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丹青夏

  「夏っぽいことなんかあったっけ」

  帰省シーズンも過ぎて蒸し返す暑さの中突拍子も無く呟かれた一言。何の脈絡も無く俺の部屋に上がり込んだかと思えばしばらくしてコンビニまで連れてこられた。

  イートインスペースも無いような小さなコンビニ、最近のお気に入りなのか二人してバニラソフトクリームを手に店前の柵に腰掛けてショウマのうなじのようにしな垂れたソフトクリームを舐めとる。隣で同じく重心を預けて足をバタバタさせるショウマはタンクトップに短パン、毛色の端境に太ももがチラチラ見えてなんとも快楽主義で目のやり場に困る。

  「あ」

  引っかけていたサンダルが放物線を描いてアスファルトの上に転がる。駐車スペースは日光を吸収して熱くなる、額から流れ落ちた汗も落ちた途端にジュッと音立てて蜃気楼に呑まれていく。

  やれやれ、とひっくり返ったサンダルを従者さながら拾い上げてショウマに履かせようと屈むと短パンの隙間から覗く極彩色のパンツ。

  オレ、シッテル。この前体育の着替えでクラスメイトに勝負パンツ買ってきたと自慢していたシームレスパンツだ。腰に手を当てて見せびらかしていたけれど、ぴっちり張り付く布地で強調されても控えめなふくらみに哀れを感じる一方微笑ましくもあった。勝負パンツの意味分かっていて言ってるのかな。主張を強めていく分身に、これは立てないんじゃ無いのか?

  「シェパ?うずくまってどうした」

  「いや、何でも無いです」

  生理現象も俺の事情も知っているはずなのに、小首を傾げているその角度!普段から無精で見た目に気を遣わないのに無自覚に心拍数だけ上げていって自覚が無いとは罪が深い。

  はぁはぁとマズルから舌が飛び出て外気を舐める。サンダルをショウマに履かせようと捧げ持って見てしまう肉球は表面がガサガサと乾燥が進んでいることを踏まえると、俺が愛用しているクリームも一緒に塗ってあげたいけれど流石に日頃から持ち歩いていないしまた今度。

  粘り気のある白いクリームでマズルをベトベトにしたショウマ、もの欲しそうに舌を垂らしている様は何か事があった後にも見えて、落ち着けようとした理性を押しのけようとした瞬間。右手に塗れた白くも粘性を伴ったクリームの冷たさに意識が引き戻された。手の内から零れアスファルトに焼かれ散った白い花は甘い香りで誘おうとすれども、この前の記憶は忘れた方がお互いのためになる気がする。

  「てことで、プール行こうぜ」

  何でもなかったかの様に続けるショウマはどこまでも自由でどこまでも蠱惑的だ。身長に比例してあちこち小さなショウマの手で取り落さないか心配になってすらいたソフトクリームを、舐め取ってコーンに齧りついている。

  「海行っただろ」

  短く反論し、半ば溶けて原型を留めていないソフトクリームと格闘する俺。

  「きっと涼しいだろうな~プール」

  「こんな真夏のプールだったら茹っているだろうに」

  「そんなこと行ってみなきゃ判んないだろ~ぼーっとしてると置いていくぞシェパ」

  クリームだけでなくフレーク状になってしまったコーンの破片すらまぶされたそのマズルを、来た道に向けて歩き出したショウマを見て。手元に残った残滓をマズルに押し込んで唐突に突きつけられた冷気が、長く鬱陶しかった夏に終わりを告げたかのようで。長いまつげから落ちたひとしずくもひとしれず消えていくのだから、いつまでもこのままには行かないんだろうな。

  で、とうとう着いてしまった訳か。突発的に誘われて準備する時間も選ぶ時間も無かった結果、何年も前に行ったきりの市民プールは同じ考えを持った同輩に埋もれていた。

  「本当に入るつもりでいるのか」

  「たりめーだろ」

  ショウマにせっつかれて準備する時間も探す時間もあまり無かったことから近くの市民プールに。最低限の荷物を持って並ぶ入場待機列は日除けも無く暑い、じわりじわりと近づく入場口を眺めながらふとよぎった疑問を投げかける。

  「そういえばショウマ、ほとんど俺と遊んでいるけれど夏休みの課題は進んでいるのか」

  ビクリと跳ね上がったかと思いきや「あ、ああ進んでる?に決まってるじゃんか」目を逸らしてこちらをチラチラ見やっては「シェパ、もう入口だぞ!」わざとらしくはしゃいだ素振りで手を引き更衣室に引き込まれた。

  カラカラと音立て回る換気ファンが天井に張り付いて天窓から採光している、既に塩素の鼻腔を突くような臭いの帯が漂っていて固有の体臭を上書きし調子が崩れる。他なことに気を取られるまでも無く着替えている各々方を見ると観察しているこちらが異質に映るのは無理も無いだろうから注視しないように気を付けて……でも気になるのはお年頃だし仕方ない。学校で見るのは同年代だけで画面越しに見る年代の資料や小中学生などはこんな事でもなければ見る機会がないわけだし、目を瞑って歩くのは危ないから致し方ない。

  「この辺でよくね」

  気付けば入口からはだいぶ離れた所まで歩き進んでいてショウマに引き留められた。怪訝な顔をするショウマを見て「そ、そうだな」と慌てて空きロッカーを探して服に手を掛ける。襟付きのシャツを脱いでは畳み、既に上裸のショウマは見慣れているから後で見ればいいや。この前の海でも水着は先に穿いていたし怪しまれないように目先の着替えに徹しよう、Tシャツを脱いで「シェパ、百円」やれやれコインロッカーなんだから予め用意して……ふぇっ!

  「さっきから固まってばかりだけど調子悪いのか」

  「そんなことはないけれど…これ、百円な」

  すっかり着替え終わったショウマとロッカーの扉に吊るされた例の勝負パンツ、極彩色のさっきまで穿いていた脱ぎたてのそれが示す事実それは真横で一度全裸になっていた事。同級生の目を気にすることなく無彩色のジャングルに咲く極彩色の布地を堪能できた他、きっとボサボサになってしまっているであろう尻尾の付け根にあわよくば小ぶりな果実も妄想のタネになっただろうに。もといネタか。

  「じゃ、オレ着替え終わったし先行って__」

  背伸びしてロッカーを閉めようとし、宙を舞う極彩色のパンツは俺の鼻先を掠めて足元に落ちる。塩素の臭いが凪ぐ中投じられたショウマの体臭に落ち着くようで体の芯が瞬間沸騰するような錯覚に陥っても目前を通り抜けたものに反応してしまうのはイヌ科の性か、手を伸ばし拾おうとすると……

  「なんか光っている」

  「あーそれチッコウだっけか暗いところで光るやつなんだよ」

  蓄光塗料はわかったけれどショウマに手渡しながら素直に疑問を口にする。

  「なぜ光らせる必要があるんだよ」

  「面白いから?」

  パンツをロッカーに入れると一人ずかずかと出口へ向かって、取り残される俺。あっという間の出来事に上裸のまま突っ立って、ロッカーに向き直ると気付く屹立した愚息。そうか、臭いの記憶に反応したのか暴れん坊なソレを衆人環境の中可及的速やかに処理するかどうかして水着に着替え出口に向かわないとショウマから冷ややかな目で見られること必至。果たして日の目を見る事はあるのだろうか。

  「遅かったなシェパ」

  「すまない。いろいろ手間取って、遅れてしまった」

  更衣室で起きた事は墓まで持って行こう。一介の男子高校生には荷が重いものだから聞かれてもごまかすに限る。

  「シェパにしては珍しいけど、まぁいいか」

  入場した時間が悪かったのかスライダーも流れるプールも満員でショウマはさっきから手を噛んでぶつぶつ言っている。

  「どこも満員で仕方ないし空いている25mプールで泳ぐか」

  言ったきり後ろも見ずに走り出すのはいつもの癖で目新しくもないプールでも足が着くのは大きな利点。派手に水しぶきを立てて泳ぐショウマを楽しむと、学校の授業の要領で泳ごうにも体が沈む。手で水をかいても前に進むどころか真横の壁に頭をぶつけるといった惨状で足の着く水深と分かっていても底に足が着かず辛くも溺れそうになる。近くで波しぶきがトプンと立ったかと思うと俺の腕を掴む黒い影。

  「そうだった、カナヅチだったよな」

  学校で水泳を教えるのは水難事故を減らすためって聞いた覚えがあるけれど依然として泳げない俺の前で大仰に頷くショウマ。

  「オレが教えるから、ついて来いよ」

  それって教えると言っていいのか。などという言葉を発する前に再び水中に潜り込むショウマ、自棄になって腕を伸ばし水中に潜り込むと漠として通り抜ける感覚に、水を湛えて離さない程に密集した毛深い胸が恐怖に締め付けられて足搔く。水面に顔を出して馴染み深い大気に塩素がトッピングされた独特の臭気に噎せながらも深く吸い込む。

  「ぜんぜん追えて無いじゃんか」

  「だから泳げないんだって言って__」

  「今度は本気で来いよ」

  言っても聞かないのは今に始まった事でもないし意を決して手を伸ばす。今度は確かに何かを掴んだ感触に後方へと引きはがす。やっと得れた推進力に喜ぶのも束の間前に進んでいるつもりでも前は見えず、壁にぶつかり水面に顔を出すとさっきから腕に絡まって取れない何かを持ちあげて確認する。

  「シェパ!ちょ、それ返せよ」

  「え、ああ」

  水を湛えて重くなったそれはさっきまでショウマが穿いていた水着、ひったくるように奪い返された水着を水中で穿こうと悪戦苦闘するショウマ。

  「水で濡れてつっかえるんだけど。肩、貸せよ」

  屈折し輪郭があやふやになっているけれど、白と黒の無彩色に構成されたモザイクに覆われてすぐ近くにある秘部。動きたくても動けないそんな葛藤、決壊したのは鼻先から。生臭さを伴った赤い液体をトポトポと零し視界は段々と黄色く暗く沈んでいく。

  「よーやっと穿けた。って大丈夫かよ!」

  上半身だけやたらと鍛えられた被毛の多いイヌ科のお兄さんにプールサイドまで引き寄せられ、日陰でぐったりしているとざわめきも遠く聞こえる。そんな気がした。

  ようやく体調も落ち着いて、天頂に太陽が昇る頃。流れるプールに身を委ねショウマが流されている。その近くで飛び込みチーターの肩を掴むシベリアンハスキーの姿を見てその親密さや距離感の近さに同類の匂いを感じ、胸の中で拝む。いつか俺もショウマとあれくらいまで距離を詰められればいいのにな。

  「腹減ったし、売店でメシ食おうぜ。オレ、焼きそばとフランクフルトとソフトクリームに__」

  暫くして水面から上がってきたショウマが言う。

  「そんなに食べたらお腹こわすぞ」

  いいや、まだまだ時間は有るんだから。この純粋さを愛してきっといつか。

  頬を撫で去ったそよ風に有り余った感情を乗せて、一回り小さな君に微笑みかけた。

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