「はじめまして。雪と申します。」
「まぁまぁ!お話に聞いていたとおり綺麗な方!」
ネロと雪が住む屋敷に、ネロの母と父がやって来た。ネロの母であるネオンは美しい漆黒の毛を持つ犬の獣人だ。そんなネオンが手をパチパチと叩いて喜ぶ。
「はじめまして、雪さん!私はネロの母のネオンです!横にいるのは、夫のイオよ。」
「イオ様、ネオン様。来てくださってありがとうございます。」
「いえいえ。会いたかったわ。」
ネオンはそう言って微笑んだ。雪は弱視なのでよく見えないが、ネオンが喜んでいることだけはわかった。
「僕も、会いたかったです。」
雪も笑顔で答えると、ネロと同じようにネオンも黒毛の尻尾を横に振った。その時、ネロが思い出したように口を開く。
「あ、そうだ。」
「どうしたの?」
「母さん、フルーツケーキ好きだったよね?そのことを雪に話したら、雪が作ってくれたんだ。」
「まぁまぁ!雪さんの料理が美味しいって、ネロが手紙で書いていたけれど…食べてみたいわ!」
ネオンとネロは親子そっくりに、同じテンポで尾を振りながら話していた。雪はその様子に気づいて、クスリと笑う。
「リビングに用意してあります。」
「ありがとう、雪さん!」
ネオンが嬉しそうに言ったとき、イオが大きな声を出した。
「子供たちはどこにいるんだ!」
周りが凍りついたように、シンと静まり返った。その声が怒っているように聞こえたからだ。
「に、二階にいるよ。」
ネロが答えた。雪は驚いて体を震わせていた。そのことに、隣に立つネロは気づいていた。
「先程まですごく泣いていてね。雪がやっとのことで落ち着かせて、寝かせてくれたんだ。」
「そうか。」
ネロの言葉に返事をしながらも、イオの瞳は雪に向いていた。雪は初めて会う人だから、まだ相手がどんな顔をしていて、どんな感情なのか想像することが難しかった。
「雪さん、あんたに書いてほしいものがある。読みがろくにできなくても、自分の名前くらいは書けるよな?」
「え…」
雪の目の前にイオが差し出した紙を、雪は読めずに困惑した。ぼやける視界では文字を読むことは難しいのだ。
「父さん!それは…!!!」
ネロの声が聞こえて、雪は余計に不安になる。そんな雪に、イオは鼻で笑いながら言った。
「色んな男と寝て、薬を飲んで…弱視なんだって?この紙がなんの紙かもわからないんだろう。」
「あなた!日本に来て何かしていると思ったら、なんてものを用意して…!!」
ネオンすら怒りに声を震わせている。そんな妻も無視したイオは怒鳴り声で続けた。
「離婚届だ!これにサインをするんだな!」
「り、離婚…届…」
「外交官との結婚生活はさぞかし贅沢できただろう!どうやって息子をたぶらかしたのか知らんが、俺は騙せんぞ!」
雪はイオの怒りの言葉に、声も出せなくなった。何も言えない雪を、イオはさらに馬鹿にする。
「ネロから金を奪い取るつもりだったんだろう!子供まで作って、どうせ闇市で高額で売るつもりなんだろ!」
「っ…?!」
雪はΩだからと、子供まで利用するつもりだと思われていることに衝撃を受けた。イオは雪をギロリと睨んでいる。雪にはその強い視線が刺さるように感じられて怖かった。
「そうはさせないぞ!子供は私が育てる!Ωの人間なんかに獣人の子供が育てられるわけがない!ましてや弱視のお前には無理だ!」
「そ、そんな…僕は…」
「黙れ!俺は、お前のような汚いΩの人間が一番…大嫌いだ!体を使ってαを誘惑するなんて…汚らわしい!」
イオがそう言うと、ネロは声を荒げた。
「父さん!いい加減にしろ!」
「黙れ!お前は騙されているんだ!」
イオは決して自分の言動を悪いとは思っていなかった。雪の脳裏には、身体を男に好き勝手にされた過去が蘇っていた。
「あんたの過去は調べさせてもらったぞ!ネロに話しているのが嘘の可能性もあるからな。」
イオは雪をもう一度睨んだ。
「母親も身体を売っていたんだろう?親子揃って汚らしい。そんな母親に捨てられているお前に、子供が育てられるわけがない。」
「あなた!なんてこと…!」
「ネオンは黙っていろ!こういう過去を持つΩの人間ほど、汚い考えをする奴はいない!」
「雪さんがなにをしたって言うの!」
ネオンが怒りの表情を見せて言うと、イオはさらに声を荒げた。
「ネロから金を奪って、子供を闇市に売るつもりなんだ!そうに決まってる!」
ネオンはその迫力に、思わずその場に尻もちをついた。イオはその姿を見てから、ズカズカと屋敷に足を踏み入れた。
「子供は連れて帰る!」
「ま、まって!」
階段を上がるイオを追いかけて、雪は必死に足を動かした。しかし、弱視の雪は何度も転んで足を床に叩きつけた。
「雪!」
追いかける雪を、ネロとネオンは追いかけた。二階に上がるイオを、雪は必死に追いかけていく。イオはそんな雪には目もくれず、寝室のドアを開けた。
「親族に人間がいるなんて、最悪だ!この子たちには母親はいないと言って育てる。」
ネロと雪の子供たちが寝ているベッドを前にして、イオは呟いた。そんなイオに、やっと追いついた雪は声をかけた。
「お、お願いです!連れて行かないで!」
イオはその言葉を聞いて、フンと鼻をならした。しかし、返事をすることなく、ベッドの中へ手を伸ばした。
「や、やめて!」
雪は子供が連れ去られてしまうと、焦って手を伸ばした。守ろうと必死で、ぼやける視界の危険性も頭にはなかった。
「うるさい!」
イオは雪に苛立って、雪を突き飛ばした。しかし、雪には突き飛ばそうとする手ですら見えない。鈍い音を立てて床に倒れた。その瞬間に近くにあったテーブルに頭を強く打つ。たらりと額から血が流れた。
「雪!」
追いついたネロは、額から血を流す雪を見て驚いた。雪に駆け寄って、ハンカチで雪の傷を押さえた。
「父さん!さすがに許せない!いい加減にしろ!」
ネロはそう言って、父であるイオを睨んだ。すると、イオはベッドの中で寝ていた子供を抱きかかえていた。
「人を騙しておいて、怪我したくらいで…!」
イオは雪を睨んで何か言おうと口を開いたが、その瞬間に腕の中の子供が泣き叫んだ。
「な、なんだ…突然…」
イオの腕の中で子供は泣き叫び、手足をバタつかせている。まだ産まれてから数週間の子供だが、その様子は嫌がっているように見えた。
「嫌がっているんですよ!離しなさい!」
ネオンは部屋の入り口で叫んだ。イオはその言葉に顔を歪めて否定する。
「そんなわけあるか!驚いているだけだ!こんなΩがいる部屋…早く出なければ…」
イオの言葉の途中で、もう一人の子供も泣き始めた。
「親の悪口を言っていること、子供はわかるんですよ!」
ネオンはもう一度怒った。イオは焦って言い返す。
「そ、そんなわけあるか!いいからお前はもう一人の子を…」
「つ、連れて行かないで…!」
雪は泣いて頼んだ。その横でネロは険しい顔をしていた。
「父さん!子供をベッドに戻して!」
「お前は騙されているんだ!そいつの怪我だって大したことないだろ!」
「なんだって?怪我の程度の問題じゃないだろう!」
ネロがそう言ったとき、横にいた雪はフラリと倒れた。ネロだけでなく、イオもネオンも驚いて雪を見た。雪は青い顔をしている。
「雪!貧血か…!」
「ど、どうしましょう…早く傷を…!」
ネオンが慌てる中、イオも焦りを見せ始めた。自分のせいで、雪が大怪我をしていることには、悪いことをしていると感じる。
「雪は体が弱いから、貧血にもなりやすいんだ。それに…子供たちを産んだあとは余計に体が弱っていて…。」
ネロの言葉に、ネオンは声を震わせる。
「そうよね…。どうしましょう…。ネロ、あなた医者でしょう。手当を…」
「わかっているよ。獣人の専門医だとしても外傷くらいは…」
ネロはそう言って、雪を抱きかかえた。
「血が止まっていないから、止血しないと。」
ネロは雪を連れて、治療のできる部屋に運ぼうとした。ネオンもついて行こうとしていると、イオは不満げに声を荒げた。
「二人ともそいつに騙されるのか!」
「雪さんがいつ、あなたを傷つけたと言うんですか!」
ネオンはイオに向けて、怒鳴り声で返した。
「あなたが恨んで、嫌っているのは…雪さんではないはずです!」
「あ…」
「いい加減にしなさい!」
ネオンの言葉にイオは口を震わせ、それでも何も言えなかった。
「子供たちの面倒を見てあげてください!」
ネオンは雪を抱きかかえたネロと共に、寝室を出て行った。バタンという大きな音と共に、イオの頭は冷静さを取り戻していった。[newpage]
雪が目を覚ますと、ネロが大きなため息をついた。
「よかった…深い傷ではなかったね。」
「ネロ様…申し訳ありません。また…迷惑をかけて…。」
ぼやける視界の奥にいるネロに、雪は声をかけた。雪の言葉を聞いたネロは、雪が目を覚ましたことに気がついて、苦しそうに微笑んだ。
「君が謝ることないんだよ。私の父が…」
「いいえ。僕が悪いんです。信用に値するようなことができていないんですから。」
ソファの上で横になっていた雪は起き上がりながら言葉を発した。その横でネロは慌てて雪の手を取り、申し訳なさそうに尻尾をダランと垂らす。
「いいえ、雪さんは悪くありません。」
そう言ったのは、ネロの母であるネオン。ネオンも申し訳なさそうに、尻尾をダランとさせていた。そっくりなその様子に雪は思わずクスリと笑う。その顔を見て、ネロとネオンはホッとした。
「元気そうで…よかった。」
「大した怪我ではありません。ご心配をおかけして、申し訳ありません。」
雪はネオンに頭を下げた。ネオンは慌てて雪の肩に手を置く。
「頭を下げることはしなくていいのよ。本当に…悪いのはあの人なの。」
「そうでしょうか。僕が…人間で…あんな過去を持つΩだから…。」
雪がそう言うと、ネオンは言いづらそうに口を開いた。
「あの人…狼の獣人なの。だから、あの人の両親も親戚も昔から人間の国々で奴隷として捕まったり、闇市に売られたりっていう被害を受けてきたの。あの人自身は、そんな経験ないんだけど、人間に恨みを持っているのよ。」
「そうでしたか…だから…僕とのネロ様ことを反対なさっているんですね。」
雪はネオンの言葉を聞いて、悲しくなった。イオのことを責めることはできないと思った。
「けれど、こんな酷いことをするなんて…」
ネオンは雪の額を見つめて、悲しげに言った。雪の額にはガーゼとテープがついている。ジワリと滲んで、血の色がガーゼに見える。
「あなたの過去は知っているわ。お母様のことも。」
「はい…。」
「この国でのΩの扱いは酷いわ。あなたとお母様が好きで身体を売っていたわけでないことも、わかっているわ。」
ネオンの言葉に、雪はじんわりと涙を流し始めた。
「あなたがどれほど獣人を愛おしく思ってくれているかは、ネロのモフモフとした毛でわかるわ。毛並みがいいもの。ブラッシングをしてくれているのね。」
ネオンは続けてそう言うと、ネロを見つめた。ネロはネオンの言葉に嬉しそうに尻尾を振った。
「わかってくださって…ありがとうございます…。」
「いいえ。人間のみんなが酷い人でないことはわかっているわ。」
「ネオン様がわかってくれているだけで、僕は幸せです。」
雪は涙を浮かべた瞳を細めて、笑顔を見せた。ネオンはその美しい姿に見惚れるのだった。
「ただ…あの人には受け入れることが難しいのね。」
「ええ、わかっています。」
ネオンの申し訳なさそうな顔に、雪は微笑みかけて答える。
「けれど、子供たちは私が育てるって言っていました。子供は受け入れてくれているんですよね?それだけで、僕は十分です。」
「雪さん…」
「あの子たちが愛されているなんて…こんなに嬉しいことはありません。」
雪の言葉に、ネオンだけでなくネロも申し訳なさそうに尾を垂らした。
「ごめんね、雪。こんなことになるなら…父を呼びはしなかったのに…。」
「それはいけません。子供たちのおじいちゃんなんですよ?会えないなんて寂しいです。」
「けれど…」
ネロがしょぼんとした顔でうつむいていると、雪はネロの手を優しく掴んで話した。
「僕には、父も祖父も祖母もいませんでした。母しかいなかった。けれど、その母とも喋った記憶はありません。」
雪は遠い記憶を思い返す。
身体を売っていた頃。一人で痛む身体と共に客のいなくなった汚い布団で寝ていると、日が差し込んできて、それ以外は何も優しく語りかけてくれなかった。
わずか七歳になった頃から、母と呼んでいた人から引き離された。それから、身体を売る遊女のような人たちの手伝いをさせられ、十歳を過ぎた頃には初体験を終えていた。
「Ωだから。」「遊女の子供だから。」
そんな言葉で正当化されていた。汚い布団と汚い部屋。客以外はその部屋に来てくれなかった。その部屋から出ることさえ許されなかった。与えられるご飯は冷たく、残り物の汁はぬるくなっていた。茶碗の半分も満たないそれらで腹を満たしていた。
「お母さんに会いたいです。」
小さな頃はそう言った時もあった。すると、遊女たちは笑って言うのだ。
「Ωに母さんはいないよ。Ωはみーんな慰み者だからね。」
「慰み者…?」
「お前たちΩは家畜…いや、家畜にも満たない…いなくていい存在なんだよ。」
「いなくていい…」
「塵芥。喋りかけるな。」
遊女はそう言って雪の前から立ち去った。小さい頃はその言葉の意味がわからなくて、歳をとってからわかるようになった。
「子供たちには、父であるネロ様も祖母であるネオン様もいらっしゃいます。だから、仲良くしてあげてほしいんです。」
雪はネロにそう言った。雪と雪の母には叶わなかった瞬間を、子供たちには叶えてほしかった。
「僕は、母の腕の中の心地よさを知りません。けれど、子供たちには知ってほしいです。」
雪の必死な言葉に、ネロはそれ以上の言葉を発さなかった。ネオンも感動したような顔をして、ネロの横に立ち尽くす。そんな時、部屋のドアがギイと音を立ててゆっくりと開いた。
「すまん…」
「あら、あなた!子供たちを見ていてって言ったでしょう!」
「それが、私ではダメなようで…」
イオが尻尾をブランと垂らして、抱っこ紐で一人背負い、もう一人を腕の中に抱えてやって来た。ネオンは怒っていたが、あんぐりと口を開いて驚く。子供たちは二人とも大声で泣いている。
「あなた、今までずっとその状態で?」
「あ、あぁ…」
イオは疲れ果てたように、グシャグシャの毛をしている。
「目が覚めたなら…子供をあやしてはくれないか。私では無理だ。」
「あらあら、情けない。誰ですか?連れて帰るって言った人は。」
ネオンは呆れ声でそう言うと、イオから一人、子供を受け取った。泣きすぎてグッショリと顔の毛を濡らした獣人の子は、ネオンの腕の中でも嫌がって暴れる。
「あらあら。やっぱり子供にはお腹を痛めた親が一番、なんですよ。」
そう言って、ネオンは雪に子供を渡した。雪は手を伸ばして受け取ると、いつもどおりに子供を優しく撫でた。すると、子供はスウッと眠りの世界に行ってしまう。
「あら、すごいわ。すぐに寝たわね。」
ネオンはそのままもう一人も雪に渡した。もう一人もすぐに眠ってしまう。雪はその様子を見てクスリと微笑んだ。イオはその姿を見て反省したように、近くの椅子にどっしりと腰掛けた。
「父さん、抱っこ紐なんて使えたんだね。」
「何言ってるの。赤ん坊のあなたをあやしていたのは、私よりもこの人よ。」
ネロの言葉にネオンがそういった時、イオが口を開いた。
「雪…さん…。」
「はい。」
「申し訳なかった。外で話を聞いていた。私は…間違っていた。」
話しづらそうなカタコトの話口調で、イオは謝罪の言葉を口にした。雪は驚いたが、イオの尻尾がしょぼんとしているから、心から謝っているのだとわかった。
「よく見たら、ネロも子供たちも毛並みが綺麗だ。あなたが弱視なのにも関わらず、努力して家族を世話しているのがわかる。」
イオがそう言うと、ネロは恥ずかしく思ったのか尻尾をブンブンと横に振る。
「起こってもいないことを、勝手に妄想して…その挙句、あなたを怪我させてしまって…。」
「いいんです。僕が人間であり、Ωであることは変えられませんが…不快に思われることは少なくありません。ご家族にご相談もなしに結婚してしまって…申し訳ありません。」
雪は頭を下げた。そんな雪の腕の中で、子供たち二人は不思議そうに雪の頬に手を伸ばしている。
「いいや。よく考えたら、私たちの方が失礼をしている。雪さんの家族に相談もなしに、番になってしまったのだから。」
「いいえ。僕には家族はいませんので…」
「いいや。お母様は亡くなっているらしいな。ネロはお母様のお墓に挨拶していないのだろう?私たちは反省すべきだ。」
イオは首を横に振る。雪はさっきとは違って静かな声で話す、紳士なイオに驚いて、それ以上はなにを言えばいいのか、頭が働かない。
「雪さん。本当に申し訳なかった。あなたは、私の嫌いな人間に酷い扱いを受けた被害者であると同時に、私の出会った人間の中で最も美しい人間だ。」
イオはそう言って頭を下げた。弱視の雪には遠くて顔は見えないが、動きは多少感じ取れた。
「私は、あなたを家族として受け入れたい。子供たちも…私の孫として可愛がりたい。許してくれるか。」
「はい。もちろんです。この子たちを可愛がってください。」
雪は笑顔で頷いた。その瞬間、ネロとネオンはほっと胸を撫で下ろして、大きく息を吐いた。
「ところで、この子たちの名前は?」
ネオンが次に口を開く。すると、イオも首を傾げて尋ねた。
「茶色い毛の子は女の子で…黒い毛の子は男の子のようだが。」
イオとネオンの言葉で、ネロと雪はハッと思い出した。
「そう。二人にはこの子たちの名前を考えてもらいたくて…。」
「僕たち二人で考えるよりも…お二人に相談したほうがいいんじゃないかって、僕が。」
「あら、そうだったの!」
ネオンはネロと雪の言葉に、目を丸くした。イオとネオンは二人の言葉に驚きながらも、頭の中で名前を必死に考え始めた。腕を組んで考える二人を見たネロと雪は、顔を見合わせて考える。
「二人とも、悩んでいるね。」
「こんなに真剣に考えていただけるとは思いませんでした。」
雪はネロに嬉しくなって笑顔を見せた。そして、次はケーキのことを思い出して微笑む。
「ケーキがあるので、食べながら考えるのはどうでしょう。」
「そうだね。」
ネロは雪の言葉に笑顔を見せる。雪はぼんやりとした視界の中にネロの笑顔を見つけると、また嬉しくなった。[newpage]
「うーん…双子の兄妹だもんな。」
雪の腕の中の双子を見て、イオはうーんと唸る。ネオンも双子の孫を見てデレデレとしながら尻尾を振っている。ケーキが好きらしいネオンだけは、ケーキを二切れも食べている。
「お前、近いぞ。」
「いいじゃないですか!初孫ですよ!」
イオとネオンはケーキを完食してすぐ、初孫を前にして小さな喧嘩を繰り広げている。ネロと雪は苦笑いを浮かべて見守っていた。
「本当に、よく見ると雪さんそっくりで綺麗な顔立ち!でも、目元はネロかしらねぇ。」
「何言ってる!妹のほうは雪さんと同じ、美しい顔立ちに淡い毛色で美しい!これは美人になるぞ!」
「何言ってるんですか!お兄ちゃんの方はネロと同じで狼の顔立ちに黒い毛ですよ?これは将来美しい狼の獣人になりますよ!」
イオとネオンの夫婦は、かれこれ一時間はずっとこんな会話を繰り返している。
「でも、雪さんは本当に料理上手なのね!ケーキ焼くなんてすごいわ!」
「いいえ。うまくできてたら…いいんですけど。」
「美味しかったわ!」
ネオンは満面の笑顔で尻尾を振る。正直な意見らしく、雪は心がホッとした。このやり取りもずっと繰り返している。ネロは呆れた顔をして、コーヒーをすすっている。
「あの…名前、なんですけど…。」
「あぁ…そうよね。本当にどうしましょう。」
ネロの言葉に、ネオンとイオは苦笑いを浮かべて座り直した。
「雪と同じ、日本名でもいいかなと思ってるんだ。日本でも暮らしやすいように。」
「けれど、犬の獣人の国の国籍を取るんでしょう?」
ネロの言葉に、ネオンがそう言う。もちろん、獣人として産まれたからには、国籍はそちらをとるのがいいんだろう。
「そうだね。けど…雪はどう思う?」
ネロは雪を見つめた。雪はあまり学がない。正直に言うと、あまり事の重大さはわからない。けれど、子供たちには生きづらさを感じてほしくない、とだけは思った。
「獣人の国で生きてほしいです。いずれ、この子たちの性別もわかるでしょう。」
雪の言った性別とは「Ω」「α」「β」のいずれかのこと。
「この子たちは獣人の血を持っているから、獣性が強くて困るかも…。そんな時に日本でどれだけ苦労するかはわかりません。」
「そう?けれど…あなたにとって、日本は故郷でしょう?」
ネオンは首を傾げた。雪は首を横に振る。
「僕はこの子たちの親です。それに、僕はネロ様と生きていきたいから、結婚したんです。」
「それは、日本を出る覚悟があるということかい?」
イオが尋ねた。雪はすぐにうなづいた。
「僕にとっては、今の家族が一番です。」
雪はずっと、家族が欲しかった。今の幸せを手放したくはなかった。そんな雪の言葉に、ネロも口を開いた。
「私も…いずれは雪と共に国に帰りたいと思ってる…」
「え?」
「私は外交官だ。日本にずっといるわけでもない。もし帰ることになったら、一緒に来てくれるかい?」
「は、はい。もちろんです!」
雪はすぐに頷いた。一緒に来てほしいと言われることが、こんなに嬉しいとは想像もしていなかった。
「じゃあ、雪さんの国籍も作らなくちゃね。」
ネオンが嬉しそうな顔をして言った。雪の横に座るネロはニコリと笑って頷いた。漆黒の尾をフリフリと振っている。雪の腕の中で、子供たちはネロの尾を掴もうとはしゃいでいた。
「でも…名付けと考えて思ったのですが…僕は獣人の言葉を知りません。学がないので…。」
雪はうつむいて話した。雪は弱視だから、文字を読むことがほとんどできない。そもそも、日本語の文字もほとんど読めない。
「獣人の国で…暮らしていけるか心配です。」
「あら、そんなこと心配しなくていいわ。私もイオも、ネロだっている。大丈夫よ。」
ネオンが笑って言った。
「私は通訳士をしていたの。イオは若い頃は軍人をしていて、その後学校の教師をしていたわ。だから、獣人の言葉じゃないでしょう?」
「そ、そういえば…たしかに…」
「ネロも外交官だから日本語を話せるし。もしも獣人の国に来ることがあっても、私たちが教えられるわ。」
雪はネオンにそう言われて、ネオンとイオが日本語をペラペラに話せていることに、今更気がついた。
「だから、あなたは心配しなくてもいいのよ。誰もが初めから完璧なわけないもの。特に、みんな親になる時は初心者よ。」
「そうですね。」
ネオンの温かい言葉に雪はホッとした。そんな会話を聞いていたイオは再びうなりながら考える。
「それでは…どちらの国でも違和感のない名前がいいな。」
「そうだね。」
ネロはそう言ってイオとそっくりにうなる。その様子があまりにそっくりなので、雪もネオンもクスクスと笑ってしまう。
「二人とも?男女の双子なんだから、そっくりな名前だと可愛んじゃないかしら。」
「なるほど…。」
ネオンの提案に、余計にネロとイオは悩み始める。雪は眠り始めた子供たちを抱えて、屋敷の穏やかな空気に微笑んでいた。
「日本名で書ける名前で…犬の獣人としても…」
ネロはブツブツと言いながら、紙を取り出してイオおネオンと共に名前を考え始める。
「雪のように、綺麗で美しい名前がいいんだ。」
時折、ネロは両親にそう言う。雪は照れながら、その言葉を聞いていた。[newpage]
「[[rb:彩葉 > いろは]]、[[rb:伊織 > いおり]]。」
雪は子供たちの名前をよんだ。ネロと同じ、漆黒の毛を持つ男の子は伊織。雪に似た淡い茶色の毛を持つ女の子は彩葉。双子の名前が決まったのだ。
「あう!」「うーう。」
二人とも元気に声を出す。
「気に入っていますね、名前。」
「そうだといいね。」
ネロは雪の言葉に微笑んだ。その様子を見ていたイオとネオンは微笑んでいる。
「イロハ、イオリ。」
はじめに音の感覚で提案したのはイオとネオンだった。二人とも初孫にデレデレとして、今は何度も名前を呼んでいる。
「いい名前ねぇ。」
「そうだな。」
ネオンとイオはベッドの中の初孫を前にして、同じ会話を噛みしめるように繰り返していた。
「漢字を決めたのは雪さんだけど…この漢字素敵だわ!」
紙に書いた文字を見て、ネオンは頷きながら言う。ネロが漢字辞書を開いて、雪に意味を教えながら考えたのだ。
「雪のセンスは素晴らしいね。」
ネロも満足げに言った。雪は顔が熱くなって、うつむいてしまう。
「あ、ありがとう…ございます。」
「雪はきっと、語学の才があるよ。」
「そうでしょうか。」
「うん!」
雪はあまり褒められたことがないので、恥ずかしくなった。
「彩葉、伊織。大好きだよ。」
雪はつけた名前を何度も呼んで、愛する子供たちを見つめた。