灰色のむこうがわ 11 そのに

  サルビアが撃たれてしまった。フリッドを[[rb:庇 > かば]]庇い、肩口に一発。

  「なんで」

  フリッドがそう聞いても、サルビアは答えない。力なく床に伏せ、時折うなされてはいれど、一向に目を覚ます気配すらない。

  どうしてこうなってしまったのだろう。罪悪感に胸を押しつぶされそうになりながら、フリッドは先程までのことを思い返す。

  サルビアが撃たれた、その直後。どういうわけかモモンガ獣人は拳銃を落とし、取り乱し始めた。

  あれだけ気が狂ったように笑っていたのに、一体どうしたというのだろう。『こんなはずじゃない』としきりに呟き、しまいには頭を抱えてしゃがみこんでしまった。

  暫くその様子を静観していたフリッドだったが、あとから駆け付けてきた彼女の夫が[[rb:一喝 > いっかつ]]。サルビアを背負い、その場から逃亡する運びとなった。

  「なんで」

  おぶって逃げる最中も、フリッドは疑問をぶつけていた。血が流れ、徐々に体温が奪われていく彼女。老いてしわの多い顔だけれど、それでも暖かな微笑みを浮かべていた彼女。

  そんな彼女は、今死にゆこうといている。他ならない、フリッドのせいで。

  彼女の夫である老人は、フリッドを酷く責めた。

  「貴様のせいで!」と。

  

  「貴様がほっつき歩いていたからだ、この阿呆め!」

  「……はい」

  「どいつもこいつも、まるで危機感がない。狙われているんだぞ、私達は!」

  「…………はい」

  申し開きすらなかった。耳を伏せうなだれながら、ただ老人の罵声を黙って聞き入れる。それだけが、フリッドに唯一許された行為だった。

  見回りをすると、勝手に二人の元を離れたのはフリッドだ。帰って来なくていいといったのは老人の方で、そこを責めるのはお門違いだったとしても。

  あのモモンガがフリッドを撃ったのも、上手く説得ができなかったから。もっと上手くやれていたら、こんなことにはならなかったはずで。

  それもこれも、全部。自分が招いた惨事だ。

  「コイツもコイツだ。他人を助けようとするからこうなるのだ、愚か者め」

  「さ、サルビアさんは悪く──」

  「黙れ愚図が!!」

  老人の怒声が一際大きくなる。先程まで同じように走っていたのに、彼は疲れというものをまったく感じさせない。

  サルビアのことまで酷く言う必要ないじゃないか。そう、フリッドは思う。彼女は彼女の考えがあった。本意がどうであれ、その行動は尊いもののはずで、罵られていいものではない。

  けど。その行動が褒められたものかと言えば、違う。凶弾に倒れ、今にも息を引き取りそうなくらい、弱っている。

  「何故助けようとした……こんな、取るに足らない男なんぞ……」

  そう言って、老人は横たわるサルビアの傍に座り込んだ。未だ起き上がることのない彼女の手を握り、どうしてと繰り返し[[rb:囁 > ささや]]きながら額を近づける。互いの指にはめられた鈍色のリングが、寂しさを紛らわすように重なって。それがなんとも、いたたまれなくて。

  直視するのが、辛い。そう感じたフリッドは、たまらず目を背ける。その空間からいなくなりたくなって、そっと気づかれることのないよう離れる。

  苦痛だった。老人の沈黙も、起き上がらないサルビアも。

  フリッドは壁に拳を打ち付け、自身の無力さを嘆く。こうなったのは自分のせいだ。けれど、現状役に立つことは何一つできそうにない。

  「……どうしたら」

  こういうときなにかしてあげられたら、この苦しみが解消されるのだろう。少しでも、悲しみを癒せるのだろう。けれど悲しきかな、そういう時に限ってフリッドは何もできないのだ。

  足手まといなのも、取るに足りない存在なのも理解している。一人ではとても生きていけない。こんなセカイで誰かの力を借りるなんて難しいことだ。

  バケモノに手を貸してくれる存在なんて、そんな都合の良いもの。果たして──

  「……いや。アイツ、なら」

  いた。一人、何でも良さそうな男が。

  

  「あの山羊獣人なら」

  そうだ、ゴードンとかいう、あの獣人なら。ヒトを救うのが使命だという彼なら、あるいは。

  「アー……呼びました?」

  「なんでいんだ」

  噂をすればなんとやら。ゴードンが物陰からヌルリと[[rb:這 > は]]這い出てくる。いつもは胡散臭く絡んでくる彼だが、なぜだか気まずそうだ。

  なんでここに。普段から意図しない遭遇をしているが、これにはフリッドもドン引きだ。噂をしたにしろ、その後にポンと出会ってしまうのはいくら何でも不気味でしかない。容姿も相まっていよいよ不審人物に磨きがかかっている。

  「それはアレですヨ。困ったヒトの声を受信したノデ」

  「いやさっき『用事があるんでした』とかいっていなくなったじゃん」

  「……つけてませんヨ?」

  「アヤシイ」

  「ホント偶然ですって。むしろワタシの方が疑いたいくらいデスよ。折角ノ隠れ蓑デシタのニ」

  これからどうしましょうか。わざとらしくヤレヤレとジェスチャーを交えゴードンはボヤく。

  かくれみの、という言葉にフリッドはピンとこなかったが、ここに来ることが用事だったのだろうか。だけとそれもフリッド達のせいで台無しになったみたいだ。

  けれど、これはかえってフリッドには好都合。あまり気が進むものではないが、彼ならもしかしたら。

  「なあ、ちょっとお願いが──」

  :::

  「ハーイ施術終了」

  包帯を巻き終え、ゴードンがくたびれたように倒れながら報告する。終始緊張しながら見守っていたフリッドだったが、それを聞くとほっと胸をなでおろす。

  サルビアの身体には銃弾が残っていた。体のつくりというのは不思議なもので、異物が体内に入り込むと発熱するようにできている。サルビアがうなされていたのはそれが原因で、取り出さなければこのまま衰弱死するところだった。

  「お前、サルビアは」

  「まあ無事でしょう。最低限のことは尽くしましたし」

  良かったデスねえハハハ。そんな祝いの台詞はレッサーパンダの老人の耳には届かなかった。ただひたすら「良かった」と涙ぐみながら呟き、妻の無事を喜んでいる。

  もう少し感謝してくれてもいいでしょうに。そう不満を口にしようとしたゴードンだったが、そんな様子の老人を見てしまうと水を差すものでもないかと諦めた。

  彼にとって己の称賛など[[rb:些末 > さまつ]]なもの。求めているのはヒトが救われたという結果、それだけ。

  目の前の老女が助かったのは己の実力などではない。これらはすべて薬のお蔭だ。薬が効いたからこそ、銃弾の摘出が容易におこなえたのだ。

  彼女はどんな幸福を見ているのだろう。安らかに眠るサルビアに、ゴードンは生温かなまなざしを向ける。それはきっと現世では体験できないものだろう。誰もがうらやむ、最高の救済なはずだ。

  ゴードンは誰にも悟られぬよう、口角を吊り上げる。

  嗚呼、やはり薬は偉大だ。薬こそが、ヒトを救いへと導いてくれる。

  「あの、」

  「どうしました同士」

  「ありがと、な。サルビアさん、助けてくれて」

  ゴードンが薬の効きに気を良くしていると、フリッドがおずおずと感謝の意を伝えてくる。

  

  「なーに、当然のことをしたまでデス」

  「当然じゃねーよ。俺、なにもしてやれなかったから」

  それはそうだろう。ヒトなんて基本無力なもの。彼はまだ愚かなことに、ヒトは助け合えるという夢想を抱いているのだろう。

  この世に救えるものなんてない。そんな単純なことにまだ気づかないとは。ゴードンはそんなフリッドのことが可愛そうでならない。

  「……」

  「どうしました? 黙り込んじゃって」

  「アンタのこと……よくわからなくなった。殺しはいいことだって言うくせに、ヒトを助ける。その、気持ちが」

  「いや殺し良くないですが?」

  ゴードンは殺しを容認しているのではない。あくまで、救いを求める環境を容認している。

  ヒトは救われなければいけない。殺しは救いではなく、ヒトを苦しませる行為。クスリこそが唯一自己の理想を叶えてくれる。救いを、もたらしてくれる。その先に死が待ち構えていようと、理想が叶うなら、それが救いとなる。

  死はなにももたらさない。クスリは救いをもたらす。こんな単純なことを解ってくれないとは。

  「ワタシのことはクスリを飲めば解りますヨ。ササ、レッツ服薬!」

  「いや飲まないから」

  「うーんいけずぅ」

  フリッドはゴードンのことを理解できないといっていたが、それはゴードンからしても同じだ。

  この虎は明確に苦しんでいる。なのに救われたいと一度も願っていない。救いこそヒトにもたらされるべき慈悲で、その手段はずっと彼の手中にあるというのに。

  興味がある。救いを求めないその精神が。屈強でもなんでもない、むしろこのセカイに適合できていなさそうな彼が、どうして救いを拒むのか。

  「フフフ」

  「うわ気持ち悪」

  「辛辣ですねぇ。でもそこがいい」

  「やっぱお前謎すぎる」

  きっとそれを知るのは近い。そんな確信めいた予感に、ゴードンは不敵にほくそ笑んだ。

  :::

  ではそんな一方。ゴードンのおかしな[[rb:執着 > しゅうちゃく]]に付きまとわれているフリッドに話を戻すと。

  「よかった……ホントに」

  ゴードンの施術中、フリッドは生きた心地がしなかった。

  老人と対面させ、治療をさせてもらえるよう説得するのも大変だった。けど心配だったのはそこではない。ゴードンが治療に失敗するんじゃないかと危惧していた。

  『ワタシ、外科手術とか専門外なんデスガ』

  サルビアを見てもらった直後に言い放たれたゴードンの言葉にフリッドは戦慄[[rb:戦慄 > せんりつ]]した。

  なんでだ。薬は万能だとか言ってたくせに、サルビアのことは治せないのか。

  やれるだけやりますが、なんて無責任に治療を開始する彼に、人選を誤ってしまったのではないかとフリッドは内心肝が冷える思いだった。まあ、それは[[rb:杞憂 > きゆう]]に終わったのだが。

  「暫くは目を覚ますこともないでショウ。イヤハヤ、ご高齢だと言うのによく生き延びていらっしゃったこと」

  そんなゴードンの感想などどうでもよかった。生きていてくれる。それだけで、フリッドにとっては嬉しいことだ。

  『生きてて、よかった』

  (……ん? なんか、いま)

  既視感。デジャヴュ。なぜだろうか、前にもこんな気持ちになった気が。

  いつの出来事だったろうか。自分ならまだしも、誰かが死にかけたことなんて。

  「ところで。寄っていってあげないんデスか」

  

  思い出しそうになったものが霧散していく。なにか、掴めそうな気がしたのに。

  まあ思い出せないものは仕方がない。ただの気のせいだったのだろうと、フリッドは結論付けることにした。

  「えと、俺は……その、必要ない、だろうし」

  「おや。たしかアノ方、庇って頂いたとおっしゃいまセンでしタ?」

  「……まあ」

  行けることならフリッドだって近寄りたかった。あの老人のように、手を握って喜びを噛み締めたかった。

  けどその権利は自身に相応しくない。どんな顔をして、サルビアに寄って行けばいいだろうか。彼女を傷つけたのは、他ならない自分なのに。

  「冷たいですネ~。まあワタシには関係アリませんガ」

  そんなフリッドのことなど興味なさげに、ゴードンは荷物を纏めていく。どうやらこの場を離れる気でいるらしかった。

  冷たい、だろうか。何気ないその一言がフリッドの胸にチクリと刺さる。

  死に目にあったのは自分のせい。償えないのならば、せめて距離を置くべきだ。これ以上傷つかないように。傷つけることがないように。

  冷たい。優しくしてくれたのに、それから自分は逃げようとしている。

  何も返さないまま。感謝もしないまま。

  「辛けれバ頼りなさい、クスリに。楽に、なれマスヨ」

  そうフリッドにアドバイスを送ると、ゴードンは用が済んだといなくなってしまった。

  場に居心地の悪さが戻って来る。ただそこにいるだけなのに、それが許されない。そんな得体も知らない苦しみが。

  サルビア達の方へと目を向ける。老人はまだ、サルビアの手を撫で続けている。

  (……顔、ちゃんと見たい)

  心配する資格がない。何の後悔も抱かず傍によるなんて、そんな図太い神経をフリッドは持ち合わせていない。けどやっぱり、許されるなら顔を見た上で、無事だったと安堵したい。

  一歩、フリッドが足を踏み出した。心臓がドグリと恐怖を全身へと流していく。

  怖い。怖くてしかたない。きっと近寄って行けば、あの老人に怒鳴られる。罵詈雑言を浴びせてくる。

  でも。それでも。

  「あ、の」意を決しフリッドが口を開く。

  喉がひりついて、声がかすれてしまう。今にも逃げ出したい。顔をそらしてしまいたい。

  けど、それが冷たいというのなら。そういう自分で、いたくない。

  「……なんだ」

  「サルビアさん、どう、ですか」

  「見ればわかるだろう。目がついてないのか貴様」

  「ごめん、なさい」

  フリッドの予想に反し、コチラに目もくれぬまま、老人は淡々と言葉を紡ぐ。開口一番で近寄るなと言われそうだったのに、意外な反応だった。

  視線を横へ向ける。治療のお陰だろうか、サルビアの顔は穏やかだった。顔色というものがフリッドにはわからないが、少なくとも悪くは感じられない。

  「よかった……無事で」

  改めてフリッドはそう思う。このまま死んでいたら申し訳が立たないところだった。いくら死んだところで許されない業を背負うところだった。

  せめて起き上がって感謝を告げたいところだが、今はこれで十分。命を繋ぎ止められたなら、続きがある。

  だから、今は。

  昏々と眠るサルビア。

  早く良くなってほしい。そう、フリッドは静かに祈った。

  [newpage]

  そして日が暮れ、銃撃が止んだ頃。

  パチリと音を立て、火が燃えている。乾いた資材をかき集め、フリッドがつけたものだ。

  狼に教わったときは必要ないと思っていた火の付け方。それがまさかこんな所で役に立つとは。初めて役に立てそうな実感に、フリッドはほんの少しだけ気を持ち直す。

  けど、喜ぶのはまだ早い。サルビアの身体を、できる限り温めなければ。

  体温が異様に下がったままでいると、ヒトは死ぬらしい。その時間、実に約三時間。空腹やのどの渇きよりも最も早く、ヒトは死に至る。

  フリッドには無縁の話だが、けれどサルビアを死なせる訳にはいかない。厳しい指南だったが、狼に色々と教えてもらったことに今は感謝したい。

  かき集めた衣類をサルビアにかけ、出来るだけ暖を取れるよう火に近寄せる。血を流したせいだろうか、フリッドが彼女に触れたとき、大分冷たく感じた。

  手を握ってくれたときは、もっと温かかった。これじゃあまるで、サルビアがサルビアでなくなっていくみたいだ。そう思うと、フリッドは居ても立っても居られなくなる。

  このまま冷たくなって、あの笑顔を見ることができないんじゃないか、と。

  「サルビアさん……」

  呼びかけてもやっぱり反応はない。こうして温めることで、少しでもマシになるだろうか。

  誰かが死にそうになる瞬間が、これほど恐ろしいものだとは。フリッドはそんなこと、思いもしなかった。自分なら何度も死んで構わないと思っていた。こんな命、使い物にすらならないからと。

  「……なにをやっている」

  「あ、えと……」

  そうこうしていると、外の様子を伺っていた老人が近づいてくる。気がつけばいなくなっている彼だが、流石に妻が負傷していれば心配なのだろう、ずっと視認できる範囲で留まっている。

  なんて反応すればいいだろう。少しだけ、ほんの気持ち程度慣れてきたような気はするが、やっぱりこの対面するだけで押しつぶされそうになる感覚は居心地が悪くなる。

  「か、身体を、温めようと」

  「……フン」

  素直に返事を返せば、老人は不機嫌そうに鼻を鳴らす。また嫌味を吐くのかとフリッドは身構えるが、ただそれきり。そのまましゃがみこんでサルビアの背中をさする、ただそれだけだった。

  そんな老人の様子に、フリッドは面食らってしまう。なんというか、すごく大人しい。まるで別人みたいだ。とにかく、様子がいつもと違う。

  サルビアが負傷したのをそこまで気に病んでいるのだろうか。いつも顔を見合わせては口喧嘩、邪険にすら扱っていたのに。こういった態度を取られると、フリッドとしてはいささか気味が悪く感じられる。

  ……かといって、いつもの傲慢さを取り戻して欲しい訳でもないが。

  「あ、の」

  「なんだ」

  「なんで、サルビアさんと……一緒にいるんですか」

  いつだったかサルビアに聞いたことを、老人にも聞いてみる。正直、答えてくれるとは思っていない。だが、それでもフリッドは聞かずにいられなかった。

  純粋に疑問だった。サルビアにとって、この老人といるのは、あくまで幸せのため。幸せでいたいから側にいる、そう言っていた。

  ならばこの老人はどうなのだろう。サルビアを鬱陶しそうに扱いながらも側に置く、この老人はなにを思っているのだろう。やはり幸せのために、傍に置いているのだろうか。

  フリッドが聞いた直後、老人はあからさまに顔を歪める。一体コイツはなにを聞いているのか、といった様子で。

  「貴様には関係ない」

  「でも……あまり側にいたくないみたい、だし」

  「俺はこの女の夫だ。コイツが無事だからって言い気になるなよ若造」

  「俺はそんなつもりじゃ……ただ、一緒にいて、辛そうだったから」

  やはり、老人は答えてくれそうにはない。自ら離れる、といったこともなさそうだ。

  二人の間に沈黙が流れる。吐き出す吐息すら、聞かれてしまいそうなくらい、静まり返っている。

  関係がないのは確かだ。フリッドが口をはさむのはおかしいコト。狼と交わした[[rb:誓約 > せいやく]]のように、互いに干渉してはならないのだろう。それが互いのためなのだろう。

  それでも納得できない。互いのためを思うなら、距離をとる方が自然じゃないかと。共にいるよりも、そうした方が傷つけあわずに済むんじゃないか。

  「……お前は、コイツに笑ってほしいか」不意に、老人が質問してきた。急に聞かれたフリッドは、質問の意図が分からず、首を傾げながらも答える。

  「そりゃあ、そう、です」

  「だからだ」

  「はい?」

  「この女は俺が選んだ女だ。互いに側にいることを誓い、自ら夫となることを選んだ。

  ……お前みたいな若造には分からんだろうな」

  サルビアの頬を、老人は撫でる。傷つけあっているにもかかわらず、彼のその手つきは繊細だ。大切にしているからこそできる、思い人に向けられる行為そのもの。

  撫でながら老人が浮かべる表情に、フリッドはふと懐かしさを感じる。悲しい、そう例えるには変な感情。リッツが稀に見せてきたものに、似ている気がする。

  炎に照らされ、チカリと光るドッグタグをフリッドは握りしめる。

  苦しい。それを思い出す度に、向けられる度に、胸が苦しくなる。何もしていないのに、悲しませてしまった気分になる。

  その苦しみを訴えれば、きっと傷つけてしまうだろう。だからこらえてしまう。苦しいとわかっていても、我慢してしまう。

  「俺はな、大切なんだ。この女のことが。

  [[rb:陳腐 > ちんぷ]]な言葉で片付けたくはない。言葉を尽くして飾り付けたくもない。

  ……けど、コイツの命は。コイツの命だけは、護りたい」

  「……まも、る」

  「離れたい? ふざけるなよ小童。

  俺がいなくなったら誰がコイツを護るんだ。俺がいなくなったら、誰がコイツを助けるんだ。

  離れたいなんて言えるやつはソイツがどうなってもいいってことだ。いなくなってしまえば死に目にすら合わないだろうからな」

  老人の目に、いつもの鋭さが宿る。燃ゆる炎のような、そんな瞳が。

  誰かを護りたい。そんなこと、フリッドは一度だってなかった。死んでほしくない、悲しんで欲しくないと思うことは何度もあれど、ずっと守られてばかり。側にいなければ、という焦燥に駆られたことなんて、これっぽっちも。

  「いないだろ、貴様には。命をかけてでも、例え死んだとしても護りたい。そんな者なんて」

  「そんな、こと」

  「お前の命は軽すぎる。他人のことなんてどうなってもいい。そんな軽薄な男だ」

  もしもそんな感情を抱けたなら。リッツは、今も一緒にいてくれたのだろうか。狼の側に、いられたろうか。

  答えは出てこない。けど、不死者だからと他者を見捨てていたのはきっとそうだ。死んでも守りたい。それくらいの理由がないから、失ってしまった。

  ずきり、フリッドの胸が脈動する。きっとその痛みは受けるべき罰なのだろう。

  そんな気が、フリッドにはした。

  [newpage]

  肉食動物は狩りに加減をしない。例え同族だろうと容赦しない。影に潜み、息を殺し、そして相手の何もかもを奪い尽くす。それは彼らが生き残るために必要なことだからだ。

  次に肉にありつける保証はない。もしかしたらここで終わるかもしれない。己の欲が全て満たされるような、そんな楽園なんてない。

  だから彼らは全力で狩りをする。彼らにとって殺しは罪ではない。命を繋ぐための、明日を手に入れるための、戦いだ。

  「……ったく、これだから新兵は生温い」

  鰐獣人ガレッツォがそう吐き捨てた。片手にもつライフルのスコープで、獲物の様子を確認しながら。

  「[[rb:見敵必殺 > サーチアンドデストロイ]]。お前さ、見逃してただで済むなんて、思ってたのか?」

  「っ!」

  ガレッツォ背後で物陰が揺らぐ。モモンガ獣人、ラッシィだ。

  

  「アタマ切り替えらんねーかな、オメーはよお。殺す、つったら殺す。言ったら絶対にヤらなきゃいけない。もしや言葉使えない人種ですかー?」

  「ち、違」

  反論しようと口を開く彼に、ガレッツォの拳銃が火を噴く。見向きもされず撃たれたそれは、ラッシィの耳を見事に撃ち抜いて見せた。

  小気味よく床を叩く[[rb:薬莢 > やっきょう]]。それと同時に叫ぶラッシィ。

  痛い、痛い、イタイ。耳を押さえつけひたすら泣き叫ぶ彼のその姿は、さながら頭の悪い子供のよう。その大きな瞳をこれでもかと大きくかっぴらき、ぼろぼろと涙の粒をこぼしている。

  「黙れ」そんなラッシィをあやす代わりにガレッツォはもう一発、今度はもう片方の耳を撃ち抜いてみせた。

  「アホらし」

  ますます酷くなった騒音に、ガレッツォは退屈そうに欠伸を欠く。そんなことをしても助けなど来ないというのに、まったく律儀なことだ。学習する脳みそがきっと退化しているのだろう、お可哀想に。

  出来の悪い部下を引っ提げて狩りにでるのはこれだから嫌だ。大分聞き飽きたラッシィの[[rb:癇癪 > かんしゃく]]に目もくれないまま、ガレッツォはスコープの向こうの──狩りこぼした獲物を観察する。

  ラッシィは成果も挙げずに戻ってきた。標的の命を奪えないまま、不様な体たらくで。

  狩りに失敗したものに生きている資格などない。狩りに情を持ち込むなど、甘ったらしいにもほどがある。言い訳など聞くに能わず。

  ガレッツォがこうして生かしているのは、あくまで軍としての規律だから。そうでなければは腹いせに粛清している。マンハントは遊びではないのだ。

  (あー、くっっだらねえ。なんで見逃したりするんだか。ヒト一人ブッ殺すのなんてワケねーだろが)

  それでも言い訳としてグダグダと管を巻くラッシィの主張によると、なんでも対象が庇われたから、らしい。

  なんともふざせた言い訳だと、ガレッツォは思う。庇われたからどうだというのだ。それならそいつごと消してしまえば良いだけの話。それだけで戦意を[[rb:喪失 > そうしつ]]するなんて、やはり使い物にならない。

  

  「あー、ホントカス。そこいらのガキだっておつかい上手にできるってのに、お前それ以下かよ。大の大人であるお前が」

  「うっ、グッ、ぅう゛」

  「オマケに情けなくベソかいてまあ。親御さんに面向けできんのかね、そんなんで」

  ガレッツォは子供が嫌いだ。弱い、我儘、オマケに泣きじゃくる。そのクセ人一倍夢見がちで、現実というものをまるで見ていない。見栄っ張りで傲慢な、害悪そのもの。

  だから、尻拭いをする羽目になってしまう。一丁前な態度をとるならせめて中身も伴ってほしいものだ。……それが叶わないのは重々承知している。その世知辛さを、彼は何度も経験しているのだから。

  「お前今度は留守番。次は俺が仕留める」

  未だ意味のないうわ言を垂れ流すラッシィにつばを吐き、ガレッツォは準備を始める。

  獲物は三体。うち一人は気を失っている。活きが悪いのは残念だが、その分たっぷりと楽しめそうだ。

  さあ、これからどう味わってやろうか。スコープ越しに覗き見た彼らを、どう喰らってやろう。

  これから始まる狩りに、ガレッツォはニタリ、笑みを深めた。