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[chapter:サンプル]
『えー、2021年も残すところあと一時間となりました。では――』
なんて声がテレビからしている。雪もしんしんと降り積もる午後二十三時のこと、俺は温かい蕎麦を啜りながらもうすぐ迎える新年を待っていた。
両親は既に眠りにつき、俺だけが一人静かに寛いでいる。なんというか、大晦日の夜って何故か眠くならないんだよな。テンション上がるっていうか。
お祭り気分で盛り上がっていたテレビ番組も今は厳かに新年に備え始めている。チャンネルによってはカウントダウンをしている番組や今年の思い出を振り返る番組もやっている。
「うーん、もうテレビも飽きたな……」
なんてぼやきながらテレビの電源を落とす。まだ半分くらい残った蕎麦を再び食そうとしたその瞬間、ゴーンと全身に伝わるような鐘の音が辺り一帯に鳴り響いた。
「除夜の鐘か。今年もお疲れ様だなぁ」
百八の煩悩を取り除くと云われる除夜の鐘。その音を聞いていると今年の穢れを禊ぎ新たな気持ちで新年を迎えられるような気すらする。その音をBGMに俺は今年最後の一時間を静かに過ごす――はずだった。
「うっ……!?」
鐘の数が十を超えた頃、俺は全身を内部から思い切り殴られるような、そんな奇妙な感覚を覚えた。
「な、なんだ、今のは……」
何らかの錯覚だろう。初めはそう思った。しかし、その感覚は錯覚などではなかった。
ふいに体がぶるりと震える。ほぼ……いや、完全に鐘が鳴っている時と同じタイミングで俺の体の芯から全身を通る異様な振動が俺の中に響く。
「あっ……!? こっ、これ、いったい……」
二十回目を過ぎた頃、俺は中から何か太いモノで突かれるような衝撃を感じて無意識に呻く。何か――得体の知れないモノが俺の中にあるなにかを追い出しているようだった……
「どうなってんだよ……! 助けてっ、父さん、母さっ……!?」
おそらく三十回目くらいになるであろう鐘の音を聞いた時、俺の体はかあっと熱くなり、まるで重い風邪に罹ったかのような感覚に見舞われた。頭がクラクラして、ボーッとして……いつも住み慣れている俺の家の茶の間なのに右も左も分からない幼子のようにふらふらと歩き出す。
外はしんしんと雪が降っており、暖房がなければ凍ってしまいそうなほど寒い日だ。それなのにも関わらず、俺はまるで常夏の国に迷い込んでしまったかのような全身がうだるような熱さに囚われていた。
ゴーン……またあの音がする……
「ぐあっ! や、やめろ! この音をやめろ!」
全身を殴られるような衝撃が俺を襲うと、熱くなった体から、ムワッと妙なニオイが立ち込める。これは、俺の汗が熱で蒸発したことによるものなのか? そうとも思ったがどうも違うようだ。何故ならこれは、そういうものともまた異なる、ツンとした脂のような、どこか退廃したニオイだったからだ。
そう。まるで、加齢臭とか、そんな感じのニオイなのだ。
「あっ……!? う、嘘だろ!? 俺の体が!!」
俺は驚愕した。もういくつ突かれたかわからなくなってしまった鐘の音を聞いたと同時に、俺の指が太くなり始めたからだ! いや、指だけじゃない! 脚も、腕も、指に合わせて太くなっていく。そして、腹筋がうっすらとついていたはずの腹までも、まるで空気かガスを入れたかのように膨らんでいくのだ!
どういうことだ? 意味がわからない! なんで、どうして俺がこんなことに――そんなことを嘆いているうちに、俺の体からモサモサとした毛が全身を覆うように生えてきて、腹なんか所謂ギャランドゥというものになってしまった。
もう俺の拙い頭では理解が追いつかなかった。先ほどまで弱冠二十七の会社員だったはずの俺は、見るからに五十は過ぎているであろうおっさんの体になったのだから、当たり前だ。
「そ、そんな! おっ、俺のぉ……俺の体ぁ……あがあっ!」
再び鐘の音が激しく響くと、無惨に変化したはずの俺の体がさらなる変化をはじめる。これ以上何になるというのだろう。おっさんを通り越しておじいさんになってしまうのだろうか?
そんなことを考えているうちに、俺の体の変化が始まる。まず、しっかり切っていたはずの爪が伸び始め、鋭く尖る。
「あっ! あがっ……!」
ズキズキと顎関節から鈍痛がしたと思うと、顎が外れそうなほど勢いよく口が開く。開いた口からは毎日歯磨きをして虫歯など全くないはずの永久歯が、まるでその役目を終えたかのようにポロポロと力なく抜けていく。今まで俺の飯をすり潰してくれた歯と別れを告げると、新たな歯との出会いが始まる。
「があっ!」
歯肉を勢いよく突き破って、獣のような鋭い歯が俺の口に新しく生えてきた。それと同時に、俺の口周りがゴキンゴキンと骨格が変化する嫌な音とともに前へ前へと突き出していく。
「ウガアアアアアァ!」
俺は痛みと恐怖で咆哮する。それをトリガーにして俺の声が獣のように低く野太く変化していく。
「はぁ、はぁ……ぐっ……この声……本当に俺のものなのか?」
俺の口から発せられる声は、ひどく低く、声だけでも粗暴な印象を覚えられてしまうのではないかというほどのものになっていた。俺がどんどん俺じゃなくなっていく。除夜の鐘の音とともに、俺の中から俺が無くなっていく。
「ぐおっ! はっ、ああぁっ……!」
再び鳴り響く除夜の鐘。それを合図に俺の変化が再開する。全身からまた毛がモサモサと熱帯雨林の如く鬱蒼と生えてくる。しかし次の毛は黒くちぢれたものではなく、サラサラとした黄金色の細かい毛だった。それがびっしりと俺の全身を覆うように生え揃っていく。その毛の一部は黒く、それらは縞模様になるように黄金色の毛とともに俺のトレードマークとなった。
「はうっ!」
無意識に、俺はついうっかり変な声をあげてしまっていた。臀部から突き抜けるような妙な快感がしたから。そして俺は本能的に理解した。これは俺の最後の砦。もしコレが生えてきたのならば――俺は本当に人間ではなくなってしまう。それだけは嫌だった。人間をやめるくらいなら、おっさんの方がまだマシだ。
「うっ、やだ! やだぁ! 尻尾だけは嫌だぁ!!」
しかしその願いは叶わなかった。俺の臀部からは、ズルズルと勢いよく黄金色の毛に覆われた尻尾が生えてきたのだ……!
「はぁんっ!」
尻尾が生まれた快感で、俺のブリーフの中のチンポはビクビクと跳ねる。あれ? おかしいぞ? 俺の下着はトランクスのはず……なんでこんなヨレヨレの白いブリーフを履いているんだ?
「まさか、服までっ!?」
俺の着ていた部屋着はいつのまにか薄手のシャツに茶色いシミがついたベージュの腹巻き、そしてブリーフ一丁というとんでもない姿になっていた。まさか、これも俺の変化のひとつだというのかっ!?
「やだっ、やだやだやだ、グオオッ!」
グオーン……と心が洗われるような一見荘厳な鐘の音は、俺の人間性を洗い流していた。鐘の音が鳴る度に、全身がボン! ボン! と膨らんでいく。耳は頭上に移動し獣の耳になりあの鐘の音がさらによく聞き取れるようになってしまう。顔からはチョロンと何本が細いアンテナのようなヒゲが生えてきた。
「これって……」
俺は慌てて茶の間を出て鏡の前へ立つ。
「トラ……」
鏡に写っていたのは虎の獣人――情けない格好で、ダルンダルンの脂肪を弛ませている中年の虎親父がそこには立っていた。
これは、俺だ。俺自身も信じられないが、これは、俺なのだ。
「俺……トラになっちまった……しかも、こんなオッサンに……ん?」
ショックで立ち尽くしている俺の耳に、何やら聞こえてくる声があった。それは、両親の寝室から聞こえていた。
「あっ……あんっ……」
「んっ、くっ、ぐふうっ……」
それは、荒い息に、喘ぎ声。どうやら、セックスをしているらしい。こんな日に、こんな夜に、こんな状況で? おれは怪訝に思ったが、両親の様子も心配だったので、恐る恐る俺は両親の寝室に向かった。
そこで、おれは信じられないものを見た。
「あんっ……やめて、あなた……オレ……わたし、おかしくなっちゃ、グアアッ!」
「ンぐるルル……なっちまえよ……お前も、全て吐き出しちまえ……」
夢だと思った。いや、夢であってほしかった。
そこにいたのは、いつもの両親ではなく、ガツガツと筋肉で覆われた身体をぶつかり合わせている、二匹のケダモノの姿だった。
「やっ、やだあっ! アガッ! ああっ……またイッちゃった……“オレ”の記憶……また消えちゃった……」
尻穴を犯されているのはポロポロのネグリジェを身に纏った筋骨隆々の虎男。
「グルル……そうだ、余計なニンゲンなんて捨てちまえ……身も心も、虎になろうぜ……!」
そしてその虎を犯しているのも犯されている虎に瓜二つのマッチョ虎男だった。
俺は、このケダモノ達が誰なのか、本能的にわかってしまった。
だって、俺もそうなってしまったのだから。
――どれだけ鐘が鳴り続けたのだろう。
除夜の鐘は、百八回のはずなのに、今の俺にとってはもう何百回、何千回と突かれたように感じた。
「オラッ! このデブ親父! さっさとオレに突かれてイッちまえ!」
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