Scape wolf 4-5「激昂」

  「激昂」

  

  その光景を見た瞬間、マリの中で何かが音をたてて崩れ落ち別の何かが目を覚ました。

  目の前で倒れるブラム。彼の身体は血の海に浮かんでいた。

  生きているのか死んでいるのか。彼は、指一本動かすことなくグッタリと濡れた地面に横たわっていた。

  理性を失い怒りに呑まれたマリは、左手の竜の魔力で周囲の木を焼き払い襲撃者を見定めた。

  魔物でも退魔騎士でもない普通の人間。身なりから察するに盗賊の類いだろう。

  だが、マリには彼らが何者であるかはどうでも良いことだった。

  「殺シテヤル!」

  彼女は、ケモノの声でそう叫ぶと、魔獣の姿に変異し襲撃者に向かって行った。

  狼の怒り狂う姿に動揺した襲撃者は、断末魔の悲鳴を上げる間もなく身体を爪で細切れにされた。

  運よく正気を保ち振り下ろされる爪を避けることができた者もいたが、大抵は直後に訪れる血に飢えた牙の一撃を交わすことができず、さらに悲惨な死を迎えた。

  数人いた襲撃者は一瞬にして四人にまで減った。

  襲撃者たちは武器を弓から剣に持ちかえケモノの隙をうかがった。

  マリの方も短い間に大量の魔力と体力を使い切ったせいで、動きか緩慢になってきていた。

  人狼は、歯の隙間から泡を吹きながら唸り声を上げた。

  隙を見せた者から殺される。

  そんな一種の強迫観念のようなモノが戦場を支配していた。

  だが、硬直状態は、あっけなく終わりを迎えた。

  「うう…」

  突然マリの背後でブラムが、か細い声を漏らした。

  人狼は、彼の声に一瞬気を取られた。

  しまった…。

  そう思った時には、すでに四本の剣がケモノの身体に深々と突き刺さっていた。

  「グルルル!」

  マリは、唸り語を上げると襲撃者の一人の頭を掴み力任せに首を引き千切った。

  鮮血があたりに飛び散り襲撃者たちは叫び声を上げた。

  一人は剣を狼の腹に残したまま森の中へと逃げ出し、一人はその場にへたり込み届くかも分からない命乞いの言葉を繰り返した。最後の一人は不幸にもマリに下半身を鷲掴みにされ熟れすぎたザクロのように握りつぶされた。

  胸より下を肉塊に変えられた男は、おぞましい声を上げながら息絶えた。

  マリは、命乞いを続ける襲撃者を背にして血塗れになった手で先程介抱した女性とブラムすくい上げ、剣で刺された腹部から血を滴らせながら森の奥へと消えていった。

  

  ※

  

  気がつくとブラムは、固い地面の上で横になっていた。

  身体の感覚がない。矢で射られた痛みもなく、手を動かそうと意識を向けてもそれらしい感覚が肉体から返ってくることもない。

  僕は、死んだのだろうか?

  そんな考えが脳裏に浮かび始めた時、誰かが彼の身体に覆いかぶさるように身体を傾け少年の身体を横に倒した。

  「これでしばらくは床ずれもないだろう」

  聞きなれた暖かな声が聞こえると同時に鼻の感覚が戻って来た、鉄塊を舐めた時のような強烈な血の匂いからでもはっきりと嗅ぎ取れる豊かな花の香り。

  〈マリ?〉

  そう問いかけようとしたが、舌が上手く動かない。

  ふと、誰かが両手で頭を掴み、ブラムの首を無理矢理曲げた。

  景色が傾き人狼姿のマリの顔が目の前に飛び込んできた。

  「私の声が聞こえるか、ブラム? 聞こえるのなら、瞬きをしてみろ」

  人狼は、血生臭い息を吐きながら言った。

  ブラムは、言われた通りに一回瞬きをした。

  「よし、聞こえているようだな?

  良いか、ブラム。今お前に強力な麻酔をかけてある。まあ、麻酔と言うよりは毒に近いがな。

  何、心配する事ない。毒は、すぐ抜けるよう調整しておいたから、死ぬことはない。

  話しが、逸れたな…。

  とにかく時間がないから、要点だけ言う。

  お前の隣にさっき助けた女が眠っている。身体が動くようになったら、お前は女と一緒にスヴェートに合流しろ。

  そして、リュバンを探し、お前の胸のポケットに入れた手紙を王に見せろ。後は、ヤツが丁重に取り計らってくれるはずだ」

  〈マリは、どうするの?〉

  そう問いかけたかったが、一行に舌の感覚が戻らない。

  「色々と聞きたそうな目だな?」

  マリは、そう言うと血塗れの歯を見せながらニヤリと笑みを浮かべた。

  鈍感な人間でも、はっきりと分かる作り笑いだ。

  「お前は、おしゃべりだから、舌の方に薬を多く盛らせてもらったぞ。

  良いか、ブラム。お前はスヴェートとともに生きろ。そして、私のことは、綺麗さっぱり忘れてしまえ」

  マリは、そこで言葉を切るとブラムの頭から手を離し立ち上がった。

  狼の顔が視界から消え、一糸まとわぬ獣毛だけの身体が目の前に飛び込んだ。

  服の上からでは分からなかった豊満な胸、巨大な得物を扱うにはあまりにも細い腕と腰。それらを支えるのは、木の枝のような頼りない足。

  次の瞬間、ピチャピチャという音とともに何かが目の前の地面に落ちた。

  血だ。

  ブラムは、血を貪欲に吸い尽くす地面から唯一麻酔の影響のない眼球だけを動かして上を見上げた。

  マリが奥の光に向かってヨロヨロとした足取りで歩いていた。

  脇腹にあてた彼女の指の間から真っ赤な血が流れ出て地面に血の跡を点々とつけていた。

  血の道の先にあったのは、ブラムの目の前に広がる血だまりだった。

  〈行くな、マリ!〉

  ブラムは、必死に声を上げようとしたが、喉からヒュウヒュウと気味の悪い息が漏れるだけだった。

  マリは、振り返ることなく光の中へ消えていった。