もしも世界が

  「……もしも、この世界が」

  眩しい程に広がる星空をぼんやりと見つめながら、思いのままに言葉を零してみる。

  「俺と、千秋さんだけだったら、」

  隣から、返事はない。

  でも、恐らくちゃんと聞いてくれているのだろう。

  優しい貴方のことだから。

  「…幸せなのかなぁ」

  先日、こんなことがあった。

  買い物に出掛けた先で、自分の見たいものを見ていたら、Collarを付けているにも関わらず、知らないBランクのDomに絡まれた。

  その前には、千秋さんが会社内のDomに、長期間に渡って圧を掛けられ続けていたストレスで、ある日の帰宅後体調を崩し、医師から暫くの間一定時間のPlayと抑制剤の服用を指示された。

  毎日を過ごしていると、時々理不尽だと感じることに出くわす。

  そういう時、もしもこの世界から意地悪な人が消えれば、俺も、千秋さんも、楽になるのかな、と思うことがあるんだ。

  「……私はね」

  ぼんやりしながら考えていたけど、千秋さんの声が聞こえて、意識をそっちに持っていく。

  「…この世界に、他人が存在するから…嫌な思いをすることもあるけど、優しさに出会えるんだと思ってる」

  千秋さんは、疲れているのか、眠いのか、ふわふわしたような声で話している。

  「……」

  千秋さんの言葉を受け取り、その言葉をもう一度考える。

  「……でも現に…千秋さんは傷付けられてる…」

  他人の悪意に。

  千秋さんを追い詰めた人は、ずっと部下に対してパワハラを行っていたらしい。

  千秋さんが倒れたと連絡をもらい、病院で点滴をされる千秋さんを見た時、はっきり言って追い詰めた相手を殴りたくなった。

  それだけ怒りが湧いた。

  自分のコネに調べてもらった結果、相手のパワハラ行為が俺の目の前に浮かび上がった。

  最初は、千秋さんがターゲットではなかったらしい。

  だが、ターゲットを庇ったことで千秋さんが標的にされた。

  何故?千秋さんが狙われなければならないのか

  俺には理解出来ない。

  可哀想だとか、酷いとか、そんな簡単な言葉で表せるものでは無いと思うし、法に触れている。

  この世界では、Normalには勿論だが、Domが自らの力で弱い立場の者をねじ伏せたりする行為は禁止されている。

  DomがSubにでも、DomがDomにでも。

  …きっと、千秋さんは優しいし強いから、パワハラを見て見ぬふりが出来なかったんだろう。

  それでも…俺は許せない。

  千秋さんを倒れるまで追い詰めた相手を。

  許せるほど優しくはないんだ。

  「……人は傷付いて、強くなるものだよ…」

  だから、私はもっと強くなれるね

  見なくても分かる、疲れたような笑み。

  「……我慢しないでよ…」

  震える唇から吐き出した言葉は、ちゃんと貴方の心に届いていますか、。

  「……ありがとうね、」

  きっと千秋さんは、俺の気持ちも考えてることも、全部分かってる。

  全部に、ありがとうなんだろう。

  でも…それで終わりにしてしまったら、また同じ道を歩む気がした。

  「……」

  なんて伝えればいいのかな。

  だって、千秋さんだけが悪いわけじゃない。

  相手が8割は悪いんだ。

  責めることを言ってしまったら、千秋さんは余計に苦しくなるんじゃないだろうか…。

  色々考えて、何度も迷う。

  3回目くらいで、諦めた。

  言葉を選ぼうとするから難しいんだ。

  素直が1番だと、昔千秋さんが教えてくれた。

  正しいことなんて分からない。

  だから、自分の勘に従ってみよう。

  「…自分を大事にしてください」

  俺が、貴方にお願いしたいこと。

  「1人で抱え込まないでください」

  難しいと思う。俺も同じだから、よく分かる。

  それでもね…

  「…俺に……」

  言葉に詰まる。

  声が震えて、星がぼやけて…

  「っ……」

  音もなく涙が溢れた。

  「…」

  千秋さんが心配しているのが、空気で分かる。

  何度か息を整えて、千秋さんを見つめた。

  「…俺に、、千秋さんの辛い気持ちを、半分持たせてくれませんか、?」

  心配を掛けたくないとか、迷惑になるとか、問題は1人で抱え込むものとか、そう思うのは痛いほど分かるんだ。

  俺もそうだったから。

  貴方に出会うまで、独りぼっちだと思ってた。

  人の前では仮面を付けて笑って、何処にも気持ちを吐き出せず、死にたいと思うことも沢山あった。

  でも…貴方が教えてくれたんだ。

  人に頼っていいこと、甘えていいこと、弱さを見せていいこと、自分の気持ちを話していいこと…

  俺は千秋さんの言葉に救われた。

  だから気付いて欲しいんだ。

  貴方が教えてくれた全てが、貴方にも当てはまることに。

  「……私は……」

  そう言った千秋さんの声が濡れていた。

  「……私は…大丈夫だと思ってた…」

  吐き出した声に、言葉に、その意味に、本音が滲む気がした。

  「…毎日会社に行く度…気を張って…頭を下げて…どんなことにも耐えて……そうするしかないって、堪えるしかないって、大丈夫だろうって…私は……他の人がそう扱われるのは嫌だから…見ていられないから…私が狙われる分には耐えればいいんだから……だから…大丈夫って…思ってたし…言い聞かせて……」

  千秋さんは、堰を切ったように、早口に喋った。

  「……でもいつ行っても嫌がらせとかばかりで…行きたくないって思うこともあって…貴和の寝顔見ながらずっとこのままいたいって思っても…行かなきゃいけなくて…

  倒れた時何でって思った…何で私がここまでされるの?って…別に何も悪いことしてないのに……何で私が…」

  俺は堪えられずに千秋さんに抱き着いた。

  千秋さんは嗚咽を漏らしながら俺を抱き締める。

  「……ごめんね…ごめん…ほんとに…貴和…

  ……ごめんなさい……っ」

  ずっと、ずっと、苦しかっただろう。

  辛かっただろう。

  それでも、自分が耐えればという気持ちだけで耐えてきたのだろう。

  本当……

  「……馬鹿…」

  俺の言葉に、千秋さんは怒らなかった。

  そうだねと、顔を歪めて泣いた。

  そんな千秋さんを見るのは初めてだった。

  そんなに、本気で泣いてしまうくらい辛かったんだと思うと、何でもっと早く声を掛けなかったのかと後悔した。

  「……会社辞めようと思う…」

  ポツリと呟いた千秋さんに、俺は頷いた。

  「辞めてください。

  そんなクソな会社」

  吐き捨てた俺に、千秋さんは笑って…俺の涙を拭った。

  「……ごめんね…泣かせちゃったね」

  そこじゃないだろと思う。

  そっと千秋さんの、胸の真ん中を撫でる。

  「…?」

  千秋さんがきょとんとした顔になった。

  「……痛かったですね。」

  そう呟き、優しく撫でると、千秋さんは息を詰めて顔を歪めた。

  「っ……ぅ……ふ……」

  声を殺して泣く千秋さんは、きっと俺が思ってるより大人じゃなくて、強くもないんだと思う。

  周りが勝手に期待して、作り上げた理想を押し付けて、少しズレれば何で違うのと責める。

  誰かが言っていた。

  普通なんてないと。

  みんな違ってて当たり前だと。

  その通りだと思うんだ。

  無いはずの普通のせいで、俺も随分苦しんだ。

  だから、せめて大切な人くらいは、ありのままでいて欲しい。

  これからもお互い支え合える関係でありたいと、この日強く思った。

  後日千秋さんは会社を辞めてきた。

  今度はやりたいことをやってみようと思うと話す千秋さんは、ほんの少し変わった気がした。

  安心しつつ千秋さんに抱き着くと、千秋さんは俺の好きな笑顔で、ありがとうとキスをした。

  これからもあなたが心から笑える世界でありますように。

  「…移動クレープやってみたいんだけど、どうかな?」

  「…レベル高くないですか?」

  「ぅーん……ぁ、じゃあ移動本屋さんとか!」

  「……」

  「ぁ、コンビニ?パン屋もいいねぇ♪」

  「…とりあえず、移動から離れません?」

  END