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白蛇の早苗 第5話【森へ】

  

  

  

  朝の守矢神社。残暑厳しい麓より一足先に、秋めいた涼しい風が吹く境内。さわさわと木々が揺れ、青みがかったまぶしい光が鎮守の森を照らす。その社務所兼住居の食堂には、ちょっといつもと様子が違い、八坂神奈子と、もう一人珍しい顔がいた。

  「どう、おいしい?」

  「‥‥おふ。おいひいれす」

  「そかそか」

  神奈子が勧めた、彼女特製の卵焼き。ふっくらで、さりげなく出汁の入った砂糖醤油味の甘めのやつ。

  目の前の少女は、それをあつあつの白飯と一緒に美味しそうに頬張る。

  もふもふとご飯を頬張る息。美味しそうに食べるその様を見ながら、神奈子は漬物をつまむ。そしてうれしそうに笑った。

  ――――ほんとにこの娘、美味しそうに御飯食べるよねえ‥‥

  ささげの胡麻和え、芋の煮っ転がしと純和食なメニューが並ぶ食卓の上を、娘の箸がスイスイと踊る。そして次々と平らげていく。ご飯もどんどん減っていき‥‥

  「‥‥」

  「お代わり、いいよ?」

  「すっ、すみません‥‥」

  「いいよいいよ、どんどん食べな」

  空っぽの茶碗を覗いて、申し訳なさそうに黙った娘に、神奈子は優しくお代わりを勧める。娘ははにかんで、すっ、とお茶碗をさし出してきた。

  無理して食べているんじゃないか、と神奈子はちょっと疑ったが、娘の「尻尾」がパタパタ振られているさまを見て、神奈子は安心して三杯目となるご飯をおひつからよそった。

  そう。守矢神社で神奈子と二人、朝から三杯もごはんを平らげているのは、白狼天狗の犬走椛だった。

  

  

  [chapter:第5話 森へ]

  

  

  

  

  普段、この家の食卓では、だいたい常識的な量の食事が出される。早苗は年相応の少女らしい食欲であるし、如何に神奈子や諏訪子が神様とはいえ、目の前の狼少女のように朝から三杯も飯をお代りするような健啖家ではないわけで。

  ――――ちなみに椛の使っている茶碗は客用のなかでも大きめのものである。すでに量に換算して、おおよそ二合の米が彼女の胃袋に消えている。

  「‥‥よく食べるねー。見ていて気持ちイイよ。ほんと」

  「も?そうれすか?」

  「飲み込んでから返事していいよ。あせらないあせらない」

  「ふいません」

  謝りながらも小松菜のおひたしに箸を伸ばす椛。実によく食べる。どうしてそんなに食べるの、と神奈子が聞くと、「もっと大きくなりたいので」という返事が返ってきた。

  幻想郷の少女連中の中では、彼女は結構背が高い方なのだが、他の白狼天狗の男共と比べるとやはり小さい。どうやら彼女はそれがコンプレックスのようなのだ。射命丸がそれをあげつらって「ちっちぇちっちぇ」とからかうのもコンプレックスを増長させる一因となっているようで、それで彼女は、もっと大きくなろうといつもよく食べるのだ。もちろん運動も忘れない。‥‥そういう努力の結果が背に回らず、なんでか胸に回ってきているというのは、椛の贅沢な秘密の悩みなのだがそれはまた別の話。

  そんな、普段のこの家の食卓ではあまり見慣れないガッツリとした食欲を目にして、神奈子はなんだか申し訳なくも楽しいと感じた。

  昨晩、結局早苗は帰ってこなかった。なぜか諏訪子も。

  あの早苗の戦いを遠くから見守っていた神奈子は戦いが早苗の勝利に終わるのを見届けると神社に帰った。そして静葉に励まされたとおり、食事を作って待っていたのだが、結局夜が更けても早苗は戻ってこなかった。

  食堂の時計が零時を告げる。今日はまだ帰ってこないか。と一人寂しいため息をつきながら、おかずの皿を冷蔵庫に仕舞おうとした時だった。玄関が強く叩かれたのは。

  急いで開けた扉の向こうに居たのは、よれよれで涙目の椛。

  すみませんすみませんと泣きながら玄関で跪く椛を慌てて抱え起こし、神奈子はなんとか彼女を宥めながら事情を聞き出した。

  そこで語られたのは、天狗二人を下僕とし、早苗を捕まえるべく動く諏訪子の様子と、彼女に脅されて早苗の居場所を探し教えてしまったという謝罪、そしてこの事を八坂様に教えようとしたのだけれども、諏訪子らに簀巻きにされて放置され、今まで身動きが取れなかった、自分は本当に未熟だという涙声だった。

  あんのバカ、と諏訪子の行動に憤慨しつつ、神奈子は椛をなだめ、よしよしと抱き寄せた。そして彼女を家に上げ、手を引きながら庭に向かう。そこには天狗が封じられているはずのでかい卵が二つ並んでいた。

  神奈子はサンダルを突っ掛けて庭に降りる。近づいてよく見てみると、卵にはなにやらヒビが無数に入っていた。二つとも同じような状況なのを見て、神奈子は卵を叩き割る。果たして中は空っぽだった。中は特にもぬけの殻。しかも諏訪子はわざわざ神奈子の目を欺くために割った卵を元に直したらしい。神奈子は怒るのも忘れて呆れ返った。

  結局、神奈子は泣く椛をなだめて、仕舞いかけていたご飯を食べさせ、一晩泊めた。今すぐにでも早苗さんを探しに行きますと椛は飛び出そうとしたのだが、諏訪子らに散々な目に遭わされた彼女はどう見ても衰弱していたからだ。ついでに、大天狗を通して翌日、つまり今日の勤務から椛を外してもらった。身内がひどい目に遭わせてしまった詫びの内として神奈子が気を使ったのだが、真面目な椛は休みになったかわりに早苗の捜索を強硬に願い出たため、結局彼女の状況はあまり変わっていなかったりする。

  なんだかんだ言ってこの子も白狼だねえ、と神奈子は口中で呟きながら、満足げに茶碗を空にした椛に湯呑を差し出した。

  「はい、お茶」

  「あ、すいません‥‥あ、あの。えーと‥‥」

  「‥‥」

  「‥‥あの」

  「四杯目行く?さいご、一口残ってるよ」

  「‥‥はい」

  恥ずかしそうに茶碗を出す椛。その尻尾がブンブカ揺れる様を見て、神奈子はニカッと笑い、茶碗を受け取った。椛の仕草を見ていると、神奈子に子供や何かを見ているのとはまた別の感情が湧いてくるのだ。――――ああ、もう、可愛いなぁ!と。神奈子は自分では意識していなかったが、その目はまるで「おいしいかい?」と飼い犬にご飯をあげているお母さんのような目で。要するに神奈子にとって椛は可愛いわんこのポジションに収まっていたのだ。犬だと言って見下すような意識は神奈子にはない。純粋に、“めんこい”のだ。

  「八坂さまぁー!」

  騒々しい声が神社に響いたのは、そんな神奈子ママがおひつの最後のご飯をペス、もとい椛のお茶碗によそっているときだった。

  「ん?」

  「あれ、ふぃとり?」

  庭から響いた慌てた様子の声に、椛はご飯をかっこむと飯粒をほっぺに付けたまま、庭に向かう。神奈子もそれに続いた。

  縁側で下を向いてはあはあと息を整えていたにとりは最初に出てきた椛に意外な顔をする。そして続く神奈子の顔を見ると、安堵の表情を浮かべた。

  「あ、あれ、椛?なんでいるの?‥‥あ、ああー!よかった!八坂様はもとのままだった!」

  「は?どういう事だ?」

  「どうしたの、にとり。朝から慌てて」

  怪訝な顔をする神奈子の横で、頬の飯粒をさりげなく口に運びながら椛が尋ねる。

  にとりは胸に手を当てて二、三度呼吸を整えると神奈子に向き直った。

  「す、すいません、早苗さん、早苗さんの、ことで、ちょっと‥‥」

  「にとり!?早苗さんに会ったの!?」

  「う、うん、それでね、ちょっと、大変なことになってたから、ご報告に‥‥」

  「どうしたの、何があったんだい早苗に。あの子は今蛇っぽい外見になってるけど、もしかしてそれかい?」

  神奈子の発言ににとりは目を丸くする。やっぱりそれか、と神奈子は安心しかけたが、にとりは彼女の思いもよらぬ言葉を吐いた。

  「え、八坂様ご存知で!?‥‥いやいやいや!外見が蛇っぽいなんてもんじゃあ無いですよ?ありゃあ。まるっきり、身も心も蛇じゃないですか。おっかなかったですよう。ホント。‥‥喰われるかと思いましたわ」

  「‥‥どういう事。詳しく説明してくれるかい」

  にとりの言葉に、神奈子の表情が険しいものになる。身を乗り出すと、さらなる説明をにとりにうながした。

  「ええ、ええ、今朝ですね‥‥」

  そして河童の口から語られたのは、もはや人の言葉すら失った早苗の様子だった。完全に一匹の白蛇として振る舞い、水を操り大口を開けて自らに襲いかかった早苗の様子をにとりは青い顔をしながら説明する。それを聞いた椛の顔も青くなる。

  「‥‥時間、なさそうだなぁ、こりゃあ」

  早苗の意識が予想以上にミシャグジに侵食されているらしい状況を聞き、片手で頭をかきむしりながら神奈子は小さくつぶやいた。

  静葉達に決意表明をしたとおり、神奈子に取って今回の一件は早苗に課した試練のつもりなのである。人ならざる者の世界で生きていく覚悟はあるか、と。人の常識が通用しない世界で生きていく覚悟はあるか、と。

  ――――姿形が変わったくらいでビビるな。動じるな。それくらいの肝っ玉はあるだろう?なあ、早苗。

  最初は、そんなことを確かめるだけのちょった試練のつもりだった。しかし現状を聞くにそんなレベルではなくなっているようなのだ。今の早苗は自分が自分でなくなるかどうかの瀬戸際に居るらしい。正直、神様的な認識では、そんなことも「ちょっとした」どうということはない試練のレベルなのだが、「神奈子ママ」という身内の立場となれば話は別である。

  ――――「あなたはその試練をうけている早苗ちゃんを黙ってみている覚悟がありますか?」

  静葉の言葉が神奈子の脳裏によぎる。そう、これは「神奈子ママ」に取っての試練でもあるのだ。しかし暴走を始めた諏訪子の事もある。動くべきか、見守るべきか。バリバリと頭をかくたびに、焦燥感だけがもやもやと神奈子の頭に集まっていく。

  どこにいたの!どこで会ったの!とにとりの襟首をつかんでガックンガックン揺さぶる椛の背中を見ながら、神奈子はどうすればいいか、考えていた。

  

  

  [newpage]

  

  ************

  

  

  

  

  ケキョケキョケキョ‥‥

  遠くから澄んだウグイスのさえずりが聞こえてくる。

  薄暗い森の空気は、訪れる者の身体をひんやりと包み、岩や木の根の上に生える苔は、上を進むとじわりと水滴を吐き出して、ふわりと身体を受け止める。

  ――――気持ちのいいところだな。

  早苗は、当てもなく森の中を進んでいた。くーくーお腹を鳴らしながら。

  先程からひっきりなしに襲ってくる空腹感をどうにかすべく何か食べられるものを探しているのだが、なかなかちょうどいい獲物は見つからない。

  ウサギに狐、狸、ヤマドリ、カモシカ。先程から獣達はちらちらと姿は見せる。しかし早苗は彼らを捕まえようとはしなかった。彼らは早苗が欲しいような獲物の姿とはかけ離れていて、なかなか捕まえる気が起きなかったのだ。

  早苗が今、思い描いている獲物は、金色の蛙。

  蛙にしては大きく、生意気で、不思議な力を使い、二本の足で歩き、しかも神様なんていう面妖な奴だ。食べたらお腹を壊しそうな毒々しい派手な色のくせに、匂いはスゴク良くて。

  ――――ああ、あいつかじりたいなぁ。

  気がつくといつの間にか早苗はとぐろを巻いて進むのをやめていた。地面からパタリパタリと音がする。下を見ると黒いシミが落ち葉の上に。あの金色の蛙を思い浮かべて涎をこぼしていたようだ。口の端から流れる涎を、手の甲でぐいと拭う。

  諏訪子のあの黒い霧――「強制ミシャグジ化」――の呪いをかけられた早苗は、諏訪子に呪いをかけられたことはすっぽりと頭から抜けおちていた。にとりのことをおぼろげにしか覚えていなかったように、人間時代の記憶はごくごく弱々しい。しかし「金色の蛙神」になにかひどい目にあわされたということは覚えていたので、諏訪子に対し、捕まえて仕返しをしてやろうという復讐心と、食べたいという食欲をしっかり持っていた。そしてそれは諏訪子のねらい通りの状態で。

  ――――あのにくたらしい蛙神、捕まえたら、どこからかじってやろうかな‥‥頭?腕?

  呆けた表情で、たらりと涎をこぼしながら早苗は諏訪子を捕まえた後の皮算用をする。傍目から見れば、頬をほんのり染めて、口を少し半開きにして、潤んだ目で虚空を見上げて、とちょっと艶やかな表情に見えなくもないのだが、早苗の頭の中で展開されている光景は全くの血みどろスプラッタ。諏訪子は早苗の頭の中で、腕や足を千切り取られてどんどん目も当てられないような姿にされていく。

  ――やっぱり悲鳴が聞きたいから、頭は最後かなぁ。最初腕と足を食べちゃって、動けなくしてからゆっくりなぶってやるんだ・・・・

  早苗は血に弱い人が覗いたらひっくり返るような想像を膨らまし続ける。彼女の脳内で哀れな蛙は手足をもがれて涙目で命乞いをしていた。そんな獲物を早苗は蛇的満面の笑みでキュッキュと絞めあげてもてあそび、高笑いをあげて勝ち誇るのだ。――――ほほほほほ!ざまあないわね!――と。そしてしばし苦しげな声を堪能したら、いよいよクライマックス。怯えて泣き叫ぶ蛙の首筋へ、早苗は容赦なくかぶりつき――――

  きゅるるる。

  「!?」

  早苗の腹の虫が鳴き、彼女はようやく我に返った。――これは本物じゃない。本物を捕まえなきゃお腹いっぱいにならない・・・・脳内でかぶりつかれた金色の蛙がケケケ、と笑った気がして、蛇少女はシャッ、といらついた声をあげた。

  さて本物を捕まえるべく、早苗は皮算用をやめて再び進もうとしたが、身体がなぜか重い。思うように動かない。頭は進もうとしているのに、お腹は何か食べ物をと主張しているのに、身体は勝手にまたとぐろを巻き始めてしまう。しばらくもぞもぞやっていて、ようやく早苗は自分が眠たいのだということに気がついた。あの妖獣との戦いの前から、笹薮で真昼間から寝てしまったりしていたように、だいぶ前から身体は夜行性になっていたのだ。彼女はそれを認識してはいないが。

  今は昼。太陽は森の上でギラギラと輝いている。木々の葉が風に揺れ、時折木漏れ日が早苗の顔を照らす。

  蛇らしく"ひなたぼっこ"という魅力的な選択肢も頭に浮かんだのだが、すぐに頭を小さく振ってその選択肢を捨てた。‥‥今日みたいな強すぎる日の光はイヤだ。鬱陶しい。

  一時はこのままここで眠りたいという衝動に駆られた早苗だったが、ちらちらと顔を照らす木漏れ日の生暖かい感触が鬱陶しくてどうにも我慢できず、寝床を探そうと重たい体を揺り動かして再び森の奥へと動き出した。

  そのときである。視界の奥で、がさりと薮が音を立てて揺れたのは。

  「――――!」

  早苗は身を低くして藪を見つめる。舌を出し、気配を殺して伺う視線の先でガサガサと薮は揺れ動き続け、やがてぽん、と金色のナニモノかを吐き出した。

  ――――蛙!

  しゅ、と鋭く息を吐くと、早苗は身体をバネにして一気にソレに襲いかかった。

  視界いっぱいに迫る早苗の姿を見た金色の塊は甲高い悲鳴をあげて逃げようとした。が、早苗のほうが早かった。早苗は手を伸ばしてその金色を捕まえると、鱗に覆われたそれ自体蛇のような真白い腕できつく抱きしめた。

  金色をしっかり腕で抑え、しゃー、と口を開き、チロチロと舌を出して匂いを嗅ぐ。‥‥あれ?ケモノ臭い。毛が生えてる。それになんだか、ちいさい。

  でもあの蛙みたいな金色だし、せっかく捕まえたんだし、お腹へってるし、と捕まえた金色を絞め落とそうと腕に力を込めた瞬間、腕の中のそいつはじたばた暴れて少女の声で悲鳴を上げた。

  「いやあああああ!、ちょ、ちょっとまって、まってくださいお願い食べないで!」

  突然大声を出され、早苗は思わずさらに腕に力を入れてしまった。

  「ぐはぁ!お、おねがいですおねがいです‥‥わた、私、私道案内に来たんで、ぐげっ、く、くるし、ぐるしい、しぬ、死ぬう‥‥」

  「‥‥」

  少し腕の力を緩めてみる。悲鳴は止まった。

  「あ、ごほっ、あ、ありがとうございます‥‥私、あなたのことをご案内しに」

  また力を込める。

  「ぐふううううう」

  なにこれおもしろい。

  早苗は何回か腕に力を込めたり緩めたりを繰り返す。そのたびに腕の中から悲鳴が繰り返し聞こえてくる。

  「ぐ、ぐ、お、お戯れを、ミシャグジ様、おね、が、い、です、ぶはあ。もうやめて、しんじゃう、わたし死ぬ‥‥ぐぴゅっ!?」

  もうしばらく弄っていたかったが、腕の中の金色がいい加減ぐったりしてきたので早苗は遊ぶのをやめて、腕の中を落ち着いてよく見てみた。

  目に映るのは金色のふさふさした尻尾。‥‥尻尾だ。

  尻尾の先には、尻。毛むくじゃらの尻。そして先っちょまでやっぱり毛に覆われた後ろ足が二本。

  早苗はゆるりと腕の力を抜き、右手でその尻尾をつかんで顔の前に持ち上げる。

  ぐにゃりと逆さ吊りにされて早苗の顔の前に現れたのは、真っ黒い鼻に三角形の耳。

  狐だった。

  狐は目を閉じ、口を半開きにしてぜいぜいと咳き込むと、弱々しい声をあげた。

  「う、ううう、ひどい、ひどいですミシャグジ様‥‥わたし、あなた様をご案内しようと葛花の姉様に言われて来たってのに、ようやく見つけたと思ったのに‥‥うううう」

  「だれ、それ」

  しゃあ、と早苗は狐に話しかけた。

  人間には通じない言葉で。

  それは狐には通じたようだ。早苗から返答があり、言葉が通じたことに驚いた狐の娘は、まるでドリトル先生に話しかけられた田舎の動物のように目をくりくりと輝かせると、ほっと安心した声でペラペラ喋りだした。

  「あ、ああ!?うそっ!よかった、話が通じる!ああ、もうどうしようかと思った。体は立派な蛇でシャーシャー言ってるけど人間の顔してるし腕もあるし服も着てるし人間の言葉しかわからないんじゃないかと心配で心配で!せっかく神様の案内役になれたってのに何もしないまま食べられちゃったらどうしようって思ってた!でもこれで一安心!ああ、野狐やって13年とすこし、まさかまさかわたしが本物の神様の案内役になれるなんて!これでわたしも稲荷のお嬢様たちに少しは近づけた?近づけたよね!これで私も神使の仲間入り!?やったー!ああー!これでかえったら父ちゃん母ちゃん妹たちに自慢できるわきゃっほーぃあぐぐぐぐぐ絞めないで絞めないでお願いですおねが、ぐがう」

  「うるさい」

  顔の前で怒涛の勢いではしゃぎ声を上げられ、空腹と睡魔も手伝ってイラッと来た早苗は空いていた左手で狐を絞めた。

  「そんなに大きな声でしゃべらないで。あたしは眠い。黙らなきゃ食べちゃうよ」

  「す、すいません‥‥」

  狐を吊っていた右手がだるくなって来たので早苗は地面に狐を降ろす。狐は足を投げ出して、くたりと地面に崩れ落ちた。

  ぺろりと舌を出して、四肢を広げて地面に寝そべる狐。13年野狐やってると彼女は言ったが、狐にしてみれば13歳は稀といっていいほどの高齢である。しかし歳相応の性格をしているかといえば、そうではなく案外キャピキャピした性格で。少女の姿をした長寿妖怪がたくさんいる幻想郷らしいといえばらしいのかもしれない。この狐も、もしかしたらこの調子で歳を重ねていき、尻尾が何本か増えて、ある日突然少女の姿をとってスペルカードで遊ぶようになるのかもしれない。

  そんな妖怪の入り口にいそうな彼女を見下ろして、早苗は不機嫌な声で尋ねた。

  「なにしにきたの?ごあんないごあんないって、わたしをどこに連れてってくれるの?」

  「は、はひ。それは、これから‥‥」

  「わたしは眠いの。早くしてくれない?食べちゃうわよ」

  「ひゃああ、そ、それ、それだけはご勘弁を!」

  狐は慌てて身を起こすと、早苗におすわりをして向かいなおした。

  「あいさつが遅れちゃってごめんなさい。わたし、この森のもう少し奥にすんでる狐です。きょうは、森を守ってくれたミシャグジ様を私たちの森へご案内するために、こうしてやってまいりました」

  いうとペコリと頭を下げる。つられて早苗も頭をさげた。

  「私たちの森では、ここしばらく黒い獣達が幅をきかせておりまして、それはそれはもう傍若無人の限りを尽くしていたのでございます。鳥の巣は気ままに襲うは池は汚すは見境なく獣達を狩って食い散らかすは、それはもうひどい有様で」

  「ふーん」

  「そこへ!そこへやってきてくださったのがミシャグジ様なのです!ミシャグジ様はその不思議な力であっという間に黒い獣達を蹴散らしてくださいました!森の皆はそれはそれはもう大喜びで!」

  「‥‥」

  言うまでもなく、あの沼の上での戦いのことである。

  相変わらずのテンションでしゃべりまくる狐。尻尾をボフボフと振り回し、眼を閉じて、くいと上を向き得意げに。・・・・眼を閉じているために彼女は気づいていない。眠たいというのにまた長くなりそうな話を始められて、イライラとこちらを睨みつける金色の目に。

  「そこで!森の長達達が話し合った結果、これはもうなにかお礼をせねばならぬという話になりまして、そこであなた様をまず森にお招きしましょうと。それでわたしが、栄えある"神使"のお役目を仰せつかったのでございます。ああ、もう、もう大感激でございます。只のしがない野狐のワタクシめが、こうしてミシャグジ様のご案内係をつとめさせ‥‥」

  そこでようやく目を開いた狐は早苗の表情を伺い、やっと自分の置かれた状況を把握した。鼻先まで迫った白蛇の顔。イラつきにしわの寄る眉間。生暖かい吐息。光る牙。

  捕食寸前。

  「って、あっ、ご、ごめんなさい、話し長かったですよね、ですよね、すいませんごめんなさい早速ご案内しますから首に手をまわさないで下さいお願いですああ絞まる絞まる絞まるゲッ」

  「次は食べるからね」

  この後も口を開く度に勢いよく喋り出す狐と早苗の殺伐とした漫才が何回か続いたが、そのたびに絞められ牙を見せられてようやく狐も興奮が冷めたらしく、ハイテンションな狐のおしゃべりはひと段落ついた。彼女はちゃっかり「絞められすぎて体がだるいのです」等とのたまって、早苗の肩に乗せてもらいながら「ご案内」をはじめたのだった。

  狐を肩に乗せ、早苗は森を進んでゆく。肩の上から「そこの白樺の木を右に」「あ、山桜の木みえたらまっすぐ」なんて声が聞こえ、そのたびにさわさわと狐の髭が早苗の頬をくすぐる。

  その感触がいい加減鬱陶しくなり、狐の髭を引っこ抜いてやろうかと早苗が腹の内で決めた時だった。がさがさとかき分けた獣道の向こうに、木々の根や蔦にこんもりと覆われた崖が立ちはだかったのだ。

  「ねえ」

  「はい?」

  「道間違えた?」

  「いいえ?」

  「もう、道ないじゃない」

  「いえ、まちがってませんよ?」

  「行き止まりじゃない」

  「いいんです。だってここが目的地なんですから」

  狐はそう得意げな声を上げて早苗の肩から飛び降りる。そして崖に向かって突進すると、ぴょんと跳ね、蔦の一本をくわえた。そのまま体重を使って蔦を引きずりおろす。

  どこにも引っかかりもせずにストンと蔦は落ちた。どうやら最初から緩くかぶせてあっただけのようだ。

  「はい。ここが、ミシャグジ様のご寝所となります」

  落ちた蔦の向こうに、洞穴が黒々とした口を開けて、早苗を待っていた。入り口のそばにはほとんど蔦と同化した、古びた小さな石のほこらが立っている。

  「昔々、ここにはミシャグジ様のような神様がいたみたいなんです。でもほんとに大昔の話で、長老たちも神様の姿を見たことある者はいません。

  今は誰もいませんし、もと神様のおうちならミシャグジ様のご寝所にするのにぴったりです。中は私たちが掃除しましたから、安心しておくつろぎください」

  得意げに話す狐だったが、やれ長老だの、やれ目的地だの、お迎えだの、森を挙げて早苗を迎えているにしては、静かである。第一、この狐以外誰も出てこない。

  「・・・・ねえ、私たちって、あなたのほかには誰かいないの?」

  「もちろんおりますとも。今はミシャグジ様を迎えるために皆準備をしているだけでして。ご案内は私一人が仰せつかってます。ふっふ」

  たった一匹で大役を任せられたことに得意げに目を細める狐だったが、その割にはなんだかお喋りで頼りないしはしゃいで早苗をイラつかせて喰われそうになったり。――――もしかしてこの子、食べられてもいい子なのかしら。

  どや顔をする狐を横目で見おろしながら早苗は洞穴へ近づく。

  中は暗いが今の早苗に暗闇は問題にならない。「掃除をした」との言葉に偽りはなく、蜘蛛の巣やゴミはきれいに払われていた。奥行きはそこそこあり、日が射し込んでも奥まで届かない程度の長さ。天井は高く、入り口近くで適度に水の滴りがある。穴の中には良いにおいのする杉の葉の束が四隅におかれ、寝床となる中央部にはきれいな笹の葉がやわらかく丁寧に敷かれていた。

  「へえ・・・・」

  「お気に召されました?」

  「うん」

  「よかったー!ささ、中へどうぞ。のちほど食べ物もご用意しますので、まずはごゆるりとお休みください」

  狐の言にしたがい、するすると早苗は洞穴へ入ってゆく。入り口を通りすぎたとき、一瞬、ピリ、とした感覚があったが、小石でも踏んづけたのだろうと、早苗は気にもとめなかった。

  そして笹の葉のベッドの上でとぐろを巻くと、あっと言う間に眠りに落ちたのだった。

  

  

  [newpage]

  

  ************

  

  

  

  「うらめしや」

  葉っぱの間から空が見える。雲ひとつない青空が。

  初めて早苗と会った日も、こんな感じで空を見上げて愚痴っていたなぁ。

  大きな栗の木の天辺に逆さまに引っかかりながら、小傘はあの春の日を思い出していた。

  雲居の中で初めて早苗と出会ったあの日。小傘は身も心もボロボロにされた。

  ――――人間をおどろかすときのルールについて。

  条件その一。この身この傘を使っておどろかすこと。変装その他は自分の存在意義が危うくなるからダメ。

  条件その二。化け傘化け道具という条件をクリアするので傘につけるオプション品はOK。

  条件その三。相手を殺さない。心が無くなっちゃうから。

  そんな化け傘小傘三原則的な法則をのんびり考えながら雲を漂っていたとき。そこで見つけた人間の巫女は、対峙した瞬間、初手から小傘の精神をベッキベキにしてくれたのだ。

  その快活そうな表情と唇からあふれる罵詈雑言の嵐。曰く、「そんな茄子みたいな傘誰もささない」。曰く「誘われてもそんな傘使わない」、曰く「キャラ作ってるでしょ」。曰く「時代遅れ」

  妖怪は精神を拠り所とする存在である。どこぞの金色の魔王が作った世界の魔族ではないが、弱らせたかったら精神攻撃がおすすめ。アストラルサイドへの直接攻撃は小傘を相当弱らせた。

  続く弾幕戦でも彼女はいいようにあしらわれた。気がつけば、小傘は木の上で、一人しくしく泣いていた。

  妖怪になって早幾年。驚かしても驚かれず、逆に暖かい目で見られて精神的ショックを受けることは何回もあったが、ここまで良いようにもてあそばれたのは初めてだったのだ。

  いつかあの巫女に復讐を。

  それから小傘は手を変え品を変え、事あるごとに早苗に挑みかかっていった。主に比較的得意分野のおどろかす方で。‥‥弾幕戦は早苗が強いから、たまに。

  しかし、「得意分野」で挑んだが相手は手ごわかった。何度、何度挑んでも、ほとんど全く平常心。帰ってくる言葉は悲鳴ではなく「こんにちわ」だの「あ、いらっしゃい」だの「また来たんですか?丁度よかった。おやきを作ったんですけど、食べていきます?あんこ味と、野沢菜」だの。

  おかしい、これはぜったいにおかしい。こんなはずでは無い!

  そう憤慨しながら縁側でむっしゃむっしゃとおやきを齧る自分を、なぜか生暖かい目で見つめてくる早苗。

  ――餌づけされてるのではないかという疑問は甘いあんこの味に塗りつぶされた。小傘がいくら心を食うと言っても実体がある以上、物は食えるし甘いもしょっぱいも分かる。そして甘味は人妖問わずに心に幸せを呼ぶ。

  いつしか、小傘の襲撃時刻イコールお茶の時刻となり、縁側で今日の驚かし方についての反省会が開かれるのが常になっていった。早苗の暮らす神社の神様とも、顔見知りになった。

  そんな日々の中いつだったか、小傘は早苗に聞いたことがある。「早苗はわたしのことをどー思ってるのさ」と。

  早苗はちょっと遠くを見つめてから、ニタリと笑って、

  「友達。大切な友達‥‥とか言うと思いました?もしそうなら大間違いですからね。小傘さんは襲撃者。わたしは獲物。なんせ貴方は妖怪ですから。驚いちゃったら、わたしはおっかない妖怪に"食べられて"しまうのですよ。そんなこと、妖怪退治をする巫女が一番されてはいけないことです。だから日々"食べられないように"わたしも色々対抗手段を考えているのですよ?」

  と、のたまった。

  まあ、ある意味正当な人間と妖怪の関係であるが、そこまでバッサリ言うこともなかろ。この、さでずむ巫女め、と小傘はほっぺたを膨らました。が。

  「やいやい、またそらっぺ言って、早苗は」

  「――!」

  そんな二人の後ろを、何事か言いながら諏訪子が通りすぎていった。早苗はなぜか顔を真っ赤に染める。

  その時は頭にはてなマークを浮かべるしかなかった小傘だったが、こんの嘘つきめ、みたいなことを言っていたのだと、あとで神奈子から聞かされた。

  ‥‥それから特に、早苗とのやり取りが変わったとか、そんなことはなかった。いつもどおり驚かしに行って、早苗は小傘の"攻撃"から身をかわし、縁側でお菓子を食べながら反省会。でもそれでよかった。

  それがこの間まで。

  早苗は蛇になった。カミサマになった。

  今日は朝から、と飛び込んだ神社で、早苗は人では無くなっていた。

  "友人"の晴れ姿に、小傘は素直に喜んだ。

  心が食べられなくなったのは、至極残念であったのだが。

  神様から、心を食べたことはない。そんな機会は今までなかったし。

  だから、神様を驚かして、果たしてその感情が食べられるのかどうか。小傘は初めて知ることになった。

  食べられはするけど、ごく薄味。お腹にたまんない。食べられないのとほとんど一緒だった。まるでヘビイチゴみたいに。――ああ、結局、一勝もできないままだったか。小傘の胸に、何か重いものがのしかかった瞬間だった。

  しかし、それよりも小傘をうろたえさせたのは、あのいつもすました顔でさでずむぶっている早苗が、やけに落ち着きを失っていることだった。

  自分を巻き添えにしながら、取り乱して神社から飛びだしていった早苗の顔。巻きついた尻尾に絞められて朦朧とする視界の中で、早苗は脂汗を流してブツブツと言葉にならない声を出して、傍目で見ていて怖くなるほどに焦っていた。

  そして先程。気がついた小傘がようやく見つけた早苗は、さらにとんでもない姿になっていた。

  真っ白な髪をなびかせ、牙をむき、人の言葉すら失い、今まさに河童に襲いかからんとする白蛇の早苗。

  気がつけば、早苗に向かって突進していた。小傘がそのとき見たのは、表情のない早苗の顔。

  「――――!」

  声は突然襲った衝撃で悲鳴になった。再度気がついたとき、小傘は栗の木に引っかかっていた。

  それが、今。

  「止めようとしたのに」

  逃げ出す河童の悲鳴が、微かに耳に残っている。早苗は、まだ「間違い」を犯していないようで、小傘は少し安堵する。

  ――いくら神様でも、人や妖とか、心あるものを襲って食べちゃったら、そんなのは只の妖怪と同じだ。

  早苗を、そんな存在にするわけにはいかない。

  ‥‥ひねくれ者だけど、彼女は、小傘の大事な友達なのだから。

  「しょーがないなぁ!まったく!」

  わちきが、助けに行ってあげるよ。頼りない助けかもしれないけどさ。

  はじめて、早苗に対し優位にたったような気がして。小傘は少し得意な気分になった。

  直後、まっしろな毛虫が鼻の上に落ち、慌てて振り払おうと暴れた小傘は地面まで一直線に墜落した。

  

  

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  ************

  

  

  

  ――――あはははは!残念でしたぁ!

  あざけるような金色の蛙の声。もう少しのところであいつをかじりそこねた早苗は、ガキリと牙を鳴らして目を覚ました。

  ‥‥どれくらい寝ていたのだろう。

  暗闇のなかで、早苗はゆっくりと目を開いた。

  あたりを包む虫の声に、外は夜になったのだと知る。

  「ん」

  頭の脇に、大きな蕗の葉が置いてあった。イワナが3匹、その上に並べられている。

  ―― くー。

  小さな寝息が聞こえる。蕗の葉の皿の向こう。あの狐が、とぐろを巻いて眠っていた。

  洞穴の外からは、彼女の他に別の動物の気配がする。

  「‥‥」

  早苗は腕を伸ばすと、イワナを一匹手にとった。そしてそのまま、背中から齧る。

  生のイワナは、なんとなく甘かった。

  早苗は一気に、三匹のイワナを平らげる。

  「?」

  その様子が誰かに見られているような気がして、早苗はずるりと体を起こした。

  「‥‥誰だ」

  呟くように問いかける。しかし謎の視線はすぐに消えた。しばらく洞穴の外を眺めていた早苗だったが、ふん、と鼻から息を吐くと、手の甲で口元の魚の血をぬぐう。気のせいか、逃げたか。いずれにしろ、今は追いかける気にはならない。疲れた。

  少しお腹が落ち着いた早苗は、金色の目をぐるりと闇に光らせると、また、とぐろを巻いて、眠りについた。

  夢のなかで捕まえ損ねた蛙を、もう一度捕まえるために。

  そんな彼女の眠る、洞穴の上空。

  再び眠りについたミシャグジ様を見下ろす視線が、空の上にあった。

  「このまま、大人しくしていてほしいものだけれど。無理、だよね」

  月光を浴びる、影。枝分かれした、黒い炎のような影が、ゆらりと夜風に揺れた。

  「起きちゃいましたよ。私の術だけじゃ、そろそろ限界です。“神楽”、早いとこお願いしますよ。ご主人」

  ぽつりとつぶやくそのセリフに合わせ、影の持った札が、青白い光を放って洞窟の方に散っていく。

  早苗は気が付いていない。彼女がこの洞窟に入って、丸二日が経っていたことに。丸二日間も、寝てしまっていたことに。

  諏訪子に告げられたタイムリミットは一週間。人に戻れる期限は、刻一刻と迫っていた。

  

  

  

  

  

  

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