Ad
長い耳を向けて担任の連絡事項を神妙に聞いている振りをし、薄く黄み掛かった空を窓から眺めている。授業が終わって重要な連絡事項が無いのなら早く解放して欲しいけれど。
「以上で、HRを終える。用がない者は寄り道などせぬように」
お小言が出てくるかと思うと決まり切った台詞で締められ廊下に出て行った。終わるや否や立ち上がり我先に教室から出ようとする群れを眺め、騒ぎが収まるまで席で待っていようかと肘を突いていると近くから上がる甲高い声。
「やっと終わったー!」
授業中ほとんど寝ていたのに体感時間は長いのか呑気に言ってしまうのはフェレットの笛田。
「まあ、面倒な授業多かったしそうなのかな」
テキトーに相槌を打ち、通学鞄にノートや筆箱などを仕舞ってから向き直る。休憩時間を活用して逆立たせていたアホ毛も机に突っ伏して眠っていたからか、昼休みからは考えられない方向へ進化を遂げていた。
向こうのお二人さんが近すぎるから気づいたら同じ中学だったコイツと一緒に居る事が多いんだよな。一回り以上背が低くて落ち着きのない奴だけど悪くない友人?庇護心をくすぐるあれやこれが要因か。
「よお、坂井今日はこれからどうするよ」
大体は部活があるからとか言ってオレと部活に行くのが通例。だけど部活は無いしどう出るか。
「今日は寒川と予定あるから俺、早めに出るわ」
周りの目を気にすることなく公言する坂井を横に赤面させる寒川。
「そっか、残念だな。じゃあまた明日な」
うつむきがちにずんずん歩いて行く寒川を追い教室を出る坂井を見送って、気づけば教室に残されたのはオレたち二人と日直のみとなっている。
「そうだ渡山!前貸して貰ってたマンガの最新巻の発売日今日だったみたいなんだけど付き合ってくんない?先月はバイト多めに入ってたからなんか奢るし」
上目づかいで見られると特に予定もないから応えてしまいたくなる。
「しょうがないな」
「じゃ、近くのショッピングモールまで直行!」
崩れたアホ毛はそのままに尻尾振って出て行く小さな背中を見ていると頬が緩む。
「ほら、早く」
「その崩れたアホ毛でか?」
ピクリと体を震わせて胸ポケットから手鏡を取り出して見ると
「誰がこんな事を」「居眠りしていたんだから笛田でしょ」
図星をさされて眉をつり上げ
「ツレションしよっか」
「まあ良いけど」
廊下を歩き、何は無くとも話をしたがるコイツの調子に乗せられているのは事実だけど悪くはない。
かくして等間隔に並んだ小便器を前に笛田以外居るワケでもないのに一番奥に陣取る。一種の刷り込みというべきか見られてもそう気にするわけではないけれど隠すために設けられていそうでその実役に立たなさそうなパーテーションを信用できないのでそうしているまで。
「それでさ~バ先のおばちゃんが毎回なんかジュースとかお菓子とか奢ってくれてさ~」
何のためらいもなくすぐ隣のブースにすり寄ってくる笛田に前言撤回したくなる衝動に駆られる。溢れ出したらすぐ止められない諸般の奔流にキリをつける事も出来ないし。
今、言ったとて状況が変わるワケでもないからさりげなく収まりつかない分身を掌で隠し様子を窺おうと見下ろす視線。身長に比例した……いや、特別そういう趣味があるじゃないけど気にはなる。何の気なしにじゃれあうあの二人を連想してしまうけれどこの暴走気味なちみっこを抑えるこっちの身にもなって欲しいもの。
後ろ程もっこりはしていないモノを片付けて手を洗い、鏡に映るアホ毛を見ていれば笛田みたく整えてやった方が邪魔にならないのかな。
「おっと~!渡山もおしゃれに目覚めてきたカンジ?」
「いや、そんな事は__」
「わかるって、おれも最初は悩んでたもん。おれのくし捌きで印象変えてやるしそのまま待っとけ!」
なされるがまま、とはこの事だろうね。伸びてきたら切るくらいに留めていたのに通学鞄から取り出したワックスをもみ込みそそり立たせたソレは
「角?」
「似合ってるぜ!さすがおれ」
何事もなかったかのように自分のアホ毛にも手を加え整える。溜め息一つ吐いてふと湧いた疑問を口にする。
「笛田。手、洗った?」
くしを持ったまま「あ」と分かりやすく固まる笛田、掠れた口笛をわざとらしく吹いて撫でつけ終えると。
「じゃ、行こうか」
と、いつもより早足に昇降口へ歩く笛田。背が低い分歩幅も狭いからすぐ追いつけるけど、どうしたもんかなと濡れた手で笛田特製の角を弄り「今月は節約しなきゃな」と独り言ちた。
***
ガラス扉を抜け目当ての本屋さんには行かないんだろうな。横並びに歩いていたのに急に駆け出して、予想通り。
中学生時代にも服を買いに行くだとかで呼び出されて付き合ってきたけど目当てを寄り道せずに遂行した試しなんて無い。
「渡山~!新商品だって」
入ってすぐの薬局の入り口で目を輝かせて振り返る、手に持ってる香水瓶は去年一緒に行ったときと同じ物のような気がするけど。
「これ前に坂井が言ってたやつじゃね?ちょっと持ってて」
「オレ、荷物持ちに来たわけじゃ無いんだけど……」
手渡された香水瓶をスマホで調べてやっぱり前買ってた銘柄。藍色の蔦が絡みついたようなデザインのそれは瓶のレリーフと香料の一部が変更になってリニューアルされているから新商品ね、よくあることだけど。
「『さむらい』、どんなニオイだろ試してみよ」
「ちょっと待てって、テスターあるからって__」これだけラインナップあってすべて試したら酷いことになるぞ。って言いたかったが遅かったか。首元に尻尾の先、手首とそれぞれ違った銘柄の『さむらい』を吹きかけたかと思いきや「『さむらいウーマン』?面白そうじゃん」と桃色の香水瓶までご自慢のアホ毛に……
いつものこと過ぎてあれだけど、テスト用の紙があるってのに身に着ける以外の選択肢が無いとかもうお手上げ。
「おれ、このラムネっぽいやつ買うわ」
取り残されたオレと手のひらに残された藍色の香水瓶。「…笛田とお揃い、いや戻すのが面倒なだけだし」レジでお金を払って鞄の奥底に埋める上書きされた記憶、薬局の外でオレに手を振るアイツは守らなければ。
「恥ずかしいからやめろって、本屋さん行くんだろ」
道に迷わない様にしているだけと細い手首を掴むとオレより高い体温が被毛を伝って流れ込む。
「えー、まだキャップとか見たかったのに」
「ワックス付けてるのにキャップまで被るのか」
あ、と口を開けて頬を染める。うつむきがちに歩くから本屋さんの道程は延びていくけど今の時間が少しくらい延びてしまっても良いようなそんな直感。
ようやく着いた花茂國屋書店はこの辺りの書店だと結構大きいから読書家でなくてもふらり訪れる場所。入り口には雑誌や話題書が並んでいて傍をネズミの親子が通り入っていった。
常に何かの催し物がされているイメージがあるけれど新刊出てこないことには来ないから何がどう変わったかなんてわかりもしないだろう。
「で、なんてタイトルなんだっけ」
「おれも忘れた」
分かりきっていた答えって楽だけどつまらないし
「表紙見たらなんとかなるかな」前途多難だけど本のタイトルよりも絵の方が覚えやすいのは、そう。
出版社毎に本棚が別れていたとしても見つからない、なぜなら出版社も覚えていないから。背表紙だけで判別なんて出来ないしどうすんだよ、と言おうと隣を見て背丈以上に伸びた本棚から覗く毛先の割れたツートンカラーの大ぶり尻尾。
視線が自分に向いてないことを察したのか笛田もオレの視線を追ってブンブン振っているしっぽを標的に近づき__
「坂井じゃん、寒川との予定って本屋に行くことだったのかよ」
ふくよかなしっぽを握りビクッと肩を震わせる坂井の懐に入る。ツートンカラーの腕からドサッと取り落とされたゼク○ィにどう言い訳を作れば良いのか、心身共に発育が緩やかな笛田に説明するには複雑に入り乱れた思惑の糸。
何故ここに?と言わんばかりに垂れ耳を立ち上げ、床に落ちたゼク○ィを背中に隠す。
「笛田こそ意外だけど。それと、そのニオイきついしちょっと離れてくれ」
言い訳ともとれるその言葉におとなしくしっぽから手を放し「たまたま、ホントたまたまだって」と種族上長く伸びる尻尾で本棚のストッカーを叩き響く金属音。
「急にうるさくなったかと思えば……書店では静かにしろって」
やれやれとじゃれあう二人を宥めようと手を伸ばすと、本棚の陰からしびれを切らしたかのように耳の先まで紅く染めて顔を出したのは正妻もとい寒川。話には聞いていたけれど手で抱えるには多すぎたのか籠の中に詰まった『汀にて』『木酢』等と物々しいタイトルとそれを感じさせる無骨な体裁。同級生に比べてはまだ本を読むオレでも躊躇ってしまうそれらを日頃から読んでいるとしたら、同じ学校での生活も違って見えるのかな。
「あっち何があるか気になんなー」
一人感心していたのに茶々を入れるいつものちみっこが濛々とニオイを巻き上げ早足に。
「はぐれたら大変だし……坂井、どっち行ったか分かるか」
「このニオイ後で寒か__さむらいで上書きしなきゃキツイけど奥の方から続いているから何とかなる」
色々ギリギリな発言と共に動き出す坂井を先頭に寒川、オレと続く。
背を向けて歩きだすと籠から覗く強烈な違和感に近づいて、華々しい表紙の「またゼ〇シィかよ……」前言撤回、揺れる籠と老婆心。背を追う背を偶然に装って押してやりたくなる。
「これって」
短いマズルを押さえて真っ赤に茹で上がった寒川を横に、だんだんと理解してきたか静かになる坂井。様々な種族そして体型の二人組が見つめたり頬を染めていたりする__
「やっときた!BL?って何の本かわかんないから読もうとしたらフィルムで閉じられていてさ」
耽美もの、ボーイズラブとかなんとか。高校生ともなればさほど関心が無くともなんとなく分かってしまうようなものでそれとは別に
「お待たせしました!ホホ、いつもお世話になってます~」
「いつもお世話になっている?」
首を傾げる笛田と目を見開く寒川を横目に「ああ、こちらこそよくお店に来させてもらって」とたどたどしく続ける。
言えない、隠れてBLを愛読しているなんて。特にまだ理解が追い付いていない笛田にこれ以上話すだなんて。
半年ほど前から働いている福間さんは丁寧だけど少しそそっかしくてこのタイミングは彼が天然だからだろう、悪気は無いからどうしたもんか。
「それで試し読みされる本はどれですか」
「うーん、よくわかんないけど『ツンデレ』?この犬と猫の表紙お願いします」
笛田が指差したのは平積みされた半裸の犬と猫が見つめあっている『ツンデレ彼氏はご褒美をくれないVol.6』人気シリーズ通称『ツンくれ』の最新巻しかもサイン本。見た感じ最後の一冊の様で通読しているファンとして手を伸ばしたくなるが。
「ホーかしこまりました、シュリンクを剥がすので少々お待ちを」
目前で行われるお宝本のやり取りに友人を取るかの葛藤、短い尻尾でなければきっと大変動揺している事が明らかになるだろう。フクロウのしなやかな羽毛に撫でられ剥がれそうで剥がれないシュリンクがオレの精神を留めてくれている。
「あーそれ俺が探している本だったわ。すまんな笛田」
白くふさふさした手が棒読み気味に取り上げて
「あっちに笛田の好きそうな漫画あったぞ」と指を差す。
「マジか~ちょっと行ってくる」
消えた笛田と残された中性的な甘い香りに包まれて、立ち尽くす四人。
「えーっと、他にお問い合わせはありますか」
「いや、特には無いので大丈夫です」
「ホホゥ、また御用があればお気軽にお声がけください」
カウンターへ歩く福間さんを見送っていると「坂井、目当てのもん探して来いよ」とうつむきがちに小説棚へ向かう寒川。
「笛田にはちょっと早すぎるしな、それとこの本欲しかったんだろ」
小脇に抱えていたゼク〇ィの陰からそっと手渡された『ツンくれ』を軽く礼を言ってカウンターへ持って行くと、いつもの野上さんが「こちらへどうぞ」と声を掛けてくれた。
「カバーはお掛けしますか」
「ぜひお願いします」
あまり言いづらい類の本だという事を理解しているようで花茂國屋書店の茶色を基調とした透けにくい紙のカバーを掛けて、こちらが小銭を探している間に紙袋に入れてくれた。穏やかで素朴な印象の野上さんは黒縁メガネの奥で本を愛おしそうに見つめ、そっと両手で手渡した。
「ありがとうございました!」
正面からは見えなかったけれどあの大きな尻尾をゆらゆらさせて満面の笑みで見送られるとまた何かの折に来たくなる。胸に抱いた紙袋も木のニオイが立ち昇っているようにも思える。通路の脇に据え付けられたソファへ腰を下ろし通学鞄に紙袋を移してついと視線は中空を向く。
あまり変わらないように思えるショッピングモール、連れだって来ていた当時の友人たちは高校進学で会わなくなって、何をしているのか。宛てのない想像にマズルに寄せた手、さっき握った手から揺らめく甘いニオイがあいつらの存在が呼び起こされた。
「……仕方ない、迎えに行くか」
来た道を振り返って書店へまた入ろうとすると奥からあいつらがちょうど出てきた。
「渡山!先に出てたんだな」
「それで、目当ての漫画は買えたのか」
「いやぁそれが坂井も持っている漫画だったらしくてさぁ、今日続き買ったから貸してもらうことにした。なんでも一巻を寒川から前にプレゼントされたんだって」
後ろで大きな紙袋抱えた二人が頬を染めているけど、こいつは気づいていないみたいだしそっと楽しんでおこう。
そんな会話の最中キュゥと鳴った腹の虫、しっぽの動きや耳まで真っ赤にしているから寒川だろうけど。
「あ、ハラ減ったな。寮までもたなそうだから喫茶店でも行こうか寒川」
「お、おう。て事でちょっとオレたち行ってくるから。また学校でな」
尻尾で坂井の太ももを撫でてコンタクトする様子に切羽詰まっているんだろうと口元が緩む。
「おれも行く!」
まあ、だろうね。無駄な抵抗と分かってか最寄りの喫茶店へ。
***
席に着くや始まる笛田のあれも食べたいこれも食べたい一人議論、オレは必要以上に食べる気はなかったからホットブレンドを先に注文して残りの三人を待っている。笛田によって逆さまになったメニューからケーキセットとナポリタンを注文する二人を眺めどうすれば面白くなるかとお冷に浮かぶ氷を舐める。
そして注文したものが届くまで流れる沈黙の時間。斜向かいの坂井は何か言いたげにもじもじしているし、寒川は用が済んだかのようにさっき買った『木酢』を読んでいる。
「あのさ、年末も近づいてきた事だし__」
「ブレンドでお待ちのお客様」
切り出された話題に割り込む声。手元に届いたホットブレンドを一口啜って坂井に返す。
「続けて?」
「いや、実家暮らしの渡山たちには関係のない事だからいいや」
再び流れる沈黙、喫茶店とは無闇にはしゃぐ場でもないからオレから話題を振る気も無くて気まずい気もするけれどこのわんこには我慢も学んでもらった方がいいかな。寒川に倣って手持ち無沙汰に買ったばかりの『ツンくれ』を開き目を落とす。
「おれ、オムライスにする」
ケーキセットとナポリタンが運ばれてきて同時に注文する笛田、入店してからかれこれ十分は経ってようやくか。なんては野暮な事言えないけど。
「それとそのブレンドはおれのおごりだから」
忘れていた約束事に「うん」とだけ応えてやって前を見ると、当然の如くケーキとナポリタンを半分にシェアしていて。この先、この組み合わせを見守っているだけで当分飽きる事は無いだろう。
ブラックのまま飲み進めて舌に苦みが染みついてきたし、ミルクと砂糖を入れて混ぜ合わせ浮かぶ縞模様を啜り「甘すぎたな……」
このコーヒーも空間も。
Ad