10話   「私は冒険者だ。立場で動かない。」 虜囚イチ救出作戦10

  瘴気のような土煙を足から巻き上げ髑髏のバッチがゆく。

  一本に結った黒い髪は災いをもたらす黒い竜のようになびき、命のやり取りに昂った深翠の眼は狂気に爛々と輝きながら、どこまでも冷徹な鋭さを這わせている。

  馬よりも早くひた突き進みながら右に左に斜めにと、幽鬼の舞いにも見える悍ましい動きに規則性はない。

  リャンが揺れる度に手にしたカーペイト零式から悪意の弾丸が放たれる。

  リャンは照星の先の目標がこちらに向けた銃の引き金を引く事すら叶わずその場に崩れて倒れるのを見る度に歪んだ笑みを浮かべた。

  重力を無視したような前傾姿勢のままとんでもない速さで疾走し、誰にも予測できな脚さばきで壊れた機械人形のように揺れながら遙か向こうの目標を無力化していく様は、それは誰の目から見ても驚嘆すべきものなのだろうが、同時に誰の目から見ても異様で悍ましいものであるのは間違いなだろう。

  はっきり言って、あまりにも常軌を逸しており気持ち悪い。

  その、人ではないような何かはクロヌマーブ駐屯地の鉄条網を軽く飛び越え、姿を消した。

  ◆

  「迎撃、迎撃だ! リャンを近づけさせるんじゃあない!!」

  ジハックは兵舎を盾につかい射撃に身を晒さぬよう叫んだ。

  叫んだが、答えるものはない。

  まさかと思い周囲を見ると、そこらに脚や腕を撃ち抜かれてのたうち回っている兵の姿があった。

  「________っ」

  ジハックは流石にその明晰な頭脳が凍り付いた。

  いったい何が起きたというのか。

  ケパックが撃ち抜かれ、ガトリング隊が沈黙し、身を守る為に兵舎の影で身を伏せていたその間に周囲の兵が全滅していたのだ。

  ____わしは、いったい、何を相手にしているんだ。

  リャン・ハックマンである。

  しかしジハックは一時、その事実を忘れた。

  戦場でリャンと敵対するのはこれが初めてだった。

  たったひとりで小隊規模の兵力を相手に出来る伝説級の冒険者。

  魔王軍の十大魔術師に対抗しうる、冒険者の鬼札、髑髏のバッチを授けられた『破天』の名で呼ばれる英雄。

  馬よりも早く駆け、熊のように人を千切り飛ばし、嘘のような遙かから敵を撃ち抜く女。殺しの怪物。

  ジハックは決してリャンの伝説を疑っていたわけではなかった。

  しかし、その狂気じみた伝説を実際に目の当たりにすると矛盾したことだが何だかペテンにかけられているのではないかという気になった。

  即ち、「そんな人間が実在するはずがない」と。

  やにわにジハックはベルトのホルスターから拳銃を抜くと駆けだした。

  その視線の先には絞首台がある。

  ____あの女だけでも、あの女だけでも始末せねば。

  それは衝動であった。いや、恐れと言い換えてもよい。

  リャン・ハックマンがわざわざ奪回しにきたのだ。

  将来、軍にとって脅威になるだろう。

  ジハックはリャンの狙撃に身を晒すのも気にせず、負傷した脚のために足をもつれさせながらも駆けた。

  基地内では銃声と銃声が交差しているが、聞こえる悲鳴は国防軍のものばかりだった。

  「イチぃ________ッ!」

  ジハックは拳銃をイチの背に向けた。

  絞首台の下、そこだけ切り抜かれたように影が落ちている。

  「ジハック____」

  イチはゆっくりと振り返る。

  先程まで気を失っていたのだろう。

  その動きに力はない。

  いつの間にか後ろ手に縛られていた手を身体の前に回し、武器のつもりか両手に石礫を握っている。

  ジハックの拳銃が自分に向けられているのを知ると、精魂尽きた目を剥き石礫を投げつけようと身構える。

  ジハックはそのイチを見て戦慄した。

  ____戦う気か!?

  正直言って、この場でジハックがイチにそこまでの脅威を抱く心情が筆者には想像し難い。

  しかしジハックはイチの目を恐れたのではないか。

  何故目の前の少女はこのような目が出来るのか。

  そこには怒りも絶望もない。まっすぐに、生への執着で輝いていた。

  生の輝きは未来への勇気である。

  その先の道にいかような艱難と辛苦が待っていようと、屈せず冒険の道を進む希望の光である。

  まるで絵に描いたような冒険者ではないか。

  そう思い、恐れたのではないだろうか。

  そして、ジハックはかつて同じ目をした者を見た事があった。

  ____まるで、勇者ではないか……!

  ほんの一瞬、銃口を下げたジハックに向けてイチが手を縛られたまま振りかぶった!

  「石で何ができるかっ!」

  「あうっ!」

  ジハックは我に返るとイチに銃口を向け引き金を引いた。

  至近距離だったが気圧され動揺があったのだろう、狙いが定まっておらず咄嗟に腕を上げたのでイチのこめかみを掠って致命傷にはならなかった。

  が、その衝撃は折角立ち上がったイチを再び地面に転がすには十分だった。

  「冒険者が!」

  ジハックはイチを見下ろした。

  僅かに残った気力で立ち上がっていたのだろう。

  脳震盪のためかだらりと手足が力なく伸びていた。

  その心臓に銃口を向ける。

  不屈の冒険者だろうとなんだろうと、心臓に銃弾を撃ち込めば、死ぬ。

  「プラゲ者が」

  ジハックは彼の故郷で『疫病神・やっかいもの』を意味する悪態を吐いた。

  撃鉄を上げ、引き金を指にかける。

  トドメの弾丸を撃ちこみ、それで全てが終わりになるはずだった。

  ……だったが、その動きは凍結させられたかのように固まった。

  恐ろしい何かが背後にいるのに気が付き、その為血液まで凍ったかのように身動きができなくなった。

  その恐ろしい何かは地獄からの使者を思わせる低く静かだが不気味に透き通る声でジハックに囁く。

  「よお。返して貰うぜ。うちのを」

  「ぐぅぅ、リャン・ハックマン…………!」

  ジハックは喘いだ。

  後頭部にはリャンのカーペイト零式の銃口がつきつけられている。

  もしジハックの動きにほんの僅かでも気に入らないものがあれば、この狂った女は平然と引き金をひくだろうとジハックは確信していた。

  「貴様! こんな事をして…………! 内戦を起こしたいのか!?」

  既にジハックは武力での抵抗を諦めた。

  純粋にリャンの存在に恐怖し、気が付けば脚が震えていた。

  「バカ言え。不当に処刑されようとしている冒険者を救出して、死傷者を可能な限り抑えたんだ。どう考えてもてめーらが悪もんだろ。内戦だ? やれるもんならやってみろよ」

  ジハックは痛い所を突かれ黙った。

  事実、ジハックは兵に死者がまったく出ていない事を不審に思ってはいた。

  リャンが他者の命を殆ど重んじていない狂人であることはあたりまえに噂されている。

  しかしリャンは銃を下したあとの処理も計算し、敢えて敵の急所を外し続けたのだろう。

  例え死者が数人出たとしても、故意ではないとすれば後の裁判で連邦裁判所は冒険者と軍の戦力差、冒険者側の動機を鑑み冒険者に有利な判決を下すことが期待できる。

  「貴様の立場はもうないぞ。貴様のおかげで軍と冒険者の緊張は取り返しのつかないところまで高まるのだ!」

  これは苦し紛れの言葉であるが、あながち単なる脅しでもない。いくらリャンの言う通り仲間を救うために軍の死傷者を最低限少なくしたとはいえ、彼我の損害を比べてみれば冒険者側は殆ど無傷なのに対し、国防軍の負傷者は両手両足の指を使って数えても足りない。

  もともと冒険者ギルドと国防軍の関係は険悪だったのだ。

  この一件は即座にとは言わないが、両者の決定的な衝突を招く出来事になったとしてもおかしくない。

  しかし、

  「私は冒険者だ。立場で動かない。それに…………」

  リャンはそう言うと不気味に唇の端を吊り上げ白い歯を見せた。

  「私は軍が嫌いだ」

  突然リャンの周囲に白煙が上がった。煙幕弾でも転がしたのだろう。煙幕は絞首台の下を白い闇で覆い、それと同時にジハックは短く刈り揃えた白髪を掴まれて地面に叩きつけられ、いくつか暴力的に引きちぎられた白髪が舞った。

  後詰の兵たちも流石に異常に気がついたが、なにしろ指揮を執るものがいない。

  おっとり刀、いや、おっとり小銃とも言うべき体たらくで数名の兵がリャンらのいる絞首台を囲んでいた。

  が、誰も引き金を引けない。

  そうであろう。

  銃弾の先が見えぬのでは、下手をすれば自らの手で准将を撃ち殺してしまうのだから。

  「間ぁ抜けぇ! 遅ぇーんだよ、バカヤロウ!」

  煙幕から抜け出ると同時にリャンはカーペイト零式小銃の弾丸を戸惑っている兵の右肩に命中させた。

  左半身にイチを担いでいるので、そのまま歯で小銃のボルトを噛み、排莢した。

  高笑いしながらリャンはイチを担いだまま妖怪のように飛び跳ね、兵舎の屋根を不規則に跳ねつつ戸惑う兵たちを無力化し基地から遠ざかってゆく。

  兵たちはなんとか狙い撃とうとするが、みるみるうちに南のほうへ姿を小さくするリャンを狙撃することは蚤を撃つようなものである。

  「追え! あいつを殺せ! 騎兵はおらんのか!? やつは殺さにゃならんのだ!!」

  煙幕の晴れた絞首台の下からジハックが一部禿げてしまった頭から血を流しながら叫んだ。

  

  「頼む! 誰か殺してくれ! あいつを殺してくれぇ……!」

  ジハックは叫びながら突然倒れた。

  慌てた兵たちが駆け寄った時には白目を剥き身体は痙攣していた。死にはしなかったが、憤死寸前であったと言われている。

  ◆

  気が付けば、太陽が傾いていた。

  冬が近づいたバルティゴは夕暮れが長い。

  エルビアニカ、シーナ、メイメイ、ヘルヒャン、ミュルガルデ、イルハ。そしてパルテルラットとピィピ、モーリン、ミュウ、メェメ。

  イチのために集まった11人はシベースの北西、墓標足らずの丘に集結していた。

  ここは魔王大戦時、激戦地であり数えきれない戦死者を双方に出した。

  今でも砦や防壁が残っているが、魔法や砲弾のために穴が開いていたり一部が溶けている。

  11人はただ静かに東を見ていた。ふだん喋り出したら止まらないシーナでさえも。

  風は寝静まり、夢の終わりのような黄昏が燃える光と死にゆく影で風景を彩っていた。

  「あ、あそこ!」

  誰が口にし指差したかわからない。

  しかし、11人は見た。

  東の丘の稜線に、沈む茜色の光で照らされたその人影を。

  リャン・ハックマンだった。

  女にしては背の高いその影は、不自然に右肩が膨らんで見える。イチを担いでいるのだろう。

  人ひとりを担いでいてもまるで歩調を乱さずリャンは、自分を見ている11人の瞳に向けてあの不気味な笑みを見せた。

  墓標足らずの丘に、歓声があがった。