異聞・善なる進化(中編)

  ……。

  …………。

  何もない空間に一人佇む楠葉の耳に音が聞こえる。

  しかし、何もさえぎるものがないはずの空間の中でありながらその音ははっきりと聞きとれない。

  耳をすましても、瞳を閉じても何もわからない。

  何かがそれを遮っている。

  それが何の音なのか・一体何を意味しているのか・そして―どう聞こえているのか。

  何かに遮られてはっきりわからない。

  頭の中で、耳の中で、そして体中で何かがそれを遮っている。

  それを取り除けばわかるはず―。

  そう認識した楠葉は服に手をかけるとためらいもなく脱ぎ捨てる。

  またたくまに露わになった素肌一杯に空間の空気を通じて音が伝わってくる。

  肌から耳、そして頭の中で音が声となって感じられる。

  ース

  ークス……

  「誰……わたしを呼んでるの……?」

  自分を呼んでいるであろうその声。

  体中に震え伝わってくるその声がどこから来るのか、誰が呼んでいるのか。

  この声の先に行きたい。声の主に会いたい。

  楠葉はその思いのまま歩き出す。

  何もない黒い空間の中を素肌のままでひたすらに歩き続ける。

  しかし、歩けども歩けども声の主は姿さえ見せる事はない。

  ―クス……

  ―クス……

  声だけはどこからともなく聞こえてくる。耳に、頭の中に、素肌一杯に、そしてその心の中にまで聞こえてくる。

  それでもただ聞こえてくるだけ。

  「誰ーっ!?お願い、答えて!会いたいの!あなたに!」

  ひたすら走りながら声の主に呼び掛ける楠葉。

  しかしその声に応える者はいない。

  あたかも同じ場所を延々と足踏みするかの様に楠葉は走り続ける。

  ひたすら、ひたすら足を出し、腕を振り、その胸元も振るわせながら。

  「はぁ、はあっ、はぁぁぁっ!」

  息を切らし、汗をにじませながら楠葉はついに走り続けた足を止める。

  ―クス……

  ―クス……

  そんな楠葉に声は変わる事無く響いてくる。

  未だその声を感じる事はできてもそこにたどり着く事はできない。

  どうして―どうしてなのか―。

  身をかがめ膝に手を当てて全身で荒い息を整えながら楠葉はひたすら考える。

  声は聞こえてもたどり着けない。そもそもその声自体まだはっきりわかっていない。

  どうすればたどりつけるのか。そしてはっきりと聞く事ができるのか。

  「―まだ―足りないんだ―」

  不意にそんな言葉をつぶやいた。

  自分を遮っているものがまだ取り除かれ切っていない。

  あの声をより確かに聞き取り感じる事を、あの声の主に辿り着く事を遮っているものがまだ残っていたのだ。

  それを取り除けば今度こそ、今度こそ聞こえる。今度こそ辿り着ける。

  そう確信するや楠葉は身を起こし、その手を首筋、素肌にかける。

  そして一気に―引き離す。

  今まで遮断されていた外気が一気にその中に漏れ出してくる。

  自分を縛っていたものが解き放たれていく様な感覚が全身に広がっていく。

  「はぁぁ……あぁぁぁ……」

  歓喜の声を上げながら楠葉はその素肌を「脱いでいく」。

  その中から現れたのは―!

  “あぁぁぁ……”

  頭を緩やかに揺らしながら歓喜に震える黒いバッタ女の顔だった。

  “ああああ……はあああああ……”

  額の触手を軽く振るわせ、異形のアゴから不似合いな甘く活力に満ちた声を上げながら楠葉はそのまま首から肩、腕、胸、腰、足と素肌を脱ぎ黒い外骨格に覆われた姿を露わにする。

  そして完全に素肌を脱ぎ捨て黒いバッタ女の姿となった楠葉は改めて両脚を踏みしめ両手を広げ、触覚を張りながらその意識を広げる。

  ―クス……

  ―クス……

  “聞こえる……聞こえてくる……この声―やっぱりわたしを……呼んでいる!”

  伝わってくる。あの声がよりはっきりと伝わってくる。

  自分を、自分の名前を、自分の存在を呼ぶ声が。

  ―ルクス……

  ―ソルクス……

  “そう―わたしの名前―ソルクス―“

  そう確かめる様にその名を唱えながら静かに歩き出す楠葉。

  いや、もうこの時点で彼女は「水葉楠葉」という存在そのものを脱ぎ捨てていた。

  「楠葉」を脱ぎ捨て身も心も本来の姿となったソルクス。

  歩む度にその黒い外骨格が活力と歓喜に震えているのをソルクスは感じていた。

  もう何も遮るものは無い。ただ自分を呼ぶ声のまま歩いて行けば良いのだから。

  そしてその先に待ち望んだ存在がいた。

  自分と同じ―ただその体は銀色に覆われた外骨格を持つバッタ女―

  “ルナプス!”

  “ソルクス―待っていたわ……”

  ルナプスは優しげな声でそう告げるとソルクスを招く様にうなずく。

  何もないその空間でその銀色の姿はまさに道を示す灯火のようにも見える。

  いや、今のソルクスにはそれ以上の存在とも取れたであろう。

  それを示す様な嬉しさに満ちた声と共に改めて顔を上げるソルクス。

  ルナプスもそのバッタ女としての異形の顔を明るく広げた様な表情で答えつつ両腕を広げる。

  “ルナプス―ルナプス-!”

  ソルクスは迷う事無くルナプスに駆け寄り、その胸に飛び込んだ。

  「ルナプスッ!」

  そう叫んだとたん視界が一瞬完全な暗闇に閉ざされ―楠葉は目を覚ました。

  自分の家の自分の部屋。

  そしていつも通りの―人としての自分の姿。幸いにも寝間着はそのまま身に着けている。

  ただいつもと少し違うのはベッドの上では無く机に突っ伏して眠っていた事だろうか。

  「……変な夢見ちゃった……」

  衝撃的な夢から覚めまだうつろさを残す意識の中で楠葉は自分が課題レポートをなんとか書き上げた所で眠りについていた事を思い出す。

  夕べの戦闘・そしてルナプスと名乗り自分をソルクスと呼んだあの銀色のバッタ女との邂業の衝撃を残しながらレポートを書き続けた事はいかに今の楠葉と言えどかなりの負担だった様だ。

  そんな中で見てしまったあの夢。

  それだけあの出会いが楠葉の心に印象深く残っていたと言う事なのだろうが今の楠葉にそれを確かめる術はない。

  もう一度会った時に確かめよう。

  改めてそう思いながら楠葉はふと部屋にある時計を見る。

  朝の準備をするにはまだ早い時間だが少し動きたい。

  楠葉は静かに立ち上がると大きく伸びをする。

  そして書き上げたレポートをまとめていたが……。

  「―いけない、忘れる所だった」

  そうつぶやくと書き損ねていた空欄に最後の一言を書き込むとレポートを鞄に入れ、朝の仕度をする為部屋を後にした。

  その鞄の中にあるレポート、先ほどまで空欄だったそこにはこう記されていた。

  「レポート作成者 水葉楠葉」と―。

  [newpage]

  「おはよう~楠葉、レポートできた?本当に大変だったわよあの量は」

  「おはよう。うん、わたしもなんとかこなせたと言う所かな」

  教室に入った楠葉は友人達とそんなやりとりをしながら席に着く。

  さすがに今回のレポートはみな相応に負担だったらしく教室のあちこちで愚痴をこぼす学生達の姿が見える。

  サークルやバイト、その他の事情も兼ね合いつつレポートを書くのはやはり一苦労ではない。

  さすがに「バッタ女に変身して怪人と戦っていた」なんて事情でレポート作成が難航したと言う事情は今の所は楠葉だけの事だろう。

  そんな事を思ってしまいつい苦笑しながらも楠葉はふうと息をつく。

  「楠葉、大丈夫?わたしもちょっと疲れ気味だけどあなたも気をつけてね?」

  「あ、ありがとう……一応わたしもその辺りは色々考えてるし」

  「それならいいけど、何か工夫でもあるの?もちろんまっとうな方法で」

  ふと興味を持ったのか友人が意味ありげに訪ねてきたのをなんとなかなだめながら、

  「う、うん……まだきちんと勧められるものじゃないから話せないけど……」

  となんとか軽く流そうとする。

  そこへタイミング良くと言うか派手ではないが華やかな色合いの私服を着たクールな顔立ちの女性が静かに教室に入ってくる。

  「あ、ちょっと待って……ラトゥーニ、おはよう!課題大丈夫だった?」

  少々風変わりな友人の姿を見て楠葉は心の中で話しかけていた友人に詫びつつラトゥーニに駆け寄る。

  友人はやれやれとため息をつきながらも声をかけてきた他の学生達とやりとりを始めていた。

  一方当のラトゥーニと言えば声をかけてきた楠葉に軽く会釈をしながらも、

  「当然。どんな状況でも勢いに流されず冷静に配分ができれば決してこなせない量じゃない」

  と逆に切り返してくる。

  それに対し楠葉は只笑顔で返したが、

  「その様子ならクスハもレポートはこなせたみたいね。「あなたが果たすべきだった事」を。」

  と言うラトゥーニの言葉に対し楠葉は一瞬首をかしげた。

  (この言い方、どこかで聞いた様な……?)

  それを考えようとした所で講義の予鈴が響いた。

  結局それ以降ラトゥーニとやりとりするタイミングを外しながら昼休みを迎えてしまった。

  人知れず―と言っても学生で賑わう食堂の一角で弁当箱を開ける。

  さすがに学食のメニューで必要以上の量を注文するのは色々ややこしくなると思ったせいか今の楠葉は自作の弁当を持ってきている。

  それでも年頃の女性が食べるには不相応なほどの量ではあるのだが。

  一応目立たない様に食事を済ませお茶、そしてもう一つ持参しているらしい水筒に手を取ろうとした矢先―。

  「?ラトゥーニ?」

  ふと窓の外で少し難しい顔をして歩くラトゥーニの姿を見て楠葉は首をかしげる。

  一緒に昼食を取った回数はあまり多くはないがそれでもこの時間にああやって歩いている事に微妙に違和感は感じてしまう。

  しかし、結局その後を追う事はできずその日はそのまま会話も無く一日の講義は終わってしまった。

  「それじゃあ楠葉、また明日」

  「うん、でも、夜中歩くのは絶対気をつけて。色々ー危ないから」

  「楠葉ってけっこう心配性なんだから……一応気をつけるわよ。それじゃ」

  そんなやりとりをして友人と別れる。

  その背中を見ながら楠葉の中に多少なりとも不安が浮かばずにはいられない。

  怪人達の襲来が夕べの件で終わりと言う事は無い。

  きっと今夜も―もしかすると夜ごと夜ごとに現れるかも知れない。

  それに伴う色々な不安が心をよぎるのをなんとか振り払いつつも楠葉は家路に急いだ。

  とにかく今は帰ろう。少しでもいつもの日常を過ごそう。

  そう思いながら楠葉は駆け出していた。

  その夜。

  楠葉は一人人気の無い道を走っていた。

  常夜灯のみが照らし出す夜道を只一人駆ける。

  奇しくも今朝見ていた夢の中身にも通じる光景ではあるが夢とは違い楠葉の行く先はとりあえず常夜灯が照らしており、楠葉の姿もまたライトブルーに黄色いラインのトレーニングジャケットに包まれていた。

  その姿はいかにもはつらつとランニングをしている女性そのものである。

  しかし、その面持ちは多少ならずとも緊迫感に覆われている。

  かの力と姿を得て間もなく始めた夜間のランニング。

  力の影響もありフルマラソン級の距離を走っている事はともかく多少なりとも心身の発散となり彼女自身のリフレッシュを兼ねていた一時だった。

  それも怪人達の出現と接近により大きく変容しようとしている。

  せめて自分が走っている範囲、走っている間は怪人達を食い止めたい。

  そんな事を思いながら走り続ければいやでもその顔は硬くなる。

  そんな中ふと脳裏に浮かんだのはやはりあの銀色のバッタ女―ルナプスの事。

  自分の味方と名乗っていたのならきっと一緒に、そううまくはいかなくとも共闘する事はできるはず。

  楽観的かも知れないが希望は持ちたいと思いながらも楠葉はひたすら走る。

  その耳を、目を、肌を、心を研ぎ澄ませながら。

  「-!」

  そんな時、不意に楠葉の感覚が異変を捉えた。あの怪人達が近くにいる!

  ふと見渡せば奇しくもそこは廃工場の近く。怪人達が住み着こうとしてもおかしくは無い場所である。

  さらに耳をこらせば何かがぶつかり合う音が聞こえてくる。

  激突、戦闘、そう言ったものを感じさせる様なぶつかり合いの音。

  そしてその中にいる怪人達と似ている様で異なる気配、その主は……。

  「ルナプス!?」

  その名前が不意に口を突いて出た。

  ルナプスがあの中で怪人達と戦っている。そんな予感が楠葉の脳裏をよぎった。

  いや、実際には本能と言うか反射的な反応と言うべきか。

  どちらにしてもルナプスを助けないと―。

  そう思うが早いか楠葉はあたりに人や他の怪人の気配がない事を察しながら廃工場の中に急ぐ。

  とりあえず人よけの柵がしてあったが幸い変身していなくても今の楠葉なら軽く飛び越えられる高さである。

  そしてひとまず物陰に飛び込むと背負っていたミニバッグを下ろし、トレーニングジャケットに手をかけると大急ぎで脱ぎ捨てる。

  一応万が一着たまま変身してもかまわない様にできる限り安く揃えられるものを買ったつもりでありジャケットを脱ぎ捨てた下には下着しか身に着けていないのも脱衣を早く行える様にする為の苦肉の案であった。

  本来ならジャケットの下は何も身に着けない方が良かったのだろうがその辺りはやはり年頃の女性ゆえの心情と言う所だろう。

  もっとも今の楠葉にその辺りを考える余裕がないのもまた事実なのだが……。

  とりあえず全てを脱ぎ捨てその裸身を夜の闇の中に露わにした楠葉はそのままヘソに手をかざし浮かんできた宝玉に力を込めて―唱えた。

  「変身!」

  [newpage]

  “はぁっ!”

  咆吼と共に右腕―に生えた刃状のトゲを急所に突き立て一気になぎ払う。

  これでまた一体怪人が燃え尽きた。

  “これで……あと何体……?”

  倒した怪人の数をなんとか数えながらもルナプスは多少苦いものを交えた声でつぶやく。

  見回してみれば倒すべき怪人達はまだまだ忌々しげに自分を包囲している。

  “少し無謀すぎた……いや、わたしがまだ力不足だと言う事……?”

  決して相手を侮っていた訳でも自分を過大評価している訳でもないが今回の戦いは彼女にとってはかなり厳しいものである事は否めない。

  怪人達の気配を察し、変身して潜り込んだまではよかった。

  戦闘においてもいつもの様に確実に怪人達を倒していけば良いと思っていた。

  しかし、その思惑通りに戦うには今の彼女のコンディションは必ずしも良好とは言えなかった。

  いや、完全に不利と言うべきであろう。

  それでもこれまで戦ってきた要領を活かし一体、また一体確実に怪人達を倒している。

  そうしている間にも背後から迫っていた怪人の一体めがけて後ろ回し蹴りの要領ですねの辺りから生える刃状のトゲを叩き付ける。

  その一撃で急所を切られた怪人は崩れ落ちながら燃え尽きていく。

  こうやって怪人の急所を確実に突くのがルナプスが彼女なりに会得してきた戦い方である。

  さらにそこから両脚に力を込めて夜空に飛び上がると身を翻し一気にその足を怪人の一体に叩き込む。

  そしてその反動で一体、また一体蹴り込んでいく。

  怪人達が燃え尽きる中ルナプスはその銀色の外骨格を夜空に翻しつつその場から距離を取る。

  一見すると無駄の無い動き。

  しかし、着地したルナプスの足が一瞬よろめく。

  “……やっぱり……無理をしすぎている……”

  異形の顔を軽く歪ませながらルナプスは軽くぼやいた。

  無駄のない動きで戦い抜いているはずのルナプスが疲弊や消耗を感じるほどの強敵や大群を相手にしていたと言う事なのか。

  それとも―別の理由なのか。

  どちらにしろルナプスは消耗していた。

  早くこの怪人達を倒さなければいずれ自分が押し負ける。

  しかし、それをやるには力が入りきらない。

  もちろん彼女もまたそれを補える手段は知っていた。それを選択すればとりあえずこの場はしのげると言う事を。

  ただ―彼女もまたその有効性とそれに伴うものを天秤にかけつつらしからぬ迷いを持っていた。

  “とにかくなんとかしてこいつらを止めないと……でもどうやって……?”

  その迷いが命取りとなった。

  突如として現れた蝶型の怪人にその体をつかまれルナプスはむりやり夜空に引き上げられる。

  “しまった!”

  なんとか抜け出そうとするルナプスだが蝶型怪人は思った以上に力を込めており容易には抜け出す事ができない。

  そしてついに蝶型怪人はその口元を伸ばしルナプスの頭部めがけて突き出してくる!

  “くっ!”

  かろうじて頭を動かしその口元をかわす。

  一撃、二撃、三撃となんとかかわすルナプスだったがやはり消耗に加え今の体勢はかなり不利であった。

  ここに来てしびれを切らせたか、はたまたようやく対応を見つけ出したのか。

  蝶型の怪人はルナプスの喉下に狙いを付け口元を伸ばそうとする。

  さすがにこれが決まればルナプスと言えどひとたまりも無く貫かれその生命力を蝶型怪人に食い尽される事になるだろう。

  仮にその戒めを間一髪破ったとしてもいつの間にか包囲していたのか、吹き出した糸を巧みに操りながら廃工場の建造物の間を飛び交うクモ怪人達の餌食になりかねない。

  “……”

  ルナプスの異形の顔に表にこそ見えないが恐怖ともなんとも言えない感情が走る。

  それをあざ笑う様に蝶型怪人は口元を伸ばそうとして―背中を貫かれて燃え尽きた。

  “―ソル……クス……!?”

  燃え尽きていく蝶型怪人の戒めから解き放たれたルナプスの目に映ったもの。

  それは間違いなく黒いバッタ女―彼女の言う「ソルクス」=楠葉だった。

  “ルナプス、よかった……”

  背後から突き上げる様にキックを叩き込んだ姿勢のまましばらくの間滞空していた楠葉はルナプスの無事を確認ししばしの安堵に浸る。

  それに対しルナプスも何かを言いたそうにしていたがあえてそれを飲み込む様にアゴを動かすと、

  ”礼はあとで言うわ。今は一緒に戦ってほしいー”

  と告げる。

  それに対し楠葉は静かにうなずくとそのまま身を翻し着地の体勢に入る。

  ルナプスも同じ様に力を振り絞る様に体勢を立て直すと着地の体勢に入る。

  楠葉が蝶型怪人にキックを叩き込んだ時に踏み台にしたのであろう、そのまま燃え尽きたり燃え尽きずとも地面に落ちていくクモ型怪人達をすり抜ける様に黒と銀、二人のバッタ女が舞い降りていく。

  その姿は異形でありながらも魅入られずにはいられない光景だったかも知れない。

  運悪く包囲する怪人達の真ん中に着地はしたものの楠葉とルナプスはひるむ事無く背中を合わせながら構えを取る。

  戦いの第二ラウンドの始まりである。

  うなり声を上げながら二人を包囲する怪人達。

  その中には楠葉が蹴り倒したクモ怪人の生き残りも混じっている。

  それに対し楠葉は大きく身を広げ敵を威嚇しルナプスを守る様に構えルナプスもそれに覆われながらも楠葉の隙を補うべく刃のごとき鋭い構えを見せる。

  クモ怪人の残党がうなり声を上げ跳びかかってくるが、

  “たぁっ!”

  楠葉のカウンターチョップにたたき落とされる。

  その隙を突くように別のクモ怪人が楠葉の足下を狙い糸を吐く。

  “!”

  たたき落としたクモ怪人に追い打ちをかけようとした楠葉は一瞬足下を取られるがその糸はルナプスが踏み込んだ足のトゲに切り裂かれる。

  “これ位の攻撃、予測できる……”

  ルナプスはその勢いのまま跳びかかってきた別のクモ怪人に腕を打ち込みそのまま切り裂く。

  二体のクモ怪人が燃え尽きる間もなく別のクモ怪人達が頭上から飛び込んでくるのを辛くもかわし、

  “えぇーいっ!”

  “決める!”

  二人同時に拳を突き出しクモ怪人を貫く。

  それらが燃え尽きる隙を突く様に二体の甲虫型怪人が挟み込むように襲い掛かる。

  “くっ……”

  “うっ……”

  その突進をなんとか捕らえながらも互いの背中の外骨格が押し摺り合わせられる感覚に思わず苦痛の悲鳴を上げる二人。

  このままでは押しつぶされるのも時間の問題な上楠葉の足下からは這う様にサソリ型の怪人、ルナプスの頭上からは蜂型の怪人が跳びかかる。

  それを視界に捕らえながらも甲虫型怪人を抑えるので精一杯な二人、特に消耗しているルナプスにはこの事態はなおさら厳しい。

  まさに万事休すの状態である。

  そんな中一瞬楠葉とルナプスの目が合った。

  瞳で通じ合ったとか言う訳でも無い。何かを感じ取った訳でもない。

  しかし……。

  “やぁっ!”

  “たぁっ!”

  楠葉は両脚に力を込めて甲虫型怪人もろとも飛び上がると空中で身を翻し甲虫型怪人を蜂型怪人に叩き付けそのまま地面に落とし込む。

  ルナプスも力を振り絞りながら甲虫型怪人に足払いをかけると大外刈りの要領で押し倒しその勢いでサソリ型怪人を押しつぶす。

  “うあぁぁぁっ!”

  “いやぁぁぁっ!”

  二人同時に放った雄叫びと共に飛び上がるとそこから身動きを取れずにいた甲虫型怪人の腹めがけてキックを撃つ。

  ルナプスのキックは確実に腹を穿ち、楠葉のキックも辛くも間一髪背中を向けた甲虫怪人の首筋に叩き込まれる。

  その勢いにとどめを刺された蜂型怪人やサソリ型怪人もろとも甲虫型怪人は燃え尽きる。

  しかし、互いに顔を見合わせる間もなく一瞬膝を付いていたルナプスの背中を切り裂く様にカマキリ型の怪人がカマを振り下ろす!

  “危ないっ!”

  間一髪楠葉のブロックが間に合い、楠葉とカマキリ型怪人は腕のトゲとカマを激しくぶつけ合う。

  カマが振り下ろされ、なぎ払おうとするタイミングを辛くも察して受け止める楠葉だがさすがにカマの長さを考えると食い止めるのが精一杯である。

  膝を付きながら楠葉の戦いを見ていたルナプスだがもちろんただ静観しているだけではない。

  その触覚や近くの全てを使いあのカマキリ型怪人が最後の一体である事を感知すると全身、特に両脚に力を込め勢いよく飛び込む。

  “ソルクスッ!”

  その声に反応してか楠葉はカマキリ型怪人の攻撃をかわしながら距離を取る。

  それと入れ替わりに飛び込んだルナプスが両腕のトゲ、そして両脚を駆使しながらカマキリ型怪人と渡りあう。

  “うりゃうりゃうりゃうりゃーっ!”

  突然キャラが豹変したかの様な荒々しい叫びと共にカマキリ型怪人の腕を払い、カマを食い止め受け流しつつその体に攻撃を当てていく。

  そして距離を取りながらも先ほどのルナプス同様力をため込んでいた楠葉もルナプスをフォローするべく飛び込む。

  “えぇーいっ!”

  ”うりゃぁっ!”

  楠葉とルナプス、身を翻しながら繰り出す互いの腕が、そして脚が互いの盾となり剣となってカマキリ型怪人の攻撃を止めその体を確実に切り込んでいく。

  そして二人が同時に放った蹴り上げを食らいカマキリ型怪人が宙に舞う。

  “これで―”

  “決める!”

  ルナプスと楠葉がつなげる様にそうつぶやき、踏みしめた地面を蹴り上げそのまま宙に浮かんだカマキリ型怪人をその拳で貫く。

  夜空の中でカマキリ型怪人が燃え尽きるのを背に静かに舞い降りる二人の姿はさながらダンスかデュエットのフィニッシュシーンの様であった。

  しかし、ついに力尽きたのかルナプスはがくりと膝を突き崩れ落ちる。

  ”ルナプス!しっかりして!”

  即座にその体を抱きかかえる楠葉。

  触れた感覚で命に別状はない事は察知できたがルナプスの体力と気力が相当失われている事は間違いない。

  怪人達の気配が消えている以上早くルナプスを安全な所に移さないと―。

  そう思いつつひとまず自分の衣服のある場所に移ろうとした楠葉だったが、不意に腕の中の感覚に変化が起きた事を感じ動きを止めてしまう。

  “ルナ……プス……!?”

  抱きかかえた腕の中にいたルナプスが大きく全身で息をする内にその姿を少しずつ変えていく。

  “ハァ……フゥ……ハァ……”

  外骨格を彩る銀色が少しずつ薄まり緑に染まっていく。

  その形も戦闘的な外観からより生物的なものへと落ち着きを取り戻す。

  みるみるうちにルナプスは銀色のバッタ女から始めて変身した頃の楠葉の姿を思い出す緑色のバッタ女へと変わっていく。

  “フゥ……ハァ……ハァ……アァ……アハァ……”

  緑色のバッタ女となったルナプスはより解き放たれたかの様に大きく、柔らかく身を震わせながら全身で息をしている。

  しかし、彼女の変化はそれだけにおさまらなかった。

  緑の外骨格が色を失い、堅さを失いながら柔らかい人の素肌に変わっていく。

  外骨格とその継ぎ目の様な筋肉組織の束の境が薄れ柔肌の中に消えていく。

  硬い胸元や腰の装甲が控えめながらも形良く柔らかい膨らみと軽く引き締まった臀部のそれに変化していく。

  鋭い爪と指先が細く柔らかさを感じるものに変わっていく。

  額に生えていた一対の触覚が額の中に埋もれていき、禍々しく開いていたアゴが小さくまとまりながら可愛らしい口元と鼻筋の中に覆われる。

  人とバッタの間の形をしていた頭部が人間の形に整えてられていく中一対の耳と少し鋭さを感じさせるショートヘアーが戻ってくる。

  「はぁ……ふぅ……はぁ……」

  少しクールさを持ちながらも甘く軽い声を上げながらルナプスは確実に人の姿へと変わっている。

  そしてその瞳から緑の輝きが消え、ヘソにあった宝玉が埋もれた時、ルナプス―だった女性はようやくあらぶっていた呼吸を落ち着かせるが……。

  「お願い……何か……食べさせて……」

  その言葉は先ほどまでのクールなバッタ女からは多少なりともかけ離れた印象を感じさせた。

  しかし、楠葉はそれを感じるどころではなかった。

  「お願い……「クスハ」……」

  今の姿の楠葉を「ソルクス」ではなく「楠葉」と呼んだその声、その顔、その姿、それは……。

  「ラトゥーニ……わ、わかったわ。少しだけ我慢して!」

  そう言いながら楠葉は一糸まとわぬ姿のラトゥーニを抱きかかえたままその場を後にした。

  先ほどまでの異形の者達の戦いそのものが無かったかの様に静まりかえった廃工場を……。

  [newpage]

  「……やっぱりひどい味。でも「あいつら」よりは口に入れられる」

  楠葉の自宅でラトゥーニは二杯目の楠葉謹製ドリンクを口にしてそう言った。

  あのあととりあえずと言う事で楠葉が持参していた水筒ごしにそのドリンクを口にしたラトゥーニはその強烈すぎる味に思わず顔をしかめたが皮肉にもそれ以降多少なりとも気力が戻ったのを感じていた。

  ちなみに思いつくだけのまっとうな栄養食材を材料にしたこのドリンクは味のきつさも込みで試作段階らしい。

  あいにくラトゥーニ自身の私服は変身した際に失われていたので楠葉は同じく持参していた予備の私服を彼女に着てもらいそちらは無事だった彼女のバッグを取りに戻ると変身したまま自宅に帰り着いた。

  その際「感覚を研ぎ澄ませて。また誰かに見られているかも知れないから」とラトゥーニに告げられ楠葉が自宅の玄関をくぐるまで多少なりとも警戒せざるを得なかった事、そしてどこか適当な場所で変身を解いて衣服を着てから普通に帰宅すべきだった事を思い出し多少なりとも頭を抱えた事はここだけの話である。

  そしてひとまずシャワーでも浴びようと言う間もなく楠葉とラトゥーニはやはりそれなりの量の食事を取りながらようやく一心地ついていた。

  「―だいたい事情はクスハと同じ。おそらくクスハと同じ頃のある夜に私もあの触手に襲われ繭にされたあと宝玉を入れられてあの姿になった」

  楠葉が色々話を聞こうとする前にラトゥーニはとっさに口を開いた。

  その時彼女の顔がほんのり赤くなりながらそれをなんとかごまかそうとしているのを察し楠葉はつい苦笑を禁じ得なかった。

  ラトゥーニも間違いなく「同じ経験」をしていたのだろうから。

  「ゴホン、ひとまず私自身の姿と力を把握していく中でその危険性も色々わかってきたのはきっとクスハも同じはず―特に生活関係で」

  咳払いをしながらラトゥーニは少し苦い顔でそう語る。

  大学では才女として名をはせるラトゥーニだがやりくり関係では今一歩それに及ばず力を得たあとの食費維持関係で相当頭を悩ませる事となった。

  ほとんど使っていない私物の幾つかをリサイクルショップに出したりいわゆる食べ放題系の店を探したり、はては大食いコンテストへの挑戦も考えるなど色々斜め上な方向で食費を維持していたらしい。

  そして今日は昼食を取らず夕食を取る前に運悪く戦いとなり思わぬ消耗と苦戦を強いられていた。

  それを知り楠葉は苦笑をなんとか押さえ込む。

  自分はなんとか仕送りややりくりを工夫してこなしていたがそれでも決して平坦とは言えない。

  自分もいつ彼女の様な「危機」に遭うかも知れないのだ。

  そんな事を考えつつもそれをあえて振り払いながら楠葉はようやく尋ねる。

  「ラトゥーニ、もしかするとあの山であなたも……?」

  「ええ、色々思う所があってあの山に入り―あいつらと戦った。クスハもわかっていると思うけどあいつらは止めないといけない。そんな中ソルクス―クスハを見た。あなたも私と同じ力を得て同じ様に戦っている。少しだけホッとしていた―少し詰めは甘いけど」

  あの怪人達の巣での戦いから帰宅した光景と怪人に目撃されていた事、そしてその怪人を倒したのがラトゥーニだった事を知り楠葉は少しだけ息を呑んだ。

  そうなるとラトゥーニはあれからずっと楠葉の近くにいた事になるが…これについては考えない事にした。

  「そう言えばラトゥーニ、あのルナプスって言う名前はどう言う意味なの?もちろんあの姿のわたしをソルクスと呼んでいた理由も」

  話を変える様にそう尋ねた楠葉に対しラトゥーニは、

  「別に意味は無い。あの時―あの姿と力を持たされた夜に見た月がまるで月食の様に見えたからルナ・エクリプス=月食にちなんでルナプスと名乗っただけ」

  とあっさり答えた。

  「じゃあ、ソルクスと言うのは……」

  「私が月食なら対を成す意味でソル・エクリプス=日食にちなんでソルクス。ゴロは合っているでしょ?」

  そう言われ楠葉は軽く脱力感を覚えた。

  別に意味や宿命とかでは無くその場のノリでそう名乗りそう呼んでいたと言う……ただ彼女の性格としては決してあり得ない話ではないのも把握はしていた。

  「ただ本来ならソルプスと呼ぶべきだけどそれじゃ何かピンと来ないし何より「クスハ」が変身するならソル「クス」。その方が良いと思って」

  そう言いながらラトゥーニは静かにお茶を飲んだ。

  その後、楠葉の提案でラトゥーニが楠葉の自宅でルームシェアを始める事になった経緯についてはあえて割愛する。

  一通りの紆余曲折、そして二人の持つ「力」を伏せつつの流れの中でもなんとか二人の暮らしは安定を見せつつあった。

  そしてその夜も楠葉とラトゥーニは大学帰りのちょっとしたアルバイトを終え、ついでの買い物を済ませた帰路に着いていた。

  「今日のバーゲンのおかげで今日と明日の食材は確保できた。クスハのおかげで色々な料理が食べられるのは良い影響だと思う」

  「まあ、色々工夫しての節約料理だけどね。レパートリーだけは豊富―かしら」

  「それに、クスハのドリンクの味も少しだけ上がった。おかげで調子も良いし生活の効率も良くなったわ」

  「少し……か」

  軽く苦笑いする楠葉。

  今日はこのあと帰ったら学科の学習やレポート作成などで少し根を詰める事になる予定である。

  できればこのままごく普通に帰宅して日常に専念したいのだが……。

  「!」

  「!?」

  一瞬、二人の中で何かが震えた。

  「―現れた……みたいね……」

  「そう近い距離では無いけど遠くもない。早く行けばなんとかなる」

  緊張を交えつつも二人は顔を見合わせ辺りを見回す。

  幸い自分達以外に誰もいないのを確認すると二人は少々人間離れした勢いで走り出す。

  そして走り抜けた先はとある物陰。

  二人が町中で見つけ出した「拠点」の一つである。

  辿り着くや二人は改めて辺りを見回すと荷物を置き、そのまま衣服に手をかける。

  「できれば早く終わらせたいけど、今夜は大丈夫かしら」

  「わからない、この間は結局日付が変わっていたし。もっとも私達の場合一日徹夜した位なら大した疲労は感じないけど」

  「うん……わたしも本当は毎晩夜が明けるまで見回らないといけないと思う。でも……でもーやるしかない!」

  「クスハが言いたい事はわかる。とりあえず今夜早く終わったら私が徹夜で回るからクスハはそのまま休んでて」

  「ラトゥーニ、今夜はわたしが回る番のはずよ?明日はバイトもないし大学もお昼からだから」

  「それは私も同じ」

  そんな事を言いながら二人は全てを脱ぎ捨て夜の闇の中にその素肌をさらす。

  大きすぎずに豊かな膨らみとスタイルの良さを持つ楠葉とスレンダーながら相応に主張を示すスタイルのラトゥーニ。

  ひんやりとした夜の空気の中に並び立ちながら二人は静かに瞳を閉じ、そっとヘソに手をかざす。

  赤と緑の宝玉がヘソの辺りに浮かび上がるのを感じながら二人は意識を集中させる。

  そして―。

  「変身!」

  「変身」

  二人の声が重なる様に響いたその後、夜の闇を裂く様に黒と銀の影が夜空を駆けていった……。

  第三部中編・了