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立志 -289年 中原国-

  「名をあげる!?」

  母親譲りの美しい目をくるりと見開き、アタネはハリの顔を覗きこんだ。

  「笑うてもええですよ」

  後ろ楯も、地位もない底辺の者が、家をたて名を持とうと言うのだ。とんだ夢物語である、と普通の者は笑うだろう。

  「いや、笑わないけど…。どうしてまた?」

  本当にいい人だ。ハリは思う。

  アタネはみだりに人を馬鹿にしたり蔑むことがない。相手の気持ちに寄り添うように話をする。容姿の美しさもあるが、それ以上に心地よい気風を感じさせる男だった。

  「こっから南に郷が見えるでしょ。あそこは戦の前までワシが住んどった郷なんですわ。ミヤマ者はヒマ者をニコシ人や思っとるけど、ホンマは別なんですわ。昔ヒマ者は郷を持たなかったんですわ。山を転々として過ごしとった。ニコシ人が郷を切り開いていくうちに、追いやられてあの地にたどり着いたんです。ほんでも狩猟はひとところやできひん。捕り尽くしてしまわんように。せやから境界をめぐってニコシ人とはよう揉めたらしいで。血縁をもって治めようとしたのが親父の頃。けど、戦になって…ワシらは郷を追われてニコシ人のカヤマに移ったけど上手くいかへんかった…ワシは名をあげたいゆうより、仲間とあそこで暮らしたいだけなんですわ…」

  ハリは遠い空を眺めながら呟くように言った。

  ニコシノクニ、オブカイ領ワラビノ砦。その東の物見櫓に二人はいる。眼下の森を少し南に下ったところに少し拓けた土地が見える。ニコシノクニの国主であるミヤマノアララギがあちこちから持ち帰った種子を蒔いて育てているその場所は、かつて「ヒマ」と呼ばれる一族が治めたヒマノサトであった。ハリは九年前にミヤマ氏が攻め滅ぼしたヒマ族の生き残りである。今は故あって仇であるミヤマ氏の家臣であるオブカイ氏に仕えている。アタネはオブカイの嫡子であるが、貴族然とした堅苦しさはなく、兵卒一人一人に目を配るような好青年だった。

  国主アララギからの預かり者とはいえ、突如現れた原住民風で気の短いハリは、初めの頃ミヤマ軍の中で何かと問題を起こしがちだった。その都度アタネが上手く気を回してきた。年が近いこともあってか、最近ハリはアタネと一緒にいることが増えた。とは言っても一族の惣領が一人を贔屓しては角が立つ。ハリが一人でいるときに声をかける程度だった。

  「何年かかるかわからへんけど、いつか…」

  ヒマ郷の方へ身を乗り出す。

  アタネは口をつぐんだ。戦を挑んだのは主のミヤマ氏であるし、自らの氏であるオブカイももちろん参戦している。ハリが故郷を追われたのは己らのせいなのである。

  「…流れを掴めば」

  「ん?」

  「父が言う。何事にも流れがあって…その流れさえつかめれば、木っ端でも急流を乗り切り大海に出る」

  ハリの過去に遠慮して抑えた声で励ました。

  「流れなぁ…」

  ヒマの山からは東に海が見える。だが海まで出たことのないハリには、目の前の川の流れが続いて海に注いでいるというのは掴みにくい感覚だった。

  「オブカイだって、俺でまだ二代目だぞ?」

  今度はハリが目を丸くした。

  「オブカイは譜代の臣やないんですか?」

  「譜代どころか、父上なんて親の素性もわからないらしい」

  ニコシミヤマに仕えるオワセ氏もヒラセ氏も譜代の臣だと声高に誇っていた。当然オブカイもそうであると思っていたハリは唖然としてアタネを見る。

  「ほしたら頭(カシラ)は身一つで家をたてたんです?」

  「そうだ。常にどんな流れになっても掴めるようにしておけって…さ」

  いつもいい加減にしているように見える主、ガマズミが頭の中で少し変わって見えた。

  「あんな頭でも志とかあったんやなぁ」

  感心するようにため息をつくと、アタネは決まり悪そうに苦笑を浮かべた。

  「志は…どうかな。下心かも」

  「下心ぉ?」

  ハリは眉をしかめた。

  ∗

  ナカハラノクニの北の丘陵、トヨハラの牧でガマズミは馬を放っていた。南から吹き上げる潮をはらんだ風が優しく草原をなぜている。中で一頭の牝馬がそわそわと忙しなく動いていた。

  ふん。ちと早い気もするが、そろそろそんな時期か…。

  冬が終わって花が咲き乱れるようになると、馬は繁殖期に入る。主家であるミヤマ家が都で管理できる馬は限られる。繁殖は主に本拠地であるハヤセ国で行い、都では積極的に繁殖は行わない。発情した馬がやや不憫な気もしたが、維持できないのだから致し方ない。

  牡馬はしばらく別にした方がいいな…。

  馬を駆りながら、牡馬を集めて繋いでいった。

  「おーい…」

  下の方から男が手を振っている。同僚のセリだ。怠け癖のあるこの男は、ガマズミと一緒に館を出るが、いつのまにか消えて、帰る頃に戻ってくる。馬の世話はガマズミが一人でしていた。

  「繋ぐの早くねぇか?」

  後ろめたさを微塵も感じさせない顔でセリは見回す。

  「一頭サカリがつきはじめてる。近づけない方がいいだろう」

  落ち着きない牝馬を指して言う。

  「サカリと言えばよぉ…」

  セリはさして興味もなさそうに馬の群れを流し見しながらガマズミの耳に口を寄せた。

  「ヤマセの家に絶世の美女がいるらしい」

  「知らん」

  セリの顔を突き放す。

  「いたところでなんだと言うんだ?」

  ヤマセ氏はこの国を造り上げた創始四氏族の一族である。国の政を行えるのはこの四氏族のみで、この国の絶対的な権力者であった。

  「なんだとだって?お前は夢がねぇなぁ。男と女だぜ。万が一ってこともあるだろ?」

  「万が一なんだ。お前がその美女と何かあるってか」

  「わざわざ怪我してヤマセに入ろうとする奴もいるんだぞ」

  ヤマセは薬と医療を専門にする氏である。都で平民にも門を開き施術を行っていた。

  ガマズミは呆れたように馬を曳く。

  「バカらしい。仕事しろよ。どっち曳く。牝馬か、牡馬か」

  「じゃ、もう繋がってる方」

  「お前は本当に仕事しない奴だな…」

  「優秀な配下がいて嬉しいよ」

  「誰が配下だ、バカ」

  要領よくセリは牡馬をつれてトヨハラを下っていった。ガマズミは馬を駆り、残った牧の牝馬を集める。すべて繋ぐと牧を下った。

  ミヤマの館へ行くまでにヤマセの舘前を通りかかる。確かに以前より並ぶ人が増えている気がした。特に若い男。ただ、出てくる男の表情を見るに思いを遂げたものはいないようだった。

  堅城の奥に坐す姫君ね…。果たして噂通りの者か。

  わずかに興味をそそられた。「女に」ではなく、「女に会うことに」である。口元に笑みを浮かべ門を通りすぎた。

  ミヤマの館の裏木戸に手を掛けると中から雷鳴のような大音声が響いた。

  あぁ…、またか。

  そっと木戸を開ける。身の丈六尺を越える大男と、細身の男が口論していた。大男がガマズミの主であるイチイで、細身の男はその弟のアララギである。

  「顔を出せと何度言わせれば気がすむ!お前は阿呆か!」

  「行ったところであなたが恥をかくだけでしょう。何度もいかぬと申しているではありませんか。あなたこそ阿呆だ」

  イチイの屈強な腕がアララギを掴み投げ倒す。

  「毎日毎日木やら土などいじりおって、馬鹿者!庭の木など切り倒してくれるわ」

  腰の剣を抜き、若木に近づく。アララギが慌てて立ち上がり前を塞いだ。

  「これは命を繋ぐ木だ。国に植え、少しは皆の糊口をしのぐものになればと育てている!あなたのような武力一辺倒の馬鹿に伐り倒させるわけにはいかない」

  「あぁ!?」

  カッと目を見開き、剣をアララギに向ける。アララギは怯むようすもなく兄を見据えた。イチイは事によっては味方も斬る男だ。それは血を分けた弟であっても同じだろう。ましてや激昂しているこの状況だ。

  いかん…。

  木戸を開け放ち、馬の尻をひっぱたく。馬が嘶き二人の方へ突進した。イチイは剣を放り出し、馬の轡をとる。素早く地面へ押さえ込んだ。

  「誰だ!庭に馬を放る奴は!」

  怒号がとぶ。ガマズミは前におどりでてひれ伏した。

  「申し訳ございません。イチイ様の声に驚き手綱を放してしまいました」

  微かにあげられた顔を見てイチイは破顔した。

  「お前かガマズミ」

  「は。イチイ様は練兵からお帰りですか。たまには私にも稽古をお願いしたいものです」

  イチイはへりくだって頭を下げるガマズミの肩を抱き起こし、ニヤリと歯を見せる。

  「お前であれば、たまにと言わずいつでもいいぞ!」

  「そうしていただきたいのも山々ですが、セリに任せては馬が絶えてしまう」

  先に戻って成り行きを見守っていたセリが目に入り、ガマズミは心の中でほくそ笑んだ。セリは後ろで慌てて大きく手を振る。

  「あの、怠けもんが…。セリ!!」

  苦虫を潰したように顔を歪めたイチイがまたしても怒号をあげる。セリが飛び出してきて平伏した。ガマズミはセリに曳いてきた馬を厩戸に戻すよう言い付け、自身はガマズミを誘った。

  ガマズミがミヤマの家を訪れたのは昨年の秋の頃だった。単身で誰の紹介もなく門を叩いた。

  乞食とは言わないまでも、身なりはお世辞にも良いとは言えず、若い割には眼光も暗く鋭い。ミヤマの家中はガマズミを怪しがり、素性を調べさせた。

  ガマズミはハヤセの奥地のオブカイという地から出てきた。母親はガマズミを産んだ時に「子供は高貴な男の落とし胤で、お前の子ではない」と夫に言い張り離縁されたらしい。その後は母の親戚に身を寄せ暮らしていたが、夏に母親が死んで、一人で身をたてようと一念発起し都へ上ってきた。

  ガマズミはそう語り、調べさせた結果とも合致したが、それ以上の事は出てこなかった。

  ところでこの男は変わった技を持っている。五尺五寸と小柄ながら、大男相手でも軽々と組伏せてしまうのだ。初めてミヤマの家を訪れた時、イチイを組伏せてみせ、大いに気に入られた。武辺者を好むイチイはすぐにでも側に置こうとしたが、周りに止められひとまず舎人としてかかえることにした。

  「さて、イチイ様。今日は負かせてもらえるのでしょうね?」

  イチイを前にしたガマズミは大胆不敵にもそう言って笑い、イチイも楽しそうに肩を揺らした。

  「そうそう、その物言いよ!今日こそ勝たせてもらうぞ、ガマズミ!!」

  半刻ほどイチイに付き合い厩戸に戻ると、恨めしそうな目でセリがにらんでいた。視線を無視して体を拭っていると、思いきり肩を引かれた。

  「お前余計な事言いやがって…」

  「事実だろうが。言われたくなかったら働け」

  無情に手を振り落とす。セリはその場にペタりと座り込んだ。

  「俺はそれどころじゃねぇの。頭の中はヤマセ媛の事で一杯なんだ!」

  そっちかよ…。上役の評価より女が気になるとは、ずいぶん幸せな奴だ。

  「大体会ったこともない女の事なんかよくそんな想えるもんだな」

  呆れ顔で同僚を見下ろす。

  「こんだけ噂になってんだ。そりゃ想うさ。いい匂いとかするんだろうなぁ…」

  目を閉じ夢想に耽っている。目の裏に美しい女でも描いているのだろう。

  「むしろなんで今まで噂にならなかったんだよ。平凡な少女がいきなり美女に化けるのかよ?」

  セリはパッと目を開け、自慢げに鼻をひくつかせる。

  「この春にヤマセの国から都に上がってきたんだとよ。婿探しだって話だ」

  「誰からの話だ?」

  セリは訳知り顔を急に赤らめた。

  「う、うわさだよ」

  「当てにならん話だな」

  次々とやり込められて小さくなったセリを微かに嗤う。

  「なぁよ。いつもお前が遊びにいってる時間。明日俺にくれ」

  口元にいやらしく笑みを浮かべてセリを抱いた。

  「何するんだよ?」

  「俺が今までお前が怠けてる間、何してるか聞いたことあるか?」

  「そりゃ…無いけど。気になるだろ?」

  自分が怠けるのはよしとして、他人が怠けるのは気に入らないのか、セリはガマズミを怪訝そうに見つめる。

  ガマズミはまた小さく嗤った。

  「お前と違って女買いにいく訳じゃないから安心しろ」

  目を剥くセリに「これ以上細かい事言うと洗いざらいぶちまけるぞ」と脅しをかける。セリは何も言わずこくこくと頷いた。

  翌日ガマズミは馬をセリに任せると、籠を背負って山を歩き、いくつか草を摘んだ。摘んだ草は家の女から分けてもらった上等な布の端切れに包み胸元へ入れる。そしてヤマセの館の裏木戸を叩いた。

  「主人に仰せつかってある方に薬草を届けに参る途中だったのですが、急に帰らなければならなくなりました。薬草の代金の一部を帰りの路銀にしろと言われていたので困っています。どうかこちらで買っていただけませんでしょうか?」

  中から現れた下女に深く頭を下げる。涙さえ浮かべてみせると、その者は同情するように眉を下げ、少し待つように言って奥へ引っ込んでいった。

  なるほど。名高い医師の家は家人も慈悲深い。

  ガマズミはどこか嘲笑うように下女の後ろ姿を見た。

  運が良ければ噂の媛が出てくるだろうかと、期待しながらガマズミは待った。その間に土間を見渡す。見たことの無い草が所狭しと干され、独特な香りに満ちている。どちらかと言えば嫌いな臭いであった。

  しばらくすると、かくして女が現れた。美女というよりは美少女に近い。

  白い肌。桃色に上気した頬。黒々とした杏仁のような大きな目。長いまつげ。通った鼻筋と、形のよい唇。濡れ羽色の豊かな髪をひとつに束ねている。歳は十五、六くらい。年の頃からすればそろそろ相手を見つけておきたいところだろう。

  うつむいた顔から覗き見ながらガマズミは思った。

  「見せてください」

  女は名乗りもせず手を差し出した。その手はセリが夢想したいい匂いどころか、干した薬草の香りがし、思わず息を止めた。少女はガマズミの差し出した包みを開き眉をしかめる。そして丁寧に一つずつ葉を開いては、脇に避けた。

  しかしこりゃガキだぜ。噂なぞあてにならんな。

  ガマズミの年は二十二。ほどほどに女も知っている。いくら美しいとはいえ、幼さが見える少女には食指は動かない。期待していたわけではなかったが、ほんの少し落胆した。

  いや、妹という事もあるか…?

  「一つお伺いしたいのですが、ヤマセの方は今家におられないのでしょうか?」

  「当主は宮におります。兄は皆さんに施術を行っていますので…」

  「他の方は…」

  詮索を続けようとすると、少女がふっと顔をあげて小さく睨む。

  「私のような小娘では不満ですか。これでも父には一目置かれているのです」

  自画自賛もいいところだが少女は自らを賛辞するよう言うと、プイッと顔を背け作業に戻った。

  一目置くねぇ…。ただの親バカじゃねぇのか?とりあえずこいつが噂の女だと言うことは確実になった。が、解せねぇなぁ。やはりガキだ。

  ガマズミが胸の内で少女を物色している間に、持ってきた草はひとつだけを残しすべて脇に避けられた。

  「あなたの主人はどこのどなたでしょうか」

  少女が再びガマズミの目を捉えた。

  「申し上げられません」

  表情を変えずガマズミは答える。少女の目がわずかに険しくなった。

  「どなたに届けるはずだったのでしょうか」

  「それも申し上げられません」

  「あなたはこの草がなにかご存知ですか」

  「存じません」

  「…」

  女の不審が目に現れている。

  「これはいつ渡されましたか」

  「三日前」

  何も言わないのもおかしいかとガマズミが答えると、少女はキッと目尻をつり上げた。

  「それは嘘です。摘んでから三日もたった草がこれほど瑞々しいわけありません。これらは半日もたっていない。あなたは私に嘘をついています」

  「…引き取っていただけないのであれば失礼します」

  もちろん嘘である。噂のヤマセ媛に会うための。目的を果たしたガマズミにもう用はない。手早く草をまとめ立ち去ろうとした。

  ところが少女は案外強い力でガマズミの腕をつかんだ。

  「あなたが何も言わないのであれば、私はあなたを捕吏につき出さなければなりません」

  声も手も震えている。

  殊勝なことだ。

  内心せせら笑いながら、表面はあくまで冷徹を貫く。

  「それはいかなる事でしょうか」

  「あなたが持ってきたそれらが人を死に至らしめる毒草だからです。毒草を秘密裏に売買する者があれば、明らかにし裁かなければなりません。それともその毒草は人々に治療を施すヤマセを貶めるために仕組まれたものでしょうか。そうであれば、家に仇なそうとする者を見逃すわけには参りません」

  ガキの癖に案外目も知のめぐらせ方も確かだな。

  ガマズミは少女の手を包み、緩やかにほどく。そして地べたに額を擦り付けた。

  「恐れ入りました。すべて嘘でございます」

  「どういうこと?」

  「最初から最後まで。私はヤマセの館に絶世の美女がいると噂があったので確かめに参っただけです」

  さらりと打ち明けると、少女は立ち上がってガマズミを睨み付けた。

  「都の男って本当に暇なのね。一日中ひっきりなしに訪れてきて、他にすることはないのかしら」

  「心中お察しします」

  懐に包みを戻したガマズミは他人事のように呟く。

  「あなたもそうでしょう。手の込んだ嘘までついて…」

  「私は誰も会うことができない女に会うことが目的であって、あなたが目的ではない」

  呆気にとられたように少女は大きな目をさらに大きく見開いた。

  「ヤマセ国から都へ美女が上がってきたらしい。女はどうも婿探しをしているらしい。しかしヤマセの門を叩いてもなかなか会う事は出来ないらしい。私が聞いていたのはこの三つ。そして…女はどうにかすれば会うことができる。女が美しいというのは噂の通りで、婿探しは恐らく事実である」

  少女の前に指を三本立てガマズミは言う。

  「いかがでしょう?」

  少女はつまらなそうに顔を背け、目だけをこちらへ向けた。

  「訂正するわ。私の婿を探しているのは、私ではなく父よ。そして私の名はマユミです。女と呼ぶのはやめてください」

  「失礼しました、マユミ様」

  美しいは否定しないんだな。世辞だぞ、クソガキ。

  顔に薄く笑みを浮かべながら思う。

  「私からもいいかしら」

  マユミはガマズミに顔を向けた。

  「なぜあなたは毒草を持ち込んだのか。ひとつだけ無害なものを紛れ込ませたのは何故か」

  「興味本意ですよ。その草の若芽は山菜によく似ています。たまに間違えて食べてしまうものもいるほどです。神医と名高いヤマセの者が見抜けるかどうか。別のものを紛れ込ませたのは、見極める者がどういう質か見るため。多くの者は八割見ればすべて毒だと決めつけてしまうでしょう。あなたは一つだけ下に紛れ込ませた草に気がつき避けました。堅実であると言える」

  「毒草に気づかなかったら…どうしていたの?」

  「さぁ…。その時は貶めるまでもなく、ヤマセの地位は失墜したでしょうね。私にはそこまでの発想はありませんでした。さすが高位の家の方は考えることが違う」

  慇懃に言いながら、後ずさる。

  ボロが出る前に帰ろう。

  「それでは、お手を煩わせ申し訳ありませんでした」

  ガマズミは深く頭を下げ、足を外へ向ける。

  「名を聞かせてもらえる?」

  後ろからの声に振り向き答える。

  「ガマズミです」

  「次は門を叩き名乗ってください」

  ガマズミは返事を返さず目礼してヤマセの敷地をあとにした。

  また俺が訪れると思っているのか…。自信があるのだな、己に。

  怖いもの知らずのガキだ。

  見ず知らずの男に対して、全く引く様子も見せない少女の顔を思い出す。

  ただの世間知らずか。

  トヨハラに続く道を帰った。

  「セリ」

  「あー、お帰り。何してたんだよ」

  久々に働いて疲れたのか、疎ましそうな顔をしている。

  「お前にいい情報を与えてやる」

  ガマズミは口許を歪ませながら指を三本立てた。

  「ヤマセ媛の名はマユミ。父親が婿を探しているが、女は乗り気じゃない。万が一はあるかも知れねぇぞ」

  最後のひとつは予測でしかない。マユミの「次は」の言葉に男を引き入れる可能性を感じただけだ。しかしセリはガマズミの言葉で十分そそられた。

  「まさか…会えたのか?」

  「そのまさかだ」

  「ど、どうやって?」

  「そんなの言うかよ。頭使え。俺はお前とはここの出来が違うんだよ」

  額をつつきながら、笑い声を立てた。

  「万が一って…お前何かしたのか…」

  「何もしてねぇよ。俺は誰も会えないっつう堅城崩したことで満足だ。女なんかどうでもいい」

  何せガキだしな…。

  思ったがセリには言わなかった。しばらくヤマセ媛をネタにからかってやろうとほくそ笑む。

  「はぁ?お前馬鹿なの?」

  セリが掴みかかる。途端にガマズミが目を見開いて突き飛ばした。

  「おい、牡馬を近づけるなって言ったよな…」

  ガマズミの視線の先で、重なりあっていた馬が静かに離れた。

  「いや…どれがサカリついてるかわからなかったから…」

  「ボケ、カス…うちの馬は軍馬だぞ。孕み女を武装させて戦わせるつもりか…」

  「そんな人みたいな言い方…」

  「同じだと思えクズが」

  ハヤセビトは古くから馬と共に暮らしてきた民である。馬は家族のようなものだ。セリはハヤセビトだが都生まれの都育ちで、馬に対する思い入れがあまりない。

  ガマズミは結局セリの仕事の尻拭いをしなければならなくなったことを後悔した。

  馬を曳き、館に戻る。庭には昨日と同じようにアララギが一人で庭木の手入れをしていた。目が合うと微笑んで手招きされた。通りすぎるつもりだったが呼ばれては仕方ない。アララギの足元に膝まずいた。

  「昨日は助かった。お前がいなければ大惨事だった」

  イチイに向けていた険しさは全く無い。日だまりのような穏やかな笑顔を浮かべていた。

  しかし似てない兄弟だ…。

  兄のイチイは筋骨隆々とした大男で、行動も言動も荒々しい。地方の小競り合いや、武力衝突に出向いては武功を上げ「ミヤマの若鬼」などと異名で呼ばれるほどだ。弟であるアララギは短身ではないものの、細身で穏やかな男だ。土地改良や植林に興味があるらしい。灌漑工事がある度、出掛けて行ってはその様子を書き付けている。

  ミヤマは武官の家だ。国軍を掌握するオイクニ氏の手となって軍を指揮する位にある。家風からずいぶん外れた弟をイチイはよく思わず、昨日のような衝突が度々あった。

  「私はなにもしておりませんが」

  アララギはわざと馬を放ったガマズミの行為を見抜いていたが、ガマズミにすれば厄介ごとを収めたかっただけに過ぎない。しらを切って言った。

  「お前は欲がないな。少しは恩を着せてもいいのだぞ」

  アララギの言葉と共に、目の前に枝が落ちた。花盛りの白梅。

  「何をなさっておいでですか」

  「うん。花が終わるから、実がつきやすいように枝を落としている」

  落ちた枝を手にすると、確かに先まで花が開いて我が世を謳歌しているようだ。

  「よい香りだろう」

  「え?…は、まぁ…」

  梅の香りなど気にしたこともない。顔を近づけ香りをかぐと、確かに良い香りだとは思う。薬草とは大違いだという思いと共に、鼻の奥にヤマセの館の臭いがツンとよみがえった。

  「女も花は好きですか…」

  ガマズミは呟く。無意識であった。

  「嫌いではないと…思うよ」

  言いながらまた枝をひとつ落とした。「すまないが、落とした枝を片付けてくれ」と言われて、庭のそこここに落ちている枝を広い集め片付けた。戻ると梯子からアララギが降りている。

  「昨日の礼にあげよう。私が気に入っている梅の枝でね…。特別」

  「え?」

  「女に渡したいのだろう」

  「いえ…そういうつもりでは…」

  困惑しながら手元に目を落とした。渡された枝は元の方にポツリポツリと花がついているが、全体的にはつぼみである。先ほどの枝に比べればかなり見劣りした。

  「お前、さっきの枝の方がいいと思ってるな。梅はね、つぼみから開いていく姿を楽しむものだ。花盛りの枝などすぐに枯れてしまう」

  そしてにこりと笑う。

  「つぼみなら、長く手元に置いてもらえると思うよ。花を見るたびお前を思い出すだろう」

  「ですから、そういうわけでは…」

  答えたときアララギはすでに館に入りかけていた。

  「あぁ。水を切らさぬようにな。私の梅、無駄にするなよ」

  「は…」

  アララギに妙な誤解を与えてしまったとため息をついた。

  捨てるのは気が引ける。だからとて渡す女もいない。結局ガマズミは翌日、梅の枝を持ってヤマセの館を訪れた。正面はやはり憚られる気がして裏木戸を叩く。家の者に名を告げると、中へ通された。

  噂と違って簡単なものではないか。

  なかなか会えないと聞いたから、策を労して破ったのだ。こう簡単に入れてはあの工夫はなんだったのかと肩透かしを食うようだった。

  「何か、ご用でしょうか」

  マユミが目の前に座った。無垢なくるりとした大きな瞳で見つめている。周りに人の気配はない。

  供も連れず迂闊なものだ…。

  手にした枝を捧げようとあげた瞬間、うららかな風が室へ吹き込む。風が運ぶ香りに外を見る。紅白の梅が競い合うように咲き誇っていた。

  「…」

  ハヤセの山奥から出てきたガマズミは知ることもなかったが、春を感じさせる梅は、都の貴族の家ではどこでも植えているのが普通だ。この国では、花見と言えば梅である。

  「あぁ、梅を持ってきてくださったのですね」

  呆然とするガマズミの手もとを見て笑みを浮かべた。物をねだる子供のように両手を差し出す。今日は薬草の匂いはしなかった。

  「綺麗な…移り白。薄紅の斑も入っているわ」

  「移り白?」

  「つぼみは薄紅だけど、開くと白に変わる梅よ。同じ枝に紅白同時に咲かせるものもあるけど、白に紅の斑が入るものはうちにはないわ。花が終わったら差してみようかしら…」

  「は…。お気に召されたなら嬉しく思います。御随意になされてください」

  花の事などさっぱりだが、アララギの好意が無駄にならなかった事に安堵を覚えた。

  「あなたは…どこの方ですか?顔は北方の方に近いけど、それにしては少し小柄…」

  「骨柄で…見るのですか」

  「えぇ。骨柄と顔の造り。頬の高さや目の位置、鼻の高さ…。分かりやすいのは髪の色や目の色ですが…」

  「私はハヤセビトです」

  あぁやっぱり。マユミは呟いた。

  ハヤセビトはチハラビトより大柄で目や髪の色は薄い者が多い。ハヤセビトにしてはガマズミは小柄で髪の色も目の色も黒鳶色と暗い。都の者に紛れても差違がない。しいてハヤセ人らしいところは彫りの深さだろう。

  帰るか…。

  別段、少女に用事もない。立ち上がろうとするガマズミに続けて声が掛かる。

  「あなたはハヤセ氏ですか」

  「いいえ」

  「ミヤマ氏?」

  「いいえ…」

  「あぁ…。すみません。それ以外の方は存じ上げず」

  マユミは肩を落とした。

  ハヤセ人はチハラノクニに帰化してまだ歴史浅い。氏を許されている一族もそれほど多くはない。知らなくても無理はない。そもそもガマズミは氏を持つほどの位ではないのだ。ミヤマの舎人に過ぎない。

  さすがは四氏族のヤマセ氏。氏を持たぬ者は相手にするまでもないということか…。

  どこか怒りにも似た感情がぽつりと浮かんだ。

  ガマズミは慇懃に頭を下げる。

  「それでは…失礼いたします」

  「え?」

  「次はございませんので、どうぞご安心下さい」

  頭を下げたまま後ずさり、入り口でわずかにマユミの顔を仰いだ。呆然とこちらを見る顔も美しさより愛くるしさが目立つ。

  ガマズミはもう一度頭を下げた。

  「私は無位無官。氏も持たぬ舎人です。このような素性もわからぬ男を館に上げ、人も寄せずに会うことはされぬ方がよろしいと存じます」

  それだけ言うと顔も見ず館から退いた。

  氏か…。

  えもいわれぬ想いを風に流しながら牧へ向かった。今日も南風が吹いている。日に日に春が近づいていた。牧では潮の香りを体に受け馬達が伸び伸びと牧を駆けている。

  「よぅ、ガマズミ…。ヤマセ媛には会えたか?」

  再び自由を奪われていたセリの顔は冴えない。

  「万が一はないとわかったぞ」

  「は?どういうこと?」

  「期待するなということだ」

  それだけ言うと、馬に跨がり牧を駆けていく。

  まるで俺が何か期待したようではないか…。いや、女と何かあるなんて期待した訳じゃない…。

  ガマズミの母は「お前は本来都にいるべきなのよ」と言いながらガマズミを育てた。母は確かに都にいた。しかし「落とし胤」などということをガマズミが信じていたわけではない。親戚同様、母の妄想だと思っていた。恐らく都で暮らしているうちに貴族の暮らしに憧れてしまったのだろう。

  母が死んだ後、都に上ったのは、いずれ親戚にとって邪魔になると思ったためだ。衣食住さえ確保できれば後は何でもよかったのである。そう思っていたのに、高位のものから身分を尋ねられたら、心の奥で何故か自尊心が傷ついた。

  ミヤマの若鬼さえ、組伏せる。俺は何者か。ただの舎人だ。他者に名を知られることもなく潰えていく、ただ一人の男だ。

  それが初めて…無性に虚しくなった。

  何か成し遂げたい…。

  妄想にとりつかれたようで気持ちが悪い。振り払うようにひたすら牧を駆けた。

  しばらくして事件が起きる。セリが豪快に落馬した。ぼうっとしていたのか、わざとなのかはわからない。彼の不幸は、近くにイチイがいたことだろう。イチイは厳しいが、仲間思いでもある。セリを担ぎ上げヤマセの館に運び込み、奥まで届くような声で怒鳴り散らした。 慌てた家人達は当主を呼びに行き、当主が治療に当たった。

  「当主直々に手当てしてもらって、セリは喜びに涙を浮かべておったわ」

  話の種にイチイは方々へ言いふらしていた。女好きのセリはマユミに会いたかったのだろう。ガマズミだけはセリの涙の本当の意味を理解し、若干の同情を感じた。しかし感傷にも耽っていられない。セリが抜けたことで、四六時中馬屋に詰めなければならなくなった。

  世話に追われるガマズミのもとへイチイがやって来た。

  「セリの穴埋めも入れられずにすまんな。苦労を掛ける」

  「わざわざこの様なところへお出でいただいて…。私にはもったいないお言葉にございます」

  恭しく礼をする。

  「なに、ミヤマもハヤセの出よ。馬はともがらだ。なんということもない」

  イチイは一笑した。

  「馬を鍛えておいてくれ」

  「は」

  戦か…。

  馬を鍛えるとはそういうことだ。ガマズミはすぐに察した。

  「いかほどお連れになりますか…」

  「山賊相手よ。馬はそれほど要らぬ」

  意味ありげにイチイが己を見つめている。

  「何か御懸念でも?」

  「お前も出てみぬか?」

  イチイの誘いは嬉しい。しかし…。

  「イチイ様は何故私に目をかけてくださるのですか」

  「何故?」

  イチイはししっと歯を剥き、ガマズミの腹を叩いた。

  「お前はココが据わっとる。それに強い。それだけありゃ俺にゃ十分よ!」

  周りの家人に遠慮し、ガマズミは今まで表立とうとしなかった。それでもこの主はこうやって目をかけてくれる。

  自らの力を出し惜しむのは怠けているのと一緒か…。

  拾われた恩を返さないのは不義理である。ガマズミの心にポツリと義侠の心が芽生えた。

  「喜んでお供いたします」

  わずかに微笑むと、その倍以上の笑顔でイチイは応えた。

  「よう言った!お前の力は申し分ない。俺の麾下に加わり存分に働け!!」

  「はっ。ありがたき幸せ」

  ガマズミは胸に新たな気を満たしながら、馬を引き連れ牧へ向かった。

  編隊を組めるよう馬を追いながら見極めていく。その傍ら自らの技も高めていく。馬上で手を広げ落ちぬよう駆けた。

  やはり組手相手が欲しいな…。

  徒手では感覚を掴みにくい。それに恐らく己は徒歩兵だ。

  セリがいりゃぁなぁ…

  全く役に立たない同僚ではあるが、居ると居ないでは違う。栓無いことであるが、ため息が漏れた。

  ふと視界の端に人影が現れる。男女の二人組がトヨハラの下から上ってきた。女の方は見覚えがある。ヤマセノマユミだ。ガマズミは軍馬にと目をつけた馬を追いたてながら、牧の奥へ移動した。牧の手前には他の馬が残っている。

  何しに来た…。

  どうもあの少女を前にすると心か乱れる。恋慕ではない。怒りに近い。ガマズミは見つからぬよう、二人が立ち去るのを待った。しかし二人は柵に取りついて馬を眺めているのか、その場を去らない。そのうち女が柵をくぐった。

  馬が騒ぎ始める。手前に残したのは臆病な馬や、隊列を成せない荒れくれだ。

  クソが…

  横腹を蹴って女のもとへ急いだ。

  一頭の馬が嘶き棒立ちになる。ガマズミがとっさに轡を取って引いた。轡をとられた馬が大きく首を振る。

  「っと…。おとなしくしろ!」

  乗ってきた馬の背から飛び乗る。足で馬の腹を締めながら鬣を引いた。馬は激しく上下に体を揺らし振り落とそうと暴れる。

  「クソ女!さっさと柵から出ろ!」

  マユミを脇目に怒鳴り付けながら、馬を抑え込む。堪らず馬が駆け出した。無理矢理抑えつけなければいうことをきかない。根気の勝負だ。古来、野生馬を捕らえる時に行っていた方法で、ハヤセでも出来る者は少ない。野生馬が見られる奥地のオブカイの出だからこそ身に付いた技であった。

  暴れ馬がようやく落ち着きを取り戻し、ガマズミは遠目に牧を見渡した。軍馬用の一群はおとなしくまとまって群れている。手前の馬は落ち着きなく右往左往している。招かれざる来訪者が柵の前に留まっているためだろう。

  柵の前に戻ると、彼女は明るい眼差しをこちらに向けた。

  「あんな風に暴れるなんて、驚きました」

  「驚いたのは馬の方でしょう」

  馬と同じく落ち着いたガマズミは、礼を失しないよう下馬して頭を垂れた。

  「なにか…ミヤマの牧にご用がおありでしょうか?」

  男の方は見覚えがない。マユミとの立ち位置を見るに、女と対等であると思われた。下男ではないだろう。

  「入ってもいいかしら」

  言いながらまた柵をもぐった。

  いいって言ってねぇだろうが…

  苦々しい思いでマユミの艶やかな頭を見た。

  マユミはガマズミの心境をよそに馬に近づく。馬は首をよそへ向け、うかがうようにマユミを見ている。

  やっぱこいつはダメだな…。

  性根の細い馬だ。ガマズミは馬との間に体を割り込ませ、馬を優しく叩く。一頭を遠くへ追いやって、別の一頭を曳いてきた。

  「こちらなら触れても大丈夫です」

  「あなたのように乗れるの?」

  「私のようには無理でしょう。ハヤセビトは歩くより先に馬に乗る。容易なことと思われませぬよう…」

  そもそも用向きはなんなのだ…。

  男の方は要領を得ぬ顔つきであるし、女は馬に釘付けである。

  「馬に…乗りたいのですか」

  「えぇ」

  パチンと手を叩いた。

  「この牧の馬は全てミヤマのものです。他言などされぬようお願いします。少しだけです」

  用事を済ませてさっさと帰ってもらおう…。

  穏やかな馬を曳いてマユミを乗せる。裳である彼女は前向きに乗れない。横向きにのせ、後ろにのって支えた。

  「背が高くなったみたいね」

  「…」

  「ミヤマノアララギ様が訪ねてこられました」

  「…はぁ」

  アララギ様の知己とは知らなかったな。

  聞き流しながら頭のなかで呟く。

  「草木に関する知識を集めているそうで…。一日館におられたのですが、帰るときあの梅に目を留めて…それであなたの事がわかりました」

  「…」

  牧の半ばまで来た。すでに男の姿は小さい。

  「あなたがトヨハラの牧におられると言うので、会いに来ました」

  「…は」

  どういう道楽だ?

  ガマズミは裳の中に手を入れた。手に触れた脚を強引に開く。裾から腿があらわになり、マユミが悲鳴のような声を上げた。うろたえる女に構わず前向きに馬に跨がらせると腹を蹴って馬を駆った。トヨハラの丘陵を越え、西の谷側へ入った。牧からは死角になる。

  馬上からマユミを下ろした。気が動転したのか荒々しく息をつく少女を尻目に見る。

  「俺は素性もわからぬ者を近づけるなと言ったはずだ」

  「アララギ様にお聞きしました。真面目で欲のない方だと」

  オブカイはマユミの体に腕を組んで草原に転がし、上に跨がる。

  「欲がないように見せているだけかもしれんだろう。俺ですら己の素性がわからんのに他人にわかるもんかよ。なぁ」

  声を低くして凄む。しかしマユミは邪心のない目をくるりと開き…。いつもと変わらぬ様子で見つめるばかりだ。

  「あんたいくつだ…」

  「十六」

  「じゃぁよ、男が好きなことくらい知ってるな」

  「あなたは…ヤマセを知らないんですね」

  マユミはわずかに眉を曇らせる。

  良家の子女ってか…。

  「知ってるさ。創始四士族。この国の根幹を支える高家だ。だから、怖いものなんてないってか。だがあんたは今俺の下で為す術もない」

  口から乾いた笑いが漏れた。

  「そうでは…なくて」

  「あんたらにとって俺らみたいなのは取るに足らん人間なんだろうな。地位のない人間は何もできねぇと思ってんだろ」

  身体を重ねるように寄せる。

  ゴリッ…

  鈍い音と共に激痛が左肩に走った。

  「つっ…て…」

  身体を支えられず原に転がる。身を起こしたマユミの悲しげな目が視界に入った。

  「私が言いたかったのは、ヤマセは医術の家だということ。人の体のどこが弱いか、どうすれば死に至るか…知っています。あなたは過去に左肩を脱臼している。少し歪んでいるので外れやすいはず」

  確かに幼い頃落馬して左肩を強く打った。どこか違和感を抱えてきていた。

  「見ただけでわかるのか…」

  マユミは小さく頷いた。

  「治せるんだろうな?」

  また小さく頷いた。

  「おい、とっとと治せよ。クソ!俺は兵士だ!体使えねぇんじゃ、お話にならねぇんだよ」

  今度は頷かず、じっと見ている。

  心の中で舌打ちした。

  「俺が悪かった…。このままじゃ主に打ち捨てられ、路傍に潰えるだけだ。なぁ、何とかしてくれよ…」

  結局下手に出るしかねぇとは情けねぇもんだ…。

  心の内が顔に出てしまいそうで、目を閉じた。マユミが動く気配は無い。

  そりゃ、あんだけ罵倒すりゃ動かねぇか…。

  「もう…何もしませんから」

  弱々しく呟き、薄目で窺う。おずおずと近づくのが見えた。

  そうだ、よし…。こいつがお人好しで助かった。

  安堵し、思わず笑みが浮かびそうな口許をぎっと閉めた。

  「うつ伏せになれますか?後ろ側にはずしたので、前に押します」

  痛みに耐えながらごろりと転がる。肩の上にマユミが膝頭を載せるのがわかった。

  おいおい…力ずくか

  ゴ…キン…

  「でっ…」

  痛みは走ったが、肩は回せるようになった。

  「おい、クソ…」

  マユミは大きな目を見開き無垢な表情をしていた。その中に怯えはない。先程言った「何もしない」という言葉を信じているのだろうが、これだけの事をされて警戒心が無さすぎる。

  見誤った…。こいつアホなのかもしれんな…

  怒る気の失せたガマズミは馬を呼び寄せ、横にうずくまった。

  「帰りましょう。今は抱えられませんから、私を踏み台にしてお乗りになってください」

  マユミは首を横に振ったが、ガマズミに促されるとようやく遠慮がちに足をガマズミの右肩にのせた。彼女の重心移動に合わせ立ち上がる。モゾモゾと馬上に這い上がったマユミの後ろに軽々と跨がった。

  「ところで一緒にいらっしゃった方はどなたです?」

  馬を歩ませながら問う。

  「兄です」

  マユミはにこりと笑った。

  供も連れずに兄妹そろって呑気なもんだ…。いや、呑気なのは俺も同じか。

  手綱を引き馬を止めた。馬とマユミが振り向く。

  「その…先程の事は他言せぬよう…お願いします」

  自ら仕掛けておいてバツの悪い事ではあるが、女の口から漏れれば打ち首も覚悟しなければならない。

  マユミはあどけない笑みを浮かべて肩をすくめる。

  「わかりました。二人だけの秘密ですね」

  「…は」

  こいつやはりアホだな。いや、むしろ助かったか…。

  再び馬を歩ませ、丘陵を越えると牧が見える。柵の前でうろうろしていた男は、二人の姿を見ると大きく手を振った。

  「姿が見えなくなったし、なかなか戻らないからどうしようかと思った」

  男は安堵するように息をつき、妹を迎えた。

  「先程の助けていただいたときに肩が外れてしまったようで、何とか施術しようと思ったんですけど…ほら、私、力が無いでしょう?」

  マユミがさぞ困ったというように眉根を寄せると、男も同調するように大きく頷いた。

  おいおい…ずいぶん淀みなく嘘つくな。しかも力無いって…俺の肩、腕の力だけで外しやがったくせに。

  「ほら、そろそろ薬草採りに行こう」

  男はマユミを促す。牧横にあるこのトヨヒメ山道は街道筋でなく人通りが少ない。高位の家柄の者がいささか不用心ではなかろうか。

  「二人で行かれるのですか」

  「こう見えて護身術には自信があります」

  男は軽やかに笑ったが、どうみても頼りなさそうである。が、積極的に関わりたくもない。ガマズミは愛想笑いを送った。

  「それではお気をつけて」

  「妹が迷惑をかけた。改めて礼に伺うよ」

  「お気遣いなく」

  もう二度と来るな…。

  二人の背を見送り、ガマズミは牧へ戻った。

  ひとしきりに馬を追って館へ戻る。馬に水を与え、毛を繕う。日が落ちる直前になってようやく己の飯だ。といっても誰かが用意してくれるわけでもない。竈に火を入れ、雑穀を蒸した。

  すっかり日が暮れた頃、蒸しあがった飯をもって隣の戸を叩いた。

  「セリ、飯だ」

  「あぁ、ありがと」

  奥で横になっていたセリが気の無い返事をした。落馬した日から、ガマズミは馬と一緒にセリの世話もした。

  手の焼ける奴だ。

  面倒でもついでと言えばついでだ。

  「そういや牧にヤマセ媛が来たぞ」

  「えっ!?」

  セリが飛び起きる。

  「お前…本当に動けないんだろうな…」

  「え…あ、あぁ。思わず動いちまった…イテテ」

  わざとらしく腰をさすり横になる。

  「なぁ、ヤマセ媛となにか話したか?」

  飯を冷ましながらセリは上目遣いでガマズミを窺った。

  「まぁ、なにかはな」

  「へぇー…どんな感じよ」

  「アホだな」

  「へ?」

  「だから…アホ。お前でも落とせるんじゃねぇか」

  「お前でも…ってひでぇな…」

  セリ冷ました飯を口に放り込み、黙々と飯を掻き込むガマズミを見た。

  鋭い目に、無愛想な表情。黒鳶色の癖毛。締まっているが、小兵である。

  俺の方が良い男だろ…

  ガマズミは知らなかったが、ヤマセ兄妹は牧へ行く前にミヤマの館を訪れている。セリは声を掛けたが、そっけなくあしらわれた。

  「ところでお前山賊退治は行けそうか」

  「えっ、いや。無理だよ…」

  盗み見ていたことがバレないよう慌ててセリは下を向く。

  「役に立たねぇ野郎だな」

  「うっせぇ。俺はお前みたいに腕自慢じゃない…」

  「ま、俺も命のやり取りなんてしたこと無いけどな」

  ガマズミは寝転がるセリをしげしげと眺めた。そして不意に立ち上がりセリの側で覗き込むように屈む。

  「な、なんだよ…」

  「俺は押さえ込むのは得意なんだ。その先どうやって首を刈れるか考えてた…」

  ガマズミが無愛想なのはいつものことだが、どこかひんやりと冷たく感じた。

  「やめろよ、縁起でもねぇっ」

  「まぁそう言うなよ。お前は寝てりゃいいんだ」

  箸を握り首に向ける。

  「やめろバカっ」

  「怖ぇなら目ぇ閉じてろよ」

  「生きた心地しねぇわっ、自分とこでやれ!」

  起き上がったセリを箸が襲う。ガマズミは両手に箸を握って構えていた。

  「お前、本当に動けねぇの?」

  「そ、そうだよ!」

  じりじりと後ずさる。

  相手欲しいんだがな…

  箸を下ろし、セリの器と己の器を重ねた。

  「早く治せよ…クズが」

  ガマズミは器を片付け、月光の差し込む虚空に剣を抜いた。

  *

  翌日いつものように館へ帰ると、アララギに呼ばれた。アララギの横にはすでに見慣れた少女がちんまりと腰を下ろしている。

  「脱臼の治療に参りました」

  マユミは深々とお辞儀をする。

  「大したことはありません。帰っていただいて構いません」

  仁辺もなく言うとアララギが困惑したようにガマズミを諫める。

  「わざわざお越しいただいたのだからそのような言い様はないだろう」

  そして膝を寄せてそっと耳打ちした。

  「梅の女は彼女だろう?」

  牧に女を寄越したのはアララギ様の好意か…。

  「誤解です。私はただヤマセの家の薬臭さが気になっただけで、女が気になったわけでは…」

  「ヤマセの家が薬臭いと何故知っていたのだ?」

  覗きに行った。とは言えない…。

  ガマズミは口ごもってうつむいた。

  「さぁ、横になってください」

  マユミが手を差し出し、後ろからアララギが促すように押す。観念してガマズミは横になった。

  「しかしその歳で医師とは大したものだね」

  マユミがアララギの体を按摩する傍らで感心したようにアララギは声を漏らした。

  「ヤマセの者は最初に薬学を覚えます。内科、外科、婦人病、鍼、灸など経験を積んでいきます。女は婦人病を専門にする者が多いですが、決められているわけではありません。各々に己の専門を己で決めていきます。私はまだそこまではいっておりませんが…」

  一目置かれてるんじゃねぇのかよ…。

  肩を押されながら不安になる。

  「医師の術は一人で学びきるには膨大で…。ですからヤマセでは外から学ぼうとするを拒みません。門扉を開き人を求めています」

  「うん。それはいいね…。ハヤセノクニからもいずれ人を集めて送ろう」

  二人はガマズミの横で盛り上がっている。

  あぁ、もう二人でやってくれよ…。

  暗鬱になっていると、板を踏み抜く音が近づいてきた。音は室の前で止まり、戸が勢いよく開け放たれる。

  「アララギ!!…っと客人か?」

  「兄上…」

  非難の目を兄に向ける。マユミはさっとガマズミの上から降り、静かに頭を垂れた。

  「ヤマセノマユミと申します」

  「あ、あぁ…。ヤマセ殿の媛?」

  ヤマセと言えばチハラノクニの高官である。その娘が何故か我が家の舎人を踏んでいる。思考が追い付かずイチイはその場に腰を下ろした。

  「えぇ…と。ヤマセ殿は何用で?ガマズミが…何か」

  ここまでしどろもどろのイチイも珍しい。

  「あの…トヨヒメ山に薬草を採りに行く際、うっかり牧に入ってしまったのです。それで馬が暴れてガマズミ様が助けてくださったのですが、肩に怪我を負ってしまったのです。古傷でもあったようなので、お礼もかねてしばらく施術に伺わせていただこうと思い参りました」

  再びマユミは頭を下げた。

  「そりゃ…どうも。や、ガマズミは私が目をかけている男でしてな。しっかり治してくだされ。あ、や。我が家そこまで身入りがようなくてな…」

  「兄上、見苦しいので止めてください」

  頭をかくイチイをアララギが横でたしなめる。

  ヤマセの家は施術の礼を要求することは無いが、家格の高いものはそれなりに返礼をするのが通例であった。都で家を構える以上、何かしらはしなければならない。このミヤマ兄弟は都に家を構えているものの、庶家で宗家に養われている程度の位だ。その割りに武辺者を側に置きたがるイチイには配下に抱えている人間が多い。者によっては妻子もいるのでハヤセミヤマ家の財政はなかなかに厳しかった。

  「いえ、ガマズミ様は私を助けてくださったので。兄からもそのように言付かっております」

  「お、そりゃ…。うん、じゃぁ存分に」

  相好を崩したイチイをアララギは肘でつついた。

  「何ほどのこともございません。これ以上施術など必要ありません」

  ガマズミは体を起こして主に頭を下げる。

  この女には関わりたくないのだ。

  「あの…ですが…」

  助けを求めるようにマユミはおずおずとイチイを見た。

  「いや、ヤマセ殿。こいつはこう見えてなかなかの手練れでな。期待しとるんだ。よっく見てやってくれ」

  「はい、お任せください」

  マユミが可愛らしく頭を下げるとミヤマ兄弟は鷹揚に頷く。ガマズミは二人にわからぬよう小さく嘆息した。

  「そういえばな、ヤマセ殿。先般落馬した男、なかなかに治りが悪いようなのだが…」

  イチイに問われるとマユミは小首を傾げしばし考え込んでから、パッと顔を輝かせた。

  「あぁ…。あの方なら軽い打ち身のはずです。昨日庭先でお会いしましたが、お元気そうでしたよ」

  イチイの目の色がさっと変わる。おもむろに立ち上がり庭へ降りていった。

  「セリも悪い者ではないのだがな…」

  遠くから聞こえる怒鳴り声を聞きながら、アララギは呟く。

  アララギ様も人が良い…。楽して怠けることばかり考えてる男のどこが良い男だと言うのか…。

  ここのところ焼いてやった世話を頭に巡らせながらガマズミは思った。

  「何で俺は殴られて、お前は手厚く施術してもらえるのかね」

  「身から出た錆だろ。お前が怠けず仕事してりゃ、暴れ馬からヤマセ媛を助けたのはお前になってたかもしれないだろう」

  ぶちぶちと文句を垂れるセリに夕餉の用意をさせながらガマズミはその背を軽く蹴った。

  「無理だよ、そんなの…。俺は運が無い」

  運が無いのかねぇ…。

  イチイに殴られたのも、ヤマセ媛に会えなかったのも元を辿れば、己の怠け癖の為なのだ。馬術にしたって、日頃もっと身を入れればもう少し上達しても良いものだ。日頃の怠け癖が巡りめぐって、災いとなる。それを運が悪いと言い訳にしているのか、そもそも気づいていないのか。

  後者だろう。

  出来の悪い同輩を見ながらガマズミは思った。

  ∗

  ナカハラノクニとヤマセノクニ、シモツノクニが交差する西街道沿いのアユ山に七年ほど前から賊が住み着いているらしい。始めは街道を行く者を狙って追い剥ぎを行っていたが、徐々に郎党を増やし近頃になって近隣の郷を襲うようになった。六郷から朝廷に連名の訴えが上がり、討伐の運びとなった。

  ミヤマノイチイは手勢五十人ばかりを連れて西街道へ向かった。麓の郷まで来るとイチイは郷長に状況を聞きつつ、手下から斥候を出した。

  イチイが評定を行う為に小頭と車座になって座る。ガマズミはすぐ近くに小さく腰を下ろした。

  「おい、もっと離れてようぜ。とばっちり食うぞ」

  小声でセリが声を掛けた。

  ガマズミが従軍するのはこれが初めてだ。上役で何が話し合われているのか興味があった。セリは二度目だ。何か気がかりがあるらしいセリを遠ざけ、ガマズミは聞き耳を立てた。

  賊は川を背にした断崖に砦を築き、前方に柵を設けている。柵は浅い空堀を含め二間強の高さ。素登りで柵を越えるのはやや難しい。彼らは用心にも物見櫓を建てていると報告が上がった。

  「賊のくせにたいした防備だ。引き倒せんか?」

  「存外しっかりした柵で、容易ではありません」

  「食攻めにでもしますか」

  「こちらの兵糧が足りんわ、阿呆」

  「郷から徴収すりゃよかろう、馬鹿」

  「糧を奪われて困っておる郷に更に出せと言うか?それでは禍根が残るぞ」

  「誰のために我らが出向いたと思っとんのだ。それぐらいすればよかろう」

  「ごちゃごちゃうるさいわ。こちとらミヤマの兵ぞ。正面からドンといかんかい!」

  「若殿!いつまでも力攻めではこの先やっていけませんぞ!!」

  「賊なんぞ相手にせこせこやってられるか!」

  イチイを含め侃々諤々と言い争っている。

  ダメだこりゃ…

  上役と取り巻きの会話を聞きながらガマズミは頭を抱えた。

  このままじゃ遮二無二突っ込んで柵を突破しろと言いかねん…。主の為なら死をも厭わぬが、無駄死には御免だ。

  ガマズミは頭に砦の様子を描く。

  断崖の堅城。人員は半数以下。備蓄は恐らくある。討伐隊が出る直前に、近くの郷が襲われている。…水。水は?井戸を掘る技術はないだろう。と、なれば雨水を恃むか、川の水を汲んでいるか…。

  視界の端でちょろりと何かが動いた。

  少年が少し離れたところから様子を伺っている。官軍が珍しいのだろう。目を輝かせ、期待を寄せる表情だ。ガマズミは少年に近寄り小声で耳打ちする。少年は首を横に振った。

  再び車座の後ろに戻ったガマズミは突然笑い声を立てる。一斉に皆が振り返り罵声を浴びせた。

  「我らは軍義の最中ぞ!」

  「どこぞの下人か。とっとと去ね、忌々しい!」

  何が軍義だ、馬鹿らしい…。

  と思ったが、おくびにも出さずイチイに向かってニヤリと歯を剥いた。

  「ぱーっと焼いちまいましょうぜ、大将。派手でいいっしょ」

  またしても野次がとんだが、構わず続ける。

  「やつらは水の備えが無ぇ。郷の小僧が水を汲んでるのを見たことあるって言ってましたぜ」

  「こちらとて火攻めの備えなぞ無いぞ」

  イチイの横にいた青年が冷静に声をあげた。鎧を見ればそこそこの位であろう。

  「道中、松林がありました。薪を供出してもらえりゃ一番だが…」

  そこで郷長に目を遣る。芳しい顔ではない。

  「薪が嫌なら、若木一本と道具ぐれぇは出すよなぁ?」

  ガマズミが続けると、皆が責めるように郷長を睨む。郷長は身をすくめながら頷いた。イチイはすぐさま膝を打った。

  「ガマズミ、火攻めの用意を任せる」

  「は。承知しました。手勢は?」

  「好きに連れていけ」

  頷き、きびすを返す。ここにはイチイ直属の者の他に、ミヤマの別の家臣の者。そのまた下の者など様々な家から集った者がいる。それぞれに下知を待つ手下を前にガマズミは声を張り上げた。

  「てめぇら、仕事だ!!」

  ガマズミの声に、思わず数人が立ち上がり、残りはうろんげに見上げる。使われる者と使う者の違いだ。だが、ガマズミにはそれで良かった。

  「俺は口ばっか達者で仕事しねぇ奴は嫌いだ。立った者だけついてこい」

  「勝手に命令してんじゃねぇよ。何様だてめぇ…」

  ぞんざいな口ぶりに男が立ち上がった

  「ミヤマノイチイ様に仕えるガマズミだ。俺は総大将に命を受けた。文句があるならイチイ様に言え」

  イチイの名を出した途端男は身じろぎする。一瞥して男の元を離れた。

  大した奴じゃねぇな…。

  「小僧!」

  先ほどの少年を呼びつけると、少年は嬉しそうに駆けてくる。

  「山を仕切ってる奴がいるだろう。案内してくれ」

  山は郷共有の財産である。よって必ず管理する者がいる。その者を手先にガマズミ達は松林へ入った。

  伐ってもよい木を選んでもらい伐り出す。特に松脂を多く含む部分は、細く割り火矢用に。残りは投擲用に粗く割る。投擲用の松明には松葉を詰め込むよう指示した。

  「なんで松葉も詰めるんだ?」

  勝手についてきたセリが、同じようについてきたどんぐり眼の少年と不思議そうに眺めた。

  「仮に中の建屋に火が着かなくても煙で燻せりゃ出てくるんじゃねぇかなてさ…」

  「なあ、絶対やっつけてくれよ!!」

  少年は力を込めてガマズミに訴える。

  「あぁ、うちの大将は強いから大丈夫だろ…」

  少年の期待に応えるようガマズミは笑って見せた。

  「ところでよ…お前盗賊がどんな奴か知ってるか?」

  「…最初に追い剥ぎを始めた奴は海の向こうの奴じゃないかって聞いたことある」

  少年は思い出すように空を見上げる。

  「なんだ海の向こうって?」

  「色黒の肌に全身入れ墨してる。この辺じゃ見かけないだろ?」

  案内についてきた男が言った。

  「そいつがめっぽう強くて、何人も殺されてる」

  「死んだって聞いたよ?」

  「見かけなくなったな。仲間割れか…。元々それほど若くなかった。五十手前くらいだろうな…」

  チハラビトもハヤセビトも入れ墨の文化はない。見ればすぐわかりそうな風貌だと思った。

  「最近はどんな奴が率いてる?」

  そこでセリが袖を引いた。

  「お前まさか大将首狙ってんじゃねぇだろな?やめとけよ」

  小さく囁く。

  「聞いておくだけだ。お前はそいつ見たら逃げりゃいいさ」

  「三十半ばくらいの男だ。長い剣を使う」

  「他の奴らは?強いか?」

  「俺らだってぼうっと待ってるんじゃねぇんだ。それなりに武装もして…でもやつらまとまってやって来るんだ…」

  男は口惜しそうに声を震わせる。今までの抵抗が頭をよぎったのだろう。

  「そうか、悪かった…」

  連れてきた男たちが作業を終えるのを見て、ガマズミ達は郷へ戻った。

  「小僧、助かった。あとは郷で吉報を待ってろ」

  ガマズミがぐしぐしと少年の頭を撫でる。少年は笑みを浮かべ大きく頷いた。

  「お前が子供好きなんて初めて知ったよ」

  いつもは無愛想なガマズミが珍しく笑っていた。セリは意外そうな目を向ける。ガマズミはそれをふっと嗤った。

  「別に好きじゃない。使えそうだと思っただけだ」

  冷笑を浮かべる。

  「お前…」

  言葉を失ったセリは立ちすくみ、ガマズミの背を見つめた。

  小頭はそれぞれに部隊をまとめ始めている。顔に緊張が浮かび、空気は固くしまっていた。イチイの元へ帰参すると、イチイも陣を払い出立の準備をしている。

  「ガマズミ、射手と投擲部隊を預ける。お前が火口となれ」

  「は」

  「無理はしなくて良い。火がついたらこちらから挑発をかける。お前達は身を伏せ敵の主力が出るのを待て。その後中に入り、残党の殲滅をしろ」

  小さく頷くガマズミの肩にイチイは手を置く。

  「一人残らずだ。出来るか?」

  念を押すようにイチイが言う。

  「お任せください」

  馬の世話を頼まれるときと同じ。いつも通りの顔で淡々とガマズミは応えた。

  ガマズミは与えられた兵士をまとめ郷から出た。ガマズミ隊が先手となる。

  道を避け砦に近づき、各隊員を配置につける。射手にはまず物見櫓を狙うよう言いつけた。見張りが狙いではない。櫓は内外から良く見える。開戦の狼煙だった。

  ガマズミは馬を呼ぶときの指笛を吹いた。高い音が空を裂く。

  火矢が櫓に向けて放たれる。何本かの矢が刺さった頃、櫓に火が移り燃え始めた。射手は標的を柵に変え、射始める。松明の投擲を始めた。身軽なものに壕を越えさせ、柵の下にも放火した。

  「すべて投げ入れろ。終わったら森へ退け!」

  何人もの怒声が中から聞こえる。身を隠しながらその声を聞いた。

  まとまりのなかった声が次第に整っていく。背後からイチイの大音声が砦に向かって放たれる。中の怒声が鬨に声に変わった。

  出てくる…。

  固唾を呑み、門を注視した。

  門がゆっくり開かれる。十数人の男達が固まりになって吐き出された。対するイチイの隊は十人ほどしかいなかった。

  兵が寡ない…。

  二つの集団がぶつかりあうのを遠目に見ながら、ガマズミは自分の隊を砦へ入れた。

  「おい、本当に行くのか!?」

  ガマズミの袖をセリが引いた。

  「当たり前だろボケが。お前は何しに来たんだ」

  袖を引っ張りながら砦内を見渡す。大甕がごろごろと転がり、あちこちがくすぶっている。思ったより水の蓄えは多かったようだ。鎮火させて討って出た様子が伺えた。

  「強い奴がいたらどうするんだ?出てきた奴に入れ墨の男なんていなかったぞ」

  「あぁ、良く見てたな。確かに文身男はいなかった。だが、強い奴なんていないはずだ。余力を残すだけの人数がいないからな」

  「じゃ、残党って…」

  砦の家々を見てまわるガマズミの後ろを恐る恐るセリがついてくる。

  「賊が住み着いて七年…。これだけの男がまとまっていりゃぁよ…」

  戸を開ける。目があった。女と子供。四つの目が怯えたようにガマズミを見上げる。その目はすぐさま地に伏した。

  「ガキぐらい、こしらえるわな…」

  二人を斬り伏せガマズミは言った。

  「何でだよ…。女は拐われただけかもしれないのに…郷に返してやりゃ良いじゃないか」

  「子供ができてりゃ女はどう転ぶかわからん。賊と情を交わしてるかもしれん。イチイチ聞いてまわるか?正直に答えるか?」

  次々と家の戸を開ける。中にいる者をすべて斬った。

  「ガマズミ、やめよう。ほっとけばいいじゃないか。きっと勝手に逃げ出すよ」

  ガマズミのあとをセリはくっついて離れない。

  「うるせぇ。目障りだ、失せろ」

  引き剥がそうとセリを小突く。

  前方で男の悲鳴が上がった。二人は弾けるように声の方を見る。味方の骸が血溜まりに沈み、傍らに男が立っていた。色黒の肌。全身に渦巻き紋様の入れ墨。少年が海の男だと言ったのは当たりのようだ。骸には深々と銛が刺さっている。

  男は骸を踏みつけ、刺さっていた銛を引き抜く。無惨に皮が引き裂かれるのが見えた。 銛は矛とは違う。大きなカエシがついていて刺さったら容易に抜けないし、綱がついていていて回収もできる。

  ガマズミの得手は組打ちだ。たとえ相手が得物を持っていようが、懐にさえ入ればなんとでもなる。しかし男が銛を使う以上近づいては来ないだろう。飛び道具なら尽きるのを待てば良いが、銛は尽きることがない。

  厄介だな…。

  間合いをとりながら、じりじりと移動する。不意に男の視線が逸れた。男が銛を放つ。絶叫が響く。真っ直ぐ飛んだ銛がセリの腿を掠め、男の手に戻っていった。

  アイツ…わざと外しやがった…。

  銛がセリに突き刺さっていれば抜けなくなり、回収するまで男は徒手になる。敵が二人いるため、敢えて外すことで戦力を一人分削いだのだ。

  セリの心配なんかしてられねぇな…。

  地面に転がりながら苦しげに呻く声を聞き捨てにする。気を抜けば、確実に狙ってくるだろう。

  男が銛を担ぎこちらを向く。ガマズミが走る。銛が放たれた。ガマズミは帯から鞘ごと短剣を引き抜き、銛を払った。男の綱捌きによって銛は空を飛んで戻っていく。

  やっぱり動かねぇか…。

  男は一歩も動かずガマズミを見据えている。

  後ろなら見えねぇだろ…。

  回り込むように走り出す。男はその姿を捉えるように向きを変え、わずかに左足を引きずる。ガマズミの視界の端にもそれが映った。

  あいつ…

  ガマズミは反射的に男の左側に跳ぶ。反応が鈍い。

  ふん…

  そのままセリの後ろへ走り込み、セリを起こした。

  「ガ、マズミ…?」

  「たまには俺の役に立てよ…」

  痛みに耐えながら訳もわからず起こされたセリの目に、銛を振りかぶる男が飛び込んだ。

  悲鳴をあげる。同時に体に衝撃が走った。セリの体を後ろから支えるガマズミ。セリを貫こうとする銛をすんでのところで掴んでいた。

  セリを蹴り飛ばして立つ。

  「掴んだぞ、文身男」

  「それがどうした、若造」

  男が口を開いた。老人のようなしわがれた声。怒気が感じられた。

  体が前に引かれる。男が手綱を手繰り寄せ始めた。

  「ガマズミ!」

  セリがガマズミの足に飛び付く。男は構わず二人を我が身へ手繰り寄せ続けた。

  「離れてろ、クズが」

  セリを振り払うように足をあげた瞬間、ガマズミは一気に男の元まで引っ張られた。男は剣を抜きガマズミに向かって振り下ろす。ガマズミは銛から手を離し男の懐へ飛び込む。男の腕を掴み、瞬間背を向ける。剣を振り下ろす男の勢いをそのままに地へ叩きつけた。

  素早く短剣を抜き、男の頸を裂いた。温かい血潮が吹き、ガマズミの体を濡らした。

  倒れた男に股がる。男が刮と目を開いた。

  「名乗りが遅れたな。俺は組打ちのガマズミだ」

  喉元を突いて絶命させた。

  セリのもとへ戻る。

  「お前、何で俺についてきた」

  傷ついた腿の手当てをしてやりながら尋ねた。

  「だって…お前といれば死なないような気がしたから……」

  セリはうつむいて答えた。

  「今回のはな…汚れ仕事だ。女や子供殺したところで手柄にならん。誰も誉めてくれねぇ上に、蔑まされる。後味も悪い。誰もやりたくねぇ仕事だ。大将についてきゃ、敵がどんなに弱い野郎でも手柄になる。そんなこともわからねぇ、お前は本当にここが足んねぇアホだ」

  頭を小突きながら、いつもの調子でガマズミはセリをバカにした。

  「じゃぁ、そのアホな仕事を何でお前はやるんだよ」

  「俺は大将の力になれりゃそれでいい。ま…ありゃオマケだな」

  後ろを向いて言った。

  「お前の剣貸せ」

  返事を聞かず、セリの腰から剣を抜く。骸になった男の首を持ち上げた。

  「よっ」

  剣を振り下ろす。男の首の半分まで断って剣は止まった。

  斬れねぇな…。

  首を離し地面に転がす。刃を当て、足で踏みつけた。体と離れた首をセリに向かって放り投げる。セリがまた悲鳴を上げた。

  「ちょっと預かってろ」

  ガマズミは男の出てきた家に目を向ける。

  さて…何が残ってるかね。

  男の家を覗いた。

  五つほどの少年が手を広げて立っていた。後ろには女の姿が見える。

  「お前、あいつの子供か?」

  後ろを指しながら言う。少年はガマズミを睨め上げながら頷く。

  「仇が目の前にいるんだ。しろよ仇討ち」

  少年は立ちすくんだまま動かない。ガマズミは少年を刺し貫く。続けて女も始末した。

  ガマズミは砦の広間に出ていき、手下に呼び掛ける。

  「残党の始末が終わったら食い物と、使えそうな道具並べろ。勝手に懐入れたらぶっ殺すぞ」

  返り血で赤黒く染まったガマズミは異様な凄味があり、手下達はそそくさと作業を始めた。しかし人から見てどうであろうと、ガマズミの心境はいつもと変わらぬ淡々としたものであった。セリのもとへ戻ると、その横にごろりと転がった。

  「なんか、疲れたな」

  「そうか…」

  本当は賊の首を放り出したいセリは曖昧に頷くと、目を瞑ったガマズミの顔を見つめた。

  わからない男だ…。

  無愛想で、無欲。そう思っていると、たまに激情を見せたりする。ただその激情が本心なのか、演技なのかわからない。上役に対する態度や言葉遣いは物静かで、清らか。下役には口が悪い。だからといって卑しさがあるわけではない。セリに対しても口ではなじるが、追い落とすようなことはしない。怪我をすれば頼みもしない飯を作り世話をやく。

  本当は優しい男なのだと、思っていた。だがガマズミは今日、罪もない女子供を眉ひとつ動かさず、当然のように殺害していった。飯を食うように、用を足すように、当然のようにだ。

  あの時、ガマズミは男を前に俺を盾にした。ガマズミは銛を掴んだが、仮に刺さって死んでも構わないと思ってたんじゃないか…?

  「たまには俺の役に立てよ」

  ガマズミが呟いた言葉が頭の中に響き、セリは身震いした。

  しばらくすると門の方が騒がしくなり、ガマズミが身を起こした。

  「大将のお帰りだ」

  手下の仕事を確認するよう広場を見渡し、イチイを迎えに門まで出向く。イチイは手下共々返り血を浴びた様子で、機嫌良さそうに笑い声を上げた。

  「首尾は上々。此度の討伐は大成功よ」

  「それはおめでとうございます」

  ガマズミが恭しく頭を下げると、イチイはまた哄笑した。

  「立役者がまるで他人事のように言うな。我が策略によるものと、うそぶいてみたらどうだ」

  「恐れ多いことでございます。私は微力を尽くしたにすぎません。すべてはイチイさまとミヤマの御家人衆の皆様の力によるものと考えております」

  恐縮しながら一歩下がり、さらに頭を深く垂れた。そして一軍を砦の奥へ誘う。ミヤマの家人衆はガマズミを睥睨しながら通りすぎた。

  広場には整然と戦利品が並べられている。イチイは満足するように頷きながら見渡す。

  「お前の仕事は無駄がなくて良い」

  「は」

  戦利品の横にぼんやりとセリが首を抱えて立っていた。

  「おう、セリ。生きとったか。なんだその首は」

  役立たずのぼんくらでも手下は手下である。こういう時、イチイは優しい。

  「あ…。ガマズミが討ち取った首です」

  本当は触るのも嫌だが、投げ出すこともできず、大事に抱えていた首をおずおずと差し上げた。イチイがその首をむんずと掴んで顔を寄せる。

  「お、こりゃ黥面だ。ガマズミ、これは賊の首魁ぞ。大手柄だ」

  破顔を向けるイチイにガマズミは仰々に驚く顔をした。

  「え、そうなのですか!?どうりで苦労しました。死を覚悟しましたよ」

  頭を掻き、皆を笑わせた。

  「よし、ヒラセ。皆の論功を行う。オワセは戦利品分配の用意をしろ」

  「はっ」

  二人の男が同時に声をあげ双方に散る。イチイの前に列が出来、皆切り取ってきた鼻を差し出した。

  鼻で良かったのか…。

  遠目に見ながらガマズミは思った。確かに首をぶら下げるのは邪魔だし、切り取るのにも労力がいる。耳と違って、鼻は一つしかないので嘘もつけぬであろう。

  無駄な力使ったわ…。

  小さく嘆息し、オワセと呼ばれた男のそばへ寄った。

  「なになさってるんです?」

  「あぁ…戦利品を朝廷に献上する分、我々が拝借する分、郷へ分配する分と分ける」

  オワセは手にした紙を見ながら呟くように言う。

  「へぇ…全て朝廷に吸い上げられるのかと思ってました」

  「本来はな。しかし後々郷から抗議されると、対処に当たった我々の落ち度となる。それを避けるために策を講じておくのさ」

  「平等に分配されるので?」

  「いや、戸数と被害額に比例して算出する。まぁ正しい意味で平等だ」

  「そりゃまた面倒ですね」

  二人は苦笑を浮かべた。

  「もっとも、すでにミヤマ宗家のタカシ様が調べてくれてるから、私は計算するだけだけどね」

  「細かいですねぇ…」

  「そうだな。タカシ様は細か過ぎて…私はお仕えしたくないね。そうだ。お前手先は器用か?」

  「ま、ほどほどに」

  「じゃぁ木簡七枚作ってきてくれ」

  オワセに言われその辺の木材から木簡を七枚切り出し、細い紐を括る。オワセに持っていくと、彼はニヤリと笑みを浮かべた。

  「イチイ様の言う通り、お前は仕事に無駄がなくて良い」

  紐を持って木簡を揺らす。ガマズミは頭を下げてオワセから離れた。

  イチイの軍は砦で一泊し、翌朝出立することになった。芳しい成果をあげたものは揚々と酒を喰らい、そうでない者や、親しい者を亡くした者はしんみりと火を囲んだ。

  ガマズミは親しい者もいないので、どこの輪にも加わらず遠巻きにその様子を眺めていた。

  「ガマズミ」

  親しげな声に顔をあげるとイチイが横に腰を掛ける。

  「初めて戦に出たものは、妙に興奮したり、落ち込んだりするもんだが、お前は変わらんな」

  「はぁ…。慣れておりますので」

  「殺しを?」

  「殺しは、違いますが…。お調べになっておりませんか」

  「いや?」

  イチイはガマズミの言葉を待っている。ガマズミは頭を少し掻いた。

  「罪人の処刑をしていました。小さい村です。命をとることはさすがになかなかあることではありませんが…。棒打ち、石打ち。無抵抗の者を打つのに慣れています。誰もやりたがぬ仕事です。貧しい私はわずかな礼を求めてしました。どうと言うこともない。己が飢えることに比べれば」

  イチイはガマズミの背を叩き哄笑した。

  「お前はミヤマと同じだ」

  「同じですか?」

  わからなかった。都で創始四氏族であるオイクニ氏に仕え、家を立てているミヤマと、名もなく、拠り所もない己のどこが同じであろうか。

  「ミヤマはオイクニの威勢を借り、武力で人を殺め、わずかな小利を貪る卑しい氏と、チハラビトに蔑まされとる。だが、どんなに卑しいと蔑まれようと、誰かがやらねばならぬことだ。賊を…朝廷に背く者を野放しにしては、いずれ国は崩れ大乱に呑まれよう。我らはこの国に住む民のために小さな芽を摘んでいるのだ。恥じるべきことなど一つもしていない」

  猪突猛進の荒れくれ者と思いきや、案外にも大志があるらしい。その姿を前にすると、ただ拾われた恩を返すつもりだけの己は矮小に見えてならない。ガマズミは足元に目を落とす。

  「やはり同じではありません。私にそのような大望はありません…」

  「人というのは綺麗に生きたいものよ。自ら泥を被り、それでも惑わず前を向く者。そういう者がミヤマには必要だ。お前は、俺と同じよ」

  イチイはガマズミの手をとって笑う。

  「私がイチイ様と同じとは恐れ多いことでございますが、こ身命を賭してお仕えいたします」

  「おぉ、恃むぞ」

  イチイは他の輪に混ざっていく。胸にじわりと広がる暖かいものを感じながら、ガマズミは己の胸を叩いた。

  ∗

  都に戻ってそれほども経たぬうちに、ガマズミはイチイに呼ばれた。イチイの室に出向くとヒラセと呼ばれていた男も控えている。

  「山賊砦で討ち取った文身の男だが、手負いだったというのは本当か?」

  ヒラセが開口一番に言った。

  「手負いか、病かは知りませんが、左足を引き摺っておりました」

  正直に答えると、イチイとヒラセが顔を見合わせる。そしてイチイはわざとらしく嘆息して見せた。

  「そういう時はピンピンしとりましたと言うもんだ阿呆」

  頬杖を突いて顔をしかめる。

  「文身男は手負いだから大将首に値しないとケチがついてな…」

  ヒラセは気の毒そうにガマズミを見たが、ガマズミは顔色一つ変えず「そうですか」と呟いただけだった。

  「腐るなよ、次がある」

  イチイはそう言ってガマズミの前に一振りの剣をおいた。飾り気のない鉄剣である。

  「俺から褒美だ」

  イチイに言われると、ガマズミは珍しく真っ赤に顔を染め深々と頭を垂れた。

  「過分と存じますが、有り難く頂戴致します」

  起こしたガマズミの顔に笑みが浮かんでいるのが見えると、上座の二人は満足そうに顔を見合せ室を出ていった。

  二人が部屋を出ていくとガマズミはそっと鞘から剣を抜いた。黒々とした光が美しい。いかにも切れ味の良さそうな刃に己の顔が映った。

  「十分すぎる褒美だ…」

  鞘に戻して剣を置く。しばらく剣を前に感慨深く眺めていた。そしてようやく大事そうに剣を抱えると己の室へ向かった。

  「やぁ、ガマズミ。お手柄だったそうだな」

  アララギの庭で声をかけられる。アララギはたわわに実った梅をもいでおり、手の籠には青梅が少量積まれていた。

  「は…まぁ…」

  浮かれた顔をしてやいないかと気にしながら、ガマズミは顔を引き締めた。

  「マユミ殿にはお会いしたか?お前が留守の間、度々訪れては無事でいるかと気にしていたよ。顔を見せにいったらどうだ」

  アララギの言葉が好意であるのはわかる。が、一方的な勘違いなので良い気にはならない。

  早いところ弁解しておかないと…

  そう思ってアララギを見ると、アララギは顔を綻ばせた。

  「噂をすれば…だな」

  振り向くと感涙にむせぶような顔でマユミが立っていた。

  「ガマズミ様。ご無事で…」

  「…はぁ」

  憂鬱そうなガマズミの表情にもかかわらず、マユミは無垢な顔で近づく。しかしそこで小首をかしげた。

  「どうなさったんですか?大事に剣など抱えて…」

  鉄の剣は高価である。平民がおいそれと持てるものではない。故にガマズミは短剣しか持てなかったのだ。それがこの娘にとっては「剣など」である。高家の女には「剣など」珍しくないのだろう。

  ガマズミの胸に怒りが沸々と沸いた。

  「目障りだ…」

  「え?」

  「とっとと失せろクソ女!」

  思わず怒鳴りあげた。

  「ガマズミ!いきなりどうした」

  アララギが血相を変えて走り寄る。

  「私…何か気に触ることでも…」

  狼狽えるマユミを一瞥する。

  女が悪いわけではない。住むところが違うのだ。

  ガマズミは呼吸を整えるように息を深く吐いた。

  「別に、なにも。ただ、あなたがヤマセの女だからだ」

  ガマズミは二人を置いて室に戻った。

  抱えた剣を下ろすと、自分が持っていた一番良い布で包み高所に置いて手を合わせた。

  しばらくしてアララギにヤマセの家へ文を届けるよう使いを頼まれた。行きたくもないが、断る理由もない。渋々受け取りヤマセ館へ向かった。

  「ハヤセミヤマノアラララギの使いで参りました。ガマズミと申します。御当主に御取り次ぎをお願いします」

  正門を叩くと、奥へ通された。難なく通されるところを見ると、アララギは昵懇の間柄なのかもしれない。静かな室で当主が現れるのを待つ。こちらの梅の木も青梅が実っていた。実の付きはミヤマ家ほど良くない。

  「お待たせしたな」

  思ったより年寄りの男が現れ、ガマズミは文を渡した。

  当主は文に目を通し、ガマズミをじっと見る。

  そういや何の用事なんだろうな…。先日の詫び?なら俺も詫びるべきか…。セリの治療であればイチイ様から礼をいうべきであろうが…。

  今更ながら不可解な成り行きに不安を感じた。

  「アララギ殿の推薦であればこそ、こうして会っているのだが。やはり気が進まん…」

  当主は気鬱そうな面持ちである。ガマズミはそっと両手を差し出す。その両手に、開いたままの文がのせられた。

  しめた…。

  ガマズミは当主宛の文を盗み見する。

  当主への挨拶に続き、ガマズミの人柄や仕事ぶりなどが綴られている。不思議に思いながらも、やはり誉められるのは嬉しいもので、そのまま読み続けていく。最後で思わず文を握りしめそうになった。

  何でだ…。

  唖然と当主を見上げる。当主は依然気鬱な目を向けている。

  あんたも嫌だろうが、俺も勘弁してほしい…。

  アララギはヤマセノマユミとガマズミの仲を取り持ってほしいと、事もあろうかイチイと連名で綴っていた。

  とにかく話を合わせるか……。

  主兄弟に恥をかかせるわけにはいかないのだ。

  「アララギ様は人の良い方であり、こうして心を砕いてくださっておりますが…。正直私としても身に余るものと存じております。分不相応な交わりはお互いのためにも良くありません。いずれ綻びを生むこととなりましょう。ヤマセ様からもどうぞそのように…」

  平伏すると、当主は安堵するように顔を緩めた。

  「そうだな…。あぁ、そうだろう」

  まるで独り言のように呟いている。

  主の使いは果たしたし、良くわからん成り行きも阻止した。これでいい。

  ガマズミも胸を撫で下ろし、文を綺麗に折り畳んで懐へ納めた。

  「アララギ殿はともかく…名もない舎人で、しかも主がミヤマでは…」

  「は…?」

  「ミヤマは…紫黒皇子に取り入り、外つ国を攻め私腹を肥やさんと画しているという話もある…」

  当主はなにかを思い出すように遠くを見ていた。その視界にガマズミの姿はない。

  「各地への遠征だって本当のところはどうだか…。その土地の郷士に任せれば良いものを…」

  ヤマセはもともと豪族の揉め事には不干渉を貫いている。良く言えば中立を守っているわけだが、悪く言えば、知らぬ存ぜぬの、放置主義でもある。それでいて、人口、穀物生産はチハラノクニの二番手だ。自分さえよければ他はどうでも良いと言っているように見えなくもない。

  それに比べてミヤマはどうであろう。北の奧のハヤセという本拠地は草原とわずかな山林、険しい谷。めぼしい田畑もない。そこで育てた馬を都に送り細々と生計を立てているに過ぎない。それでもミヤマの祖先は都に人を送り、東大陸の書の研究に励み、武力を高めてきた。戦とあらば一番に駆けつけ、チハラの威光を示すことが出来るのはミヤマがあってだろう。ミヤマが評価されないのはひとえに創始四氏族ではないからと言っても過言ではない。

  「偉そうに…。ヤマセはその地位にあぐらをかいているだけだろうが」

  「なに?」

  「人のところは人に任せりゃ良い?そう言って戦乱が広まった時、あんたらどうやって対処するつもりだ。誰かがやれば良い?誰かって誰だ。それがミヤマだろうがボケが。名もねぇ舎人が気に入らねぇか?俺が名を上げりゃいいのか。俺は武官ミヤマの家人だ。俺が名をあげるってことは、多くの命を手にかけるってことだ。高尚なヤマセの医師さまよ。あんたそれを望むのか?」

  ガマズミは鼻にかけて嗤った。

  「誰もそんなこと望んでおらんわ!武力を行使する危うさを考えろというだけだ。武力は崇高なものであってはならん」

  突然吹き出した激情に思わず当主は反論する。ガマズミは口吻を収めなかった。

  「じゃぁ何だよ。外つ国が攻めてきたら、あんたの医術でそれを止められるのか?崇高だなんて思っちゃいねぇさ。でも、しかるべき評価が与えられるべきだろ。民のために戦って誰にも認められずに死ねってか…。ヤマセなんてクソ食らえ!」

  懐から文を取り出し引き裂く。

  あんたの娘も要らねぇよ。もとから欲しくもねぇ…。

  心の中でうそぶき、ヤマセ館を後にした。

  「お帰り、ガマズミ」

  アララギが庭で微笑む。珍しくイチイが横にいた。

  「その…」

  勢いとはいえ二人の好意を仇にしてしまったことを思い、言葉が継げなかった。

  二人は何かを悟ったように、ガマズミを軒先に招き入れ座らせた。

  「ほらほら、これでも食え」

  イチイは見慣れぬ淡い緑色のねっとりとした何かを匙にのせて差し出す。

  「せっかくですが…なんですコレ?」

  見た目の異様さに顔をひきつらせると、頭を小突かれ口に放り込まれた。

  口の中に甘味と酸味、そして独特な香りが広がった。

  「…梅?」

  「そう。東の大陸から入る糖蜜で煮た青梅だ。完熟の梅も良いが青梅は酸味が爽やかでね。兄上、こんな顔してるのに好きなんだよ、コレ」

  アララギがおかしそうに笑う。

  「顔と好みは関係無かろうよ」

  へっと吐き捨てるように言い、イチイも匙を口に放り込んで舌鼓を打った。

  「あの…お二人はその…なぜあのような文を」

  ガマズミの問いにミヤマ兄弟は顔を見合せて苦笑する。

  「だって…ねぇ?」

  「まさかガマズミがなぁ…」

  なんだその顔…。

  「やはり結構です」

  嫌な予感がし、立ち上がろうとする。しかしガマズミの肩を恐るべき強い力が引き留めた。 イチイが意地の悪い顔でニヤニヤと笑っている。

  「兄上、そんな顔をしては…」

  諫めたアララギもどこか笑いを抑えた風に見えて気味が悪い。

  「お前、ヤマセ媛のこと押し倒したんだってな」

  ついに笑い始めたイチイの口をアララギが慌てて塞ぐ。

  「兄上、品がないですよ。迫っただけです。ちょっと強引に…」

  大して変わらねぇよ…。

  呆然としたガマズミは二人が笑いこけるのを項垂れて見た。

  「大体どこからそんな話が出てきたんです?」

  白々しく聞いてみた。

  「どこからって…。お前がこの前ヤマセ媛を泣かせるもんだから、そのあと私がどれだけなだめるのに苦労したと思ってるんだい?」

  アララギがやれやれと首を振る。つまり出所はマユミだということが窺い知れた。

  涙ながらにマユミが語った話をガマズミは頭の中で要約した。

  春先ヤマセの裏門を薬草売りに扮したガマズミが叩いた。ガマズミはマユミを前に噂通り美しいと言い、婿を探してるのは本当かと聞いた。マユミがそうだと答えると、次に梅の枝を持って現れた。マユミが氏族を尋ねると、無位無冠で氏も持っていない。もう会うこともないといって帰った。マユミは自らガマズミを訪ねていくと、人気のない牧へ連れていかれ強引に迫られたので、思わず脱臼させてしまった。その施術を何度も断ったのは罪悪感か遠慮してのことだろう。

  と、端から見てそういうことになるらしい…。いや都合よすぎるだろう。あのクソ女、人の話聞いてねぇな…。

  「で、先日だ。ガマズミはマユミ殿がヤマセの女であることと、お前自身が氏を持たぬことを気にしているのだろうと私達は思ったわけだ」

  アララギも青梅の糖蜜を舐めながらガマズミを見つめている。

  「普段欲を見せぬお前のことだ。よっぽどなんだろうと思ってなぁ…」

  イチイがアララギの手から蜜壺を横取りし、アララギが睨んだ。

  「そうでしたか…色々見当外れなところもありますが。もう済みました。お二方にはお手を煩わせてしまって申し訳ございません」

  二人は不可解な表情を浮かべたが、ガマズミは深く頭を垂れ礼をした。

  室に戻る。ずいぶん静かだ。以前は夕餉をねだりにちょくちょくセリが訪れていたが、あの一戦以来セリはガマズミを避けるようになった。話もしない。

  「俺もたまには女買いに行くか…」

  褒美でもらった銭(都のみで流通している地方銭)を懐にいれてガマズミは湊町へ向かった。都といえど夜は薄暗く静かなのだが、湊だけは外つ国から人が来ることもあって、ちょっとした繁華街である。貴族の家以外は床張りでないこの国でも、湊町だけは床張りの家が連なっていた。

  湊町の手前に創始四氏族のオオワダ氏の館がある。オオワダ氏は交易と、史書等を束ねている。この家には古今東西あらゆる書が集まると言われていて、ミヤマ宗家と縁が深いらしいがガマズミにはとんと縁のない家であった。

  そのオオワダ館からマユミが出てきた。簡素な衣服をまとい、髪を一つにまとめている。大きな手提げ箱を持っていた。回診でもしているのだろうか。

  ガマズミが立ち止まって見ていると、マユミも気づいた。

  「ガマズミ様…」

  返事をせずに通りすぎた。今日のことはまだ聞いていないだろうし、聞いていたところでどうでも良いと思った。

  マユミは後ろをとぼとぼとついてくる。相変わらず一人だ。

  「あんた供はつけないのか?」

  前を向いたまま訪ねる。マユミは後ろで頬をぷくっと膨らませた。

  「私は子供ではありません。ま、迷子になんてなりませんからっ!」

  そうじゃねぇよ、バカ。

  まともに会話するのがバカらしくなる。ため息をついた。

  そうしているうちに目当ての路地についてしまった。小さな松明を灯した軒が連なり、ぼんわりと夜道を照らしている。

  「綺麗ですね…」

  「そうかもな。あんた春をひさぐって知ってるか?」

  「…そういうことをしなければならない方がいるのは知っています」

  ガマズミは路地の奥を指した。奥へいくほど建家は大きくなり、灯りも大きくきらびやかになる。

  「奥は家付きの女を買うところ、手前はその辺の女をつれてきて買う。わかるか?俺は奥まで行く。あんたはどこまでついてくるつもりだ。後学に見ていくか?それともこっちで俺の相手でもしてくれるのか?」

  手前を指す。暗がりでもわかるほど真っ赤に頬を染めたマユミを前に、ガマズミは後悔した。

  こいつは冗談と本気が区別できねぇ、箱入り娘だったんだな。

  ガマズミが今までばらまいた嘘が少女に刺さり、彼女に痕を残していることに今更ながら気づいた。

  「私…」

  マユミが思い詰めたような顔をあげた。

  ガマズミはとっさにマユミの手をつかんで引き寄せる。

  「っ…」

  同時にもう片方の手を見知らぬ男が引いていた。

  「おい、離せよ。殺すぞ」

  マユミの身体を引き寄せながら男を睨む。男は何事もなかったように人波に消えていった。

  「一人で歩くなってのはこういうことだ、ボケ。拐われたらお前がいくらヤマセだって言っても通じねぇんだからな…。帰るぞ、アホ」

  背中を押しやり、ヤマセ館へ向かった。

  三日月が細々と夜道を照らしている。

  「なぁ、ヤマセの女は都で婿探さなきゃいけない理由でもあんのか?」

  一瞬マユミは立ち止まる。そしてまた歩き出した。

  「私が…不出来なので早くどこかへ遣りたかったのではないでしょうか…」

  「はぁ?あんた一目置かれてるって…」

  嘘かよ。

  「人のこと言えんが、あんたも大概だな」

  「ヤマセは…男も女も関係ありません。家に生まれたら等しく教育を受けます。でも都はそうではないと、姉が言っていました。私は女だというだけで見くびられたくなかったんです。元々たいした力もないのに……バカですね」

  振り向いたマユミは力なく笑った。

  「あんたが不出来かどうか知らんが、肩の調子は良いぞ」

  ぐるりと肩を回すとマユミは口許に手を当てて小さく肩を揺らす。

  「嘘でも嬉しい」

  「そうか」

  「私があなたに氏を尋ねたのは、あなたがとても立派に見えたから…」

  「へぇー…目腐ってるんだな」

  ガマズミがせせら笑う。

  「褒めてるのに!」

  マユミは口を尖らせた。

  ヤマセ舘の門の前でマユミは身を整え深く礼をした。

  「私、ヤマセ国に帰ります。さようなら、ガマズミ様」

  「あなたが国で健やかにお過ごしになられることを願っております」

  ガマズミはわずかに笑みを浮かべる。

  「嘘ばっかり」

  マユミは子供のように笑って舘へ入っていった。

  「世辞だよ、クソガキ」

  ふんと鼻を鳴らす。ガマズミは夜風に吹かれミヤマ舘へ戻った。

  ∗

  しばらくしてセリが辞めた。その代わりにハヤセからチヨキという男が妻子を連れてやってきた。恐ろしく無愛想で無口だったが、仕事はよくこなした。ガマズミとは馬が合い、何も話さなくてもお互いに補い合えた。ふくよかな妻はチヨキとは正反対によく喋り、飯がうまい。子供は娘ばかり五人いて、この子らもよく働いた。ガマズミは次第にこの家族と一緒に暮らすようになっていた。

  「ところでおやっさんよぉ…。あんた歳の割りに、若い妻もらったんじゃねぇのか?」

  ある時何の気なしにガマズミが聞くと、妻はけらけらと笑い声をあげた。

  「この人前の女に逃げられてんのさ。どうせあんまり無口だから愛想尽かされちまったのさ」

  「へぇ…ま、ありうるな」

  ガマズミが笑う。チヨキが睨んだ。

  「うっさいわ…クソガキが」

  「父ちゃん口も悪いもんねー」

  「ねー」

  娘達がコロコロと笑う。

  「兄ちゃんも気を付けた方がいいよ。父ちゃんそっくりだもん」

  「俺は…大丈夫だろ?」

  「えぇー?」

  娘達がまた笑った。

  季節が一巡し、また梅の季節がやって来た。

  この頃娘達はしきりにアララギの庭を覗いている。咲き乱れる梅にうつつを抜かしているのだ。ちなみに、人当たりの良いアララギは娘達に人気だった。

  「遊んでねぇで仕事しろよ」

  「だってー」

  「なんか時が止まってるみたいで…」

  「止まってねぇよ。進んでるんだよ。お前らが遊んでるうちにどんどんな。おやっさんの雷落ちるぞ、ったく…」

  飼い葉を運び終えると、アララギのところへ出向いた。

  「すいません、アララギ様。娘らが梅に見とれて仕事しねぇんだが、一振りもらえませんか」

  「それは大変だ。構わないよ、あとで持っていく」

  ガマズミの申し出に、アララギは快く応える。

  アララギは娘達に一人一振りずつ持ってきて、娘達は喜んで受け取った。

  大盤振る舞いして、一振りでいいんだよ…。

  ガマズミはげんなりとその様子を眺めた。

  「ガマズミ、優しくなったんじゃないか?」

  ガマズミの視線に気づいたアララギは楽しそうに言う。

  「私は昔から優しいです」

  「えぇ、そう?ねぇ、可愛らしいと思わないかい、チヨキの娘達。誰かみたいで」

  「誰かって…誰です?」

  「さぁ…?」

  アララギは意味ありげに笑った。

  ガマズミは正式にイチイの家人として取り立てられることになった。ガマズミは他の家人達と共に仕事に勤め、夕方になるとチヨキの家に帰った。

  梅の木の実が丸々と太り始めたある日、庭にイチイとアララギが座っているのを見た。目が合うと二人は楽しそうに笑った。

  今年もあれの時期かな…。

  東大陸の糖蜜は大変高価だとあとで知った。ガマズミはあれ以来相伴に預からない。

  家に近づくと何かよくわからない香りが漂っている。

  珍しく飯作りに失敗したのか?それとも娘の誰かが初挑戦してるのか?

  どこか懐かしさを感じながら戸を開く。室のなかに女が見え、思わず閉めた。閉めた戸は中からすぐ開かれた。

  「なぜ閉めるんです、ガマズミ様」

  マユミがにこりと笑った。

  「なんでいるんだよ」

  マユミの背に手を当てながら恐る恐る尋ねる。

  「お聞きじゃありませんか?ガマズミ様と最後に別れたあと、父が真に国を憂える男の元へ嫁げと…許しを」

  「知らん」

  ぐっとマユミの背を押し出し戸を閉めた。

  「ガマズミ様、開けてください。夜気で人は死ぬんですよー!!」

  マユミはドンドンと戸を叩く。

  「知らん!」

  そうか、あの臭いこいつの作った飯……

  ひっ…

  器に目を遣ったガマズミは思わず悲鳴をあげて戸を開いた。

  「お前どういうつもりだ!」

  「何がです?」

  「あれだよ、あれ!」

  指差した先に、丸々と太った幼虫が転がっている。茹で上がったばかりのそれは微かな蒸気をあげていた。

  「ご存じありませんか?あれはアゲハチョウの幼虫で…」

  マユミは子首をかしげて可愛らしく目を見開く。

  「知ってるよ。なぜ皿に載せてあるかと聞いてんだよ」

  「ご存じないんですね」

  ふふふとマユミは嬉しそうに笑う。

  「口に含んだ時にひろがる甘さ、あとに抜ける柚子の香り…」

  「知らねーよ!」

  「ほら、ご存じない。さぁ行きますよ」

  マユミはトントンとガマズミの腰を叩いた。ガマズミがその場に崩れ落ちる。

  「へ…?」

  マユミは難なくガマズミを担いで中に移動させた。腰砕けになったガマズミを座らせ、指で幼虫をつまみ上げた。

  「殺すぞ、おい」

  動けないガマズミは顔と声で精一杯威嚇する。マユミは満面に笑みを浮かべ、左手でガマズミの顎間接をぐいぐいと押し、広げた。

  「はい、あーん」

  猫なで声と共に、幼虫が口に放り込まれる。

  ガマズミの声にならない絶叫がミヤマの舘に響いた。

  「ガマズミ、うるさいな」

  「まぁ…しょうがないんじゃないですか」

  ミヤマ兄弟は青梅の糖蜜煮を味わいながら笑った。

  「人は見かけによらんな。あんな可愛らしい顔した女子なのに」

  「見た目と好みは関係ないんでしょう?」

  「そうだが…。お前は案外驚いてないな」

  「だって、あの子庭で何か見つける度、美味しそうって言うんですよ」

  アララギは楽しそうに笑った。

  「お前性格悪いぞ…」

  人の良い顔した弟をげんなりとした顔でイチイは見た。

  ∗

  「下心ってなんですの」

  ハリは眉をしかめる。

  「父上は母上を娶る時にヤマセのおじいさまと己の氏をたてると約束したらしい。だから競争相手の多いイチイ様の下からアララギ様の下に移ったらしい。容易に寵用してもらえるようにな」

  「女欲しさにってことか?」

  「そうらしい…」

  アタネはばつが悪そうに苦笑を浮かべた。

  「セコイオヤジやの。一瞬尊敬しかけて損したで」

  ハリは呆れる。頭の中にいつものいい加減な主が戻ってきた。

  「ま、理由はなんでれ父上が折角つけてくれた道だからな。俺はその道を守るさ。そんなだからさ、一族背負ってるお前は格好良いな」

  「まだ、なにも出来てへん」

  「これからだろ」

  アタネは爽やかに笑った。

  「お、噂をすれば」

  櫓の下でガマズミが呼んでいる。アタネは軽やかに櫓を降りていき、代わりにガマズミが登ってきた。

  「お前は暇ありゃここにいるな…」

  「はよ、帰りたい。仲間とヒマビトらしく生きたいねん…」

  「そうか…。ところでなに話してたんだ?」

  ガマズミの問いにハリはいやらしく笑う。

  「あんたが女欲しさにアララギ様の下へ移った聞いとったんですわ」

  「その話か。ガセだぞ。俺はあの女が嫌いだった」

  マユミは「オブカイの過ぎた宝玉」などと揶揄されている美女で、仲の良さもミヤマ家中で評判だ。それはハリも知っている。

  「嘘ですやろ」

  今さらごまかしても無駄やでと呟く。

  「嘘じゃねぇよ。あいつ頭おかしいんだ。変なトコとぼけてるし、ニコニコ笑いながら人の関節外すし、あちこちから虫拾ってきて食わそうとするし…」

  「虫は普通ですやん」

  これも食えるで…。柱をはっていた小さい甲虫を手のひらで転がしながらハリが言う。普通じゃねぇよ。ガマズミはすかさず手を払った。

  「せやったら、なんで主替えたんです」

  「半分は…でも、まぁ女の為か。あいつ勘違いして、国の大臣の家から、馬小屋に等しい俺のとこに嫁いできて文句のひとつも嫌な顔もしねぇ。少しは良い暮らしさしてやろうと思ってな。半分は、アララギ様に惚れたのかな…」

  男に惚れるって…どういうこっちゃ?

  ハリは主の顔を怪訝そうに眺めた。

  「衣食足りて礼節知るってのは大陸の言葉なんだが…。武力というのはそれを壊すことしかできない。だからそれ以外の方法で外つ国を平らげるって言うのがアララギ様の信念だ。武門に生まれたのに、それを愚直に成そうとしてんのよ。あの人は矛を必要としない。それでも盾はいるだろ…。俺はあの人の盾だ。俺にとっちゃ氏なんてのは端からどうでも良いことだ」

  ガマズミは遠くを見ていた。

  ワシがヒマを名乗れるようになったら…。それだけでみんな帰ってこれるんやろか…。

  「ワシ…あんたが言う流れっちゅうもん、ずっと逃し続けてきとる気ぃするで」

  「流れをつかむにゃ見極める力がいる。お前いくつだよ」

  「十七」

  ガマズミは肩を揺らして笑った。

  「バカ。ひよっこだよお前は。まだ巣立ってすりゃいねぇのに、落ちたと思ってんのかボケが」

  ガマズミはスッと南西を指差した。

  「お前に一つ知恵をやる。秋に向こうで戦だ。それも国を掛けるでっけぇヤツよ。お前は運が良い。うまくすりゃ上に登れるぞ。あとは自分で考えろ」

  ガマズミは櫓を降りていった。

  「でっかい…戦」

  遠くかすむ平野が見えるよう、凝らすようにハリは目を細めた

  

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