「再会」
所変わってエイルワカ村。
かつての家族たちが火を囲み談笑しているとは露ほども知らないマリは、白紙の日誌を前に呆けた顔をしていた。
「またブラムのこと考えているのですか?」
スヴェートが先程入れたばかりのハーブ茶をテーブルに置きながら尋ねた。
「ああ…」
マリは、心ここにあらずと言った様子で答えると、差し出された茶に口をつけた。
紅茶とはまた違う独特の香りが鼻を心地よくくすぐった。
「やはり、フリズの盆を持たせるべきだったろうか?」
彼女はそう言いながら以前ルーシーとやりとりするために使った水盆を見つめた。
「あれは、高価な上に作り手も多くありません。昨日今日リュバンを経由して注文したとしても手元に届くのは数ヶ月後ですよ?」
スヴェートは半ばあきれたと言った様子で言うと、自身のカップに口をつけた。
「アリシアさんやレベッカもついているんですから、心配ないですよ?
あなたも、そのために一緒に行かせたのでしょう?」
「まあ、それはそうなのだが…」
マリはバツの悪い様子で言うと日誌を閉じて残りの茶を一気に飲み干した。
「ダメだ。今日は仕事にならない…」
ボヤキながら彼女は屋根裏の寝室に向かった。
「もう寝るのですか」
スヴェートの問いにマリは唸り声で答えた。
家々から明かりが消え村全体が寝静まった頃、スヴェートは一人家を出て村の外れまで来た。
このあたりなら居住者のいない家ばかりなので、迷惑は掛からないだろう。
そう一人納得しながら、妖精は寒空の下静かに歌いだした。
誰かに習ったわけでもないのに記憶の奥底にしっかりと根付いた言葉のない歌。
言葉に魔力を乗せて奏でるその歌は、村を守護する結界を作るための歌だった。
かつて、兄からは人間に過剰な期待を生んでしまうと止められていたが、スヴェートはこの村でなら使っても良いと思っていた。
この村に来てから数日、彼女は村の人々の温かさを知った。
人狼やアルプと違い異形の姿しかとれない自分をあたり前のように迎えてくれた人々。
彼らは、村で生きるための知恵を彼女に伝え、長い旅路で彼女が得た豊富な知識を寛容に受け入れた。
何より、この村にはマリとブラム、そして二人が守ると決めた家族がいる。
家族を守るためなら手段など選ばない。
兄といた時から持っていた信念は、今でも変わらない。
※
[newpage]「待たせたの」
突然の声にシアは物思いから覚めた。
エイルワカ村からほど近い森の中、リュカオンと名乗る人狼に待つよう言われてから数時間は経っただろうか。
長旅の疲れからか、耳ざといリリスは件の人狼が戻って来た事にも気づかず大蛇の姿のままシアの膝の上に顎を乗せて寝ていた。
「終わったの?」
シアが問いかけると、リュカオンはゆっくりうなずいた。
「ここから東へ数歩言ったところの木に印をつけておいた。そこで夜を明かし、マリに会うと良いじゃろう」
「貴方は行かないの?」
「ワシは、導く者であって干渉する者ではないからの」
そんな謎めいた言葉を残し老狼は西の方へ去っていった。
「ありがとう」
シアは礼を言ったが、リュカオンは振り返りもせず森の闇の中へ姿を暗ましてしまった。
「ちょっと胡散臭いけど、悪い奴じゃなかったみたいね」
彼女はそう独り言を言うと、長大なリリスの胴を肩に担ぎリュカオンの話にあった場所を探した。
※
翌日まだ日も昇り切らない早朝、スヴェートは異変に気づき目覚めた。
―結界が破られてる?
ほんのわずかな、例えるならドレスの裾にあいた些細なほつれのようなモノだが、それでも小さな生き物が二、三匹入り込むには十分な大きさだ。
「もう修繕はされてるみたい…。でも、誰が何のために…」
結界を破る理由はいくらでも思いつくが、わざわざそれを修繕する意図が読めない。
自問自答してみたが、答えは見つからない。
「直接確かめるしかないみたいね…」
彼女はそう独り言を言うと隣で眠るマリに気づかれぬよう、そっと寝床からはい出た。
※
「マリの匂いが濃い…。かなり近づいているみたいね」
シアは周囲へ顔を巡らせながら言った。
旧友との再会が迫り感情が昂っているのか、彼女の身体は金毛の狼に変わっていた。
「シア、あんまり興奮しない方が良いよ」
すぐ横を幼女の姿で歩いていたリリスが忠告する。
一晩寝続けたおかげだろう。昨日より表情が生き生きとして見える。
使い魔は、唸り声で答えるシアにさらに続けて言った。
「シアの悪い癖だよ。
マリに会いたい気持ちは分かるけど、またこの前みたいに…」
「この前みたいに情報を得る機会を自ら殺してしまう、ですね?」
突然の声にリリスの会話が途切れた。
シアは素早くリリスの手を握り、それに応え使い魔も自身の身体を斧の姿に変えた。
その直後、声の主が木の陰から現れた。
狐のような顔に鶏に似た足を持つ魔物。手には特徴的な意匠の大鎌が握られている。
「あなた…」
「お久しぶりですね」
思わず目を見開くシアに向かって魔物は微笑んだ。
その笑みは、一度自身を殺そうとした者に向けるモノにしては穏やかすぎるように見える。
「そう、まだ生きていたのね?
悪魔の毒をどうやって治癒したのかしら?」
戦略のためと言うより純粋な興味からシアは尋ねた。
「私、悪運が強い方なんです」
「答えになってないわよ」
「偶然良い医者に会えた、と言ったところでしょうか?」
「医者?もしかして、マリのこと?」
「ご想像にお任せします」
魔物は、どんどんと答えをはぐらかしてくる。
以前より敵意は感じないが、同様に好意も感じられない。
「シア、目的を思い出して」
リリスに叱咤され、シアは気持ちを切り替えた。
「まあ、良いわ。それよりも、あなたマリのこと知っているわよね?」
「あなたたちにマリを触れさせることはできません」
話題を先取りされシアは募る苛立ちから頭をかいた。
「どうやら力づくでないといけないみたいね」
シアは、そう言いながら斧を構えた。
魔物も同様に鎌を手に戦闘態勢に入る。
「気をつけて、シア。あのヒト、前と構え方が違う。
たぶん、前みたいに簡単には倒せない」
リリスがそう小声で忠告した時だった。
「だったら、僕も手伝うよ」
突然の背後からの呼びかけにシアは思わず振り返った。
「オルフェ?どうして、ここに?」
彼女は突如現れた仲間の人狼に向かって言った。
「話しは、あと。
とにかく今は目の前の敵の無力化とマリの奪還が僕らの共通の任務だ。
協力してくれるよね?」
相変わらず、淡々とした口調だ。
普段から彼と言葉を交わすシアはそう思いながらも素早くうなずいた。
「まあ、そうするしかないみたいね。
ちゃんと、後で説明しなさいよ」
「うん、大丈夫」
彼女が真実を知った時、はたしてどんな行動をとるだろうか?
オルフェは一抹の不安を覚えながらも、目の前の敵に集中するために呼吸を整えた。
今は仲間を信じよう。
そう胸の内で自分に言い聞かせながらオルフェは手に持った弓に矢をつがえた。
次の瞬間、シアと妖精が同時に前に飛び出した。
オルフェは不意を突くため矢を放った。
後方から味方を傷つけずに正確に相手の急所を突く。
ウールヴヘジンで一番の射手と言われる彼だからこそできる芸当だが、流石マリと死線をくぐっただけあり妖精も簡単には矢の的とはならなかった。
彼女は羽織っていたマントを翻し矢の軌道を逸らすとシアの肩をつかみ矢の盾にするかのように組みついた。
シアは、妖精を引きはがそうとリリスを斧型から短剣型に変えて応戦するが、妖精も早々に鎌を捨て腰に忍ばせていた短刀で斬りかかった。
こうなってしまうと、弓ではどうしようもなくなってしまう。
オルフェも仕方なく愛用の弓を背に背負い直し腰に帯びていた短刀を手に取った。
狙うのは、相手の背中。
気づかれない間に回り込み腎臓を刺し貫く。
だが、この作戦も先読みされた。
彼が近づいた瞬間、妖精はその骨ばった腕からは想像もできない力でシアを持ち上げ彼女をオルフェの方へ投げつけてきた。
用心して剣を逆手に持っていたおかげで何とか仲間の身体を気づつけずに受け止めることはできたが、代わりに利き腕と足を不自然な方向へ曲げてしまった。
「何やってんのよ馬鹿!」
シアの理不尽な叱咤にオルフェは戦場にいることを忘れて怒鳴り返した。
「シアは重いんだよ!マリなら、こんなことなかった!」
「それ、どう言う意味よ?」
「言葉通りの意味だよ」
「隙あり」
突然妖精が目の前に現れいつの間にか回収していた鎌の柄でオルフェの頭を叩いた。
コツンと言う軽い音にも関わらず彼は巨人に殴られたかのような衝撃を受けて昏倒した。
「オルフェ!」
シアは仲間の名を呼んだ。
その次の瞬間、彼女は腹部に強い衝撃を受け吹き飛ばされた。
妖精の鳥脚に蹴り飛ばされたと、理解するに時間はかからなかった。
「シア、大丈夫?」
リリスの声が聞こえる。
「大丈夫」
シアは蹴られた腹を抑えながら答えた。
内臓の損傷はないようだが、動く度に身体が引きつりそうなほどの激痛が走る。
「安心して下さい。彼は、まだ殺してません」
妖精は、足元で倒れるオルフェを見ながら言った。
「今すぐ、ここを離れ二度と近づかないと誓うなら見逃します。ただし二度目はありません」
「馬鹿言わないで!
マリは、今危険な状態なの!」
シアは、感情を爆発させて言ったが、妖精の方は冷静な表情を崩さなかった。
「〝堕心〟でしょう?分かってますよ」
「なっ…」
「あなた方は上手に隠しているつもりでしょうけど、一部の人間以外にとっては周知のことですよ?
己の心を亡くした魔物が陥る一種の錯乱状態。原因および治療法はなく、〝堕心〟した者に対してはすみやかな介錯が必要とされる。
さもなくば、〝堕心〟した者は、理性を持たずただひたすらに周囲の命を奪い取ろうと暴れ回る。
そして、彼らの最大の特徴は、目が獣のような黄色に染まること…。
一所に留まる人間なら知る機会もまずないでしょうが、私たちは常に魔物と関わる身ですから嫌でも知ることになるのですよね」
「そこまで知ってて、どうしてマリを生かしているの?
この先には人の村もあるのでしょう?」
シアは声を荒げた。
「確かに彼女は〝堕心〟していますが、〝堕心〟していません」
「何を言ってるの?意味が分からない」
「あなたも、会えば分りますよ」
妖精がそう諭すように言った時だった。
彼女の背後からソレが現れた。
闇をそのまま切り取ったかのような漆黒の身体に鮮血湛えたような赤い瞳。
シルエットは人狼のようだが、獣よりの骨格。
そのケモノは、右手で妖精をそっと押し退けるとシアの方を睨んだ。
「マリなの…?」
「グルルル」
ケモノは唸り声を上げるだけでシアの質問に答えようとしない。
やはり彼女は心を亡くしてしまったのだろうか?
そんなことを考えていたせいか、ケモノの姿のマリの攻撃に反応するのに一瞬遅れた。
とっさにリリスを前に掲げたが、いつもの斧でなく短刀に変えているのを忘れていた。
マリの重い一撃に短刀のリリスは宙を舞い地面に落ちた。
あまりの衝撃に硬化させた身体も耐え切れなかったのか、使い魔は竜蛇の姿に戻り気絶した。
「リリス!」
相棒の戦闘不能にシアの頭は真っ白になった。
いつもなら腰の手斧を取り出していたはずだったが、目の前の敵がかつての仲間だと思った瞬間手が止まってしまう。
彼女はそのままマリにのしかかられ仰向けに倒れてしまった。
マリの恐ろしい狼の顔が目の前に迫る。
「マリ…お願いもう止めて…」
シアは、その時初めて戦場で涙を流した。
やはり自分は彼女になれない。
中途半端な決意で心を失った友人を介錯することもできず、このまま無残に死ぬのだ。
そう思いながら、シアは目を閉じた。
だが、その瞬間はやって来なかった。
死の痛みの代わりに彼女が感じたのは、じっとりと濡れたザラザラな舌の感触だった。
「えっ?」
シアは恐る恐る目を開けた。
目の前にいたのは、自分の首を人懐っこい犬のように舐めまわすマリの大きな頭だった。
「フッフフフフフフフフ…」
マリは、堪えきれなくなったように含み笑いを漏らした。
シアが呆然と見つめている内にケモノは拘束を解き、彼女から一歩後じさった。
「ドウダ、少シハ楽シメタカ?」
マリは、そう言ったかと思うと口を開けて大きな笑い声を上げた。
シアは、訳も分からぬまま目の前のケモノを見つめた。