ええねええね、その本気でイヤそうゥ~な感じ。でもね知っとった?ワシね、そういうの大好きやねんなァ」

  猪川はにやにやと口の端を吊り上げながら、下着の前開きからもぞもぞと逸物を取り出す。

  太く短く、しかし猛々しく屹立した赤黒い肉棒が隈倉の眼前に突き出された。猪川の鼓動に合わせるように小さく脈動している。

  半分皮を被ったそれはむっとするような臭気を放っており、隈倉は吐き気を覚えてえづいてしまった。

  一瞬、隈倉の口がわずかに開く。

  それがいけなかった。

  その時を狙いすましたかのように、猪川が隈倉の口内へ自らの愚息を押し込んできた。

  「んぐっ……!」

  思わず舌で押し返そうとするが、無駄な抵抗だった。喉奥まで無理矢理極太の肉塊を詰め込まれ、隈倉は苦しげに呻いた。

  上手く呼吸が出来ずに涙目になる熊の青年の頭の毛をひっつかみ、猪川は腰を前後させ始める。

  「ぐひひっ、あぁ……ええねえ気持ちええよケンタロ君、きみやっぱり才能あるわァ……!」

  目を血走らせながら猪川はふごふごと鼻息を荒げる。

  隈倉はどうにか逃れようと身体を動かそうとするが、依然として身体に力は入らない。かろうじて動く首もほんの少し捩るのが精一杯で、この場から脱出する役には立ちそうになかった。

  そうこうしているうちに、隈倉の舌の上に温かな塩味が広がってきた。

  

  口の中に差し込まれた猪川の先端から、粘液のようなものがとろとろと出てきている。

  

  そのことに気付いた隈倉は、おぞましさに目を見開いてくぐもった声を上げた。

  「――ッ!――ッ!」

  だが猪川はそれを見ても嬉しそうな表情を変えない。いや、先程よりもずっと愉しげに笑っている。

  嫌がる隈倉を見て、さらに興奮しているようだった。

  その証拠に、隈倉の口の中の肉棒はぐんと硬さを増す。

  「ケンタロ君てば、先走りでそんな悦んでくれちゃって。げへへ、ワシも頑張り甲斐があるってもんやなァ、おいしいやろ?……メインディッシュももう少しで味合わせたるで」

  ずん、ずん、と隈倉の口の中から逸物が出し入れされるペースが上がる。

  次第に近づいてくる“その時”に隈倉は恐怖する。

  そんなもの、絶対に口の中に入れたくなかった。

  (やめてくれ……!嫌だ……!)

  だがその願いも虚しく、息を荒げた猪川が吼える。

  

  「ふうっ……うぅっ……!ほなイくでえっ!ケンタロくん!しっかり全部飲んでや!」

  

  モノを思い切り喉奥まで差し入れられ腹が隈倉の鼻に押し付けれたところで、猪はぴたりと動きを止めた。

  と同時に、どぅるるっ、と粘性の高い液体が隈倉の咽頭に勢いよくぶつかる。

  何度も何度も、肉棒がびくんびくんと律動するたびに特濃の精液が射出されては隈倉の喉奥を叩く。

  「あぁァ、やっぱ、たまらんっ……」

  猪も射精の度に身体をびくつかせながら、恍惚として熊を見下ろす。

  「――……っっ!」

  隈倉は目からぽろぽろと涙を流しながら口腔内に充満していく精液に耐えていたが、あまりの量と青臭さに、堪え切れずにむせ返ってしまった。

  「ぐほっ……!ぐぶうっ……!」

  しかし口は猪川の肉棒で栓をされているため、逆流した白濁は自然と熊の鼻から飛び出すことになった。

  隈倉のマズルに密着していたせいで、猪川の腹にもべたりと粘液がついた。感触でそのことに気付いたのか、猪川は意地悪そうな目で隈倉を見下ろした。

  「アッレェーケンタロ君?ワシのおいしいザーメンちゃん何鼻から零しとるの?ひゃひゃひゃマジうけるなあ?まあそんなお汁垂らしとるケンタロ君も素敵なんやけど!」

  ずるり、と未だ萎えない逸物を引き抜くと、猪川は熊の青年の顎をむんずと掴んだ。

  発熱と酸欠で朦朧としている隈倉の眼前に眩しい光が当たったかと思うと、かしゃり、と小さなシャッター音が鳴り響く。

  猪川が、手にした携帯電話で写真を撮影していた。

  「ぐふふ、えらく男前に撮れとるでケンタロ君?」

  猪川は愉快そうに携帯を眺めると、熊の顔を手放した。

  「まあそれはそれとしてなケンタロ君、ご主人様のザーメン零すとかまあ、許されんよなぁ?ちょっと恥ずかしい思いでもしといてもらおか?」

  言うが早いか、猪川が隈倉の視界から消える。

  隈倉のズボンに手がかかる。放心状態の隈倉は、今度は声を出すことすら出来なかった。下着まで一気に剥がされ、隈倉は一糸まとわぬ姿にされてしまう。

  気付くと、下半身でかしゃり、かしゃり、と何度もシャッター音がする。

  両足を持ち上げられ、またそこでも、かしゃり。

  恥辱に、隈倉の顔が歪む。

  (っの野郎……!絶対殺してやる……!)

  再び、猪川が隈倉の視界まで上がってきたかと思うと、携帯の画面を眼前に見せつけてきた。

  「ほらケンタロクン、きみの童貞ちんぽからけつの穴まで写真取ったったで、嬉しいやろ?……わぁすごい目で睨むなァ、でもわしそんな風に怒ってる子をヒーヒー言わせんのめっちゃ好きなんよ」

  そう言い残すと、するすると再び猪川の頭が隈倉の腰の辺りまで下がっていく。

  かと思うと、力の入らない両脚を抱え上げられてしまった。その間に、猪川の身体が割って入ってくる。

  ぴとりと“その部分”に熱いモノが押し当てられて隈倉の身体を怖気が走る。顔が引きつる。

  「ぐふふ……いくら童貞のケンタロくんでも、何されるかもう分かるやろ?今すっごくええ顔しとるでえ。ワシ、犯す時は絶対正常位って決めとるんよ。その方がな、相手の表情がよう見えるしね?」

  やめろふざけるな、と隈倉は口にしたつもりだったが猪川には全く届いていないようだった。

  猪川の腰が前へと進む。隈倉への挿入が始まった。全くほぐされておらず使ったことすらない隈倉の尻穴は懸命に侵入を拒むが、硬く屹立した猪川はそこをめりめりと押し広げていく。

  抉られる様な激痛と圧迫感に隈倉は首を捩って叫ぶが、掠れたそれは声になっていない。

  猪川はそんな熊の様子を見て心底楽しそうに嗤う。口の端から唾が垂れる。鼻息を荒げる。

  

  ――さらに腰を進めてくる。

  

  ずりゅっ

  

  と何かを乗り越えた感触がして、ほんの少しだけ隈倉の痛みが和らぐ。猪川も動きを止める。

  「……っはあ……はあ……っ」

  思わず隈倉は荒く息をつく。いつの間にか息を止めてしまっていたのだった。

  どうにか全部入ったのだろうか。

  そんな疑問が隈倉の顔に浮かんでいたのか、見下ろす猪川がニヤニヤと嫌な笑みを浮かべた。

  「少ぉしラクになったやろ?……でもなケンタロくん、まだほーんのさきっちょだけやでえ?」

  猪川は隈倉の表情が変わるのを楽しんでいるようだった。中年猪の嘗め回すような視線にまで、隈倉は犯されているような気がした。

  「んじゃァケンタロ君、あとは一気に行せてもらうわっ」

  その言葉を合図として猪川の逸物が最奥まで突き入れられる。

  「っぁ……!」

  ずぶりと杭を打ち込まれたような壮絶な苦痛に、隈倉は喘ぐ。

  だがそんな熊に構うことなく猪はゆっくりとピストン運動を始める。隈倉は責苦から逃れようとどうにか動こうとするが、まだ身体は言うことを聞かない。

  猪川は隈倉の腰を抱えるようにして、何度も何度もその尻を抉る。興奮した猪川の涎が、ぼたぼたと隈倉の身体に落ちた。

  中年猪の腰の動きが速度を上げていくにしたがって、痛みしか感じなかったはずの隈倉の穴がやがて麻痺したかのように鈍感になってくる。

  さらに、

  「――うぅっ!」

  ある一点を突かれた瞬間、まるで神経を触られたかのように隈倉は身体を硬直させた。

  それを、猪川は見逃さない。

  「おっ、今のとこか?ここか?んん?ここやろ?どうやケンタロ君っ?」

  「あっ!?うっ、ぐぅっ!?」

  隈倉の視界が眩む。

  身体が震える。

  頭が痺れる。

  声を出すことを堪えられない。

  執拗に何度も同じ一点を擦られて、萎えていたはずの隈倉の逸物もむくむくと勃ち上がってきてしまう。

  

  つまりは。

  

  

  ――気持ちがよかった。

  

  

  混乱した隈倉の目尻から、悔しさと屈辱で幾筋も涙が伝う。

  「……げへへ!ワシ、ケンタロ君のGスポットめーっけた!」

  猪川は隈倉が感じてしまうその部分を、敢えて焦らす様にゆっくりと擦り上げる。

  それだけで隈倉の半勃ちの逸物からは透明な粘液がとぷりと溢れた。

  「ワシのちんぽ、カリが張ってるのが自慢やからなあ。こうやって前立腺抉るのに最適なんやでェっ!ほれ!ここやろっ!」

  「ううっ!ぐぅっ!」

  掛け声とともに猪川が腰を突き出すたびに、隈倉の逸物は白いものが混じった粘液を吐き出しながらさらに体積を増していく。

  後ろから責められているだけで、隈倉の腰の周りに熱が淀んで来る。

  指一本、前には触れられていないというのに。

  そのことが堪らなく屈辱的だった。

  

  そして。

  

  「あぅ……っ!」

  一際高く唸った隈倉が目を見開き、一瞬その陰茎がぴくりと動きを止める。

  それを見て猪川もピストン運動を止める。

  かと思うと次の瞬間、屹立した隈倉の先端からドロドロと濃厚な精液が流れ出て、竿を伝って腹に落ちていった。

  射精、してしまったのだった。

  尻を弄ばれただけで。

  男に掘られて。

  情けなく、垂れ流す様に精液を漏らして。

  それを見て、猪川はげへへへと下卑た笑いを浮かべる。

  「あーあ。ついにケツでイってもうたなケンタロ君。……きみ、童貞捨てる前に処女捨てたんやで。もう戻られへんわァ。もう女抱くのんなんかじゃ絶対満足できんで、きみ」

  意地悪くそう宣告するとパンパンと、猪は前後運動を再開させる。

  射精後の疲労感とショックで脱力していた隈倉が、再び苦痛で顔を顰める程の強さで。

  「もう……やめ……っ!」

  何度目かになる懇願は、今度もやはり中年猪には届かなかった。

  興奮と愉悦に顔を歪めて、猪川は隈倉を甚振る。

  獣のようにまぐわい続ける。

  「ぐひひ、やっぱりちょっと熱出してるくらいの方が暖かくっててええなあ……!おらっ!そろそろワシも出すでっ!ぐおおおおおオオオオッ!」

  猪川は雄叫びを上げて限界まで怒張した逸物を最奥まで突き入れ、そこで動きを止めた。

  

  ほぼ同時に凄まじい勢いの射精が始まった。

  

  隈倉は、自分の腹の奥に熱いモノが叩きつけられるのを感じる。

  繰り返し、繰り返し。

  挿入された肉棒が暴れまわる様に精子を撃ち出す。

  一度目と遜色の無い量と濃さの精液が、断続的に隈倉の中に注がれていった。

  猪川は種づけの快感にびくりびくりと震えながら、茫然と涙を流す若熊の身体に覆いかぶさってその身体をぎゅうと抱きしめた。

  

  

  よしよし、と赤子をあやす様にその頭を撫でると、耳元で優しく囁く。

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  「――泣かんでもええんやでケンタロ……。これからはな、ワシがきみのことうんと愛して幸せにしてやるさかいに……」

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  時刻は午前0時を回ろうかという頃。

  

  こうして熊と猪の聖夜は更けていった。