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第一話 森奥の庵にて:ガイト・バルクヘッドの目覚め

  ――チュン、チュン、チュン、チチ、チチチチ…

  

  「……ん-、うん、…」

  けたたましい小鳥のさえずりが耳に痛い。

  泥のような眠気に身をよじりながら、覚醒する。

  嫌な、夢を見ていた気がする。

  どんな夢かは思い出せないが…奇妙な喪失感と共に、俺はゆっくりと目を覚ました。

  

  陽光に晒された顔が、ほのかに暖かい。

  ふかふかの枕が心地よいが、朝だ。起きなければ…

  

  どうにも寝起きで頭が回らない。

  虚ろな目で辺りを見回す。

  質素なテーブルとイス。

  枕元に、水差しとコップが置かれている。

  窓辺にはカーテンが揺れ、穏やかな風が吹き込んでいた。

  窓の向こうには、鬱蒼と茂る森の木々と、風に揺れる草花が見える。

  壁には大きな壁掛け時計と、きらりと日光を反射する姿見。

  姿見に目を凝らすと、間抜けな顔でこちらを見る熊人が写っている。

  どこからともなく、パンを焼くような香ばしい香りが漂ってきて、胃を優しく刺激する。

  うん、良い朝だ。

  ごろり、と寝返りを打つ。

  豊かな羽毛で膨らんだ布団が心地いい。

  牧歌的な光景に心和みながら、ぴすぴすと鼻を鳴らし、息を吸い込んで…

  ――どこだココ!?

  狼狽した。

  それは、俺の知らない景色だった。

  重い体を無理やり起こすと、改めて周囲を確認する。

  どうやら、民家?のようだが…

  

  まだ覚醒しきらない脳を叩き起こすように、ぶるぶると首を振る。

  森の中で襲われて、気絶した事は覚えている。

  しかし、その後の記憶が無い。

  あの後どうなった?

  オーク達は?

  そもそも、俺の身に一体何が起こった?

  何も判らず、うう…と唸っていると、不意にドアノブがガチャガチャと音を立てた。

  思わず身構える。

  軋んだ音と共に、ドアが開き…

  

  「おや、やっと起きたかね?」

  そこに立っていたのは、フサフサとした豊かな髭を蓄えた、初老の犬人だった。

  

  青みがかった毛色、大きな耳に短いマズル。

  にこやかに目を細め、丸メガネをかけた姿は、いかにも無害です、という感じだが…

  しかし、どことなく普通ではない、というか、ただ者ではない印象を受ける。

  

  「あ、どうも…」

  どう言葉を返したものかと思案するが、まだ脳が半分寝ているようで。

  俺は頭をばりばりとかきながら、間の抜けた声を返す。

  「先ずは水を飲みなさい。

  丸一日眠っていたんじゃ、水分を補給せねば」

  よっこいしょ、と椅子に腰かけると、犬人はコップに水を注いだ。

  言われて初めて、喉が渇いていることに気づく。

  ほら、と渡されたそれを一気に飲み干し、息をついた。

  窓から爽やかな風が舞い込み、寝起きの体をいたわるように撫でていく。

  「あの、俺、どうしてこんな所に…?」

  状況を確認しようと、俺は犬人に声をかけた。

  「おとついの事じゃ。森の外れでオークの死骸と、隣に倒れているお主を見つけての。

  息があるようじゃったから、この庵に連れて帰って介抱したんじゃよ。」

  最初は死んどると思ったが、と朗らかに笑う犬人。

  

  「じゃが、あのオークの死骸…ありゃ何じゃ。

  まるで頭が爆発したように吹き飛んどったが…」

  「ええと、その…俺にも、良くわからなくて…」

  的を得ない返答だが、犬人は怪しむでもなく、ふむ、と短く唸る。

  何かを思案するような様子であごひげを数回しごき、

  「ところで、名前を聞いてもいいかの?」

  「名前?ああ…ガイトです。ガイト・バルクヘッド」

  「ガイト…」

  ガイト、ガイト…と三回繰り返すと、

  「ガイト、ワシはジム・グライアントじゃ。

  気軽にジムと呼んでおくれ」

  よろしく、と手を差し出してくるジム。

  頭を下げながら握手を交わす。

  外見から初老だと思っていたが、手は肉厚でがっちりしていて少し驚く。

  もしかすると、実は意外と若いのかもしれない。

  俺は体を起こすと、犬人の方に向き直り、ベッドに腰かける。

  ぎし、とベッドが軋むが、熊人の体重を受けても壊れそうな気配はない。実に頑丈だ。

  ジムは俺の体を頭の先っぽから足元まで眺める。

  そして、

  「あの森で起きた事、思い出せるかの?」

  対面する形になったジムが口火を切った。

  

  「そう、ですね…」

  初対面の人間なのであまり詳しい素性などは明かしたくない、というのが正直な所なのだが…命の恩人なのだ、無下に出来ない。

  俺はパっと思い出せる範囲の事を――つまり、森を抜けていた所をオークに襲われ、犯される寸前で抱えていた荷物が不思議な力で時を止め、俺の右目と入れ替わるように体内に侵入し、そして気が付くとオーク達の頭が吹き飛んでいたという、荒唐無稽な顛末を――伝える。

  「ほう、ほう!!なるほどなるほど…目が…」

  ジムは特段疑う訳でもなく、ただ膝を打って話を聞いていた。

  

  「だからお主はあんな状態で倒れておったんじゃな」

  「あんな状態??」

  首を傾げる俺。

  ジムはテーブルに片肘をつくと、眉を片方上げ、ニヤリと下品な笑みを浮かべた。

  「身体中、オーク共の血やら精液やらでぐちゃぐちゃになっとったぞ?」

  言われて思わず赤面してしまった。

  別にこちらに落ち度がある訳ではないが、確かにあんな状況、異常だ。

  

  「べべ、別にオークとあんな事をする趣味があるとか、そういう訳じゃないんすよ!」

  「わーかっとるわかっとる、落ち着きなさい」

  くふふ、とジムは息を殺して笑った。

  このジジィ、ゲスい。

  「まぁ、事情は理解したよ。

  そうそう、起き抜けで腹が空いとるじゃろ。飯にしよう」

  そう言うと、犬人はよいしょ、と立ち上がった。

  

  「君の服は…随分汚れておったからな。洗濯してそこに置いておるよ」

  ジムの目線の先に、俺の荷袋と、畳まれた衣服一式があった。

  所持品はどうやら無事の様だ。ありがたい。

  一番上に重ねられたお気に入りのパンツを見ながら、俺は安堵した。

  ん?パンツ?

  嫌な予感を感じつつ、そろそろと目線を自分の体に向ける。

  きらきらと日光を照り返す銀色の被毛。

  少し出てきた腹に、太く鍛えられた太もも。

  そこに、生まれたままの俺の体があった。

  「のわっ!?」

  自分が一糸纏わぬ状態だった事を察し、慌てて俺は股間を隠す。

  そして、そこにある愚息がゴリゴリに朝勃ちしているという事に気づき、盛大に赤面してしまった。

  「ほっほっほ、大丈夫じゃよ。取って食う気などさらさらないわい!

  しかし、熊人にしてはちと…いや、いらん世話じゃな。」

  今まで真正面にいたくせに黙っとったのかジジイ!

  

  椅子から立ち上がると、ふぁふぁふぁ、眼福眼福とか言いながら部屋を出ていく後姿を見送りながら、俺は情けない気持ちで一杯になるのだった。

  

  

  服を着て部屋を出ると、ずっと漂っていた香ばしい香りを頼りに進む。

  そして辺りを見回しながら、ふと思う。

  ジムはここを『庵』と言っていたが…それにしては随分と広いし、作りもしっかりしている。

  普通庵っつったら、もうちょっと質素なイメージがあるのだが、これではまるで民家…どころか、ちょっと小奇麗な宿くらいのクオリティはあるぞ。

  

  やがて、匂いがより一層濃い扉の前に立つ。

  念のためにコンコン、とノックをすると、中からはーい、という男の声が返ってきた。

  しかし、先ほどまで聞いていたジムの声とは別人の声である。

  他に人が居るのか?

  「失礼しま~す…」

  ガチャリとドアノブを捻り、室内に入ると…

  「おきた?あさ、めし、たべる?」

  片言の共通語で声をかけて来たその人物を見て、俺は思わず後ずさった。

  

  それは、筋骨隆々とした獣人だった。

  身長は俺より頭一つ高いだろうか。

  はちきれんばかりに伸びたシャツを窮屈そうに着込み、これまたパツパツに弾けそうなズボンを履いている。

  焼きたてのパンを手に持ち、こちらを向いてにっこりと微笑む。

  まるで子供の様に屈託のない笑顔だ。

  初対面なのに、一目で悪人ではない、と理解できる無害な印象。

  しかし…『それ以外の部分』に、俺は驚き、戸惑ってしまう。

  獅子人のように雄々しい顔立ちに、豊かなタテガミ。

  黒く大きい鼻は薄らと濡れ、光を反射している。

  そして…牛人を思わせる立派な角に、違和感たっぷりの、狼人っぽいふさふさの尻尾。

  シャツから伸びる両腕には、虎人のような鮮やかな縞模様。

  

  なんだこの出鱈目な生き物!

  こんな種族が存在するのか!?

  

  俺が戸惑っていると、その獣人の横にあったドアが開いた。

  「ふぅ、すっきりすっきり…おお、来たかね。

  トイレは大丈夫かの?今ワシが入っとったばかりじゃが…」

  のんきな声と共に出てきたのは、ジムだ。

  「あ、え、えっと、だい、大丈夫です」

  「ん-?ああ…」

  固まっている俺の視線と、その先にいる謎の獣人を見比べて、ジムは納得したように頷いた。

  「じむ、ごはん、たべる?」

  「おうおう、食べるよ。皆で食べよう」

  ぐっとつま先立ちになると、にこにこと表情を崩さない獣人の頭をぽんぽんと撫でるジム。

  獣人は、ぐるぐるぐる、と大きな音を立て、目を細めて喜んでいる様子だ。

  どうやら喉はネコ科らしい。

  

  「こやつはガラシア。ガラ、と呼んでやってくれ」

  俺に視線を移すと、ジムはこの歪な獣人の名を告げた。

  「がら、です。よろしく」

  たどたどしく挨拶する様は、まるで子供だ。

  「が、ガイト・バルクヘッド。ヨロシク…」

  この生き物、見た目は異様だが、少なくとも敵意は無いらしい。

  俺は警戒を解くと、ぎこちなく笑みを返した。

  そんな俺とガラを見比べるように視線を巡らせると、ジムもふっと笑みを浮かべる。

  「さ、積もる話はあるが…まずは腹ごしらえ、と行こう」

  勧められるがままに食卓につく。

  ガラのインパクトで気づいていなかったが、テーブルの上には湯気を立てるスープとパン、そして香ばしく焼き上げられた骨付き肉が盛られた大皿が並んでいた。

  反射的に腹が鳴り、空腹で胃が悲鳴を上げた。

  

  「今日もありがとうよ、ガラ」

  「うん」

  ジムの様子を見るに、この朝食を準備したのはガラのようだ。

  やがてジムとガラも椅子にかけると。

  

  「よし、それでは…いただきます」

  「いた、だき、ます!」

  

  「い、いただきます…」

  なんとも奇妙な居心地の朝食が始まった。

  朝食の味は、まさに絶品だった。

  豊かなバターの香りと、ふかふかの食感が嬉しいパン。

  スープはやや薄味だが、起き抜けの胃に優しく染みる。滋味だ。

  一方、肉は脂がのってジューシー。

  その割にはさっぱりとしていて、いくらでも食べられそうに思える。

  丸一日何も摂っていなかったせいか、ガツガツと勢いよく食べてしまう。

  ジムはそんな俺を見て目を細め、ガラはマイペースにもぐもぐと口を動かしていた。

  あっという間にそれらを平らげると、ようやく気分が落ち着く。

  脳に栄養が行き渡る感覚。

  「ガラや、茶を用意してくれ」

  ジムの指示に、ガラは頷くと立ち上がる。

  そうして炊事場へ向かうガラを見送ると、ジムは俺に視線を移した。

  「ガラの姿に驚いたじゃろ?」

  「あ、その…ええ、始めて見る種族ですから…」

  まるで混合種の化け物だ、喉から出そうになる。

  そんな俺の思考を見抜いたか、ジムは小さく頷くと、

  「奴の事は…まあ、そういう生き物だと思っておくれ」

  ミもフタもないことを言うなこのジジイ。

  

  「いずれきちんと説明するが…ガラは良い奴じゃ。

  今はワシの身の回りの世話をしてくれておる」

  俺は炊事場で揺れる巨大な背中を眺める。

  しかし、あんな存在自体がバグってるようなのと、よく生活ができるものだ。

  「はぁ…」

  どう返せばいいかわからず、間抜けな声しか出せない。

  「とにかく、今はワシとガラ、二人でこの庵に住んでおる。

  お主、まだ起きたばかりで万全ではないんじゃろ?

  落ち着くまではここに居てもらってかまわんよ」

  「いえ、そんな…これ以上ご迷惑をおかけする訳には」

  遠慮する俺に向かって、犬人は首を振る。

  「気にするな。ここはそういう場所なんじゃ」

  「そういう場所?」

  先ほどから、フワフワした事しか言わないジム。

  聞き返したところで、ガラがカップの乗った盆を手に戻ってきた。

  不器用な手つきでカップを持つと、俺たちの前に順番に並べる。

  「続きはまた後で話そう。

  今は優雅に、食後のティータイムじゃ」

  そう言って、ガラに向かってにっこりと微笑むジム。

  ガラも、厳めしい顔をくしゃりと笑みの形に変えて応える。

  

  ――ま、郷に入れば郷に従えと言うし…これ以上の追求は野暮か。

  先ほどのジムとの会話で、いくつか気になる点があったが…

  彼らは信用できそうだ、と理解できただけでも良しとしよう。

  ずず、と湯気を立てる茶をすする。

  苦い。薬草茶だろうか。

  運び屋の仕事をしていれば、大陸中いろんな場所を駆け巡る。

  その土地土地独自の文化や宗教観に、驚くことも少なくなかった。

  今回のこれも、まぁそのうち良い思い出になるのだろう。

  そう思考を巡らして、違和感。

  ――思い出?

  俺は今まで、どんな場所に行ってきた?

  俺は、どんな人たちと出会ってきた?

  記憶を辿ろうとして、まるでぽっかりと穴が開いたように、そこから先がない事に気づく。

  なんだこれは。

  

  必死で何かを思い出そうとするが、ノモアの森に入る以前の出来事が、まるで思い出せない。

  

  「どうしたんじゃね?」

  ジムの声にはっとする。

  「凄い顔をしとったが…」

  「だいじょぶ?」

  犬人と奇妙な獣人が、揃って怪訝な表情でこちらを見ている。

  言われて、険しい顔つきになっていた事に気づく。

  「え、あ、いや…その…」

  二人の目線にひるんで、俺は間抜けな声を出した。

  

  これではまるで。

  まるで…

  「森に入るより前の記憶が…その…無くて…」

  …記憶喪失だ。

  

  窓から見える、森の木々に目を移しながら。

  俺は愕然としていた。

  +++++

  

  空が、抜けるように蒼い。

  俺は庵の裏口から外に出ると、ぐっと深呼吸をする。

  ノモアの森と近いからか、相変わらず土の匂いが鼻に刺さる。

  

  ――あの森で、一体何が起きたのか。

  未だにあの出来事が現実にあった、という実感が湧かない。

  しかし、過去の思い出が虫食いの様に消えているせいで、自分自身の記憶力もイマイチ信じられずにいる。

  あの出来事のショックで、おかしくなってしまったんだろうか?

  ふいと辺りを見渡すと、少し離れた場所に泉が湧いていることに気づいた。

  近寄って覗き込む。

  銀色の熊が映る。

  まじまじと顔を確認する。

  見慣れたいつもの顔だ。

  見たところ、右目…に違和感も異常も見当たらない。

  いたって正常に見える。

  

  はう、と溜息。

  自身の名前。

  自分は運び屋だ、という事。

  そして森に入って奇妙な体験をした、という事。

  それ以外の記憶が一切ないせいで、これから何をどうすればいいのか、見当もつかない。

  「おや、もう歩いても問題なさそうじゃな?」

  立ち尽くしていると、背後から声をかけられる。

  振り返ると、にこやかに微笑むジムがいた。

  「すいません、なんだか迷惑をかけてしまって…」

  なんだか申し訳なくなる。

  「なーに湿気た事言っとる!

  いつまでもしょぼくれとらんと、元気出さんか!」

  バチコンと俺の背中を叩く犬人。

  思わずせき込む。

  見た目よりも随分と膂力があるようだ。

  「それよりもほれ、イイ物を持って来たぞい」

  ジムはごそごそと懐をまさぐると、

  「ほれ、これはお主の荷袋に入っとったモンじゃ。

  悪いが、危険なものが入ってないか確認だけさせてもらったからの」

  

  そう言って、一冊の小ぶりな本を渡してきた。

  

  「…日記?」

  「ああ。どうやらお前さんが書いていたようじゃぞ」

  表紙をめくると、左下にガイト・バルクヘッドという名が書き込まれている。

  「ざっと目を通させてもらったが、お前さん、確かに運び屋として大陸のあちこちを巡っておったみたいじゃの」

  

  ぱらぱらとめくる。

  今まで巡った地名と、その場所でどんな荷物を運んでいたのか、がざっくりと書き込まれていた。

  生憎筆不精のようで、出来事や人名が事細かに記されている訳ではないが…

  「これを見て、何か思い出せんかと思って持ってきたんじゃが…」

  「…いえ、ちょっと…ダメそうですね」

  並んだ地名を見ても、一切記憶が蘇る気配がない。

  俺が落胆するのが見えたのか、ジムは励ますようにししし、と笑うと、

  「まあ、何はともあれ…暫くはここで養生していくといいじゃろ。

  その後どうするかは、またおいおい考えたらええ」

  「はぁ…」

  俺はその日記を数頁めくる。

  すると、

  「ところでお前さん、体におかしなところは無いかね?」

  不意にジムが質問を投げかけてきた。

  「おかしな?」

  そりゃおかしなところだらけである。

  主に記憶が、であるが…

  「ああ。その、なんかワシを見とると、ムラムラするな~、みたいな…

  興奮しちゃうな~、みたいな…」

  しかし犬人はポッと頬を赤らめながら、そんな珍妙な事を言い始める。

  「む、ムラムラ?興奮??」

  何を言いたいのか見当もつかない俺は、ジムの顔と、そして体をまじまじと見つめる。

  初老の犬人は、確かにまぁ、柔和で優しそうな顔をしているし。

  体もややふっくらとしているが、よくよく見るとがっちりしていて、脱いだらスケベそうな雰囲気はしているが…

  「ちょっと、何が言いたいかさっぱり…」

  「じゃあガラは、ガラはどうじゃ?」

  言われて、あの奇天烈な獣人を思い浮かべる。

  いろいろとごちゃ混ぜになったような存在ではあるが、筋肉ムキムキだし、あちらもあちらでソッチ方面の方々にはセックスアピール抜群という感じではある、が…

  「その、別に、興奮するとか、そういうのは…」

  この爺さんはともかく、あの化け物に欲情するかと言われると、流石にノーである。

  そんな俺の至極当たり前なはずのリアクションに、しかしジムは、ほぉぉぉ!と感嘆の声を上げる。

  何だ?誘われているのか?

  「どうやらお主、ちと特殊なようじゃの」

  ジムは髭をごしごしとしごきながら、俺の顔をじろじろと見つめる。

  なんだか気恥ずかしい。

  「ちょっとこれを見ておくれ」

  ジムはそう言うや否や、上着の裾に手をかけ…よいしょ、と脱ぎ始めた。

  「ちょっ、ジムさん!?」

  やっぱり誘ってたのかよ!

  俺は慌てて目を逸ら…そうとして、ある事に気づく。

  「……なんスか、これ?」

  むっちりとした胸板、脂の乗った太い腹、そしてその下腹部に…うっすらと紅く光る、紋のような何かが顔を覗かせていた。

  ジムはそれを指さすと、

  「これはな、まあちょっとした呪いの類なんじゃが」

  そうあっけらかんと言う。

  「呪い!?」

  「ああ、そうじゃ。

  過去にいろいろあって、ワシの体はコイツに蝕まれとっての。

  これのせいで面倒な体質に変わっておる」

  「それってどういう…?」

  

  その紋様から目が離せず、ついまじまじと見つめてしまう。

  

  「まぁ、ザックリ言うと、じゃ。

  ワシの近くにいる、全方位ありとあらゆる対象を魅了してしまうんじゃよ」

  魅了?

  呪いと言うからには、寿命が縮まるとか筋肉が衰えるとか、そういう類じゃないのか?

  それってむしろイイ事なんじゃないの、と首を捻る。

  「そしてどうやらガイト、お主にはその魅了が効かんらしい」

  「ちょっとジムさん、その、魅了するって、それ呪いなんですか?」

  俺の言葉に、ジムは深刻な顔で頷く。

  「魅了とは言ったが、言い換えれば、この紋の力で強制的に発情させ、冷静な思考を奪ってしまうという事なのじゃ。

  じゃから、ワシの意思に関わらず、ありとあらゆる生き物がワシを犯そうと襲ってくるんじゃよ」

  「はぁ…」

  なるほど、言われてみれば確かにそれは難儀である。

  

  「朝お主が起きていた時にバッチリ勃起しとったから、やはり駄目かと焦ったが…ありゃただの朝勃ちだったんじゃな、良かった良かった」

  ふぁふぁふぁふぁ、と朗らかに笑うジム。

  いや、見られたこっちは堪ったモンじゃないが…

  俺が呆れていると、

  

  「ついでじゃ、ちょっと見とくれ」

  はい?と俺が答えるのとほぼ同時だろうか。

  ジムは自分のズボンに手をかけると、一気に膝上までずり下した。

  フリーズする俺の目の前に、太く黒ずんだ一物と大ぶりな睾丸が、ぶるんと跳ねるように飛び出す。

  「ちょっ!!!!」

  顔がかっと熱を帯びる。

  いきなりなんちゅーもんを見せるんだ!!

  当のジムは、腰に手を当て、俺に見せつけるようにぐいぐいと下腹部を突き出し…

  「うむ、やはり大丈夫なようじゃな」

  うんうん、と納得するように何度も頷いた。

  

  「いやはや、この紋を全て見ても大丈夫とは。

  お主は特別なようじゃな」

  言われて目を向ける。

  そこには全貌があらわになった紋様。

  陰部を中心に、下腹部から鼠径部にかけて這うそれは、うっすら紅く明滅している。

  「わ、解りましたから…仕舞ってください」

  たとえ紋様の効果があろうがなかろうが、こちらも男だ。

  これ以上直視すると流石に意識してしまう。

  俺は再び目を逸らし、絞るように声を出した。

  「ん?ああすまんすまん、つまらん物を見せちまったの」

  ジムはようやくズボンに手をかけると、露出していた陰部を仕舞う。

  「しかしお主、結構ウブじゃな」

  

  「いきなり見せつけられたら普通狼狽えるでしょうが!」

  思わず大声でツッコむと。

  はぁ、と息をついて、俺は改めてジムと向き合った。

  「ところで、もう一つ…言っておきたいことがあるんじゃが」

  犬人はぼりぼりと頭を搔きながら、

  「昨日のオーク共、精液を撒き散らして死んどる所を見るに、随分興奮しとったんじゃないか?

  

  「え、ええ。その通りです。俺、犯されそうになって」

  思い出すと背筋がぞっとする。

  あの光景、あの匂い…トラウマになりかねない。

  努めて思い出さないようにはしていたが…

  「それたぶんワシのせいじゃ」

  あっけらかん、と犬人は言い放った。

  「――はい?」

  「いや、数日前の事なんじゃが…どうもこの庵の近くに、オークが数匹近づいていたようでな。

  ガラが追い払った、と言っておったが、もしかするとワシの呪いにあてられて、頭がおかしくなっちょるかも、と危惧しとったんじゃよ」

  硬直する俺の前で、ジジイはにこやかに、

  「きっと、強制的に欲情させられたが、近くにワシの姿が無かったせいで対象を見失っとったんじゃろう。

  そこに偶然お主が通りかかったから、無差別に襲い掛かったんじゃろうな。

  いやー、どえらい目に合わせて悪かったの、ほっほっほ」

  あっけにとられる。

  成程、合点が行った。

  行ったが…

  「…あれ、怒っとる?」

  俺の殺気に気づいたのだろうか。

  ジムは半歩後ずさる。

  「この…」

  沸々と怒りが湧きあがる。

  

  「糞ジジィー!!!!!」

  「のわーっ!!??」

  +++++

  

  あの時ガラに羽交い絞めにされていなければ、きっと俺はジムを殺していただろう。

  まさかあの出来事の原因が、ジムにあったとは。

  「ロクでもねぇジジィだ…」

  最早、助けてもらった恩義も糞もない。

  俺は腹を立てながら、のしのしと歩みを進める。

  あの後、怒り心頭の俺を必死になだめすかすと、ジムは何処かへ雲隠れしてしまい。

  ガラに当たり散らしても仕方がないので、俺は苛立ちを抑える為に散策に出ていた。

  何もしていなければ、怒りでどうにかなりそうだった。

  時刻は既に夕刻。

  空には既に一番星が瞬き、まもなく夜が訪れる事を示している。

  足元では虫がりりり、と鳴き始め、風も少し冷たくなってきた。

  そろそろ庵に戻るべきなのであろうが…

  あれだけキレ散らかした後に、戻るのもなんだかな…

  思い返すと、今でもジムを許せない、という気持ちにはなるが。

  しかし今はあの犬人しか頼れる相手がいないのも事実。

  「ぬあーっ!戻れ!記憶!!!」

  拳で頭を何度も叩いてみるが、変化は感じられない。

  はぁ、とため息が漏れる。

  そんな時だった。

  「…硫黄?」

  ふわり、と鼻を衝く、独特の匂い。

  腐った卵のようなあの匂いである。

  近くに源泉が湧いているのか…?

  

  がさがさと草を掻き分け、匂いのする方向へ向かう。

  少し歩くと、足元の草が踏みしめられ、獣道の様相へと変わった。

  

  やがて開けた場所に出た。

  「おお…」

  そこはまさしく、温泉だった。

  ゴツゴツとした岩がぐるりと円を描き、その中を湯が満たしている。

  濃い湯けむりが立ち、むわっという熱気と、濃い硫黄の香りが鼻腔を刺激した。

  

  そういえば、この辺りは地の霊気が随分強かったっけ。

  温泉が湧いていても不思議ではないが…

  

  しかし、自然にこんなものが出来る筈はない。

  明らかに人の手が加えられている。

  誰かがこれを作ったのだ。

  「誰がこんなもの…」

  思わずそう呟いた。

  そしてそれに応えるように…

  「わーしじゃよ♪」

  湯煙の中から姿を現したのは、すっぽんぽんのジムだった。

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