それは、風の穏やかな昼下がりのことだった。
夕陽邸の裏手にある古い蔵の掃除をすることになり、夕陽、銀郎、朱雀の三人はほこりに咳き込みながらも、黙々と作業を進めていた。
「父の収集物が入っていてな。……中は見ないほうがいい」
そう告げる夕陽の顔は、どこか遠い過去を思い出しているようだった。
亡き父――夕陽の語るところによれば、彼は超がつくほどのお人好しで、呪物や曰く付きの品を頼まれるままに引き受けては、丁寧に祓い、処理していたのだという。しかもその過程で「少し面白い」と思ってしまったらしく、コレクションとして保存していたとのことだった。
「その父にしてこの子あり、か……」
銀郎が小さく呟けば、朱雀も同意するように肩を竦めた。
そんな折――事件は、起きた。
「どわっ……!」
足を滑らせた朱雀が、手にしていた奇妙な玉手箱のような箱を、思わず放り投げてしまう。箱はカランと音を立てて床を転がり、紐がほどけ、蓋が――開いた。
次の瞬間、白煙が勢いよく噴き出す。蔵の中はたちまち真っ白に染まり、視界が奪われた。
「ちょっ、なんだこれ! 煙!? 呪いか!?」
咳き込む朱雀と銀郎は急いで蔵の外へ逃げ出した。風にあおられ、ようやく煙が引いてくる。
「……夕陽様?」
だが、そこにいるはずの夕陽の姿が、ない。
二人は顔を見合わせ、再び蔵の中を覗き込む。そして――目を疑った。
「……っ!?」
座り込んでいたのは、10歳ほどの子供――見間違えるはずもない。
夕陽、だった。
茶色みがかった髪はふわりと柔らかく、着ているのは見覚えのある、濃紺の和装。胸元がはだけ、肌がちらりと覗く。
「あれ……? お前たち、やけに大きくなっているな。いや、私が縮んだのか……?」
小さくなった夕陽が、自分の掌や腕を不思議そうに眺め、そっと指先で頬や髪を触れて確かめている。どこか他人の身体を借りているかのような、慎重な仕草だった。
一方、朱雀はその様子を見て、まるで雷に打たれたかのように目を見開いたまま固まり、やがて呆然とした声を漏らす。
「か……」
「それ以上は言うな」
朱雀が何かを口にしかけた瞬間、銀郎がすかさずその口を手で塞いだ。
「な、何すんだよ銀郎!」
「お前が今それを口にしたら、何かが戻れなくなる気がした」
夕陽はというと、そんな騒ぎをよそに、静かに立ち上がった。
「……これでは蔵の整理どころではないな」
丈の合わないぶかぶかの着物が肩から滑り落ちそうになり、素早く銀郎が手を伸ばして直す。
「……失礼します」
「ああ、すまない。このままでは埒が明かないな。確か――お前たちが子供の頃に着ていた物が、まだ箪笥に残っていたはずだ」
夕陽は一旦屋敷へ戻り、懐かしげに箪笥を漁る。それはかつて朱雀と銀郎が幼少期に着ていた、色褪せない可愛らしい和装だった。ほどなくして、身支度を整えた夕陽が戻ってくる。
その姿を見た瞬間、朱雀はごくりと喉を鳴らし、小刻みに震え始めた。
「うむ。これでいいだろう」
夕陽は全くの無自覚にそう呟く。
朱雀の体がプルプルと震えて止まらない。
「……どうした朱雀? 心配しなくても大丈夫だ。この手の呪いは、時間経過とともに自然に解けるはずだ」
そう言いながら、夕陽は朱雀のそばにしゃがみ込み、頭をそっと撫でた。
「…………」
「さて、祓い屋の元締めに報告でもしておこう。お前たちは、好きに過ごしていなさい」
小さな背中が机の前にちょこんと座り、筆を手に取るその姿は、もはや兵器。
「……銀郎」
「……なんだ」
「俺はもう、ダメかもしれない……」
朱雀は畳に倒れ込み、顔を隠して呻く。
「……性癖が歪む……」
「せっ、……バカ! そんな邪な目で年端もいかぬ夕陽様を見るな!」
「……夕陽様ならなんでもいい、まである……」
「ブレないなお前は……」
そのとき、ふと夕陽が机から顔を上げ、銀郎の方を振り返った。
「すまない、銀郎。少し手伝ってくれるか」
「はい。なんなりと」
「そこの棚の一番上に、……そうだな、白川神社から預かった護符の束があったはずなんだが、取ってくれるか?」
「こちらでしょうか」
銀郎が指差すが、夕陽は首を横に振る。
「いや、それではないな……もう少し奥の、白木の箱に入っていたはずだ」
「では、ご自身でご確認を? ……抱き上げましょうか?」
「頼む。あの高さでは手が届かない」
そう言った夕陽を、銀郎が迷いなく抱き上げる。その瞬間――
「……軽い……ですね」
思わずこぼれた感想に、夕陽がきょとんとした表情を浮かべる。
「……あった。これだ。すまないな」
小さな手が目的の箱をしっかりと抱え、子供の姿のまま、夕陽はきちんと頭を下げて礼を述べる。
「ありがとう」
その姿に、銀郎がゆらりと膝を折った。
「朱雀……すまなかった……。私ももうダメだ……。ここに私の墓を建ててくれ……」
「そこに俺も一緒に入れてくれ……」
二人そろって畳に突っ伏す様は、もはや笑いを通り越して哀れでさえあった。
「これでよし、と。――さて、茶でも淹れるかな」
ちょうどそのとき、ひょこりと朝影がやってきた。
夕陽を見るなり、思わず吹き出しそうになったのを堪えながら口を開く。
「うわ、どした、その姿。縮んでるぞ」
「蔵で父の遺品を整理してたら、こうなりました」
「なるほどねー。……いやぁ、懐かしいな、この感じ」
そう言いながら、朝影は屈み込み、ためらいもなく夕陽の頭をガシガシと撫で回す。
「……兄上、子供扱いはやめてください」
「いやでもこれは、なあ? 反応に困るというか、可愛すぎてなあ?」
続いて、朝影はくるりと銀妖二人へ振り返ると、声をひそめて警戒心をにじませる。
「お前たち……さすがに手ぇ出してないよな? 法に触れるようなことは、絶対するなよ?」
言われた銀郎と朱雀は、なぜか揃って視線を逸らした。
「…………」
「ちょっと心が揺れただけで、手は出してない……まだ」
「まだ!?」
「そもそも、元は大人だからセーフでは――」
「アウトだ!!」
朝影が思いきり突っ込むと同時に、夕陽が後ろからひょこりと顔を出す。
「何がアウトなんだ?」
「ひっ……!」
銀郎と朱雀が同時に肩を跳ねさせる。
「いいや、こっちの話だ。……っていうか、湯が沸いてるぞ」
「そうでした。ちょうど今、茶を淹れようとしていたところです。兄上も一服していきますか?」
「ああ、悪いな。せっかくだし、甘いもんでもつまみたい気分だ」
「夕陽様、それなら俺が!」
「そうか、なら頼む」
しばらくして、和室にはふんわりと緑茶の香りが広がっていた――はずなのだが。
夕陽の座卓に置かれた湯呑には、鮮やかな黄金色の柚子蜜水。そしてその隣には、何やら妙に可愛らしい切り分けカステラ。
「……いや。私も緑茶で良かったのだが。むしろ、これは朱雀の好物じゃないか……?」
「細かいことは気にせずどうぞ、夕陽様」
夕陽はカステラを丁寧に切り分けると、それを朱雀の前へ差し出した。
「ほら、お前がお食べ」
「〜〜〜〜ッ!!」
朱雀は言葉にならない悲鳴を漏らしながら、それを無言でぱくりと頬張る。
それを横目に見ていた銀郎が、ため息まじりに呟いた。
「……完全に餌付けされてるな」
カステラを飲み込んだ朱雀は、次の瞬間、がばっと勢いよく畳に頭をつけた。
「夕陽様ッ!! お願いします!! 一刻も早く元の姿に戻ってください!!」
「……?」
「俺の性癖がこのままだと取り返しつかないところまで歪みます!! 色香と包容力を兼ね備えた“通常サイズ”の夕陽様じゃないともう無理なんです!!」
「……通常サイズとは、なんだ」
朝影が顎に手をやりつつ、何やら真剣な顔で呟いた。
「俺の経験上、呪いが解けるまで……そうだな、最低でもあと三日はかかるな」
朱雀の肩がびくりと跳ねた。
「……みっ……か……?」
絶望を滲ませた声を残し、朱雀は再び夕陽の前に土下座した。
「夕陽様ッ!! お願いします!! 俺の手足を縛って、そこの柱に括り付けてくださいッッ!!」
「……どうしてそうなるのだ」
「もう自分が信用できないんですッ!!」
「待て朱雀! それは違う意味で歪むからやめろ!!」
銀郎が真っ青になって朱雀を羽交い締めにする。
「朝影の兄貴ッ、頼むッ! 夕陽様が元に戻るまで、ここにいてくれッ!」
「別に構わねぇけどよ。さすがに四六時中見張ってるのは無理だからな?」
「わかってる、わかってる……だから、しばらく宿屋に世話んなる。銀郎、護衛は任せたぞ」
「……私に、か?」
「お前なら大丈夫だろ? 俺と違って、鉄壁の理性を持ってるんだからよ……!」
「…………(それはそれでつらい)」
こうして、朱雀と銀郎はしばらくの間、馴染みの宿屋に身を寄せることとなった。
三日後。頃合いを見て屋敷へ戻った朱雀と銀郎は、玄関先でさらなる衝撃に見舞われることとなる。
「おかえり、二人とも」
「…………」
「…………」
出迎えたのは、16歳ほどの少年の姿をした夕陽だった。
どこかあどけなさの残る笑顔に、二人は同時に頭を抱える。
隣にいた朝影が、苦笑しながら肩をすくめる。
「どうも、思ってた以上にややこしい呪いだったみたいだな。ま、そのうち戻るだろ」
「……この夕陽様は……ギリギリ……セーフか……?」
「完全にアウトだ!!!」
そして、宿屋での慎ましき共同生活はなんの成果もなく幕を閉じ――
ただただ、宿代だけが無駄に嵩んでいったのだった……。
【番外編:呪箱と幼き主様】 完