Scape wolf 2-18「実験」

  「実験」

  

  扉を開けた瞬間、最初に感じたのは、酷い腐敗臭だった。

  仕事柄慣れているブラムでさえ吐き気が込みあげるほど臭いで、後ろではスヴェートが激しくえずいていた。

  ブラムは左手で口元を覆いながら扉をくぐりあたりを見回した。

  回廊よりもさらに広い空間。左右には鉄の檻が並べれており、そのなかにいくつもの腐敗した死体が転がっていた。

  入り口付近の檻は魔物のモノばかりだったが、奥に進むにつれ人間のモノも目立つようになった。

  人間の死体は魔物のそれより外傷は少なかったが、おぞましい死相が浮かんでいた。

  「何か毒でも盛られたのでしょうか?」

  後ろを歩くスヴェートが囁くように言った。

  「分からない。そもそも、ここは何処なんだろう…?」

  とブラムが言った時だった。

  「簡潔に言うと、実験室さ」

  聞き覚えのない声が二人の入って来た方とは逆の方向から聞こえてきた。

  声のした方へ振り返ると、そこには一人の男が立っていた。

  人相を見る限りでは、三十代前後に見えるが、髪は老人のように白く、人ならざる雰囲気が漂う。

  「ジルド・レイ!」

  スヴェートが唸るように言った。

  「実験室とは、どういう意味だ?」

  ブラムは、目の前の騎士団長に尋ねた。

  「貴様らバケモノに答えてやる義理はない」

  ジルドは、嫌悪感をむき出しにして言った。

  「だが、今回は、冥土の土産に教えといてやろう。

  ここは、貴様らを殲滅するためのに兵士の能力を高める薬品を作る場所。

  そして、ここに横たわる者どもはそのための実験材料だ」

  「それって…」

  「そう。我らは、ここで実際に試験薬を兵士に投与し、魔物と戦わせ、ここでその結果を見る。

  もっとも、ほとんどの兵士は戦う前に薬の副作用で死んでしまったがな…」

  騎士団長の言葉には、一切の感情がなかった。同じ騎士団の仲間であるはずの人間に対する同情すら感じない。

  「ふざけるな!」

  ブラムは、腕を振りながら叫んだ。

  「魔物だけでなく、人間にまでこんな仕打ちを…。お前は、仲間を何だと思っているんだ!」

  「彼らは、尊い犠牲なのだ。もともと戦力にもならん者が、こうして犠牲になることで、我ら真の戦士は、より高みへと上って行ける。素晴らしいこととは、思わないか?

  まあ、貴様らケダモノには、到底理解できぬだろうがな」

  「ああ、分からないね。分かりたいとも思わない」

  ブラムは、ジルドの青い瞳を睨みながら言った。

  「今分かった。お前は…いや、お前らは人間でも魔物でもない。悪魔すら生ぬるいくらいだ」

  「私たちは、人間だ。それも神に選ばれた人間なのだ。

  我らこそが人類を導く存在。そして貴様らをこの世から一掃するため神から啓示を受けた者」

  ジルドは、そう言うと腰に差した剣を抜き放った。

  「その剣…!」

  突然、後ろのスヴェートが声を上げた。

  彼女の視線は、ジルドの持つ剣に向けられていた。

  騎士団長は、一瞬戸惑ったようだったが、すぐに何か得心したように頷いた。

  「そうか…。お前は、あの時の女狐か」

  「返せ!それは、兄さんのモノだ!」

  スヴェートは唸り声交じりに叫んだ。

  「いや。これは、私のモノだ。私があの愚かな男から勝ち取ったのだ」

  「違う!お前は、仲間を使って兄さんを拷問し殺し身ぐるみを剥いだだけだ。

  お前は、ただの卑怯者だ!」

  「黙れ、ケダモノが!下等な生き物の分際で人間に説教など言語道断。

  貴様らは、私が直々に成敗してくれる」

  ジルドは、そう言うとスヴェートの方へ駆け寄り剣を振り下ろした。

  それと同時に、ブラムが妖精と騎士の間に入り左手の短刀を振った。

  剣同士がぶつかり、ブラムととジルドは、互いの攻撃の勢いに押され体制を崩した。

  先に体制を立て直したのは、ジルドの方だった。

  身体をありえない角度にひねり姿勢をもとに戻すと、無防備なブラムの腹に蹴りを入れた。

  ブラムの身体は、後ろのスヴェートを巻き込みながら吹っ飛び床に転がった。

  スヴェートは、ブラムの身体を突き飛ばすと鎌を振り上げジルドの方に駆けて行った。

  妖精は、怒りにまかせて鎌を振り回した。

  騎士団長は、それを剣で軽々と受け流す。

  ブラムは、加勢しようと立ち上がった。

  だが、次の瞬間、耐え難い激痛と吐き気が彼を襲い跪かせた。

  ブラムは、大量の血を吐き床にぶちまけた。

  痛みは、まだ治まらない。

  「少し強く蹴り過ぎたようだな?」

  ジルドの声が聞こえた。

  彼は、スヴェートの鎌の刃を素手で握り勝ち誇ったような表情でブラムの方を見ていた。

  「言い忘れていたが、私はすでに貴様らのような非力な存在など一瞬で屠れるほどに完成品の薬で身体を強化している」

  ジルドは、そう言うと鎌をスヴェートの手から取り上げ床に放り投げた。

  「こんな風にな」

  騎士団長は、左手でスヴェートの首を掴むと彼女の身体を軽々と持ち上げ、細い首をギリギリと締め始めた。

  スヴェートの悲鳴が室内にこだまする。

  「やめろ!」

  ブラムは、ジルドのもとに駆け寄ろうと立ち上がったが、再びあの苦痛が腹部を襲った。

  何とか進もうとするが、足が鉛のように重い。

  「最期に言いたいことは、あるか女狐?」

  ジルドは、スヴェートの方に視線を戻し言った。

  「返答次第では、生かしてやっても良いぞ。もっとも、死んだほうがマシと思える屈辱的な生き方だがな」

  「かえせ…」

  スヴェートは、囁くように言った。

  「何だと?」

  「兄さんの剣を返せ…!」

  妖精は、唸るように叫ぶと、ジルドの手を掴んみ爪を立てた。

  左手から血がにじみ出たが、彼は特に気にするそぶりを見せない。

  「良いだろう。そんなに欲しければ、くれてやる」

  ジルドは、そう言うと同時に剣をスヴェートの腹に突き立てた。

  「貴様―!」

  ブラムの唸り声が、あたりに響き渡った。

  彼は、懐から赤い玉のようなモノを取り出すと、口に含み噛み砕いた。

  ミナを失った時の感情が、心の中に広がっていく。

  ブラムは、再び獣のような唸り声を上げると、ジルドの方へ駆け寄り左手に向かって剣を振り下ろした。

  ジルドの腕は、血飛沫を上げながら宙を飛び地面に落ちた。

  それと同時に信じられないことが起こった。

  ジルドの持つ剣が、突然真ん中で折れたのだ。

  スヴェートは、腹に残った剣の先端を無理矢理引き抜くと、ジルドの胸に突き刺した。

  ジルドの目には、まだ意識の色があった。

  彼は、手に残った剣の一部をスヴェートに向かって振り上げた。

  「危ない!」

  ブラムは、妖精の身体を抱きかかえるようにして庇った。

  彼は、死を覚悟したが、その瞬間は訪れなかった。

  部屋の扉からロキが飛び出し、手に持った剣でジルドの首を刎ねたからだ。

  ジルドの首は、鈍い音を立てて地面に落ち、続けて残った身体がドサリと崩れ落ちた。

  「さっさとあの世へ行け、バケモノが!」

  ロキは、ジルドの死体に向かってそう吐き捨てると、血のついた処刑用の剣を地面に突き刺しブラムたちの前で腰を下ろした。

  「大丈夫か?」

  ロキの問いにブラムは、うつむきながら答えた。

  「僕は、大丈夫。それよりもスヴェートの方をお願い」

  「分かった」

  ロキは、そう言うと部屋の入り口に目を向けた。

  彼の視線を追うと、リュバンの戦士たちが続々と中に入り込んでくる光景が見えた。

  「戦士たちよ!全ての元凶は断たれた。直ちに倒れた仲間を助け起こせ」

  戦士たちの動きは、素早かった。

  勝利の余韻にひたることもなく、半数は来た道を戻り、残りの半数は室内に残り遺体の回収やブラムたちの介抱を始めた。

  ブラムは、治療に来た戦士の申し入れを断り、部屋を一気に駆け抜けると外に出た。

  屋外には、別の戦士の姿があった。

  兵士と目があいそうになり、ブラムは慌てて帽子で顔を隠した。

  「どうした、ブラム?顔が少し変に見えたが…」

  「何でもない。少し疲れただけ」

  ブラムは、彼の言葉を遮ると、すぐ横に広がる森のなかに入っていった。

  しばらく進むと川が見えた。

  ブラムは、川に近づくと顔を洗い。水面に映る自分の顔を見た。

  「醜い…」

  彼は、自分の顔に向かってつぶやいた。

  「もう、この姿にはならないって誓ったのに…」