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光なき途 10

  墨色の枝葉を潜り抜け開けた高台には木造の小屋が一つ建っている。祖父に建ててもらったその小屋は質素な造りでも僕の立派なラボ。電気もエアコンも使えるしフィールドワークの拠点になっている。

  「しっかし秘密基地が残ってるなんてな」

  「今では僕のラボとして現役だよ、星の動きを記録するなら観測地点を動かしてはいけないからね」

  そうだ、寝虎を招きいれた当時は秘密基地として案内していたっけ。母屋よりこっちで過ごしている時間が長かったから。

  「これって、前来た時は部屋にあったよね」

  色温度の低い白熱灯に照らされた茶褐色の手で指す先は部屋の一角を占領していた望遠鏡。可能な限り宙に近いところに置いてやらなければ町明かりに邪魔されてしまう。部屋から覗くには遮蔽物が多く押し入れに入れると取り出せなくなるのが目に見えてる。

  「バスーカみたいだって言っていたけれど、これより性能の良い望遠鏡は持っていないし夏は天体観測するには良い季節だから」

  「前来た時って、高校生になってからいつ一狼の家に来たんだ?」

  ホント、妙に鋭いところがあるな。普段の寝虎は寝虎なのに。

  「それより早く室内に入りなよ、蚊に刺されるしその荷物も降ろした方がいいだろう」

  「それもそうか」

  寝虎が提げてるトートバッグを見ると、今夜泊まるって理解しているのかと疑問に思う。対照的に鷲己のリュックサックはパンパンでその小さい体で背負っているのも大変じゃないのか。先導している時も心配で何度か振り返っていた。

  「時間も時間だし、夜通しの観測になるから先にお風呂入っていつでも眠れるようにしようか。着替えだけ持って母屋に行こう」

  「それなら先に着替えだけ母屋に置いてこれば良かったんじゃないか」

  あ、と口を突いて出る耳をペタンと倒れるのが分かる。

  「鷲己~一狼が尻尾振ってここまで来てたの後ろでずっと見ていただろ。研究とか観察になると周りが見えなくなるのは今まででも経験済みじゃんか」

  重い、肩に手を回す縞模様の腕。半袖で被毛が露出したこのクセになるネコ科の被毛が振りほどくタイミングを見逃させる。もう一方の腕で肩に手を回された鷲己も満更でもない様子で、部屋の隅を見、碧い羽角をぴくぴくと動かす。

  「仕方のない奴らだな!用意するから待て」

  リュックサックから出てくるお菓子にジュースと飛行機の抱き枕。着替え一式を取り出し振り返る。

  「待たせたな。ってなんだ二人してその顔は」

  「いや、何でもないさ。なぁ寝虎」

  張子の虎のように頷く寝虎、いや虎だったな。

  「用意周到で大変宜しいと思います」

  言い切るや否やメッセンジャーバッグを肩に掛けて母屋に向かう寝虎の尻尾が叢に消えるのにあまり時間が掛からなかったのは言うまでもない。

  「鷲己、なんだそのパンツ」

  あぁデジャヴ。観測に使う時間を長く取りたくてポンポン脱いでいたら例のキャラクターもののトランクスが行く先を塞ぐ。

  「しょうがないじゃないか、パンツ買うくらいなら本でも買った方がいい。そう言って寝虎のパンツは、ボクサーか」

  プールの時はあまり観察できなかったけれどシンプルな無地のボクサーパンツに乗っかるネコ科特有の明瞭な起伏を感じさせる体。運動部に所属しているわけでもないのに重いベースを持ち歩き演奏していたらこうなるのだろうか。

  「ほら、二人とも遊んでいないでお風呂入ろ。二十一時過ぎて夜はまだこれからだけど星を観るには目を馴らすのに時間は幾らあっても良いから」

  最後のボクサーパンツを脱ぎ洗濯機に入れて浴室の扉を開く。二人の目が僕の貧相な体を見るけど気にしない。

  「やっぱおっきい」

  「だな」

  僕にとってはシャワー浴びれたらそれでいいけど、この地域でもそれなりに大きい家らしく二人くらいは足を伸ばして入れる石造りの浴槽にシャワーが三組。昔は浴槽に浸かっていたけれど面倒が勝つ。

  「お風呂もおっきいね」

  入ってきた鷲己が掛け湯に体を洗って、白い泡に包まれて全身真っ白になるとシャワーの湯で暴いてみたい欲求に駆られる。

  遅れて入ってきた寝虎は前を押さえて歩幅を小さく最奥のシャワーヘッドの前に座る。虎の縞模様が内側の白い被毛を包み隠し隆々とした肉体は地に根差す木のようだ。

  「体も洗い終わったし湯船入るね」

  寝虎を見ていたら眼前を通りトプンと肩まで浸かる鷲己に、僕も久々に湯船を使おうかと立ち上がる。三人でお風呂入る事なんてあまり無いけど。

  「え……」

  声の元__鷲己の目線の先を追うと寝虎の股間。視界一面を覆う湯煙でさっきまでよく見えなかったけれどそこにあるものを形容するとすれば『芽』。カメノテかフジツボとかイソギンチャクのようにも見える、海洋生物に偏ったのはその形状や浴室故にそう紐付いたのかもしれないが湯船の中に生えて揺れていても変哲無さそうだ。

  日頃見慣れたイヌ科のそれとは形態が異なるその芽は、水を含み重たげに張り付くネコ科の白い房に沈み込み先端だけ桃色に色づきそこに”在る”。きっと日常生活でも僕の大きな尻尾とは違った苦労があるのだろうクリームパンのようにふかふかの大きな手では制御も難しそうだし、それに適した”オトナ”の必需品も寝虎の性格からして一人で買うにも苦労しそうだ。

  太々しくもブラブラさせた尻尾に対比させるには不釣り合いなその矮小さたるや。図鑑で見たままだけど高校生になってまで生育が遅れているとは貴重なケースかも知れない。可能であれば正確なデータを採取するために各種計測器を用いてノートに記録し検証してみたいところだけれども、虎というネコ科でも体格に優れる種である以上やはり外れ値なのか。玲音さんに聞けば寝虎の成長日記も付けているだろうし敢えて現実を伝えていないのかだとかも知ることが出来るかもしれない、遺伝なのか種族としてそうなのかという事も。先の鷲己とは違う方向に尖った暴きたい欲求と勢いのないその芽は少々ユーモラスにも見え、哀れみをも覚える。

  「な、なんだよぅ」

  顔を真っ赤にして大きな手で必死に隠そうとする寝虎。

  「小学生から変わってないんじゃないか。生育が進んでいるのは芽以外か」

  「芽だし水をやり続ければ育つのかな」

  大きな目に涙を貯めて今にも零れそうなままに小さな芽を引き連れて。

  「俺、先に上がってるから!」

  叫んで浴室の扉を閉める。

  「弄りすぎたかなぁ」

  「芽だけに?刺激を与えて生育を促進させる方法もあったはずだけれど。僕の思い違いかな」

  気になったら放っておけない。浴室の扉を開けて服を着るとろくに被毛を乾かさないままに自室で本を漁ろうと廊下に出た。

  「それで、あれから一時間部屋に籠っていたと」

  「面目ない」

  「もうだいぶ眠いけど天体観測するんだろ」

  追加の資料を手にラボに戻ってくると布団でゴロゴロする二人が居た。パジャマ姿の鷲己は飛行機の抱き枕の上に乗り、うつぶせにラボに置きっぱなしにしていた本を捲り。さっきと見かけは変わらない半袖短パンという寝虎は自分の縞尻尾を追いかけてゴロゴロと喉を鳴らしている。手元にスマホがある事から誰かとやり取りしていたのかな、そして目の端で揺れる尻尾が気になってこうなったと。

  静かに扉を開けて入ろうとしたのに抱えてきた資料を取り落し、音で気付いた二人と目が合い見る見るうちに赤面する数瞬前の光景。

  「今晩はペルセウス座流星群の極大日だから。一等星が多いのは冬だけれど夏には夏の星があって夏の大三角くらいは知っているだろう」

  床に資料を置き望遠鏡を抱えると戸外に広げたレジャーシートへ移動する。連日の観測で決めた定位置に望遠鏡を設置し手早く各部を調整。

  「目が暗さに慣れるまで三十分以上は掛かるんだからこっちに来なよ。僕は極軸合わせてるから」

  レジャーシートに近づく気配がする、硬質な足音から鷲己か。

  「天体観測って何するんだ」

  「単純に星を観るだけ、必要とあらばノートとかに記録するけど。腕時計に星の早見表や双眼鏡とか。コンパスも欲しいよね」

  「わかった、持ってくる」

  今のところ問題なし、鏡筒は空を見張っている。

  「一狼は方向音痴だからな」

  「記録には時刻と方角が必要だからだよ。星座の配置は決まっているけれど方角は宙に書かれてないし、明度の低い星を一つ一つ把握するより楽だろう」

  「それにしてもどう使うんだ、これ」

  興味津々と言わんばかりに輝く寝虎の目はファインダーに近づき、耳と吐息が頬を掠める。

  「導入は僕がやるから、君が知っている星でも探したらどうだ」

  納得したのかドサっと寝転がる寝虎にほっと一息つく、無意識なのか距離が近い。もったいない事をしているかもしれないがこの望遠鏡も大切だし、精密機器なので。一通り調整終了したところで鷲己が戻って、川の字に寝転がって頭上に広がる星空を眺めた。

  「狼座はこの時間だと沈んでしまったけど鷲座はすぐに見つかるね」

  集まる時間が遅かったから、そもそも夏は陽が沈むにも時間が掛かって観測できる時間があまりにも短い。

  「鷲座ってどこ?」

  鷲己の手に持つ早見表と星空を指差し教える。

  「アルタイルとか彦星の方が分かりやすいか、あの一等星。天の川挟んで琴座のベガと十字に伸びる白鳥座で夏の大三角さ」

  星空では主役格なのに……いや今は二人との時間を大切にしよう。

  「月は明るいから星を観察する時は目を逸らした方が良いよ」

  「夏の大三角から離れたあの明るいのは何?」

  「あれは金星だね。一番星は大体金星の事、星座を構成する恒星と違って太陽の光を反射させている惑星さ」

  双眼鏡覗く寝虎からの問いに続けて。

  「段々と全体が見えてきただろう。原子論の言うところなら僕たちもあの光っている星の欠片、いやかつて光っていたものの成れの果てさ」

  「やけにロマンチストだな」

  「科学者ほど夢を見るものだ。かつて無かった物を作るだけで無く実験して検証するのだから。可能性を突き詰めて行かねば何も得られないさ」

  目が慣れてきたと一人立ち上がり、ファインダーを覗く。ふらり立ち眩んで鏡筒を握り振り回して見えた遠い世界。

  市役所に併設された図書館、青い花火に白い伴星が付いているからシリウスを模したものか。増改築を繰り返したかのように無駄に大きな一軒家に、あの水族館はいつか水に沈んだはずだけど。場末のバーは新鉱物が見つかった産地じゃなかったかな。

  「大丈夫か」

  上体を支える大きな手は寝虎か。頷いて応える。

  「流星群を観測するには根気がいるから、先に惑星を観られるように導入するね」

  さっきので極軸から調整し直しになった。どの惑星が良いか規模の大きな衛星と大赤斑の木星かリングを持つ土星か。はたまたダイヤモンドの雨降る海王星か。

  「どの天体が観たい」

  「あー、木星とか?」

  困ったように漏らす応えに僕も反省。無駄に大きな尻尾が落ち着かないのは種族上の問題だから仕方ない。木星は何度観測しても分かりやすく面白い惑星で、四つのガリレオ衛星以外にも小さな衛星を持ち縞模様の大きな惑星。

  「ほら、木星を導入したぞ」

  「これがさっき読んだガリレオ衛星なんだな、思ったよりちっちゃい」

  そりゃ地球からの距離を考えれば拡大してもと言うのは野暮だ。

  「そろそろ、流星群に移行しようか。長期戦になるから寝転がって楽な姿勢であのあたりを見つめるんだ」

  北東の空、M字に並ぶカシオペア座の下ペルセウス座付近の流星群だからペルセウス座流星群。他の安定して観測できる流星群の中でも気温の心配がないから観測しやすい。

  暫くしてチラチラと終わりかけの線香花火に似た糸が走る。

  「あれが流れ星?」

  「流星群って言うほど分かりにくい物なんだな」

  口々に零す感想もよくわかる。

  「そうだよ僕も初めて流星群を観測した時は拍子抜けしたもんだ」

  ぼんやりと駄弁って見上げる星海は地べたを撫でる風に波の打つ。暗がりで表情が見えないから普段は気恥ずかしくて言えなかったあれやこれ。高校入学からの出来事に卒業までにしたい事、ぽつりぽつりと誰から言うでもなく話す。

  「静かになったと思ったら、室内で寝なよ」

  隣を見ると寝息を立てる二人。腕時計を見て一時ってまだまだ浅い時間なのに慣れていないと眠くなる時間なんだなきっと眠くなったら雑魚寝になるんだろうと敷布団を敷いておいてよかった。二人に肩を貸して室内まで運ぶと大汗かいて敷布団まで引っ張る。うつぶせになると同時にいびきをかく寝虎は掛け布団を蹴飛ばすことを把握済み。

  「ここで寝ていいのか」

  飛行機の抱き枕を抱えて目をこする鷲己は敷布団に座り込んで、限界が近いようで手を引いて寝虎の隣に案内してタオルケットを掛けてやる。

  二人の寝息を後にレジャーシートに座り眺める星たちは近くに見えても遠いのだろう。恒星間の距離なんて一つ一つ覚えていられるわけでもない。星座はただそこに居たからで腐れ縁もただそこに居たからこれからの途が異なるのは解っている、星を追うほどに離れていくのも。ついと尾を引く流れ星「願わくば、二人と離れたくない」きっと誰も聞いていない願い。

  欠伸を抑えきれず腕時計を見ると三時。星を眺めていると永遠に思える長い時間でも時間当たり十五度ずつ動くからちゃんと時間は経っている。

  そして部屋に戻ると寝虎の抱き枕になっている鷲己。そうなるんだ。鷲己のふさふさ羽毛が寝虎のお気に入りなのか抱きつき癖がそうさせたのか、胎児型に飛行機を巻き込み一回り小さくなった鷲己を抱きしめて寝ている寝虎。右腕で腕枕に鷲己ご自慢の羽毛をよだれまみれにしてきっと起きたら一騒動あるのだろう。

  太ももに挟んだ縞尻尾を引っ張り、左腕を解放。細く滑らかな手触りのネコ科被毛と中材は筋肉質で高反発、その高機能枕に頭を載せて寝転がっても尻尾は落ち着かない。一つ点いた蛍光灯はこのちぐはぐな組み合わせを照らし見てどう切り取るだろう、

  尻尾を抱き寄せて横向きにいつの間にか大きくなっていた虎獣人の手ぷっくり盛り上がった肉球を指先でつんと押して沈む。弾性を持ったハードグミみたいなそれはマットな質感、撫でると意外にざらざらと硬く角質化して__親指以外が硬くなっている。

  「つまり、後天的な指タコ。部位からしてベース弦かな」

  高校入学の数日前に急にベース始めると言い出して科学部室にサボってばかりだったのに、僕の知らないだけで練習していたんだ。

  感傷に浸る静かな夜は星海の波に押しやられ過ぎて行った。

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