11話 イチ、歯医者へ行く (完) よせあつめ外伝30

  「あがっ!! あがががッッッッッッッ!! んがぅ”ぅ”ぅ”ぅ”ぅ”ぅ”ぅ”ぅ”!!」

  イチは言葉にならない叫びをあげている。

  足踏み式のドリルの刃がゴリゴリと歯の象牙質を削ってゆく痛みは想像を絶する。

  椅子のひじ掛けを握る指先は真っ白になり、スカートから覗く太腿は激しい緊張で筋肉が張り詰めている。

  「イチさん、頑張って!」

  ミュルガルデはイチが苦痛のために飛びのいてしまう事を心配しイチの肩をおさえながらメイヤーブ医師の治療を見守っている。

  メイヤーブ医師は開口器具で閉じられないようになったイチの口内ではドリルガリガリと歯の削られる嫌な音が鳴り続けていた。

  「い”っっっっっっ__________があああああああああああゅッッッッ!!」

  「もう少しで削り終わるぞ。辛抱せい」

  メイヤーブ医師も必死である。

  彼とて無暗に患者に苦痛を与えたくはない。

  しかし今とは時代が違う。

  治療にかかる時間は倍以上、痛みは数値化できるものではないが患者が感じる苦痛は想像以上だろう。

  「ぎゅうううううううう!! はがあああああああああああああ!!」

  頭蓋骨を砕かれるような痛みに耐え切れず、イチは泣き叫びながら子供のように地団駄を踏んでしまう。

  不屈のイチと呼ばれる冒険者も麻酔なしに歯を削られたのでは堪らない。

  「ミュルガルデさん。もうすぐ歯髄腔まで届く。ここが危険だ。しっかり押さえておいてくれ」

  歯髄腔とは神経が詰まった部屋のようなもので、神経が詰まっているという事は致命的なまでに敏感な部分ということである。

  メイヤーブ医師はドリルでそこまで穴を掘ろうというのだ。

  「はい…………。イチさん! 頑張って!!」

  ミュルガルデは涙と鼻水で顔をめちゃめちゃにしたイチが泣き叫ぶのを沈痛な面持ちで見つめた。

  痛みを和らげられるものならそうしてやりたいが、治癒魔法と無痛化の魔法は系統が違いミュルガルデには使えない。

  イチの身体を押さえつけるのは彼女なりの優しさだが、イチからすれば優しい拷問官になってしまっている。

  「よし。あと少しだ。さん、にい、いち…………!」

  「ひキッ!! ピャッアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッッッッッッッ!!」

  ドリルが市髄腔まで達した瞬間、イチは尋常でない悲鳴をあげた。

  それでもドリルの歯は止まらずイチの歯をゴリゴリと削り取ってゆく。

  イチは眼球が飛び出しそうなほど目を見開き、何度も地団駄を踏む足が床を突き破りそうな勢いだ。

  書いている筆者もだんだんいたたまれなくなってきたほどである。

  「えはッ_____!! ひッ_____!! かはッひッ_____!!」

  鋭い痛みだけが苦痛ではない。

  イチは口の中の綿が吸いきれなくなり行き場を失った唾液と血で溺れそうな苦しみに喘いだ。

  「よし。一旦綿を取り換えよう。ミュルガルデさん。淡壺を出してやってくれ」

  メイヤーブ医師が次の治療の段取りをしている間にミュルガルデはイチの口の中の綿をとってやり、溜まった体液を吐き出せるよう淡壺を差し出してやった。

  「ペッ!! ペッ!! __________ひいいいぃぃぃぃぃぃぃいん!!」

  開口器具を外され一瞬ヘッドレストの拘束から頭を解放されたイチは溺れないよう淡壺に血の混じった唾液を吐き出すと彼女らしくない声をあげて泣いてしまう。

  たまらずミュルガルデに抱き着いた。

  「グスッ__________痛いよぅ、痛すぎるよぅ! グスッ___こ、こんなに痛いなんて、知らなかった。……………………もう無理、グスッ___これ以上は無理だ!! __________グスン」

  「イチさんはよく頑張っています。もう少しの辛抱です。どうかここは頑張ってください」

  ミュルガルデは優しい女性だ。

  いつも気丈なイチが意地もプライドも捨てて子供みたいに泣きじゃくっている様子に同情し目を潤ませている。

  「辛いだろうが、ここで止めたら元も子もない。もっと悪くなるだけじゃ。」

  メイヤーブ医師はこのような場面を見るのが日常茶飯事なのか落ち着いている。

  落ち着いたまま、針のような器具の先端をアルコールランプで焙っている。

  その先端が真っ赤に光っているのを見てイチはボロボロ涙をこぼした。

  「そ、それで、な、なにを……………………」

  「この針で神経を焼潰すのじゃ。痛いが辛抱せえ。そこまで長くはかからんぞい」

  「嫌だッ____________________!!」

  椅子から飛びのき逃げ出そうとしたイチの体をミュルガルデが押さえつける。

  「イチさん! いけません! もう少しの辛抱です。もう少しの辛抱ですから!」

  「ミュルガルデ!! 助けて!! ミュルガルデ!!」

  半狂乱で泣き叫ぶイチ。

  これは想像でしかないがイチが彼女の人生の中で味わった苦痛の中でこの歯科治療は3本の指に入っていておかしくない。

  1番は後に十大魔術師である『惨憺たるトロワ』に捕らわれ酸鼻を極める拷問にかけられた時であるのは間違いないのだが、この歯科治療が2番目にきていても不思議ではない。

  「嫌だ!! やめてくれミュルガルデ!! 放してくれミュルガル__________もがっ!!」

  泣き叫ぶイチだったがミュルガルデの膂力で再びヘッドレストによる拘束を受け、開口器具で顎を全開にされるなり新たな綿をギュウギュウに詰め込まれた。

  「おががッ!! あがががががッ!!」

  肩をミュルガルデに押さえられたイチは、視界に映った映った赤熱化した治療器具を見ておかしいくらいに震えている。

  「ミュルガルデさん。しっかり支えてやるんじゃぞ」

  「__________はい」

  身動きを封じられたイチの口の中に熱気を発する治療器具が最新の注意をもって挿しこまれた。

  流石にメイヤーブ医師の額にも汗が浮かんでいる。

  「ひッ! ヒュッ! ヒュッ! ヒュッ! ヒっ!!」

  頬の中からジワジワとした熱を感じ、イチは過呼吸を起こしかけている。

  しかしもうどうしようもない。

  開口器具で無理矢理開かれた口に瞳孔が開いた目。

  汗で髪は額に張り付き荒くなった鼻息は止まらない。

  せっかく整った顔もこうなってしまっては台無しである。

  「__________いくぞい」

  そして遂にその瞬間が訪れた。

  ジュッ、と熱が肉を焼く湿った音が響く。

  「ピイイイイィィィィィィィィィィィィィィィイイッッッッッッッッッッッッ______________!!」

  想像したくないほどの凄まじい痛みにイチは警笛のような叫び声をあげるなり、意識をどこかに飛ばした。

  意識を飛ばしたまま身体を痙攣させ、青い瞳がグルンと白目を剥く。

  白目を剥いて気を失った途端、ジタジタジタと水のほとばしりが革張りの椅子に飛び散る音が響く。

  耐えられず失禁してしまったようだ。

  「無理もない。かえって都合がいい。目を覚ます前にとっとと終わらせるぞい」

  メイヤーブ医師は立ち上る尿臭に嫌な顔をする事無く、まだ残った神経を焼潰す為にあらたな針を手に用意した。

  患者が失禁することなど珍しくないのだろう。

  「イチさん……………………かわいそうに」

  ミュルガルデはイチの脈拍に異常がない事を確かめると同情の涙を浮かべながら雑巾を用意した。

  イチの粗相を処理するためだろう。

  「言うまでもないじゃろうが、歯は大切にしなさい。このお嬢ちゃんはまだ歯を失わずに済んだが、失われた歯はもう戻らんからな」

  まだ残ったイチの歯の神経を冷静に焼き潰してゆくメイヤーブ医師を見ながらミュルガルデは「モーーー」と怯えた鳴き声を出しながら何度も何度も頷くのであった。

  ◆

  「もう、二度と虫歯にはなりたくない」

  歯の治療を終えたイチとミュルガルデは冒険者通りを歩いている。

  イチは片手に紙袋を提げており、中には濡れた下着が入っている。

  ノーパンで帰る事になったが仕方のないことだった。

  「イチさん、よく頑張りましたよ。わたし、あまりお力になれずすみません」

  「いや。ミュルガルデがいてくれてよかったよ。今度お礼をさせてくれ」

  イチは笑って見せたが弱弱しい笑顔だった。

  まだ口の中に強い痛みを感じているせいだろうが、とりあえず歯の根幹治療は終わり、今は被せ物ができるまで一時的に硬化スライムで蓋をしている。

  「昔の治療はもっとすごくて、道具で歯を引っこ抜いたり、酷い時代には硫酸を流し込んだらしいな」

  イチは帰り際にメイヤーブ医師が教えてくれたことを思い出した。

  医学的根拠のない力業の治療で取り返しのつかない事になる患者も少なくなかったそうだ。

  そう考えればこの時代の治療はまだ医学に立脚しているだけマシなのかもしれない。

  「なにしろ、歯は大切にですね。今度から歯磨きをしっかりしなくてはだめですよ」

  そう言ってミュルガルデは彼女にしてはからかうように笑った。

  「してるさ! ……………………してるけど、もっと念入りにする」

  結局今回の件でイチは不要な激痛を味わっただけでなく、高い治療費を払うことになり、おもらしする醜態まで晒してしまった。

  教訓にしないわけにはいかなかった。

  「……………………わたしが漏らしたこと、みんなには内緒にしてくれよ」

  彼女たちの住処であるルーナハイムの玄関でイチは小声で言った。

  「当たり前ですよ」

  当然優しいミュルガルデが他の物にイチの粗相を言いふらすようなことをするわけがない。

  イチはどこか恥ずかしそうに笑うと感謝の意味をこめて頷いた。

  ルーナハイムに戻ると居間にいたのはハーフエルフのタオ・メイメイだけがいる。

  他のものは用事か何かで出ているらしい。

  イチは汚れたショーツをさっさと隠すために急いで2階へと上がっていった。

  「あら?」

  ミュルガルデは読み書きの勉強をしているためにテーブルに本を広げているタオ・メイメイがどこか辛そうな顔をしているのに気づいた。

  まるで口の中に棘でも刺さっているような表情をして勉強が手についていない。

  「メイメイさん。どこか悪いんですか? 辛そうに見えますよ」

  タオ・メイメイはへの字に曲げた唇をしばらくモゴモゴと動かした。

  言うべき言うまいか迷ったようだが、ミュルガルデに言ったほうが事態はいくらか悪くない方向に進むかもしれないと判断したのだろう。

  不機嫌そうな顔を更に不機嫌に歪めて小さな声で言った。

  「歯が、痛いのよ」

  イチたちの冒険は続く。

  タオ・メイメイの虫歯を治す為に歯医者はドリルを磨いて待っている。

  『イチ、歯医者へ行く・完』