Scape wolf 1-11「ヴィヴィアン」

  「ヴィヴィアン」

  

  窓から差し込む光と鳥の世話しない鳴き声に、ブラムは目を覚ました。

  彼は、上体を起こして周りを見た。

  薄暗い布のテントの中。

  一瞬、自分がどこにいるのか思い出せなかったが、意識がはっきりするとだんだん記憶が戻ってきた。

  ここは、リュバンの客用テントの中だ。

  昨夜の宴会でマリが酔いつぶれた後、ブラムは偶然やって来たガルムに案内され自分用にあてがわれたそのテントにやって来た。

  後になって知ったことだが、客用のテントは毎回ゲリとフレキが、一個あたり数分で組み立ててしまうらしい。

  ブラムは、藁のベットから起き上がると、東側の壁に足を進めた。

  そこには、昨日王のテントに置いていった荷物が置かれていた。

  ブラムは短剣だけを身に着け外に出た。

  外では、猪のような頭を持つオークの女性が、大釜の前で火を焚いていた。

  大釜の中には、温められた水が入っている。

  「あ、お目覚めになりましたか?」

  オークは、ブラムに気づくと、顔を上げスッと立ち上がった。

  「待っててください。今準備しますから」

  彼女は、そう言いながら、足もとに置いてあった桶を拾うと大釜の湯をすくい上げブラムに差し出した。

  「こちらで身支度をしてください。今朝は冷えますから」

  「あ、ありがとう」

  ブラムは、そう言うと桶を受け取りテントに戻った。

  彼は、渡された湯で顔を洗い、身体を拭いた。

  身支度が済んだ頃、誰かが外でテントの呼び鈴を鳴らす音が聞こえた。

  「誰?」

  ブラムは、訪問者に向かって尋ねた。

  「ロキだ」

  訪問者は、答えた。

  「ちょっと、つきあってくれないか?」

  

  ロキに案内されてやってきたのは、テント群の外れにある小さな空き地だった。

  空き地では、何人かのヒトが隅に置かれたカカシに矢を射かけたり数人組になって木でできた武器を打ちあったりしている。

  ロキは、どこからか木剣を二本取り出すと、一本をブラムに放ってよこした。

  「手合せしないか?もちろん、お互い手加減なしだ」

  王は、言った。

  「分かった」

  ちょうど身体を動かしたいと思っていたところだ。

  ブラムは、即答すると、渡された剣を構えた。

  ロキも、サッと表情を変えると、腰を低くした。

  彼の構えには隙がなかった。

  下手に前に出ればやられる。だが、いつまでも仕掛けなければ、向こうに先制を許してしまう。

  その時、敗北は必至だ。

  二人は、しばらく互いの出方を見ながらにらみ合った。

  いつの間にか、まわりのヒトビトが、彼らの戦いの様子を見物し始めた。

  ブラムは、敢えて前に出る方を選んだ。

  「はっ!」

  声を上げながら、一歩足を前に出し剣を横にはらう。

  ロキは、一歩後じさり、それを避ける。

  ブラムは、さらに前進し、今度は剣を縦に振った。

  王は、それを剣で受け止め蹴りで反撃を加えた。

  腹に激痛が走る。

  一瞬ひるんだ隙に、ロキは、剣を勢いよく振り下ろした。

  ブラムは、何とかそれを避けると、勢いよく剣を前に突き出した。

  「遅い!」

  ロキは、足で繰り出された剣の腹を蹴りながら言った。

  ブラムの手から剣が飛んで行った。

  王は、すかさず剣の切っ先を彼の胸元に押し当てた。

  本気ではなかったが、真剣なら出血している強さだ。

  「俺の勝ちだな」

  そう言った瞬間、ロキは、いつもの穏やかな顔に戻っていた。

  手も足も出なかった。

  恐らく得意の二刀でも勝てなかっただろう。

  ブラムは、完敗を認めるしかなかった。

  「負けたよ。さすが、王を名乗るだけのことはあるね」

  彼は、両手を目の高さまで上げながら言った。

  ロキは、剣を下に降ろし反対の手に持ちかえると、手を前に差し出した。

  「なかなか良い太刀筋だったな。久しぶりに楽しめたよ」

  「ありがとう。僕も楽しかったよ」

  ブラムは、差し出された手を握りながら、そう答えた。

  

  手合せが終わると、ブラムとロキは、その足で昨夜宴会で使用した広場に向かった。

  中央にあったテーブルは取り払われ、代わりに大きな鍋が十個ほど赤々と燃える火の上に乗せられていた。

  鍋の中には、肉と野菜の入った金色のスープが並々と入れられ、そばでは犬のような頭を持つ人間の子どもほどの背丈しかないコボルトという妖精たちが台に乗り大きなヘラを使って鍋をかきまわしていた。

  コボルトたちの前では、ヒトビトが列になって並び、スープを受け取る順番が来るのを今か今かと待っていた。

  「俺たちも並ぼう」

  ロキは、そう言うと近くの列の最後尾に立った。

  王が後ろに来たというのに、それまで列に並んでいたヒトたちは彼を一瞥しただけで特に気にする様子もなく近くの仲間たちとの談笑に戻った。

  「並ばなくても、前に行けばもらえるんじゃないの?」

  ブラムは、ロキの後ろに並ぶと、彼に向かって尋ねた。

  「いや」

  王は、首を横に振った。

  「俺は確かに王であり、この国の重要な事柄を最終的に決めるのは、俺自身だ。だが、それ以外は、俺は誰よりも秀でてているとは思っていない。

  王様なんて、そんな偉いもんじゃないのさ。

  王がいなければ、国が成り立たないのと同じように、司祭がいなければ、ヒトは心のよりどころを失う。農民がいなかったなら、多くのヒトが飢え死にしてしまう。

  この世には偉いヤツも下賤なヤツもいないんだよ。いるのは生きとし生ける者、それだけさ」

  彼は、そう言うと、背伸びをして前に立つ牛のような頭のミノタウロスの肩越しに鍋の方を見た。

  「旨そうな匂いだ。今日は、鹿肉のスープだな?」

  王は、子どものように目を輝かせた。

  しばらくすると、ようやくブラムにも朝食を受け取る順番がやってきた。

  コボルトが目の前で大きな椀にスープを並々と注ぎ、その中に焼きたての無発酵パンを三切れとスプーンを放り込んでブラムに手渡した。

  ブラムは、妖精に礼を言うと、受け取った椀を両手で持ちながらゆっくり食べられる場所を探した。

  その時、マリの姿が目に入った。

  昨夜の宴会の時と同じように、ヒト目を避けるように広場の隅に腰かけ食事をとっている。

  周囲にヒト影はなく、そこだけが別世界のように見える。

  ブラムは、彼女のすぐそばの少し距離をおいた場所に腰を落とした。

  「おはよう」

  彼は、人狼に向かって言った。

  マリは、言葉こそ発しなかったが、うなずいて答えてくれた。

  「仕事は、見つかった?」

  ブラムは、続けて問いかける。

  「いや」

  マリは、首を横に振った。

  「朝食が終わる頃、フギンかムニンが情報を持ってくるそうだ。今は、それに期待するしかない」

  「それで見つからなかったら?」

  「ひたすら西へ行く。食料が尽きたら、狩りをすれば良い」

  マリは、そこで言葉を切り、パンを一口齧った。

  「お前も早く食え。冷めると不味くなる」

  彼女に促されるまま、ブラムは、スープを一口すすった。

  塩が多いが、肉と野菜のうま味が良く出ている。

  その後、二人は食事が終わるまで一言も言葉を交わさなかった。

  先にマリが食事を終え立ち上がると、ワタリガラスたちを探すため集落の奥へ進んで行った。

  ブラムは、それから数分遅れて食事を終えたが、特にすることがなかったので、コボルトたちとともに食事の洗い物の手伝いをすることにした。

  洗いものが済むと、彼はマリを探すために客用のテントに足を向けた。

  ブラムがそこに着いた時、彼女は剣を背負い自分のテントから出てくるところであった。

  手には長旅の中で中身がすっかりさびしくなった鞄が握られている。

  「仕事が見つかった。出るぞ」

  マリは、弟子の顔を見ると前置きなしに言った。

  「お前も早く準備をしろ。一先ず十日分の食糧は確保しておけ」

  人狼は、そう言って集落の北の方に向かった。

  「分かったよ」

  ブラムは、昨夜寝床としていたテントに入り剣やマントを身に着けると、彼女の跡を追った。

  おそらく、彼女自身もこれから準備するところなのだろう。

  ならば、一緒に言った方が何かと好都合だ。

  

  リュバンの集落の北東、そこは一際大きなテントが立てられていた。

  ブラムたちが寝起きしたモノやロキが使っている王宮テントより一回りも大きい。

  居住や謁見とはまた違った目的の建物であることは一目瞭然だ。

  マリは、テントの中に入った。

  ブラムも、その後に続く。

  テントの中の壁際には、大きくて重そうな棚があり、その中には干し肉やビスケットと言った食料、何かの薬と思しき緑色の液体が入った小瓶、刀身に古代文字が刻まれたナイフなどが半ば押し込められるようにして置かれていた。

  「ここは?」

  ブラムは、テントの中を見回しながらを誰にとなく尋ねた。

  すると、どこからか返事が帰って来た。

  「ここは、万屋。君たちみたいなストレイの役に立ちそうなモノを売っている場所だよ」

  女性の声。

  マリのモノではない。彼女よりも高音で、ずっと幼い感じだ。

  「魔法屋。と言った方が正しいのではないか?」

  今度はマリの声。

  ブラムは、隣にいる彼女に目を向けた。

  マリは、テントの奥の方を見ている。

  そちらに視線を移すと、そこには大きな長テーブルがあり、テーブルを挟んで向かい側に紫色の豪奢な服を着た女性が一人頬杖をつきながらこちらを眺めているのが見えた。

  一瞬人間に見えたが、耳が長く尖っているところを見ると、どうやらエルフのようだ。

  「まあ、そうとも言うね」

  エルフの女性は、マリの方を見ながら意に介さずと言った様子で答えると。ブラムの方に緑色の目を向けた。

  「そう言えば、君とは初めましてかな?私はヴィヴィアン。この店の店主よ」

  「申し遅れました」

  ブラムは帽子を取ると、胸の前において頭を下げた。

  「僕は、エイブラハム・ハーカー。えっと、一応マリの弟子なのかな…」

  彼の自己紹介にヴィヴィアンは嬉しそうに鼻を鳴らした。

  「そうか。しかし、エイブラハム。こんなボクネンジンの弟子になるとは、お前も不幸な男だな」

  このヴィヴィアンの言葉に、それまで口を閉ざしていたマリが目に殺気を込めながら噛みつくように問いかけた。

  「それは、どういう意味だ?」

  「言葉通りの意味さ」

  ヴィヴィアンはブラムの方を見たまま答えた。

  マリは「チッ」と舌を鳴らした。

  ブラムは、「はあ」とため息をついた。

  「ボクネンジン」それだけなら、まだ良い方だ。

  マリは、それに加え他者特に女性と会話をすると必ずと言っていいほど論争を起こそうとする。

  自分が弟子になる前、彼女は一体何人のヒトと揉め事を起こしたのだろう。

  ブラムのため息が聞こえたためか、それとも日ごろからこういう流れのやり取りをかわしていたのか、マリとヴィヴィアンは、それ以上の論争はせずに売り買いの話に入った。

  商談はすぐにまとまり、マリはいくつかの薬や食料を硬貨と交換しカバンに詰めると、特に何も言わずに店を出た。

  ブラムも彼女と似た組み合わせ品物を買い、加えて投げナイフ数本と赤いドロップが入ったブリキの箱を手にした。

  「それは、ブラッドドロップ。要するに血を固めて作った飴玉ね」

  ヴィヴィアンは赤いドロップについてそう説明した。

  「血の飴玉?一体何に使うの?」

  ブラムは尋ねながら、説明文はないかと箱をひっくり返した。

  中の飴玉が箱にぶつかってガラガラと音を立てる。

  かすかだが、箱から血と砂糖の匂いがする。

  「主に嗜好品ね。まあ、君みたいなヴァンパイアは、強壮薬として使うことの方が多くなるかな?」

  「強壮剤、か…」

  ブラムは、箱を見ながらつぶやいた。

  その瞬間、彼の脳裏にある光景が浮かんだ。

  夜、雨、血の海、背後に迫る殺気。腕に血まみれの女性を抱える自分。女性は荒い息の中囁くように言った。

  ―私の血を喰らえ。私の命を使って生き延びろ…。

  ブラムは、その光景を脳から振り落とすかのように頭を振った。

  「どうしたの?」

  隣でヴィヴィアンが問いかけるのが聞こえた。

  「何でもない。ちょっと眩暈がしただけ」

  嘘だった。

  思い出したくない嫌な記憶。詳しく話そうとすれば、もっと鮮明に思い出さなければいけなくなる。

  「そう?なら良いのだけど…」

  エルフがそれ以上聞こうとはしなかったことに内心ホッと息をつくと、ブラムは手にした品物を目の高さまで持ち上げながら彼女の方を見た。

  「これも、買っておくよ。いくらかな?」

  ブラムは、村を出る前にルーシーから餞別としてもらっていた金貨で支払いを済ませると、マリの跡を追って店を出ようとした。

  「ちょっと待って」

  その時、ヴィヴィアンの呼び止める声が聞こた。

  ブラムが後ろを振り返ると、妖精は真っ直ぐ彼の方を見ながら口を開いた。

  「マリのこと、よろしくね。あの子、あんな感じだけど、とても脆い子だから…」

  ヴィヴィアンの言葉には妙に重い響きがあった。

  お願というよりは懇願に近い。

  「分かった」

  安易に了承すべきでない。

  そう自分に言い聞かせながら、ブラムはゆっくりとうなづいた。