Scape wolf 5-10「異変」

  「異変」

  ウールヴヘジン修道院副司祭のルーは、目的地に向かう馬車の中物思いに耽っていた。

  シアの最後の報告から三日経つが、それきり彼女からの報告がない。

  そろそろ新しい報告がくると踏んで膝上に水鏡をおいて待ってみたが、相手からの交信を知らせる波紋はいつまで待っても現れる様子がない。

  「シア、どうしたのかしらね?」

  向かい側に座っていた使い魔のセラが口を開いた。

  「さあな。せめて生きていてくれれば良いのだが…」

  ルーの声には焦りが混じっていた。

  今までの報告が正しければ、シアは既にマリに会っていてもおかしくない。

  仕事に私情をはさまない性質だったという理由で今回の件を彼女に任せたが、今になって考えると親しい友人以上の何か危うい臭いのする関係だった二人を引き合わせるのは軽率だったかもしれない。

  だが、今となってはそれもどうしようもない。

  信頼できる数少ない仲間の一人だったオルフェの姿も最近見かけない。

  恐らく、彼には既に司祭の息がかかっているだろう。

  とにかく、マリの現状を確かめ場合によっては彼女を処分しなければならない。

  司祭だだけならともかく、ロキやリュカオンが彼女に興味を持っている時点で彼女は自分にとっても重要なジン物だ。

  今のうちに彼女を掌握しなければ、自分はこの遊戯板から引きずりおろされてしまう。

  何としても、それだけは防がなくては。

  全てが無に帰する前に。

  目的地であるロスキン村に着いたのは、正午を過ぎてからだった。

  従者が村長と交渉を交わしている間、ルーは精神を集中させるため香を焚きながら神に祈りを捧げた。

  祈りの最後の句が終わった頃、従者が遠慮がちに馬車の扉を叩いた。

  ルーは、扉を開け従者を中に入れた。

  「どうだった?」

  彼の問いに従者は不安と困惑が入り混じった表情を浮かべた。

  交渉が上手くいかなかったのだろうか?

  始めそう思ったが、従者の答えは予想とは大きく異なるモノだった。

  「それが、既にストレイが二人村に来ていて討伐を済ませてしまったようなんです」

  「ストレイが?」

  ルーは表情を曇らせた。

  最近、魔物の被害が爆発的に増えたせいか、ストレイや退魔騎士と仕事がかち合うケースが増えた。

  今までは、依頼人側が状況に応じて依頼先を分けていたため、こんなことなどなかった。

  つまりは、金持ちの魔物嫌いは退魔騎士に、辺境に棲む貧乏人はストレイやリュバンに、そして都市部や周辺に住む寛容な人間はウーヴヘジンにと言った状態だった。

  だが、ここ最近の魔物や人間による犯罪の増加により、お互いに引き受ける仕事全てを捌き切れなくなってしまい、依頼する側もそれを察し近くの者に手当たり次第依頼を出している状態なのだ。

  ルーは、短くため息をついた。

  少し癪だが、大人しく帰るしかない。

  どんな事情にしろ仕事以外で暴力を振るえば、修道院の信用にもキズがつく。

  そう従者に伝えようとしたが、彼からの言葉でルーは計画を変えることとなった。

  「ちなみに村長の話によると、ストレイの一人は黒髪碧眼の男で、もう一人はフードで顔を隠していたようです。

  まあ、今さらストレイの話を聞いても僕らには関係のないことですけどね」

  その後従者が何と言ったかは分からなかった。

  黒髪碧眼の男とフードを被ったジン物。

  きっと、マリとあの少年に違いない。

  そう思うと、ルーはいても立ってもいられなくなった。

  彼は従者の話を聞き終わらない内に立ち上がり、馬車を飛び出した。

  村のすぐ隣に広がる森は、さほど広くなかった。

  そのせいか、ルーたちが二人の黒い影を見つけるのに差ほどの時間はかからなかった。

  「おい、マ…」

  ルーは、そこで言葉を詰まらせた。

  マリの匂いがない。

  だが、そこには覚えのある匂いがあった。

  どういう経緯で混ざったのだろうかと思わず首を傾げてしまう二つの匂い。

  一人はマリと一緒にいたあの少年のモノ。そして、もう一つは以前彼の使い魔だったアゾットだ。

  ※

  ブラムは正直不安で仕方なかった。

  ウールヴヘジンの一人が目の前にいる。

  彼とは以前会ったことがある。

  実際に剣を交えたわけではないが、マリと互角以上に戦っていたことを考えれば、その強さは容易に想像できる。

  そんな彼の心の乱れを感じたのか、アゾットが肩を優しくだがしっかりと握ってくれた。

  「よお、ルー。久しぶりじゃないか?」

  親しげだが、どこか敵意の感じる声でアゾットはルーに向かって話しかけた。

  「マリは、どこだ?」

  ルーは、アゾットを無視してブラムに問いかけた。

  「お前にだけは教えない!」

  ブラムは、できるだけ強い口調で言った。

  「マリは今危険な状況なんだ。このまま彼女を放っておく訳には行かない」

  ルーは感情を抑えた声で言った。

  「自らマリを殺そうとして、よく言う」

  アゾットが再び話に割り込んできた。

  「どう言うことだ?」

  ルーは首を傾げた。

  「お前がフェンリルを差し向けて、マリの父上を殺し彼女をも殺そうとしたのだろ?」

  アゾットが問い詰めると、ルーの目に驚きの色が広がった。

  「フェンリルが? ヤツは、あの時別の任務についていたはず…」

  「副司祭のお前にかかれば、そう偽装するのも容易いだろうな」

  アゾットは、憎しみのこもった声で吐き捨てるように言った。

  「残念だよ。アンタだけは信用していたのに…」

  「違う。俺は断じてそのようなことはしていない。誓っても良い」

  「偽りの祈りしか知らないお前に近いなど立てられるモノか。

  失せろ犬が!俺の気が変わらない内にな」

  使い魔は、そう言うとブラムの背を叩き彼の背を庇うように歩き出した。

  「待ってくれ!本当に何も知らないんだ。

  教えてくれ。一体あの日マリに何があったんだ?」

  ルーの問いかけにアゾットはわざとらしくため息をつくと立ち止まり彼の方へ振り向いた。

  「最初に言った通りだ。フェンリルがマリの父上とその使用人たちを皆殺しにして、それを見つけたマリを剣でぶっ差した上屋敷に火を放った」

  「どうして、フェンリルがそんなことを…」

  「知るか、そんなこと。俺たちは暇じゃあないんだ。

  行くぞブラム」

  アゾットは、そう言うと一緒に立ち止まっていたブラムの肩を叩いた。

  その時だった。

  「ルー、大変!」

  村へと続く獣道から声がしたかと思うと、セラが顔を真っ青にして駆け寄ってきた。

  冬だと言うのに彼の顔には大量の汗がにじみ出ていた。

  「何があった?」

  只ならぬ気配を察し、ルーは自身の使い魔に駆け寄った。

  「さっき、水盆から知らせが届いた。修道院で暴動が起きたって」

  「暴動?そんなこと一度もなかったはずだぞ」

  「ええ。でも、それだけじゃないの。

  暴動を起こしたヤツらが、今は首都の方で国王の制圧をしているらしいの」

  「なんてことだ…」

  ルーは頭を抱えた。

  そもそも、はぐれ者の寄せ集めであるウールヴヘジンは一枚岩と言う訳ではないが、今まで組織や国家に反発しようとする者はいなかった。

  いや、ただ単純に自分が気づかなかっただけなのだろうか?

  ルーはそんな事を思いながらセラの方に目を向けた。

  「暴動を主導してるヤツは分かっているのか?」

  彼の問いにセラは言葉を詰まらせた。

  分からないのでなく、言うべきか迷っている風だった。

  「セラ…?」

  ルーはあくまで冷静に促した。

  すると、セラもため息をついて答えた。

  「暴動の主導者は、フェンリルと司祭よ…」

  「グルルルル…」

  ルーは、思わず唸り声を漏らした。

  やはり、今修道院を離れるべきでなかった。

  最悪の事態が起こってしまったのだから。