異聞・善なる羽化(後編)

  あられも無い姿で目を覚ましたあとその余韻に浸る間もなく楠葉は身支度を調え買い出しの為別荘から少し離れた村へと走っていた。

  幸いあの時の様な過剰な飢餓感や捕食欲求は今は完全に治まっている。

  ひとまずはあの急激な進化とも言える黒いバッタ女への変化の反動による一時的なものだったと思う事にしているがそれを抜きにしても食事量の多さは想像以上であり一定量の食材確保は避けられなかった。

  青空と心地よい風の下人目を忍びながらも一気に麓の村まで駆け下りると一息つきながら買い物を始める。

  村の商店や無人販売所などを見て回りながら少しでも安くおいしく食べられそうな食材を探すのもまた力を得た代償なのだろうか。

  そしてちょっと一息入れる為コンビニエンスストアで少しお茶を飲んだりもする辺りは傍目にはちょっとしたローカルライフを楽しむ若い女性と見えるだろう。

  実際そう言えるのは間違いないのだが。

  しかし……。

  そんな中で時折聞く人々の話題の中に多少なりとも不穏なものが混じっているのを楠葉は聞き逃す事ができなかった。

  曰く、山の中で異様な生き物の影を見た。

  曰く、本来なら人里にも姿を見せている野生動物の数が少ない。

  曰く、近隣の山々や森で失踪者が出ている。

  情報自体は定かでこそないがそれがあの怪人達に関係があるのは理解できる。

  怪人達が少しずつ、しかし確かに近くまで来ている。

  今まで関わってきた怪人達を考えればその行動範囲が広がる事は自分達にとって危険である。

  そして……自分もまた同じ様な力を持ち、同時に異なる目的―怪人達を止めたいと言う意識を持っていると言う事。

  それらを再確認するまでさほど時間はかからなかった。

  コンビニエンスストアを出ると楠葉はその両手に少し大きすぎる買い物袋を下げたまま一呼吸するとそのまま走り出す。

  風を切る様に、空を切る様に一目散に別荘へと駆けていく。

  幸いにしてその光景は未だにのどかな村の光景に感知される事は無かった……。

  「はっ、はっ、はっ、はっ……」

  夕暮れから黄昏に移りつつある山の中を楠葉は走っていた。

  水色ベースに黄色いラインのランニングウェア・そして小さなリュックを背負いながら走る姿は快活そのものだがその表情はどこか緊張をはらんでいる。

  彼女が今こうして山の中を走っているのは言うまでも無く怪人達を探す為、願わくばその巣とも言える場所を突き止める為であった。

  今の楠葉が知る限り怪人達はおおむね夜行性でありできれば昼間の内に探し出したかったがそれは今の楠葉の感覚をもってしても容易ではなかった。

  変身してより鋭敏になった感覚をもってすれば……とも思われたが下手にあの姿が怪人以外の存在―それこそ他の登山客とか―に見つかる事は避けなければならない。

  万が一の為背負っているリュックには予備の衣装は入っているがそう言う事態はできれば避けたかった。

  変身した状態、あるいは変身を解いた状態で野山を駆け抜ける心地よさを楽しみたい気持ちも湧かない訳ではないが今の彼女にはいつ来るかわからない怪人達への警戒の方が最優先だった。

  そうしている間にも日はとっぷりと暮れ落ち辺りは夜の闇に覆われつつあった。

  それはこの森と山が人の領域をさらに離れ人ならざる者達の生息圏としての姿をより鮮明にしていく事を意味している。

  そして……ここに潜んでいるであろう怪人達にとっても。

  ふと走りを止めた楠葉は静かに辺りを見回す。

  暗く、静かな夜の闇に包まれている森。

  風一つ、草木や動物が動く気配さえ感じさせない。

  その瞳にも、その耳にも、そしてその肌にもその気配を感じさせないほど静かな空間。

  楠葉はその光景にしばし緊張と警戒を高める。

  その警戒が一瞬ゆるんだ瞬間―一瞬だった。

  「あっ……」

  花粉か、鱗粉か、はたまた胞子か。

  不意に体が痺れるのを感じた楠葉はそのまま意識を失った。

  その成果を見つめ彼女をそのまま引きずろうとする異形の影さえ感じられないまま……。

  [newpage]

  (ん……んん……。)

  楠葉の意識が戻ったのはそれからどれだけ時間が経ったあとだろうか。

  暗い。ひたすら暗い。

  夜の闇の中なのだろうか。それとも洞窟か建物の中だろうか。

  それすら感知できない。

  そもそも体自体が未だに動かせない。

  あの粉の影響だろうか。

  ただ確かなのは自分がどこかに連れ込まれていると言う事、そしてそれが―

  あの怪人達の巣だと言う事である。

  そう感じさせるのはその耳、その肌に響いてくる異形の気配の動く感触。

  たった二回の邂業ではあったがその独特の気配は忘れる事はできない。

  決して少なくない数の気配がうごめいている。

  それとは別に幾つかの気配が感じられる。

  大なり小なりの気配が自分と同じ様に横たわっている。

  人間なのか、他の動物なのかはわからないが今の自分と同じ様に身動きを取れない状態になっているのは確かだ。

  自分が意識と感覚だけは目ざめているのはやはり宝玉の力なのだろうか。

  少なくとも今の自分が置かれている状況だけは把握する事はできる。そしてそれはある恐るべき可能性を楠葉に示す事になるのだが。

  (まさかここって……そしてわたし達は……!)

  日中あちこちで耳にした数々の噂。

  今それらの噂が一つに絡み合ってしまった。

  そう―今自分達がいるのは怪人達の……「餌場」なのだ、と。

  そしてその可能性は形になろうとしていた。

  幾つかの異形の気配が「餌場」に近づいてくる。

  楠葉は動かない体をこわばらせながらただ身構えている。

  そんな楠葉からある程度離れた場所で異形の気配が別の気配を引き上げるとそのままガブリと噛みつく。

  引き上げられた気配は噛みつかれた直後あっけなく消滅するまで一切の抵抗もおびえもなく異形の気配のなすがままになっていた。

  人間か、他の動物かはわからないが一つ、また一つなすすべもなく気配が消えていく。

  (……!)

  楠葉の中に恐怖、それ以上の感情が渦巻いていた。

  自分の間近で命が奪われている。

  次は自分がそうなるに違いない。

  しかし今の自分になすすべがない。只身動きの取れないまま命を奪われ消えてしまうのか。

  始めて怪人と遭遇した時体を噛みつかれ命を奪われかけた記憶。

  激しい消耗感と飢餓感に襲われ怪人を食らった時のあの思い出したくもない異様な記憶。

  それらもより強く蘇る。

  (いや……ダメ……やめて……)

  うつろな瞳で、動かない口で楠葉はそう叫ぶ。

  その体はいつの間にか異形の気配―怪人の一体に引き上げられその牙にかけられようとしていた。

  何もできないまま楠葉は叫ぶ。叫び続ける。そして……!

  「―させないっ!」

  突如動かせる様になった口からその言葉が放たれた瞬間、楠葉はその両手を思い切り突き出した。

  その手に下あごを取られ怪人は思いきりのけぞりながら宙を舞い倒れる。

  各々の獲物を食らおうとしていた他の怪人達もその光景に気を取られ獲物となりかけていた人間や動物達を放してしまう。

  「させない……これ以上は……させないっ!」

  まだしびれの残る体をゆっくりと起こしながら楠葉は立ち上がる。

  ふらり、ふらりと揺れ動きながらもその足は少しずつ力を満たしながら地面を踏む。

  静かに顔を上げればその瞳にも少しずつ光が戻っているのが見える。

  多少やつれたように見えるその姿は一見無様にも恐ろしくも見えるがその中から満ちるものは力強く、そして美しかった。

  その気迫に押されたのか怪人達はただおののきながら楠葉を取り囲んでいる。

  今の楠葉をいたずらに論破するのは決して難しくはないだろう。

  怪人達がそうするように自分達も他の生命を脅かし、奪って生きているのは事実である。

  その行為や楠葉が得た力云々について下手に理論や理屈を並べだしたらおそらく切りは無い。

  それでなくとも命に関わる道を選ぼうとする彼女にとってその辺りの命題はきっと避けては通れない道かも知れない。

  ただ今確実に言える事。

  それは―「今はその時ではない」と言う事だ―!

  「―変身―っ!」

  ランニングウェアの中、ヘソの辺りから宝玉が浮かぶのを感じながらそこに手をかざすと楠葉は力を解き放つ言葉を紡いだ。

  宝玉が光を放ちその力が全身を駆け巡る。

  「……うっ」

  その衝撃に軽く声を上げのけぞりかけるのをしっかりと足を踏みとどめてこらえる。

  しかしその衝撃と吹き出すエネルギーに耐えられず楠葉のランニングウェアはヘソの辺りから破れ散り散りになっていく。

  その隙間からかすかに見えていた下着やソックス、シューズなども容赦なく吹き飛ばしながら楠葉の裸身が洞窟の闇、かすかに入り込む光に浮かび上がる。

  一枚の絵画さえ思わせる様なその美しい光景に見入る間もなくその素肌は緑から黒に染まりながら硬く、強い外骨格へと変わっていく。

  素肌の中に満ちる筋肉が、神経が、骨格がしなりながらその外骨格を支える為の気管へと変わっていく。

  精気を取り戻し見開かれたその瞳が紅く染まりながら人の瞳から異形の目に変わり、顔全体も人から異形―バッタに近い姿へと変わる。

  可愛らしい鼻筋と口元は引き込みながらバッタを思わせるアゴに、形の良い耳とショートカットの髪が埋もれ消えると入れ替わりに一対の触覚が額から伸びる。

  “ふう……うぅ……”

  肉体が変化していく力の波を全身で受け止めながら楠葉はその瞳で、その触覚と気管の全てで全てを見回す。

  守るべき命、戦うべき相手、そして戦おうとしている場所を……。

  そして全ては終わり楠葉の姿は守り戦う為の姿―黒いバッタ女へと変わり終えた。

  只呆然とその光景を見ているだけだった怪人達もようやく我に返ったか、楠葉の周りをうごめきながら取り囲む。

  それらを感じ取りながら楠葉は静かに変身の構えから両手を前に出す戦いの構えに移る。

  さすがに相手は多い、戦いきれるかどうかもわからない。

  しかし―今はやるしかない。

  そして楠葉はその両脚に力を込めると怪人達の群れにその身を飛び込ませた。

  [newpage]

  “えぇーいっ!”

  可愛らしいかけ声とは裏腹に猛然としたぶちかましに巻き込まれ少なくない怪人達が壁に、地面に叩き付けられる。

  その反動を振り払う間もなく立ち上がると迫ってくる別の怪人達に飛びかかり拳を叩き込む。

  拳を直接受けた怪人は急所をえぐられたのかその場で燃え尽き、巻き込まれた怪人達も拳の勢いを受け壁に叩き付けられる。

  “きゃっ!”

  大柄の怪人が不意に背後から襲い掛かると豪腕で全身を締め付けにかかる。

  外骨格越しとは言え全身がミチミチと震え強引に締め付けられていく。

  “うっ……くっ……”

  苦しみながらもなんとか手を動かし締めつけている怪人の手を掴み思い切り爪を立てる!

  手を貫かれた苦痛にうめいた拍子に怪人の拘束が緩んだ。

  それと同時に戒めから抜け出した楠葉はかなり強引に怪人の腰を掴むと……。

  “やぁぁぁぁーっ!”

  渾身の力で投げ飛ばされたその巨体がその軌道上にいた数体の怪人達を押しつぶし燃え尽きさせる。

  しかし、巨体を投げ飛ばしたあとさすがに体勢を立て直しきれなかった楠葉の体が別の怪人に押し倒される。

  楠葉の体を仰向けで押さえ込み両腕で楠葉の両肩を押さえ込むとそのまま上半身を反らし首筋めがけて噛みつこうとする。

  必死で抜け出そうとした楠葉は辛くも怪人の両腕から肩をすり抜けさせた勢いで怪人の頭を掴むと体ごと地面に叩き付ける。

  攻守逆転となった姿勢のまま楠葉は両手を頭上で組みハンマーの要領で怪人に叩き込む。

  地面でもがいていた怪人はなすすべもなくその一撃で砕かれ燃え尽きる。

  ふと顔を上げると別の怪人達が餌場―未だ動くどころか意識さえままならない命が横たわる場所に向かっている。

  人質にでも取るつもりか、それともその命を食らう事で力を付けようと言うのか。

  “させない!”

  楠葉はその場にあった石を掴むと怪人めがけて何度も投げつける。

  黒いバッタ女の姿がもたらす力の影響か、投げつけた石は容赦なく怪人達を砕き燃え尽きさせる。

  砕かれなかった怪人達も餌場に向かう足を止め岩が飛んできた方向に目を向けてしまう。

  その視界の先に全力で飛び込んでくる黒いバッタ女の足が入る事も知らず……。

  戦いは壮絶の一言だった。

  まったく戦いには不慣れなはずの楠葉がたった一人で怪人達の群れを餌場から引き離せたのは奇跡と言ってもおかしくは無い。

  ただひたすらに、ただがむしゃらに怪人達に飛びかかり、突き飛ばし、投げ飛ばす。

  宝玉によって与えられた力か、引き出された闘争本能か、楠葉自身の思いゆえか。

  答えはどれでもありどれでも無いかも知れない。

  只確実なのは楠葉は今「バッタ怪人の姿をした人間」として戦っていると言う事である―。

  しかし、やはり一対多の戦いは決して楽なものでは無い。

  鋭い爪が、牙が、ハサミが、嘴が容赦なく楠葉を襲う。

  それを必死に飛び上がり、身をそらし、時には身をかがめながらかわしつつ腕を取っては投げ、足を蹴りつけ、頭に掌底を打ち込み、体ごと突っ込んでいく。

  黒い外骨格にはいつの間にか大小さまざまな傷が走っているがそれにかまう間もなく楠葉は戦い続ける。

  そんな中一瞬腰に巻き付いたものをつかもうとした楠葉の腕が滑る。

  “えっ?”

  その瞬間、楠葉の体に激しい電流が注ぎ込まれる。

  楠葉に巻き付いたのは生体発電能力を持っているらしい怪人の体の一部だった。

  いかに強化されているとは言え生命体である以上この攻撃がもたらすダメージは筆舌に尽くしがたい。

  黒い外骨格の中でその生体組織が蒸し焼けるまで果たしてその体がもつのか。

  さらに恐るべき事に楠葉の目の前で植物を模した怪人が大きくその体を広げ何かを放とうとしている。

  紛れもなく自分を麻痺状態にした毒粉はあの怪人が放ったものだ。

  電撃に苦しみながらも楠葉はその光景を捕らえている。

  “なんとか……しないと―!”

  苦しみながらも楠葉はその右腕を掲げ手刀を作ると電流を流していた怪人の体をたたき切る。

  その反動で発電が一瞬逆流したのか苦しみもがく怪人に目もくれる事無く楠葉は電撃のダメージの残る体を振り絞り飛び上がると植物型怪人めがけてキックを放つ。

  しかし―。

  [newpage]

  その攻撃は軽く身をそらした植物型怪人に難なくかわされてしまう。

  植物型怪人はその異形の顔で一瞬にやりと笑うと楠葉めがけて毒粉を吹きかけようとする。

  その毒粉の充填が極限まで達し放たれようとしたその瞬間―植物型怪人は見えなかった。

  黒いバッタ女の顔ゆえ表に出る事こそ無かったがキックをかわされたはずの楠葉の顔に驚きと失望の色が無かったと言う事に。

  そしてそのまま植物型怪人は思いきり楠葉に体を捕まれると電撃を放っていた怪人めがけて投げ飛ばされる。

  激突と同時に電撃が毒粉を焼き尽くし怪人達を切り刻むその場所を楠葉のキックが貫いた。

  “はぁ……はぁ……はぁ……”

  さすがに激しすぎる連戦に体が応えているのか楠葉も変身こそ解けてはいないが体中で息をしている。

  ようやく呼吸が整いかけたその時、突然その体が思い切りはね飛ばされる!

  “きゃあっ!”

  激しく岩盤に叩き付けられる楠葉。

  生身、いや、他の怪人でも間違いなく命を失っていたであろうその一撃を受けなんとか身を起こせたのもまた彼女の得た力と姿の産物なのだろうか。

  よろよろと身を起こし辛くも身構えた楠葉の目に入ったのはこの巣の主か、それともようやく現れた用心棒なのか。

  堅牢な表皮と剛胆な四肢を持つ大型怪人の姿だった。

  悠然とそびえ立つその巨躯を前に楠葉は一瞬恐れおののく。

  しかし、ここで逃げる事はできない。

  もしここで逃げたら今までやってきた事が無駄になる。

  今の自分の持つ力の意味が不意になる。

  時が過ぎればこの無念も悔やみつつも冷静に振り返り背負い向き合うべき業として理解する事もあるだろう。

  だが―「今はその時ではない」のだ。今やるべき事、それは……。

  楠葉は軽くかぶりを振ると怪人に突っ込み必死に拳を、足を叩き込む。

  怪人の胸に、腹に拳が打ち込まれ、足に、頭に蹴りが入る。

  その全てを怪人はただ黙ってその表皮で受け止める。

  懐に飛び込もうとすればその巨体からは信じられない身軽さでそれを軽くかわす。

  楠葉を試しているのか、それともあざ笑っているのか。その顔は何も示さない。

  “やっ!はっ!えいっ!”

  それでも楠葉はひたすらに打ち込む。その一撃一撃が怪人に届く事を信じて。

  一撃一撃を打ち込む度に楠葉の疲労度は増し反動によるダメージも響いてくる。

  しかし、その意識は少しずつ研ぎ澄まされていく。無駄な動きをそぎ落としより精密に、より確実に一撃を打ち込める動きを見出そうとするかの様に。

  状況が動いたのは今まで楠葉の攻撃を受け続けていた怪人がついにその腕を振り上げ楠葉に襲い掛かった瞬間であった。

  遊びは終わりと言うのか、自分の目に叶う存在だったか否か。

  それを知る術はないがついに怪人の腕が楠葉を捕らえようと襲い掛かる。

  “!”

  楠葉の感覚がそれを捉えた時、その体は怪人の攻撃を紙一重でかわし宙に舞っていた。

  確実にその体をえぐり尽くすはずの一撃をかわされ拳が地面にめり込む様に驚く怪人。

  その隙を突くように勢いよくキックを叩き込む!

  急所をとらえた一撃。しかし、その表皮がよほど頑丈なのかはたまた怪人の生命力が異常なのか。

  はたまた楠葉の力がそこまで至らないのか。

  怪人は微動だにせず楠葉をその両腕で挟みつぶそうと叩き付ける。

  しかし、怪人の両腕が迫る衝撃が襲う瞬間楠葉はキックの反動で再び宙に舞うと洞窟の天井部を蹴りつけさらにその反動で洞窟の壁を蹴った勢いで怪人に再びキックを打ち込む。

  怪人がリアクションを起こす前に楠葉は再び宙に舞い壁を蹴りながらパンチを、キックを繰り出していく。

  意識しているのか、それとも研ぎ澄まされすぎて一時的に意識が空の状態になっているゆえの無意識の反応か。

  それでも楠葉は確実に怪人に一撃を当てていく。

  その度に怪人はたじろぎ、ひるみ、揺り動かされていく。

  どれだけそれが繰り返されたのだろう。

  しびれを切らした怪人がついに楠葉めがけてその両腕を突きの構えにして飛びかかる。

  楠葉もまた天井を蹴った反動にこれまで重ねてきた全ての勢いをその足に乗せたキックを放つ。

  両者は空中で激突し……身を崩したのは怪人の方だった。

  怪人の突きをかろうじてかわした楠葉のキックが怪人の急所をとらえるとそのまま壁に突き刺さる。

  怪人は壁に叩き込まれるとついに燃え尽きていった……。

  そこでようやく楠葉はこの場所での戦いが終わった事を感じ取った。

  しかし、楠葉の「戦い」はまだ終わってはいない。

  その後、楠葉は周辺に怪人の気配が無い事を確かめながら夜を徹して餌場に放り込まれていた者達をそれぞれのあるべき場所に担いで運びまくり続けた。

  [newpage]

  そして楠葉が変身した姿のまま人知れず別荘に戻ったのはようやく朝が白み始めた頃だった。

  “ふぅ……さすがに……疲れちゃった……かな……”

  肩にかけていたリュックが地面にずれ落ちるほど脱力し玄関にもたれかけてしまう。

  思わずヘソの辺りに手をかざした瞬間宝玉が光を放つ。

  視界の色と形が一瞬変化し、そして再び見慣れた普段の視界へと変わる中で楠葉は自分の体が黒い外骨格から緑のそれへ、そして柔らかい素肌へと変わっていくのを感じていた。

  変化が終わり乙女の素肌が朝の空気に包まれる心地よさに満たされる内に楠葉の中に激しいまでの疲労感が吹き出してくる。

  「……は、はは……ちょっと……お休みしなくちゃ……ね……」

  軽く苦笑いしながらも楠葉は裸のままでリュックを手に取ると玄関をくぐる。

  そして軽くシャワーを浴び湯船に浸かった所で……丸一日眠りについていたと言う。

  そんな光景を静かに見つめる異形―怪人の姿があった。

  あの戦いで逃げ延びたのだろうか、それともまた別の勢力か。

  自分達と同じ様な姿から変異したその存在を冷徹に、しかし確実に見定めていたその怪人はその場を静かに立ち去ろうときびすを返す。

  そして―燃え尽きた。

  “……”

  燃え尽きた怪人の代わりにまた新たな瞳がそこを見つめる。

  監視するような、見守るようなその瞳が意味するものは何なのか。

  湯船の中でまどろむ楠葉がそれに気づく事はなかった……。

  数日後。

  一通りの荷物を持ちながら楠葉は別荘を後にした。

  ふと立ち寄った商店などで行方不明になっていた人達が全員ではないが無事保護されたと言う会話を聞き安堵しながらも、

  「―今度はもう少しゆっくり過ごしたいけど……ううん、絶対過ごす!」

  いつになく強い心持ちで楠葉は一人つぶやいた。

  そんな楠葉を遠くから見つめる瞳があった事もまた今の楠葉には知るよしも無かった……。

  第二部後編・了