Scape wolf 2-8「追う者、追われる者」

  「追う者、追われる者」

  

  「どう?」

  ブラムは荷物をまとめる手を止め、マリに向かって尋ねた。

  人狼は、洞窟の壁に手をつきながら片足でゆっくりと立ち上がろうとしていた。

  普段の倍の時間をかけようやく直立すると、庇っていた左足をそっと地面に下ろし壁から手を離した。

  「大丈夫だ」

  マリはそう言うと近くに置いていた大剣を拾い上げた。

  「それよりも早く出発してしまおう。ルーのことだ。今頃誰かしら追っ手を放ち始めている頃だろう…」

  「これからどこに行くの?」

  ブラムは荷造りを再開しながら尋ねた。

  「しばらくは北に向かって進む」

  マリは、すぐに答えた。昨日から計画は考えていたらしい。

  「このまま西に進んで真っ直ぐエリューズに向かいたいが、追っ手と鉢合わせももしたくないからな」

  「エリューズ?」

  「ウールヴヘジンの拠点がある地区さ。私は、そこに行ってフェンリルを殺す」

  「分かった」

  「…」

  突然マリの声が聞こえなくなった。

  少しだけ不安になりにブラムは顔を彼女の方に向けた。

  マリは、不思議なモノを見るような目でこちらを見ていた。

  「どうかしたの?」

  「いや、意外だなと…」

  「何が?」

  「お前は復讐や身内殺しに抵抗がある方だと思っていたんだが、どうやら違ったみたいだな」

  「身内殺しは分からないけど、復讐は自分もやったからね。反対できる立場にないよ」

  「そう、だったな…」

  マリは、表情を曇らせた。

  あたりに重い沈黙が漂い始めた。

  「さあてと。そろそろ出発しようか?」

  ブラムは、わざとらしい大声で言った。

  「あ、ああ。行こうか…」

  マリは、ブラムの声の変化に驚きながら曖昧な返事をした。

  

  ※

  

  「どうやら、ここに居たみたいね…」

  犬のように四つん這いになり焚火跡の匂いを嗅ぎながらシアはつぶやいた。

  隣では、リリスが期待と不安のこもった目で彼女を見ている。

  二人は、ルーがマリを見たという地点から数キロ離れた洞窟の中にいた。

  洞窟内には火を熾した跡があったが、最後に火がついてから大分時が経っていた。

  「この匂いの残り方からすると、一週間…いや二週間前かな…」

  シアは、独りブツブツとつぶやいた。

  「マリとは違う匂いもある。ルーが言ってた子のモノかしら?それから、これは…あの時の狐か…」

  「何か分かった?」

  後ろからリリスが、問いかけてきた。

  「全然」

  シアはスッと立ち上がると、首を横に振った。

  「ここに居たのは間違いないけど、もう大分匂いも薄まっているから追跡は難しそうね」

  「そうか…」

  リリスは残念そうに肩をすくめた。

  「やっぱり、一度エリューズに戻った方が良いのかな?」

  彼女の言葉にシアは眉をひそめながら顎に手をあてた。

  「止めときましょう。ここで追跡を打ち切ったら、マリの痕跡がどんどん薄まってしまう…。

  とりあえず、ここから範囲を絞ってあちこち聞いてまわってみましょう?」

  「非効率ね…。エレオノラのことは、どうする?」

  エレオノラ。その名を聞いた瞬間、シアは頭を抱えたくなった。

  マリの問題だけでも色々感がなければならなことばかりなのに…。

  「今そのことを考えるのは、止めましょう。死んだヒトが生き返るのは、一度に一人でたくさんよ」

  シアは語気を荒げながらそう言うと、近くに放っていた荷物袋を担いで洞窟の外に出た。

  リリスは、そのあとを猫のようについていった。

  

  ※

  

  マリたちが野営していた洞窟よりも少し離れた木の陰。オルフェウスは、そこでシアたちの話に耳を傾けていた。

  ウールヴヘジンの人狼のなかでも特に聴覚の鋭い彼の耳には二人の会話はすぐそばで聞いているのと同じくらい鮮明に聴き取れた。

  仲間の話を盗み聞きすることは、普段耳を倒しこの能力を封印している彼にとっては心苦しいことだったが、組織の最高権威である司祭の頼みとなれば断ることもできない。

  

  「オルフェ、悪いが一つ頼まれてくれぬか?」

  司祭は、始めそう言ってオルフェウスにこの任務を課した。

  本来の目的は、マリの追跡。ただし、この任務は他言無用。特に先に先行しているシアには絶対に悟られないようにすることと司祭は釘を刺した。

  「シアが先に向かっているのら、僕は行かなくても良いのではないですか?彼女は仕事はキッチリこなしますし、今回も情に流されることもないでしょう」

  オルフェがそう言うと、司祭は表情を曇らせながら首を横に振った。

  「もちろん私は、君と同じくらいシアのことを信頼している。だが、今この案件をシアにだけ任せるのは、とても危険なことなんだよ」

  「危険?司祭様は、何を危惧されているのですか?」

  「それは…」

  そこで司祭は言葉を切った。

  彼は躊躇うようなそぶりを見せた後、ゆっくりと口を開いた。

  「これは私の憶測なのだが、どうやらウールヴヘジンには裏切り者がいるようなのだ」

  「裏切り者?」

  オルフェウスは、大きく目を見開いた。

  信じられない。いや、信じたくないと言った方が正しいか。

  ウールヴヘジンは、人間に害をなす魔物を討伐する組織である以前に一人一人が互いを家族のように慕っていた。

  そのことは、組織に新人が入る際に司祭が彼らが語るこの言葉からも現れている。

  ―ようこそ。君は、これで私たちと家族だ。

  オルフェも、ここに来た日の最初の夜ザクロの果汁を飲む儀式を終えた後司祭から同じ言葉をかけられた。

  そして、実際ウールヴヘジンのヒトビトは皆彼を弟のように可愛がってくれたのだ。

  そんなヒト達の中に裏切り者がいるなど彼にとっては受け入れがたいことだった。

  「君が驚くのも無理はない。私自身、今も悪い夢を見ている気分だよ」

  司祭は優しい口調で言った。

  「まさか、その裏切り者がシアだと言うのですか?」

  オルフェは、恐る恐る尋ねた。

  「いや」

  司祭は再び首を横に振った。

  「私が思うに、その裏切り者はルーだと考えている」

  「ルーが?」

  オルフェは眩暈を感じ近くのソファに腰を下ろした。

  もう、立っているのも辛い。

  ルーは、彼だけでなく多くのウールヴヘジンのヒトにとって恩ジンだった。

  身寄りのない者を積極的に引き取りウールヴヘジンに引き取り一人一人を我が子のように慈しんでくれた。

  仲間の幸福に祝杯片手に喜び、仲間の不幸に涙を枯らして憤る。

  彼は司祭以上に人望の厚いヒトだった。

  そんな彼が組織を裏切るなんてことがあるのだろうか?

  そんなことを考えていると、司祭が再び口を開き始めた。

  「以前にマリとエレオノラの部隊が退魔騎士に奇襲されたことは覚えているだろう?」

  「ええ、覚えています」

  忘れたくても忘れられない。

  あの時、恋人を殺されたことで堕心し身も心も獣になったエレオノラは、仲間にまでその牙を向けた。

  ―私を殺して。これ以上家族を壊したくないの。

  一瞬正気に戻ったエレオノラは、マリにそう言ったらしい。

  エリューズに帰還したマリは、魂の抜けたような表情で彼女の首を抱えていた。

  その日からマリは疑心暗鬼となり、いつの間に組織を抜け出しリュバンの一人として主に退魔騎士狩りをこなすようになっていた。

  「でも、あれは不幸な事故のはず…」

  たまたまマリたちがいたところに退魔騎士が通りかかり、偶然エレオノラの恋人が命を落とした。

  それだけと言えば、それだけのことだ。

  「だが、実際は違ったのだよ」

  司祭は頭を抱えながら机の上に腰かけた。

  「あの後、気になることがあって秘密裏に調査して分かったのだが、どうやらマリたちの情報をルーが退魔騎士たちに流していた」

  「そんな、嘘だ!」

  気づくと、オルフェは反射的に叫んでいた。

  「君が、そう言いたくなるのも分かる。だが、これが事実だ。

  彼は退魔騎士どもに情報を流し、その見返りに金を受け取っていたのだ」

  「ルーが、金のために僕たちを裏切ったと言うのですか?」

  「金のためだけではないだろう。そこのところは、私もまだ情報を掴めていないが、私はマリの父親が殺害されたことと何か関係があると考えている」

  「どうして、そう思うのですか?」

  オルフェは、前かがみになりながら尋ねた。

  ようやく気持ちに落ち着きが戻り、それと同時にルーに対する怒りが込み上げてきた。

  「ルーとフェンリルがマリの襲撃にあったことは、さっき話したね?」

  司祭の問いにオルフェは頷いた。

  「実はたった今フェンリルが目覚め私にその時のことを教えてくれたのだ。彼女は真っ先にルーに斬りかかるとこう言ったらしい。

  ―父とエレオノラの仇―と…」

  司祭は、そこで言葉を切るとゆっくりと立ち上がった。

  彼はオルフェのすぐ目の前まで近づくと、腰を屈め人狼の紫色の瞳を見つめた。

  「シアはヤツに騙されている。彼女のためにも一刻も早くマリを探し出してほしい。良いかな?」

  「分かりました」

  オルフェは即座に答えると、スッと立ち上がった。

  「ありがとう。それから、さっきも言ったが、マリは堕心している可能性もある。くれぐれも気をつけて」

  司祭はそう言うと、彼の手を優しく握った。

  「無事に返ってくるのだぞ、我が息子よ」

  

  シアとリリスが、洞窟を出た。

  オルフェは匂い消しの香を焚くと、木の上に昇り身を潜めた。

  シアは鼻を上に向け怪訝そうな顔であたりの匂いを嗅いでいたが、特に気にする様子もなく北に向かって歩いて行った。

  シアたちの姿が見えなくなると、オルフェはゆっくりと木から滑り下りた。

  オルフェは、洞窟の方を見た。

  あそこも調べるべきだろうか?

  「いや、止めておこう」

  自分はシアほど鼻が良い方ではない。耳の鋭さではシアに負けない自信があったが、音というのはすぐに消えてしまうモノだ。

  あの中にあったマリの音は、もうない。

  それよりも今は別の方向からマリを追跡すべきだ。

  シアたちの会話の端に出てきたキキーモラの女性、彼女を探し出せば、何か手がかりがつかめるに違いない。

  あてがあるわけではないが、シアのやり方ではリリスの言うように効率が悪すぎる。

  「とりあえず西だ」

  まずシアたちが野営した場所を見つける。

  今から行けば、自分でも嗅ぎ取れるくらいには匂いが残っているだろう。