持久レッスンは目覚める獣の始まり?

  「それじゃあ今日はここまで。みんな、明日はゆっくり休みなさい」

  レッスン室に社長の声が響く。

  「お疲れさまでしたぁ〜っ!」

  それに合わせる様にモデル達の声が響くが、その声には多かれ少なかれ疲れがにじんでいる。

  無理もない。突然社長直々に持久走ならぬ持久ダンスレッスンなどというものを指示されて今の今までダンスをしつづけたのだから。

  しかもその際全員が着せられたのが白を基調としたホルダーネックのレオタードに青の長いレースグローブとハイソックスと言うもの。

  モデルだけあってみな相応のラインを持つ面々とは言えそんな衣装で踊る光景は艶やかでかつ美しいものだったが、さすがに長丁場で踊り続ければ疲労の色も出ると言うもの。

  みんな顔を赤くし、汗にまみれ、息を荒くしながらレッスン室をあとにする。

  もちろんトキナとて例外ではなく、踊り続けた疲労感と必要以上に火照りすぎた身体と汗を鎮めるべくシャワールームに向かおうとしていた。

  そんな時、彼女はそれを目にしてしまった。

  レッスン室に一人立つ社長が見せたハンドサインを。

  彼女は一瞬で理解してしまった。

  そのハンドサインが持つ意味を。

  「はぁ……」

  さすがにハードなダンスレッスンのあとに、とは思いため息をつくが、それでもトキナの中で何かが震える感覚は否定できない。

  他のモデル達がシャワーでゆっくりと汗を流し、色々とこぼしつつ談笑しながら帰路につこうとしている中なんとか言い訳をひねり出すとトキナは「例の部屋」へと向かう。

  シャワーは軽くしか浴びていない。

  きっとこのあとそれなりに汗をかくのだろうから。

  見た目こそごくありふれた、それでもそれなりのセンスのあるコーディネートの衣装だが、その下はあえてレッスンで身に着けていたホルダーネックのレオタードとレースグローブ、ハイソックスを身に着けている。

  きっとこの衣裳が必要になるから―いや、もしかすると「余計」かも知れない。

  本当はもっとゆっくりシャワーを浴びたかった。

  本当は早く帰ってゆっくり休みたかった。

  しかし―。

  (今日はどんな「モニター」をやらされるのだろう―)

  そう思うとなぜか足を運ぶ勢いが増していくのを感じずにはいられなかった。

  [newpage]

  トキナは感じていた。

  身に着けていたコートやトップス、ボトムが一瞬にして自分の身体からすり抜ける様に離れていった事に。

  そしてそのままホルダーネックのレオタードとレースグローブ、ハイソックス姿になっている。

  トキナは感じていた。

  そのホルダーネックのレオタードとレースグローブ、ハイソックスさえも解けるように身体から離れていった事に。

  そしてそのまま一糸まとわぬ姿でトキナはそこにいた。

  裸のままで。

  その顔はほんのりと赤い。

  やはり恥ずかしさか、それとも別の何かか。

  トキナは感じていた。

  そんな自分の裸身を足元から渦巻く何かが取り巻いている事に。

  それは流れる様にトキナを取り囲むとそのままその裸身を覆い隠して巻きついていく。

  何かに巻きつかれるたびに、トキナの形のいい身体のラインが浮かび上がっていく。

  そう、それはトキナがこの先の場所で過ごすための姿に生まれ変わる儀式の様に……。

  そんな光景をトキナは感じていた。

  [newpage]

  そのうす暗い部屋には何もないように見えた。

  多少感じられるのはその部屋は一見「表」のダンスレッスン室にも見える、ただそれだけである。

  その中でどこからかゴロゴロと何かが転がる音がする。

  何度も、何度も何かが前後に往復しながら転がる音。

  それと同時に―。

  「はぁっ……はぁっ……はぁっ……はぁっ……」

  荒い、しかしどこか艶のある声が響いてくる。

  ゴロゴロと何かが転がる音がするたびにその声もまた響く。

  そう、その声の主が何かを転がすたびに声を上げている。

  その音と声がする先、そこでは暗がりに混じる様な紺色の物体が寝そべるような姿勢でゴロゴロとローラーを動かしていた。

  膝をつき、両腕でローラーを持ってその身体を前方にゆっくりと伸ばし、床面ぎりぎりの位置で体を浮かすまで伸びた所でまたゆっくりと身体を戻していく。

  身体の要所を走る白いラインがより生物的な動きを強調させている分その物体の形と動きはどこか不気味で、どこか妖しい。

  トキナがそんな物体の姿となってローラー運動を始めてどれだけになるだろうか。

  例のごとくモニターを頼まれ身にまとった例のごとく足先から顔まで覆った紺色の全身スーツ。

  例のごとく下に何一つ身に着けていない素肌越しにぴっちりとまとったスーツ姿となったトキナが指示されたのがまさにこの運動であった。

  もちろん激しいダンスレッスンの後にやるべき運動にしてはややハードである事は承知していたが、それでも社長の指示であり何よりこの場所で「この姿」になってしまった以上トキナに断る権利はなかった。

  ただ、あえて時計だけでなく何も置かない暗がりの中でただひたすらローラー運動を繰り返すと言う事はトキナにとっては疲労と不安を同時にかきたてるものであった。

  社長の指示があるまで止める事も、休む事もできない。

  只ひたすらに、ひたすらにローラーごと腕を伸ばし、身体を伸ばす。

  その紺色のスーツ越しにも見える形のいい胸元が床につくかつかないかのぎりぎりでその流れのいい背筋から腰のラインを動かして静かに体を起こしていく。

  素顔も、素肌も、脇まである長い髪もぴっちりと覆い隠した紺色のシルエットで行うその行為はやはり美しく、そしてどこか異様である。

  「はぁーっ、はぁーっ、はぁーっ、はぁーっ……」

  数少なく露わになっている目元は辛うじて意識を失わず、口元からは荒い呼吸と荒くも甘い声が漏れる。

  紺色のカウルの中で素肌のフレームがどれだけしなり、軋むように動いたか。

  それが続く度にトキナの息は荒れ、意識は削れていく。

  あとどれだけ繰り返せばいいのか、どれだけ繰り返す事ができるのか―。

  そんな感情さえ消えつつあったその時。

  「お疲れ様。もうその辺で良いわよ」

  トキナの耳に福音が響いた時、その体は力なく伸び切るとその形のいいふくらみを始めとする身体の全てがようやく床に受け止められる。

  「はぁぁぁぁぁ……はぁぁぁぁぁぁ……はぁぁぁぁぁぁ……はぁぁぁぁぁぁ……」

  トキナはただひたすらに息をしていた。

  やっと終わった。やっと休める。

  できればこの姿のままでいいからしばらく眠っていたい。

  そうトキナが思いつつあった時、福音の声は残酷な宣告に変わる。

  「立ちなさいトキナ。モニターはまだ終わってないわ」

  それを聞いた時、トキナが一瞬びくっと身体を震わせたのは今回の厳しさがまだ続くと言う事への反応だったのか。

  トキナは膝から先の両足と膝から先の両腕を着くとゆっくりと身体を起こす。

  「ふぅっ……ふぁっ……」

  そのまま福音と宣告の主を見上げる姿、そこから声を上げて思いきり腰から背中、そして頭を大きく反らした姿は一頭の獣の様であった。

  [newpage]

  けだるそうにその紺色の身体を起こすトキナに声の主はあるものを手渡す。

  「社長、これは……」

  社長から受け取ったもの、それは相撲で使われる廻し―に似たようなものだった。

  ただ本格的な廻しではなくあくまでも簡易式のもののようである。

  よく見ると腰のあたりが少々分厚く感じるのは気のせいだろうか。

  「見ての通りの簡易廻しよ」

  「はぁ……」

  トキナはただそう返すしかなかった。

  ただ間違いないのは自分はそれを身につけなければいけない事、そしてこれからその姿で社長と向き合わねばいけない事は理解できていた。

  その証拠に社長の姿は社長にとっての「この場所での正装」とも言える頭までぴっちりと覆いつくしたオレンジ色の全身スーツ姿であり、その腰のあたりには黒い簡易廻しがしっかりと結ばれていた。

  その素顔と素肌をぴっちりと覆い隠す事でトキナよりも成熟した身体のラインをより見せつけるオレンジの全身スーツとあいまってその姿はきわどくも美しかった。

  「さ、早くやるわよ?」

  社長にそうせかされながらトキナは急いで紫色の簡易廻しを腰に当て、前の部分を足の間に通すとなんとか結ぶ。

  「う~ん、やっぱりと言うかちょっと結びが甘いわね」

  社長はそう言うとトキナの背後に回り、簡易廻しの止めをよりしっかりと結ぶ。

  「きゃっ」

  疲れ切った体と心の中を急激に引き締める様な感触にトキナは一瞬体をそらし、声を上げる。

  頭まで紺色にぴっちりと覆われ、要所に白いラインの入った今のトキナの姿にその紫の簡易廻しは社長とはまた違う不思議な妖しさがあった。

  「さ、戸惑っている間はないわ。廻しを絞めた以上やる事は一つ、ここからは耐久相撲よ!」

  そう言って軽くしこを踏む仕草を取ると社長は猛然とトキナに踏み込み、廻しを掴んで押し込む体勢を取る。

  「わっ、わわっ!」

  反射的にトキナも社長の廻しを掴み、両者はがっぷり組み合った状態になる。

  「うふふ……」

  「ううっ」

  両者のスーツがすりすりとすり合い、そのたびにその中の肌が震える。

  特にトキナはほぼ初めてスーツ越しに感じる社長の身体の感触に戸惑いを覚えていた。

  上司として、女性として慕っている人物の身体の質量と感触、そして息遣いが自分に伝わってくる。

  しかもすりすりとした感触と共に。

  度重なるレッスンで疲弊したトキナにはそれは余りにも強烈な刺激であった。

  一方、社長はと言うとそんなトキナの感触を確かめているのかいないのか、軽く笑みを浮かべるとそのまま一気に投げの姿勢を取る。

  「きゃっ」

  その勢いに引っ張られ、トキナはそのまま床に倒れ込む。

  幸い床は弾力性のある素材を引いてあるらしくトキナの衝撃は軽い。

  それでもトキナはやや苦しそうな顔をしている。

  「起きなさいトキナ、まだ始まったばかりよ?」

  トキナが起き上がるのを待ちきれないとばかりに、やや強い口調で社長は声をかける。

  それに応じてかトキナはなんとか立ち上がるが……。

  「!」

  その瞬間、社長は再びトキナの廻しを取り、押し込みに入る。

  トキナも急いで踏ん張るが間に合わず、押し切る様に押し倒されてしまう。

  「まだまだ、体力はまだ残っているはずよ?」

  腰を下ろし、そんきょの構えを取りながらオレンジ色の力士が挑発する様に構える。

  紺色の力士は何とか起き上がり、同じくそんきょの構えを取りながら改めて相撲の構えを取った。

  しかし、この相撲は圧倒的にトキナに不利であった。

  重ねて言うが持久ダンスレッスンを続けた上そこから持久床ローラー運動を続けてきたトキナにこの「持久相撲」は余りにも酷すぎた。

  まして社長は体力的にも余裕があるし思った以上に腕っぷしも良く見える。

  それこそトキナがダウンするか、社長が切り上げるまでトキナは延々と組んでは投げられを繰り返す事になってもおかしくはない。

  紫の廻しに引き締められた紺色のスーツの中でトキナの素肌は熱く震え、紺色のマスクの中でトキナの表情は荒い。

  それでも、それでもトキナは社長の飛び込みを受け止めては投げられる。

  何度も、何度も、何度も。

  そのたびに身体が熱くなっていくのはなぜだろうか。

  まだ、まだ負けたくない、倒れたくないと思うのはなぜだろうか。

  何度も取っ組まれて、投げられて。

  疲れ切っているのに、意識が無くなりかけているのに、それでもまだ止まらない。

  壊れかかっている自分の中で何かが燃えている。

  それが何なのか、でも、それが自分の中で燃えている。そして……。

  「感じるわトキナ。あなたの中で熱く震えているものを。あなたから解き放たれようとしているものを」

  何度もトキナを投げつつ、オレンジ色のマスクの中で笑みを浮かべながら社長は構えを取る。

  「……うう……うう……うううう……」

  朦朧とした意識の中でゆっくりと起き上がるトキナ。

  紺色のマスクから見えるその瞳はややうつろになっており、息や声を漏らす口元もかなり緩んでいる。

  しかし、それでもまだトキナは立っている。

  「―いいわよ、解き放ちなさい。あなたの中の昂るものを、あなたの中の……」

  その瞬間、トキナの目がかっと開いた。そして―。

  「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」

  「獣をっ!」

  社長はそれを見た。

  目の前の紺色の人影が雄たけびと共に紺色の獣となって飛び込んできたのを。

  紺色のスーツとまじりあったのか。

  それとも紺色のスーツを弾き飛ばし、獣の姿となったのか。

  その獣は自分に飛び込み、勢いよく廻しを掴むと反応を許さずそのまま一気に投げ倒す。

  「ぐわっ」

  社長は今回初めてその体に土をつけた。

  「うぉぉぉぉぉっ!うぉぉぉぉぉっ!」

  初めて社長を投げ飛ばした喜びか、それとも極限で意識を飛ばしたゆえの興奮か。

  トキナは紺色の姿のままひたすら吠える。

  「面白くなってきたわ……トキナ、いらっしゃい。気のすむまで組み合いましょう」

  社長もそれに応える様にトキナに向き合うと、今度はどちらからともなく飛び込み廻しを取って激しくぶつかりあう。

  「うううううううっ!」

  「むむむむむむむっ!」

  紺色とオレンジの「肌」がすり合い、その中の素肌が、熱が、質量がすり合う。

  一見互角のぶつかり合いだが、極限状態の中で獣の様になっているトキナの方が勢いでは強い。

  しかし―。

  「やっ!」

  一瞬の隙を突きその勢いを返す様な形で社長がトキナを床につける。

  だが、トキナもまた起き上がるや否や社長にとびかかる。

  「うりゃあぁっ!」

  そのまま大技で社長を床に投げつける。

  飛び込む。ぶつかる。投げる。押し込む。

  両者のぶつかり合いはどちらからともなく尽きるまで続いた……。

  [newpage]

  どれだけぶつかり合い、投げ合ったのだろうか。

  気が付いた時、トキナはふらふらとした動きで「Rocker&Shower」と書かれた扉をくぐり、その中に入っていく。

  そこでトキナが見たのは一体の獣だった。

  全身を覆い隠す紺色のスーツとマスクから浮かび上がる相応のスタイルと顔立ちこそ間違いなくトキナ自身のそれだが、実感しているのはその中にいる自分が一体の獣だと言う事だった。

  (この中に獣がいる。獣になったわたしがいる。見たい。会いたい。そして―感じたい)

  そう思いながら恐る恐るトキナは全身スーツのマスク部に手をかけ、そっと外す。

  (―えっ?)

  そこから現れたものに驚きながらもトキナは急いで未だに絞めていた簡易廻しをほどき、急いで紺色のスーツを素肌から引き離す。

  確かに獣はいた。

  ただ荒ぶる獣ではなく言うならば美獣―汗に輝き、解放された熱気に火照ったトキナ自身の素顔と素肌だった。

  一糸まとわぬ自分自身の姿を見た瞬間ようやく、ようやくトキナの中で何かが途切れた。

  トキナは脱力しながらガクリと膝をつくと、そのまま床に倒れ込む。

  獣のように美しい姿で、小動物の様に愛らしい顔立ちで。

  その後、目覚めたトキナがシャワーを浴び、合流した社長に送られて帰宅したのはそれからしばらくしての事。

  その日のトキナはほぼ丸一日眠りについていたという……。

  [newpage]

  とある町の一角。

  その中央で獣を模したマスクとスーツを身にまとい、その上からホルダーネックのレオタードとグローブ、ブーツを身に着けたヒロインがダイナミックなアクションとスタントを行っている。

  そしてカメラスタッフや演出スタッフがその動きを追い、そのアクションに見合った演出効果を出すべく構えていた。

  ここはとあるロケ地。

  今ここで特撮アクション映画の撮影が行われている。

  この場で立ち回るヒロインを演じているのは素顔を演じる本人か、それともスタントパーソンか。

  激しくも美しいアクションはスクリーンやモニターの前の観客を大いに魅了するだろう。

  そしてもちろん今その動きをカメラに収めるスタッフ、そして……。

  「うーん、まさかあのレッスンの衣装があのヒロインのスーツ素材だったなんてね」

  怪人役の一人として参加している友人が着ぐるみのマスクを脱いだ顔でその光景を見てつぶやく。

  「そ、そうね。どこか変わった衣装だなとは思ってたけどそう言う形でわたし達が関わっていたと言うのはちょっと嬉しい、かな」

  その隣で同じく怪人役のトキナは少し顔を赤くして返す。

  「でも、だからと言ってあの耐久ダンスレッスンはなかったような気がするけど一応体力と気力が付いたと思えばいいかな」

  「うん、そう思うのが一番ね」

  「ところでトキナ、あなたちょっと顔が赤くない?」

  友人にそう指摘されたトキナは大丈夫とかぶりを振る。

  しかし、その赤面の意味についてはトキナが一番わかっていた。

  自分達がモニターをしていたのはあのダンスレッスンで着ていたレオタードだけではない。

  今回の「モニター」で着ていた全身スーツ。

  あれはきっと今目の前で立ち回っているヒロインスーツの「獣の部分」の素材の試作だったのだろう。

  だからこそ社長は自分にあんな無茶なレッスン、さらには相撲などをさせたのだろう。

  もっとも―そんな事をいちいちする必要はあったのだろうか。

  自分の意識がはじけ飛んでからの顛末をおぼろげに思い出しトキナは改めて顔を赤くする。

  上司として、女性として慕っている社長ではあるがこの辺りはどうも厄介には思う。

  でもそれでもトキナは社長の「モニター」を続けているのは間違いない。

  (でも、この着ぐるみはちゃんとインナー越しに着る事ができてホッとした気は―するわね)

  きちんと着ぐるみの中に感じる着衣の感覚を確かめ安堵しつつも、不意に目の前で立ち回りをしている獣ヒロインのスーツを素肌越しに着こんだり脱いだりする自分の姿を思い浮かべてたトキナの顔はますます赤くなる。

  そんなトキナを鎮める様な友人の声が聞こえる。

  「トキナ、怪人役の出番よ!しっかり引き締めて……」

  「お仕事お仕事!」

  「お仕事お仕事!」

  その声に気を引き締めながらトキナは撮影現場へと足を運んでいった。

  了